Land of Riches


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 2001年05月31日(木)   wish 

拝啓中澤聡太様、そのまっすぐな眼差しに、私の未来賭けちゃってもいいですか? (C)走れイチロー!

ツーロン…負傷者なしで終えた、らしい、では、ダメ、なん、です、か?
(1試合もライブで情報受け取ってない私)

仕事が早く終わったので、一念発起して(大げさ)いったん家に例の“お預かり票”を取りに帰り、
KAMOへ殴り込み―気分だけ―へ行きました。予想通り、“それ”は既に、きっと、とうの昔にあって、
連絡ミスで私の“ところ”まで情報が来なかっただけで…まるで、覚悟が決まるのを待っていたかのごとく。

びっくりしましたよ。「5分ほどお待ち下さい」とお兄さんが言うなり、プレスマシーンで
外注したらしい HANEDA というネームシールと5番の番号シールを貼りつけるんですもの(微苦笑)
(ちなみに、引き取り手が現れないそのジャージには「羽田さん」という名がついていた模様)

確認のために背中―HANEDA 5―がばっと見せられ、認知した次の瞬間、熱を帯びたジャージは
KAMOの黄色と青の袋の中へ消えたのでした。温もりを残したまま。その熱を感じながら雨の名古屋を歩く私。

帰宅して、真っ先に取り出して、ハンガーにかける(遠征でもホテルに入るなり、すぐにハンガーへ
ユニフォームをかける習慣があるのは一緒に遠征した人ならご存知かと)のですが、どうも正視できません。
アルゼンチンへ行くんだと、奮発して買ったエキュイップメント。中澤さんではありませんが、
一体いつどこでこれを着るんでしょう? ワールドユースの生中継を見ながら?
…そんな“勇気”出るのかしら?

泣いても笑っても、U-20の活動はあと一回。出発前の調整合宿を経て、いよいよ決戦の地へ…。
そこにいる“彼”の姿を思い描くのは、さすがに難しくなってきました。
「最近は弱気になってきてるし」
福島でボールは蹴っているそうなんですが…やっと600羽折れたのに。残りの400枚買ってきたのに。

>>―西村監督の目指すサッカーを一言で表すと?
>>「ムービング・サッカー! 常に流動的にいくんですよ」
(註:正確には Moving Football)

昨日発売のサカダイに載った、嫌がらせのごとく水色仕立ての中澤さんインタビュー、
少し水色がかった、透明な刃―Soul of Night(C) 藤崎竜のような―として、胸に突き刺さりました。
抜けない…ワールドユースが終わるまで、抜けないと思います、これ。

羽田さんがいなくなったことを、メディアでもストレートに穴だと語ってくれる唯一の人。
戻ってきてほしいという希望をマスコミ相手でも率直に語ってくれるたった一人の人。
…私の“ワガママ”を具現化してくれる、ユース代表でただ一人の人。でもって、U-20の中でも好きなCB。
(パラグラフ2行目が私の曲解なのは自覚あるのでつっこまないで下さい)

もし…もしも、もしも、「羽田を失った最終ライン」で本大会も臨むなら、
気持ちが沈むたびに、これを読み返して、羽田ユニ着て、応援しようと、思って…“今”は考えてます。

5秒後は分からない…私は、羽田憲司のように、5秒先の世界を見ることができないので。

思えば、中澤さんは自らの骨折でU-16代表を離れていて、疲労骨折から奇跡的に復活した羽田さんと
“いきなり”ラインを組んだこともあるんです。だからああ語れるんだなって。
まっすぐな言葉…ボキャブラリーの数が感情表現の巧拙を左右するとは限らないとも教えてくれます。

ダカラ、モシ、モシモ、モシモ、lost ガトリモドセナカッタラ、アタシハ、
コノヒトニ、コノヒトニコソ、5バンヲツケテホシイト、カッテニ、ネガッテシマウ。

最終宣告は、そう遠くないうちにあります。だから、いつも通り、マイナス思考の人間のお約束として、
最悪の事態を想定して、それに対する覚悟を、受け入れる態勢を整えておかねばなりません。

連係の度合がどうしても深くない守備、そして、チームコンセプト的にはもっと重大である、
状況打破のパターンが乏しい攻撃。課題だらけ。でも、アジアユースのように、本番、突然目覚めるかもしれず。

あとは、田原さんのコンディションが、少しでも良くなりますように…いまだ完調な姿を見たことがない、
なのに出場を重ね、Moving Footballにそぐわないと評されつつも、いなくなると攻撃パターンが激減するという(伝聞)
個人的には、あのチームで、ストライカーという肩書が一番似合うと思っている人だから。
…あれは、田原豊だからどうにかなっているのであって、そうでなかったらもう今頃(以下略)

現実を直視して、幻想を塗り重ねて、世間から浮き上がってくるだろう言葉を無知というフィルターで片づけて、
自分の胸に感傷を刻んでいく、そんなワールドユースになりそうです。
その意味を本当に噛みしめるのは、秋に出るという、代表カード高級版―多分ワールドユースメンバーが出る―発売で
誰のカードがあって、誰のカードがないか、分かった時でしょう。今からもうそんな予感がするのです(俺様風自嘲)

負けない、泣かない、愚痴らない―香港から言い続けて、実際は繰り返してばかりのこと(苦笑)
世界が見たいと、世界の物差しで自分を計りたいと言い続けてきた“あの人”の望みが叶うのを祈りつつ、
どんな状況にも冷静に対応できるDFの心を持とうと揺れる胸を固めつけて、押さえつけて。

モシモコノヨノドコカニカミサマイルナラドウゾアノヒトノユメニツバサアタエテ

>>―そうなってくると、DFリーダーは中澤選手ということになりますか?
>>「俺かなぁ。いや、でもその辺はやってみないと分からないですよ」


 2001年05月30日(水)   典型 

苛立ち・不安・無気力―私の心はいつも三択。

クレジットの使用通知が来ました。携帯もプロバイダもカードで契約しているので、
毎月の出費で最大の割合を占めるものがこれなんですけど、今回はすごいです。
月収の半分以上! そのくせ、うち約3割がまだ手元にない(!!)羽田ユニの代金!
続いて、ついにデータ通信料が通話料を超えた携帯料金、母の日に買ったトルマリンのブレスレット…。

電話で一度あしらわれたことがあるから、今度は店に押しかけるか…<未収の羽田ユニ

今の仕事はあと2日でおしまい(今月末までの契約…理由は推して知るべし)なんですが、
これでは働かざるをえません。しかし、今の私に必要なのは休息、とされています。
休まなくてはいけません。

しなければならない、しなければいけない―基本的にはいい加減なタイプだと思っていたのですが、
考えている以上に生真面目な部分があって、それが私を何度も鬱へ突き落としているようです。
(というか、過去二回、鬱病寸前状態から浮き上がって通常に復帰できたのが不思議なぐらい)
鬱は「心の風邪」と言われる通り、誰にでもなる可能性がある―脳内の神経伝達物質が減少する―病気だそうですが、
几帳面で神経質で責任感が強く義理を重んじ仕事熱心で他人思いな人が比較的なりやすいそうです。
私はいくつ当てはまるでしょう?(そんなにないような気がするけれど(俺様風自嘲))

それにしても…「休まなければならない」と思いながらすごす“休日”は
“休養”にはならないのでは?(再度俺様風自嘲)だから、6月以降、どうやって生きていこうか、
考えてはみるのですが、うまい答えが出ません。判断力が落ちるという症状もしっかり発生していますが。

本当は…半月かけて準備して、半月間渡航して、帰ってきたら仕事を探して家を出るつもりでした。
家を出る、これが宿願で―“今”の私には到底望むべくもない“夢”。
少なくとも、毎月発生するある程度の出費(フレッツISDNの料金やら国民年金やら)に応じられ、
かつ、短くはない間、名駅にある医者へ通えるだけの収入と“シチュエーション”が必要です。
“家を出る”余裕はありません。

決してフリーターという肩書に甘んじていたくはないし、パラサイトシングル扱いされたくない、
大学を卒業してから常に付きまとう“理想と実情の落差”も、私へ常に強力な下向きの重力をかけます。

薬を飲まなければならない、休まなければならない、
規則正しく生活しなければならない…U-20を応援しなければならない。
心と体のリズム、いやテンションのズレが私を更に蝕んでいくのです。

いつも言っているセリフですが…「次サッカー見に行けるのはいつだろう?」
大体、月に2〜3回というペースですけどね。昔(東京在住時代)に比べたら少なくなりました。
U-20(というかソラミナ)がなければ、もっと少なかったでしょう。

何が欲しい? 何が必要? 何を手に入れたら心休まる? どうしたら少しでも楽になれる?


