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総合選対本部会議発足式/キャッチフレーズ「脱・官僚!」 2003年07月31日(木)

 夜、民主党静岡県連の総合選対本部会議の発足式(→写真は活動報告に)。連合静岡と合同の選対本部。榛葉賀津也参議院議員が選対本部長に就任。衆議院選の候補予定者(現職も含む)がそれぞれ決意表明。田村は、28日の菅代表&小沢党首の会での一言スピーチで官僚支配の打破を訴えた勢い(?)を、より長い時間(と言っても5分だが)力説。
 1月に活動を始めた当初から「ニッポンの元気回復!」というキャッチフレーズと、その言葉と民主党マークの色から森下君(→リンク集の「顔厨」)が考案してくれたビックリマークを使っている。5月にポスターを作った際、自分の出身をどういう言葉で書くか色々議論した中で、奥川県連総務委員長(前県議)から「脱官僚」という言葉を頂いた。最近も、田村の何をアピールするか、あれこれ議論している中で、やはり「脱・官僚!」という言葉を超えるものは未だに出てこない。作成中のリーフレット(三折カラーのしおり)でも使おうと思っている。
 何か他にもいいキャッチフレーズがあったら、ぜひ教えて下さい!(例えば、「若さ」をPRするフレーズなど)


「勉強」会 2003年07月30日(水)

 夜、ある企業経営者を囲んだ座談会に参加させて頂いた。20名程。私も20分ほどお話する時間を頂いた。政治経済に非常に問題意識が高い方ばかりで、質疑応答は非常に専門的なところにまで及んだ。アメリカ型の時価会計を導入しているのは先進国でも少数であり、日本がこの経済情勢の中で導入しようとしているのは大きな間違い、との指摘や、昨年来、金融庁の検査が一層厳しくなり、金融機関は中小企業にとても融資できる状況に無い、とのコメントなど。田村も、1月に活動を開始して以来、金融をはじめとする経済の専門的な部分はなかなかフォローする時間が取れず、その上、お会いする方々とそういう話をする機会が全く無かったこともあり、大いに刺激となった。2時間半に及ぶ会の後、更に数人の方が、場所を変えて夜中まで、私にアドバイスを沢山下さり感激。非常に意義深い夜となった。


菅代表&小沢党首「政権交代を実現する会」 2003年07月28日(月)

 夜、静岡のホテルアソシアで、企業経営者が中心の静岡海援隊というグループが「政権交代を実現する会」を開催。当初は、鳩山由紀夫民主党前代表と小沢一郎自由党党首の予定だったが、先日の民主党・自由党合流の発表を受けて、急きょ、鳩山氏の代わりに菅代表が来ることに。1000人以上の聴衆が集まり、合流発表直後の大イベントとなった。
 海野徹参議院議員がコーディネーターとなって、菅代表と小沢党首がそれぞれスピーチをした後、聴衆からの質疑。菅代表の厚生大臣当時の話を皮切りに、官僚支配をいかに打破するか、ということについての話に一番時間が割かれた。
 最後に、静岡の民主党議員と新人候補が壇上でそれぞれ短い挨拶。私が最後だったが、菅代表と小沢党首が官僚支配打破を強調していたため、「私は、昨年まで11年間、財務省で官僚をやっていました」と切り出したとたんに、聴衆は大笑い。ウケを取れるとは全く予想していなかったのだが、それで調子に乗ることが出来て、「官僚支配打破のためにも政権交代を目指し、田村も頑張ります!」と力強く挨拶することが出来た。駆けつけてくれた支援者の方や友人の何人かに「今日の挨拶は良かった」と言われ、田村も徐々に場慣れしてきたことを実感。
 更に、会の本当に最後に、菅代表と小沢一郎が壇上で握手をしたのだが、ちょうどその真後ろに私が立っていたため、ニュース等で2人の握手シーンの映像が流れるたびに田村の顔も映し出され、翌日の新聞にもその写真が掲載されるという大きな幸運にも恵まれた。


松野くんと駅頭 2003年07月24日(木)

 朝は7時半すぎから8時半すぎまで、松野君と草薙駅前で。選挙区内で応援弁士と街頭活動をするのは、まさに政治活動初日、元旦の榛葉賀津也参議院議員と清水駅前でやって以来。この道の先輩、松野市議の演説もとても勉強になった。松野君は駅頭活動の後、千葉へ。また、選挙前に応援に来てくれるとのこと。友の有難さが改めて身にしみる。
 午後は、強力な支援者が引き回し(知人の紹介)をして下さった。ある大きいお店には、駐車場にポスターを何枚も貼らせて下さった。その社長さんは「俺は、小沢一郎はスジが通ってて好きだよ」と。会社経営者の方には小沢一郎ファンが結構多い。


