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2004年04月27日(火) とちおとめをたべた



帰り際に部長が、「いやーバナナさんと一緒に仕事出来て嬉しいよ」と心のない笑顔で言うので、「いきなり怖いなあ。何ですか?あと30分やれってことですか?」と疑ってみたら「本当にそう思ってるよ〜」とさらににたにたする。徹夜しろってことかよ、うふふ、と終電に向かって走った。少なくとも今は、会社には、私のデスクと居場所と、それから締め切りがあるようだ。

今回は初めてなので先輩が加減してくれ、全部で17ページを持つことになった。これからは自分でスケジュールを組み立てていく。意外に、一人でやる仕事だなあと思う。





「最近の日記は大学のはじめのことに戻ってる気がするね。エッジーな君よりも、今みたいなほうが昔の友達としては安心するよ」。

電車を待っていたら、ともちん先輩から久しぶりに電話をもらった。これほどに、離れていても心の中に存在はいつもあって、そしてお互いそうだろうな、と思える関係というのも珍しい。大学時代というのは、人生に直面していた分ある意味非常に辛くて、しょっぱい時期だった。その時に何度も何度も語り合ったあの堂々巡りが、これからも二人の関係を結んでいくのだろう。



2004年04月26日(月) 今日はカレーうどん

■どうでもいい日記って難しいんだよね。

最近のrinちゃんの日記は友達だというひいき目をさっぴいても好きだ。特にこの日

コッポラ娘の映画を私みたいにおしゃれな女の子が好きなのは、「適度にブサイク」な女の子が、パンツでこんなことを言うからです。

「物書きになりたかったけど私の文章は最悪だし、写真を撮っても駄作ばかり。女の子はみんな写真に興味を持つのよ。それで、自分の足とか、くだらないものばかり撮るの」(おぼろげですが)。うふふ。ヒロミックスのポエムよりはずっと、グッとくるぜ。

あ、サントラはいいよ。聞いてみて。





昨日、酔っぱらった勢いで電話をしたら「酔っぱらい似合わないね」と言われる。ビールは苦手っていうのが本音だし、よった女子の隙も嫌いだから、少し安心した。





1年前に私が上げたボーダーTシャツを、まだ着ていてくれたのが嬉しくて、今度の誕生日にも何かかってあげようと思った。



2004年04月25日(日) tokyoとおしゃれにまとめたい。

昔ラブホテルだったというシネマライズは、日曜の最終回、1000円になる。友人と別れた後、一人で見た『ロスト・イン・トランスレーション』はとてもよくて、悲しいだとか嬉しいだとか寂しいだとか誰か抱きしめてよだとか、そういう感情の隙間にある、もっとぼんやりした、つまり今映画館にいる自分の中にある気持ちとあまりに近いものを表現してくれたソフィア・コッポラに、感謝しながら涙を流した。

今日、あの映画を見た何人の、「私のような」女の子が、同じような感想をウェブに書くのだろう。渋谷の、東京の、あのネオン街を歩く時のかさかさの自分について、さらにそれになれて一人でも平気になった自分について、はき出すのだろう。映画館の外に広がる渋谷センター街は、閉店した店のネオンが消えている以外画面の中のそれと同じに見えた。東京に住んでもいないのにあの雰囲気をすくい上げてしまうコッポラ娘にはまったくため息が出る。



高田馬場で降りた。居ても立ってもいられなくなり、帰宅途中にあるローソンで飲めもしないビールを買って、そしてどこかに繋がっていると信じられるパソコンに向かう。

こうした感傷的な文章なら、悪いけどいくらだって出てくるし、サントラについてきたポスターも部屋に貼っちゃったし、なんやかんやを取り去るといつも日曜の夜にセンチメンタルになるし、ああ、北川恵吏子のドラマ的自分に、少しあきれた。