 2001年05月29日(火)   ノルカソルカ 

日通旅行からアルゼンチンツアーの資料が来ました。消印は25日―私が医師から宣告を下された日。
開けずに捨てようかとも思いましたが、開けて、一通り読んで…気分は開ける前と少しも変わりませんでした。
予選リーグ3試合観戦コース348000円(セリエ旅行社も同じブエノスアイレス滞在ですが2000円高い)

ぐだぐだ書いているこのLRを見て、行った方がいいんじゃないですか、と言って下さった方は一人ですよ、お一人!(苦笑)

被害妄想とは、時には便利なもので、ありえないことですが、“彼”がいない大会が今、
ヨーロッパの片隅で進行している事態そのものすらトラップの一端に見えてしまうんです!

…誰か(何か)が私を“そういう方向”へ引きずり込もうとしている!!

いないから、という理由で目を背けられる、無視できるなんて、虫のいい心持ちです。
田原さんは好きですよ。でも、それが強制自己催眠の実験であるのも確か。
だから、田原さんのページはなかなかできないし、田原ファンには合わせる顔がない…。

いや、本当に、以前に比べて、キーを叩いて作業を続けられる最長時間―限度が短くなっているんですが。

羽田さんに対する気持ちすら、もう、前―それはいつなんだ?―と同じか分かりません。自信ないです。
穴が空いて…それをJOKERという表現で美化する手段を本屋で習いました。トランプ(ポルトガル語)扱い。
覚悟は一報を聞いた瞬間から固めているけれど、同時に夢を捨てられない自分がいます。

奇跡。誰かの幸福は他の誰かの不幸という、スポーツ独特のコインの表裏。

穴を埋めてくれるのは中澤聡太です、きっと、ピッチでも、私の中でも。
あの瞳に焼き尽くされてしまいたいのですが、残念ながら我が家にはスカパーはなく、勇姿を見ることはかないません。
背番号が5番じゃないのは…救いなのか…それとも…。

好きだという証明、好きだという証拠、好きだという証、好きだという感情の表現方法。そんなの、知りません。

あんなに休みは好きじゃないと言っているのに、休めと言われます。それが“セオリー”だからと。
…休息の時間があったら、もっとくだらないことを語ろう、幻想世界の物語とか、架空の布陣とか。
実像と虚像の間、皮膜の内へ消えてしまいたい、消してしまいたい、そう思う今日この頃です。

合い言葉はチーズケーキ☆


 2001年05月28日(月)   4 years ago 

“植物物語”の桃のボディソープで洗ったから、ポンちゃんからその香りがほんのりと…。

松本連休(…)2日目も自宅で陰鬱な気分に悩まされつつ、のんびり過ごしています。
いよいよ鬱ゆえのナーバスささえ壊れてきたようで、昔のビデオは見られないと言っていたくせに
この二日間はAshLynxのライブビデオ(これが何なのか分かる読者がどれだけいるのか…)やら
フランス最終予選の激闘録(既製品)を見ています。ぼんやり、ぼんやりと。
…最後には耐えられなくなって途中で消してしまうのですが。

4年の月日はあまりに長すぎて―今追い掛け回しているU-20の面々は当時中学生―私の忌み嫌う
時間の流れを知覚しないわけにいかなくて、Kさんがこの前言っていた「人間はずっと成長していく」は
やはり肯定できないものの、変化していくのは間違いないと認識せざるを得ません。
前進・後退だけでなく…空間にはX軸とY軸以外にZ軸もあるから、どちらへ向かうかは分かりませんが。

サッカーの試合で悔し涙にくれたのが3回:
その最終予選の日韓戦、78回選手権での東福岡vs市船、そして先日のグランパスvsアントラーズ。

サッカーの試合で興奮のあまり鳥肌が立ったのが2回:
トゥールーズのアルゼンチン戦試合前にFIFA ANTHEMを聞いた時と、
その年(1998年)の終わりの天皇杯準々決勝@仙台で本山さんが投入された時の本山コール。

ビデオを見ていても、当時は鮮明に覚えていたプレーの一つ一つが、記憶から消却されているのが分かります。
しかし、忘れられないのは memory ではなく感触―国立全体が代表をサポートする、異様な雰囲気。
試合の90分間だけでなく、その前の泊まり込みから始まる、逸脱した空間にいた経験。

その空気に触れた肌が、あの興奮を恋しがって…それでサッカーファンを続けてもう何年になるでしょう。

代表戦を見るたびつまらないと思ってしまうのは、進歩なのでしょうか?
初期のJの試合を見返すと、スピードやテクニックを高めた“代償”として
熱情を失ったかのごとく見えるように、あの頃と今とでは代表に求めるものが違うと…“高まった”と。

一つ一つのプレーに対する熱すぎる思い入れ…当時の私にとってそれは「相馬のオーバーラップ」でしたが。
いまだ試合を見る際の視野が狭いと自他共に認める私ですが、この頃よりは広がっているはずです。
あの当時は…名波&相馬コンビが全てだった気がします。実際、あの二人は生命線だったのですが。

結論からすれば、記憶が…“経験”が色褪せているのを見とめざるをえないビデオなど
見ない方が良かったのかもしれません。ただ、“体験”は身体に染みついているけれど。

1995年、何気なく見ていた代表戦で見かけた“茶髪の青年”からサッカーにのめりこんでいきました。
1996年、ホームシックから逃げ出した先の鹿嶋で触れた“人情”でアントラーズを応援すると決めました。
1997年、インターネットで知り合ったメンバーがいたから激闘を通して喜怒哀楽を味わえました。
1998年、フランスで抜け落ちた心にすっと染み込んできたのは“光の化身”のスマートなプレーでした。
1999年、人の間で生きるのがヒトだという“彼”に導かれるまま、その仲間や後輩たちを追い掛けました。
2000年、待ち焦がれた復活の舞台で出会ったのは、どこか淡い輪郭のかわいい“犬”でした。
2001年、自分の目で見たものこそ真実だと教えてくれた“彼”と仲間たちの世界挑戦を………。

そして2002年…遠い遠い場所だったワールドカップが、この国にやってくるのです。
更にその先も、サッカーの世界は続いて、きっと広がっていく…アタシハドコヘイクンダロウ?


 2001年05月27日(日)   ささやかな。 

小さな幸せを感じる瞬間…洗顔後に、たっぷり化粧水を染み込ませたコットンパフを顔に当てる時。
気持ちいいんですよ〜。

昨夜はポンちゃんと入浴。同じボディソープで洗ってあげました(いいのか…)
某レッサーパンダ帽男が逮捕された後、ぬいぐるみは…一方的に愛情を注げるぬいぐるみは幼児性の象徴で、
大人になってもぬいぐるみをかわいがる人が多いのは、現代社会の病理の一端だという新聞記事を見ました。

これでも前に比べたら一緒に通勤しなくなったり(苦笑)距離は取っているんですが…ま、自分なりにかわいがります。
(自分なりに頑張ります、が密かにマイブームらしい(笑))

松本へ行くために取った連休で、それを休養と更新に当ててしまった私は、
恭平さんスタメン&ゴールというしっぺ返しを頂戴しました。明日の鴎も若そうですし…。

できたことができなくなった苦痛は、想像以上に辛いですね。
長時間画面に向かって作業が…タイプできない苦しみと闘いつつ、それでも…這ってでも前へ進もうとしてます。

前進。いい響きの言葉ですよね、本山さん?

もっと強く、優しく、自分と他人をいたわれる人になりたい―いつも眩しい君へ、一歩ずつでもいいから近づきたい、
結局、中学の頃からそういう生き方しかしてこなかったし、それしか知らないから、今は“君”を見てます。

.....long for.....

おっと、忘れるところでした。
Happy Birthday, Atsushi and Kaneko!!

君の未来を作り上げられるのは君だけ、あたしの未来を作り上げられるのはあたしだけ、
だから、周りに振り回されないで、1日1日を噛み締めて歩いていきましょうね。


 2001年05月26日(土)   ドクターストップ 

“約束”というものに私が異常に弱いのを、どうして知っていたのでしょう?
その二文字で医者へ引きずられてばかりの私。

Promise.

