J (ジェイ)  (恋愛物語)

     Jean-Jacques Azur   
   2004年04月28日(水)    開いたドアの向こうからレイの泣き声が聞こえて。

6. 個人的な話 (15)


車を止めるいなや、
レイと弟はすぐに入り口へ向かう。

しかし夜10時になろうとしていました。
病院の正門は閉まっており、
ふたりは駆け回って裏口を探して。
中に飛び込む。

私はいったん駐車場に車を止めて。


止めて、どうするんだ。
身内でもないのに。

だが、このまま帰るわけにもいかないだろう。


私は少しゆっくりめに病院に入り、レイのお母さんの病室を探す。


あった。
もう既にレイと弟は病室に入ったようだ。

さて、私はどうしたものか。

と考えるまもなく、たぶん、レイの父親か、男が出てきて。
開いたドアの向こうからレイの泣き声が聞こえて。

「すみません、もしや、レイちゃんのお父さん、ですね。
 えっと、レイちゃんの会社のもので、ここまで送ってきた者です。
 レイちゃんのお母さん、大丈夫ですか、?」

男は私の方を向き、少し頭を下げてから、
深い悲しみに包まれた表情をし、「たった今、」と言って、首を横に振りました。


ああ!
何ということだ!


レイの父は身内に連絡しなくてはと、急ぎ足で公衆電話に向かう。
私はその場に取り残されて。
呆然と立ち竦む。

だが、このままここにいるのも邪魔になろう。
レイに一声かけてここを去らないと。

しかし、どう言う。
何を話してやったらいい。

この哀しみの時に。


+++

誠に勝手ながら5月5日まで休筆いたします。
よろしくお願いいたします。


   2004年04月26日(月)    もしや脳の病気か。

6. 個人的な話 (14)


「病院は。どこ?」
私は車を走らせてすぐに聞く。
「街道に出て、それから、えっと。」とレイの弟が答える。

それじゃ、分かんないよ。

「街道だね、分かった、まず街道に出よう、で、何という病院?」
「○×病院です、」
「レイちゃん、知ってるか。」
「はい、」
「じゃ、指示してね。」

車は街道に出て、レイの指示で右に曲がり、真っ直ぐ。
自然にスピードを上げる私。
かなり乱暴な運転だが、こういう事態だ、仕方ない。

その間、レイは弟に母の病状、事の次第を聞いている。

レイのお母さんは急に気分が悪くなって座り込んだ。
意識が朦朧とした様子だった。
だが少し休むと回復したようだ。
しかし心配でもあるので自分で病院に行ったらしい。
病院では原因を調べることとなり検査入院を勧められた。
そして入院。
ところが夜になって急に意識不明に。

事のあらましはこんなようだった。


もしや脳の病気か。

私はそう思いました。
が、部外者の私がいい加減なことを言うのは差し控えて、
私は黙って運転しているにしていました。

弟の話を聞いてレイの表情は曇りました。

レイもまた、もしや、と考えていたのでしょう。


3人とも無言になり、やがて車は病院に着きました。


   2004年04月24日(土)    お姉ちゃん、、お母さんが、大変なんだ、

6. 個人的な話 (13)


「じゃね、僕は行くから。」
「ありがとうございました。」
「明日朝、連絡忘れないように、ね。」

「はい。あ、工藤さん、待って。今、ジュースか何か持ってきます。」
「いいよ。気など使わないで。早く家の人にお母さんのこと聞きな。」

車の窓越しに話すレイと私でした。

と、その時レイの家から人影が。

「お姉ちゃん!」
「あら、真人(まさと)、ただいま。」
と言ってレイは私に向き、「弟です、」と小声で話す。

「お姉ちゃん、、お母さんが、大変なんだ、
 ちょうど今、お姉ちゃんとこ、オレ、連絡してたんだ、。」
「あら、大変って、」
「家に電話しても出ないし、、どうしようかって思ってたとこなんだぞ、
 まあいい、早く病院に行こう、大変なんだ、ともかく、急がなくちゃ、」

「何よ。どうしたのよ。」
「お母さん、急に意識不明になったらしいんだよ、」
「え!、、何が、どうして!」
「僕も分かんないよ、さっき病院から連絡あったんだ。
 お父さんだけ先に飛び出して行ったけど、僕はお姉ちゃんに連絡しとけって。」
「おじいちゃん達は?」
「家にいるよ、おろおろしてる、」

これは。
一刻も早く病院に行ったほうがいい。
私はすぐにそう思いました。

「レイちゃん。送るよ。」
「はい、」
「君、えっと、弟くん、乗りなさい、僕が送る、」

レイの弟は一瞬私を誰?という目で見ました。
が、一刻を争う今、誰でもいいと思い直したか、
すっと後部座席に乗りました。


   2004年04月23日(金)    君んとこ、農家だっけ?

