惰性 - 2004年06月30日(水) たまに情報収集に某巨大掲示板群に行きますが、何度か痛い目に遭っているにもかかわらずまた「空気の読めない」書き込みをしてしまい、一人スクリーンの前で凹んでいた。意思が正確に伝わらなかったり悪意を持って解釈されたりするのはいやなものだが、ネットだと冷酷さを伴ってさらに突き刺さるものがある。いわんや特にそれが顕著なサイトだから。 情報を鵜呑みにせず取捨選択する限りはかなり使える口コミ媒体だと思う。思うが、頼りすぎると今日のようなことになる。 やっぱり長居は精神衛生上よくない。 しばらくやめとこうっと…。 - 選択基準 - 2004年06月27日(日) とりあえず今の彼氏とは別れたほうがよさそうだということはわかってきた。嫌いではないし、いいところをたくさん持っている人なのだが、私は、彼の持ってるような、世間の風潮に従順で、まっすぐで明るくて素直で正しいものがもともと苦手なのだ。決して「嫌い」ではない。好きだ。見ていて惹き込まれるし美しいと思うから。 けれど「苦手」。 どうしたって、苦手だ。 一緒にいてもいなくても、自分があの人の彼女だという事実だけでめちゃくちゃ苦しい。ほとほと自分が反社会的な生き物、はみ出し者に思えて嫌になってくる。 別に彼は私のことを批判したり非難したりしない。 好きなようにやればいい、と言う。口では。 けど本当はそう思っていないことを私は知っている。 彼もわかっているから普段は本音を口に出さないでいる。 こういう関係はよくない。非常によくない。 私は彼との関わりにおいては自己肯定感を得られない。 私にとって彼氏とは、私の行動を基本的に是認してくれる人じゃないとダメなのだ、ということに気付いた。当たり前っちゃ当たり前のことなんだが。 こうして男を選り好みしていくうちに、流行の「負け犬女」になっていくのかね。ワハハ。(ちょっと投げやり) - - 2004年06月23日(水) 大した理由ではないのですが。会社をサボりました。 ダメ人間。 テレビもつけず、音楽もかけず。ただ、この殺風景な和室でぼーっと体育座りをしている私。 2ちゃんねるのアスキーアートみたいなダメ人間です。今日の私。 なんで体育座りしてるんだろうと思うとおかしくなってきて日記を書くことにした。立ち上がったらめまいがしてまっすぐ歩けない。 もうわかった。めんどくさいものは手放せばいいんだ。全部。ぜーんぶ。 あー楽ちん。軽い軽い。 めんどくさくないものだけ、持っていけばいい。 しがらみ、というものは年を経るごとに増えていくのだろうが、そうやってなるべく放り出して放り出して、自由と同時に孤独な人間になっていくのがいい。 体育座りをしながらそのようなことを考えた。なんでそんな思考になるのかいまいちわからないが。そんなに言うほどにしがらみの多い生活をしてるわけでもないのに。 一人で腐ってるときに湧いて出てくる言葉がある。 「人生の意味」 あぁもう。ふざけんな。意味とか。ねーよ。そんなもん。 イライラする。 頭が痛くなってきたので寝ます。 - あぁぁぁ - 2004年06月18日(金) きた。やばい。きたよ。ループ&ループ。 もうなんか好き。大好き。アジカン!鯵缶!!! 前からなんとなく関心はあったんだけど、ループ&ループで一気にはまりました。 やばい。マジで好みだ。ピッタシカンカン。 ああぁぁ。やばい。やばいよ。やばいって!!!(うるさい) ビデオクリップがダメ、もうダメ。ツボ。もろツボ。 ツボ押されすぎ!!痛気持ちいい!! - 親が子供に見せたい番組 - 2004年06月16日(水) またYahoo!のトピックスですが。 親が子供に見せたくない番組 むしろ「見せたい番組」のほうでプロジェクトXがダントツ1位なのが面白かった。そうか、世の27%の親御さん方はこういう志向で子を育てたいと思っているのか。苦労と努力を惜しむことなかれというメッセージを伝えるにはいい番組だと思う。時代の反映という面もあるのかな。こういう時代だからこそ、年代を問わず上昇志向の人々の間で種々の競争は激化しているのだろう。 ちなみにうちの親なら「どうぶつ奇想天外!」を選んでいただろう。