2004年04月24日(土) 土曜日の夜



昼寝して起きたら夕方の6時だった。洗濯物を取り込んで、サランラップを買いに行く。ボーダーTシャツとめがねと、春の宵。少し肌寒い。

芳林堂とあおい書店に長居した。新潮社から復活した『旅』はシチリア特集で、帝国ホテルの広告が入っていた。こういうほうがお金になるんだろうけれど、明らかにターゲットが変わった(私は外れた)ので、買わなくなると思う。母もそう言っていた。

目にとまったのは、『天然生活』。いつも立ち読みしてやめていたのが、今号はお金を出しました。定期刊行になるのか、「創刊号」とある。気合い入れて作ってあると、しろうとがぱらぱらめくっただけでもすぐ分かる。「おしゃれな」写真でごまかさない実用記事(たとえば料理のレシピ)満載で590円は安い。

地球丸という会社、調べてみたら山と渓谷社の系列らしい。にわかづくりじゃないように感じたのは、そういう理由かも。クウネルとは、はなから目指す方向性が違うのだろう、だから、二番煎じにはなっていない。



馬場駅前のロータリーには、新歓の学生が溢れていた。「あなたの駅は学生がいてうざくない?」としばしば聞かれるのだけれど、否。むしろ安心する。酔いつぶれたり、慣れないミュールをはいたり、どうでもいいことを話したり、そうして騒ぎ、群れて、飲み続ける彼らを見るたび、私はどうにもならない所在のなさや、孤独感や、あるいは根っこのない不安といった、数年前に感じたある種の感情を想起する。そして、じわっと、温かい気持ちになるのだ。

色々大変なんだよね、気楽なだけじゃないよね。





会社が、とても褒めて育ててくださるところで、久しぶりに―中学以来だから7年ぶりか―「私はできる」という気になれている。頑張って、それに結果がついてくることの喜びを味わうのは久しぶりだ。よく考えてみれば、大学4年間はなにをやってもうまくいった実感がなかった。アルバイトも恋愛も就職活動も。また優等生に、返り咲けるだろうか。そんな甘いものじゃないのは重々承知の上だが、努力の価値はありそうだ。初めて、自分のページのラフを描くことになった。





『ドライブイン カリフォルニア』は、また当日券がなくて、前日の電話予約だ。ヤフオクじゃあ法外な値段だし、どうしろってのよ。誰か売ってくれ。1万までなら買う。





相変わらず、ここに書くことについては迷ったままだ。うねりがあるね、と言われた頃に比べてカタルシスの欠如が著しい。それでも文章が出てくる時の快感は、同じ強度でずっと続いているのだけれど。

あるメルマガの、ある編集者の文章に鳥肌が立った。こういう瞬間のために書くものは存在すべきだ、と思った。価値のある情報です、役に立つ記事です。そんなものいらないから泣かせてくれよ。最終電車を待つ、市ヶ谷駅で思う。

それじゃあ私は、ブログのリンクトゥリンクにかわる何らかの価値を、生み出せているというのか。生み出す必要もないし、と開き直る前に、匿名で書くなりの何らかの意味が見えてこなかったら一生納得できないだろう。例えば、こうして迷っている私を、うくくと笑うことが面白い、と、そう思う性悪の人を満足させることができたら。

書くことはどこにある?(書くことがなかったら書くことがないと書け、と、阿川佐和子が言ってたな。)




2004年04月20日(火) 新潮新書

1周年だそうです。新聞広告で、『死の壁』つうのが出るとかいてありました。ほほ。昨年の今頃、そういえば耳から血が出るほどこの会社に入りたくて(今も入りたいが、そりゃあ)、落ちて、それでもまだまだ就職活動をしていたなあと思い出した。

ラジオ深夜便、今日は松山千春。夜ご飯はどうしてもコンビニ弁当を食べたくない。だから家に帰って味噌汁を作る。味は母親のと同じなるのだけれど、今日はわかめを入れすぎた。食べる味噌汁、悪い意味で。

