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2004年06月27日(日) 金欠です。

書くことについて考え込んでしまう方だが、毎日書いていれば面白い日もつまらない日もあり、1ヶ月に一度くらい、これは汁(何の)が出た、と思えるウェブ文章を書けたらいいな、と思っている。



気持ちいい涙を流したい、と書いていたら今日は泣けた。排泄行為を見ているのは、電話越しでも結構気持ちが悪いだろうに、先方はただ笑って、「なげー、まだ泣いてるよ」と優しかった。私にはきっと決定的な欠陥がある。それ自体は悪いとか良いとかではなく、おそらく誰もが持ち合わせているもので、しかし私の場合厄介なのはその欠陥が人間関係において立ち現れてしまうことだ。映画でも音楽でも本でもなんでも、あるいはジェットコースターでもF1レースでもいい。ロスト・イン・トランスレーション(翻訳の間に消えてしまう感情)を皆無にした瞬間を、ただ求めている。



前に京都の恵文社で買った、村上春樹『'THE SCRAP’―懐かしの1980年代』を読む。80年代当時に雑誌『スポーツ・グラフィック・ナンバー』(あのNumberです!)に連載していたコラム。見開き2ページで1回分が完結するのですらすらいける。村上春樹はこういう当たり障りのないよた話だらけの、それでいて軽いジョークのきいたエッセイが本当にうまい。これを素人が春樹文体でまねするとつまらなくなるんだから不思議ですな、素晴らしいですな。




2004年06月25日(金) ずっと書きたくて言葉にならなかった。

先週の日曜、アフリカのジンバブウェにフィールドワークに行っていた友達が帰ってきた。新宿西口で飲む。

「バナナさんはアフリカについて誤解しすぎ」と怒られながら、色々と貴重な話を聞く。
彼はジンバブウェの都市に広がりつつある寡婦(未亡人)のコミュニティについて研究しているという。(なんてマニアック!と思ってしまったのだけれど。)



「ジンバブウェでは伝統的に、女性は(男性の)財産、所有物という考え方があったんですね。だから夫が死ぬと、寡婦になった妻は夫の兄弟に相続される制度があった」「えーひどい。そんなの嫌だよねえ。だんなは好きでもそのお兄ちゃん好きになれないよ」。「でもね」私の言葉を遮り、彼は続けた。

女性が何も(土地や家などを)所有できないコミュニティにおいては、寡婦相続の制度はひとつのセイフティネットでもあった。それは社会を維持するために必要なシステムだったという。

「最近はそういう制度がないから、夫を失った妻は途方に暮れてしまうわけです。僕は、その寡婦たちが、寡婦同士でより集まってコミュニティを作っているというのを聞いて、面白いな、と思ってね。それでアフリカに着いてから、急に研究テーマを変えちゃったんです。」

「彼女たちは基本的にキリスト教徒なので、寄り集まってお祈りをしたり、皆でピーナッツバターを作って売ったりしてる。コミュニティは、(経済的な、というよりは)精神的なよりどころという役割が大きい」。

私はなるほどねえ、とうなってばかりいた。世界には私の知らないことがなんて沢山あるんだろう、と思う。色々質問をした。

彼は読んでいる学術書の量もやはり私などとは比較にならず、ジンバブウェの政治がどうなっている、世界の南北問題はどうなっている、そして寡婦はどうやって生活している、という広い視野と狭い視野、両方の眼でものごとを見つめる眼を持っている。

しかし結局のところ、一番感心させられたのは、やはり実際に見て、会って、話して、一緒に働いた人にしか分からない寡婦たちの生活についてであった。フィールドワークをしていた10ヶ月の間に、仲のよかった寡婦が2人死んだという。

「数日前に話したばかりの人で、病気も回復に向かっていると思ってたからだいぶ落ち込んだ。でも、土葬で死に顔を見ても涙が出ないんですよ。寡婦コミュニティの人も誰も泣かない。慣れざるを得ないんだろうね」。

「辛いんだろうね」哀れんだ顔をした私に、彼は冷静に答える。「僕はその人たちと一緒のうちに住みこみで研究させてもらって、ひとりひとりにインタビューしたんですよ。何が一番しんどいですか?って。聞けば、やはりお金がないことだと言っていた。でも、けっこうなんだかんだでやってるよ。口では『まったく苦しくてねえ、困るわ』とか井戸端会議してるけど、それは日本と一緒。辛い辛いってふさぎこんだままやってかないわけにいかないから、古着を売ったりかごを作って売ったり、まあどうにかご飯を手に入れてみんな楽しく生活してますよ。そんなもの。あたりまえだけど一緒ですよ、僕らと」。



