コンビニ弁当で体がボロボロ、その上夜型生活という非常によくない循環を、25歳を目前にして本気で反省し始めている。
ウンココロ手帖なるものを購入。1日の終わりに、その日のうんちと、自分の気持ちを記入する。私は常に便秘気味なので、ヨーグルトを食べるように心がけるところから始めようと思う(今日はアロエヨーグルトを買った)。頑張ります。
2006年11月26日(日) |
見せてくれ心の中にある光 |
コンポが壊れて、CDウォークマンの電池がなくなってからずっと音楽を聴いていない。困らないし、違和感もない。でも久しぶりに小沢健二を聞いたら、違う景色が見えた。これだ。仕事ばかりしていると、これを忘れる。仕事ばかりではない。ラジオ深夜便や、死んだ作家の小説ばかりで暮らしていると、これを忘れる。
高校、大学時代は、歌詞のひとつひとつに震えていた。はたちの日々は、もう5年も前のことになる。時間はありあまる程あった。いつも眠っていた。恋愛に頼ろうとした。かわいくなろうと必死だった。
あのころの不安定さを、解消するための技を得るための5年間だったように思う。
克服したなどと傲慢なことを思ってはいけない。孤独に直面しているか、そうでないかの違いだけだ。ガチンコ勝負をせずに、裏道を覚えただけだ。
同年代で今でも不安定な人を、恥ずかしいと感じる。不快感さえ覚える。ウイットのなさを、沈黙の少なさを、軽蔑する。その気持ちは嘘ではない。しかし我が身はどうだろうか。小手先のテクニックや避難路を、ただ知っているだけだ。あるいは人に、助けられているだけだ。
先日友人に聞かれた。「なんでアイドルになんてなりたい女の子がいるんだろう」。よく分からないと言った。本当は分かっていた。自分だってそうだった。見て欲しい。認めて欲しい。それ以外考えていなかった。
子どもの頃の気持ちを、大人は忘れてしまう。よく出来た童話が使う言葉だ。本当にそうだろうか。覚えていないふりをしているだけではないか。あの頃の自分を思いだしたら、正気を保てないから。
久しぶりに文章を書きたい気持ちがわいてきた。わいてくるまで書かないことにしているのでうれしい。きっかけは、石田千の新刊が出たことかもしれない。『須賀敦子のミラノ』(著者は大竹昭子)も買った。うれしい。
今日は江古田に行く用があったので、久しぶりに池袋で降りる。西武のズッカでセーターを2枚買う。以前買って、着倒して、壊れたものと同じ商品。最近、トップスは無地のVネック以外全く興味がなくなってしまった。いかり肩は、Vネックが一番細く見えるのを発見したのだ。夏はTシャツ、冬はカシミヤのニット。春と秋は綿のニット。妥協してV以外を着る日はなんとなく居心地が悪い。
3カ月アジアを旅行していた友人が帰ってきた。写真を見ていると、本当に楽しそうでこちらまでスカっとする。タイに留学していた友人も帰国。ぐだぐだだべれる人たちが2人も戻ってきてくれて、ほっとする。
先日読了した『須賀敦子全集第1巻』の『旅のあいまに』の中に見つけた言葉。「人生は、どうしても妥協するわけにはいかない本質的に大切なものがすこしと、いいよ、いいよ、そんなことはどっちでも、で済むようなことがどっさり、とでなりたっていて、それを理性でひとつひとつ見きわめながら、どちらかをえらんでいくものだ」
ku:nel以外の雑誌は特集の内容により買う。気付けば、同じような内容のものばかり集まっている。普通の女の子たちが興味があって私も興味があること、そして、普通の女の子たちが興味があるけれど私は興味がないことについて(勝手に)考えてみる。
【普通の女の子たちが興味があって私も興味があること】
恋愛 お洋服 お金 ブランドもの お茶、カフェ インテリア ロハス ていねいな暮らし 湘南 本、雑誌 映画 雑貨 カメラ ヨガ 結婚 出産 仕事 マクロビオティック 美容院 ジャニーズ
