今朝は、清水では初めての道路での街頭活動。七つ新屋の交差点で、鈴木君はノボリを持ち、田村はひたすらメガホンでしゃべる。開始早々、小糸労働組合の方が通りかかり声をかけて下さる。知人が車で通りかかり「がんばれよ!」。車に向かっての街頭は、反応が分かりにくいだけに、こういうことが本当に励みになる。
夜中から明日にかけては、富士宮の浅間大社で富士山お山開き。
夜11時半に集まり、100人以上がふんどし1枚になって湧玉池に(「みそぎ」)。田村も小室市長や四本市議らと一緒に池の中へ。田村は、小学校のときに東京に引っ越してしまったので、地元の大きなお祭りというものに参加したことがなかった(東京ではせいぜい盆踊り位)から、とても楽しい気分に。池の冷たい水で「みそぎ」をして、ますます気合が入った。
その後、さらに御神火みこしの点火と練り。みこしの上に大きな火をともし、みこしを担いだ人たちがそのまま湧玉池に入ったのには驚いた。いつか田村も参加できればなぁ。
模様は下記サイトで動画配信されています。
http://www.mount-fuji.jp/
午前11時から2時すぎまで、村山ジャンボで小林かなめ富士宮市議の後援会のバーベキューパーティー。田村は来賓として呼んで頂き、鈴木君・嫁さんと参加。乾杯前に皆さんの前でご挨拶をさせて頂き、その後、各テーブルを回った。小林先生の後援会の方々とは、4月の市議選の事務所開きから何度かお会いしていて、皆様から暖かい励ましの言葉を頂いた。
途中から、小室市長が登場。皆様の前で市長・小林市議とともに並んで立ち、市長とも固い握手。
また、偶然なのだが、村山ジャンボの同じBBQエリアで、四本泰久市議がお仲間とバーベキューをしていて、私も紹介して頂いた。
富士宮の浅間大社の門前町、神田商店街の「文化とまちづくり」事業の記念パーティーに、鈴木君・嫁さんと参加。「文化とまちづくり」事業は、富士宮焼きそばをはじめ、様々なまちづくり・まちおこしで旋風を巻き起こしているNPO「ふじのみや本舗」(→リンク集)が、商店街と一緒になって企画したもの。富士宮生まれ、ローマと富士宮にアトリエを構え、世界で活躍している彫刻家・御宿至(ミシュク・イタル)氏の展覧会を核として、まちづくりをしようというユニークな企画。パーティーでは、まちづくりで活躍していらっしゃる多くの方とお会いして、お話を伺うことができた。商店街の方々だけでなく、様々な業種の人が、地元を愛し、活性化に真剣に取り組んでいる姿には、いつも胸を打たれる。
今朝は、7時前から8時半まで新清水駅前で街頭活動。駅前で鈴木君がチラシを配り、田村は駅前の交差点でメガホン。車に向かっての街頭活動は、どれだけの反応があるかその場では分からないが、その後、何人かに「やってたね」と言われた。結構、見て下さっている方はいるもんだ、と、ますますやる気になる。
昼、ひさしぶりに、自宅の近所の中華「宝珠園」で昼食。早速、外にポスターを貼って頂く。これから、自宅周辺(鶴舞・追分・入江)にどんどん貼って頂くよう活動しないと。
午後、選挙に非常にお詳しい反体制派(?)の方とお会いした。田村の覚悟をご理解頂き、大きな激励を頂いた。事務所に戻ると、日頃大変ご指導下さっている方が突然来訪。事務所も、未だに田村&鈴木&嫁さんの3人体制で、閉まっていることも多いだけに、タイミングの良さに嬉しさもひとしお。
その後、自民党員の方のところにご挨拶に。選挙のプロに、厳しい、かつ親身で的確なアドバイスを沢山頂いた。
夜、富士・富士宮地域の労働組合(連合富士・富士宮地協)の幹部の方々の集まりにお邪魔させて頂いた。地協事務局長の芝田さんから「抜けてる日があるぞ」と鋭いご指摘。応援して下さっている方々が、この日記を見て下さっているのはとても励みになる。地協トップの源平委員長にポスターをお見せしたら、「この会の間だけでも貼っておかなきゃ」と、自らセロテープを持ってきて壁に貼って下さった。帰り際も「負けるな!」と声援を送って下さり、感激。
今日は、様々な分野でご活躍の方から多くの激励・ご指導を頂き、ますます奮い立った。皆様のご期待に反しないよう頑張るぞ!