終電は中央線も山手線も遅れるから嫌だよ、きゃつきゃつ。アフリカからメールが届く。



2004年04月19日(月) 喪失感とは悲しい気持ちのことではない。



蒸し暑くてガラス戸を開けると、柔らかい春雨の音が聞こえた。午前1時、ラジオ深夜便を聞きながらごはん。小松菜と豆腐の味噌汁を作り、週末に作ったおからを温める。

今日の、「私と母」はピーターフランクルさんだった。彼のお母様はアウシュビッツをすぐ隣で体験した人なのだという。

「母は自分を無条件に愛してくれた、そのことがどれだけ私の心の支えになったことでしょうか」。数学が出来るから、大道芸がうまいから、そんな付加価値抜きで味方でいてくれる存在というのが、あらゆる困難や孤独から人を助ける。母国ハンガリーを捨て、フランスに亡命して以来諸国を点々としてきたフランクルさんの言葉には、(決して暗くはない)重みがあった。

そうだよなあ。さっき電話で文句を言ってしまった母に、心の中で謝った、口をとがらせながら。

昨年の末に、教員採用試験を受けたという友達と飲んだ日のことが、ふと頭に浮かぶ。「面接でね、すごい難しい質問が出たんだよ」彼女は言う。「あなたのクラスに運動も出来ない、勉強も出来ない、可愛くもない、絵も、字も下手、性格も陰気、趣味も悪い、そういう、ひとつとして取り柄のない子がいました。さて、あなたはどうしますか?って」。

「それでも、どんなあなたでもあなたが好きよ、って言ってあげたいな、私は」。

迷いなく、答えはすぐに浮かんだ。正解だと思う。

現場の先生が聞いたら、綺麗事だと笑うかな。そういう愛され方や愛し方以外、私は出来ないし他の術を教えてもらったことがない。





町田康『きれぎれ』が文庫になったので読んでいる。彼の、たまに書く幸せな午後の空気や朝の光の美しさにはっとさせられる。あ、これ書きたいから他の冗談をすべて並べてるんじゃないの?と思うほど。夜に雨音を聞くこの気持ちを、私も小説にできたらいいのに。

ああ町田先生、あなたは刹那のパンクロッカーだけれど、どうか、さぎさわめぐむやおざきゆたかやさとうくんのようにしなないで、私を愛人にするまでは。





会社を辞めて版元に転職をする先輩が、退職に当たって書いていた文章が、本当によかった。仕事中に、モニタに向かってこっそり泣いた。

「転職活動でどこへ面接にいっても、関係者のだれに話をきいても、ちょっと眉間にしわをよせ、口をゆがめながら『大変だよ。寝られないよ。それでいいの?』と、言われたことを思い出します。本や雑誌が好きで、作りたいという人に対して、なんでこの業界の人たちはそんなことを言うのか。その、わけ知り顔はなんなんだと、心底腹をたてました」。

証券会社から未経験で転職したのに、あれよあれよと出世した要領のいい人だった。仕事が速く、ぽんぽん笑顔で話す。アルバイトの私に接するビジネスライクに親切な距離感が、とても好きだった。

しかし、最後に彼女が書いていたのは、「編集が好きだ」「徹夜しても好きだ」、それだけのあまりに愚直な感想だった。そして、「編集が好きだ」「徹夜しても好きだ」、それ以外に必要なものなんて、もしかしたらないのかなあという予感が、1/4(1/10?)人前の私にもすごくしている。だから、頑張ろうと思う。勝手に天職だと、そんな催眠術にでもかかってやろうかと思う。



2004年04月17日(土) 開いてくれた人がいるかしら?