彼が撮ってきた何千枚という写真の一部を見せてもらう。都築響一が「写真の素晴らしさは撮る側の被写体への好奇心で決まる」というようなことを書いていたのを思い出した。彼と寡婦とのいい関係が、画面からにじみ出てくる。本当にみんな、いい笑顔をする。「写真を撮ってもらうから」とわざわざ着替えて化粧をしてから出てきた人もいたという。私と一緒だよ、と笑ってしまった。



この文章を綴りながら、それで私は何が書きたいのだという自問自答を何度も繰り返し、結局友人に勧められた新書、『グレート・ジンバブウェ』を面白く読むしかない自分を少し情けなく思ったりもする。ただ、「物質的に豊かになった我々は、発展途上国の人達のような生きる喜びを忘れてはいないだろうか」といったようなまとめにはしたくないことは確かであったはずなのに、寡婦が歌う賛美歌(動画で見せてもらった)は最近聴いた音楽の中で一番泣きそうになったし、ピーナッツバターを作った後の黒くて脂ぎった彼女らの掌を写した写真は、勉強のために買ったおしゃれ写真集の何倍も私の心に響いてきたのである。



なぜ、カメラを向けられて微笑んだ彼女たちはあれほどに、生気に満ちているのだろう。人の生活とは、政治や思想や書物をはるかに飛び越えて、なんと不思議で、素敵なものなのだろう。



クーラーのきいた部屋でこんなことを書いて、書くことで満足している自分は何だろう。書くことで満足している自分は何だろう、と書くことで満足している自分は、何だろう。




2004年06月23日(水) 話したい言葉があふれてくるの

本が校了したので、チーム5人で打ち上げ。神楽坂の京料理のお店に連れて行ってもらう。久しぶりにだいぶ酔っぱらって、2杯で目の前がもやっとしたと思ったら眠ってしまった。起きたら全員が黒ごまアイスやワラビ餅を食べ終わっている……

それにしてもなんにしても、本当に気持ちがよかった。

ずっと、先輩たちも私も「おいしいね」「楽しいね」と言ってばかりいた。今回は大変だったから、愚痴が出るかと思ったらそれもなかった。

おいしいお酒(お酒は苦手なので「おいしい」と思えること自体が貴重)やら個室で食べるゆばフォンデュやら、この人たちと働ける喜びやら、あまりの多幸感に、明日からまた次号に向けて頑張ろうと思えて、息抜きは大切だなあと切実に思った。一年に一度くらい、今日のように「生きてるってなんてすばらしいんだろう」と思える日がある。こういう、どうしようもない言葉でしか表しようのない、色々なものを肯定できる瞬間が。



早稲田のあゆみブックスに寄って、そこから歩いて帰ってきた。今度の土曜日は銭湯に行きたいな、と思った。

気持ちいい涙を流したい、いつもそう願っている。



2004年06月17日(木) 葉書

前略 王子さま

アレルギー薬にやられた体は虚脱して力が入らず
甘いものが食べたいけれど外に出たくなくて
訳の分からないものすごい何かに駆られて
でも寝るのは嫌で
今、
足に貼ったばんそうこうをはがしながら部屋の隅に座り込みました。

こんな日もありますね。
面倒くさい。

かしこ



2004年06月16日(水) 今日は手抜きパスタ




鎌倉文学館に行きたい。海が見たいのだ。



先日同業者(給与の差を考えず敢えて言い切る)の男の子から電話をもらい、フリーになったらヒモとして飼ってくれ、など面白い話を色々聞いた。やたらとここ(バナナカレー)の文章を褒めてもらう。嬉しい。



中平卓馬の人生について、ずっと考えている。



2004年06月14日(月) 思ったことが溜まったので工夫なく普通に書きます。

理系の子と話す。コンピュータの構造は7つの層に分かれていること、画像の裏にはそのプロフィールとなる膨大なデータが隠れていることなどを教えてもらい、久々に「ああ!」という想像以上の感動をおぼえた。パソコンは本当に面白い。オタクが出るのも理解できる。

ここのところ、土日に外出して思っていたのは、渋谷も原宿も同じ店や同じ道、カフェにしか入らず何も発見がないなあということだった。先日、ウェンディーズ近くの路地でふと立ち止まり、「初めて6%ドキドキに来た時の、あの興奮を私は忘れているよなあ」とやたら寂しくなったのである。

