Land of Riches


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 2011年12月31日(土)   あげたかったのは未来で 

踏み入れた足を遠くの理想が そっと癒してゆく
確かな絆を強く握り進もうどこまでも 穢れきった奇跡を背に


大晦日企画の冒頭は、歌詞の引用なんですが…今年はテーマソングなくて、
いきなり躓いてしまいました。TOP3は、すぐ決まったのに(苦笑)
仕方ないので(…)今年唯一、生歌を聞いた「oath sign」から拝借しました。
「oath sign」は、猫耳男性俳優と並ぶ(!)眉山の素敵な想い出でです。

これは、10月から放映開始の「Fate Zero」オープニングソングです^^
アニメ版Zeroというか、ZeroあるいはFate Cafeに、秋以降、いくらお金を使ったか。
ufotable cafeのメニューは全陣営制覇中です。コンプリートはしてませんが。

…おっと、大晦日企画の趣旨から外れてしまいますね。
元へ戻るために、今年は復習しましょうか。

2000年:アントラーズと順天堂大学の練習試合…後
2001年:羽田憲司選手、ワールドユース直前に骨折!!
2002年:新横浜駅新幹線改札での遭遇
2003年:ホームタウンへの引っ越し
2004年:9/19・柏レイソル vs FC東京@柏の葉、ホーム側に掲げられた横断幕
2005年:[ReysolU-18] 8/28・千葉県サッカー選手権(天皇杯千葉県予選)優勝!
[Others] 6/4・羽田憲司選手4年間のリハビリを乗り越えカシマでスタメン出場!!
2006年:レイソルU-18、クラブユース選手権第3位
2007年:[Reysol] 12/23・レイソルU-18、サハラカップ準優勝
[RKU] 7/25・RKUとレイソルが日立台で練習試合
2008年:11/30・流経大vsガイナーレ@たつのこ、ドリームクラッシャー
2009年:RKU、大学リーグ2連覇!!
2010年:10/2・柏レイソルvs栃木SC、船山さん日立台へプロとして凱旋

…復習するだけで、画面が埋まってしまいますね。恐るべき加齢っぷり(涙)
さて、2011年版“サッカー関連で印象に残った出来事”TOP3、いってみましょう。

第3位:3/11・東日本大震災

これが1位でないのが、私の2011年をある意味、象徴しています。
(同じフレーズを何年か前に使ったような…?)
いや、身近の誰よりも、私の震災体験は“希薄”なのです。

何故なら、翌日に控えていたサガン鳥栖vs栃木SCのため、鳥栖市に滞在していたから。
地震を知ったのは、フレスポ周辺をウロウロしつつ見たtwitterのTLでした。
もちろん、揺れなど全く感じられず。とはいえ、いても立ってもいられず、
早々と引き上げたホテルでノートPCを借り(フロントの人も他人事のような言い方だった)、
TVをつけると…宮城県の河口で津波が全てを飲み込んでいく映像が生中継されていました。
9.11で飛行機が激突した瞬間くらいしか、匹敵する出来事が思いつかない非現実感。
夜の深まりと共に、TLには帰宅できないという叫びがあふれ、
遠く離れた自分が出来たことは、TVで拾った交通情報などを投下する程度。

同僚、友人、家族、親戚…誰もが、遠く九州にいたのは運が良かった、と口を揃えます。
私、震度4以上体験してないんです。鳥栖から帰還した翌日も電車のダイヤは
乱れていましたけど、前夜ほどではなく、自宅も多少、物が落ちていたくらいで。
(自分とは別に発送したバッグは、“福島に近い”千葉県在住だから、
 受け取りに時間が掛かってしまったんですけど…)

占星術では天王星が星座を移動するタイミングで、大きな変革があると
言われていましたが、まさかこんな最悪な節目になろうとは…!
サッカー界のみならず、日本社会を大きく変えてしまった大災害。
このオフの移籍さえ、家族を西日本に住まわせたいという意思が
少なからず影響しているという説を唱える人もいます。
人としての幸福は、選手としての幸福よりも大切ですから(←今年学んだこと)

午前練習後、翌日の試合でゴールを決めてくれると言ってくれたんです。
今となっては、そんな言葉があったかさえも、なんだかあやふやに感じられます。
初めてだったのに、そういう言葉。
それくらい、いろんなことが変わってしまったのです。本当に色々な意味で。

