J (ジェイ)  (恋愛物語)

     Jean-Jacques Azur   
   2003年07月31日(木)    友美さんは既に臨月を迎えていました。

J (2.結婚)

14. 生と死 (6)


「純一。そろそろ友美さんのほうにも連絡したほうがいいじゃないかね。」

母がひっそりと言いました。

友美さんと友美さんの実家には落ち着いてから連絡しよう。
そう決めて私は動いていたのです。

時計を見ればもう夜の9時を過ぎています。
礼を失うことなく連絡するにはギリギリの時間でした。



友美さんは既に臨月を迎えていました。
予定日まであと1週間、
もういつ産気づいてもおかしくない時期になっていました。

先週私は友美さんの実家に出向いて友美さんのご両親に父の様子を内々に伝え、
生まれるその時にはすぐに駆けつけますからと、
付き添っていてやれないことに理解を頂いていたのです。


、、、友美さんには父の病状は一切伏せていました。

余計な心配をかけるな、そういう父の希望もありましたので。

まさか。
父の死が先に訪れるなんて。
思ってもいなかったことでしたので。


私は電話の前に座る。

なんとも複雑な気持ちで溢れてしまう。

私は。

私は、幸せを迎える家族に悲しみの報を伝えることが辛かった、、、


しかし仕方ないジャンか。

それが運命、なんだから。

其々の人生、生きて死す、それだけのこと。

その偶然が重なっただけなのだ。



一息すうっと息を吸い、受話器に手をかける私。


そしてその時電話のベルが鳴る。


リリリリリリン、リリリリリリン・・・・・・・・と。



   2003年07月30日(水)    人間、生きているうちが全てなんだ、

J (2.結婚)

14. 生と死 (5)


キッと気合が入った私から悲しみが消え去りました。

私は全ての段取りを淡々と進めました。

知らせを受けた会社の総務の社員がアドバイスを逐一してくれ、
私は次から次へとやるべきことをテキパキと進めました。


葬式は自宅ですることにしました。

身近にいる親戚の人々が駆けつけてくれました。

これまで隠し通していたことに対して文句もありましたが、
この期に及んでは言っても仕方がないこととして、
事情を話して頭をひとつ下げると皆理解を示してくれました。


日を選んで父の死の翌々日を通夜、そのあくる日を葬式にすることとしました。


・・

死のその夜、冷たい父は自宅に戻りました。
雪の降る道をひっそりと。
私と母、そしてひとりの叔父に連れ添われて。


ふとんに横たえて父の顔を見る。

(死んでる、、、。)

私はそこに物体となった父を発見し背筋がゾクっとしました。


人間、生きているうちが全てなんだ、

死んじまったらお終いなんだ、

なんで死んじまったんだよ、

孫の顔も見ないでよ、

早すぎるじゃんか、

え、お父さん、、、。


父に無言で語りかける私の目には涙が溢れていました。
声はなくただ涙が出てきていただけです。
次から次へと涙が流れ出ていただけです。

夜が更けていきました。

長い夜。



   2003年07月29日(火)    お知らせ

ライコス日記が8月一杯で閉鎖されることに伴いまして、
この『J(ジェイ)』の連載については下記のようにさせていただきます。

・もう少しで第2章が終わります(あと10回位です)、
 それまではこのままライコスで執筆させていただきます。

・第2章が終わり次第、エンピツに過去ログを移動します。

・第3章の再開は9月よりとしたいと思います。

・エンピツでのURLはこちら⇒http://www.enpitu.ne.jp/usr/712/diary.html

・HPよりお越しいただいている皆様には何も変わることはありません。
 そのままでこれからもお読みいただけます、よろしくお願いいたします。

・同様に日記才人よりお越しいただいている読者様におかれましても、
 そのままの登録で移行できます、変わらずのお付き合いを宜しくお願い致します。


皆様へ。
このJ(ジェイ)はこれからが本題に入るところです。
これからも宜しくお願い致します。



   2003年07月28日(月)    4月のその日は季節外れの雪が降っていました。

J (2.結婚)

14. 生と死 (4)


しかし、、、。


4月のその日は季節外れの雪が降っていました。

父の病状は良いとも悪いともなく変化のない状態が続いていたその日でした。

私は普通に会社に出勤し平常通り営業に出ていました。

危篤、という訳でもなく、つまり病院に詰めている理由もないので、
母も私もいつも通りの時間に面会にいく予定でした。

特別にその日がその日である理由は何一つない、そんなその日でした。




雪か、、、。


私は営業先でどんよりとした雪の空を見上げ、ふと不安に襲われた、その頃。


父は亡くなりました。


生まれてくる孫の顔も見ずに、、、。




会社から営業先にすぐに病院へ行けと連絡が入りました。
私はその足で病院に直行しました。
病室に着いた時、医師は心臓マッサージを止めました。

私が着くまで臨終を待っていてくれた、そんな優しさの好意でした。


母は、「純一、先生にお礼を言い、」とだけ言って黙りました。

私は医師に、「ありがとうございました、」と言いそして黙りました。

父は静かに眠っているようでした。


窓の外は雪。


・・

さてと。
悲しんではいられない。


葬式出さないと。

親戚に連絡しないと。

会社にも。

友美さんの実家にも。


友美さん、、、。

生まれてくる子ども、、、。


友美さんと生まれてくる子どもについて考えが及んだ時に、
私の目から涙がつっと溢れそうになりました。


が私は堪えた。

ぐっと、堪えた。



そして、その涙を飲み込んで、火の粉が飛ぶような雄叫びを上げた。


おおおおおおっっっ・・・・・・・・・・・



   2003年07月25日(金)    私には願いがありました。

J (2.結婚)

