松浦弥太郎さんが編集長になって1号めの『暮しの手帖』を読む。とてもいいと思う。でも、今までと「変わった」とは思えない。私としては「変わらないでくれてよかった」と思うけれど、「もう何が何でも売れないとやばい」というのならばもっとなりふり構わない何かが必要なのかもしれない。でも、きっとそれは『暮しの手帖』ではないと思うから、やはりこれでいのだとも思う。
毎日新聞の、弥太郎さんのインタビュー記事を母が送ってくれた。新しい読者層は、30代だという。今の30代は、こういう本を読むだろうか。きれいな写真がいっぱいで文字がほとんどない、天然生活を好むかもしれない。もしかしたら。
こうして外野は、何とでも言える。
mon sakataのカーディガンを買った。淡い、くすんだ黄色。並べてあるときよりも、羽織ったときのほうがぐっとよさが際だつ服だ。17000円。久しぶりに高い服を買って、やっぱりいいものはいいなあと思う。おばさん(というには失礼なアーティストだが)がつくっているものは、へんな自意識がなくて好きだ。歳をとっても好きなことをするのは、きっと楽しいのだと思う。
2007年01月27日(土) |
【連載】家購入への遙かなる散歩 「中板橋」編 |
25歳になって、だんだん将来のことを考えるようになった。将来といえば、象徴的なのはやっぱり家でしょう、と思って長谷川高『家を買いたくなったら』(WAVE出版)という本を買った。何気なく手に取ったのだが、これが「私は編集者としてこういう1冊を作りたい」と思う良書であった。分かりやすくて、信用できて、役に立つ。(「家が欲しいなら一日も早くお金を貯めなさい」と言っているのが、とてもまともで良いと思った。)
ところで、物件を探すには、まず住む地域を決めなければならない。著者は、先入観をあまり持たずに多くのエリアを散策してみることを勧めている。そこで私は、おお、これをホームページの企画にしようと思い立った。
週末、暇な時に知らない町を歩いて、ここは住みたいか、住めるのかを勝手に考えていこうと思う。ちなみに、今はどこを探してもビンボーOLである私が買える家はないので、「購入可・不可」については全く考慮しない。テーマを決めると散歩も楽しくなりますね。みたいな感じで頑張ろうと思う。
あと、バナナちゃんアイコンを大急ぎで作ったのであまりかわいくない。これの「カイゼン」も頑張っていこうと思う。
査定対象……東武東上線「中板橋」駅
【食品のお買い物】★★★ ・「なかいた」商店街があり、けっこう活気がある。 ・夜遅くまで開いていそうなスーパーは皆無だった。
【古いおうち】★★★★ ・古い一軒家が、まあまあありそう。 ・マンションは新しめの物件多し。
【本屋さん】★ ・駅前に1軒存在するが、エロ本が主の品揃え。 ・遅くまで開いている書店は皆無。
【カフェー、喫茶】★★★★★ ・roji cafeがよかった。
【お出かけ】★★★ ・最寄りのターミナルは池袋。嫌じゃないけどちょっとやだ。
【実家からの距離】★★★ ・1時間半くらいだろうか。
【その他よかったこと】 ・銭湯がある ・石神井川がある ・気取らない雰囲気
実は、板橋区来訪はほぼ初めて。
「中板橋」駅南口。東上線は埼玉の匂いがする。
roji cafe。一軒家を改造していて居心地がよかった。置いてあった幸田文『流れる』、(私の持っていない)anan増刊号時代の『ku:nel』を読む。ただし、あまりにも家っぽいので「家にいればいいじゃん」という気持ちになってくる(笑)。
駅から徒歩5分くらいの場所に銭湯を発見。煙突もある。
「なかいた」商店街。写真がわかりずらくてすんまそん。けっこう何でも揃いそうです。
石神井川。駅から10分くらい「なかいた」商店街を歩くと川にぶつかる。水のある風景が好きだ。
