私の東京の事務所は、衆議院第2議員会館の3階です。議員会館は衆議院が第1と第2の2つ。参議院は1つ。地上7階建の同じ建物が3つ、国会議事堂の、道をはさんですぐ裏手に並んでいます。その中に全ての議員の事務所が入っているわけです。
秘書は2人。政策秘書は、もう8年来の親友である古谷千秋君(男性。田村と同じ歳)がちょうど昨年12月に牧義夫衆議院議員の秘書を辞めるということだったので、お願いしました。古谷君は政策はもちろんですが、選挙の経験も豊富。すでに静岡にも泊りがけで何度か来てくれました。偶然にもタイミングが合った幸運に感謝しています。
そしてもう1人の秘書は永田翔子さん。昨年大学を卒業し、12月まで経産省でアルバイトをしていた人。旧静岡市出身で、母親は清水出身。繰上げ当選以降、秘書探しを始めた際に、女性秘書は静岡出身の人がいたらベストだけどなかなか簡単には見つからないだろう、と思いながら民主党議員秘書希望者リストを見たところ、永田さんを見つけて早速面接。お互いの条件も合致して1月から働いてくれています。
私にとって理想的な2人と一緒に働くことになって、国会活動の船出はまずは順調です。
私がいなくとも、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。
今日、東京事務所でCV-Mixというインターネットサイトの「初当選議員に聞く!」という取材を受けました。初登院の感想や任期中の目標などをお話ししました。こちらをぜひご覧下さい。
今日は、国会開会初日(21日)の首相の所信表明演説に対する本会議の代表質問。民主党のトップバッターはもちろん岡田代表。岡田代表の、熱意あふれる質問に対して、小泉首相は、相変わらず、タンタンと官僚作文の棒読み。それに対して、岡田代表が、年金制度改革、郵政民営化、政治とカネの問題などについて、首相の真意を追及する再質問をしたところ、首相の答弁は「もうすべて先ほど明確にお答えしております」。
民主党議員は全員、一瞬ア然、そして激怒。議場では民主党議員の怒号が響き渡った。首相は再度、答弁補充のため登壇したが、やはり「答弁に不満があるのは理解できるが、質問には漏れなく答弁している」の一点張り。
首相の答弁拒否の姿勢に抗議するため、民主党議員は一斉に退席。代表質問での退席というのは史上初めてとのこと。
民主党議員欠席のまま、武部自民党幹事長の代表質問が行われ、本会議は休憩に。議員運営委員会において、民主党が強く抗議した結果、2時間後に再開され、冒頭で、議長が首相に対して「誠実に答弁するように」と注意をした。これも異例のこと。
通常国会も早々から波乱の幕開けとなった。
今日からいよいよ通常国会。6月中旬まで150日間の長丁場。繰上げ当選から臨時国会閉会までは、わずか3週間、事務所体制を整えるだけで終ってしまったので、これからいよいよ、という気持ち。
今日は、本会議場で首相と財務大臣、経済財政大臣の所信表明演説。首相の所信表明演説は、ほとんど官僚の作文を読み上げるだけ。何より驚いたのは、自民党議員がほとんど皆、しらけた雰囲気で全く拍手もしないこと。郵政改革の部分では、ただ一人、武部幹事長だけが拍手して浮いていた。自民党の中で、首相が浮いた存在になっていることを改めて認識した。
今日から1月末にかけて様々な賀詞交換会が主催される。招待して頂けるのも議員になったからこそ。多くの方々にお会いできる有難い機会。
まずは清水の興津地区の賀詞交換会。この会に限らず、多くの会で、自民党の望月義夫衆議院議員(静岡4区)と倉田雅年衆議院議員(東海比例)とご一緒し、お2人に続いてご挨拶させて頂くことになる。私の挨拶の大筋は「2年前の衆院選は力不足で落選し、浪人生活をしていましたが、2ヶ月前に繰上げ当選しました。皆様に頂いた『たなぼた』の運ですので、その運を皆さまのために役立てたいと思っております。36才の若輩者の私にとって皆さまが先生です。どうぞ御指導下さい」。
