取捨選択 - 2004年01月21日(水) 何かを選び取ることは同時に別のものを捨てることでもあることが多い。 その「捨てる」行為を惜しんできた結果が、今の、何もかもが中途半端な私かもしれない、と最近思う。 捨てるのが惜しい。 何も捨てたくない。全部取っておきたい。全部欲しい。 そして全部を持て余す。 二兎を追う者は一兎をも得ずというやつですね。 全能は存在しない。 すべては要素・要素を部分的に満たすもので、それらをブロックのように組み合わせて毎日の生活は進んでいく。 自分が捨てられたくないから、私は必死に背伸びをしようとする。(だいたい空回ってることが多いんだけど) もし、絶対に捨てられない確証が持てているのなら、私は努力をやめるのか。 なんのために向上するのか。 お金が欲しいから。 社会的な地位が欲しいから。 今持っているものを失いたくないから。もっとたくさんのものが欲しいから。 自分をそういう強固な鎧で固めていって、見捨てられないようにするため。 というのが本音らしい。どうやら。 我ながら寂しい人ですね私は。 だから私は何かを「捨てる」行為を惜しんでいるのだと思う。 どんなことにも対応できて、どんなことにも負けない、強い鎧が欲しいから。 しかし、そんな鎧を持つことは、少なくとも私には不可能なのだ。たぶん。 私は全能にはなれない。 何かを捨てないと、私はこれ以上前に進めない。 頭ではずっと前からわかっていたことだけれど。 - 麻雀から帰ってきたら - 2004年01月17日(土) 昨夜、前の会社の先輩や同期達と久しぶりに麻雀を打った。 生まれて初めて、誰かに助けてもらいながらではなく、ほぼ一人で打って勝つことができた。自分でも不気味に思うぐらいついていた。 家に帰ってコタツで寝ている間、変な夢を見た。 会社で、デスクに並んでいる電話のどれかがずっと鳴り続けている。 皆で必死に探すが、どの電話を取っても呼び出し音は止まらない。 誰かがマナーモードにし忘れた携帯の音というわけでもない。 そうしているうち、何だか焦げ臭い臭いがしてきた。 煙が少しずつ室内に流れ込んできた。 音は、実は電話ではなく、火災報知器だった。 従業員達は慌てふためいて、我先にと階段から駆け下り、社屋前の広場へと逃げ出した。 すでに消防が到着して、放水を始めていた。 消防の迅速な対応によって火はボヤで済んだ。(今「ぼや」の漢字が「小火」ということを初めて知った)私は一緒に働いている同僚達を探し、無事を確認しあってホッとした。 まもなく、「この騒ぎが落ち着いたら従業員に慰安旅行を企画する。だから気を取り直してしっかり働くように」という趣旨の決定通知があった。このご時世にボヤぐらいで慰安旅行なんて相変わらずおめでたい会社だ、と、正社員ではない私は内心ちょっと毒づいた。けれどまぁ旅行に行けるのは嬉しかった。 あと、そのあと家に帰ったら知らない若夫婦が私の部屋に居座っていて、私がなぜかごはんを作って食べさせてやらなければいけなかったり、ボヤ騒ぎについてインタビューされたり、いろんなことがあったんだけど、書くのがめんどくさいので割愛する。 目が覚めると、お昼の2時だった。 つけてたはずのコタツがいつのまにか冷たくなっていた。 でも全然寒くなかった。 コートを着たまま寝てしまっていたし、エアコンもつけていたからだろう。 カーテンを開けると、外は冬の日差しで真っ白に晴れていた。 雲ひとつない晴天だ。 いまいち現実に戻りきれなくてぼーっとしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。 寝起きで人と話すのがめんどくさかったので居留守しようと思ったのだが、何度も鳴らされるので仕方なくドアスコープを覗いてみると、黒いスーツのいかにもセールスマン風の男が立っている。 普段ならドアを開けずに追い返すのだが、ぼーっとしていてつい開けてしまった。 彼は名刺を差し出して丁寧に自己紹介し、以下のようなことを話した。 