さらに石神井川沿いに歩いていくと、中山道にぶつかる。最寄りの駅は都営三田線の「板橋区役所前」。このあたりの「仲宿(中宿)」という地名は、昔の宿場町の名残らしい。
11時頃起床。昨日のラジオから茫然自失の状態が続き、洗濯も掃除もせずこたつに座り込む。寒い。そういえば昨晩眠りに落ちる前、今日は「大寒」だとアンカーが言っていた。
昨晩ラジオ深夜便で聞いたことを書き留める。これほどの衝撃を書き留めなければ、自分が日記を書いている意味がなくなる気がした。
正確にはキャタピラの解説は、アンカーが著作を引用していた(昨日の日記では、語り言葉になっている)。「克明に記録する」というとき、こうした編集を加えてよいものか迷ったが、テープ起こしがテープ起こしのままでは原稿にならないのと同じことだと考えればよいような気もした。今の私の力だと、仕事だったら上司に確認するところだと思う。
午後13時。寒い。その上生理。一歩も動きたくない。おなかがすいたので肉まんを解凍しようと、仕方なく冷凍庫に近づく。しかし解凍が面倒で、たまたま見つけたアイスを食べて空腹をまぎらわす。しかし、たいしてまぎれないので仕方なく再度冷凍庫に近こうとするが、面倒。ごにょごにょする。
谷原章介が見たくて、テレビをつける。ヤフーニュースで会見の様子を読んだが「できちゃった結婚」について非常に潔い対応をしていた。「自分のやっちゃったことですから」とコメントしたらしい。会社で先輩と「こんなにカッコイイ人いないよね〜」と騒いだ。
結局動くのが嫌でこたつにじっとしていたら、16時にあっちゃんから電話。ご飯を食べることになり、ついにこたつ脱出の決意。あっちゃんが連日徹夜をしているうちに生理がきたことを伝えたら、泣いていた。
17時に新宿駅のホームで待ち合わせて、五反田へ。当初スパゲッティを食べようとしていたが、焼肉屋の看板に2人で吸い寄せられる。キムチ、ナムル、レバ刺、サービスカルビ、ハラミ、タン塩、石焼ビビンパなどを次々に注文。おなかがすいていたのでばくばくたいらげ、満足。「おいしかった」を連発しながら、目黒川を渡って帰った。帰りに、あゆみブックスで『ku:nel』『天然生活』『ダカーポ』『投資ファンドとは何か』(新書)などを購入。あっちゃんは『サイゾー』を購入。ku:nelには前にりかちゃんが日記に書いていた尾山台のオーボンビュータンが載っていた。感度が高いなあ。
その後、高円寺へ。「トリアノン」でケーキを買う(クレームブリュレとアップルパイ)。あっちゃんはマッサージに行くというので、私は久しぶりに「七つ森」でお茶して待つことにする。プリン(クレームブリュレを買ったのは気づいていた)とチャイを注文。須賀敦子をちょっと一休みしているので、ひたすら決算書の本を読む。ホントに面白い。決算書が分かると資本主義社会が少し分かった気になる(甘い?)。ああ、それにしても七つ森の居心地のよさよ。私はこんな家に住みたいものだ。
家といえば、私は古い平屋を買って住むのが夢なのだが、やはり古い家というのは地震で倒れるものなのだろうか。雑誌に載っているスローライフな人々は、「倒れても仕方ない」という覚悟で、ステキ木造住宅に居を構えているのかな。そのへんが非常に気になる。それからいい感じの古い住宅というのは、どこに行けば見つけられるのだろう。「いい感じの古い家」みたいなのをまとめて紹介&販売してくれる会社があったら、ビジネスになる気がするのですがどうでしょうか。おしゃれな古い家に住んでいる人のほぼ全員が「珍しい物件にめぐりあえて私はラッキーでした」みたいなことを言っているのはなんだかずるい。
ところで、いい加減お金も時間ももったいないので、彼ぴとのらぶらぶ同居計画を進めていくことにしようと思う(ほぼ勝手に)。私はお付き合いの経験が薄いのでらぶらぶ同居がどんな大変なことなのかよく知らないが、毎月67000円の家賃が節約できるのと、本棚が一元化できるのは非常によいことなのではないか。らぶらぶ同居にあたり、購入予定のものは下記。
