Land of Riches


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 2011年04月25日(月)   竜巻旋風脚 

名戸ヶ谷のD2で車が宙に舞い上がったというニュースを夕方(!)になってから知り、
慌てて帰りましたが、自宅近辺は特に何の異常もない風景が広がっておりました。
余震は続いているし、柏近辺の放射能の数字が…という話も出ているし、
心休まるゆとりもありませんが、家の屋根が吹っ飛んでなくて安心しました。

自分を貫ける人が羨ましいのかな、と思っています、スコールしかりアーチャーしかり。


 2011年04月24日(日)   孤高の道を貫く 

「ひとりではないと信じているからこそ、ひとりで戦う道を貫く」
これはDOのシアター59番だから、覚えておくように!(笑)
全エピソードを時系列に並べてるから、どこに誰がいるのか、画面ではさっぱりなのです。
スコールはんちょは、DOバッツ編の終盤でも、若いのに戦場暮らしっぷりを見せてくれます。
(設定ではスコール17歳、バッツ20歳ですよ)


 2011年04月23日(土)   独特な距離感 

自室に引きこもり、勉強なりテレビなりゲームなり読書なりで過ごす。独りで。それが我が家。
だから、昔も今も家族でうまく会話ができません。母と旅行に行って、ショッピングモールで
完全別行動をした話をすると、大抵の人には驚かれるんですが、そういう家なのです。
柏への引っ越しを事後承諾させる私と、昇進を告げない(父母は嫁家との食事で初めて知った)弟は
やはり、兄弟なのです。年に5分喋るか喋らないかの疎遠であっても…同じ県に住んでも
会うどころか、メールのやり取りさえしません。いまだに携帯の番号は知りませんし。

でも、幼少期紹介スライドで、弟がチョイスしてきたのは、私と並んだ写真が多数で。
小学校低学年くらいの頃は、二人で肩組んで写真撮ったりしてたんだ、と気づかされました。
歳がやや離れてるから、喧嘩の記憶もほとんどなくて。嫁家はみんな仲良しですが、
我が家は無関心一家なので、並べると非常に冷たい家族に見えてしまいます。

ああ、だけど、口先だけで礼を言う仲であっても、残念ながら、私の家族や親戚は
この人たちしかいない…のが悲しい現実なのです。友人は変えられても、家族は変えられません。

実際は、どんな家庭もそれなりに問題を抱えてる、とは知っているのですが。


 2011年04月17日(日)   「虚しければ何をしてもいいのか」 

DFF、お布団の中で汗かきながらクリアしました!
ラスボスの攻撃があまりにもグラフィック重視(実効性は…?)でまいりました。
何がひどいって、このゲーム、やり込み前提で「クリアしてからが本番」なのです。
RPG好きって、結局はやり込み好きとイコールなのかしら。

スコールはんちょは終盤、原作同様の熱さをちらつかせておりました。
中級者向けだろうと愛でカバーです。キャス狐か(笑)

…魔法少女にマスコットはつきものだけど、2匹もいらんだろ、と思い悩む午後です。


 2011年04月15日(金)   0と1の羅列 

昨日付で書き忘れたことを、寝て起きて思い出しました。
DFF(旧作。新作はDDFFと書くらしい)やってて真っ先に理解したのは、
24710、589という数字の意味。狙いすぎでしょ(笑)
特に後者へやられてしまいました。愛されてるなスコール♪


 2011年04月14日(木)   英霊≒本 

変化しないから―実際は変わっていくけれど、人間よりサイクルが長いから、
感じにくいのです。願いは、望みは、目的は…生きているものが、必要とするもの。
既に死しているものには必要のない、必要としてはならないもので。

デュオデシム出たご時世なのに、630円で中古購入した旧作ディシディアに夢中です。
帰りの電車で予感的中してエンカウントした同僚を完全スルーする勢いでやってます。
今日はついに、FFで一番好きなキャラであるスコール@FF8のシナリオをクリアしましたよ。
ひねくれ発言するたびに悶えてました。やっぱり私にとって大事なのは内面らしく。
(ルックスの萌えツボなら、銀髪碧眼+刀+左利きのセフィロスは最高なのに。長身だから?)