ロスト・イン・トランスレーション。

コッポラ娘の映画の題名、言葉の響きが気になる。いい映画なんじゃないかな、おしゃれだからとか関係なく、見に行くのだろうな。そう思わせるタイトルだ。

友人と、「トランスレーションて何だっけ?」と英文科にあるまじき会話をしていたのだが、調べてみたところ(笑)訳は「翻訳の中で失われてしまう」もの、だそう。外国語を自分の言葉に直すときに生じる温度差。きっと誰にでも経験のあることだと思う。映画の字幕を見ていてもよく「あれ?今の表現端折られてるな」と気付くことがある。

件の映画の予告編にあった1シーン。日本のバラエティー番組に出演した落ち目のハリウッド俳優(ビル・マーレイ)に、日本人のディレクターが叫ぶ。



「カットカットカットカット!時間がないんだよ、ねパッション、カメラ、テンション上げて!」

通訳"With intencity."(感情を込めて)

俳優「それだけ?もっと言ってた気が」。



例えば、英語を訳す時に感じる言葉から言葉(日本語)への距離は、頭の中のもやもやを、書きつけるときのそれと似ている。そんなことを思いながら、この映画の邦題に思いをめぐらせたりしている。(昨日くらいから公開だっけ?是非見に行きたい。)

先日手紙を書いた。夜中の3時に机に向かって、仕事をしている喜びや不安、今考えていることを伝えようと思った。しかし、切手まで貼ったのに出せなかった。

「このメモみたいなゴミみたいな分裂病みたいな紙の束を、あなたに送るのは何故なのでしょう。」

渡せない手紙を繰り返し綴るのは、そう、翻訳の間にすりぬけたあの気持ちを、もう一度なぞるためだ。





RADIOHEADのライブ。

『フェイク・プラスティック・トゥリーズ』のサビの瞬間、照明がぱっと緑に変化し、トムの裏声が会場全体に染みだしてきた。幕張メッセ、しかもオールスタンディングでステージはほとんど見えなかったのに、その瞬間は泣きそうになった。



君の望むものになれたら、誰もが周囲からの期待や孤独感に負けて、まがいものを築いていく姿を描くM4『フェイク・プラスティック・トゥリーズ』。しかし、結局はそこから阻害されてしまうニンゲン存在の悲しさ。トム・e・ヨークの圧倒的ヴォーカリゼーションが、悲痛さを別の場所に運んでいく。



帰ってから、『ザ・ベンズ』のライナーノーツを読んでみた。「別の場所に」って分かるなあ。暗いんだけど、歌になると優しくて溶けそうで、この世のものとは思えないんだ。椎名林檎がやっていた『クリープ』のカヴァーのような、泣き叫び自分を主張するそれとは対照的で。昔のCDと声が変わっている気がする。どんどん宇宙人みたいに。






「あなたに本を買ってきたよ」

母親がひとりぐらしの部屋に訪ねてきた。手渡されたのは、1冊の本。

『女が28歳までに考えておきたいこと』。(ちなみに前回のプレゼントは鎌田実の『あきらめない』だった……)

すごいのは、というかすさまじいのは、「本当に出世していく男の見分け方」と「どんな男を選べば幸せか」の項に付箋がたててあったこと!

そうかそうか。若い娘に丸2年も彼氏がいなくて、しかも前に付き合っていたのがCD売って家賃払ってる人じゃまずいよね、お母さん。熟読します。



2004年04月08日(木)

フレッツには申し込んだけれど、プロバイダとの契約がまだらしいので
今日も会社から書いている(怖いのですぐ閉じないと)。

アローズにたのんでいたエルベのリュックが入荷したらしい。
ネットにつながったら、
どたばた一人暮らし日記をしばらくはつづる予定。



2004年04月07日(水)

8日までネットにつながらないので、大急ぎで会社から。
仕事は楽しいです。

また、いろいろ反省もあるのでたっぷり書きたい。

日曜日は『25時』を見に行った。
恵比寿ガーデンプレイスに入ったのが
初めてだったことに気付いた。
みんな、六本木ヒルズより
ここでデートすればいいのに、なんでも揃ってるし、と
なんとなく思った(もうしてるのか)。



2004年04月02日(金) 2

晩ごはんは餃子だった。好きだ。



2004年04月01日(木) 1

「君は洋服買った話してる時が、一番楽しそうだね」と、友人が言った。


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