2004年05月31日(月) |
過去を書くのは楽だ。 |
中学校時代の「個表」(定期テストの成績と順位を表にしたもの)が机の中からでてきた。
1年生1学期の中間テストから2年生2学期の期末テストまでずっと1位で、2年生3学期の期末テストと3年1学期の中間テストで初めて、2回連続で4位に落ちている。この後、私は肺炎で入院した。
退院後の先生からの言葉には、「バナナちゃんはこの入院で、ますます人間として成長したと思います」とあった。先生の言う通りかもしれない。その後は卒業まで、また1位に返り咲いている。
「競争はようやく1つのゴールを迎え、4月からまたやってくる。でも私は今まで必死にやってきた自分が競争に勝てたことが、本当にうれしい」。高校入試に合格した日の日記も、今読むと不気味な予見に満ちている。
たかが公立の中学、高校じゃないか、そういってあざ笑うことはたやすい。しかし、自分のいた狭い世界がすべてだった当時の私にとっては、そこで何番であったか、絶対に負けなかったという結果が、人格を規定していた。あの時劣等生だったら、今の私はどうなっていたろうか。たまに、そんな意味のない夢想をしては、くだらないとひとりごちてうち消す。
全体が見渡せないままに、途中までがんばり続けて息切れしてしまった私のような女の子(よくいるよね)の不幸についてしばしば考える。癖はなかなか抜けない。会社でも「出来ません」とは絶対に言えない。
眼前の人物と正面切って向き合おうとするのは悪い癖だ。他人はそれほど私を見たくない。泣いたり叫びだしたりするのは、ただ許して欲しいからなのだろう、1番になれなくなった自分を。代わりに差し出せるものがないことを、繰り返し確認して、それでも目を合わせてそこに立て、と要求する。
2004年05月27日(木) |
さいきん、どうですか。 |
と、聞かれたので最近どうかを書こうと思う。
最近は徹夜したりしなかったりです。 原稿をひたすら書いて、 上司に見せて、 直して、 上司の上司に見せて、 直して、 入稿する。
文章に赤を入れてもらうのは、 本当にためになる。 「分かりやすく、具体的に」が いかに難しいかを実感している。
最近読んだ記事で気になったのは、 アサヒコムの斎藤美奈子インタビュー。 上のことに関わるけれど、 この人も「面白く分かりやすい」ことについて話している。 気をつけること。 難しいものを平易に、 易しいものほどフックをつけて。
最近嬉しかったのは、うーん、前の彼と電話で話せたことかな。 この人との会話(といえるのか分からないが)すると得ることばかりなので。 西原理恵子の漫画は鴨(元だんな)がでてくるとこが笑える、 ダメ男をどうしても愛しちゃうところにグッとくるから、と言ったら 「それは僕に対して失敬だよ」と言うので、 「そんな私があなたのこと好きって決めつけたような傲慢さは何?」と 返しておいた。 面白かった。
最近悲しかったのはトイレが詰まって 夜中にずっぽんをしないといけなかったこと。 生活はこうした細部で成り立っているのです、ね。
最近楽しみにしてるのは 大好きな『月曜日に乾杯!』の監督である オタール・イオセリアーニの映画祭。
最近おいしかったのは穴子寿司。
最近決めたこと。匿名のネット上で、(つまりここで) 何かの悪口をかくのはやめようということです。
最近は、よく淡い黄色のカーディガンで出かける。
最近、バレエシューズと細い綿のパンツが欲しい。
最近になってようやく、髪型がなじんできた。
最近はもっぱらラジオ深夜便です。
そうそう、最近デジカメ買ったんだ。今デジカメ特集を担当しているので、けっこう詳しいわよ。
こんな感じでどうでしょうか?