【購入予定品リスト。()内はだいたいの予算】 本棚1つ(2万円) 電気のカサ1つ(1万円) カーテン大2つ、小1つ(5万円) 食器棚(2万円) 大量のカゴ(1万円〜2万円)
もっとお金がかかるのでしょうか。もうおしゃれな家にならくてもいいので(ほんとはそうしたいけど私がクウネル系を目指すと結局カントリー主婦になる)、住みやすい、掃除がしやすい=モノが少ない家にしたいなあと考えている(勝手に)。
2007年01月19日(金) |
深夜のラジオで聞いたこと |
こたつで眠ってしまい気付けば4時半だった。すぐ布団に移って目をつむり、ラジオのスイッチを入れた。ラジオ深夜便「こころの時代」。深夜便は5時までの放送だからもう番組の終盤だ。おじいさんの声が話している。だいぶ歳をとった、しゃがれた声だ。少し聞き取りづらい。
「丘が見えた。と思って少し安堵しましたらね、後ろからわーっと、人の群れがやってくるのが見えたんですよ。それが、ソ連軍だったわけです。その時はソ連軍がくるだなんてこと、思ってもみなかった」
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にあった話に似ている。そう思って何気なく耳をかたむける。彼は先を続けた。
「もう、そこからは動物的な感覚でしか動いておりませんでした。私の前にキャタピラが来て、『あ、やられる』と思って反射的によけたんです。そうしましたらびしゃっ、と泥をかぶりまして。キャタピラが通り過ぎたあとを見てみると、キャタピラにつぶされた無数の死体がまわり中に転がっているんです。そこで初めて、私がさきほどかぶった泥は、キャタピラに踏まれて飛び散った、人の肉片だということがわかったんです。私の戦争の記憶で、いちばん覚えているのは、あのときのキャタピラです」
涙が、小便のように垂れ流されて出てきた。止まらなかった。
おじいさんの声は、説明を続けた。その後、キャタピラの攻撃を避け、生き残った人々が自害していった。母親が幼い子どもの首に短刀を刺し、次に自分の腹に刺し、「死ぬんだよ」と言う場面を彼は見たという。
言葉は終始静かだった。それを聞くアンカー(アナウンサー)も、発音がわかりづらいところを言い換えたり、同じ言葉を繰り返しながらあいづちを打つだけだった。
「葛根廟事件(かっこんびょうじけん)」の話をしているとわかったのは、おじいさんの話が終わり、アンカーが解説を入れたところでだった。おじいさんというのは、葛根廟事件の生還者、大櫛戊辰さんという方であった。
アンカーは最後に、大櫛さんが仲間たちと2000年に木を植えた話をした。 「葛根廟を再び訪れ、追悼のため1000本の木を植えました」 そこで、番組は終わった。
仕事が早めに終わったので、スタジオ・ヨギーでナイトヨガをして帰ることにする。「安眠」「リラックス」を目的としたクラスらしく、少しだけ物足りなかった。太陽礼拝を何度もやってくれるくらいのレベルが私はいちばん好きです。……なんつってな。ロハスな感じで書いているがな。私のヨガ通いは1年に1回ペースです。すんまそん。でもこうやってOLさんぽいことをできる日が増えればいいな、と本当に思った。
内側に内側に「降りていきたい日」は、深夜に日記を書く。今は雨がやんだので、窓を開けた。少し寒くても窓を開けて、外を通る人のハイヒールの音、咳払いや、早稲田通りの車の音などが聞こえるほうが、落ち着くのです。
今日で、阪神大震災からまる12年だそうだ。私は中学1年のときだった。いつも通り学校に行ったら、社会の田野先生が「大変なことになっています」と言って教室に入ってきたのを覚えている。