今朝は、6時50分から8時半まで富士宮駅前で街頭活動。友人が2人応援に来てくれた。アドバイスを受けて、田村は駅前の通り沿いで演説をし、応援の2人が駅の入口でチラシを配ってくれた。
今日の静岡新聞の1面に、静岡4区の情勢分析の囲み記事。見出しに「民主新人は若者に照準」と書いてある。確かに取材されたときに「政治に無関心な若者も惹きつける努力をしたい」といったことは話したのだが、それだけが突破口とは思っていないので、記者さんに対して説明不足だったかもしれないと反省。「若者も巻き込みながら、草の根の活動を拡大していきたい」ということをしっかりと伝えるべきだった。
記事には更に「連合系の市議は『民主党が候補者を擁立する際、経緯説明がなかった。連合推薦が決まれば別だが、連合系市議から田村氏支持で動くことはない。議論が必要だ』と慎重な構えだ」とある。確かに、民主党にとって連合という組織は大きな応援団ではあるが、旧清水市の地域では連合系市議と民主党のつながりはほとんど無かった中で、民主党が衆議院選の公認候補を選ぶ段階でどこまで根回しをすべきなのか、というのは難しい問題。田村が、この静岡4区で、ゼロから民主党組織を立ち上げていく中で色々と配慮しなければならないのだろう。
夜は、エスパルスのサポーターの人たちと、平松選手の実家の中華園に。美味しい中華と楽しい会話でリフレッシュ。
林よしくに県議の決起集会でお会いした方のところに訪問したところ、民主党掲示板(その上に田村のポスター)を外の塀に取り付けてくれた。清水の地域で第1号。「民主党」と大きく書いてあることに抵抗感がある方が多いであろう中で、私が針金で掲示板を固定するのを手伝っても下さり感激。望月義夫議員の自民党掲示板は何百枚とあるのだろうし、いざポスターを張り出そうとすれば、数日のうちに全部貼ってしまうのだろうから、田村陣営も頑張らないと。
夜、富士市での「男女共同参画条例」についての勉強会に参加。富士宮・清水・静岡など各地から20名ほど。男女共同参画については、田村も非常に不勉強だったのだが、富士市の広報誌の表紙に「ぼくたちだって、ひなまつり。」とあるのを見て、ア然。女の子にはひなまつり、男の子には「子供の日」(という呼び方には問題もあるかもしれないが。)があるのだから、男女不平等にはならないと思うのだが・・・。女性の社会進出はまだまだバックアップしなければならないことは沢山あると思うが、守り伝えていくべき文化・伝統というものもあるのだと思う。
夜、清水で、30代後半の会社経営者が中心の交流会に参加。建築・土木関係の人も結構いる集まり。皆、小規模ながら、大企業の下請けに甘んじることなく、お互いに助け合い、切磋琢磨しながら頑張っている。そういう彼らから「最近は、大手ゼネコンが、小さい仕事にまで入ってくる。破格の価格で受注し、下請け企業にそのしわ寄せがいっている。国が大手ゼネコンを保護しているせいで、我々零細企業はますます苦しくなっている」という声があった。大手銀行が、ゼネコンに対する数千億円の債務を放棄し、結局は、それを、銀行に対する公的資金投入でカバーする、という悪循環は、何とか断ち切らねばならないと思う。税金のムダ遣いを徹底的に削減するためには、「従来型の」公共事業は大幅に削減せざるを得ない、という状況において、全てのゼネコンが経営を維持していくということは不可能であるし、経営不振を取り繕うために合併したからといって、結局は弱者連合で、りそな銀行と同じような結果となってしまうだろう。
午後、富士宮の小林要市議と後援会幹部とお会いして、田村の選挙について数々の貴重なアドバイスを頂く。小林先生は社民党。しばしば「民主党は右と左がバラバラ」とご批判を頂く。しかしながら、自民党現職に民主党新人が挑む場合、社民党支持者(あるいは旧社会党支持者)の御支援を頂かず、自民党支持者層を切り崩して現職に勝つということは、民主党支持層が極めて少ない現状において、都市部以外では不可能であると思う。田村も、昨年後半、議員秘書として山形での衆議院補選に応援に行ったり、そしてこの静岡4区で回ってみて、ますます痛感することである。富士宮においても、中選挙区時代は社会党代議士がトップ当選したりしていたこともあり、未だに社民党支持者は結構いるが、民主党支持という人は非常に少ない。
連合(労働組合)との関係においても様々な批判を頂く。しかしながら、都市部以外では、民主党の地方議員さえほとんどいない(ましてや党員は全くいない)中で、自前の後援会組織だけで勝とうとすれば相当の年月が必要であろう。