EXでは、凛が戦う理由もなく、義務感だけで戦場に行けるのは軍人のみだと言ってましたが。

震災後、水道が止まり、食料、ガソリンが不足したことを受け、
クラブは一時解散を決めた。野沢は元チームメートMF羽田憲司(神戸)に誘われ、
兵庫の羽田宅に身を寄せた。茨城県笠間市生まれで、鹿島の下部組織上がり。
故郷が気になり、自主トレにも身が入らない日々だったという。
だが、再開に備え、体を動かすしかなかった。
(スポーツ報知)

ACL前日の「僕たちは日本を離れていますけど、ここに来たのは遊びに来たわけでもないし、
逃げに来たわけでもありません。応援に来れない人たちのためにも、
夢や希望、生きる道を与えるためにも、ここで僕たちが必ず勝つという
強い気持ちを持って戦うことに、チームが一丸となっています」
(J'sGOAL)コメントが
にじませる強さと誠実さに、ファンから別人じゃないかコメントが出ていた
野沢拓也様。だけど実際は、彼もまた3.11を契機に脱皮した…ということなのでしょう。

私も、随分と価値観が変わってしまいましたが、日々の業務に追われ、
変化を目に見える格好で表現できないのを、もどかしく感じている今日この頃です。


 2011年04月12日(火)   罪悪感 

「この罪悪感(サバイバーズギルト)は私自身のものではありません」
集合的無意識と連結した結果である、と。なかなか思い切った解釈ですが、
同じタイミングで別々の箇所から飛んでくると、そういう時なのかも、と思ったり。

ここまで余震が続けば、逃げる、という選択さえ否定的には受け止められなくなり。

会社で配られた震災対策の資料、昨日も今日も、朝からずしりと来るのです。
昨日は「同一建物が複数回被害を受けた時の考え方」。
今日は「目の前にいる困った人全員を助けることはできないと分かりましょう」。


 2011年04月11日(月)   「期待に応えるとしよう」 

期待に応えることには、人としての喜びや誇りがあるのです。

読者様へ媚びることとの境界線を引くのは難しいけれど。
MyBirthdayでは、ジーニーさんのドラゴンヘッド占いに愕然とさせられました。
かの有名な某女性占い師が、前世は軍人!と熱弁ふるうのより何十倍も納得させられました。


 2011年04月08日(金)   不自然ナチュラル 

朝起きて最初にしたのが、Double-Actionのform違いを片っ端から試聴して、
「やっぱり小野Dの声が一番♪」とポチる…という、終わってる私です。
キャラ声なのに、この上手さ。私、こういう声が好きなんだ、と改めて。
(ちょっと色っぽい低音…)
歌詞も時間軸がテーマなので、今、私の心を捕らえて離さないアレにピッタリ。

この曲をA&G生放送で流した小野さんのマネージャーと諏訪部さんがいけないのです(笑)
ちなみに次は本家無印、coffee formが好きかも。後者は可愛いです★

…不安や不愉快をアピールするのが宜しくない、と過剰に考えられてる節を感じます。
嫌だと感じる現象自体は、ナチュラル。表現形態に気配りは必要かもしれませんが。
(そのアピールを受容する側には、当然、快いことではないので)


 2011年04月06日(水)   平行世界 

諏訪部さんが頭良くてトーク面白いのは、ラジオCDで勉強したことですが、
小野大輔さんがゲスト、って事前予告なかったらwebで生放送聴いたりしません(笑)
自分の中ではオフィシャルとアンオフィシャルってコンビです(主語省略)
でも、育児してる姿は私の標準になってしまってるので、後者もありなのです!!