12回目の慰霊祭の様子をニュースで見た。娘さんを亡くしたおばあさんも、ご両親を亡くしたおじさんも、テレビカメラの前でかみしめるように泣いていた。12年を経た涙は、すごかった。何かを受け入れ、諦め、もう一度哀しみをかみしめ、また受け入れ、諦め、さらに哀しみをかみしめる。そうした繰り返しを何千回としてきた人たちの強さと弱さが、泣き顔ににじみ出ていた。
ここまで来て、書いていることが今までの日記の焼き直しに見えたり、たいした内容でないことにがっかりし始めている。降りても降りても、ぎゅっと感情のつまったところまでたどり着けない。そういう日はもう寝ます。
そうだ。最近玄米を買った。とてもおいしい。あっちゃんにも好評なので、続けようと思う。
大学でもっと勉強すればよかったと思う気持ちはいつまでも消えない(ホントにテストの前日しか勉強しなかった)。それでもなんとか4年間の成果をあげるとしたら、聖書(旧約・新約)を通して読めたことと、アメリカ文学の流れをまあまあ頑張って学んだことだろうか。
欧米の人々の考え方、生き方はキリスト教を抜いて考えられない。だから聖書の知識があるのとないのでは、文学の読み方も、絵の見方も大きく変わってくる。
最終的な何か、究極的にいえば「生きるべきか、死ぬべきか」を決めるための助けになる力を「教養」と呼ぶという。聖書を理解しているかどうかは(私のレベルではまったく役に立たないが)、ある人にとっては多分、教養なんだと思う。
社会のことが分からない、誰も教えてくれないと、いつも心の奥に不満を抱きながら生きている。「社会」という言葉ひとつ、説明できない。何を知ったら自分と自分の生きている世界を俯瞰できるのか、それさえ分かっていない。経済学部や経営学部で資本主義を学べばもう少し違ったのではないかと、文学を選んだことを後悔したこともある。しかし、経営学部出身の友人も言っていた。「ミクロ経済学とかマクロ経済学とか習ってもねえ、社会がどうやって動いているかなんて、全然分からないよ」。最近、金融業界勤務の先輩からもらったメールには「金融が分かると、世界が分かる」と嬉々とした調子で書かれていた。おそらく彼女も、私と同じもやもやとした感情を抱いていたのではなかったか。
こんな感じの難しいことを、映画『もんしぇん』を見た帰りに考えた。なぜ、考えたのだろう。生まれ変わりとか、神様とか。お金が回る社会からいちばん遠いものごとを、想起させてくれる映画だったのに。『もんしぇん』に出てくる天草の風景は美しく、恐ろしい。恐ろしいのはなぜか。死が、となりにあるからだ。映画の途中で一瞬「あ、死ぬことは怖くない」と思った瞬間があった。東中野から総武線に乗り込んだときには、もう忘れていたけれど。そういえば養老孟司が「昔は死が身近だった、みな死に慣れていた」と書いていた。
エンドロールのあいだ中、鳥肌がおさまらなかった。
『もんしぇん』公式サイト↓ http://www.cine.co.jp/monshen/
2007年01月13日(土) |
お茶にだけはお金をかけたいお |
と思って、色々買った! けど、けっこう安かった! うれしー。最近安いお茶ばっかり飲んでたから、やっぱりおいしいお茶はいいなーと思って食後にごくごく飲む。お茶を買って乙女な気持ちだったので、今日は肉じゃがつくったお。
急須。インテリアショップのセールで。500円。
湯のみ。お茶屋さんで。300円。
右:一保堂のほうじ茶。500円。ほうじ茶は安いんだお。 左:ルイボスティー。乙女カフェ「お茶とお菓子 横尾」で。900円。
横尾のシール。店内のペーパーナフキンにもこの人たちが! かわいいー。
2007年01月12日(金) |
阿佐ヶ谷住宅に行く、もろもろメモ |
落花生を食べながら、1週間を振り返る金曜の夜。
■阿佐ヶ谷住宅