6. 個人的な話 (12)


田んぼがひろがって暗い道。
対向車もほとんどなくて。

「けっこう田舎なんだ、レイちゃんちって、」
「あーん、だからいやだったんだなー、工藤さんに送ってもらうのぉ、」
「あ、いや、自然がいっぱいあっていいじゃないか、」
「うーん、田んぼしかないのよ、あと、少し先に海、」

そう言えば遥か向こうに防砂林が見える。

「学校行くの、大変だっただろね。」
「自転車で行ってた。」
「自転車、か、どれくらいかかったの、○×高校だったよね、」
「40分くらい、かナ?」
「雨の日は?」
「雨の日もカッパ着て。」
「ふーん、レイちゃんがね、、」

そういって私はレイをまじまじと見ました。
そして一番最初に顔を合わせた面接の時のレイを思い出しました。(参照こちら

今のように髪を染めていない、艶やかな黒髪のレイ。
最近の子には珍しくキャピキャピしたところがなく、
落ち着いていて芯が通っているように感じられた。

あれからずいぶん月日がたったものだ。

あれから始まって。
ずいぶんと変わったものだ、何もかも。


しばらくして。
「あ、そこのタバコ屋さん、そこ曲がってください。」とレイが言う。

「もう近いんだね。」
「はい、あの向こうの家。」

その方角には田んぼの向こうに数軒民家が立ち並んでいました。
みな古い農家の家でした。


「君んとこ、農家だっけ?」
「父は勤めてます、おじいちゃんたちが少しやってますけど。」

と話すうちにレイの家の前に着く。


レイのうちは、、

しんとしていました。


   2004年04月22日(木)    これでいいんだ。

6. 個人的な話 (11)


明るい気分で車を走らせて。

ん、これはドライブ気分だな。
夜の高速、レイと一緒に海までドライブ。
フンフンフン。

待て。
違う違う。
レイのお母さんが入院したんだ。
何を不謹慎な。

でも、ちょっとウキウキしてしまっている私でした。


「明日のことは気にしないでいいからな。」
「そうそう、大丈夫なんですか?急に休んで。」
「心配するな、俺がきちんとやっておくよ。で、状況を連絡してね、朝一番でさ。」
「はい、すみません。」

「お母さんも、きっと大丈夫さ。」
「そうですよね、大丈夫ですよねっ。」
「大丈夫さ。君は顔を見せて元気つけてやればいい。」
「はい、そうします。ありがとう、工藤さん。」

、、なーに、いいってことよ。

私はまた、フンフンフン、という気分。


レイは私を信頼してくれている。
これでいいんだ。

私は私のできることを彼女にしてあげる。
これでいいんだ。

私とレイは決して恋愛関係にはならないで、
こうして付き合っていけばいいんだ。

これからの人生。ずっと、ずっと。



やがて。
車はレイの実家の最寄のインターを通り、一般国道へ。
この先の道は私には分からない。

レイに道を教えてもらいながら進む。
折れて折れて曲がり道。

結構遠いな。


   2004年04月21日(水)    いいから車に乗れ。話は車の中で聞く。

6. 個人的な話 (10)


私は車のエンジンをかけレイを待つ。
時計を見ると7時半を過ぎていました。

(高速をぶっ飛ばせば2時間で着くな。)

少ししてレイが出てきて車の脇に立って言う。
「工藤さん、やっぱりいいです、」
「何で?」
「何でって、急に帰ったらびっくりするもん、」
私はレイの腕を掴み厳しく言う。
「いいから車に乗れ。話は車の中で聞く。」