【普通の女の子たちが興味があって私は興味がないこと(言い訳)】
スパ、エステ(裸になるのが億劫) デドックス(そんなに簡単に出るわけないと思っている) マッサージ(裸になるのが億劫) お風呂(裸になるのが億劫) お酒、バー(酒飲めない) ダイエット(食中毒をして50キロ切ってもモテなかったから) スキンケア(やらなきゃ、とは思う。そろそろ) お化粧(やらなきゃ、とは思う。そろそろ) ドライブ、車(電車は本が読める、歩けばその分長く話せる) リゾート旅行(派手なイメージ) デートでどこに行くか(愛があればっ、どこでもいいのっっ) ものすごくおいしいお店(おごりなら行く) 香水(やらなきゃ、とは思う) ネイル(やらなきゃ、とは思う) 占い(ふつーのは読む) かわいい女の子(男だけしか興味なし) ペット一般(夫と子どもが好きなら飼いますよ) 銀座(伊東屋は好きだが) 二子玉川(セレブ妻って興味ない) コマザワンヌ(犬が好きではないため) スイーツ(甘いものは大好きだけど、雑誌は買わない) ディズニーランド(好きだが)
2006年11月23日(木) |
いろんな仕事の人がいる |
先日ラジオ深夜便を聞いていたら、「もみじ研究家」の矢野正善という人が話していた。非常に面白く、夢中になる。眠れなくなる。
趣味を極めないと気が済まない人らしい。もともと会社員で、写真を趣味にしていたらその写真が仕事になった。そして料理写真家として有名になってきたときに、今度はもみじにはまっった。たまたま人にもらったもみじ(正式にはカエデ)がきっかけだったそうだ。はじめは趣味のつもりだったが、いつもの通り没頭しすぎてついに、「もみじ研究家」を職業(?)にしてしまったのだという。自費出版したもみじの本は、ホームページ上での注文だけで、もうすぐ売り切れそうな人気ぶりだとか。世の中広いなと思う。
子ども向けの職業・社会体験施設「キッザニア」のホームページを見ていて思ったこと。(行ったことがないので分からないが)こういうところで取り上げられる「職業」って、専門職が多いなあと思う。たとえば医者、新聞記者、テレビ番組制作、消防士、お菓子屋さん、美容師などなど。特徴がないからなかなか難しいのだろうが、日本人に最も多いいわゆる「サラリーマン」を細かく分類してどんな仕事をしているのかを教えてくれる場所はないのだろうか。
よく「サラリーマンにはなりたくない」と言われてしまう、スーツを着て働く40代〜50代の大人たちは、どんな風に仕事をしているのか。「満員電車に乗って、今日も部長と新人の間で板挟み」……そういった漠然とした答えではなく。彼らのしている仕事にはどんな手応えがあり、日々の積み重ねがあり、入社以来30年間勤め上げた先には、どんな風景が待っているのか。誰もそれを、教えてくれない。
朝日新聞の文化面に、石牟礼道子の記事を見つける。『苦界浄土』第2部の『神々の村』が単行本になったことを知る。うれしい。
石牟礼道子という女性、作家、ひとについて考えるとき、私は色々なものから解き放たれた気分になる。解き放たれ、台所で今煮ている肉じゃがのゆげを、いとおしく眺める自分になれる。なぜだろう。
朝日新聞は石牟礼作品を、「近代に踏みにじられる、前近代の基層にあった残光」と書いていた。光。それは崇高で「ははあ」と頭を下げてしまう類のものではなく、手を伸ばすと温かく包まれるような、手触りのある何かだ。
■友人の彼ぴらと飲む
土曜は、ご縁があって同業の人と飲んだ。他社の勤務の実態など聞いたが、「楽だし子どもも産めますよ」なんて話はやはり出てこなかった。ううむ。