月曜日のラジオ深夜便はジャズ。しょうが焼きときんぴらごぼう。ランチョンマットを買ってからテーブルが汚れなくていい。などと書き連ねる村上春樹的生活は嘘だろ、と思っていたがそれなりにどうにかなるものだ。
想像を超える大きな快感への渇望。それが私の脳を浸食して、書物で振り払わないと私ごと溶かされるだろう。
日記とはなんぞや、人に見せる生活とはなんぞや。問いかけ、諦めて部屋を出る。
2004年05月23日(日) |
デジカメを買いました。 |
日曜、一日休んだらだいたい疲れがとれた。
先週は、徹夜を頑張ったおかげか良いことがあったように思う。
「話す『言葉』が見つからないので電話しないでくれ」と言っていた人が、仕事を心配してかけてきてくれた。私がアレルギーでずーずーしていたら、「デブ、鼻水ですぎだよ、かめよ」と言う。優しくされるとだめなたちで、もっとずるずるいろんな液体が出てくる。うう。ちまたに溢れるウェブ日記の気持ち悪さ、写真。自分の作るものについての話題を避けたいこと、などについて話すのを聞いた。
最近、誰とも電話することもなしに、毎日一人でご飯を食べることを繰り返している時に考えたこと。私はずっと、誰々に○○されたい、という願望について考えてきたけれども、実は、自分が○○したい、と思える人がとても少ないということに気付いた。話したいことがあった時に、それを伝えたい人はとても少ないという事実に愕然とする。
2004年05月16日(日) |
書いてる途中で寝た文章 |
前略王子さま
私ははじめての17ページでてんてこまいです。 次号からは40ページね、と言われているのに どうするんだろう。
昨日も今日も会社に出ましたが、 思っていたよりも仕事がはかどらずに 今も心がすっきりしません。
この仕事は、テスト前の勉強に似ています。 勉強は嫌いじゃなかった。 楽しいし、色々返ってくるものがあるから頑張れます。
土日に映画館にも書店にも行けないというのは辛いので 今日は地下鉄で帰って、ひとえき前の早稲田で降りました。 あゆみブックスは12時までやっているから助かる。
BRUTUSと菊池なるよしの本を購入。 本当は『戦争が遺したもの』を 読まなきゃ、読みたいなってずっと思っているんだけど。 小川洋子の『博士の愛した数式』も気になっているし。 そうしたら新刊の『ブラフマンの埋葬』も出てしまった。
早稲田から自宅まで歩く途中、 様々なものを見ました。 見ると同時に、心に何かを映し出すものが、 この通りには多いのです。
待ち合わせをした角 エントリーシートを持って走った郵便局 レッドピーマン 泣きながら走った路地 レコファン すれ違う恋人たち へぼい居酒屋
記憶の中を歩きながら、 とても優しい気持ちになる。 家についてコーヒーを入れる。
y
前略 王子さま
私は今、お湯を沸かしたりコーヒーを入れたり 料理を作ったり それをテーブルに運んでよいしょと箸を付けたり そういうときに生活の手触りを感じる。
今読んでいるポール・オースター『孤独の発明』に 「生きている実感」という言葉が出てきて、 ふと思った。
仕事の中だと、原稿を書くのが一番好き。 パソコンの操作説明でも好き。 原稿なんて仕事のごくごく一部で、メインじゃないし むしろ人に振りたがる人が多いけれど、 私は本当に好き。 書くことが嬉しいの。
毎日ポストを覗くの。 あなたから手紙が届くかな、と。 でももうやめようかと思うの、もう、色々。
かしこ
2004年05月12日(水) |
Alone Again (Naturally) |
前略 王子さま
ひとりでも幸せそうにご飯を食べられる人が好きです。 例えば、るきさんがそうです。 「もぐもぐもぐもぐ」
深夜の料理が楽しいです。 今日は冷凍してあった餃子と チャーハンと味噌汁でした。 ラジオをかけたらヨガの話をしています。
私が「年金のことは学校で習ってない、分からない」と言ったら 母親が『そこが知りたい国民年金』という冊子を 送ってくれました。 漫画なので分かりやすくて、 ふむふむと読んでいます。
ああ、今日は疲れたからもう寝よう。 2年経っても3年経っても現れないあなたに、 少し失望する日もあるんだ。
かしこ
「好きな子に連絡しても全然連絡が取れない、留守電入れても返ってこない。もしかしたら病気とかしてるのかなあ、心配だなあ」
……という話を、前の彼がしていたことがあって、バカだね振られてるに決まってるじゃん、とあきれたことがあったが、今自分がそういう立場になってみてすごく思うのは、人間はなんて楽天的なんだろうかということ。
何度も何度も電話をして気持ち悪いメールなど送ってみるが、相手から返信がない。これはきっと病気か何かだ!あるいは、携帯電話を落としたとか、彼女に取り上げられたとか、そういった事故が起こったのかも、と考える。
そういえば昔のオリーブに、町田康の「プチ相談アワー」というのがあった。そこにあったやりとりが非常に希望の光に溢れたものだったのを思い出し、引っ張り出してみた。以下引用(こういう時のためにやっぱり雑誌は手もとに置くべきなのだ)。
***
Subject: 好きな人へメールを送っても返事がきません。 いったいどういうことですか?