しかし、ひどい生放送でした。おたより来まくっただろうに、全然読めてないし。
車と仏像への愛をそれぞれ、熱く語っている姿が印象的でした。好きなものは好き!


 2011年04月04日(月)   タイミング 

久しぶりにPSPを充電して、Fate/EXTRAをプレイ。ちょうど、アーチャーが過去を語る日。
彼のトラウマは、以前も取り上げましたが、(地震ではないですけど)サバイバーズギルト。
災害で生き残ったからには、命は自分だけのものではなく、何かしなければならないと
強迫概念にかられる事象。今回の震災でも、看護士になりたいと話す少女のエピソードを
読んだりすると、こういうのが幼少期の『トラウマ』…と思ってしまうわけです。

メルトダウンも出てくるし、発売への発売スケジュールがもう1年遅かったら、
お蔵入りソフトになってただろうな、と考えると、複雑な気分になるんです。
弓主従を通して、知り合った方もいますからね、今となっては。

こんな繰り返しトークを書いてるのは、昨日、久しぶりに緊急地震速報を耳にした時、
(私のガラケーは2年半前のモデルだし、TVも見ないので、他者と一緒でないと聞かない)
その音に対するトラウマの深さが、あの日関東にいた人と違い過ぎて、話にならなかったから。

あの日鳥栖にいて、たまたまTLを見なければ、それこそ夜ホテルへ帰還しても
TVつけるまで地震の発生を気づけなかっただろう私は…あの後も実家へ帰ったりしてて、
ぶっちゃけ、これだけ余震続いてて不安になることも多いけど、実は震度3以上
経験してないのも事実で、酷い揺れを味わった人とは、染み付いた恐怖の濃度が違うのです。

2節に鳥栖vs栃木が組まれ、キャンプを諦めた時(結局、宮崎もいろいろ大変なんですが)は
『日程くん』を恨みもしたけど、結果的には……それを片付ける日本語が「巡り合わせ」なのです。


 2011年04月03日(日)   Amitie 

アミティエ=フランス語で「友情」。

今日、かつて、ある人へあげたのと同じチョコレートを頂きました。
チョイスした契機は違っても…なんだか不思議な巡り会わせを感じました。
正直、誰に何をあげたのか、すぐ忘れちゃうタイプなんですけど、
なぜか覚えているものもありまして、今回のは、その一つだったんです。

誰かにあげた物を…といえば、あるお祝いに差し入れした物を、数年後、
同じように箱で頂いた時も、その『循環』に感慨深くなったのを思い出します。
何か見返りが欲しくて物を贈っているわけではないけれど、同じ物が“帰って”くると、
人と人とは繋がっていると、信じたくなってしまうのです…。



さて、今日は最高気温11度と寒すぎた(なのに薄着で出かけてしまって大失敗。
「気合で我慢しているだと」と言われてしまっても、おかしくない状態に陥りました)
埼玉まで、東日本大震災以降初の生サッカー観戦に行ってまいりました。

この3週間、業種柄もあり、余裕なく、逃避も繰り返し…サッカー観戦は、
心身のゆとりがあってこそ実行可能な趣味なのだと痛感しました。
周囲の人たちがTMへ出かけている話を聞いても、どうしても出かける気になれず、
家へ引きこもってだるいだるいと言い続けてきたのです。今日も三度寝の果てに。

栃木SCは平出のスタンドが破損したり、利用させてもらっていたスポンサーの
スポーツクラブが地震の影響で閉店になったりと被害を受けていて、
(郊外のピッチを使うとガソリン不足の問題も絡んでくる模様)
今日が地震後、初めての対外試合。ブラジルから戻ってきたばかりの助っ人たちと
開幕戦で負傷して別メニュー調整だと伝え聞く高木さん以外は、元気にプレーして
草津戦で見せていた好調…いや、確実に地力をつけつつあるチームの実力を
きっちりと見せてくれました。それを実感できるのは、30分4本の3本目から。