連合や社民党支持者は、「打倒自民党」という大義では志を共有する応援団として、色々と御指導・御強力を頂きながら、その一方で、自分の信ずる方向性(政策)については芯を曲げず、初心を忘れず、頑張っていきたい。
小林先生との面会の後、支持者の方に連れまわして頂いた。そのうちの1軒は、快く民主党掲示板(先週、事務所に到着。「民主党掲示板」という大きな文字の横に田村のポスターを貼る。)を家の外側に貼り付けて下さった。第1号。感激。
更に、西富士宮のとんかつ屋「かつら」に立ち寄る。店長の桂巻さんは、先週ポスターをお渡ししたところ、早速お店の前にドーンと貼って下さった。今日も突然立ち寄らせて頂いたにも関わらず、お忙しい合間をぬって、何人かの方をご紹介下さり感激。
今朝は、JR清水駅の東西を結ぶ自由通路の開通式。新人田村は招待されるはずも無いが、民主党参議院議員の堀利和先生(清水市出身。比例選出)が、目の不自由な堀議員の補助者として随行させて下さった。テントの中での数人の挨拶、通路内でのテープカット、屋外での記念植樹。目の不自由な方の補助も初めてであったし、関係国会議員・県会議員・市会議員勢ぞろいの式典に参加させて頂き、貴重な経験となった。
堀先生の御兄弟の家で昼食をご一緒させて頂いた後、静岡大学へ。ESSのディベート大会に顔を出す。田村も17年前に東大ESSの部長をしていた。活動は専らディスカッションだったが、ディベートも1年生のときにサークル内の大会に参加したことがあり、とても懐かしかった。
今朝は6時半からJR清水駅前で。いつものように鈴木君がチラシを配って、田村はメガホン。駅頭活動を始めて4ヶ月が経つが、イマサラながらようやく、前を通りすぎていく人々の表情を見る余裕がでてきた。「頑張れよ」と声をかけて下さる方、笑顔を送って下さる方、本当に励みになる。1月末に駅頭活動を始めてから、ほとんど反応が無いながらも、高校生に「おはよう。いってらっしゃい」と声をかけていたのだが、高校生が2人ほど「
田村謙治さん、頑張って下さい」と声をかけてくれたのも本当に嬉しかった。これからも頑張ろう!
夕方、清水での大先輩方の異業種交流会に参加。色々な方から励ましのお言葉を頂く。
その後、富士川町へ。1月中旬、細野豪志議員と新富士駅で駅頭活動をしたときにお会いした経営者の方にお誘いを頂き、会社の幹部懇親会に顔を出させて頂いた。そういう機会は初めてだったし、暖かく迎えて頂き、感激。こういう「輪」(と言うのも僭越だが)をどんどん広げたい。
夜は、訪問理容やケアマネージャーとして福祉施設に関わっている方々とお会いした。皆、活き活きと活動している姿に大いに刺激を受けた。
今日の夜、ホームページのアクセスが10000を突破した。1月末に開設し、3月初旬に知人に周知してからカウンターの回転が速くなったものの、先月の数週間、日記の更新をサボったために、いっきに回転が遅くなったが、最近ようやくまた見てくれる人が増えてきた(もどってきた?)ようで嬉しい限り。もっともっと充実させるべく頑張ります。10000をゲットした方、ぜひメール下さい。
今朝は友人のアドバイスで富士宮市役所前で街頭活動をすることに。朝7時半から8時半まで。当初、応援部隊が2人来てくれるはずだったので、田村はメガホンでしゃべろうと思っていたのだが、2人とも都合が悪くなってしまったため、田村と鈴木で手分けしてひたすらチラシ配り。さすが市役所の人だけあって(?)、ほとんど全員受け取ってくれた。市役所内で少しは話題になっていればいいけどなぁ・・・
昼間、いくつかの支援者のお宅を回った後、再び市役所へ。組合事務所で意見交換。市役所の入口で偶然に、支援者に2人もお会いし、ポスターをお渡しして非常に有意義な市役所訪問(?)となった。
夜は、急きょお電話を頂いて、清水での会合に顔を出させて頂いた。そのときも「○○さんが、『田村はセンが細いのでは』と心配している」とのご指摘。やはりまだまだ、「気迫」「悲壮感」がしっかりと伝えられていない。日々、心がけないと。
午前中は、富士川町でふれあい広場というイベントがあった。いくつかの屋台があり、挨拶回り。望月義夫議員の庵原郡担当の秘書も回っていた。民主党の「選挙の鉄人」上田清司衆議院議員の「現職議員は、地元秘書が最低5〜6人いるのだから、秘書が1人くらいしかいない新人は、効率3倍、時間2倍頑張らないといけない。3×2=6でようやくどっこいどっこい」という言葉は、しばしば思い出し、気持ちを奮い立たせているが、田村陣営も、それを目指して頑張ります。