司会がみのもんたなのがちょっとネックだけど。幼少の頃は「わくわく動物ランド」を見るのが家族団らんだったからなぁ。やっぱり動物っていいよ。うん。いい。 - にがりダイエット - 2004年06月14日(月) 「ダイエット」を「大エッチ」とミスタイプしてしまった。 あるある大事典を篤く信仰している同僚から薦められ、にがりと酢を毎日摂り始めた。数週間前から始めた彼女、最近本当に目に見えて痩せてきたのだ。私もこないだ温泉で体重を量ってみたところ、なんと1週間で1.5キロ痩せていた。ちょっとびっくり。彼女のアドバイス通りのリズムで規則的に摂取した成果だろうか。しかし体型は変わってないのは一体…。 何を今更な疑問なんだけど、私にとって「彼氏」ってなんなんだろう。 付き合う相手によってその定義は変わってくるものなんだけど、自分に足りないところばっかり見えて見えて見えすぎちゃって、なんかあれだ。疲れたりする。 慢性的な劣等感は成長への最大のチャンスだと私は思うし、実際彼と付き合い出してから私は日々強く前向きになり始めていると思う。負けたくないから、悔しいから。奮起させてくれて、彼には常々ありがたいと思っている。 私独りのものさしで、私は彼に負けたくないと思っている。そればかり思っている。 しかし彼が私に何を求めているのかは、よくわからない。たぶん私がそれを彼に言わせていない。 彼は私を切磋琢磨の相手としては見ておらず、母性的な安らぎを求めているのではないかと思う。最終的には、自分を温かく包み込んでくれる「お嫁さん」が欲しいのだと思う。しかしそれは私が彼に求めているものと、どっちかというと逆方向のものだ。 けれどその推測も違うかもしれない。前もそうだった。私は相手が私に何を求めているのかさっぱりわからない。わかろうとしていない。多分。 わかったところで、その通りにできる保証もないのだけれど。 相手が何を求めているか、って、考える必要のないことなのだろうか。 そこまで私が面倒を見ることなどないのか。ないような気もする。 とにかく私は私でいればいいということか。それだけのことのような気もする。 というようなことでモヤモヤしてるから「彼氏」ってなんなんだろう、と思うのだ。すべてを白黒ハッキリ認識しておく必要はないのだが、こういうこともわからないで、何が彼氏彼女か、と思う。 でも、いないよりはいた方がいい。私のモチベーションは劣等感によって保たれる。彼といることでそれを維持できる限りはいいことだと思う。 - どうやら - 2004年06月08日(火) なんか、やっぱり基本的に、本当のところ、別にどうでもいいんやけどな、と思ってるような気がした。 仕事とか、恋愛とか。 それが答えだ。たぶん。 どうでもいい、と思う上で、自分の好きなようにすればいいのだ。 基本はそこ、まっさらなフラットな感じで、その先はいいようにすればいいんだと思う。 力を抜こう抜こうとして力む、というようなことになっていた気もする。 それしかない、と思うからいやになるんであって、いろんなメニューの中から好きなものを選べるんだけど、あえて辛いものを選ぼうが、素直に甘いものを選ぼうがどうでもよくて、辛いものに挑戦したから偉いわけではなく甘いものを選んだからといって逃げたわけではないということだ。 うーん。なんかちょっと違う。 なんて言えばいいんだろう。うまい表現が見つからない。 生き急ぐな、ということだ。そうそう。 通り一遍なものさしで、劣等感を感じるのはもう嫌だ。 - スイカ - 2004年06月05日(土) Yahooのトピックスにあるので見た人も多いと思いますが、すごくかわいいニュースがあった。毎年こんな慣わしがあるなんて知らなかったよ。 スイカに託す恋心 「照れくさそうにスイカを抱える男子学生」ってホントかよ!そんなにたくさんいるのかよ! なんかあれだな。いいな…。 昨夜から頭痛がめっちゃすごいんですけど、なんなんだろうか。 薬を飲んでも治らない。 風邪の頭痛じゃないんだけどなぁ。 あんまり痛くて、なんか他人事のように思えてくる。 ちょうど週末だからそんなに根を詰めるような作業もなく、人の話は普通に聞けるし大丈夫なんだけどね。 栄養失調かな…。