第2位:12/4・松本山雅J2昇格決定

見出しにリンクが張られていないのは、観戦記が全然書けなくなってしまった
自分の愚かしさを示しているはずですが、これは…そもそも、見てません。
4日に決まると思ってなかったんです。最終節までもつれ込むと予想して、
どんな顔でシーズンを終えるか、この目で見たいと、11日のアルウィン行きを取りました。

しかし、終わってみれば、V・ファーレンが黒星を喫したため、4日で山雅は昇格決定。
その前日、西が丘で違う試合を見ながら、船山さんは大一番にとても強いから、
ホンダロック戦でもやってくれるだろう…と考えながら通路を歩いてはいたのですが。

地域リーグ時代から、熱狂的なサポーターを擁する松本山雅FC。
RKUがJFLにいた頃から、存在を知ってはいたのですが、まさか縁あるチームになるとは。
山雅の試合へ通うため費やした時間は、あまりに濃密で、船山さんが栃木SCより
レンタル移籍してプレーした期間は4ヵ月半に過ぎないだなんて、やはり信じられません。

山雅といえば、松田直樹さんの死去を語らないわけにいきません。
あれは、船山さんが移籍して、練習へ参加し始めて数日後の出来事。
私も、9月に柏消防署で救命講習を受けてきました。船山さんも受けたはず。
でも先日、川へ溺れた女性を助けた新潟ユースの選手のように
「救命講習受けて良かった」と言えるほど身についているかは、怪しいところです。

私にとっての「山雅の船山」の第一印象は、会社を休んで強引に駆けつけた
湖南でのアウェー戦後、スタンドへ掲げた3番ユニフォームを手早く、
かつ綺麗に折り畳んで片付ける姿だったりするのです。目に焼きついてます。

天皇杯準決勝では、対戦相手として石戸さん@アルティスタを拝めるめぐり合わせ。
会場だった伊那では、私を変えてしまったおばあさんとの出会いがありました。
60代にして、昨シーズンまではゴール裏で声出しに参加し、その日も朝5時に起床、
農作業を一通りこなして塩尻から駆けつけたというおばあさん(全然60代には見えない
元気そのものの若々しい女性でした)は、とうもろこしを配ってくれたのみならず、
山雅の応援には必須アイテムであるタオマフも、押し付けるように貸してくれました。

♪止まらねえ俺たち松本 暴れろ荒れ狂え らららーららーらららー 叫び(おい!)歌え♪

試合前に回し(天皇杯マリノス戦@富山ではスタンドの半分が回すという絶景が…)、
ゴールが決まれば回し、勝てば回す。欠かせないがゆえに、バリエーションも豊富。
私は、ゴールドが混じっているバージョンの物を購入し、あちこち持っていきました。
船山さんのゴールで、歌うの、ずっと夢見てました。これは、実現してくれましたが!

今(←今更?)wikipedia見たら、山雅は全選手のチャントを作るのですが、
加入直後には出来なくて、何故なら選手の特徴を把握してから…と書いてありました。
♪いかしたゴール見せてくれ♪という船山チャントも、そうやって生まれたのでしょう。
実際、宮崎で決めた先制弾は、なかなか凝った体勢で、想像を超えてたんですが。
ともかく、そのチャントが試合前に初めて披露された時の、アップしていた
船山さんの嬉しそうな応え方も、忘れられない視覚の一つだったりします。

移籍してからも、何度かお話をする機会があったんですけど、船山さんは心底
山雅のサポーターに魅せられたというか、大好きなんだな…と勝手に感じています。
選手としての幸福、父親としての幸福―今年の船山さんは両方を手にして、
本当にいい顔をしていました。眺める私にも、素晴らしく満たされた時間だったのです。

第1位:10/9・マチ★アソビで眉山登頂

正確には前後を挟んだ3日間ですね。特に終盤、長距離遠征多い年でしたが、
この徳島遠征で久々に往復夜行を試み、なんとかなるのに気づいてしまったからかも。

ヴォルティスに輪湖さんが在籍し、J2リーグ戦がずっと行われてきたのに、
足を運びはせず…徳島県は、JRで通過経験があるのみの実質未踏県でした。
そこへ私を連れて行ったトリガーは、サッカーではなく、アーチャー(5次)の
声優である諏訪部さんを招いての公開録音だったのです。ひどいでしょ!(笑)
アーチャーの主人である遠坂凛役の植田さんと一緒と来ては、外せません。