今日は、朝8時から丸1日、支援して下さっている方に引き回し(知人の紹介)をして頂いた。その方を田村の車(ホンダCR−V)に乗せて、私が運転。途中、本屋の経営者の方が、入口の横の壁にポスターを貼って下さった。第1号!やはり感激。これからどんどん貼らなければ。
午後4時から県連の広報担当常任幹事として記者会見に臨んだ。内容は、「静岡空港問題検討プロジェクトチームの設置について」。津川祥吾座長の下、週1回程度開催し、7月中旬に県連常任幹事会に答申を出す。田村はプレス担当としてメンバーに入った。記者もそれほど集まらない気軽なものだろうと思っていたら、カメラもあるし(実際には放映されなかったが)、記者も沢山いて驚いた。不必要に緊張してしまい、「プロジェクトチーム」という言葉がうまく言えなかったり、反省点は沢山。どんなことでも事前準備をしっかりしないと。
夜は、かねてお世話になっている方々と、清水港の活性化についての意見交換。そのテーマに長らく取り組んでいらっしゃる方々からのご意見は本当に貴重だった。
今日は、昼すぎまで同世代の方に色んな方を紹介して頂いた。昼すぎに、今日オープンのラーメン屋さんに昼食がてら顔を出し、その後、更に、別の支援者の方に何人かご紹介頂いた。
お忙しい中、お仕事の時間を割いて、私のために動いて下さる方々に心から感謝。
ただ、昨日の夜2時ころまで、政治の研究者と様々な意見交換(専ら、情報を教えてもらうことの方が多かったが)していたため、一日中、疲れが抜けず、どうしても顔に出てしまっていたように思う。初対面の方に大変失礼なことだし、体調管理はしっかりしないと。
今日の夕方5時半から6時半まで、通勤の車で混んでいる交差点で街頭活動をした。友人にノボリを持ってもらい、田村はひたすらショートスピーチを繰り返す。駅頭では、人通りが途絶えることがあるため、しゃべりを休むことも出来たが、道路沿いでは休み無くしゃべり続けるため、慣れていないこともあって、いつも以上に疲れた。友人がいくつかアドバイスをくれて感謝。今まで、朝の駅頭でしかやったことがなかったので、朝以外の時間帯も、駅以外の場所も初めて。これからどんどんやっていこうと思う。
今日の朝は、初めての蒲原駅前で6時半から9時前まで鈴木君と。通行量が多い道に接していたので、鈴木君がせっせとチラシを配ってくれている間、田村は車に向かっておじぎの連続。この蒲原で、旧静岡4区(旧清水市と庵原3町)の駅はすべて1回は街頭活動をしたことになる。
今日は、もっぱら事務所で事務作業。コピー&ファックスが入り、これでようやく事務所の最低限の備品が揃った。後は、留守番を兼ねて下さるボランティア事務員さんを何とか探さないと。
今朝は、静鉄の御門台駅前で一人でチラシ配り。
今日はスタッフの鈴木君は久々の休暇。1か月前に来てくれて、休暇はこれが2日目。本当に良くやってくれている。彼は、財務省での4年間、主計局、そして金融庁とずっと忙しい部署にいた。平日は毎晩、夜中(時には2時や3時)までずっと仕事。それでも週末にゆっくり休めたし、朝のスタートは遅いし(だいたい10時頃)、やはり今の仕事の方がキツイと言う。
霞ヶ関には「自分達の仕事は本当に激務」と思い込み、それを半ば誇りにしている人が多い。週末の土日はちゃんと休んでいても、平日は夜中の1時2時まで仕事だからキツイキツイと言っている。私はそれに大きな違和感を持っていた。例えば起業した人など、休日は一切無く働き続けることの方がよっぽど大変だと思う。何より、自分で全てのリスクを負う精神的プレッシャーは、官僚には想像も出来ないだろう。私の今の活動も、個人営業と捉えれば似ている部分も多い。もちろん、起業家の方々には、私に想像もできないご苦労があると思うが、それでも一日も休み無く、テンションを維持して走り続けることの大変さは実感できる。自分より激務な人が沢山いることを知らない、井の中の蛙となってしまっている官僚が大勢いることを悲しく思う。
さて、先週1週間かけて、家内がホームページに色々と手を加えてくれた。まず、イメージカラーのオレンジに統一。更に、後援会入会とご意見投稿のフォームを作ってくれた。早速、何人かの方から後援会入会の投稿を頂き感激。皆さま、このホームページについてのご意見もお待ちしてます!