【自由党と合流!】/松野豊くんと丸一日/連合富士・富士宮地協 2003年07月23日(水)

 今日は、丸一日、松野豊君が一緒なので、朝の駅頭、そして夕方の街頭活動をバリバリやろうと意気込んでいたのだが、あいにくの雨・・・。残念!やむを得ず、挨拶回りにお付き合い頂く。運転までしてもらって。
 夕方、連合(組合)の富士・富士宮地域協議会の幹部の方々の集まりに顔を出させて頂いた。松野君も秘書代わり(?)に参加させて頂き、皆様に沢山のアドバイスや激励を頂いた。 
 富士から清水に帰る途中、家内から電話「今、ニュース見てる?」。あわてて、ナビのチャンネルをニュースステーションに。菅代表・小沢党首が並び、民主党と自由党の合流を発表しているではないか!ビックリ。
 19日に来て下さった岡田幹事長も「選挙前には自由党と合流すると思う」とおっしゃっておられたし、私もずっとそう思っていたが、こんな早いタイミングとは思っていなかった。執行部も政策も民主党そのまま、実質的な吸収合併。小沢党首がよくぞここまで譲歩したなぁ、と感慨深い。「野合」「選挙目当て」という批判もあるが、構造改革の徹底、そのための自民党政権打倒、といった大きな方針は民主党も自由党も共通するところが多い。自民党内の小泉派・反小泉派の開きに比べれば、非常に小さい違いだと思う。小沢党首が「最後の賭け」として、合流後も民主党内で協調して活動して下さること、そして、民主党と自由党の合流が、大きな変革(政界再編)のキッカケになることを切に願っている。
  
 


松野豊くんが応援に!/政治の本「オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク」 2003年07月22日(火)

 夜、大親友&師匠の松野豊くん(千葉県流山市議→リンク)が、応援に来てくれた。彼は、千葉県西部の若手市議に声をかけて勉強会を立ち上げ、それを発展させて政策シンクタンクのNPOを設立するまで活動を拡大している。いつもそのパワーやアイディアには触発されている。
 久々の(今年初めての)再会で、夜更けまで話し込む。
 なお、彼が企画も手伝った本「オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク」が最近出版されました。7人の若手(20代〜30代前半)の市議会議員が登場します(もちろん松野君も)。是非ご覧になって下さい。装丁が非常にオシャレで、一見政治の本には見えませんので、本屋で探す場合はご注意下さい。


タムラのゲンキ/ご縁 2003年07月21日(月)

 富士登頂の翌日、どれだけの筋肉痛に悩まされるか、場合によっては身動きできないのでは、と不安だったが、実際は、やや疲れが残っている程度で筋肉痛はほとんど無し。田村も、1月以降、官僚生活よりははるかに動いているので、以前より一層健康的になっていると実感。
 今日は、東京の友人に紹介してもらった清水の方が、静岡の会社経営者を紹介して下さった。その東京の友人も、お互いの都合がなかなかつかず久しく会えていなくて、メールでのやりとりなのだが、いつも激励メールを下さる。その人が紹介して下さった清水の人も、とても忙しい方なので、まだちょっとしかお話しできていないのだが、東京の友人の宣伝効果(?)で、家族ぐるみで私を応援して下さっている。感謝! 今日初めてお会いした経営者の方も、バイタリティーあふれる方で、大いに刺激を頂いた。日々活動をしていて、こういうご縁は本当に嬉しいし、励みになる。


富士山親子登山 2003年07月20日(日)

 今日は、富士宮市主催の富士山親子登山(写真は活動報告に)。小学校6年生と保護者、そして指導員(大体は教員)の総勢約200名。田村はボランティア指導員として参加。とは言え、富士登山は初めて。登山と言うと、もうさかのぼること20年以上。中学校時代にワンダーフォーゲル部に入っていたものの、当時、結構、苦手意識があった。
 早朝4時半に集合。6時半、五合目から登頂開始。親子と指導員で17,8人で一つの班となって登る。大体、30分〜1時間毎に休憩をはさんで登っていく。天気は、下界(?)は曇りだったが、五合目より上は快晴!そして、何より不安だったのは、空気が薄くなることによる高山病だったが、高山病にもならず、同じ班の親子を励ましながら(一番つらそうだった親御さんには、持参した登山用ステッキもお貸しして)、12時すぎに頂上へ。登山になんとなく苦手意識もあっただけに、感激はひとしお。体力にも更に自信がついた。
 下山はアッと言う間。登るときは相当ツラそうだった方が、イキイキと下山している姿は印象的だった。
 夜は、会合にちょっと顔を出して帰宅。
 充実感あふれる一日。