船山さんが格上、そして先輩へ挑む天皇杯も外したくなくて、プランニングしたら
松本経由で夜行バス徳島入りという無謀な日程になってしまいました。
そりゃ、店もやってなくて真っ暗な徳島駅前で躓いてスマホ落とすよ!(開き直り)

マチ★アソビは、帰宅直後のLR、あるいはインタビューズでも書きましたし、
問題が発生しなければ、来年5月(次回)開催のvol.8パンフレットにも
感想文が掲載される見込みなので、そちらを見て頂ければと思いますが、
サッカーで下部カテゴリーへ行くほど『地方都市』へ行く機会が増える身としては
勉強させられることも多いイベントでした。まさかの後夜祭まで参加しちゃいましたから。
(プレイベント@阿佐ヶ谷も後夜祭@新宿も、しかし都内開催なのがポイント)

5月にもFate/Zero関連イベントあるようですし、vol.7ではなかった橋の下美術館見たいですし、
なんとかヴォルティスの日程と上手く噛み合ってくれないかな…と願うばかりです。
一応、後夜祭アンケートでは、地元Jクラブとコラボレーションしてほしいと書きました。

2011年は、アーチャーやFateのみならず、声優としての諏訪部さんの活動にも
少し幅広く触れてみた年でもありました。下ネタ苦手なんで、ロンハーは聞いてませんが(あ)

諏訪部さんは、特に仕事に対する姿勢を尊敬していて…ツイートやブログのエントリで
刺激を受けるたび、自分の実際の職場では、知的欲求あるいは向上意欲を
かきたててくれる先輩には恵まれなくなってしまったんだ、と感じもしたのでした。
なんて言いますか、同じ部署に5年以上いて、下ばっかりが増えているんですね。
(役職的には私が一番下なので、職歴の長さという意味で…です)
教わるより教える・指摘する回数が、ずっと多いです。経験を積めば、
そういう立場になるのが、社会人としては当たり前なのかもしれませんけど、
物足りなさを覚えているのも、また事実でして。もっと本も読むべきでしょうか。

生きている人と会って言葉を交わすのは、本を読むよりずっと、勉強になります。
今まで触れたことのない領域の人とやり取りするのは、心理的負担も小さくないですが、
得るものもまた、小さくありません。そういう意味でも、出会いのあったマチ★アソビでした。

なんだか、いつになくサッカー関連と称するのに無理があるTOP3ではないかと。
間違いないのは、こんな私と縁のあった全ての人に感謝している、ということ。
皆様の2012年がより良いものであるように祈りながら、締めくくらせて頂きます。
2011年も大変お世話になりました。皆様ありがとうございました!

2011.12.26 wrote


 2011年12月29日(木)   レアルタ・ヌア 

Fateシリーズのゲームは、今プレイしているレアルタでコンプリートなのですが。
あまりにも濃密な内容に圧倒されまくりです。

もっと若い頃にFateと出会いたかったとか。
やはり古い作品から先にプレイしたかったとか。
アーチャーの真名はゲーム中で知るべきだったとか。

いろいろ後悔がつきません(笑)
これだけの後悔があってもなお、楽しめてしまうのですから…ね。


 2011年12月27日(火)   一言でまとめると 

twitterでは、いろんなハッシュタグが回ってきます。
行って良かったと思えた試合タグに、長野県予選準決勝を挙げた自分に驚きです。
石戸さんが見られたのは、とても嬉しいことでした。

大晦日企画ではレイソルについて全く(!)触れませんでしたけど、
桐畑さんの言動(主に発言)が大人びていくのも、また嬉しいことでした。
濱屋さんのいるVONDS市原を見に行けなかったのは残念でした。

TOPチームが強いことが、アカデミーにとってどれだけ重要かを学んだ年でもありました。
卒業生が活躍して結果を出している、それが最高の牽引力になるのです。


 2011年12月26日(月)   交際費 

少し、いや、かなり早いですが、31日付にLRで唯一のお馴染み企画、
大晦日にその年の印象的な出来事TOP3を書く記事、あげちゃいました。
今年はいつになく夜に飲み食いする予定が入っていて、空いてないんです…。
あと、実家ではインターネット環境がありませんので!!