14. 生と死 (3)


3月に入り父の容態は急激に悪くなりました。

父の意識は遠く、
声を掛けても僅かに瞳を動かす程度の反応しか示さなくなりました。

このまま何ヶ月持つか、
それが明日なのか、半年後なのか、医師にも分からないこと。

ただ父は生きている。

そういう状態になっていったのです。


母はうすうす分かっているようでした。
多分看護婦さんか医師の診察の折の言葉尻から察したのでしょう。

「いろいろ準備、しとかなきゃね、」などとぽつりと言う事がありました。

私は、知らん振りをして、「何を?」と聞いてみました。
すると母は静かに首をふり、「いろいろだよ、」と答えるのでした。



私には願いがありました。

それは、生まれてくる子ども、その子どもと父を合わせてやりたい。

ということでした。


出産予定日は4月の初めでした。

最低でもそれまでは。

それまではなんとか持ってくれ、、、。



いや持つさ、そして、ひょいっと良くなるさ。

何を縁起でもないことをオレハカンガエテイルノダ!!!



私は父の死に対する準備を一切することを拒みました。



   2003年07月24日(木)    レイに恋人がいようがいまいが関係ない。

J (2.結婚)

14. 生と死 (2)


レイとのことは既に私の中では過去のこととなっていました。

そんなこともあったのだろうか、そう思うほどに遠い記憶になりつつありました。

父の入院生活、そして友美さんの出産を控えている今、
私のキャパシティにはレイへの感情は入りきらないものだったのでしょう。

私は仕事の他は、父母のことと友美さんのことで一杯一杯だったのです。

もとより、そんな折に恋愛にウツツを抜かしているほうがオカシイわけで、
平凡でティピカルな私は平凡でティピカルに過していたということです。


レイもうすうすそんな私の環境を知ってか、
これまで以上に私のフォローをそつなくこなすようになり、
この頃よりレイは私にとって仕事上で掛け替えのない存在になってゆくのでした。

私にとって本当に頼り甲斐のあるスタッフ、それがレイとなっていったのです。


レイに恋人がいようがいまいが関係ない。
仕事においてのレイは私にとって掛け替えのない存在。

そういうことです。


・・

持ちつ持たれつ。

お互いのプライバシーには触れず、思いやりをもって。

恋愛ではない信頼関係。


そんな関係が築かれていった頃、でした。


と、私は独り善がりに思っていた、ということです。

レイの本心は分からないので。



   2003年07月23日(水)    14. 生と死

J (2.結婚)

14. 生と死 (1)


新年が明け友美さんは予定通り実家に帰りました。

私は自分の実家と友美さんの実家、そして父の病院を行ったり来たりして、
慌しく新年を過ごしました。

父は特に悪い様子も見えず、癌であることを知らない母の憂いはなくなって、
母にとっては父の退院できる日を心待ちにしながら過ごす正月でもありました。

父方の親類には父の入院を知らせてはおいたのですが、
見舞いにくると父が煩わしく振舞うことが目に見えていましたので、
私はできるだけ丁重に見舞いをお断りしておきました。

しかし、身近に住む叔父だけには、私はこっそりと打ち分け話をしてはおきました。
それとても、もう半年とか、一年という話は伏せて、でしたが。


・・

実家に帰った友美さんは、お義父さんお義母さんによくしてもらい、
すこぶる順調に過ごしていました。

なんやかやと生まれてくる子どものために揃えるものを揃え、
準備万端にしてくれるお義母さんに、私は頭が下がりっぱなしでした。


子どもを産む、それは男は経験ができないこと、知り得ないこと。

そしてそれは経験者でなければ分からないことばかりです。

私は義母と友美さんの様子を見ながら、
男の小ささ、無力さを感じずにはいられませんでした。

男は子どもを産むことに対して協力はできますが、
最後のところでは手を合わせて祈るよりないのです。



   2003年07月22日(火)    「希望はないのでしょうか。」

J (2.結婚)

13. 父の入院 (17)


「そうですか。やはり、、、」
「半年、もしかすると1年、こればかりはなんとも。最善は尽くしますが、、、。」
「希望はないのでしょうか。」
「、、、希望、は持っていてください、しかし、その覚悟も持っていてください。
 今のところそれ以上には言えないのです。」
「3ヶ月、と前の病院では言っていました。そういうこともあり得るのですか?」

この私の問いかけには主治医の先生は言葉を発しませんでした。
ただ厳しい顔をして頷いた、それは私に覚悟せよという意味でした。


私の覚悟はこの数日間でできていました。
母には、最後の日まで直接に言わないでおこう。
私はそう心に決めていました。

友美さんにも。
知美さんの実家にも。
知らせずにおこう、子供が生まれるまでは。


・・

イブの晩、私は友美さんに告げました。

父は胃潰瘍で入院した。
まぁ、酒の飲み過ぎだ。
医者は心配ないと言っている。
君も心配するな。

そして実家のお父さんお母さんには何も言うな。
父はああいう性格だ。
見舞われたりするのが苦手だ。

だから、うん、そういうことで承知しておいてくれたまえ。


友美さんは黙って頷きました。

そして、私の手をとり、その手を自分のお腹にあてがいました。


、、、ね、分かる、動いてるの、。


お腹の中で子どもが元気に動いていました。

その元気に触れ私は奮い立ち、よっし、へこたれないぞ、という気になりました。


生と死と。


その狭間で。


(13.父の入院、の項 終わり)


   2003年07月21日(月)    3日後に聞いた検査の結果は、、、

J (2.結婚)

13. 父の入院 (16)