きつい口調の私に圧倒されてレイは「はい、」と言い車に乗りました。

乗った途端、車を走らせる私。
行き先はレイのアパート。

「あ、駅じゃないんですか。」
「いや、君のアパートに行こう、電車に乗るより早い。」
「すみません。」

「でだ、そのあと君の実家まで送るよ。」
「ええっ!」
「電車に乗って行ったら夜中になってしまうだろ。バスだってないだろうし。
 タクシー拾うったって、時間も金ももったいない。だから送ってやる。」
「そんな、それじゃ、工藤さんが大変過ぎます。」
「いいから、オレの好きに任せて。他ならぬ君のことだ。気にするな。」


こんな時にこんな事ぐらいしかできんが。
こんな時ぐらいは俺にやらせてくれ。
俺のできることを。

私はそう思っていたのです。

・・

レイのアパートに着いて。
すぐにレイは着替えて準備をし。
再び車中のふたり。
車は高速に入り猛スピードで飛ばす。

「そう言えば、レイちゃん、用事って何だったの?大丈夫?」

あっけにとられた様なレイの表情。
そしてくすっと笑って少し張り詰めた糸が解けて。

「もー、いいです、」
「いいです、って、デートじゃなかったのか?」
「違いますって、今夜は好きなTVドラマがあったの。それだけです。」
「TVドラマ!?」
「そうです、ビデオ、セットしてきたから、もういいもん。」

レイはぷくっとした表情を見せました。
が、目は笑っていました。

私は。
私は正直とってもうれしかった。

デートじゃなかったんだ、というだけで。

単純な私でした。


   2004年04月20日(火)    じゃ、行こう、俺が駅まで送ってやる。(レイの家族)

6. 個人的な話 (9)


「やめとけって、。」
不服そうなレイの顔。何を急に、という声色で。

「いいかい。君はこれから実家に帰ったほうがいい。
 大したことがなくても入院は入院だ。」
「これから、!」
「そうだよ、こういう時はすぐに顔を見せてやるといい。
 たとえ大したことがなくても、病人はうれしいものだよ、。
 まして普段離れて暮らす娘が駆けつけた、それだけで元気が出る。」
「でも、この時間じゃ。それに明日も仕事ですし。」
「仕事はなんとかなる。心配するな。」

レイはどうしようかと考えていました。
私は考えている暇があったら次の行動をとるべきだ、
と思いすぐに席を立ちました。

「じゃ、行こう、俺が駅まで送ってやる。」

私は会社の車のキーを持ってレイに言う。

レイはどうしたものかという顔をしましたが、
私はそんなレイにお構いなしに、
「外で待っているから、すぐ準備してくるんだよ。」といい表に出ました。


、、実は私はレイを実家まで送ってやろう、そう決心していたのです。


・・

レイの実家は特急で1時間半くらいにありました。
ただし、最寄の駅からバスでまた30分くらいかかります。
田んぼの広がる海沿いの村でした。

家族は祖父母、両親、姉、弟。
レイは次女として育ったのです。

お姉さんは既に嫁いでおり、弟は当時まだ高校生でした。
レイの実家には姉以外の家族が同居しており、
その中心にいるレイの母が入院したということでした。


   2004年04月19日(月)    実は母が入院しました。

6. 個人的な話 (8)


「じゃあ、聞こうじゃないか、その君の個人的な話を。」

私はわざと堅苦しい調子で口を開きました。
落胆した様子を知られまいとしておう揚に。

興味もないが君の個人的な話とやらだ、
聞いてやる、とそんな態度で。

がレイは相変わらず硬い表情を崩さず、
話の内容をどう切り出したらいいのか、
頭の中で考えているようでした。


「何なのかな、彼氏とけんかでもしたの。」

と今度は私は少しおどけた調子で話しました。
けれど少しばかりイヤラシイ言い方でしたので、
言った途端私は自分を恥じたのですが。

(今夜用事があるんだろ、デートじゃないのか、早く話しなよ。)

言外にそういう意味が込められているようにも取れましたので。


しかしレイは、「そんなんじゃありません、」ときっぱり答えました。
そして沈痛な面持ちになって。

「実は、、、。」と話し始めたのです。


、、実は母が入院しました。
、、、入院!、どうしたの?
、、いえ、大した事はなさそうなんですけど、
、、、いつ連絡あったの?
、、さきほどお話するちょっと前にです、
、、、なんであの時すぐに言わなかったんだね、そんなに大事なこと。
、、だって工藤さんが、あとで、っていうから、

