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娘の誕生! 2004年11月18日(木)

 今日、我が家に女の子が生まれた。1人目の子供。静岡市内の産婦人科で、3858gという大きな赤ちゃん。なんとか自然分娩で生まれたが、後で聞いたところでは、その病院でまれに見るほどの難産だったとのこと。私も立会うことができて、とにかく感動したし、「母」の偉大さをしみじみと感じた。
 私と妻は結婚して丸8年が経つ。最初の頃は、妻もアナウンサーの仕事を楽しんでいたし、子供はもう少し経ってからとお互いに話していたが、最近数年は、妻は子供を欲しがっていたが、私が一方的に「選挙が終わるまで待ってほしい」と頼み込んでいた。子作りに苦労している友人を何人も見てきたし、また、妻も、妊娠2ヶ月目に流産の危険があるとのことで入院したり、その後、数ヶ月もの間、きついツワリで苦しんでいるのを見てきたので、無事に生まれて、ただただ感謝の気持ちで一杯。
 事前に女の子と分かっていたので、名前は前から相談していて「萌々羽」(ももは)にする予定。「羽」は三保の羽衣天女から取った。すくすくと美しい(もちろん内面も)子に育ってほしい、との気持ち。
 議員として、親として、ますます気を引き締めて頑張ります!


決算行政監視委員会 2004年11月17日(水)

 委員会の所属は、都築議員の後を継いで決算行政監視委員会となりました。通常は、選挙の後、各議員の希望調査をした上で党本部で決定するようですが、私のような繰上げ当選の場合にはそうはなりません。今日、初めての委員会出席。民主党の前田雄吉議員がNHK職員の不正について追及しました。決算行政監視委員会は、一般的には地味かもしれませんが、予算委員会と同様、どのような政策や事件も取り上げることができるという意味で、非常に幅広い分野をカバーします。新米議員が勉強するにはうってつけとも言えます。


本会議。全衆議院議員の中で29番目の若さ 2004年11月16日(火)

 12時40分から、本会議場のすぐ横の民主党控え室で民主党の代議士会。私が紹介されて、一言ご挨拶。「私の最大の課題は、次の総選挙では選挙区で勝ちあがって、議席を一つでも増やし、政権交代につなげることです」とお話しして、「よし!いいぞ!」と声援を頂いた。
 午後1時から初めての本会議。本会議場に入るのは今日が初めて(今まで傍聴もしたことがなかったので)。思ったより狭い印象。議長席の方から見ると、右端から真ん中あたりまでが自民党。そして真ん中あたりから左側に民主党、公明党、社民党、共産党。民主党の中では、前から当選回数順。当選回数が同じ人の中では、年齢の若い順となっている。
 私は衆議院議員479名(福岡の古賀潤一郎氏の辞職により1名欠員)の中で、若い順では29番目。私より若い28名のうち自民党は6名(その中には小渕優子氏や後藤田正純氏も)で残りは皆、民主党である。私の議席は前から2列目の真ん中に近いところ。議長席もすぐ間近。田村謙治と書いた黒塗りの札を立てる。私の右隣りは長安豊氏(大阪19区)左隣りは樽井良和氏(大阪16区)どちらも関西人で生年月日は私と数ヶ月しか違わない。
 河野洋平議長が入ってきて席に座るとすぐに開会。冒頭、議長に「田村謙治君」と名前を呼ばれ、起立して周囲にお辞儀。民主党議員の皆さんから拍手を頂く(他党の人からの拍手は無し)。その後、3本ほど法律の採決があって10分程度で終了。これから、この場でどのような戦いがあるのか楽しみだ。


当選証書授与&初登院 2004年11月15日(月)

 すっかり日記が滞ってしまい申し訳ございません。国会に初登院してからあっと言う間に2週間が過ぎてしまいました。これから少しずつ過去の分の日記や写真もアップしていきたいと思います。
 
 今日は昼過ぎに田中幸太郎とともに上京。国会議事堂前駅で降り、議員会館の前を通る。議員会館は一昨年の7月から12月まで秘書として働いていたところ。「ついにもどって来ることができた」「まずは第一歩」という気持ちで一杯になる。
 民主党党本部で党の担当者の方と合流し、国会議員用の車で総務省へ。財務省退職の挨拶回りをして以来、2年4ヶ月ぶりに見る霞ヶ関。懐かしさとともに深い感慨にとらわれた。総務省の選挙管理委員会で当選証書を受け取る。所用時間はわずか数分。
 再び車に乗り国会議事堂へ。正門から中へ。この正門前では、財務省を退職した当日に、テレビ局の取材でインタビューを受けたのが懐かしい(その番組企画はボツになってしまい私の映像は日の目を見なかったが・・・)。そして正面入口から議事堂内へ。いくつかのカメラが向けられる中、登院のボタンを押し、赤じゅうたんを踏んで中へ。廊下でもカメラが向けられていて緊張した。
 国会内の事務室で、女性事務員に議員バッジを付けてもらい、マスコミのカメラが退席した後は、事務事項についての説明を受けた。
 再び党本部に戻り、挨拶回りをした後、議員会館へ。衆議院第2会館の317号室。机や椅子、ソファーセットなどはすでに揃っている。さぁ、ここを第二の拠点とした活動が今日から始まる。
 夜は、たまたま東海ブロックと信越ブロックの1期生議員が党幹部(川畑達夫幹事長と藤井裕久代表代行)を囲む懇親会があり参加。お2人とも予想以上に気さくな方々で、ゆっくりお話を伺うことができた。