 


田村謙治フォーラム「岡田克也幹事長を囲む会」 2003年07月19日(土)

 民主党幹事長(ナンバー2)の岡田克也衆議院議員(→リンク)が、今日一日を使って静岡の各選挙区に応援に来て下さった。沼津(静岡6区)と富士(静岡5区)での街頭活動の後、1時に草薙駅に。昼食を取りながら、岡田幹事長の初めての選挙のときのお話を伺う。「僕も通産省を辞めて最初の半年は何をしているか分からないうちに過ぎた。田村君も今が一番ツライと思うが頑張れ」と励ましの言葉を頂く。
 1時半から2時半まで、事務所で「岡田克也幹事長を囲む会」。日頃お世話になっている方々約30名に集まって頂いた(模様は活動報告に)。20分程、幹事長の講演。「民のパワー、地方のパワー、個人のパワーをいかに引き出すかが大事」という趣旨を具体政策を交えながら。その後、30分間、様々な質問が飛び出し、幹事長は一つ一つに誠実に答えて下さった。「テレビで見る印象より、気さくな感じ」といった声も。
 


GQ取材 2003年07月18日(金)

 GQという月刊総合誌の7月号の記事に載せてもらったのだが(→活動報告)、その記事が好評だったそうで、今度は、数ページに渡る特集記事を載せることになり、その取材を受ける。生い立ちから、小・中・高校時代について突っ込んだ質問を受けた。一般的にはよくある質問だと思うが、田村にとっては初めてだったので、改めて当時を振り返るいい機会になった。どのような記事になるのか楽しみ。
 夜は、蒲原にお住まいの方が十数人を集めた会に参加させて頂いた。元気な方が何人もいらっしゃって、様々な意見交換をさせて頂いた。


経営者勉強会/県立大ESS 2003年07月17日(木)

 夕方、清水の経営者が集まる勉強会に参加。今日は新聞論説委員の政局についての講演と、会の10周年記念パーティー。
 夜は事務所に戻る。今晩は、県立大学ESS(English Speaking Societyという英語サークル)の前部長からの依頼で、新人歓迎会に事務所スペースを提供。10人ほど集まった。田村は事務作業をしながら、時折、会に混ぜてもらい学生と歓談。選挙活動に相当関心を示す人が何人かいて、これからの展開が楽しみ。こういう風に、事務所をサロン的に使ってくれるのはとても嬉しいこと。自由に出入りしてくれる人が増えるといいなぁ。


TVタックルの反響/富士宮やきそば学会/西富士道路入口/十六市 2003年07月16日(水)

 朝8時から9時まで、西富士道路入口手前の交差点(スカイラークがある)で街頭活動。非常に目立つところに立つことが出来るため、気合が入った。次回はもっと早い時間にやってみよう。
 浅間大社のすぐ近くの友人の自宅の物置の壁に掲示板を貼らせて頂く。非常に目立つ場所で嬉しい。作業をしている最中に、通りがかった車の運転手さんが「一昨日のテレビ見たよ!」と声をかけてくれてますます気分が良くなった。
 それから駅前商店街の「十六市」で出店の方々に挨拶回り。何人かの初対面の方に「あ、あなたこの前テレビに出てたでしょ」と声をかけて頂いた。改めてテレビの威力に感動。
 夜は、富士宮やきそば学会(→リンクの「富士宮本舗」)の「富士宮やきそば公式ガイドブック出版記念パーティー」。小室市長に続いて望月義夫議員が挨拶。お2人はすぐにいなくなってしまい、田村は渡辺学会長はじめ皆さんと談笑。その後、場所を変えて、20代ながら選挙に精通している方から色々とアドバイスを頂いた。


三保の交差点/若手交流会 2003年07月15日(火)

 今朝は7時すぎから8時すぎまで、三保に入る交差点で街頭演説。先日会ったケアマネージャーの人に教えてもらったスポット。交差点での朝の街頭活動はこれが2回目。トラックの音に負けないように声をはりあげるので、駅前の街頭よりはるかに体力を使う。どうしても名前の連呼に近い形になってしまうが、とにかく田村謙治の存在を認知してもらわないと。
 夜は、細野豪志事務所に紹介してもらった、富士での若手の勉強会に顔を出す。30代の会社経営者が中心。政治に関心が高い人が多く、懇親会でも政治談議に花が咲いた。終電で帰るつもりが、話が盛り上がって、会の代表の方に車で送って頂いた。ただただ感謝。東京でいくつもの勉強会や異業種交流会を企画していた田村にとって、清水でも、このような集まりを企画できるようになるのは一つの目標。やはり同世代の中でも、大きなうねりを作っていきたい。