同業の人と話すのは楽しい。本がすきなひと同志というのは諸々の前提を取り払えるので話が早い。読んでいる本はたいしてかぶっていないのかもしれないが、まあ「村上春樹ってさあ」というところから言わなくていいよね、とお互い思って別のことを話している。
■松浦弥太郎
乙女はみんな知っていると思うが、弥太郎先生が暮しの手帖の編集長になったんスね。 http://www.henshukaigi.com/topics/post_89.html
1年半中断していた商品テストも復活するみたい(新聞に書いてあった)。1月発売号、買っちゃお。
■北海道生活
この年末北海道に行くので、北海道が気になります。書店で見ていた『北海道生活』という雑誌、札幌の出版社が出しているらしい↓。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000260605170001
レイアウトが○○○ルそのままなのがなんとも言えない(上に写真複数点、下1段本文。この単純なレイアウトをうまく見せられるのは、やはりアリヤマさんだからなのか……)のと、写真がやっぱりなんとも言えない感じだったが、地方の出版社の本は興味深いです。
■ぼくの美術帖
『考える人』のメルマガと中野翠が勧めていたので、『ぼくの美術帖』がとても読みたいのだが、みすず書房の本はなかなか探すのが面倒だ。芳林堂の美術棚には見あたらず、問い合わせるほどでもないか、と思って帰ってきてしまう。たまに、こういう本がある。石牟礼道子の『あやとりの記』もそう。ジュンク堂に行けばいいんだけど。
■ゲド戦記
須賀敦子がだいぶ長くかかって読了しそうなので、次はゲド戦記の長い旅に出ようと思う。
2006年11月05日(日) |
津和野(島根)に行ってきました |
仕事が行き詰まってこのままでは自分がだめになる(←ちょっとおおげさ)と思い立ち、急に切符をとって島根県の津和野に行ってきた。津和野は『なぜかいい街一泊旅行』という本でドイツ文学者(旅好きおじさん)の池内紀が紹介していた場所で、なんとなく、私の好みに合いそうだとピンときていた。
3連休で観光バスも押し掛けていたが、彼らが見るのはほんとのほんとの中心部、しかも数時間だけ。小さな町を少し歩くと、民家もぐっと減り、人影もまばらだ。川がちょぼちょぼと控えめに流れ、山が眼前に迫ってくる。夕暮れ時、昼間は人でごった返していた森鴎外旧宅のそばに、「津和野」という地名の由来になった石蕗(つわぶき)の花がひっそりと咲いていた。
津和野は山陰の小京都といわれるだけあって、寺社も多い。どれも山の中にある。今朝は6時に起きて「永明寺」に行った。朝靄の中、人っ子ひとり通らない階段を登った先に、この地の出身である森鴎外の墓が、ひっそりとたっている。雑司ヶ谷霊園で見た漱石の墓が「夏目家」と書いた大きな墓石であったのと対照的に、鴎外のそれは「森林太郎墓」と案内板がなければ見逃してしまうほど、ありきたりの大きさ、場所にあった。明治の文豪の墓は当然東京にあるものと思っていた。絵にならない地味な墓石にカメラを向けながら、なんだか宝を探し当てたような、不思議な気持ちになった。
それにしても旅に出ると、早起きできるのはなぜだろう。平日は何度も何度も目覚ましを鳴らして、ラジオのタイマーをセットしてようやく目覚めるのに、今朝は自然に5時50分に目が覚めた。体は正直だ。
津和野が和紙で有名だと知ったのは、前述した池内紀のエッセイからだ。彼は和紙づくりの工房を見せてもらったと書いていた。当然、駅に着いたら大々的な宣伝があるかと思ったが、紹介してあるのは安野光雅美術館と鯉がいるお堀のことばかり(どちらもどうってことない……なんて、怒られますね)。
駅から30分ほど歩いたところで、「伝統工芸館」という寂れた建物を見つける。「和紙の製造工程をご覧になりませんか」とさび付いた看板が告げていた。今は観光バスのコースに入っていないのだろう。和紙製品を売る土産物屋ではおばさんが暇そうに店番をしている。