 2011年12月25日(日)   【観戦雑記】インカレ準決勝:明治大vs慶應大 

2011年の観戦納めは、西が丘でのインカレでした。
豊嶋さんがスパイクを脱ぐのは分かっていた(インカレ企画のI play for...でも
「Last Football」と書いていた)ので、少しでも長くプレーを見たかったのです。

ずっと慶應がパスを回していたのに、先制したのは明治でした。
右サイドからの地を這う折り返しを岩渕さんが流し込んだのです。
慶應は回していると言っても、回しているだけでフィニッシュに至れないという、
ポゼッションサッカーの手段と目的を履き違えて陥る「悪い試合」の典型でした。

ゴールへ迫っても、より高い確率を欲して横へ送ってしまう慶應に対し、
明治は機を見ては強引に抜きに行ったり(成功するかは結果論で、別の問題)
少し長めでも打ってみたりと、シュートなくしてゴールなしを理解していました。

結局のところ、明治には過去数年(現在の上級生が下級生だった頃)に
勝ち進んだ経験が染み付いていて、その勝負強さが発揮されたと言えるでしょう。
慶應のアタック、ラストパス前に摘まれてしまったシーンも多かったですし。
摘み手の一人として、右SBの豊嶋さんが身体を張ってラインへ追い込んだり、
シュートをクリアしたりときっちり仕事をしていたのは嬉しかったです。
プロへ進む宮阪キャプテンや代表の丸山さんは、もっと効いていたんですが(^^;

またアタックでは、長身ストライカーの阪野さんが、時には二人へ挟まれても
強引に反転して抜けてしまうなど強さを発揮。一番前でボール保持してくれると、
後ろの人間は非常にやりやすいと思います。FWの評価は、ゴール数と言えば
それは間違っていないんですけど、異なる面でも差異は確実にあります。

終盤、梅内さんが右サイドから鮮烈に決めて勝負ありと思われたところで、
アディショナルタイムに慶應のクロスをGKがはじききれず、藤田息吹さんが
根性発揮し“身体でねじ込む”反撃もありましたが、勝負はシュート意識の差で分かれました。

これを書いているのは2012年なので(…)ファイナルには肉離れしてしまった
豊嶋さんが出場しなかったのは知っているんですけど、2010年のシャツに
寄せ書きされたものをアンダーとして着用していた豊嶋さんに胸打たれました。

4年間お疲れ様でした。Iリーグ時代から一緒に走り抜けられて、嬉しかったです。

2012.1.10 wrote


 2011年12月24日(土)   『リア充爆発しろ』 

…と叫ぶ人が1年で最も多い日、クリスマスイブ。
街を歩けば、恋人同士…というよりは、家族のために物を買う人多数。
無論、売ってくれる店員さん(今日は夜遅いってバックヤードで話しているのを
うっかり聞いてしまったから余計そう思うのかも)が働いてくれているからこそですが。

人としての幸福は尊いもの。
爆発しろ、なんて冗談じゃないですよ。

手の中にないのなら、それは…手に入れようとする努力が足りないだけ。
幸福は努力しないと手に入らないし、それでいて過ぎ去るものなのです。
この歳になって、そう思います。


 2011年12月18日(日)   柏には日立台〔レイソル〕がある 

カターレの応援をあちこちで見かけた富山―最も掲示等へ力の入っていたローソンは
店側からカターレカラーへの改装を申し出たと聞く―から帰ってきて思うのは、
日本に唯一ここしかない柏の“取り得”。この街には何もないけどレイソルがある。
だから、私もここに住んでいるのだと、改めて。

「お前が決めてたら、ジュンヤに負けなかったんだぞ〜!」(レイソル広報日記)

金曜朝以来の我が家ゆえ、ようやく読んだレイソル広報日記12/16分。
ラストのJPFAチャリティーマッチ告知まで、アカデミー出身者もまめに取り上げている、
大重広報らしい有難いエントリです。桐畑さんのこの発言は、特に共感できました(苦笑)
さすがは船山さんの同期唯一のトップチーム生き残り…!
山本アナウンサーは「山本さん」って書かれてしまうのか―とも思いました。
どんな道へ進んだにしても、うちの子はみんな、本当にかわいいです^^