翌日。

父は紹介された総合病院に転院し、精密な検査を受けることになりました。

年若い、しかし優秀に見える先生が主治医として付いてくれ、
上から紹介で入院した父は特別な待遇を受けているようで、
私も両親も身分不相応な待遇に戸惑いながらも安心したものでした。


私は母に父の病気がどんな疑いがあるのか、一切話しませんでした。

その点についても主治医になった先生は理解をして下さって、
「そうですね、はっきりしたことがまだ分からないうちは、
 不安になるようなことを知らすのは避けましょう。」
と言ってくださり、私は尚の事この先生に信頼を寄せたのでした。


母は敢えてそのことを聞きませんでした。
父は一切自分の病気について聞こうとしませんでした。

ふたりとも真実を聞くことが怖かったのであろうと思います。


私とて父がまさか癌だとは今だに半信半疑でした。

あのやぶ医者の診たてなんか信頼できるわけないじゃないか!
そんな思いでいたものですから。

たとえその兆候があったとしても、
検査もせずに、治療を試みもせずに、あと3ヶ月なんてよく言ったものだ、
そんなふうに思っていたのです。


・・

ところが。

3日後に聞いた検査の結果は、、、

あのやぶ医者との診たてと変わらないものでした。


食道癌。



、、、そのことを聞いた時私は些かも動じませんでした。

既に覚悟はできていた、そんな私でした。


その日はちょうどクリスマスイブだったかと記憶しています、、、。



   2003年07月20日(日)    「大丈夫、全ては大丈夫、だから、ね。」

J (2.結婚)

13. 父の入院 (15)


涙と鼻水で私の顔はぐじゅぐじゅになっていました。

車を運転しながら私は何度も涙を拭い鼻をかみましたが、
拭っても拭っても涙は溢れ、かんでもかんでも鼻水はたれてきました。

誰にも見せることのない涙、そして私の醜態でした。


が、父の入院している病院につく頃には、私はしっかりとなりました。

私はトイレで顔を洗い、鏡の前で何度も明るい笑顔を作ってみて、
よし、これならば心配ないと自分で納得してから父の病室に向かう。

病室に入ると母が待っていましたとばかりの顔で私を迎えました。
私はことさら落ち着いた声で父の様子を聞きました。
「どう?、」と。
母は、え?という顔をしてから、ああ、お父さんのことね、と合点がいって、
「今、寝ているわ、」と答えました。
「そう、」
私はどうしようかな、と思いましたが、父の傍らに行って父に話し掛けました。
「お父さん、お父さん。」
父は目を開けました。案の定、寝てなんかいなかったのです。
「何だ。純一、仕事はどうした。こんな時間に。」

病んでも気の強い父がそこにいました。

「お父さん。仕事は大丈夫、今日は休みなんだよ。いつぞやの代休なんだ。
 そんなことよりも、明日ここを退院して別の病院に行くことになったから。
 そのつもりにしていてね。・・・お母さんも、ね。」

父は無言でした。
それはどうにでもしてよいという許可のシルシでもありました。
実際には父はそうとうにまいっていた筈です。
なので私は、私に強く見せながらも私に頼っているのだと了解できました。

母も無言でした。
自分ではどうすることもできない事態に直面している母。
私に全てを委ねて自分はただ父の世話をするよりないのだ、
そんなふうに母は事態を見極めているのだと私は了解しました。

父も母も私に全てを委ねている。

私はしっかりとそれを受けとめる。

流しきった涙はもうない。

ぎりりと腹の底に力を入れた瞬間でした。




「大丈夫、全ては大丈夫、だから、ね。」

私はそう言って笑顔を見せてから院長先生のところへ向かいました。



   2003年07月19日(土)    「いやなに、君だからだぞ、ってこと、忘れるな。」

J (2.結婚)

13. 父の入院 (14)


日中の営業部内は人もまばらでした。
私のセクションも事務方の鏑木さん以外はみな外出していました。
年末の忙しい時です。猫の手も借りたい、そんな社内でした。

運良く部長は席にいました。
私は真っ直ぐに部長席に向かい突然に午前中休んだことの詫びを入れました。
そして、折り入ってご相談したいことがあります、と声を落として耳打ちしました。
部長は私の顔色が尋常でないことを一目で見て取って、
顎で応接室をさし、そこで話を聞こうという態度を示してくれました。

私は無言で頭を下げ先に応接室に入り、部長は後から鷹揚に入ってきました。


・・

大体の話を私がし終えた後、部長は言いました。
「分かった。工藤君も大変なことになったな。ま、気を落とさずに。
 病院の件は俺に心当たりがあるから早速聞いてやろう。」
「あ、ありがとうございます。」
「いや、俺じゃなくってな、担当専務の知り合いに癌に権威ある先生がいてね、」
「担当専務、、、!。それはちょっと、僕如きの私事に気が重いですけれど、」
「何言っているんだよ、工藤君、君は我が社の中枢を歩いてもらう大切な人材だ。
 構うもんか。それに君には早くに憂いを取ってもらい仕事に精を出して貰いたい、
 それが会社ってもんだよ、だから気にすることはない。」

そう言うと部長は担当専務室に電話を掛けました。
「専務ね、うちの工藤君の親父さんが何だかきな臭い病気になっているようで、
 ちょっと、これから相談に上がりたいんですが、ええ、いいですか。じゃ。」