人っ子ひとりいない(また、これだ)その建物に足を踏み入れる。勇気を出して、土産物屋の奥にある工房のおじさんに声をかけた。「ちょっと、見せてもらっていいですか」。封筒にするという和紙を乾かしていたおじさんは、「どうぞ」と慣れた調子で和紙ができるまでの流れを見せてくれた。取材の癖で、驚いたリアクションをしてしまう。和紙の歴史などについて優等生っぽい質問を投げてしまった。本当は、おじさん津和野で暮らしていてどんうですか、とか、普通のことが聞きたかった。おじさんも最初は観光客用の受け答えをしていたが、それでも、時間が経つとぽつりぽつりと本音らしきものも話してくれるようになった。「最近は観光客がこっちまっでこないね。あの鯉のいるとこだけよ」。
和紙の職人は、紙の厚さを毎回均等に出来るようになって一人前だそうだ。ただ「すく」だけなら数年でできるが、それでは売り物にならない。「体験をしていかないか」と言われたが、葉書1枚を持ち帰っても仕方がないので断った。自分が冷たい人に思えて、罪滅ぼしではないが「石州和紙」と書かれた質の良さそうな便せんを、買って帰った。
別れ際おじさんに「後継者はいるのか」と、ありきたりな質問をしてまた後悔する。「数年前にわしがここ休んでたときに、東京から女の子が手伝いに来てたけどね。修行ゆうて。今は辞めてしまって、別の所にいるみたいだけどね」。
旅の間、ずっと須賀敦子を読んでいた。島根とイタリア。これから私が須賀を読む時には、きっと津和野の山と川、オレンジ色の瓦屋根を思い出すのだろう。こういう時間があるから、私はまた生きていけるのだと思う。
昨晩、山の向こうに見えたまん丸のお月様を眺めて、本気で移住を考えた。それなのに今晩、高田馬場で倒れている学生を見たら(3連休は早稲田祭だったらしい)、「帰ってきた」とほっとした。マラバールでカレーを食べて、私は日常に戻る。マラバールのカレーはおいしい。
大学時代の友人たちと、卒業式以来初めて集まった。友人たち、といっても大学時代、クラスで仲が良かったのは3人だけだ。
卒業から2年半以上経つのに、なんとなくあか抜けない感じや暗い感じ、くだらないことをぐだぐだと話す感じは学生時代と全く変わらず、楽しかった。何よりみんなの顔を見られて、うれしかった。
4人ともOLをしている。地元の鹿児島に帰った子もいれば、働きはじめてから実家を出てひとり暮らしを始めた子もいる。
私の仕事のことを聞かれたので終電で帰っていること、今日もこれから仕事に戻ることを伝えたら、驚かれる。「なんだか痩せたんじゃない? 働き過ぎじゃない?」と色々心配される。
ある友人は、定時の夕方5時に仕事が終わるので、家に帰ってから酒ばかり飲んでいるという。「氷結を箱で買ってね、1日一本飲まないと眠れないの」。「どんなOLだよ」と突っ込んだら、もう一人も「私は酒のことを忘れるために眠るって感じ。布団に入らないといつまでも酒を飲んじゃうから」。はあ。
一番驚愕だったのは、「お金貯めてそう〜」とみんなに言われていたPちゃんが、貯めたお金を全身脱毛に投資していたこと。その額なんと40万円! 確かに大学時代から「毛深いから脱毛したい〜」と彼女は話していて、私も適当に「私も! ツルツルになりたいよね〜」などと相づちを打っていたっけ。お金が貯まると、人間ホントにしたいことをするんだね。あたしゃ、冬が近づいて毛のことなんて忘れていたよ。
こうしておばちゃんになってもくだらないことを話して、集まっていたいなあと思った連休前の夜であった。
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