日記...マママ

 

 

正社員 - 2004年02月28日(土)

正社員正社員、と思うから尻込みするんだ。
正社員のふりをした派遣社員だと思っていればいい。

たぶんそのぐらいでちょうどバランスが取れていくんだと思う。


職場は私のアイデンティティを決める場所ではない。
職場は私の人生の通り道だ。
だから、たくさん楽しんで歩いていければいい。
過剰適応することはない。

中心にいるのは、いつでも自分自身だ。


でも、あと一月早く行動開始しとくべきだったな。
もう3月じゃん。やれやれ。


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白い巨塔に思う - 2004年02月26日(木)

「きょとう」が「巨頭」としか変換されないのはなんだか微妙だ。

権力欲に狂った財前教授が好きで好きでたまらなくて毎週欠かさず見ているわけですが、今日の彼には、今までのような魅力が感じられなかった。
隙がなくなってきてる。
今までは、毎回どこかしら、彼の言動にはすごく明確な矛盾があった。でも本人は完璧と思ってる。そこが愚かでバカでかわいかったのに。
今日は、そういうわかりやすいおバカな矛盾が私には見当たらなかったので、ちょっとつまらなかった。あれじゃ水戸黄門のお代官様のテンプレートそのものじゃん。

青臭い正論を述べるとき、その裏に、私欲は常にまったく潜んでいないと言い切れるのか。
言い切れないなあと思う。
潜んでいない、と自分に思い込ませることは簡単だ。
それでもいいならそう思い込んでいればいい。一生。
ほんとうのことを知らないで。

でも正論を守れるだけ守っていくことが、必要なんだ。






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肥大化した自己意識 - 2004年02月16日(月)

自分の趣味嗜好・夢や希望にあくまでこだわる人のことを横目で見ながら、ときに内心「自意識がすごく大きい人なんだろうなぁ。そういうところにこだわるからかえって大変なんじゃん」と思ったりしながら(いつでも誰にでもじゃないよ)、自分はそういうのを追求しようとすることもなくのんべんだらりと過ごしてきたわけですが、そんな私が一番自己意識が肥大化していたという話でした。

必死さが足りなかった。

頑張れ私。
あと一歩だ。
あと一歩で、前に進める。



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劣等感と境界線 - 2004年02月10日(火)

大学生の頃に書いた日記。
今ほとんど同じことを考えているので貼り付ける。

なんだか読む人のことをほんと考えてなくて、読んでくださっている人には申し訳ないのですが、この日記の一番の意義は自己満足なので、ごめんなさい。これでいいんです。今のところは。



ふとしたことで、高校時代の自分が頭をもたげてきた。
劣等感と自己嫌悪に支配され、身動きが取れなくなる。
私は何がしたいのか、私は何をするべきなのか、私は何を言うべきなのか…
自己意識が破裂寸前の風船のようにぱんぱんに肥大し、外部のものが入り込む余地がまるでなくなってしまう。
私のプライドを冒すものに、私はどう立ち向かえばいいのだろうか。
何を思えばプライドを守れるのか。
何を言えば満足できるのか。
ひたすら自分のことばかりを考える。
劣等感に浸っているときはそういう状態だ。そして最近発見したことだが、劣等感に浸るときというのは、なんていい心地なんだろうか。
高校生の頃は、劣等感の渦のなかでぐるぐる回っているときに「こんな自分が好きだ」なんて思わなかったが、今はそうでもない。
劣等感を積極的に肯定しているわけではない。苦しいことに変わりはない。
それに陥っているときというのは「こんな自分は嫌い、バカバカバカ」と自分を罵る部分の私は当然自分が嫌いなのだが、罵られているほうの私はそのとき自分をとても愛していて、その部分の感情に気がついた、ということだ。
「そんなバカな自分が可愛い」というようなのではなく、理屈も何もない。
ただ唯一の存在である私がここに存在している、という実感が大事なのだ。

だから私は自分と他人との境界線をくっきり引いておかないと、恐怖に襲われる。
自分がどんな他のものとも違うたった一個の自分であるからこそ安心できるわけで、他人の、私とは異質な感情や思考体系や信条や価値観が、私が苦心して引いた境界線をあやふやにして、何時の間にかスライムが流れ込むように私の中に入り込み、同化してしまっているのが絶えられない。なぜなら劣等感が生まれるのはそういうときだからだ。
入ってくるだけなら大丈夫だ。ただしそれが、私そのものとは違う外部からのものだ、と何らかの形でラベリングされていれば。

境界線を見失わないことが、今の私の当面の課題だ。
人との密接な関わり合いの中で、私はよく境界線を見失う。
はじめ、私はその人に何がしかの好感を抱く。それは「似た者同士」でも「自分にないものを持っている人」でも、どちらでも根本は同じだ。そして思ってしまうのだ。「この人と同じになれたら。」
すると境界線は消えてなくなる。
その人を構成する要素が私の中に怒涛のように流れ込み、それらが大きな位置を占めるようになり、私は自分がどこかへ行ってしまうことへの恐怖に押しつぶされ、人間関係を破綻させてしまう。22年足らずの今までに、何度そういうことがあっただろうか。