今年の目標は「服とコンピュータ」。なんだかんだいってその選択は間違っていなかったいう気がしている。二つとも、けっこうキリがない。



近況を述べます。

ずっと楽しみにしている、オタール・イオセリアーニ映画祭の前売りを買った。3枚綴りだと1回はなんと1300円。すばらしい。『月曜日に乾杯』と、いつも朝はつぶやいて家を出るようにしている。イオセリアーニのように、明確に言いたいことがある人は非常に作品が作りやすいのだろうな、と思う。うらやましいな、とも。それが結局のところないので、私の文章は自分のことしか入っていない。



「バナナさんのメールは情報誌みたいだなあ、といつも感心しています。色んなおすすめ情報がぎっしりで本当に面白い。」
とても嬉しい感想をもらった。本を読んだり人と会ったり、音楽を聴いたり映画を見たり、旅をしたり、何かをするたびに立ち止まって考えることが習慣化していて、考えたことはなるべく人に伝えたいと思ってきた。最近は思考の過程の迷っているところまで、こうなんだけどどう?といちいち聞いていた気がする。でも結局そういうソウルフルな(笑)付き合い方が、人との間にひずみを生じさせるのは事実だと思うし、ギブアンドテイクの強迫観念にいつもとらわれてきたというのが正直なところなのだろう。

ただ、本を薦めるということだけはそういった「あげなきゃ、あげなきゃ、もっと」というところからは離れて、純粋な自分の楽しみとしてできていたように思う。ので久しぶりにお薦めの本でも書いてみようか、という気持ちになりました。(BRUTUSの次号は、「ブックハンティング」だって!絶対買っちゃうよ!!)



■やっぱりこの人がすき
町田康『つるつるの壷』(講談社文庫)

私が町田康と「深い仲」になりたいな、と思うのは、この色々と平気そうな人がいったいどんな平気でなさそうな顔をする瞬間があるのかを見てみたいという興味からである。



■なぜ写真家に惹かれるのか
大竹昭子『眼の狩人』(ちくま文庫)

東松照明の項に気になる一文を見つける。「自我の溶解は快感であると同時に痛恨でもあった」。根っこのところはこの人、私と同じ型の人かも、と恐れ多い感想を持った。



■ハメ撮りじゃなくてもハメてる写真てあるんすね
藤代冥砂、田辺あゆみ『もう家へ帰ろう』(ロッキング・オン)

最近、「異性に写真を撮られる」ということを経験して思ったのは、これはやばい行為だ、ということ。冥砂先生がポエミーなキャプションをつけてしまうことにも、妙に納得。



■村上春樹の新作までに読むものができた
ポール・オースター『孤独の発明』(新潮文庫)

人に対峙せず、常に自分を対象化し、ただ、ある場所を通り抜けてゆく男の話をオースターは書く。私がその種の人間に惹かれるのはきっと、「興味」に近い感情なのだろう。




(ほんとはもっと紹介したかったのですが、この日はこれで寝ちゃいました。)




2004年06月11日(金) しん




給料日だったので幸せな気持ちで、よし、お酒でも飲もうか、とビール(だと思っていたら発泡酒。お酒ってよく知らない)を買うが、しかし結局飲みきれなくてミルクティーに切り替える。ゴーヤチャンプルを作り、昨日のカレーと一緒に食べた。

夏の夜は好きだ。

だらだらしているから。ノースリーブにめがねで、網戸越しに外を眺める。向こうに見えるアパートの光を、ずっと見ている。大通りから車の走る音がかすかに聞こえる。



2004年06月07日(月) きわめてよいふうけい

日曜日はずっと眠っていた。夜、ユーロスペースのレイトショー、『きわめてよいふうけい』を見るために渋谷に出る。中平卓馬が、記憶と一緒にその批評眼も失っていることを知らされ、なんだかふう、と力が抜けてしまった。自分の作品について、自分で説明して欲しいと思うからだ。

よく考えれば、泥酔して記憶が飛んだらそれなりに脳の何かを失っていると考えるのが当然なのだが、なぜだろう。私の頭にぼんやりあった中平卓馬は、森山大道が繰り返し語る「あのころの彼」だったらしい。森山大道と中平卓馬が親友であることを、私はとても嬉しく思っている。私は自分が森山大道型の人間だと思っていて(ちがうけど)、中平卓馬のような人間を愛しているからである。