受話器を置き部長は言いました。
「さ、専務のところへ行こう。善は急げだ。」
「は、、は。」


・・

ともかくも家族的ないい会社でした。

担当専務は「そうか、工藤君のな。よし。」とばかりすぐに電話を掛けてくれ、
権威あると言われる先生はふたつ返事で癌研の総合病院を紹介してくれました。

「大体のことは先生のほうから話しておいてくれるそうだ。
 あとはこちらで明日に総合病院には入院できるようにしておいてやる。
 君はさっそく今入院している病院に行ってカルテを作ってもらいなさい。
 明日転院するって言ってね。」

「は、、は。ありがとうございます。」

私は深深と頭を下げ、部長と共に専務室を出ました。

「部長、ありがとうございました。」
「いやなに、君だからだぞ、ってこと、忘れるな。」
「はい。」
「じゃ、今日はもう仕事はいいから、このまま帰れ、
 くれぐれもお大事に、皆には俺からよく言っておくから、
 もちろん、君の親父さんの病気のことは一切詳しいことは伏せてだ。」
「はい。」
「じゃ、行け。」
「はい。」

私は床に摩り付けるぐらいに頭を下げて礼を言い、
くるりと後ろを向き、走って会社を出て行きました。

私の目からは涙が溢れていました。

ぐちゃぐちゃに泣いていました。


窮地にあった私にとって、
部長や専務の優しさはとてもありがたいものでした。


車に戻り、私は大声を上げてわんわん泣きました。

嗚咽が止まりませんでした。



   2003年07月18日(金)    「それで、院長先生のお話はどうだったの?」

J (2.結婚)

13. 父の入院 (13)


タバコを一本、もう一本、そしてもう一本、、、。

吸うごとに私の頭は白くなって行く。

一度にたくさんのことが頭に浮かび、私は何も考えられなかった。

その間、時間が止まったように私は呆然としていただけなのかもしれない。

ただ、タバコの本数が減っていった、
それだけが時が過ぎた事実として残っていました、、、。


・・

「あら、純一、ここにいたの、」

突然のように母に声を掛けられて、はっと我に返った私。

「ああ、お母さん、」
「どうしたの?、ずいぶん時間がかかるから心配して看護婦さんに聞いたら、
 もうとっくにお話は済んでいるって聞いて、、、探したのよ、あなたのこと、」
「、、、う、うん、ちょっとタバコが吸いたくなって、」
「そう、それで、お話は?、院長先生のお話はどうだったの?」
「、、、う、うん、」

私は言葉を探す、しかし、うまい言葉が浮かんでこない。

「悪いの?、お父さん、」
「いや、全然、だよ、なんていうのかな、悪い病気じゃなさそうだよ、」
「、、、。」
「つまり、その、そうだ、ほら、この病院ってさ、古臭いじゃんか、
 だから、ね、検査するにもきちんとした事できないんだってさ、
 そういう話、院長先生の話って、さ、」
「、、、それで、どうしたらいいって?」
「紹介状書いてくれるって、さ、でも、昨日の今日じゃ、ってオレ思ってさ、
 ちょっと考えてみるよ、オレ、お母さんは心配しないで、オレに考えがあるから、」
「、、、そう、じゃ、お願いするわね、私は何にも分からないから、」
「任せておいて、大丈夫、」

私は胸を叩き、母を安心させました。


とりあえずは、それでいい。

さりとて、これでは一時凌ぎのこと。

ここのヤブ医者に紹介してもらったところで信頼はできないし、、、。


、、、。


そうだ!

部長!

部長ならば何かしら知恵をくれるかも。


「お母さん、じゃ、オレ、会社に行ってくる、また夕方くるから、ね。」


・・私は母を病院に残し会社に向かいました。



   2003年07月17日(木)    本人にも、そして母にも内密に願えませんか。

J (2.結婚)

13. 父の入院 (12)


やっぱりこんな古ぼけた病院、ろくな医者がいるわけない。

十分に検査もせずによくも言ったものだぜ、。

もって3ヶ月、だと、!


私は言えぬ怒りで充満して歯をギリギリ食いしばり、
かろうじて、平静だけは保とうとしている、そんな状態でした。

が、沈黙は長くは続きませんでした。

院長は続けて言いました。

「取り敢えずの処置はしてあります、暫くは病状が変わることはない、
 ただし、ここでは検査も治療もできないのです、
 できるだけ早く専門の病院に移ったほうがいいでしょう。
 よければ私が紹介状を出します、専門の大学病院です、如何ですか?」

「ええ、、、、。」

私は躊躇しました。

こんなヤブ医者の紹介で果たしていいのだろうか!?

ここは一人になって冷静に考えるべきだ。

、、、。

私は視線を落として考えるように言いました。
「先生、急のお話で何が何やら判断つきません。
 ちょっと、ほんのちょっとの時間、頭を冷やして考えさせて戴けませんか?」

院長はすうっと息を吸って穏やかに言いました。「いいでしょう。」

「それと、先生、お願いがもうひとつ、あります。
 父の病状については本人にも、そして母にも内密に願えませんか。」
「分かりました。」
「ありがとうございます。では。」
「お大事に。」


・・

院長室を出た私は父の病室には戻らずに喫煙所へ向かう。

一歩、一歩、一歩、

その一歩毎に私の足はガクガクと崩れそうになっている。

私は手すりに捉まって、

辛うじて喫煙所に辿り着き椅子に腰をおとす。


タバコ。

タバコを持つ手が震えている。ガタガタと。

火。

ライターの火が揺れている。グラグラと。


タバコに火は

いつまでたっても点けられない、、、



落ち着け!

し、し、し、しっ、っ、っ、しっかりしろ、!


オレよ!