だからこそ、今日も仙台大・明治大の試合があるたつのこへ行きたかったのですが、
夜行往復がしんどいお年頃でして(涙) 両校の勝利を祈るばかりであります。


 2011年12月17日(土)   【観戦雑記】天皇杯4回戦:横浜Fマリノスvs松本山雅FC 

日が差す時間もあれば、時折雪も舞う、まさに日本海側の12月だった富山。
(朝8時からオムライスを食べられる喫茶店がオープンしてくれて助かりました)
紅茶を飲みに行ってはg-clef@高円寺のクリスマスプレートは良かったと思い、
その店へたどり着く直前に成田山富山分院を発見しては運命を感じた往復夜行遠征でした。

山雅サポーターのバスツアーは2社で20台、参加者は4桁に達する勢いとされ、
帰りの道も松本ナンバー(横浜ナンバーや湘南ナンバーもいましたが)で
渋滞が起こる有り様。私が陣取ったバックスタンドから見て、左半分(山雅側)全体で
試合前恒例のタオルマフラー回しが行われる光景は壮観で、ゾクゾクしました。

マリノス相手に木島兄弟が先発しまして、船山さんはベンチスタート。
試合自体は、マリノスの10番小野さんのハットトリックワンマンショーでしたが
(彼もユース上がりだから、よく存じているわけで…はい)
ボールコントロールや視野の差は歴然でした。なるべくしてなったスコアというか。

無論、だからといって、4回戦まで勝ち進んだ松本山雅の奮闘が穢れるわけではありません。

船山さんのハーフタイム練習での枠内シュート率は高く(格上には強い人です)、
練習の途中から消えたので、出番じゃないかと思ったら、やはり後半から投入。
苦戦は変わらず、なかなかボールに触れませんでした(前線までボールが来ない)が、
時には中澤さんを背負い、サイドの上がりを辛抱強く待っていました。
幼少期に身につけた、ポストプレーヤーとしてボールを止めるスキルは健在なんです。

山雅は最後、弦巻さんを入れて“守備を捨てる”(←やぶ的解釈)布陣を
敷きましたが、一矢報いることはかなわず。長い2011シーズンは幕を閉じたのでした。

…って、自分が山雅を見始めたのは、8月からの4ヶ月ちょっとだったのですが。
これだけの幅とは思えないぐらい、密度の濃い時間でした。

栃木SCでは、応援される実感をさして得られないままでいた船山さんが、
山雅サポーターの熱量にほだされていく過程は、見ている側にとっても幸福でした。
アウェー琉球戦で、得点するなりサポーターへ爆走したのには、本当に驚いたものです。
レンタル移籍したのは、RKUへ行ったからこその縁でしょうし、人生万事塞翁が馬だな、と改めて。

2012.1.16 wrote


 2011年12月11日(日)   アルプスに日は落ちて 

レイソルやったー!!!

諏訪部さんは以前、FC東京についてツイートされたことがあるんですけど、
CWCの準決勝進出で、ついにレイソルについて触れて下さった…! もう泣きそうです。
(結構サッカー好きで、なでしこのツイートされたり、Fateのラジオでも
 コンサドーレの「白い恋人」の話題が出てきたりしました)
延長→PK戦、選手は大変だったと思いますが、アルウィンから帰ってきて見られて嬉しい!

そうです、読みが甘すぎて、最終戦アルウィン絶対行くぞ!―とずっと思っていた私は、
天皇杯マリノス戦に備えてメンバー落としまくりの(新潟戦の時は、天皇杯の方を
むしろ落としていたのに)の消化試合を見る羽目に陥ったのでした。あはは。

酷い試合でした。観客動員記録更新(現在のJFL記録1万3千人を持っているのが、
今ではリーグ戦で3千人しか集められない栃木SCなのは皮肉です。
船山さんがJFLで対戦していた頃は人気チームで、その印象に結果として引きずられてます)を
目指してチケットをサポーターが広めまくり、初観戦の人も多かったのに。
今日初めて来た人は、サッカー、あるいは山雅に悪印象を抱いたでしょう。
最初の1回…ファーストインプレッションは、とても大切なのです。