あなたは既に死んでいます。 先ほどこのアパートは、火事で全焼しました。火元はあなたの部屋のコタツです。 あなたは焼死しました。あなたが見ているのはすべて幻影であり、あなたはこの世の中に存在していません。 私はあなたに事実を伝え、あるべき場所に導くためにやってきました。 道理で、いくらエアコンをつけていたと言っても妙に暖かいわけで、なんか頭がぼーっとしてて、体が軽くて、窓の外の世界は奇妙に真っ白なわけだ。 そこで目が覚めて、今に至ります。 しかしコタツがやっぱり消えていたのはなぜなんだろうか。 まぁ寝てるときに熱くて消したのを覚えていないだけなんだろうけど。 - 欲しいもの - 2004年01月06日(火) 本当に好きなものには近づけない癖がある。 たぶん触れるのが怖いのだと思う。 手を出さないで、遠くからうっとりと眺めているだけで、なんだか妄想の中ではもう自分の思い通りにそれを手に入れた気がしてほのかに満足したりする。 本当に好きなものから、一歩ずらして手に入れたものが私にはたくさんある。それは現実との妥協ということだけど、現実に自分をうまくはめ込んで生活できることはひとつの快感だ。 なんか今日は変に持って回った言い方をするな。自分。 お風呂に入るので今日はここまで。 - キャラの路線 続き (第二版) - 2004年01月05日(月) 一度アップしたあと、自分がいやになって書き直してます。 第一版のことは忘れてください。 今年は、健康に留意して、野菜とか根菜とか魚もちゃんと食べます。 周囲の人を昨年より大事にできるようにしたいです。 自分のことも大事にしたいです。 新しいことをはじめます。 - キャラの路線 - 2004年01月02日(金) あと半月で25歳になる私だけど、キャラの路線が定まりません。 キャラの路線と言うか要は人生設計のことなんだけど。 自分の中では大きく分けて 「一般職」系統 「総合職」系統 に二分されます。 仕事をしない選択肢はない。仕事はずっとする。これは決まっている。 誰かの収入を当てにしないと生きていけない人生なんて…ぞっとする。 入社してまもないくせに「総合職」から一度逃げ出してしまった経験から、今度選ぶとしたら相当に慎重にならないと、という気はする。 で、現在の一般事務は性に合ってる。 ただひとつの問題点は収入が少なすぎると言うことだ。 ボーナスがないのは非常に厳しいです。辛いです。 となると、今と似たような職種でボーナスのある仕事を探せばいいわけか。 それでいいんか。 他にやりたいこととかはないんか。自分。 自分探しはもう諦めよう。昨年は自分にそう言い聞かせて過ごしてきた。 キツイ思いして、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら探すほどの高尚なものなんて、実は自分にはきっとないんだ。と思っていた。シーマンだってそう言ってたじゃないか。転職を繰り返す奴ってサーフィンみたいなもので、相対的な自分の位置は大して変わっていないんだって。(まぁシーマンの言葉を拠り所にしてるわけじゃなく、ふと思い出しただけだけど…) しかしあれだ。 私にできることなんて、すごく、ものすごく限られているんだということは、あちこちにぶつかりまくるうちにハッキリした気がする。 だから、もうフラフラとよそに目移りしてばかりの状態にはならなくなった。 今のところでずっとやっていくことは簡単だ。 仕事は大して大変じゃないから。 それで誰も何も言わないのなら。 いや、誰かが何かを言ってきても、自分が納得しているのなら。 このまま続けていこうか。 ボーナス出ないけど。 もう総合職にはならなくていいか?自分。 もうバリバリなキャリアウーマンにはならなくていいのか? うわー。 やっぱりキャラじゃねぇよ。そんなの。 -
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