激励会 2004年11月10日(水)

 一日、ご挨拶回り。
 そして夜は、エスパルスの応援団の方が激励会を開いて下さった。応援団の代表が、私の繰上げ当選の報を聞いてすぐに電話を下さり「いつが空いてる?」といの一番に会を企画して下さった。急なご案内にも関わらず、30名ほどの方が集まって下さった。代表の方はとてもユーモアがある方で、花束に加えて、ぼたもち(「たなぼた」にひっかけて)と下駄(下駄をはかせてもらった繰上げであることにひっかけて)を下さり、一同爆笑。更にケーキがあったので、急きょ、代表と私でケーキカットまで。皆さんの暖かいお言葉に包まれ、感謝の念が絶えない会だった。
 


総選挙から1年 2004年11月09日(火)

 昨年の11月9日が衆議院議員選挙でした。昨年1月に活動を開始してから選挙に至るまでの10ヶ月間の記憶が鮮明に蘇ります。「どうせ選挙に負けたら、東京に帰っちゃうんでしょ?」と言われることもしばしばあった中で、「よくぞ来てくれた!」と喜んで下さり応援して下さった(そして今も応援して下さっている)方々との出会いは、強い印象として胸に刻まれています。そして投票日の夜の、あの悔しさ、無力感は一生忘れません。
 1年後、よもや繰上げ当選するとは予想だにしていませんでした。長い戦いが始まる、と気を引き締めていました。その気持ちを忘れず、初心を忘れず、15日の初登院に挑もうと思っています。


静岡7区で阿部卓也氏が公認内定 2004年11月08日(月)

 今日の午前は、民主党静岡県連の常任幹事会。冒頭に繰上げ当選のご挨拶をさせて頂いた。そして、次期衆院選・静岡7区の公認内定者に阿部卓也氏が選ばれた。阿部氏(→リンク集の上から2番目)とは7年来の親友付き合いで、私が立候補を決意した直後に真っ先に相談に乗ってくれた人。いわば私の恩人でもある。今年春の浜北市議選に立候補、当選したのだが、私も選挙期間中に3日ほど応援に入り、選挙カーで「キムタクと同じくらいかっこいいアベタクをよろしくお願いしまーす!」としゃべったりした。静岡でまた情熱あふれる仲間が増え、心強いかぎり。
 


記者会見〜動画が見れます〜 2004年11月04日(木)

 朝から挨拶回り。午後1時からの衆議院本会議において都築議員の辞職願が受理されたことを受けて、午後4時から、草薙の私の事務所で記者会見を行った。2日の日記に書いたコメントを述べるとともに、
・ 支持者のご期待に応えるべく「ニッポンの未来を真剣に考え、人生を
 賭けて行動する議員」として頑張っていきたい。
・ 11年間の財務省での経験を活かして、財政再建や経済政策(規制緩和
 など)、地方分権に取り組みたい。また教育もライフワークとしたい。
といったようなことをお話しした。
 11日まではこちらで、そのときの模様を動画で見ることができます。


沢山の方々からのメッセージ 2004年11月03日(水)

 昨日のTVニュースや今朝の新聞を見て私の繰上げ当選のことを知った多くの方々から、電話やメール、祝電を頂いております。ちょうど1年前の総選挙で応援を頂いた方々からのメッセージは、当時を思い出し、熱い気持ちになります。2年近くご無沙汰してしまっている東京の友人からも沢山のメールを頂き、その友情に感謝の念が湧き上がってきます。
 私や秘書で手分けをして、一人でも多くの方々に直接お電話をしようとしておりますが、まだまだごくわずかの方にとどまっております。
 まずはこの場で深くお礼申し上げます。


都築議員の辞職と繰上げ当選 2004年11月02日(火)

 昨年の総選挙で東海ブロックの比例で当選していた都築議員(愛知15区。旧自由党)の陣営の方について、公選法違反の判決が最高裁で出ました。その後で、午後3時に都築議員は辞職表明の記者会見を行いました。
 東海ブロックの民主党比例名簿では、私が次点にいるため、都築議員の辞職願いが受理されると私が繰上げ当選する、ということになりました。

 都築議員の件については、私も、厳粛に受け止めております。
 私が繰上げ当選した場合には、あくまで次の総選挙まで議席をお預かりする立場であることを肝に銘じながら、昨年の総選挙で7万7千人近くの方々に頂いたご支持にお応えするとともに、都築議員の代わりとしてのお役目も果たせるよう頑張っていきたいと思っております。

 4日の夕方、都築議員の辞職が正式になった後に記者会見をさせて頂く予定です。
 ニュースを見た支援者の方や友人から、電話やメールをいくつも頂きました。皆様の暖かい言葉が胸にしみます。応援して下さっている方々の顔が次々と浮かびます。改めて「初心」「初志」を胸に刻み、「半人前」の私が様々な意味で「一人前」になれるよう、日々、研鑽していきたいと思っています。


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