りかちゃんを誘って「阿佐ヶ谷住宅」を見に行く。1958年の高度経済成長期に竣工した公団住宅で、テラスハウスの一部を前川國男が設計したという。まえかわくにお先生は知らなかったが、古い建物は見ているだけでゾクゾクする。もうすぐ取り壊されるという情報を知り、一度見ておきたいと思った。
南阿佐ヶ谷駅から徒歩で5分ほど。家と家が密集する住宅街のなかに、突然開けた土地が現れる。ファミリー向けにつくられたいわゆる「団地」だが、いま主流の高層型ではない。一戸建てが連結して1つの棟を形成する「テラスハウス」が並ぶ。高い建物がないから、視界が開けているのだ。
デザインもモダンだ。素人目にも「かわいい」。箱形ではなく、屋根が三角形の平屋が、私は一番気に入った。小さな庭のある家もある。壁は汚れてグレーになっているが、なじんでいる。汚れることを想定していたと思えるようななじみ方だ。一部、住人が立ち退いて廃墟となった建物もある。周りの木々や公園もあいまって、西洋の、ひとけのない小さな村に迷い込んだかと錯覚するポエジーが、敷地全体にただよっている。不思議だ。すごい。来てよかった。
出版社を志望していた大学3年生の頃、セミナーや予備校で先生がよく言っていた。「自分の目で見なさい」。行って、触れてみないと分からないことが多いから。自分で感じなさいと。本当にそう思う。
※私は知らなかったのだが、阿佐ヶ谷住宅の一部を「とたんギャラリー」として開放しているらしい。 とたんギャラリーについてはこちら↓ http://www.totan-gallery.com/
阿佐ヶ谷住宅についてはこちら↓ http://www.geocities.jp/asagaya_jyutaku/
■ちいさな同窓会
高校時代の友人と、久しぶりに集まる。楽しかった。いろいろ書こうとしたけれど、文章にすればするほど飲み会のあたたかさを伝える言葉には出会えない気がして、やめる。一生付き合っていける自分の味方をつくれただけでも、私は頑張って高校に入ってよかった。帰りの電車で思う。
■本のこと、もろもろ
ブックオフで茨木のり子の詩集を半額で発見。うはうはで家に帰ったら、なんとカバーだけ茨木さんで中身が違っていた。悲しい。
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ずっと迷っていたおーなり由子『ひらがな暦』を買う。365日分のエッセイと、その日にまつわる小話。夜に、「明日はなんの日かな」と思って開く。楽しい。
母が朝のラジオで、「今日はなんの日」のコーナーを楽しみにしていたのを思い出す。
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イイダくんに教えたもらった坪内祐三『考える人』。須賀敦子と武田百合子の欄から読んだ。途中でやめていた武田の『富士日記』再読を決める。
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あっちゃんが「単行本用」のブックカバーを買っていて、私も欲しくなる。本屋のカバーつけるのって、エコじゃないなあ。
■ロスト・ジェネレーション
朝日新聞の連載で知った言葉。25歳〜35歳というから私はギリギリ入る。フォークナーやフィッツジェラルドと同じだと思えば、ちょっとかっこいい気持ちがしてくる。
書きたいことが色々あったはずなのに、たいしたことない。もう少し待ってみよう。
相変わらず、須賀敦子の全集を読んでいる。2巻は終わったので、3巻に……と思ったら発売されていたのは4巻だった。書店で聞いてみると、「3巻はまだ文庫化されていないんです」との答え。出版社で何かトラブルでもあったのだろうか。友人数人に尋ねたが、原因は分からず。「河出(書房新社)に問い合わせてみたら?」と言われたがそれほどでもないので素直に4巻を先に読む。