、、、ばかだなぁ、そういう話はすぐするもんだよ、
、、でも、大した事なさそうだし、
、、、誰から連絡があったの?
、、実家の父からです、
、、、ふうん、で?
、、いえ、それだけです、


それだけって言ったって。
お母さんが入院、ってことはそんなにのんびりした事じゃないだろ。

、、、病気かい、それとも事故?
、、病気のようですが詳しいことは分からないんです、父も突然電話してきて、
、、、、ううーん、心配かけないようにとの配慮かもな、
、、ええ、たぶん、父はそういう人ですから、
、、、それで、どうするの、
、、それで、どうしたらいいかな、って思って、相談したかったんです、工藤さんに、
、、、そうか、。


どうしたらいいかって。
あまりに情報が少な過ぎる。

ともかく。
実家に帰らせた方がよさそうだな。


「レイちゃん、今夜用事があるって言ったね、何だ?」
「え、ちょっと、」、レイは口篭もりました。

「今夜はやめとけ。」

私はそう言い放ちました。

ある決意を持って。


   2004年04月18日(日)    私は落胆した、のでした。

6. 個人的な話 (7)


私はそわそわしている自分に気付き、
煙草に火を点けてからレイに声を掛けました。

「レイちゃん、どう、そろそろ上がったら。」
「ええ、でも、もう少しなんです、」
「そっか、でももう遅い、明日にしたらいい。」

レイは時計を見て、「そうですね、」とぴたと作業を止めました。

「どうする、さっきの話、聞いちゃおうか、ここで。
 それともどこかで食事でもしながら聞こうか、。」
「いえ、今日は用事があるんです、ですから、ここで話してもいいですか?」
「ああ、いいよ、じゃ、そこで聞こうか、」

私は接客用の応接テーブルに灰皿を持って移動しました。
レイも後に続いて。

私たちは向い合わせになってソファに腰掛けました。
レイはどことなく硬い表情になって。
私は内心落胆して。


何故落胆したかと言えば、
私には少しばかり下心があったのだ。

夜になれば。
ふたりきりでまた酒でも飲んで。
先だっての話の続きでもできるじゃないか。
というような、下心。

だが、レイは用事があるという。

今夜はレイはデートなのだな。
私の知らない、私が触れることのできない、レイのプライベート。
そのことを瞬時に感じて。

私は落胆した、のでした。

しかし。
こうした私の心中の蠢きは、レイには知られていないのです。

まったく。


そうなのだ。

私がレイに今更ながら恋愛の情を持っていて、
それを鎮めるため忙しさに身を投じていたことも。
レイの個人的な話とやらを何か何かと気になっていることも。
こうして落胆したことも。

レイには一切分かる由もないこと。

彼女の目から見れば私はいつもの工藤純一。
忙しく働くレイの上司。
それ以外の何者でもない、ただの昔好意を寄せた男に過ぎない。

忙しい中で自分のために時間を割いてくれた私に、
感謝の思いこそ持つにせよ、
レイにはそれだけの印象しか私に持ち得なかった筈でした。


如何に私の心が揺らいでいようとも。


   2004年04月17日(土)    ふたりだけ。

6. 個人的な話 (6)


後でね、と言った手前、聞きたくなっても聞けない。
レイはもう仕事に戻って行ってしまった。
私の頭の中だけがくるくる回る。

なんなんだ、いったい。

あー、もう。
これじゃ仕事にならないじゃないか。

ほんのちょっとレイに心の扉を叩かれただけで、
こうも動揺する俺って、いったいなんだ。

なんだ、というより、これではだめじゃんか。

冷静に、努めて冷静になるんだ。
そして仕事のことを考えるんだ。
目の前にあるたくさんの業務をこなすんだ。

そう、電話をかけなくては。
博多の○×百貨店、と。


「工藤課長、お電話です、2番、」
「ん、どこから、」
「博多の○×からです、」

あいや、向こうからかかってきちゃったぜ。
ちっ、。

「はい、工藤です、あー、お世話になっております、・・・」




と忙しさにまた埋まって。
時間が経過し。

そして夜。

社員も三々五々に帰宅して、ひと気の少なくなったオフィス。
私とレイが残る。

ふたりだけ。


   2004年04月16日(金)    気を許せる仲。

6. 個人的な話 (5)


