じんましんがいつまでたっても治らないので年末に女子医大病院に行く。
あまり感じの良くない病院だった。受付から看護婦さん、お医者さんまで女性が多く、女性のヒステリックさ、悪い面が患者に向いている。余裕がない。おじいちゃんやおばあちゃんがくだらないことを聞くと、「あたし忙しいんだからそんなのに答えてる暇ないのよ」という態度で一蹴されてしまう。私も初診で何階に行ったらいいのか分からなかったので、「これって……」と聞こうとしたら、「順番にうかがいますからねっ」とどなられた。迷った人の案内をするのが総合案内の人の仕事ではないのだろうか。
じんましんは「原因不明だから」という理由で検査をすることになる。メスで皮膚を切って、それを顕微鏡で検査するのだという。長い説明の後、同意書を出されて少しおじけづく。結局、病院側の実験台にされていたことにあとから気づいた。
検査の当日、皮膚科の医者たちがぞろぞろと私の皮膚の様子を見にきた。患者をモノとしか見ていないんだな、ということがありありと分かった。検査の結果、じんましんは「ジベルばら色粃糠疹(ひこうしん)」というヘルペスの一種だと判明。顕微鏡で調べたというわりに、顕微鏡で見た写真などは患者には見せられず、ただ口頭で説明を受けただけだった。
病院に行くたびに思うのは、「お医者さんは助けてくれる」なんて絶対に思ってはいけないということ。彼らも仕事なのだ。ミスだってあるし、気分が乗らない日もある。何をするにも自分の身は自分で守らなければならないのだ。とりあえず、もう女子医大には行きたくない。
2006年12月22日(金) |
ボツ写真館06(rinちゃんのマネ) |
掲載しなかったボツ写真で1年を総括してみます。
1月。雪が降った。家の窓から。
5月。尾道に行く。
尾道のカフェ。
7月。うなぎを食べる。
8月。伊東に行く。
伊東の帰りに、江ノ島に寄る。
夏、国際子ども図書館へ。
ニドカフェ。
くぐつ草。
11月。津和野へ。紙すきの工房。
津和野のSL。
津和野の朝。
ある日。雨が降った。
手持ちのすべての仕事が一気にピークを迎えてしまい、どうしようもないことになっている。須賀敦子の全集2が出たから、電車に乗っているときだけ、ヴェネツィアの宿のことを考える。
先日は、1歳半の男の子に会いに行った。ぜんぜんなついてもらえなかった。母に「嫌われちゃったよ」と愚痴ったら、「よその人に簡単に心を許さないのは、家庭でちゃんと愛情を与えられている証拠よ」と言っていた。
金融業界の人を取材することが多い。複雑な仕事だ。私たちが大根やカレー粉を買うお金とは違うお金が、この世を牛耳っているらしい。本をつくるって、本当に単純な仕事だなと思う。両方とも、面白そうだ(面白い)と私は思う。
先日突然出たじんましんがなかなか治らない。皮膚科に行きたい。8月の健康診断で「乳腺症」と言われた。念のため婦人科に行けと言われたのに行っていない。行きたい。
仕事も大事だが、他にももっとたくさん大事なことがあると思う。でも、仕事だけは中途半端で終わらせたくない。いや、「終わらせたくない、負けたくない」というよりは、面白いのだ。唯一一生懸命やった、小学校の時のバスケのような感覚がある。やればやるほど新しい世界が見えてくる。初めて、ジャンプシュートが成功した日の練習を、たまに思い出す。膝の使い方が分かった。そう、景色が変わるあの感じだ。
いつもへらへらしている。これは反省点だ。本当は、笑うべき時にのみ、笑う人になりたい。つまり、ほとんど笑わない人になりたい。そんな自分でもまあいいか、と思う日もあるし、変わりたい、と思う日もある。
大人になると、自分で決めることばかりだ。「幸せな人生」は、自分が選び取らないと誰も教えてくれない。どこへ行っても文句を言う人はいるし、どこへ行っても幸せそうな人もいる。どこへ行っても文句を言っているが、それでも楽しそうな人もいる(私の彼は3番目だ)。
そんな感じで、25歳になった。会社の近くのカフェのご夫婦が、私の似顔絵を描いてプレゼントしてくれた。なぜだろう、それが、宅八郎に見える。
週末。とみたとみのだとふくだという女性と茶をずるずるとすすりたり。いとたのし。きゃつらと我は全員「労働拒否」を掲げて移住、婚姻、資格取得などを模索したり。労働拒否キャンペーンは今後、世界的に行う予定あり。しかるに、婚姻相手の男性も労働を拒否するなど難題多し。
とみたみのだふくだ、みな、無駄に笑わず。我、えへらえへらと媚びを売るが、とみたみのだふくだには通じず。媚びても、何も得られず。我も、えへらえへらを中断す。
結論。図書館司書か学芸員になりてえへらえへらと暮らそうということになる。
ふくだより誕生日賜物をいただく。うれし。涙。感動の嵐にて竜巻発生。我巻かれる。長いものに巻かれて眠る。毛布温かし。爆。
仕事で徹夜明け、そのまま美容院に行く。店を出るころには、あたりはもう暗くなっていた。携帯電話に実家から何度も着信があり、折り返しかけたら少しむすっとした声で母が出た。
「誕生日前だから帰ってくるかと思って準備していたのに、全然連絡がとれないんだもん」という。ケーキと赤飯を作るか、ずっと迷っていたらしい。そういえば少し前に、「一緒に大宮で誕生日プレゼント買おうか」と話していたのを、すっかり忘れていた(その時は、私の機嫌も良かったのだ)。
色々小言を言われたことに腹が立って、「こっちはね、仕事でいつも忙しいの。来週も再来週も、いつ休みが取れるか分かんないし、それをどうしていちいちお母さんに伝えなきゃいけないわけ?」と反論してしまう。混み合う休日の原宿駅で、周囲の雑音に負けないように大きな声を出した。
がちゃんと電話を切った数分後に、「悪かったかな」と不安になる。「結婚したらお誕生祝いだってできないんだから」と言って、餅米を水につけて赤飯をたく準備をしてくれていた母の気持ちが、すこしずつしみてきた。
すぐに再度連絡をし、「ごめんね」と謝った。さっきは興奮していた母も、「そんなね、忙しくない時に来たらいいから。疲れたらいつでも戻っておいで」と落ち着いていた。お互い「ごめんね。じゃあね、バイバイ」と言って切る。この人とけんかするときはいつも、相手の話も聞かずにお互いばーっとヒートアップして、それを忘れた頃に、お互い、謝って終わる。バカな母子だ。
寒い駅のホームから電車に飛び乗ると、冬特有のこもった車内のあたたかさが、うれしかった。買い物をした休日の人たちの、紙袋がこすれる音。ベビーカーをひいた家族連れ。「バナちゃんのおかげで人生が変わった」。母が昔のアルバムを見ると必ず言ってくれる言葉が、ふっとよみがえる。
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