Re: 僕なりに考えてみましたが、パソコンが故障している、携帯をなくした、長期出張でメールを読んでいない、ヨットで太平洋横断中である、スパイと間違えられて逃げている、火星人にさらわれた、といったところが意外と真相ではないでしょうか。上記以外の理由は、常識的に考えてちょっと思いあたりません。
***
そうかそうか、と思う。最近絵に興味があると言っていたから、きっと上野の森にフェルメールなど見に行ったところ非常に感銘を受け、「俺も画家になる!」と単身渡蘭してしまったのだろう。仕方がないねえ、衝動的な人は。ということで国際電話は無理だし、まあしばらくは連絡がなくて当然ということに決定した。彼女とも遠距離になってしまうのね、うくく。
久々に開いたオリーブにはまってしまい、南Q太の『オリベ』を読んだら色々とどうでもよくなる。あ、それから町田先生の勧めていた笙野 頼子『タイムスリップ・コンビナート』も気になった。
人間はこのようにあほで楽天的にできているので、また明日を迎えるのだと思います。「人生に救いはねえよ、けど有効。技もある」。うう。
■そうだ、他にもいくつか
□『SEXとオタク』
やそじさんとこに、へんてこなものの題名があったので、なんだこりゃ、と思って検索してみたらカンパニー松尾のはめ撮り(っていうんだよね?妖精だからよく分からない)AVの題名だった。なんと。この人もAVの貸借などするのか、と非常に面白くリンクなどたどってみる。
高橋源一郎の『あだると』は読みましたか?官能小説ではないけれども、とても面白いのでぜひ。
□きわめてよいふうけい
『リトルモア』誌上でやっていた連載、『きわめてよいふうけい』が映画になるようだ。ホンマタカシが中平卓馬を撮るという興味深いもの。その上写真集は数量限定(たくさん作ってよ)。これは見に行かねばと思う。中平卓馬は記憶を無くしてから、今まで撮っていた写真を捨てたらしい。そういうことするかね、まったく。
写真展もやるんだー。Nadiffです。 http://www.cinematopics.com/cinema/news/output.php?news_seq=3807
2004年05月08日(土) |
『エレファント』を見た。 |
前略 王子さま
夜の10時過ぎ、 原宿から高田馬場の自宅までとことこ徒歩で帰りました。
テアトル新宿でレイトショーを見た帰りなど、 学生時代にはよく歩いた明治通りです。
花園神社にはいつものように 劇団の小屋が建ち、 車道は地下鉄工事の赤いポールが 並んで光っていました。
深夜の工事現場は、ちょっとした非日常で面白いんだよ。 沢山の作業員が、イルミネーションのような 電飾つきの服を着て棒を振り、 車や、私たち歩行者を誘導します。 その内側では、ブルドーザーがアスファルトを崩し、 巨大なドリルが穴を掘っています。
1時間以上歩いたので、色々なことを考えました。 普段考えないようなことまで、頭に浮かんでは消える。 習慣や繰り返しや、規則正しさという気持ちよさの中に 消えてしまっていた感情が溢れだして、 私を温かく包んだり、緊張させたり 思慮深くさせたりするのです。
深夜にすれ違う人はみな、 深夜にそろりと外出してしまいそうな雰囲気が漂っていて、 どこか間抜けで手持ちぶさたに見えます。 大久保のブックオフには、こんな時間に、 こんな時間だからだなあ。たくさん人が居ました。
あなたはどこにいますか? 今日はどんな一日だったんだろう? 昨日はどんないちにちだったんだろう? おとといはどんな一日だったんだろうね。 最近映画は見ている? どんな本を読んでる? 気になる女の子はいる? 落ち込むことはある?強いからないかな。
私はたまにあるよ。
胸まであった髪の毛を、ばっさり切りました。
さっぱりして、とてもいい気持ちです。 変わるっていいですね。 凛としていたい。 あなたは世界一素敵です。
かしこ
前略 王子さま
真夜中の2時半に、 窓を開けて外を覗いてみました。 街灯の明かりに照らされたアパート前の路地と、 早稲田通り沿いの高層マンションが見えて ふーっと冷たい風が入ってきました。 寒いなあ、早く夏が来ないかな、と思います。
お元気ですか? 大晦日の手紙以来だよね。 今どこにいるのかな。 もう忘れちゃったかな。
私は一人暮らしをしています。 だいたい終電近くで帰り、夜中の1時頃ご飯を作って食べます。
