年を忘れる - 2003年11月27日(木) 幹事ってやっぱり難しいなぁと思う今日この頃。 100点満点はなかなか取れないもんだね。 総合で70点ぐらいいけば、まぁいい方なのかな。 何度か似たようなことを書いた気もするが、 自分が書いた自省的日記を後で読み返すと、結構ためになることが多い。 なんだ私も結構いいこと書いとるじゃん、とか思う。 でも読み返して感心するということは実になってないということなんだろう。 あと、感受性の鈍磨をいつも感じる。 昔は何かしら感じられていたことで、今は何も感じられなくなっていたりすることに気づく。 でも考えると、学生時代の私は敏感すぎてイタイやつだったなぁ。 学生時代の飲み会があると、なんかそのころのイタイ気分までもが蘇ってくる。 私は私の好きな人としか仲良くしたくない。 そんな当たり前のことに最近目覚めた。 嫌いなやつはもう切り捨てる。 努力しないで愚痴ばっかり言ってる人、人に何かしてもらって当然と思ってる人、都合のいいイメージを一方的に押し付けようとする人、 空気を読めない人、 そして何より人の話を聞かない人、 そんなやつらはもう知らない。さようなら。 でも全部、自分の中にもある短所だったりして。 同族嫌悪も大きい気がする。 また休憩時間の使い方についてへんなことを言われた。 どう考えても他の人と同じようにしか休憩してないんですけど。 黙ってろよマザコンが。キモイんだよ。 とか言いたくなるったいね。もう。ばか。 あー。 生ビールを浴びるように飲んで、誰かの膝枕で眠りたい。 - 「脂肪と言う名の服を着て」 - 2003年11月11日(火) 体中ががくがくと震えている。 武者震いではなく、変化を恐れているのだ。自分で分かる。 書いてもいいんだろうか。 書くことで認識が強くなるのは避けたいのだけど。 会社が怖い。 私の知らないところで皆、予想以上に殺伐とした雰囲気で仕事をしている。 たぶん。 皆理性を保つのに必死だったりするのだろうか。実は。 おかしいな。 前もこんな感じだった。 私だけが悪いのではない。それは分かっている。 頭では。 私はパーツだ。歯車だ。 お互い歯車を噛み合わせながら仕事する。 ときどき歯車が食い違う。 食い違いに気づいたら修正する。 それだけのことなのだ。 もうちょっと強くなりたいのだ。 もっといろんなことをさっと流してしまいたいのだ。 こだわるなこだわるな、ひとつのことにこだわるな。と、念仏のように頭の中で唱えながら仕事をしている。 些細なことでマイナス思考に支配されないように。 もっと強くなりたい。 たぶん強くなってこそ優しさは真価を発揮するのだ。 とか、わかったようなことを自分に言い聞かせてみる。 帰り道、最近出来た友達とバカ話をして帰った。 たくさん笑った。 それだけのことで、車に乗ったら涙が出てきた。 皆必死なのだ。 久しぶりに自炊した。 ここしばらく、主にファミレスとうどん屋とホカ弁のローテーションだったから、とてもおいしかった。 「脂肪と言う名の服を着て」は安野モヨコの漫画ですが、デブだった主人公が(拒食症のせいなんだけど)苦労して痩せることができたのに、周りの人は痩せた彼女を認めようとしない。それで彼女はまた太ってしまうのですが、変わるとはそういうのに負けない強さを持つことなんだろうなぁと今思った。 もうね。必要以上におびえたくないんです。 別に自分がどう変わろうが、周りの人は知ったことじゃないんですよ。 なのに、どうして変われないんだろう。 まだ自分の気持ちよりも、目に見えない「周囲の期待」というものをより重く信仰してるからなんだろう。 アホくさい。ほんなこつアホくさい。 とりあえず風呂だ。風呂。 - あいのり - 2003年11月10日(月) あいのり。昔から嫌いだったけどやっぱり嫌いだ。 素でわからんのだが、私の何がそんなに良く見えるのか。 いや、仕事ができるとかできないとか、そのへんはまだわかる。 そのへんは自分で手綱を調整すればなんとかなることだ。 頼むから、性格まで勝手に決めないでくれ。 脳内変換はやめてくれ。 なんなんだよ。 この中学校みたいな雰囲気。 どこもこんなもんなの? あんたらいくつですか? そういうレベルの低い噂話してて恥ずかしくないですか? あぁああぁぁ。イライラする。 あ。そうか。 3日目だからか。 そうそう。だからだよね。 - その気になれば - 2003年11月06日(木) その気になれば、結構いろんなことが可能なのだと思う。 と思った次の瞬間、なんかもうどーでもよくなってくる。 他人を他人と捉えきれない私は他人にどう映っているのか。とか。 無口な人は、本当に何ら自己主張をしなくてもよいから無口なのか。 それとも本当は誰かに話を聞いて欲しいと思っているけど、うまく 話せない何かがあるのか。 あるいは深い「諦め」から口をつぐんでいるのか。 どの無口なのか。 勘違いするととんでもないことになると思った。 あなたはどれですか? あなたの無口さは、どの無口さですか? どうせ壊れる関係だったとしても、ここにいて忘れろと言うほうが無理だ。 ルータが置いてあるのは、私が「一緒にネトゲーやってみたい」と言ったときに、大金を出して彼が買ったものだ。 贔屓目かもしれないが、そのときの彼は確かにはしゃいでいた。 結局私はそのネトゲーが彼ほど好きにはなれず、ほどなくルータは無用の長物となった。 はしゃいでいた彼を思い出すと、心が痛む。 そのルータを介してインターネットを毎日やってる。 どうして置いていくんだ。 模様替えをしていると、彼の部屋着が出てくる。 せっかくなのでパジャマにする。 抱き枕にしているこのぬいぐるみはそういえばゲーセンで一緒にとったやつだったりとか。 彼がどんな人だったのか、未だに私はわからない。 彼も、もしかしたら、そうなのかもしれない。 私が右と言えば右がいいと言ってくれた。 私が左を向けば、彼も一緒に左を向いてくれた。 そして、私も彼に、同じようにした。 それは愛情だったのか。 知らないうちに都合よく脳内変換される恐怖は、最近もまた身近な人から経験させられた。 脳内変換の罪の重さを改めて知った。 脳内変換は相手を一人の人間として見なくなるということだ。 もう考えるのはやめにしよう。 考えることからおりよう。 考えたって、生きにくくなるばかりじゃないか。 あれから一言も話をしていない職場の何人かの人たちとの気まずさとかも、もっともっと、私は考えないようにしていいんだ。たぶん。 私も悪かったと思う。反省した。 それで終わり。 次に同じことを繰り返したくなければ、考えないこと。 誰かが今日も私を脳内変換しているのかもしれない。 でももう私は負けない。 話しかけられたら、くるくると中身もなければ当たり障りもない会話を遣り取りする。 目立とうとして目立ってるわけではありません。 それでも私に原因があるというのなら、これからは貝のようにひっそりと過ごす。 貼り付けたような笑顔で過ごす。 「目が笑ってない」なんて言われたりしたら、もう最高。 誰がおまえらなんかに心からの笑顔を見せるかっつーの。 無理して笑ってやってるんだからありがたく思え。 と、根拠もなく居丈高な本音を抱くのが私の中の黒い人。 でも割と良いことも言うんだな。この人。 心の中で握手。 -
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