   2003年07月16日(水)    いいですか、お父さんは、癌、です。

J (2.結婚)

13. 父の入院 (11)


院長室には私一人が入りました。

母は何かを感じたのか、「純一、聞いてきておくれ、」と言い残し、
父のいる病室へと向かいました。

私は母の不安も分かるような気もして、無言で頷いて母の後姿を見送りました。


院長室のドアを開けて名乗る私。
「どうも、工藤です、息子です。お話を聞きに参りました。」
「どうぞ。」
奥から聞こえた声は皺枯れた老人の声でした。

私はおずおずと中に進み、院長先生らしき人を認めその傍らに立つ。
「どうぞ、お掛けください。」
「はい、」
私は丸い椅子に腰掛ける。

院長は私の顔をじっと見て、話し始める。
「えっと、息子さん、ですか、お母さんは?」
「話は私が聞くようにと、なにせ、昨日の今日ですので、取り乱しておりまして。」
「分かりました。」
「先生、まだ検査が済んでいないんじゃ、」
「そう、しかし、これはこの病院では治療が難しい病気なのです、
 専門の病院でよく検査された方がいいと思うのでお話するのです。」

皺枯れた声が私の耳に響く。

なんだって?検査もろくにせずに、、、。何がどうだって!?



「先生、よく言っている意味が分からないのですが。」

「、、、いいですか、お父さんは、癌、です。それももう持ってあと3ヶ月、、、。」




一瞬の沈黙

私の頭の中はぐるぐるぐる




、、、な、なんだって、おい、。


癌!?


もってあと3ヶ月!?


なに言ってんだ、このじじい!!!


このヤブ医者め!!!



   2003年07月14日(月)    「お父さん、先生は何て言っているの?」

J (2.結婚)

13. 父の入院 (10)


父の入院した病院は実家から車で30分ほどのところにありました。

8時過ぎに会社に電話を入れて、午前中だけ休みを貰い、
私は母と連れ立って病院に向かいました。

着いてみるとそこは古ぼけた病院でした、
こんなところで大丈夫かいな、私は一瞬不安を持ちました。

ですが母の手前です、そんなことはおくびにも出さずにいました。


母は私に、先に純一だけ会ってきてくれるか、と言いました。
何故なら母は父から私に連絡するなと言われていたからです。
機嫌がよさそうだったら呼んでね、
母はそう言ってロビーで待っていることにしました。


病室では父は痛々しい姿で寝ていました。

いろいろな管が鼻やら腕やらから差し込まれていて、
ちょっとやそっとのことではない、そんな印象を持ちました。

私が近づいて顔を覗き込むと父は目を開きました。

「純一か、」
「はい、でも、たまたま来たんです、そうしたら入院だなんて、」
「、、、。」
「お母さんが呼んだんじゃないよ、偶然、なんだよ、」

父は怒ることはありませんでした。
それよりも私の顔を見るなり、安堵が広がったような表情になりました。

「そうか、」
「お父さん、先生は何て言っているの?」
「これから検査だから、何とも言ってない、」
「そうなんだ。。」

私の目には父はかなり悪いように映りました。
気丈な父がこんなにまで弱々しく私と話すなんて、
たぶんこれはなにか悪い病気に違いない、そう思いました。

が、まさかね、まさかね、
命に関わるほどじゃァ、ないっしょ。

「お母さんもきているんだ、お父さん、ちょっと待っててね。」

私は病室をでて母を迎えに行く。


部屋をでるなり私は看護婦さんに呼び止められました。

「工藤さんのお身内の方、ですか?」

「そうですよ。」
「院長先生がご家族の方にお話があるそうです。」

「これから、ですか?」
「よろしければ、これからでも。」

「では。ちょっと待っててください、今母を呼んで来ますから。」


私は足早にロビーに行き母を呼んできました。

そして私は看護婦さんに案内され院長室に向かう。



   2003年07月13日(日)    「純一さん、お義父さんの様態、どうなの?」

J (2.結婚)

13. 父の入院 (9)


朝はすぐにやってきました。

4時半の始発電車に乗り途中で友美さんに電話を入れて。

自宅に戻ったのは5時半頃でした。

「ただいま、トモミさん、支度できてる?」
「おかえりなさい、純一さん、うん、」

私は部屋に入るなり友美さんの出してくれてあったスーツに着替え、
再び靴を履いて出掛けようとしました。

「純一さん、お義父さんの様態、どうなの?」
「いや、別に大したことはないそうだ、ただね、一応見舞いだけ行ってくる。」
「私は?、行かなくていいの?」
「うん、その必要はない、だって大したことはないそうだからさ、
 なんでも自分でタクシーに乗って病院にいったそうだし、
 検査のためにちょっと入院するだけだそうだから、心配ないってことよ、」
「ふ〜ん、」
「君は君のこと、君と君のお腹の中にいる子どものことだけを考えていて、ね。
 それがオレの父や母の希望だよ、だから、気にしないで、」
「、、、うん、分かった。」

友美さんは安心したように柔らかな表情で私に応えました。



私は友美さんに対し父の症状について嘘をつきました。

けれど父や母の希望は友美さんに心配をかけたくないことにあるのですから、
あながち間違った嘘ではありません。

父は母に「純一には知らせるな、」とまで言って、
友美さんに心配をかけまいと配慮したそうなのですから。(参照こちら



私は友美さんの頬に軽くキスをしてから、
「じゃ、行ってくるね、」と言い右手をちょっと上げて家を出ました。

友美さんはにっこりして、
「気をつけてね、いってらっしゃい、」と軽く右手を振り私を送り出しました。


・・

車を駈って再び実家に戻る私。

本当に、本当に大したことじゃなければいいんだけどな。

次第に白々と明るくなってゆく高速道路を走りながら私はそう思いました。



   2003年07月12日(土)    母とふたり枕を並べて。

J (2.結婚)