「5日の日記はよかったね、うほう、とか言ってるし。酔っぱらってしゃべり場見てるし。はは」。酩酊状態で書いたら、なんだか評判がよかったらしい。しかし、誰も私の二の腕をぶよぶよしてくれる人はいなかった。褒めるならそういうところまで責任をとって欲しい。



映画評論家の先生に宛てて、「雑誌拝見しました」とファンメールを送ったら、すぐに返事が来た。

「スタジオボイスとEYESCREAMにレビューと翻訳が載ったよ」というメールをもらった。

コンビニには友達がデザインした本があった。

すごい人はいくらでもいる。「スタジオボイスに文章が載る人とメール交換すること」はそれほど大変ではないのかもしれない。しかし、それと「スタジオボイスに載ること」との間には大きな壁がある。私は自分が結局何者なのかを見つめなければならない。



2004年06月05日(土) すぐ眠くなる。

久しぶりに土日が両方休みで嬉しい。

夜中に酔っぱらいから電話がかかってきた。もっとぐだぐだしろよー、セクハラのひとつでも言ってみろよー、途中で寝ちゃったりしろよー、たまにはさー、と心の中で言ってみた。

電話を切った後に、気持ちよさそうな人が羨ましくなって近くのスーパーに走る。ビールを買った。3時にテレビをつけたら『しゃべり場』をやっていて、見ながら飲んだ。テーマは「どうしてみんなうそをつくの?」でした。私は知りたくないことが沢山あるので、うそついてほしーなー、と思うのに、私の友達は誠実でうそついてくれないから不満だよねー、と思いながら激論に参加した(気になる)。

何も、「飲まないとやってられね〜」、ということはないのに、こうして飲んでしまいたくなるんだから、まったくもって生きるというのは大変ですよねー。もっとタガを外して、ぐでぐでに弛緩して、うほほと言いながら二の腕をすりすりされてーなー。二の腕のぶよんを、「でぶー」などとののしられながらすりすり希望だなー。

明日はユーロスペースとナディフにいこっかなー、と思う。うほう。ねますぞ。



2004年06月01日(火) 続?

先日、中学校の友達に会った。私が1番をとっていたとき、2番だった女の子だ。交換留学で一年遅れたため、現在大学四年生。ちょうど就職活動を終えたところだという。大手企業からいくつも内定をもらっているという彼女の話を聞きながら、いつの間に我々はこれほど明暗を分けたのだろうねと、私は笑って言った。

昨日見つけた封筒の中には、高校の成績表も入っていた。413人中178番、学校内偏差値51.4。頑張ることをやめた私は、非常に凡庸な女子高生になった。部活も調理部と、テニスを少しかじったくらい。3年間にしたことといえば、ただ雑誌に載りたいと原宿に通ったことくらいである。

それからはずっと、自分のことを社会不適合者だ、と悩み続けた。人並みかそれ以上にできていた自分は、いったいどうしたのだろう。人を好きになれば振られるし、喫茶店で働けばコーヒーをこぼす。何もうまくいかない。こんな人じゃなかったのにな。ひとり部屋で眠りながら昔の凛とした自分を思う。ひたすら恥ずかしさと悔しさをかみしめた。





うまく落とそうとすればそれなりの文章、物語を作れないこともないのだが、ここ(優等生から真っさかさまに落ちてしまったところ)で書くのをやめようと思う。可愛くもなくブスでもなく、明るくもなく暗くもない、「個性的」だねと言われる趣味を持つけれどもおたくにはなれない私は、なぜなら今も生きているからである。

誰にも注目されず、一人でご飯を食べて映画を見る生活は、あなたが思うほど悪くはない。1番でありたいという重圧につぶされそうになりながら、それでも取り憑かれたように一つの事実を求めた当時にも、きっともっとくだらない細部の楽しみはたくさんあったのだろう。

過去を書くのは楽だ、と昨日のタイトルに掲げた。何故かといえばそれが勝手に物語に出来るから、「暗黒の中学時代」とくくると、今とのコントラストがよく見えてくるいい日記になるからである。しかし今生きていることは今生きている実感にしか分からないのであって、振られたその日にもご飯はおいしかったかもしれない。細かいことを覚えている意味があるのか、書き残すことによる結果は何も残らないかもしれないが、私はできるならそういった文章をつづりたい。



中野孝次『ブリューゲルへの旅』(文春文庫)はいいよ。ふと手に取った本が当たるとうれしいね。


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