「たなぼた」と言うと笑って下さる方も多い一方、支援者の方からは「繰上げ当選であっても、あたなとあなたと応援した方々の力なのだから、『たなぼた』などと言うものではない」とお叱りを受けることもあるが、私としては、「自分自身はまだまだ非力であり、次の選挙に向けてしっかりと力を付けねばならない」という思いを込めているつもり。
夕方には、静岡新聞主催の賀詞交換会。地元の大新聞主催だけあって、恐らく県内で各界の有力者が一番集まる新年会。静岡新聞系列のSBS(TBS系)で生中継されるので、私も昨年はテレビで見ていた。今年、参加者側に回るとは思ってもいなかったので、感慨深いところもある。県内の全国会議員が参加し、各議員が1分程度インタビューされた。今年の標語をフリップに書くとのことだったので、私は「未来への助走」と書き、「今年は酉年。にわとりも、昔は空を飛べたのが今は飛べなくなってしまった。日本の状態もそれと同じ。今年は、日本が将来飛躍するための助走の年。民主党も、政権交代へ向けて助走する年で、政策にさらに磨きをかけねばならない。私自身は、次の選挙で勝つことが最大の課題だが、政策面では特に、財政再建、そして教育と憲法に精力的に取り組んでいきたい」とお話しした。
事前にお知らせできなかったのが残念だが、何人か見て下さって方もいて、後日、「見たよ」と声をかけて下さった。
新年明けましておめでとうございます。昨年も皆さまに本当にお世話になりました。そのおかげで衆議院議員の議席をお預かりすることとなりました。皆さまへの感謝の気持ち、そして「初心」を忘れずに、2005年も年中無休で全力疾走して参ります。引き続き御指導・御支援のほど宜しくお願い申し上げます。公選法により有権者の皆さまへの賀状をお出しすることができず申し訳ございません。
さて、年明けは、昨年同様に富士山の麓、富士宮市村山の浅間神社(この神社を富士宮の街中に降ろしたのが浅間大社)での「禊(みそぎ)」で始まりました。まちおこしの一環として、数百年前に行われていた富士山修行を復活させようという行事は昨年初めて行われ、田村も2年連続の参加です。昨年は私1人でしたが、今年は事務所の田中幸太郎君と中澤雄二君も一緒に参加。さらに津島裕子さんも写真係として同行。50名ほどの有志がふんどし一枚で、神社本殿の前で祈祷を行った後、新年0時の号砲とともに水に打たれました。寒気と水の冷たさを気合ではねのけ、旧年を省みるとともに、新年への決意を新たにしました。その様子はこちら。
いったん帰宅して着替えた後、早朝5時からツインメッセで朝起会に来賓として参加しました。100名以上の参加者の前で、牧野聖修議員(静岡1区)・望月義夫議員に続いて、田村も祝辞を述べました。朝起会の会長の年頭の辞の中の「江戸時代の役人はお金を受け取ったなら切腹しなければならないほど、倫理観と覚悟を持っていた」との言葉を引用して、「今は、役人も税金をむさぼり、切腹という言葉はお笑いの世界(注:波田陽区のこと)でしか使われなくなってしまった。倫理・道徳を広げていくため私も教育政策等で微力を尽くします」といったことをお話ししました。
さらに海岸へ。大勢の見物客とともに日の出を見ました。晴れ渡った空のもと、すばらしい日の出を見ながら、新年の決意をあらたにしました。
昼は再び富士宮へ行き、浅間大社の前で街頭演説。昨年は、何人かの人に「初詣での街頭演説はどう思うか?」と聞いてみたところ、「気を悪くする人も多いのでは」という意見が多かったので遠慮してしまいましたが、数百名の方がチラシを受け取って下さり、声をかけて下さる方もいて大いに励まされました。
清水に4時頃戻り、秋葉山神社の前で、と思っていたのですがすでに参詣者はまばらで断念。
11月以降、日記更新もすっかり滞ってしまい、誠に申し訳ございませんでした。過去の分も少しずつ書いていきたいと思っております。
引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。