J2昇格を船山さんのゴールで決めた宮崎行かなかったのは、最高の負け組。
本人に吐いてきました。見に行くとゴール決まらなくて、ゴメンナサイですよ。

場内一周で、まさかの(でもお兄様も息子連れての入場をずーっと憧れてたのは
知っていたので、いつかはやると思ってました)お嬢様抱いての登場となった船山さん。
チームメイトがちょっかいを出そうとすると、本気で突き飛ばしてました!!
自分より先にお嬢さんへキスする奴が現われないか、警戒しまくりのようです。
(船山さんと娘さんの話をする時、「お嬢さん」と呼んでいる私)

帰りも当然、奥様・お嬢様とご一緒で。それでいて、某さんの分かりやすい愛情表現に対し、
車を止めファンサービスに応じてくれた船山さんの優しさに、今は感謝するばかりです。
どこへプレーしても、私は見に行くだけですから。

山雅サポもサインを求めてまして、「帰らないで下さい!」なんて悲痛な声も。
書いてもらったサインを見て「32番」と呟いた少年に対して、その父親が
「いっぱい点取ってくれたね」と説明していたのが、今日一番のご褒美でした。
それは、ストライカーにとって最も素晴らしい形容。


 2011年12月10日(土)   朱い月 

こう書く奴はTYPE-MOON好きだよ!(挨拶)

双子座で皆既月食なう!であります。
寒いベランダに着る毛布着用で出て、首が痛くなる勢いで見上げてました。
もっとも、明日の松本を考えたら、こんな程度でくたばっていたら…。
(そして17日の富山は本日現在、雪予報! 最高気温3度!!)

星占い的には、月食は満月のパワーアップ版で、何かが完成するサイクルが
通常の満月での「半月」が、前回の日食からの「半年」になるとされています。
半年前の日食は7/1、ほぼ日手帳を見返したら、その日は鳥栖市陸に行っていまして。
遠征のメンバーが書かれたホワイトボードを見に、一度引き返してくれた
柳澤さんを思い出すと、涙が出そうになります。申し訳ないことをしたと。
彼がサッカーを続ける場所を見つけてくれることを、今は願うばかりです。

明日はJFLの最終戦…“消化試合”へ行ってきます。
正直に白状すると読みが甘くて…山雅を信用していなくて、
まさか宮崎で決めてしまうとは思いませんでした。行ってないの、今年最大の後悔です。
(2番目に悔やんでいるのは、アーチャーbotのマスターさんからの賀状が未配だったこと)

どんな顔をして船山さんがシーズンを終えるか。
それが楽しみである事実と半年のサイクルを考えたら、少し寒気もするのです。

双子座は天秤座から見ると第9室。どうやら、徳島…というかマチアソビが
私にとっては大きな意味を持ったんだと教えてくれる「今日」というタイミングでした。
…ええ、20日、ちょっくら新宿某所へ潜入してきます。


 2011年12月06日(火)   師走 

年末年始は実家で過ごす予定ですが、web環境がないため、大晦日企画を
いつUPすればいいのか悩んでいます。大晦日当日のUPではなさそう(苦笑)

ただ、今の住まいよりずっといいTVがあるので、やるやる詐欺状態になっている
某ゲームを引きこもって攻略したいと画策しています。多分、時間切れですけど。

今年はいろんなことがあって…特に3.11ですか。自分は鳥栖にいたので
周囲の誰よりも実感が薄いんですけど、それが鳥栖における一番の思い出という。
バードカフェおせち事件が今年とは思えない、と軽い気持ちで呟いたら、
twitter始めて以来、最高の20RT超えになってしまいました。

うーん、前半と後半ではサッカーで行っているチームも全然違うし、
非常にまとめるのが難しい1年です。でも1位選ぶならマチアソビ?(サッカーじゃない)

仕事では4月から東北担当(複数名でやってました)で、10月からは外れたんですけど、
夏からずっと携わっていた…津波で流出し、誰が生き残ったかさえ確認できたのが
かなり経ってからという取引先の件で東北の某官庁へ出す書類を、やっと作れました。
今週中には仙台へ書類を送付し、仕事での震災対応は終了です。
そんなタイミングで、震災の写真をまとめたスレッドとか見ちゃうわけですよ…。


 2011年12月04日(日)   Last Episode 

平日夜に何も出来ず、帰ったら寝るだけ(お風呂すら億劫に…)の日々が続くと、
週末にしわ寄せが全部来てしまい、加えて疲れで起きられもせず、
その代償としてこの土日は、都内で午後開始の試合だというのに連日の遅刻。
帰りに栄養ドリンク買ってきましたが、根本的にどうにかしなきゃ…と思います。
それが「思うばかり」なのが悲しいです。服も買いたいのに…!