夕ご飯が「ざるそばと納豆ご飯」とかの日々が続いたから。でも納豆ご飯食べてるならよさそうやんね。マルキン食品の納豆おいしいもん。なにかの賞を取ってるみたいだけどほんと日本一だと思うよ(栄養が取れてるかどうかという話とはあまり関係ない)。それにお昼は社食で肉・魚と野菜をバランスよく食べてるし。 ボランティア先のコーディネーターの方から、今日すごく背中を押してもらった。この人は本当に人当たりがよく、器の大きさを感じさせる人で、59歳と今日知ってびっくりした。40代だと思ってた。こんな風に年を重ねたいと思わせてくれる素敵な方です。「誰かに背中を押してもらうと楽でしょう」と言われて、確かにそれはそうだなと思った。 けど、今まで私は何かの決断を下すとき、周りの人に背中を押してもらうばかりだった。どうしたらいいのか迷っていて、自分の考えが正しいのか間違ってるのかわからなくて、たまたま近くにいた人が「正しいと思う」と言ってくれたことを選んできたような気がする。それはそれで別に悪いことではないし、いつでも自分の意志だけで物事を決めるべきだと思ってるわけではないんだけど、どうも私は「もう自分の中では答えが出ていることに対して背中を押してもらう」どころではなく、周囲の意思を自分の判断の拠り所にしちゃってたのかなぁと思う。結局、自分で決めてなかったのだ。自分がどうしたいのか、を置き去りにしていた。ずるくて弱い。 ちょっと前まで、私は、「学歴」「偏差値」というものさしから自由になれたと思い込んでいた。職業に貴賎はないという考え方も正しく会得してきていたような気がしていた。 けど、今になって、どうしてこんなにそういうものにこだわるのだろう。 どうせなら、もっと「ランクが上」の仕事に就かなきゃ。って。 大卒ならそれに見合った給料を欲しいとは思う。大学通うのってお金も時間もかかるしね。それはまぁ、いいと思うんです。 職業の社会的地位にこだわっている。 皆から、偉い、すごいと言われ、敬われる仕事じゃなきゃ、と内心思っている。 思い切り非現実なところでは、たとえば医師とか。 あー。やっぱりあれだ。 つまるところ「先生」と呼ばれたいんだな。たぶん。 でも、外の世界を知らずに「先生」と呼ばれる職業に就くのはけっこう危険なことだと思ってたんだ。前から。だから学校の先生だってなろうとしなかったんじゃないか。(まぁ教職課程を取るのがめんどくさいとか、どうせあんな競争率じゃ受かりっこないとか、端から諦めてた節もないことはないんですが) でも呼ばれたいんですね。「先生」って。 そんなら塾の講師になれよって話なんですが。 親がこないだ新聞の切抜きを送ってきた。熊本で業績を伸ばしてる進学塾の講師の求人で、あなたには向いてると思うから見るだけ見てみなさいと手紙が添えてあった。さすがに親子だけあっていいところ突いてくるよね。お母さん。リクナビで検索してみたらもっと詳しい情報が出てきて、まぁキツイ分お給料もよさそうだった。受けないけど…。 - ドロドロミラクルタイプ(夢のない一気セリフ) - 2004年06月04日(金) 隣の芝がもう青々としてるよ。もう元気いっぱい、すべてが順風満帆。 に見える。 あー。学校の先生ってそんなに偉いもんなのか。 私も学校の先生になればよかったよ。ってなんとなく思った。 高校の頃、倫理の先生に憧れてた。私は倫理の授業が一番好きで、こんなふうに哲学を教えられるなら私も倫理の先生になろうと一時期思ってたけど、学校という世界以外の世界を知らないで生きていくのはなんだかもったいないような気がして、たぶん自分は学校という世界しか知らず身近な大人が親と学校の先生しかいなくて、それで学校の先生という職業になんとなく関心を持ってるだけなんだろうと高校の頃は思ってたんだけど、やっぱり学校の先生っていいよな。いいのかな?私のR-CAP(二回受けたのの一回目)で堂々の一位に輝いたのはなんと「教師・塾講師」だったりしたのよね。でもさ光のネットワークも先生なんて忙しくてPTAと学校の板ばさみで生徒にゃ冷やかされ白髪も増えて大変だねって言ってるしさ、特に中学校の先生なんて大変だと思うんだな。昨今では小学校の先生も大変そうだし。