たとえそれが過去の出来事であっても、
私とレイはお互いに好意を寄せていたという事実をあの晩認め合った。
そのことにより、ふたりは上司と部下という関係を越えて、心と心を近づけ、
直接に心に入り込める通り道をお互いに許したのだと私は思います。

気を許せる仲。とでも言えばいいのかもしれない。
恋愛関係でもなく、友達でもなく、上司と部下という関係でもなく、
気を許せる関係、心許せる間柄、しかしそれ以上に確実なものはない関係。

ですから何も変わっていないようで、明らかに変わったこともあったわけです。


ですが。
何も変わっていないとも言えたのです。

レイと私は心の置き所が変わっただけで、何がどうなるということもなく、
上司と部下の関係のまま、同じように顔を合わせ、同じように仕事をし、
同じように話しをし、特別付き合い方が変わったことはまったくなかった。

ましてあの晩、出張の夜のレイと私との想い出話はあれっきりになって、
はたしてそれがどうだということもなく、私の目に映るレイは何も変わっておらず、
表面上は何も変わっていなかった。

ただ私の内面で、3年振りに火が噴くように心から出てきたレイへの恋愛の情を、
鎮めるため忙しさに身を投じていただけなのです。
そしてこれも私の内面のことでしたので、つまり表面上は私も何も変わっていなかった、
とレイの目には映っていたはずだからです。


・・

個人的な話。

レイの言う個人的な話とはなんだろう。
私はレイが離れてからずっと考えてしまうのでした。

あのしんとして何も語らない後姿はなんだ?

ああ、すぐに聞いておけばよかった。
先だっての晩の話の続きだろうか。
いや、そうであったら今頃急にそれも仕事中に話すことはないだろう。

レイの彼氏、の話?
もしや結婚?
まて、まさか?
いやいや、それこそ仕事中に話すことはない。

なんなんだ、いったい。


   2004年04月14日(水)    忙しい中、話とは?

6. 個人的な話 (4)


それはいつもと変わらぬ忙しい日の夕方のことでした。
レイが沈痛な表情をして少し話をしたいと言ってきたのは。
一見してただならぬ気配。
いつもと違うレイでした。

しかし私は咄嗟に何の話か思い浮かばなかった。
忙しい最中、話とは?
今すぐじゃないとだめなのか。
あとでゆっくり聞こうか。
とそのくらいの頭で「何だね、」と私は聞き返したのです。

レイは伏し目がちに「いえ、個人的な話なので、ここでは、」と言い、
押し黙って私に言葉を求めるのみでした。

私はと言えばレイへの恋愛の情を断ち切る努力をしてしる時。
あらゆる妄想を振り払い、努めて冷静さを保ち、
距離を置きながらレイと話すべく「後でね、」と答えたのです。

レイは「では、後で、お願いします。」と言って仕事に戻りました。

しんとして何も語らない後姿を私に残して。


・・

個人的な話。
それで思い出すことはただひとつ。
先だっての出張の夜の話でした。

私とレイはそれっきり、その話を終えていました。
顔を合わせても何事もなかったように、普段通りのふたりでした。


そうだな。
よく思い出してみれば。
変わらないようで変わったこともある。

レイは私を単なる上司としてだけで見ていない。

一時は触れ合った心と心。
そのことに確信を得た彼女は私に心許している。
だからあのように、話しがある、と直接に言えたのだ。

個人的な話を。


   2004年04月13日(火)    3年間で何もかも状況は変わったのに。

J (3.秘密の恋愛)

6. 個人的な話 (3)


その忙しさは私とレイに空白の時を与えました。
正直に言えば私は忙しさに逃げていたのですが。

レイはと言えば私とのあの話などまるでなかったかのように、
いつも通りに私と接し会話し仕事をこなしていました。


想い出。
そう、レイにとってはすべて想い出の話だった。
だから、ああいうふうにいつも通り変わらぬレイなのだ。

何度もあの出張の晩の話を反芻して出した私の結論はそれでした。

取り残されたのは私のレイへの想いだけでした。
3年振りに火が噴くように心から出てきたレイへの恋愛の情。
過去の遺物のようなこの感情を沈めるために、
私は空白の時を求め、忙しさに身を投じていたのです。