自分の中ですら定まらない気持ち―近づいたり遠ざかったり、燃え上がったり冷めたりする想い。
それは、幻を見つめているから…現実化するか、霞と消えるか、定かでないターゲット。

御殿場から帰ってきて、雑誌を読み返して…違う選手のインタビューを舐めるように読んで、
行くんだ、行くんだと自分へ強く言い聞かせてきた、強迫してきた目的地・アルゼンチン。
たとえ“彼”がいなくとも、望んだ舞台で闘う仲間たちを、この目で、この、目で…。
そのためなら何かを踏み台にしても、誰かを傷つけても、仕方がないとさえ覚悟決めてました。

他の誰でもない、あたしの、アジアユースからの時間は、全部、そのために、それだけのためにあったのに。

こんな弱った…鈍った状態でも確信が持てることは大抵があがなえない真実で、
仕事終わりに上司から注意されるのも“読めて”いたあたしが、医者からもらう答えは予想がついてました。
その答えを受け取るべく、仕向けられたトラップだと―無力感に覆い尽くされながら、宣告を待ったのです。

何もしないのが最上の治療法ならば、地球の裏側への出撃はこれ以上ないぐらい無謀な行為で。

次の大会に回せばいいじゃない、と先生は笑いました。そう言うしかないでしょう。
だけど、言われた方の頭は真っ白で、とてもそんな先の出来事など描けるはずもなく、
それなのに、通告者側は他の言葉を持たず…きっと、どこかで繰り広げられた光景なんだとぼんやり思いつつ。

やめといた方が―その一文節だけで、熱くなる目頭を抑えつけるのに必死になるあたし。

イチドシカナイノ。そんなこと言ったら、先生と向き合う時間だって、こうやってタイプする時間だって、
長い長い歴史上で一度きりしかないけれど、ワールドユース・アルゼンチン大会は一度しかなくて、
それに出られるU-20はもう二度と結成されることのないチームで…。

何もかもが流されて、支えてくれていたはずの笑顔さえ色褪せて。
ただ今日が終わり、次に来る明日をどうやって、どうにか過ごそうとしか思えなくて。

…いつになったら冷静にU-20の話ができるんでしょう?
マスコミやファンが誰もそんな話題を口にしなくなった頃?

とりあえず、ツーロンも本大会もライブ中継を無視してひたすら眠ることにしました。
それが取るべき選択肢だと言われたから。治さないと…“あの子”みたいにはなりたくないから。


 2001年05月25日(金)   solve 

会いたい人がいるという幸せ。

欲しいものがある。すごく欲しかったりする。急に欲しくなくなったりする。
それって欲しいといえるんでしょうか?

でも、会いたい気持ちに変わりはありません。

昨日、生まれて初めて熱田神宮へ行ってきました。願い事があったので。
おみくじ引きました。一番「吉」。

「万事和順にして賢き人に従ひその教を守らば吉事来る。人に先立て為る事は凡てよろしからず」
願望:急には叶ひ難し
方角:東の方よし
待人:来るたよりあり
失物:高き所より出づ
旅行:遠方に行き利あり
転居:よろし、早くすべし
病気:長けれども治る

…なんとなく今の私向き、でも願望が急に叶わないのはかなり悔しい…。

時間と、軋轢と、孤立と、無力感と、絶望と―本当の敵は何なのか、それすら見えない今日この頃です。


 2001年05月24日(木)   対極 

今の悩みや苦しみは、何かに縛られているからではなくて、
逆に、これまでつないでいてくれた鎖が切れてしまったせいだと気づきました、ようやく。

リンケージ…あるいは二つの円が重なった部分に立っていたから。
離れてしまった今、私はどちらの円に立てばいい…?

色の異なる折り紙の散乱した部屋が、全てを物語ってます。


 2001年05月23日(水)   予言書 

イチゴのないショートケーキ。
食べたい?………食べたい、か?

本気で心配してくれる人。
行かない(not行けない)といえば安心してくれるのでしょうか?

アジアユースが終わって半年、ずっと苦しめられ続けているものとの葛藤の末、
“私”は―私“も”未知なる領域へ足を踏み入れようと私なりに頑張ってきたのに。

後悔と無駄が、死ぬほど嫌いだから。

イチゴがなくても甘いケーキは食べたい、です。
もしかしてイチゴがついてくるかもしれないですし。
…イチゴは最後に食べるタイプなので。

決断がなかなかつかないのも、鬱の特色。


 2001年05月22日(火)   個体差 

努力・義理・気合・意地・約束・根性・強制・命令―害になると分かっていながら、逃れられないものたち。

なすりつけ。
何のために?
なんのために?
ナンノタメニ?

誰かがそれで喜ぶとでも?

好きなものを好きと表明することで誰かを傷つけているのに気がつける人は多くありません。
それが好きなのは自分だけであって、みんながそれを愛しているわけではないのです。

自分が好きなものを好きと語る以上、他人の好きなものも尊重すべきです。
それが思いやり―小学生時代から常に通知表で欠落していると書かれ続けてきたもの―では?

…バカだよね、そんなの社交辞令に決まってるのにさ(俺様風自嘲)

他人の愛情なんて理解できるはずがないのに、どうして同類と決め付けるんでしょう。
独りでは生きていけないから? 何かに所属していたいから? 孤独が嫌だから?

仲間と縄張りは違うのです。

…そんなものは幻想だよ、思い込みだよ、勝手に見てる甘い夢だよ。バカが。


 2001年05月21日(月)   ステレオタイプ 

更新しようと、メモ帳でHTMLのソースを開く…そこから先へ進めることができません。
何を書けばいいか分かっていても(単純に出場記録の追加とか)いじれません。
今はそういう病に冒されているから、と言い訳してみるのですが、
もうワールドユースまで一ヶ月ないのです―リミットなんてものは、とうに越えていて。

あのチームへの思い入れまで冷めてしまいそうで、怖くて怖くて。

椅子を買いました。実家に戻ってきて1年以上、壊れた椅子を使わされていたのですが、
ようやく新調できました。まだ座り心地はおぼつかないんですけど。

今一番必要なのは休息。医者にもそう言われたから、逆らわず、
薬で創出された眠気に全てを委ねようと思います…。

選手とビジター様への罪悪感でがんじがらめにされつつ。


 2001年05月20日(日)   セブン・センシズ 

合い言葉はネバギ!


 2001年05月19日(土)   二日目 

初日に比べると眠気などの副作用も弱くなりました。
それでも仕事でミスを連発するほど頭が働かない…。
夕食後の薬で朝まで眠ってしまった木曜に比べたら、
早く寝てしまっても午前1時に目が覚める今日は、ある意味でいつも通り。
就寝前用のは飲みましたから、後は体のままに。今日は休みですし♪

…ネットでやりたいこともあるけどメガネが見つからない…まずはそこから(殴)


 2001年05月18日(金)   眠り姫 

記憶がまだら状に飛んでしまっているのはなぜ?

明らかに認識まで副作用で狂ってしまっている―猛烈な眠気。
考える以前の、感じる段階の機能さえ封鎖して。

残っているのは…疲れ切った心と体?
待っているのは、強制休息。そして、また一日が始まり終わる…。


 2001年05月17日(木)   no no darlin' 

心配させてて、してもらいたがってて、それを“勝ち得て”いるのに、不快感を募らせる私。
欲しいものを欲しいといえない私。そのくせ、限りない欲求=ワガママをぶちまける私。
…そんなに野沢さんチックですか?(本物ののざぁさまに失礼だよ!!)

三度の食事すら摂取を度々拒む私が、定期的に、しかも長期間薬を飲み始めるなんて
余程の決意がないと難しいんですけど、今回ばかりは頑張る(禁句!)しかありません。
いつかきっと、毎日薬を飲むようにって書いてもらおう…その日までやり抜こう、と思ってます。
初日にして挫折しそうな自分が本当に嫌なんですけど。はぁ、典型的ダメ患者。

ソラミナ交換日記用に御殿場合宿について綴り始めたものの、全く文がまとまらず困ってます。
どこまでも羽田ファンという見方しかできなくて。それ以外の私はありえないと分かっていても、
それはどうなのよ、と思ってしまうのです。しかもそのページは合同管理…。
言うべきか言わざるべきか決めることイコール考えること(再掲)

不信と不安―羽田の穴という概念に対する並々ならぬ執着心。醜いと自嘲、そう、自嘲したくもなります…。

以下、ちょっとプロ野球(スワローズ)の話。昔話。
1992年のペナントレースで、荒木大輔さんを救世主と呼ばわりしたのはマスコミでもファンでもなく、
バッテリーを組む古田さんでした。マウンドへ来る荒木さんに後光が差して見えたというのです。
復活の奇跡は反骨精神の結晶と言っていたのは谷沢健一さんでしょうか(まるで自信なし)
メシアは作られるのではなく生まれてくるのです。自然に。歴史の摂理から。

でも…防御率0点台の伝説がカムバックで霧散して、ただのよくいるピッチャーに成り果ててしまっても、
かつては稲尾レベルと称された“ただの”スライダーを投げている姿をしっかり見られることの方が、
伝説を懐かしむのとは比較にならないぐらい嬉しかったから…伊藤智仁さんの場合は。

時間の流れとか空気の色は、変えようと思って変えられるものじゃない、
気がついたら変わっていて…その中心に誰かがいたというのは、乱暴に書けば結果論です。
その興奮を―陶酔を忘れられない、そういう瞬間を知っている、経験があるから、
つい再現を求めてしまうのです。プリプリのDIAMONDS(古い…でも最近CMで流れてますよね?)みたく。

だけど、私はトモに16奪三振の復活―超越を求めたりはしませんでした。なのに、どうして、今は?