本日は大学リーグ最終戦。西が丘ではなくて駒沢陸上開催。
インカレ1回戦が、鴻巣以外全て北関東(鴻巣も南関東とは正直呼びたくない)と
こちらでも年々政治力というかなんというかの低落を感じさせるJUFA。
関東からのインカレ出場校4枠のうち、最終戦に可能性を残していたのは
早慶両校だったのですが、前節の直接対決に勝利した慶應が自力での可能性を持ち、
早稲田は第1試合での慶應の敗北を祈るしかない状態。他者の「不幸」を願いながら
観戦するのは、どうにも苦手で、最初から第1試合はパスするつもりでした…。
結果、第1試合の段階で慶應のインカレ出場が決定。第2試合は「消化試合」化したのでした。

つまり、早稲田はこの試合にて今年の公式戦終了。
山中主将の、大学サッカーラストゲーム…。

山中さんは、おそらく、ご贔屓さんカルテットの次に愛している選手、です。
プレーを見るだけで幸せになれる、のが定義の「ご贔屓さん」には属しません。
彼に対する感情は、レイソルユース卒業生の中でも、激しい起伏を経ています。

第一印象では…好感を抱けませんでした。ユースに昇格してきた彼は、
1年生にして、私が好きだったボランチの某選手からレギュラーを奪ってしまったのです。
(彼はその学年では当然のように主将を務める格の持ち主、と当時は知らなかったのです)

2年生の秋あたりから、レイソルユースは、今となっては「色」と認知されている
細かく繋ぐサッカーへの舵きりを敢行し、彼はベンチを温めることが増えました。
翌年、やはり主将となり…暮れを迎える頃には、過去からの流れを継ぐ
個人技主体の3年生と、洗練されたパスワークを誇る2年生とが並存する姿になりました。
それが、私(たち)を今のところ唯一、長居まで連れて行ってくれたチームです。

Shining Christmas―戦い終えた彼は、スタンドからの個人コールに反応しませんでした。
そんなことは、それまでの試合では決してなく…刻まれた落胆の濃さを感じさせました。
とぼとぼと引き揚げていく背中を見て、私は、彼を次のステージでも追いかけ倒そうと
心に決めたのです。そうして…紆余曲折の末、山中さんは私にも馴染みの深い
海老茶のユニフォームへ袖を通すことになったのでした。

早稲田大学は大榎さんが退任し、暗黒時代を迎えました。
それでも1年生の前期から試合に出たから…うーん、いろいろありました、4年間。
そして、大学でも主将になり―あそこの主将は荷が重いと知っているからこそ、
柿沼副将と頑張っている姿を前期は見ていて、首位ターンして…なんかまとまりませんね。

負傷に現在進行形で苦しみ、しかしチームの立ち位置は彼を(前節からの)
ベンチ入りへと導き、結局…後半の最後の最後、ピッチに立つ時間をもらえました。
(その理由を自身で冷静に察しているところが切ない)

ラストゲームは、小井土さんのゴールで勝ち越し(その祝福シーンに山中さんが
参加できて良かったと心から思います)た早稲田が白星を手にしました。
山中さんのカーブかけたミドルが入っていれば、もっと幸せだったのに。やはり足が…。

次、いつ会えるか分からないから―最後、笑っていて、良かったと思いました。
勝てたから…4年前はそうじゃなかったから…だけど「みんなともっと
サッカーしたかった」と吐露したのには、ぐっときてしまいました。
ピッチ外でのサポートもチームの一部なのだけれど、そんなこと私が言わなくても
彼は良く知っていると思うけど、「キャプテンだからこそピッチで引っ張りたかった」と。

もし来年も会える機会があったら、どこにでも行くと、告げました。それは心底本音。
山中さんが次の道を切り拓けるように、今はただ願い、祈るばかりであります。

…柿沼ゲームキャプテンは、山中さんの6番長袖ユニフォーム(2nd)を借りて、
アンダーシャツとして着ていました。荻野で、二人で先頭に立っていたのを思い出しました。


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