ラジオ深夜便を聞きながら眠るのが日課。 今日はカントリー音楽が流れている。
この間、夜中に西原理恵子の『毎日かあさん』を読んで、 おいおい泣いた。 ああ、まだ泣けるのか、と思いました。
月がとてもきれいだったのでメールを出した。 「月がとてもきれいですよ。同じ月を見ましょう」
「月がとてもきれいですよ。同じ月を見ましょう」。 私があなたに言いたいことも、 きっとそのくらいです。 それだけなのに、うまく言えないしうまく書けません。
月がとてもきれいですよ。同じ月を見ましょう。
ミルクティーを飲んで、もう寝ようと思います。
あなたのことが好きです。うそ。おやすみ。
かしこ
2004年05月03日(月) |
「人生に救いはねえよ、でも有効」 |
通常であれば、救済をもたらすものとそれによって打ちのめされる虚無・暗黒は図式的に対置され、前者は何の疑いもなく善であり光であり、後者は一顧だにされぬ悪であり闇であって、光は常に力に溢れ、ときに危機一髪的状況に陥りながらも、なんの根拠もない無自覚で無神経な信念もしくは信仰に基づいて悪を懲らすが、日々現実に触れて疲弊しきっている我々はそんなものを見ても、うっそだろーと白けるばかりで、眉ひとつ動かさぬが本書にあっては、絶えず光は苦しみ、揺らぎ、僕は絶対的な光ちゃんです。などとはけっしていわず、苦闘の果てに両者は、時間の流れと空間の広がりの仲立ちによって和解するのであって、いのちの流れが物事に融けていく現場を見事に言葉に表した筆者に私は拍手を送りたい。
人間が生きていくということは、実はとても苦しく惨めなことで、しかしながら、ときにこのような奇跡が日常的に起こるから我々は生きていけるのであって、日々、我々はそのことになかなか気がつかないし、気がついたからといってけっして楽になるということはないのだけれども、でも、みんなはこの小説を読んだらいいと思う。僕はこれからうどんを食べようと思います。有効。技もある。
(町田康『つるつるの壷』)
名文を読むと、ふるえが来る。
町田康『つるつるの壷』というエッセイ集にあった、吉本ばなな『ハネムーン』の解説文。
町田康は、たまーーーーーーーーーーに、こういうことを書くから好きだ。おそらく、たまーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーにこういうことを考えるのではないだろうか。たぶんそれ以外は、うどんの種類を悩んでいると思う。
しかし、彼が芥川賞を取ったのはきっと、「こういうこと」が常に彼の作品の底の底に流れていることが、偉い作家さんには見えるからなのだろう。私がこのひとを好きなのも、同じ理由なのだと気付く。
町田康が、CDが売れなかった、と言っても別段誰も心配しない。町田康が、女性と別れたと言ったところで、きっと噂をする人はいないと思う(私はすぐ結婚するけど)。たとえば柳美里やトム・ヨークや、尾崎豊やあるいは、敢えて言うなら松尾スズキのそれに比べて、なんと彼の人生は気楽そうに、どうでもよさそうに、おふざけにみえることであろうか。そしてさらに怖いのは、彼はそれを大まじめに行っているだろうということ。彼は真剣に、うどんを食べている。
舞城王太郎は、『ファウスト』あたりでエッセイを書かないのだろうか。ぶっこわれてる、個性的、技巧的といわれる町田康が、実はこんなにまっすぐで力強く、うねりのある文章を書けるという実力がはっきり示されたように、いつもはぐらかされたように感じる舞城氏のたまーーーーーーーーーーーーにな部分を見てみたいと思ってしまうのは欲張りというものであろうか。
好きなひととその恋人は巴里に旅立ち、私はその後を追ってなぜか東京タワーにいる。そんな夢を、夜明けに見た。とても不愉快な気持ちになった。腹痛。
4月30日 お友達が六本木ヒルズのコミケ(?)に出展するというので見に行く。辛酸なめ子先生が間近にいた。可愛かった。
5月1日 中学時代の友達が泊まりに来る。サクラヤのデジカメ売り場のお兄さんに、「初恋の人に似ている」と言われた。ジュンク堂で何冊か買い、大塚英志のトークセッションを予約した。近所のあおい書店はなかなかの品揃えであることに気付く。
夜、買ってきた西原理恵子の『毎日かあさん』でわんわん泣き、鼻水が垂れ、目が腫れた。
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