13. 父の入院 (8)


(ともかくこんな時間だ。今夜は動けない。)
(一人で大丈夫だ、というくらいだから、慌てて動いても仕方がない。)
(朝が明けたら病院に様子を聞きに行こう。)

私はそう考えて明日朝の(正確にはその日の朝の)算段をしました。

(会社は休まなければならないかなぁ、、、)
(だけど、明日は午後から納品があるんだった、まずいな、)
(始発で戻って着替えを持ってくるか、うん、そうしよう、)

とそう決めて私は母に話しかけました。

「お母さん、この時間ではどうもこうもできないから、今夜はもう寝ようね。
 明日朝一番で、オレ、一度家に戻って背広とか取ってくるから、
 それで車で戻ってくる、そしてから一緒に病院にいってみようね。」

母は黙って頷きました。


・・

ふとんを並べて敷き横になる私と母。
目覚まし時計をセットして私は目を瞑る。

(2時間位は眠れるな、、、、)

(、、、ん?)


私は再び目をあけて母の方をむき尋ねました。

「ところで、お母さん、お父さんの病気、いったい何なの?、」

母は首を小さな声で答えました。

「聞いてないの、検査してから、としか、」

「ふーん。ま、いい。明日オレが聞く。おやすみ。」


私は枕もとの電気を消しました、、、。


母とふたり枕を並べて。
私は目を瞑り考える。



思い出深きこの家。
 
私がこの家で寝泊りするのは結婚式以来のこと。


生まれて物心付いてからずっと住み慣れたこの家は、
私のこれまでの人生のすべてが詰まってる。


振り返れば。

駆け抜けるように生きた30年、
思い出すのは楽しい思い出ばかりだ。


だが。

再び戻ってきた今夜。

父の姿はここにない。



   2003年07月11日(金)    「お母さん、どうしたの?、お父さんに何があったの?」

J (2.結婚)

13. 父の入院 (7)


実家に着くと曜日は既に翌日になっていました。

母は私が来るのを今か今かと待っていました。

そして、私の顔を見るなり黙って泣き出しました。


「お母さん、どうしたの?、お父さんに何があったの?」

しかし。
それほどおおごとならばもっと早くに連絡してくれればいいものを。
こうして母が家に一人いるのはいったいどういうことだろう。
付き添っていなくていいの?
だいたい、なんで入院したの?
いったい何がどうしたの?

私は泣き崩れている母を見やりながら心の中で問い掛けました。

ここに父がいないってことは確かに入院したんだろうよ。
だけどこれじゃぁ状況がまったく分からない。

ともかく、母を落ち着かせなくっちゃ。


「お母さん、もう大丈夫だから。オレが来たから、ね。大丈夫。安心安心。」

私は母の肩を抱きながら、微笑んで見せました。
すると母はいくらか安心したようでした。
そして、「すまないね、、、。」と言いました。


・・

私はお茶を入れて、ゆっくりと母の話を聞きました。

母は事の次第を順を追って話し出しました。

ぽつりぽつりと。


実は私の結婚式以前から具合が悪かったこと。
純一の結婚式だから、と言って私にはそのことを隠していたこと。

昔気質の人間なので病院に行って検査したことがないこと。
ここ数日、特に様子がおかしくなって苦しそうにしていたこと。

けれど、それでも母には何も話さずに自分一人で耐えていたようだったこと。
見かねて病院に行ってみたらと母が声を掛けると怒るので手を焼いていたこと。



ところが今日。

吐血したとのこと。



そうとう苦しそうだったこと。

救急車を呼ぼうとしたこと。

それを怒って止めさせられたこと。


自分で歩いてタクシーを止めて病院に行ったこと。

すぐに検査して入院したこと。

意識はしっかりあること。



純一には言うなと言われたこと。

妊娠している友美さんにくだらぬ心配をかけてはならん、と言って、、、。



自分一人で大丈夫だ、お前は帰れと言われたとのこと、、、。


、、、母は再び泣いて言葉を失いました、、、。



   2003年07月09日(水)    身重の友美さんには余計な心配をかけたくない。

J (2.結婚)

13. 父の入院 (6)


私が父と最後に会ったのは新婚旅行から帰った数日後でした。(参照こちら

無骨で無愛想な父はその時も私とあまり話をせずにいましたので、
私も父と向かい合って特別に話をしないまま別れていました。

その時は友美さんの切迫流産のこともあって、足早に実家を後にした、
そういう理由もありましたが。

その後、友美さんの容態も安定し、実家にも友美さんの妊娠を伝え、
私の母はすぐに飛んできて、目出度いだの、何で早く言わなかったのだの、
つまり苦情をうるさく言いながらも喜びを表してくれたものですが、
父といえば一言、そうか、と電話で言ったきり顔を出すこともなく、
そうこうしているうちに年末となって、
じゃあ、新年の挨拶に行った時に詳しくはまた、ということにしていたのでした。


その父が、、、

年の押し詰まったクリスマスの数日前に倒れた、、、。

私にとってみれば青天の霹靂、そんな事態の展開でありました。


・・

「で、何で!どうしたの?どこの病院?」

私はたて続けて聞きますが、
母はもうこの世の終わりかというような声でぼそぼそと話し要領が得ない。

(ち、ともかく、大変なことになっているようだ、)

「分かった、お母さん、今からそっちに行くから、待ってて。」

私は電話を切り、取るも取り合えずに着替え直して、
「トモミさん、なんだか分からんが、お父さんが入院したらしい、
 ちょっといってくるわ、まあ、心配ない、今夜は帰らないから戸締り用心、ね。」
とにこりとして言いました。