そこにいる幸せ、プレーが見られる幸せ。小さな幸せから大きな幸せへ、欲望は限りなく膨らみます。
楽しい時間、嬉しい時間、幸せな時間はゼロじゃない、だからそれを抱えて生きていきたいです。

…愛してます。

#…というのを書いて睡眠薬飲んで寝たんですけど、遅効・長時間作用って効き過ぎ(笑)
#8時間以上寝ても(途中で一回起きたけどすぐ寝た)まだ眠いんですけど(爆)
#ま、そのうち薄れてくるでしょうけどねぇ。


 2001年05月16日(水)   またありと。 

なんかもうどうでもいいよ…。

中澤さん、ガンバレ。


 2001年05月15日(火)   逡巡 

Mさんからいただいた「強化指定時代の羽田」写真があまりに彼らしくて溶けてます(笑)
幻の…憧れの(notハネ's)レッズユニ#12。私、市船時代の写真1枚も持ってないんで、これが初めてなんですよね。
80枚近くあって、自分で撮ったのは3枚ってあたりがまた私らしい…ははははは。
(整理中)…あれ、へたれ線審写真が3枚とも“抹消”されてるのはなぜ?! どこ行った?!(@@)

さて、ツーロン遠征メンバー22名が発表されました。ワールドユースのエントリーは18人。
今年、U-20活動は清水→香港/福島→ジャパンユースカップ/南米/御殿場/ツーロンの七度活動していて、
その全てに呼ばれた選手が13人います。その他、やむなく負傷離脱した選手なども考慮すると、
18人の位置別振り分けは以下のようになると予想しました。あくまで勝手な推論なので、その辺よろしくです。

キーパー:皆勤者2名(バックアップの選択に流動要素含む)
CB:皆勤者2名+不確定2名(2枠を現離脱者含め4〜5人で争う形)
アウトサイド:皆勤者2名(左サイド&右サイド)
ボランチ:皆勤者2名+不確定2名(この2枠はボランチ以外もできる選手専用。1つはアクセントか?)
シャドー:皆勤者3名+離脱経験者1名(ラスト1人は負傷でない限り同一人物が招集されているため)
トップ:皆勤者2名

意外にメンバーは固まってきていて、そうでないのはCBとボランチぐらいでした。
しかも、この2ポジションは最近離脱者が出て穴が大きくなったという…。
一番読めないのがCBで、監督自身も諦めてないのかな、と歪んだ見方をしてしまいます。
MFのレギュラークラスはほぼ固定されていて、残りはバックアップ。当然ユーティリティ性を要求され、
そこへ入ると予測される選手は、全て複数のポジションをこなして(こなさせられて)います。
“副業”はレギュラー級もいろいろやらされているので、特定の位置しかできない選手は厳しいかと思われます。
枠組み自体がずれるとしたら、シャドーの人数を削るぐらいかな?

まだJもありますし、ツーロンの拘束期間が非常に長いんですけど、とにかく、とにかく、
これ以上負傷者が増えませんように…みんな無事でいて下さい。

サポマガで遼一さんがチーム選択についておのれの選択に自信を持っているような話がありましたけど、
青木さんは違うんでしょうね…はぁ…ごめんなさい…私が謝っても仕方ないんですが…。


 2001年05月14日(月)   わらにもすがりたい。 

身体の中に鉛が入っているという確信を深めてます…心にも?

昨日はポンペイくんのリクエストで、退勤後、ジュビロのサポーターマガジンを求めて栄の丸善まで出向きました。
名古屋ではここでしかゲットできないので…そうですよ、前田遼一さん。写真、かなり素敵でしたね。
着ているのはジュビログッズの水色シャツなんですけど。ポンちゃんメロメロ(笑)
しかも記事がまた綺麗に作ってあって(爆) ボールと戯れる無邪気な少年の、未来を見据える大人びた眼差し。
aiの撮影よりもいい顔をしているような気がするのは、“ナイスパートナー”というか
“自身の一部”とも呼ぶべきもの=ボールと一緒にいるからなんでしょうか。

現ユース代表(U-20)を最初に見たのは、U-18の秋合宿最終日のテストマッチ・柏サテライト戦。
当時、司令塔として―羽田“くん”離脱中で腕章も巻いていた―君臨していた前田“くん”の
長身に似合わぬ高い技術は非常に印象深く、一目惚れした身内も複数出現するほどでした。
華麗なる巧さとは裏腹の、度の過ぎた謙虚さは…きっと彼を突き落とし、彼を引きずり上げたのでしょう。
東海チャンピオンシップでの、一瞬にも近い二列目でのプレー、忘れられません。
その内なる輝きが、一番垣間見えるであろう“位置”…ユース代表の常套手段とは違うもの。

だけど…丸善を出た後は地獄でした。街が…人のあふれる空間、そこへ溶け込めない自分、ものすごく苦痛で。
叫んだり、泣き崩れたり、逃げ出したり、とにかく拒絶反応を示したくて仕方ないのです。
どこかドラマ「ピュアソウル」の主人公にも似たリアクション。ちょっと事情は違うけれど…。

あたしにはパニックに陥った時、電話する相手がいない。

アルゼンチン…遠い…遠すぎ…というかツアー参加へかなり気分傾き気味。
スペイン語がまるで分からないというのがネック。いや香港だって自分じゃ何もできなかったのに!
OPENの航空券とって、ロサリオの宿探して、サルタ行く足も用意して…全部自分でやるかと思うと…。

あと、本当こんなこと書くの嫌なんですけど…あの〜、私、これでも羽田ファンなんで、
彼に関する話題を振る時は、少し気を遣ってもらえると嬉しいんですが。いや、耐性下がりまくってるんで。
『Yeah!』を買った日に、これの話題はうちのサイトでは禁止、と書こうか迷ったんですよ、本当。
出勤前に目を通して、思わず棚へ雑誌を叩きつけてしまった(お店の人ごめんなさい…)理由とか
ちょっとは考えてもらえたら…いや、自分は他人への気遣いなんてまるでできない状態にあって、
こういうの書くのは反則というか贅沢の極みなのは百も承知なんですが、昨夜は本気で切れそうになったので。
U-20とかアントラーズの話ならいいんですけど…直接絡む話はまだダメらしくて…。

本当に自分が何をしているか分からなくて、こんな状態なら誰にも会わない方が人を傷つけなくていいといわれて、
でもそんなんでいいのかとも思って、完全に混乱、錯乱中。どうしていいのか分かりません。
はぁ………誰に助けを求めたらいいのかねぇ………。

信じられる人が欲しい。


 2001年05月13日(日)   壊れかけのRadio 

AFC AWARDSの遼一さんがかっこよくてポンちゃんご機嫌です♪

電車の中で、スクランブル交差点の真ん中で、点在する…呼吸する“赤の他人”の群れに
恐怖を煽られ、しゃがみ込んで絶叫したくなるのを必死に抑える毎日です。
孤独よりも恐ろしい孤立。どうしてこの世に生きる自分以外の人は、そんな空間にあって違和感も覚えず、
“普通”に暮らしていられるのだろう、もうそう感じるようになって半年が過ぎようとしています。

自分がいること、存在自体への疑念。無意味であると認められない、認めたくない意地。
おのれを解き放つべく選んだ“思考放棄”が、結果的に刹那の感情で揺さぶられる弱き心を生み、
数少ない理解者すら遠ざけていく…そして自分はやはりlonelyなのだと悟らざるを得なくなるのです。

アジアユースが終わって、目指すものを設定して―紆余曲折もありながら、ここまで来ました。
振り返ったら、間違った生き方だったかもしれない、いや、そうに違いない、
言うなれば、“自分の人生”を見捨てて、寄生虫のように送ってきた半年間。
私より一回りいや二回りは若い“宿主”たちは、この半年でまた一段と成長しました。
…じゃあ、私は?