今日は昼から民主党静岡県総支部連合会(→リンク集)の年に1度の定期大会。静岡駅前のホテルアソシアターミナルで。
来賓の挨拶に続いて、野田佳彦国体委員長の30分の講演。昨年9月の党代表選のとき、静岡県連の議員のほとんどが野田支持で結束し、野田議員の地元千葉を上回る全国一の得票率で関係者を驚かせた。野田議員は「この静岡の、それも盟友鈴木康友議員の依頼とあれば、妻の40歳の誕生日でもお断りできなかった」とのこと。野田議員と鈴木議員は松下政経塾の同期。
野田議員の演説のうまさは民主党内でも定評がある。随所に笑いを取りながら、ポイントはしっかりと胸に響く訴え方。田村も大いに感動した。国対委員長としての仕事の話の中では「野党共闘も大事。野党4兄弟の長男として、きかん坊次男・自由党、理詰めの三男・共産党、駄々っ子四男・社民党をたばねるのは大変」。党の目指すべき方向性として「党が1人に頼るのは危うい。それで細川政権も新進党も崩壊した。これからの民主党は、宇多田ヒカルや浜崎あゆみに頼るレコード会社では無く、モーニング娘。のように後藤真希が抜けても新たな人が入って盛り上がる、そういうチームととしての安心感が大事」「皆、ド真剣に考えている。それにしっかりと耳を傾け、受けとめることのできる政党であるべき」。
野田議員の講演に続いて、田村は議長として議事進行。最初に少しだけご挨拶。やはり緊張してしまった・・・。野田議員の講演を受けて「私も早くチーム民主党に加わりたい」と言ったのはまぁ良かったかな、とは思うが、やはり口調をしっかりしないと。
人事・会計・活動方針案などの議事を担当議員が説明。新体制として、代表・細野豪志、代表代行・津川祥吾、幹事長・藤田寛(県議)の3役。他の国会議員は皆、副代表。筆頭格の総括・渉外担当副代表として榛葉賀津也。来るべき総選挙に向けて、若さを前面に出した布陣に。田村は、県議や市議とともに常任幹事(広報担当)に。
3役の挨拶に続いて、細野新代表の音頭で「ガンバロー」。さぁ田村もガンバルゾー!