3年間で何もかも状況は変わったのに。
私のレイへの想いだけが取り残されたように此処にある。

誰に話すこともできないこの想い。
自ら断ち切るより私には仕方がありませんでした。



時の過ぎ行くままに任せて。


   2004年04月07日(水)    妻の友美さんは不平ひとつ漏らしませんでした。

J (3.秘密の恋愛)

6. 個人的な話 (2)


7月に入ると早々に百貨店は値引きセールを始めます。
私たちの持っている売り場は高級輸入品の部類を扱っているので、
そうした時期にも値引きはあまりしないのですが、
この時は商品が薄く古い在庫を店頭に並べていたこともあり、
百貨店のバイヤーと相談しセールをすることにしました。

次シーズンの商品の入荷は早くて7月下旬です。
売り場に穴を開けないがために苦心惨憺する日々となりました。

当時私は北は函館から南は北九州まで、
百貨店の売り場のほとんどを自分で見ていました。
とは言えまだ10店舗もなかったのですが。
それでも、慣れぬ業界で誰に教えてもらうこともなく、
自分ひとりで開拓し広げてきた販売先です。
なんとしても一生懸命にこと当たっていたのです。

出張先から会社に残るレイと連携しながら、
来る日も来る日も商品を入れ替え差し替えして、
朝から晩まで売り場に立って、とんぼ帰りしては商品を補充し、
あっと言う間に7月も半ば過ぎてゆきました。


忙しくて忙しくて。

出張の度ごとに数日家は空けますし、
出張でない日にも夜遅く帰り朝早く飛び出す。

そんな生活が続いていたのです。

無論休日返上でした。
誰に指図されてではなく、休んでいられなかった。

しかし妻の友美さんは不平ひとつ漏らしませんでした。
そんな私を妻として支える、それが彼女の幸せのようでした。
どんな時でも笑顔でくたびれた私を迎えてくれる友美さんでした。

私は後陣に憂いなく仕事に専念できていたのです。


   2004年04月06日(火)    6. 個人的な話

J (3.秘密の恋愛)

6. 個人的な話 (1)


私たちのセクションは大阪での成功もあって、
年間予算を3ヶ月ほどで達成するかの勢いでした。
おのずと社内では煌いている部署になって、
スタッフ一同活気に溢れていたものです。

しかし売れた反面、商品は底を付き、
輸入品のため追加発注もままならず、
何かと忙しい日々が続いていました。


私は営業の責任者として相変わらず飛び回っていました。

店頭の商品が品薄になっている関係上、
古い在庫や横流しして貰った商品を散らばせて、
なんとか7月のセールまで売り場を維持しようと、
売り場間を駈けずり回っていたのです。


レイもまた同様に売り場を飛び回っていました。

大阪出張後、成果は結果として会社に報告され、
その結果は誰もが彼女の力を認めざるを得ないものでした。

それを踏まえ私は彼女を総合職と同様に扱い、
そのことに対し誰も私を咎めることはできませんでした。


“6月のイベントを必ずや成功させてレイを認めさせる。”(参照こちら

それは実現したのだ。
誰に文句も言わせない。

既成事実を積み重ねて。
結果で判断してもらおう。

私は有無を言わさず実行に移したのでした。


そして。
7月になりました。


   2004年04月05日(月)    君はもう一人前だ。

J (3.秘密の恋愛)

5. 後悔 (10)


私はひとり新幹線の中考えている。

皆は草臥れ果てて眠っている。
ぐーすか煩いのは鏑木さんのイビキだ。

そうだね。
みんな頑張ってくれた。

ありがとう。

今回のイベントはみんなのおかげで成功したんだ。

鏑木さん、慣れぬ接客にお疲れさま。
宮川、安田、無理して頑張ってくれたな、ありがとう。

そして、。
そしてレイ。
君はもう一人前だ。
私がいなくても十分できるまでになったね。

君を3年でものにしてやる。(参照こちら
私と君との約束はこれで果せたようだよ。

あとは、。
あとは、君を総合職に導いて、君を本物にしてやりたい。

今の私の願いはそれだけだ。


・・

私はしんみりとした気分になりました。
ひとりウィスキーのボトルなど開けて、こくこく飲んでいたのでした。

「ああ、これでよし!」

小さな声ではあるけれど、きっぱりとそう言い切って。

私は目を閉じました。


(5. 後悔、の項 終わり)