最近、家を空ける時は目的を告げず行き先(例:御殿場・香港・福島etc.)しか言わないのですが、
今回の御殿場行きの“目的”も母上様には見抜かれてました。
「サッカーの…若い子たちの代表、見に行ったんでしょう?」
ニュースステーションのU-20合宿映像、背景に映っていたのを娘たちだと察知したらしいです(苦笑)
もう娘はサッカー関連でないと外泊なんてしないと思っている様子…。
母には嘘をついているんですけどね―楽しかった、くつろげた、と。それは鵜呑みにしてます。

御殿場は、楽しかった、それは偽りじゃない、だけど、辛かった、心に大きな穴が空いてて。

フラット9分の4と、U-20しりとりなんて他愛もない遊びをしたんですよ。
いまだに「あおきたけし」と「うえのひであき」を思い出せなかった自分への嫌悪は消せないのですが、
(「あべゆうき」は余裕で思いつかなかったですな…あ、あと「せいのともあき」もだっけ?!)
結構いい歳したお姉さん―この表現が当てはまらない方ごめんなさい―が、
そういう他愛もないことに盛り上がったりできるのって、なんかいいな、って思いました。

ふと思い付きで、現ユース代表のベスト/ワーストゲームを聞いたら、みんな答えがバラバラだったんです。
合宿に行っても声をかける選手はもちろん違う、その目的も異なる、そんな5人が、U-20という共通点で“遊ぶ”、
そういう時間を持てるようになった…現U-20への思い入れを持てるようになった、それが単純に嬉しかったんです。

好きでいること、好きでいられること、当たり前のようですが、
実はすごいんだって、最近の鹿島見てるとつくづく感じて…(苦笑)

新カシマスタジアムのこけら落とし、25番が…たっくんが…“めさいあ”が、
ピッチに舞い降りる夢を、どうしても見てしまいます。それがファンタジーなのは…幻想なのは百も承知で。
時間と空間を捻じ曲げる者の訪れを祈って―今の彼にそんな力があるのかは知りませんが。
理想…空想と、現実…地獄の狭間に、堕ちる…甘い夢を見ながら…時折携帯の幻聴も聞こえつつ。

以下、備忘録(物忘れ激しいから最近欠かせないです(自爆))

---Best---
香港国際トーナメントvsブラジル(2001.2.23):負け試合だけど一番熱くなれ、一番彼らが素敵に見えたゲーム。
親善試合vs韓国(2000.9.4):ご好意で見せていただいたビデオにおさめられた西野さんの勇姿は忘れません。
SBSカップvsユトレヒト(2000.8.11):伝説の始まり、または霞みをつかまされた日。浜松の時間は歪んでました。
SBSカップ(1999):チーム初タイトル。この頃羽田キャプテンは黄色い腕章をしてました。

---Worst---
ジャパンユースカップvsチリ(2001.3.23):自分が悪く感じないのは間違いなく田原ファンだから。
ジャパンユースカップvsイタリア(2000.1.22):客観的に見たらワーストはスコア的にもこれかな?
練習試合vsソニー仙台(2000.10.31):公式戦ではないけど思い出したくもない最悪の試合。私的に。

それにしても…羽田ユニはどこへ消えてしまったんだろう…まだKAMOから連絡が来ない(><)

チャットで古賀誠史さんも幻と言われてしまいました。切ない…。
でも、地上波しか見られない環境にある今、チャットで中継してもらったり、
敗北者同士が傷をなめあう(…)のは、大事な時間なんです、それなりに。
サッカーを好きになってよかったと思うのは、それを通して出会ったさまざまな人たちの
異なる考え方に触れられるのが大きいです。それで傷ついたりへこむ時も少なくないですけど。

さまよっているのは、肉体ではなく、精神なのですよ…刺激と安住の地、おそらく矛盾する二兎を求めて。
何もかも包み込んでくれるゲルが、愛が、欲しい、それはまだインターネット上にあるのかしら?


 2001年05月12日(土)   地上の楽園 

もういやぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!


 2001年05月11日(金)   天秤 

善悪―私と大切な人にとってプラスになるかマイナスになるかの判断。
大切な人を傷つけてしまったなら謝るし、そうでないなら決して罪悪感など覚えません。
…相手によるのですよ(イコール行為にはよらない(!))

今回は、羽田さんの離脱に対する私の基本的なスタンスの説明にしたいと思います。
これを表明しておかないと、この話題の扱いに身内の皆様が困るでしょうから(苦笑)
(というか、些細な表現で自分が不快感を覚えるのが嫌なだけ)

まずは大前提:私は羽田さんがワールドユースに出られると信じてます。

これは理屈じゃないので…ただ見たいんです。もう本人の意向すら超えてます。
1ヶ月で治って(実際歩くことすらままならない現状からは儚い望みですが)ぶっつけ本番エントリー。
これまで通り、本大会でも、腕章巻いて、3バックの真ん中に立って、見事なカバリング(情報処理業界風)を
披露してくれると、日本代表を引っ張ってくれると信じて(Believe)ます。

しかし、同時に、それは本来あってはならない事態だと私は考えています。
仮に治ったとしても、1ヶ月のブランクが小さいはずがありません。
代表チームの性質上、「病み上がりの羽田」より「元気なバックアッパー」が起用されるべきなのです。
病み上がりの羽田さんが必要とされるチームになってしまったとしたら、
それはU-20がもともと目指してきたチーム作りの方針(=あえて主軸を立てない)に反しています。

西村さんが羽田さんと心中しようという傾向は前々から強くあり、特に香港のアルゼンチン戦で
結果的に無茶をして帰国後別メニュー調整を余儀なくされてからは確信を深めています。
他のどの選手よりも厚い信頼を得ているのがファンとして嬉しい反面、だからこそ
万が一に対する備えはしておくべきだったわけで、これは西村監督の失態だと思っています。

御殿場合宿の報道(特に初日)でも、選手より監督が慌てているような印象があり、今後に不安を残しています。
雰囲気はアジアユース直前にも似たものがあるのですが、あの時それなりにチームをまとめた羽田さんが
離脱してしまった以上、イレブンの誰がチームを(たとえ暫定にしろ)まとめるかは気になるところです。
とりあえずは14日に発表されるというツーロン国際大会のメンバー22人待ちですね。

それに、治ったとしてもアルゼンチンまで30時間のフライトをエコノミーでさせるのは酷…・。
私が差額を払ってでもファーストクラスにしてあげたいですよ、もしそんな風になれば(でも無理そう)


 2001年05月10日(木)   あたしを悲しませるなんて 

まだデスクトップの壁紙は笑顔の羽田さんのまま…いつまで耐えられるか…。
KAMOからまだ出来上がったと連絡のない羽田ユニは、キャンセルしたい気分でもあります(泣)

当初(=先週時点)の希望に反し、U-20御殿場“ファイナル”合宿は精神修養大会になってしまいました。
体はマッサージチェアのお陰で多少は休まったものの、とうとう心は最初から最後まで張り詰めたままでした。
決してふさがらない穴をほぼ四六時中痛感させられ、ただ、その周りの部分だけは少し和まされて。
御殿場高原自体は、今までにないぐらい“いい”環境だったのですよ…見学者にとって。

今回最大の発見は、私の思考傾向が野沢“俺様”拓也さんに酷似しているということ(微苦笑)
ある自己中心的な発言―とてもここには載せられない―をきっかけに、
野沢さんのメンタリティの各種特色を思い出して検討してみたところ、悲しいぐらい、泣けるぐらい、
笑えるぐらい、激しく苛立つぐらい、ことごとく私と同じだったのです。びっくりしましたよ。
野沢さんを好きにはなれず、そのくせ、このLRでもさんざん語っているのは、
たっくん病患者だからというよりは、近親憎悪だからのようです。なんだよそれは…。

羽田さんに一目惚れした理由も、野沢さんに似ているという事実を受け入れられない訳も、
いわゆる自分探して見つからなかった…無意識的に見つけようとしなかった答え、
正視し難いシビアな“現実”が、ほぼ全て説明できてしまうという、恐るべき方程式。
他者とのコミュニケーションのやり方とか、無論、さすがに異なる部分もあるのですが。

アナタハドウナッタラ満足ナノ?―野沢さんへ投げかけたい最大の疑問を、同じようにぶつけられましたよ。
私には回答を用意できる能力がありません。痛感しました。判断力ゼロ。善悪の区別がつきませんし、
人から向けられた言葉を解釈する能力も低下していて、かみ砕いて解説してもらわないと分かりません。