坪内祐三『考える人』にも須賀敦子のページを見つける。全集のプロフィールは完全なものではなかったらしい。聖心女子大学を卒業したあとに慶應の大学院に進み、中退している。本に、日本の大学院時代の話が出てきたのはそういうことだったのか。
私に須賀を教えてくれた友人は、「この人の本を読むと気持ちが平静になる」と話していた。確かに、読んでいるととても落ち着く。おそらく文章を書く際の、ものごととの距離のとり方がうまいからなのだろう。感情がぎゅっと抑制され、男っぽい緻密さが全面に出ている。たとえそれが愛する夫の死に関する一文だとしても。
彼女には曇り空や霧が似合う。
2007年01月03日(水) |
Bonnie Pinkという生き方 |
高校生のときに2カ月くらいお付き合いした男の子が、ボニーピンクというシンガーソングライターの存在を教えてくれた。髪の毛がピンクで、おしゃれなその人は、切ない高音で英語を上手に歌った。
私が初めて買った彼女のCDは、『evil and flowers』だった。ミニスカートの制服とルーズソックスで、浦和駅まで高崎線に乗った。私の通学の朝は、いつも表題曲のピアノの音から始まった。
紅白歌合戦のテレビで、彼女を見た。「今年を代表するアーティスト」と紹介されたボニーは、8年前のあの頃から変わらず、淡々と、自分の音楽をしているように見えた。自分で決めてきた人の強さだ。
2007年01月02日(火) |
あけましておめでとうございます |
あけましておめでとうございます。喪中で年賀状は出せないため、実家でのんびり日記を書いています。
今年の年末年始は、北海道(札幌、帯広、中札内村)で過ごしました。
札幌では夕刻にsmちゃんの家にお邪魔して、お寿司やsmちゃん手作りの角煮をいただきました。彼女の部屋には幸せが満ちていて、なんというか、「透明だったね。いいね」と友人と話しながら帰ってきました。
幸せが満ちているというのは、たとえば古いいすの上に絵本が重ねて飾ってあるとか、羊のぬいぐるみがシンプルなベッドの横にそっと置いてあるとか。おしゃれで上品なんだけれど、それが彼女の潔く優しい、ゆったりとした人柄のおかげでいやみなく存在している。居心地がいいのです。彼女はこの世界で大切なことが何か、そしてそれらがそれほど多くないことに気づいている、数少ない人だと思います。
札幌のカフェにも、何件か寄りました。事前に調べてあった「雑貨喫茶十一月」は年末のお休みで、大変残念な思いをしましたが。時計台のそばの「北地蔵」はおじさんやおばさんが多くて落ち着いた。新聞が置いてある喫茶店が私は好きなのです。
帯広では「ばんえい競馬」を見物に行きました。
ばんえい競馬って知っていますか? 馬が重いソリを引いて競う競馬です。北海道が世界に誇る、文化遺産なのだそうです。最近存続が危ぶまれていましたが、ソフトバンクの資本が入ることになって、なんとか続くことになったといいます。
私がこの競馬の存在を知ったのは、映画『雪に願うこと』がきっかけでした。北海道の美しい自然と白い息をはく馬の映像が頭に残っていた。今回は「競馬場だけでも見られれば」と思っていたのが、なんと元旦から競技が行われることを知り、飛び上がって喜びました。
私も競馬新聞片手に2000円かけてみました。なんと、「単勝」(1位の馬を当てる)があたり、1000円が5600円になりました。最終的に6000円ももうかりましたよ。ビギナーズラックというものでしょうか。
そんなこんなで、今年も始まりそうです。今年の目標は、 「早寝・早起き」 「100万円貯める」 です。 あとは、目標じゃないけどヴェネツィアに行きたい。須賀敦子のエッセイで知った、ウンベルト・サバの詩集も読みたいと思います。
今年もどうぞ、よろしくお願いします。
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