   2004年04月04日(日)    どうにもならぬことに苦しむ苦しさ。

J (3.秘密の恋愛)

5. 後悔 (9)


そして。
私には妻がいる。子どももいるんだ。
愛する妻と子が。

私とレイはただの上司と部下。
それ以上も以下もないそれだけの関係なんだ。

今更過去のことをとやかく悩むのはナンセンスというものだ。


なのだが、、、。

ああ、やはり私の中ではレイへの想いが溢れている。
否定しようとすればするほど胸が苦しくなる。

レイには“彼”かいる。
そう思っただけで重苦しい気分になってしまう。


嫉妬。

まだ私にもこんな感情が残っていたのか。

レイの彼氏とはいったいどんな奴なんだろう。
これまで少しの興味もなかった筈なのに。
今は無性に知りたくてなっている。


く、苦しい。

どうにもならぬことに苦しむ苦しさ。
すべては自分に原因があって誰のせいでもない苦しみ。

この苦しみは誰にも話すことは出来ぬ。
心の奥底で苦しみ、耐え、消し去るよりないのだ。

何事もなかったように。

何も変わらぬように。


   2004年04月02日(金)    自分本位の誤った解釈をしてはならない。

J (3.秘密の恋愛)

5. 後悔 (8)


さて。
これからどうする。俺。

昨夜はそこで鏑木さんが加わって、
中途半端なまま話が途切れてしまっている。

レイも俺も、今日は何事もなかったように仕事をしたんだ。

レイは普段通りのレイ。
俺もいつもと変わらぬ俺。

昨夜の話は夢の中の出来事のように、
お互いに一切触れることも無く一日が終わったんだ。

何かしら声を掛けるべきか。
掛けるべきだろう。

だが何と言う。

詫びるか。
すまなかったと詫びるか。

いや、それは昨夜したじゃないか。(参照こちら
再びそんなことを言っても詮無いことよ。

話を蒸し返したところで何も始まらないのだ。


・・

しかし。
しかし待てよ。

すべては過去のことなんだ。

そうなんだよ。
レイの話はすべて過去形だったじゃないか。

「私、工藤さんが、好きでした。」…“でした。”なんだ。(参照こちら

今を言っているわけじゃない。
それを動揺しているのは俺だけじゃないのか。
レイはなんとも思っていないのかもしれぬ。

3年封印していたレイに対する恋愛の情。
昨夜解けたと思っているのは俺だけで、
ことレイは単に思い出話をしただけのことなんだ。


ふう。

自分本位の誤った解釈をしてはならない。

気を静めるんだ、工藤純一よ。


レイには恋人がいるんだ。


   2004年04月01日(木)    俺がすべて悪いんだ。

J (3.秘密の恋愛)

5. 後悔 (7)


、、、そう、俺がすべて悪いんだ。

表向きは物分りのいい上司。
しかし、実態は部下に恋情を持ってしまった不埒な男。

だがね。
この心情は致し方がなかったんだ。
婚約者がいようがいまいが、心の動きまではセーブできなかったんだ。
それほどレイは私にとって心奪う存在だったんだ。

この心情はいい。
いいというか、致し方ない。
しかし、それを行為に表したのがいけない。

ずっと心の内に留めて置けばよかったのだ。
そうすればこんなことにはならなかった筈だ。

だから、悪いのは俺。


・・

そうだったんだ。
俺は花火の夜に告白していたんだ。

記憶がなくなるほど酔っ払った挙句、身勝手な告白。

そしてそれを俺は忘れていたんだ!

なんという愚かしい奴!

生まれてきた順番とか、これから始まる運命とか、
屁理屈ばかり並べやがってよ。

結局。
「本当は君みたいな子と先に知り合いたかった、」、、、か、、、。(参照こちら


−ああ−

レイちゃん、本当にすまないことをしたね。
この3年間、僕はそんなことも知らずに、ただ、君を遠のけて、
自分ばかり恋愛の情を封印して耐えてきたと思っていたんだ。
君は何も知らないと思って。
愚かな奴だよね。

実際は君もまた、たくさんのことを封印して、
僕と付き合ってくれていたんだね。
まったく、俺って言う奴は、どうしようもない奴だね。

君に心から詫びたいよ。
すまぬ、レイちゃん。


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この物語はフィクションです。

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