私は何を考えているんだろう、私はどこへ行くんだろう、私は何をしているんだろう、何も分からないまま、
ただ混乱した頭…心を抱え、疲れた体をひきずり、人ごみに立ちつくす私。
コントロール不能で壊れっぷりを存分に発揮した私を許容して下さった皆様(特にロッジで同室だったSさん)には
深く深く感謝いたします。だって、もう何をしていたか思い出せないというか思い出しても何だったのか分からない…。

以下、合宿覚え書き(今回もソラミナへレポを上げる気はないです。まともな神経で見られなかったので)

■初日■
のんびりと出発したので、見学は裾野での午後練習から。風が冷たくて辛かったです…。
前日の試合で左足首を更に傷めたという田原さんがみんなと一緒にアップ(ボール回し)してて、
そこででんぐり返しをした時は「は…?!(@@)」だったんですけど、さすがに後は別メニューでした。
大嫌いなつまらないフィジカル系トレを独りでやらされていたのですが、妙に楽しそうでしたよ(^^;

クロスオーバー(途中からDF役追加)・二重の輪でのボール回し・オフェンスvsディフェンスという
(ディフェンス=3バック+ドイスボランチ)3つが行われたと記憶しているのですが、
最後のメニューで今回、私の懸念が外れた………事態が予想以上に悪化しているのを悟りました。

前夜遅く―いつも通り早く寝過ぎる私が“突発的大事故の結果”を知ったのは午前2時前―に負った
傷が癒えるはずもなく、どころか傷ついたという事実自体を受け入れる気持ちの整理すらできず、
“羽田さんのいない”合宿へ行くか行かないかという選択自体は迷わなかったのですが、
(もともと今回御殿場へ行きたがったのは、常時過緊張気味の心を解き放つ時間が欲しかったため。
迷っているぐらいなら来た方がいい、家にいても…と言われたからです)
その“苦行”の結果、どんな感情がもたらされるか、いろいろシミュレートしても確信が持てず、
とりあえず、これだろう、と覚悟を決めたのは………。

―キャプテン羽田が離脱しても合宿は粛々と進んでいく―


いないこと自体、もちろん悲しい…そして、いなくても合宿が正常に進行されていくのがもっと悲しい、
一選手のファンとしてしか許されないであろう感情に、きっと泣き崩れるだろう、とタオルハンカチまで用意したのに。

「ハネがいなくても、なんとかするのが代表」とは、那須さんの言葉。
だけど…贔屓目なのかもしれませんが、とてもどうにかなっているようには見えませんでした。
プレスでの扱いは小さいですが、今野さんも骨折で離脱。3バックのレギュラークラス2人がいなくなり、
守備の再構築を余儀なくされる中、西村監督が今まで準備を怠ってきた(としか私には見えない)
“センターCBのバックアップ”にトライした中澤さんや那須さんの気概は凄まじいものでした。
それを否定はしません。どころか、羽田ファンとして(これ間違っているのかな…)非常に頼もしく思います。
中澤さんの「自分が中心に」発言は、正直、涙が出そうなほど嬉しかったです。
でも、でも…あえて持ち味を削ぐ使い方をしなければならないのが…見ていて…勝手にですが…辛いのです。

「ディフェンスはまずパワー!」
監督の指導を聞いて、胸が裂けそうでした。この単語、久しぶりに聞きました。
前に聞いたのは、忘れもしない、代表チーム最悪の日…アジアユース直前合宿・ソニー仙台戦直後のシュート練習。
羽田さんに「やばいっしょ」とそっけなく言われ、勝手に世界進出を諦める覚悟を固めた夜。
裾野グラウンドの網へしがみつき、ボールを切なそうに眺めていたポンちゃん(左腕に黄色い腕章、
左腰へばんそうこうを装備中。皆様にかわいがっていただけてご機嫌です)も、心配そうでした。

#そうそう、この子の名前は「ハネケン」ではありませんので(笑)<ポンちゃん

練習後は、バスを横付けされてしまったので、多くの選手と接することはかなわず、
唯一声をかけたのは「ジュビロのFW」清野さんでした。前日の試合(高原さんの負傷で急遽出場)を見た
大多数のジュビラーが抱くであろう“素直な感想”をストレートに伝えてしまったのですが、
それは彼の心へトラウマを作るだけの結末に終わったようで…反省(苦笑)
本人いわく「もう少しアップできれば…あれがいっぱいいっぱいでした」

■二日目■
雨が降りしきる中での午前練習。スリッピーなピッチコンディションを生かそうという
小野さんの発言はさすがでしたけど、軽くスライディングの練習をするだけで
ヒヤヒヤの止まらない私たち…リーグで連戦があったGW明けだけあって、
試合に出ている選手の疲労は隠しようもないほど明らかなのです。
しかも、たちの悪いことに、全員がそういうわけでもなく、元気な選手は元気なのですよ…。
(前日、平島さんの負傷を目の前で見てしまっただけに、選手もファンも神経過敏)

選手を二組に分け、3-6-1のフォーメーションを組んでまずは動きの確認。
#全くメモを取ってないので、実に怪しいです。信用しないように…

《黄色・西村さんが指導》
----------前田----------
----飯尾-------大久保---
-山瀬--------------茂原-
-------青木---和幸------
---池田---中澤---茂庭---

《赤色・小野さんが指導》
----------清野----------
----寿人--------石川----
-浩司--------------俊太-
-------松下---中里------
---駒野---那須---八田---

赤が観客席の目の前でやっていたのですが、小野コーチの説明は相変らず分かりやすい!
(対して、西村さんの説明がどんな感じであったかは、あえてここでは触れません(微苦笑))
アタックの際、ボランチや両脇のCBも攻撃に参加するよう説いていらっしゃいました。

中里さん@湘南のボランチは、この代表では実に珍しい“新規招集”者で、
戦術になじむのも苦労していたようですが、それ以上に、
すっかり仲間になってしまったチームへ溶け込むのが大変そうで
(このチームは前代キャプテンみたいに気配りする人がほとんどいないため)見ていて心配でした。

この時点でギリギリの人数だったのに、両チームが対戦しての紅白戦途中で寿人さんが首筋を強打してリタイア。
はたから見たら「肩押さえてる…脱臼?!(T_T)」だったのですが、そこまで大事に至らず安心しました。
とにかくケガ人出るな、早く終われ、と練習の趣旨に全く反することばかり考えてました。

あと、この日はU-20の皆さんの優しさに甘え過ぎてしまったのを反省、猛省。
(判断力が欠落してるんからもっと慎重になりなさい>自分)
まさか青木さんへ生まれて初めてした質問が「アイスクリーム好きですか?」になるとは…遼一さんへ
最初にした「その袋の中身はなんですか?」の次ぐらいにひどいですな…。

そして、茂原さんの素敵な男前(notオトコマエ)っぷりに感動。本気で。感涙もの。
人の上に立つ、人に好かれる、人を率いるには多少なりとも特別な素養が必要なようです。

■最終日■

雨も上がりホッとしたのも束の間、今朝は遼一さんがいないと大騒ぎ。
ケガや病気でなく、AFCの表彰式へ出席のための早退と分かって本当に安堵しました。ええ。
リタイア者続出でフォーメーションも組めなくなったため、選手を三組に分けハーフコートでゲーム風練習。
サイドを攻め上がった後、マーカーを1対1で外す方法を西村さんは実演したりしてました。
次はバックラインから両サイドへ開き、コンビネーションで回してからシュートまで行く練習でした。
当初はペナルティエリア内にDF人形がいたのですが、あまりにフィニッシュが決まらないので撤去(呆)
ノーマークでも決まったゴールはそう多くなかったです。
(このフィールドvsキーパーズの勝負はGKサイドがかわいそうでしたな…)

最後は監督以下スタッフも参加のバー当てゲーム。何回かやって入れられない人は
ラストにシュートの雨あられ攻撃をマウス内で受けなければなりません。
合宿を通して、青木さんが見えない重しを背負っているようで(もちろん背負わせたのは所属チーム)
見てて辛かったです。疲れている選手は彼だけではもちろんないのですが、彼の場合は心にも…。

前日、ファンへ左足首の傷を見せてくれた(くるぶしが見えないぐらい腫れ上がっている!!)田原さん、
この日もケガ人なのか分からなくなりそうなおおらかな対応で、随分と心が洗われました。
本人無視して勝手に盛り上がってごめんなさいね…挨拶を欠かさない礼儀正しい人で、
プレゼントのみならず言葉にも素直に喜んでくれて(「田原さんが決めてマリノスが勝つんですよね!」は
社交辞令でなくて本音ですよ!アントラーズやジュビロが相手でなければね(笑))大好きなんですが、
ついにビックマウスっぷりも目の前で見せてくれました。髪型の話を振られたところ、
あの300分ごとにゴールしなければ坊主指令継続は「あいつ(=松沢先生!)が勝手に言ってるだけ」と放言。
でも、生で聞いても全く怒る気もせず許せてしまうのが田原さんのすごいところ。ほぇ〜。