(身重の友美さんには余計な心配をかけたくない)

私はそういうことも考えていました。



そして私は家を出る。

酒を飲んでいた私は車の運転は諦めて、大通りまで走りタクシーを拾う。

シートに腰を深く落とし、タバコを取り出し深く吸う。


さてと。

しかし事態を整理して考えようとすればするほど、

心は不安に包まれる、

そんな私でした、、、。



   2003年07月08日(火)    「純一、お父さん、入院したのよ、、、」

J (2.結婚)

13. 父の入院 (5)


その夜はクリスマスがあと数日に迫った夜でした。

私はその夜も得意先との忘年会でした。
魚料理の店で酒を飲み、クラブへハシゴして、
帰る頃にはまた随分と酔っ払ってしまいタクシーで帰宅しました。

帰るなり友美さんは私に、私の実家のから何度か電話があったと言いました。

「でも用件を聞くとまた後でかけるといって、
 純一さん、何かあったのかしら、心配だわ、」
「ふうん、珍しいな、うちから電話なんて。ま、夜も遅い、明日にしよう、」


私はそう言ってシャワーを浴びようとした、その矢先。

電話が鳴りました。


、、、電話は私の母からでした。


電話の母の声はか細く遠く、
酒に酔った私の耳には聞きづらくって、、、

すがるような、泣き出しそうな、、、、そんな声でした。

「どうしたの?、お母さん、よく聞こえないけど、」


母は、、、

「純一、お父さん、入院したのよ、、、」

とだけ言って涙声になりました。



入院!

なんでまた!


、、、私の頭の中は混乱しました。



   2003年07月06日(日)    その後レイは私の前では指輪をしませんでした。

J (2.結婚)

13. 父の入院 (4)


その後レイは私の前では指輪をしませんでした。

けれど仕事が終わって帰る時にちらっと見えるレイの右薬指には、
必ずあの指輪が嵌められていました。

誰の目にもそれは恋人から貰ったものとして映りました。


週に何度かレイは早く帰ることを申し出ました。

そんな日は、私はなんとか仕事の都合をやりくりして、
というよりは自分が全てを請け負って、レイを早く帰してやりました。

理由は聞きませんでした。

きっとデートだろう、そんなことは聞くのも野暮と思いましたので。


私にとって、関係のないこと。

そう決めつけていた私でした。


・・

しかし、レイの恋人についてのことは、
本人から聞かずとも周りから耳に入ってきたものです。

レイは私と友美さんの結婚式の日に出会った何者かと付き合っている。

そんな話が噂話として聞こえてきました。
ですがそれが本当かどうか、誰も知らないようでした。
知っているは同期で友人の杉野佳菜だけだったようです。

もとより、私にとっては関係のないこと。
私とレイは特別なものは何もない単なる上司と部下、なのですから。

あるのはただひとつ。

君を3年でものにしてやる、と言ったあの約束だけでした。(参照こちら


だけど!

気にならないわけはないじゃないか!

心の奥底の感情はそんなでしたが。

何故なら、結婚式の日に出会った何者か、
として頭に浮ぶのはまたあの男だったからです。(参照こちら


ともかく。

ぐっと堪えて私は強い自己を築いていった、

そんな頃でありました。


その年の暮れ、、、。



   2003年07月05日(土)    性生活を除けば新婚生活は甘いものでした。

J (2.結婚)

13. 父の入院 (3)


性生活を除けば新婚生活は甘いものでした。

朝起きてキスをして、出掛ける時にキスをして、
帰ってきてはキスをして、おやすみ前にキスをして、
書くのも照れるような(読むのも照れるでしょうが)生活でした。

朝早く仕事に出掛け、夜遅く帰ってくる私にとって、
友美さんと過ごす家でのひとときは本当に貴重な時間でした。

精一杯の愛情を表現して過ごしていて当たり前なのです。


私の子ども、、、

私の子どもを産んでくれる友美さん、、、

私は生涯を費やして、
子どもと友美さんの幸せのために生きるのだ、

そういう生きがいを見出していた私なのですから。(参照こちら


家では満ち足りた日々、会社では多忙の日々。

それがその年の暮れの私の毎日でした。


・・

レイとの関係はすっかり落ち着いたものになっていました。

上司と部下、それ以上も以下もない、普通の関係です。

特別に意識することもなく、特別に気遣うこともなく、
もともと何があったわけでもなく、普通に落ち着いていったのです。


結婚前後にあったいろいろな出来事もやがて記憶から薄れて。

初めて酒を飲んだ夜のあの出来事もやがて風化して。(参照こちら


レイと私は特別に何もない上司と部下になっていたのです。



   2003年07月04日(金)    安定期に入っている友美さんとの交わりはもちろん可能なことです。

J (2.結婚)

13. 父の入院 (2)


常日頃から帰宅時間の遅い私なのに、
さらに年末は得意先との忘年会があり、
家に帰るのは午前様ということが少なくない日々でした。

社内結婚の私たちですので、友美さんもそこらのことは心得ていて、
朝早く夜遅い私に対して何の不満も言うことはなかったのですが、
たまに寂しくなる晩もあってそんな時友美さんは私に慰めを求めてもきました。

安定期に入っている友美さんとの交わりはもちろん可能なことです。

が、私は、、、それをできませんでした。


理由はいくつもありました。

切迫流産のショック、も当然に残っていました。
ですが何よりもあの晩、あのコツンとしたような感触の記憶、(参照こちら
そしてその夜に見た夢、あのなんとも言えぬ気色の悪い夢、(参照こちら
それらが強く私の心に残り、
友美さんと交わることを拒絶する自己が私を支配していたのです。