とか言ってスクールカウンセラーに興味を持ったりしてる今の私って何なのかしら。たぶん正統派が嫌いなんだ。私って。正統派の人たちが威張ってる陰で肩身の狭い思いをしている人に横からそっと手を差し伸べるのが好きなんです。感謝されたらそりゃ嬉しいけど、感謝されなくても別にどうってことない。自分が冷たい人間ですから。仕事においては人にそこまで見返りは求めないよ。まったく求めないわけじゃないけど。 そう。わかった。 私は「王道」とか「正統派」が嫌いなのだ。 けどコンサバな服を中途半端に欲しがったりするのはなんなんだろう。 なんなんだろう。気になる。 いや、まぁ服のことはいい。 そしてみずから脇道にそれることを選んでおきながら、王道を歩み続ける人に猛烈な嫉妬を感じるのだ。私はいつもいつも。 皆こういう二面性、自分の中の相反するものをどうやって処理してるんだろう。もう正直、毎日泣きたくなる。 - ちょっと疲れた - 2004年06月02日(水) 2ヶ月ほど前から、週1回、近くの病院で入院中の中学生の勉強を無償で見ているのですが、メンバーのシフトがよくわからないことになっているので一度会合を開くという話になった。 リーダーの人がすごいマシンガンというか何を言いたいのかいつもよくわからない人なんだけど、その人にまたいつものように早口でことの経緯をまくしたてられて、話しているときはそうでもなかったけど、電話を切った後時間差で不本意な気持ちがこみ上げてきた。 休むときは連絡一本、という決まりがあるのに無断で休む人とかいるんだけど、そういう人と一緒にされたくないんですけど。ちゃんとシフトを決めるときに連絡してるし、その週に人がいなくならないように配慮もしたし、他のメンバーの了承も得てるよ。 「やっと電話つながったー。留守電に何度も入れたんですけど」って私が無視したみたいな言い方しやがって。たぶん入ってなかったですけどって言ったら「慣れない操作に戸惑いながら一生懸命入れたんです」とかなんとか、またわけのわからんことを。なんにしても結果として入れ損ねてたわけでしょ。言い訳も責任転嫁もするな。むかつく。 あのな。ボランティアやってる私偉いぐらいに思ってんじゃないだろうな。こんなに苦労してる私ってなんて大変なの!な気持ちがひしひしと伝わってきて、なんだかまともに相手するのがアホらしくなってきた。 そういう人種がちらほらいる世界なんだろうなぁとは思ってたが、もう遭遇だよ。疲れる。 まぁなんだ。数年前までの自分がまさにそんな人種だったので、余計にイラつくんでしょうけども。 - - 2004年06月01日(火) 小学生が小学生を殺した、ということが大きく報道されている。 テレビで「○○さんと11歳少女の間には何があったのか」というようなことばを聞くたびに憂鬱な気分になる。 こうして両者が横一列に並べて報道されていて、そして名前が明かされるのは被害者だけだ。 本当におかしいと思う。 加害者の名前も明かせ、と言ってるわけではない。他国と比べて甘すぎると思われることの多い日本の刑法だが、加害者の人権尊重をあくまで重視する点で優れているほうじゃないかと私は思う。刑法に特に通じているわけではないんですが。 それなら、被害者の立場も同様に守れよ、と思う。 加害者のほうが被害者より守られている、という問題については、加害者保護のレベルを下げるのではなく、被害者保護のレベルを可能な限り引き上げるべきなんじゃと思う。 この事件も悲惨だが、母親が女子高生の娘を刺して自分も自殺しようとした、という事件も、本当に居たたまれない気持ちになった。 「姉が刺された」と通報したのは12歳の次女だ。12歳だよ。 安易な同情心なのかもしれんが、刺された子も、通報した子も、どんな気持ちだったのだろうと思うと涙が出てきてしまう。 母親もまさかこんなことになると思って子供を産み育ててきたわけではないのだろうし、よほどの事情があったのだろうけれど。 多分、どんな事情があったにしても、私はこの母親に同情することはできないと思う。 ひどすぎると思う。 -
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