今朝は興津駅で初めて。6時半から9時頃まで2人でひたすらチラシ配り。
今日は、富士川町出身の田中健くん(→リンク集)が、彼の選挙を手伝った学生2人とともに凱旋帰省。昼すぎに合流し、多くの人を紹介してくれた。「僕も、早く田中先生に続くべく頑張ります」と言うと、大体の方は「健ちゃんが先生だなんて」と笑い、「けんちゃん2人で頑張ります」と言えば気持ちが通じて、とても気持ちのいい挨拶回りだった。
夜は、同級生を数人集めてくれて飲み会。夜中まで楽しいひととき。
朝6時、富士宮の仲間の家から直接、富士市での会合へ。その会合も、細野事務所の田原さんにお誘い頂いた。同世代の方が何人かいて、暖かく迎えて頂き嬉しい気分に。
東京から、以前から応援して下さっている方お2人が出張の途中に寄って下さった。吉田直人さんは、携帯のサッカー新聞「オーレ!ニッポン」を配信する会社(株式会社イオレ→リンク集)を経営している人。もう1人は、サッカー日本代表のサポーターの取りまとめ役の松下さん(ニックネーム「まっつん」。J-SupportersというNPOを設立準備中)。エスパルスの話を色々と伺った。世の中複雑だなぁ、と・・・
細野豪志候補と最初に出会った学生、関根義人君(日大三島4年。細野豪志著「パラシューター」参照)から電話があり、今、友人と静岡にいるとのこと。ちょうどいいタイミングだったので、関根君と友人の岸君も合流。楽しい夜になった。
午前中に、細野事務所の大番頭の田原さん(細野豪志著「パラシューター参照」)がわざわざ草薙の田村事務所に来て下さり、スタッフの鈴木君に色々と指導をして下さった。大感謝。
昼前に富士宮へ1人で(鈴木君は清水で事務作業)。富士宮では、4月に市長選と市議選が両方あり、どれかの候補の応援に関わった人は、私に会うと、当たり前のように他の方を紹介して下さる。本当に有難いこと。夜は、仲間数人で飲む。途中、仲間の1人の父親が合流し、大いに激励して頂いた。飲んでしまったので、車を運転して帰るわけにもいかず、仲間の家に泊めて頂く。大晦日に静岡に引っ越して来て以来、上京したときを除けば、外泊は初めて。夜更けまで選挙談義。
今朝は、初めて西富士宮駅で。到着が遅れて7時半から8時半まで1人でチラシ配り。露骨にイヤな顔をする人がいて「まぁ初めてだからしょうがないか」と思っていたのだが、仲間によると「あそこではいつも共産党がチラシ配りしてるから、きっと間違われたんだよ」とのこと。次回は、今まで使ったことが無い民主党のノボリを使ってみようと思う。
夜は、東京でお世話になっていた中島光一郎さん(人生蘇生プロデューサー http://homepage2.nifty.com/pica-ittuko)が出張でいらっしゃり、ご一緒した。日本の地方を200か所以上回った方で、1時間ほど街を歩き回れば、その街の雰囲気・トレンドなどが分かるとのこと。中島さんイチオシの串焼屋「金の字」へ。火曜日なのに混んでいるし、客層もいい。何より美味しい。おまけに私を知って下さっている方に声までかけて頂いた。
中島さんと別れた後、友人に呼び出されて合流。会社の経営者の方を紹介された。「今の民主党はねぇ」という話になり、ついつい真顔になっているのに途中で気づき、一昨日の教訓(1日の日記参照)を思い出し、つとめて笑顔に。するとその社長さんが「おぉ、その笑顔いいねぇ」と会話もはずんだ。やはりちょっとしたことで違うものだなぁ、と。
今朝は6時すぎから8時半まで清水駅で。7時すぎまでは鈴木君と2人でチラシを配り、それ以降、田村はメガホン。
9時から静岡で民主党静岡県連の会議。7日の県連大会以降の新体制の協議。「若さと起爆力」が決め手となり、静岡県連の顔(代表)は細野豪志議員に。全国で最年少の民主党県連代表だろう。これからますます楽しみ。
今日の午後2時から4時半まで、静清合併を記念したシンポジウムが開催され、私もパネラーとして参加した。パネラーとしては、他に、市議4人(栗田裕之・風間重樹・丹沢卓久・相坂摂治)まちづくりプロデューサーなど。テーマは「今、国の誇りを問う」。畠奈津子さん(漫画家。24歳。作品として「拉致の悲劇」「チベットの悲劇」)の基調講演の後、北朝鮮問題などについて討論。限られた時間ではあったが、大いに刺激になった。
私が話したことは、「日本が第二次大戦において犯した過ちについて、しっかり反省しなければならないことはもちろんだが、そのことと、現在そして今後、相手国に対してどのように対応するのか、ということはしっかり区別して考える必要がある。外交は、国と国とのかけひきである、という認識が、今の日本ではまだ薄い」といったことなどです。
先週、富士宮で紹介された方に「どうも振る舞いが、エリート臭い」との指摘をもらい、日々考えている。今日は家内に夜中の3時まで相談に乗ってもらった。まずはつとめて「笑顔」。確かに、マジメな話になるとつい真顔になるし、口調もキツクなってしまっていた。2つ目は「語尾」。「そうですよねぇ〜」といったフレーズの語尾がエラそうに取られるようだ。これから日々、努力していこうと思う。