船山さんは3本目から右に立つレオン(1・2本目はクンシク&廣瀬コンビ)と
ツートップを組んでの参戦。昨年の栃木SCサテライトだと、試合に出ている面々と
いろんな意味でのレベル差を感じることがあったんですけど、今年はそれがぐっと薄く。
昨年までレギュラー級だった選手が、普通に3本目から出てたりしますから。
赤井さんも同じく3本目からで、4本目から大宮サイドで登場の慶記さんと3人で握手。

前後左右、めまぐるしいポジションチェンジ(終始してたわけじゃないですが…)をしつつ、
しっかりキープする強さを感じました。肩のあたりがかっちりしている印象を
受けるのですが、やはり一般的には、それ以上の幸せ太り疑惑がぬぐえず(苦笑)
個人的には、オフ明けよりは絞って、まともなシルエットだと思うのですが…甘い?!

CKも担当してて、合わせたレオンのヘッドは惜しかったのでありました。
大和田さんのヘディング弾を導いた右サイドからのクロスも、船山さんのでしたよ!
ただ、観客には、小野寺さんの豪快ミドルがバーに当たったはね返りを、
ダイレクトで打ちにいった結果、大きく浮かしてしまった方が強烈だったかも。
場内の失笑を買ってしまいました…。直後、レオンの突破を起点にして、
きっちり流し込んできた杉本さんの冷静さが頼もしく映りましたよ、相対的に。

プレーの良い悪いとは別に、船山さんのプレーを生で見られるのは幸福だと
改めて認識しました。かけがえのない、という形容は、こういう時に使うのでしょう。

私には、船山さんの代わりになる存在なんて、ないのです。
天秤にかけうるものは、もう一つだけあるけれども。

幸せでした。嬉しかったです。ありがとうございました。
唯一悔やまれるのは、募金箱の後ろにいらっしゃった塚本さんに何も言えなかったこと。
防寒具として、栃木の長袖ユニフォームを着ていたので…。

『絶対に希望を捨てない、それが去年皆さんから学んだこと』
塚本さんだからこそ説得力があり、胸を打つ言葉。
私もヒトの形したヒカリを見失わないように、自分の脚で歩き続けていきたいです。


 2011年04月01日(金)   TSUNAMI 

業種柄、震災対応部署への応援要請が来るのは予想していたけれど、
年度末の自然減への穴埋めがない状態では辛すぎます。仕事回せません。
応援に指名された当人の、休日返上強制よりはマシですが…。
逆の意味で、計画停電になると無給自宅待機を命じられるテレアポ勤務よりもマシなのですが。

職場では現在、東北地方の担当ではない(以前やっていた時期もあり)んですけど、
今日、ひょんなことから三陸にて避難所在住の営業からの電話を取りまして。

ベガルタライターの小林さんには上京された折に直接お話をお聞きしたし、
twitterにてやり取りした被災者の方もいらっしゃるんですが、
津波の被害が甚大だった地域の方とダイレクトに話すのは、実は初めてだったんです。
家も仕事場も何もかも流されようと、生きている人が幸福なのは当然として、
遺骸が見つかり、死亡が確認された人は、それだけでもまだ恵まれてると言うのです。

安否を確認したい相手の、自宅も職場も親戚も取引先も、思いつく限りの縁故一切が
全て津波に飲み込まれ、生死を確認するすべがない。ただ、その対象は公文書の中だけに存在し、
法律上の取り扱いが決まらない限り、在るものとして対峙しなければならないのです。

生物としての命と、社会構成上の状態が、リンクしていない。

圧死よりも焼死よりも、遺体が見つからないだけ、周囲も諦められないという今回の津波。
仕事(と停電)を通し、柏在住の私も着実に蝕みつつあります。果ての見えない闘い。


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