あ、そうそう…「チャンピオンシップに出た2チームやばいですね」は鹿好きとしてかなり辛かったです(笑)
田原さんに言われたくないですよ(苦笑)きっとうちの方が鴎よりヤバヤバですが。

これがファイナルかぁ、という感傷に浸る気にもなりにくい3日間でしたが、
とにかくU-20はいい人ばかりで、このチームへ巡り会えたこと、ここまで感情移入できるようになったこと、
本当に嬉しく思いました。こうやって書いている今になって、やっとラストだと分かってくるんですよね…。

最後に………諦めるなんてもちろんできず、でも望みをつなぐのも酷なようで、
いまだに整理のつかない揺れる心のエナジーを発散(!)すべく、独りで千羽鶴を折り続けています。
まずは200羽分、と折り紙を買ってきたのですが…まだまだです。
きっと1000羽折れる前に羽田さんは復帰するでしょう(微苦笑)

羽田憲司のサッカー人生は、アルゼンチンの後も続いていくんだから…まだ、今のあたしには考え辛いけど。


 2001年05月07日(月)   左サイドバック 

アルゼンチン遠征の出入国が名古屋だったのは、ご褒美だと思ってました。

神様がご褒美ばっかりくれる方ではないのも、子供じゃないから知ってます。

2年前の深いトラウマゆえ、常に…ずっと危惧していたことが、現実になってしまいました。

これなら、国立行けばよかったと何度自分を責めたでしょう…それが意味をなさないと理解しながらも。

1ヶ月半。数字が微妙すぎて、かえってそこに泣きたくなりますが、西村監督は無茶を………。

合宿や本大会を見たい気持ちは変わらないけれど、穴を空けたままの私が見に行くのは

それを埋めるべく(失礼な表現ですが、あえて)頑張っているみんなに対して失礼なのかな、と

自問自答する夜です。思い出さずにいる自信は、とても持てないから。

だって、一番辛いのは本人だもんね……………。

ずっと祈ってきたのに。「今日の一言」だって、本当はそのための願掛けだったのに(苦笑)

だから、今は、彼の心が揺れないのを願うだけ。


 2001年05月06日(日)   FIFTY/FIFTY 

http://www.asahi.com/national/update/0505/008.html
この記事を、私は仕事場で携帯通して見たんですけど―私にとっての一番楽しい時、ホッとする時はいつか、
真剣に考えてしまいました。そして、答えが見つからないのに愕然とさせられました。

強いて言えば…楽しいのは、U-20と接している時(メディアを通して間接的に、というのを含む)かな?
ホッとするのは…いつだろう? 本当に見つからないんですけど。(ノーマル)メールが来た時ぐらい?
寝る時イコール一日で最も苦痛な時間の私にとっては、オヤジな小学生は羨ましい限りです…。

常に緊張。寝る前/起きた後/出勤/退勤/選手と会う直前は過緊張。張り詰めて。

切れて崩壊しそうになる(既にしかけているくさい)自分の意識を、ゴールデンウィーク明けに設定した
連休へ向けようと必死になってます。写真を焼き増したり、買い物したりして。
一時的な逃避という対症療法(今している仕事もその一環、サッカー見るのも…)に
限界を感じているのは確かなんですが、だけど残念ながら私にうてる処置はそのくらい。
社会から一旦リタイアして、根本的に向き合って治癒せねば、とも思うのですけれど…近頃、強く。
ただ、そんな時にも経済的な事情を意識せねばならぬのが、とにかく辛いです。
カウンセリングだって無料じゃない…壊れた心を一人で抱えて歩くのはもう無理なんですが…。

年金生活者へなる日のカウントダウンがかなり進んでいる親にすがっては生きていけないんです。

アルゼンチン。いつからこの言葉は鎖になったのでしょう。
独りで行動できる力(主にメンタル)をつけなくては、と強く思うのです。
「30時間飛行機に乗って狂い死になんて本望」この言葉は確かなのか、と真摯に自問自答するのです。

7日から3日間、富士山麓のロッジへ療養に行ってきます。そう、療養。本気で(←読み方:マジで)
実際にヒーリング効果があるかは謎ですが、鹿島の試合のように私を毒したりはしないでしょう(自嘲)
願わくば、旅先でまで緊張を余儀なくされることのないように…。

………どうしても鹿島の負けなんてマークできないよ………。

今日の一言:「左サイドは………」


 2001年05月05日(土)   アザレア 

METAタグってHEADタグに挟まなくても有効なんですか?(無知)

壁紙替えました。シンボルフラワー(笑)
人にメールで振られるまで、すっかり忘れてましたが…。
きれいな花が咲くといいな―昨年夏頃の気持ちを思い出しました(^^)
自分の中では、青こそがベストカラーだったりします。いや、本当に。
実際は青いチューリップなんてなくて、チューリップで「青」といえば青みがかった
私にはさほどきれいとも見えないピンク系をさします。ちょうど血色の悪い顔のような感じ(苦笑)

むかしむかし、ある国に一人の少女がおりました。三人の男が彼女にプロポーズしました。
この国の容姿端麗なプリンスは、「君と国を治めたい」と王冠を贈りました。
大柄な身体が自慢の騎士は、「あなたを守る」と剣を捧げました。
裕福な家庭で育った大商人の息子は、「俺と一緒なら困らない」と黄金を用意しました。
少女は一人だけを選べずに、悩み悲しみました。
そして花の神に頼んでチューリップに姿を変え、彼らと永遠の愛を誓ったのです。
花が王冠、葉が剣、球根が黄金を象徴していると言われています。

某所でゲットしたチューリップのパンフより。チューリップの花言葉は「博愛」だとか(微笑)
ついでに書いてしまうと(殴)野沢さんはつつじです。ただし赤限定。彼の心のように赤く燃える花のみ。
(彼が愛するチームカラーと同じように、でも可。ただし鹿島の赤はバラ―といえば宮原さん?―の赤)
今、笠間のつつじはとてもきれいなはずですから。というわけです、いかがでしょう?(私信)

昨日は、今の仕事を始めてから一番収穫(?)のあった日でした。
ある部屋にはセレッソの応援に来た二人組が宿泊したらしく、半券・マッチデー・PIXYカードの
(現在グランパスのホームゲームでは試合ごとに違うPIXYのカードを抽選券兼で配布中)
3点セットがきれいに捨ててあったので、ちゃっかりもらってきてしまいました。

部屋のくずかごにゲストは当然のごとく分別も何も考えずにゴミを捨て、
それを手で分別するのもメイドの仕事なのですが、燃える/燃えないゴミをいつも通り廊下で分けていると
そこにあった部屋のドアが続々と開いて、無邪気に言葉をかわす、実に楽しそうな一団が形成されました。
最後に現れた人は、部屋のドア下へ差し込まれた朝刊を出てくる時にようやく拾い上げ、
四つ折り状態のまま両手で持って歩いていきました。そんな彼に「遅いよ」という声が飛んだような。
カートバックを引きずりながら、彼らはエレベーターホールへと消えていきました。

一昨日の午後、いきなり上役から何部屋か指定がかかり、特に念を入れて掃除すること、と言われたんです。
この場合、そこにはVIP(大企業の社長や芸能人など)が来ます。
ただ、階数によって料金が違ううちのホテルで、20階代にVIPが来るなんてことはまずなく、
何かと思ったのですよ…40階代でVIP部屋を作っていた頃ほど丁寧にはやらなかったですし(苦笑)

チーフが「今の分かった?」と言ってきたのですが、顔を凝視したわけでもなく、
ただいくつかの部屋(全部デラックスツインルーム)のうち4つには加湿器を入れていたので
4人組のバンドだろうな、としか分からなかったのです。
で、もう次の予約があるから、と4つのうちのある部屋に入ったところ、VIP用の赤ワインが
ワイングラスへわずかに残されていたそこに、部屋割り表が放置してあったのです。
TERU、TAKURO、HISASHI、JIRO…っておいおい待った! それって私でも分かる名前!!