しかし、ひとりぼっちは絶対に嫌なのだ。まだ完全な孤独を経験したことがないので、それがどんなものかは想像もつかないが、敢えて考えてみると死の恐怖に近いものではないだろうかと思う。
いや、ほんとによくわからないんですけどね。
言うじゃないですか。「人間は社会的動物だ」と。





同僚に
「最近周囲の人に、ふとしたことで劣等感を感じることが多い」
という内容のことをもっと日常会話的に話すと、
「それは劣等感なんてものではなく『羨望』にすぎないんじゃないのか。人と自分が違うからといって自分に価値がないだなんて思わなくてもいい」
という意味の言葉をかけてもらった。
こうして文章にするとまったくその通りなんだけども。



もうとにかく考えないで、立ち止まらないで、走ることに専念する。
境界線があやふやになってもいい。

誰かから見捨てられることへの異様な恐怖心、見捨てられないために最初から距離を保とうとする自己保身、そういうのをかなぐり捨てられるぐらいに走るんだ。
一生懸命。
疑って傷つけるより、信じて傷つけられるほうがいいって思った。(金八先生ぽいね)



なんか私じゃないみたい。


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シナプス - 2004年02月08日(日)

少し前に本屋にたくさん並んでいた「Deep Love」を同僚が貸してくれたので、さっき読んだんだが、まぁなんだ。もとは携帯サイトで連載されていた小説で、主な読者層のために平易な文章で書かれてるんだろうから、それは気にならなかったんだけど、大人になってもああいう純粋な心をなるべく失ってはいかんですね。やっぱり。
しかし、純粋無垢は尊いものだと思うが、無知はそれとは違う。自分の無知にいつまでも気づかないでいることは、ひとつの罪であるように思う。

最近わからないことが多い。
頭の回転が遅い。
シナプスの接続が自分でもいらいらするくらい悪い。

別に悲観するわけではなく普通に思うのだけど、誰のことも、本当は、本っ当はどうでもいいのかもしれないと思った。そういう冷たさを持った人間なんだと思う。私は。だからこんなに簡単に、人の気持ちを傷つけたり、無視したり、することができるんだ。
別に悲観するわけではないんだけど。本当に。

それが私の「強さ」の所以で、きっとこんなに体力もなく根性もない私が、自分のことを「もしも地球上の人類が滅ぶことになって、周りの友達がばたばたと倒れていっても、私は割としぶとく生き残ってるほうなんだろうな」と何かにつけて思うのは、その根っこのところにある図太さというか冷酷さのためなんだろう。

何を言ってるのかよくわからないですね。


あぁ。それなのに真面目ぶろうとするから中途半端なんだよ。私は。
だからって自分にとことん正直であろうとすると、いつの間にか偽悪者になってしまうのだ。中途半端が一番楽で、手っ取り早い。

会話のキャッチボールを簡単に諦めてしまうのは、血なんだと思います。

大学の頃をときどき思い出す。
たぶん、頭の緩み具合が当時と同じレベルになってきたからだ。
気持ちの緩み具合も。

緩んで何が悪い。
見捨てられないとわかっているなら、それでいいじゃないか。今のままでいいじゃないか。

ということは、私の努力は、ひたすら、見捨てられないための努力?
認めて欲しいための努力?
それで、大事なことは何も育ってない?実ってない?


あー。これだから生理の直後はイヤなんだ。
温泉行ってこよう。

純粋な「自分の満足のため」っていう努力が、今の私の中にどれだけあるんだろう。


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熊本の狭さを今迄で一番強く感じたとき - 2004年02月02日(月)

私の元彼と現在の彼氏だが、小学生のころ、スポーツ少年団の試合でかなり頻繁に顔を合わせていたことになる。二人からそれぞれ聞いた小学生時代の話をつなぎ合わせると、そういうことになる。
試合の相手といえばお互いにその小学校ばっかりで、子供ながらにライバル意識剥き出しだったらしい。
二人は確かに同級生ではあるけど、彼らが小学生の頃住んでいたのはけっこう離れた別々の市と町で、そのふたつの小学校の組み合わせがなぜ発生するのかということに少し驚いた。
まぁ先生どうしがもともと同じ学校にいて仲良かったとかなんだろうけど。
お願い。二人とももうやめて。私のために争わないで。(?)


早いもので、気がついたら、熊本市に越してきて10年が経とうとしている。
10年も住んでいれば知り合いの知り合いが別の知り合いと知り合いだったりすることも多く(意味が分からんけど)辿っていけばどこかでつながってるんだよね。だいたい。

都会に出ようと思っていた時期もあったが、これからも、ここで暮らしていこうと今は思う。
よその土地に行けば視野が広がるのはわかっているのだが(転勤族だった幼少期の経験から)ずっと同じ土地にいて視野狭窄になるかどうかは心がけ次第だろうと思うし、もうなんか、そんなバタバタしなくていいや、って気になってきた。このあたりのラインを保ってまったり生きていきますわ。たぶん。
もうちょっと収入上げたいとは思ってるけど…。


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