もともと、私は友美さんの妊娠が判明して以来
友美さんの前では“私自身”がものにならなくなっていました。(参照こちら
それを無理をして初夜を過ごした結果が切迫流産だったのです。
私に友美さんとの交わりを拒絶する自己が生まれたことは当然の帰結なのです。


こうして私は、それ以来子どもが生まれるまで、
友美さんがいかに慰めを私に望もうとも、
「心配だから、」という理由で交わることをしませんでした。


・・

ですが何もしなたっかわけではありませんです。(念のため言っておきますが)


私は友美さんが慰めを求めた夜は丁寧に愛撫をしてあげました。


優しく、心を込めて、ありったけの愛情を持ってして。


彼女が満足のゆくまで。


いかにその時私がくたびれ果てていようとも。



   2003年07月03日(木)    13. 父の入院

J (2.結婚)

13. 父の入院 (1)


その年は早く暮れて行きました。


友美さんの切迫流産もしばらくで危ない時期を過ぎ、
義母も落ち着いた頃に友美さんの実家に戻りました。

結婚生活はそれなりに落ち着いていきました。
収まるように収まっていった、そういう感じでした。


家庭的な友美さんは明るく楽しそうに家事をこなしていました。

家では、私は何もすることがないほどに全てがキチンとされていました。


私は仕事に精一杯自分を費やし、
あっと言う間に年末になって行きました。



妊娠は安定期に入っていました。

予定日は4月、まだ少し時間がありました。

が、先の切迫流産のこともあり、初産ということもあり、
また実家に戻っての出産ということもあり、
友美さんは正月に実家に帰ってそのままそちらに残ることに決めました。


・・

年末、私は忙しい日々が続いておりました。



   2003年07月02日(水)    友美さんは不審そうな顔をしました。

J (2.結婚)

12. 指輪 (16)


指輪、指輪、指輪、、、えっと、(どうしたっけ?)

酒に酔ってどうしたか思い出せない、、、。

そう、あの時外して、、、

そうそう、財布の中だ!


「あるよ、ほら、財布の中に、」
「外してたの?、どうして?」
「どうしてって、ほら、営業中は指輪とかしないほうがいいからさ、」
「ふ〜ん、」

友美さんは不審そうな顔をしました。

「なんだよ、当ったり前じゃんか、営業なんだから、
 これ、無くすといけないからしまっておいて、じゃ、行ってくる、」

私は指輪を友美さんに渡しドアから出ました。
追いかけるように友美さんが言いました。

「いってらっしゃい。気をつけて。」


・・

あ〜あ、またマズイ言い方しちゃったな。

指輪についてうっかり忘れてしまってた、、、。

・・足早に駅に向かいながら考える私。


けれど。

駅につく頃にはそのことも心から離れました。

もう頭の中は仕事に切り替わったからです。


それ以来、私は指輪をしていません。
友美さんがどこにしまったのかも知りません。
友美さんの心のうちを聞くこともなく今に至っています。

私は、全ては仕事のため、それで整合性を自らに与えたのです。


友美さんは、、、大切に指輪をしていますけれど。


(12.指輪、の項 終わり)



   2003年07月01日(火)    私は無言で支度をして玄関に向かう。

J (2.結婚)

12. 指輪 (15)


しかし時間がない。
友美さんとゆっくりなんか話してられない。
あと10分や15分で出ないと間に合わないぞ。

昨日の今日だ。
酒を飲んだ翌日は意地でも早く出社しないと体裁が悪い。


私はシャワーを適当にしてそそくさと着替えを済ませる。
頭はまだ重い、アルコールが残っている。

食事。
う〜ん、食べられそうもないなぁ、これじゃ。

でも、しっかりしないと。
義母の手前もあるしな。


・・

茶の間には簡単な食事が用意されていました。
一緒に食べようと友美さんが待っている。
義母は席を外している。

ご飯を軽く盛ってくれる友美さん。
「ありがと、」、、、一口頬張る私、しかし食が進まない。
「お湯あるかな、お茶漬けにして食べるよ、時間ないから」
私はお湯を貰って飯を飲み込み、辛うじて食を済ませました。

一服を点けながら話す私と友美さん。
「身体の具合は、どう?」
「大丈夫、よ、」
「そうか、大事にしてね、」
「うん、」

時計を見る私、そろそろ行かないと。
「さ、行かなくっちゃ、今夜は早く帰ってくるからさ、」
「、、、うん、何時頃?」
「う〜ん、できるだけ、仕事の都合により、だからなぁ、でも最善を尽くして、」
「ご飯は?、一緒に食べられるの?」
「それも仕事の都合によってだな、仕事の都合で遅くもなり早くもなりだし、
 そうそう、お義母さんもいることだし先に食べておいてよ、ね、」


友美さんだってオレの仕事、知ってるでしょ。
営業に定時はないの。
分かってよ。
もう時間がないから行くね。


私は無言で支度をして玄関に向かう。


!、そうだ、義母に挨拶しておかなくっちゃ。

私は義母の部屋に行き襖の外から声をかけました。
「お義母さん、行ってきます、トモミさんをよろしくお願いします。」
義母は「あら、もう、」と言いながら部屋から出てきました。

「今夜は早く帰ってきてあげてね、純一さん、」
「は、はい、できるだけ、でも仕事の都合もありますので、」

、、、なんとも、、、バツが悪い私です。


・・

玄関で友美さんは靴を出していてくれました。

友美さんが身繕いを確かめてくれる。

ネクタイ、よし、っと。

あら?

なに?

純一さん、指輪は?

あれ?、、、え!?



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