というわけで、ちょっとしたパニックですよ(笑) そこはTERUの部屋でした。
そして昨日私が作ったのはJIROの部屋。他の3人はワインには全く手をつけてませんでした。
(TAKUROの部屋にはラガーのつぶれた空缶がありましたけど)
使用済のレザーなどはいつもなんでも捨ててしまうんですが、少しためらってみたり(苦笑)<でも捨てましたよ

本当に驚きました。メディアで受ける印象はメイクと衣装がかなり影響を与えているんだな、と思って。
全然分からなかったんです。普通というか、ピュアというか、かっこつけてないというか。
4つ上のパラグラフ「最後に…」はHISASHIのはずです。後ろ姿しか見てないんですけど(^^;
声をかけてたのが、多分JIRO。特にファンでもなくて良かったです(苦笑)
ファンだったら、そんな仕事姿見られたら身投げでもしたくなります。

もし、出てきたのが代表スーツを着た羽田さんだったり、パーカーまとった本山さんだったら、と
想像すると…血の気がひきますもの。本当、アントラーズも代表もうちでなくて良かったです(笑)

カウンセリングの広告が気になってクリックして、どうしてもメールや電話では無理だと感じた反面、
(もともと自己表現が不得手な上に、心を開くのをとかく拒むタイプなので)
やはりじっくりと腰を据えて自分と向き合う必要があるな、とも感じました。
簡単なチェックリストへあまりにひっかかかり過ぎ(苦笑)
今は対症療法からも金銭面を口実に逃げてますし…これでは解決はなく苦しくなるばかり…。

苦しくて辛いくせに、なかなかそれを他者へ開示できないのが私の弱点です、昔から。
今は「言うべきか言わないべきかを決めるのが“考える”こと」ならば
(帰りの電車でテスト用にか哲学の講義ノートをずっと眺めている人がいて、
のぞき込ませてもらってたんですが、もうそういう話題―前は結構好きだった―に
ついていけない自分をはっきりと悟って、愕然とさせられました)
考えることなんてできなくて、それ以前に何か言うことすらままならなくて、もがいてます。
「助けて!!」と絶叫したら、この声はどこかへ届くのでしょうか? 叫び方次第?
#Kさん・Sさん・Hさん、いつもお気遣いありがとうございます。
#甘えたがりのダメ人間度がアップしそうで、すがりたいくせに強がってますよ私は…。

どうでもいいことですが、私にとってHi-STANDARDといえば「弟がやたらCD持っているアーティスト」です(笑)

今日の一言:「エスパルス戦すごいチケット残ってるらしいです…」


 2001年05月04日(金)   cannot 

あまりに四六時中ストレスで胃が痛むから、小笠原さんみたく潰瘍になるのではと懸念する今日この頃。
痛みに耐えかねて目が覚めるなんて最悪すぎる…そして、それが同日の23時であることに愕然(号泣)

世間はゴールデンウィーク真っ最中、仕事帰りに人ごみを見て「うげっ」と拒絶反応を示す私ですが、
私の休暇はカレンダー上の連休が終わった後。それもシフト申請で無理やり設定したもの。
今はこれだけが楽しみです。それしか考えない…それまでの4日間(あと3日か、仕事きついらしい)と
それ以降のことは無視してます。無視するように努力してます(苦笑)6月への資金繰りは少し気がかりですが。

きっと他人を傷つけて生きてるんだろうけど、周囲を気遣える余裕なんてもうどこにも…(最悪)

自分にないものを持つ人へ憧れて生きてきたから―私が置かれている環境とは比較にならないぐらい
過酷なプロの世界で、強い向上心を保って頑張り続けるJリーガーが好きなんです。
自分の未来を見据えた中澤さん、謙虚な向上心を(そこで上を向ける人はマイナス思考とは言わないよ、ケニーくん!)秘めた青木さん、
羨ましい限りの前向きな人生を送っている田原さん、そして内なるキャプテンシーでチームを引っ張る羽田さん。
会えるのを楽しみにしています(^^) 今の私を…闇へ沈み切った私を一番引き揚げてくれるものがU-20なのは、
某掲示板でサッカーaiに中澤さんの記事が載ると知った時のリアクションで明らかだから。

それにしても…鹿島…DFラインに何が必要なのかボランチ出身者には分からないのか…。

短い文章をタイプしているだけでも集中力が続かなくて…これも何度書き直したか分かりません。
自分でもビックリするぐらい、すぐキレてしまいます。そうして生産した毒で自分と他人を傷つける…。
形を与えて吐き出せない屈折した感情が内部に蓄積し、余計沈み込んでしまうのです。辛い…。
文章が書けなくなっている自分が、本当、一番嫌なんです。昔できたはずのことができないなんて。

今日の一言:「ああいう試合をベンチで見てるのは、それはそれで………」


 2001年05月03日(木)   ゴクラクハ。 

人の上に君臨する者は、やはりその表情で既に相手を圧倒してなければならぬと思うのですよ>Sさん

昨日はRさんHさんとトヨスポ行ってきました。いや、ポンちゃんが「竜太に会いたい!」とうるさくて(笑)
冷たい雨の降る中をずっと待って、ポンちゃんはしっかり原竜太さんとのツーショットをゲットしました(爆)
竜太さんの指先を離れたポンちゃんの体へ残されたぬくもり(…)に興奮してしまった私は、最低最悪の人間。
ヒトは、自分では自身が発熱していることに気づけないのですよ。ポンちゃんは幸せな子です。
それに比べて、私は宮原さんへ声をかける気(勇気、のみならず)も起きない、ひどい奴で。

最近、ヒガシ(やっぱり76回より77回が好き)のビデオを見て考えてしまうこと:

76回選手権=雪の決勝を見に行くと言った人をチャットで物好きだと笑う(…)

本山雅志に一目惚れ

77回選手権=本山の後輩・宮原裕司を応援に行く

山形恭平に一目惚れ

78回選手権=山形を泣かせた羽田憲司を憎んで途中で見るのを止める

羽田に一目惚れ(…)

79回選手権=羽田の後輩・中澤聡太の応援に行く

この調子だと「羽田の後輩に一目惚れ」→「80回選手権=市船の応援へ行く」
→「鹿島へ入ったライバル校の選手に一目惚れ」→「81回選手権=ライバル校の応援へ行く」となりそうですが(笑)
それが前育なのか国見なのか四中工なのかは、よく分からないですけど…。

今日の一言:「家に近い所での試合って、気合い入りますよ」


 2001年05月02日(水)   名駅の焼肉屋さん 

…こっちの方が知りたいですよ(苦笑)
私たちだって、18時半過ぎまで喫茶店に居座ってましたけど。
ランチだけでJリーグ行けそうな店なんか、一生用なし確実。

名駅も広いから…広くなったから…さまよい歩いて…うちの職場にも鉄板焼あるけど…。
でも、そんな像は今日からのあたしを少し助けてくれるかも、と思ってしまったり。

14Fに職場の入口があって、11Fの本屋へエスカレーターで降りるんですが、
11Fへ降り立った瞬間に鬱入るよう習慣づけられている自分が嫌。昨日、それを知って愕然としました。
帰宅後、夕食を摂ってすぐ寝てしまい、夜中に起きるのも定着した感あり。最悪。

とにかく自分が嫌い―変えたいという願望はあっても、努力しようという意思はなし。
もはや生活に不可欠とおぼしき睡眠・食事・入浴などもおろそかにしている有り様。
積極的・自発的にアクションを起こせなくなりました。何もかも惰性で。仕事やらレスやら。
職場での作業スピードはここ数日劇的に落ちてます。自分でも分かるような分からないような。

ずっと混乱したまま、光は見えず、手探りすべく腕を伸ばそうという気すら起きず。
ただ闇に包まれた恐怖や不安で座り込みそうになっている自分。その前に倒れてしまうかも。

言葉…唯一の表現道具として磨いてきたつもりのツール…使えなくて…後は何もないのに。

今日の一言:「何かが無性に食べたくなる時ってありませんか?」


 2001年05月01日(火)   KANEKO→HANEDA 

毎日すごく苦しい…辛い…。

何してるんだろう、何したいんだろう、何すべきなんだろう―近頃の私を朝から晩まで縛りつける三つの鎖。
そんなものは、モラトリアムのうちに…大学の間に見つけなければいけなかったのに。

15,855円―“自分へスライディングタックルをかける”ために費やした金額(カード一括払い)。
日頃の私を悩ます不安とは全く違う毛色をした“ためらい”が、
EQUIPMENT左腕の日の丸(EQUIPMENTでは標準装備)なんて腕章で隠れると言ったけれど…。
【お預かり表/日本代表ナンバー/No.5/HANEDA/ゲームシャツおあずかり】
1枚の薄っぺらい紙が蒼い戦闘服へと姿を変えるのは、ゴールデンウィーク明け。
これを着られる場所は限られているから、そこへ行くのです。

これからの目標は「人らしい暮らしをすること」。

今日の一言:「負けてなんかいられませんから!!」


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