TVタックル放映!/庵原郡の支援者 2003年07月14日(月)

 朝は新蒲原駅前で7時すぎから8時半まで。最初、駅舎入口のまん前で鈴木君がチラシ配りを始めたところ、駅員さんに入口から半径約50mではやらないようご指導を頂く(前回同じ場所でやったとき、駅員さんにも挨拶したし、何も言われなかったのに・・・)。その上、霧雨が降っていたりして、田村もついテンションが下がってしまった。その程度でメゲてはいけない、と反省。
 庵原郡の数名の強力な支援者にポスターをお持ちする。田村が活動を始めたばかりの1月から応援して下さっている富士川町の社長さんや、田中健ちゃん(→リンク集)のお母様や、最近お会いしたばかりに関わらず「この前、望月議員の秘書さんが来たから、ウチは田村と細野だからとキッパリ言っといたよ」とおっしゃって下さる由比町の社長夫人など、パワフルな方々に暖かい応援の言葉を沢山頂き、田村もすっかりハイテンションに。支援者の輪が広がってきて、ますます忙しくなるのはとても嬉しいことだが、その一方で、こういう方々とお会いする時間もなかなか取れないのはツライ。
 さて、今晩は、いよいよ田村がゲスト出演した「ビートたけしのTVタックル」の放映。実は田村自身は、会合があったため夜中に帰宅してビデオで。5日に収録したものがどのように編集されているのか、ドキドキしながら見る。ディレクターさんに「テレビは特定の候補者を応援してはマズイので、選挙関係の話はカットします」と言われていて、田村を知らない人が見ると、田村が今何をしているのかサッパリ分からないように編集されてしまっていたが、予想以上に多くの発言を放映してもらえた。官僚制度の改革をするには、本気で改革に取り組む政権をつくるのが先決、という一番強調したかった発言もカットされてしまったし、話し方も、以前よりずっと良くなったもののまだ満足いくレベルまで修練を積まねばならないが、早速多くの方からプラス評価のメールを頂いた。中には、「田村謙治って誰?」とネットで検索してホームページからメッセージを送って下さった方もいて感激。


エスパルス勝利!/007大作戦!? 2003年07月12日(土)

 朝から昼すぎまで、強力な支援者に連れ回って頂き、何枚も民主党掲示板やポスターを貼らせて頂く。壁にはいつくばったり、フォークリフトで倉庫の上まで上げてもらい屋根から貼ったり、その支援者いわく「ジェームズ・ボンドも顔負けだ」。そういうとかっこいいようだが、ときには、物置などでクモの巣まみれになったり、なかなかの肉体労働。
 身延線の富士根駅と入山瀬駅の間、富士に向かって右側の外にご注目!(田村自身はまだ電車から見ていないが・・・) 
 さて、夜は、久々の清水エスパルスのホームゲーム。目下連敗中のエスパルス。勝利は期待せず、応援団に混じっての初めての観戦を楽もうと、草薙運動場へ。ところがどっこい、エスパルスは絶好調。応援する側も狂喜乱舞。これまでのホームゲーム観戦は、盛り上がっている応援団を遠目にうらやましく見ていたので、嬉しさもヒトシオ。やはりこの一体感はたまらない。さぁ、エスパルスのこの勢いを田村の闘いにも!

 


初めてのミニ集会(座談会) 2003年07月11日(金)

 昼すぎ、支援して下さっている方がミニ集会を開いて下さった。ミニ集会は初めて。大蔵省に入ってから、なぜ国政を目指すようになったのか、銀行局に入って護送船団方式に疑問を持ったことなど、政策にも若干触れながら30分程度お話しして、その後は参加して下さった方々からご意見やご質問をお聞きする。時代環境に合わせてあらゆる分野で改革を進めていくためには、まずは、改革を実行可能な政権をつくること(政界再編)が第一歩ということを強調した。短い言葉でいかに目指すべき社会像を説明するか、これからも、皆さんのアドバイスを頂きながら考えていかねばなりません。是非よろしくお願い致します。
 ともかく、ミニ集会に参加して下さった方々から、多くの貴重なご意見・アドバイスを頂いた。これを機に、どんどんミニ集会を開いていけるよう、輪を広げていきたい。


スーパー前街宣 2003年07月10日(木)

 今朝は7時すぎから8時半まで静鉄の新清水前で。ひたすらTVタックル出演の宣伝。
 夕方4時から5時まで、ユーマートの前で街頭活動。朝以外というのも、スーパーの前というのも初めて。最初、スーパーの前の歩道で、田村がメガホンでしゃべり、鈴木君がチラシを配っていたのだが、途中でスーパーの責任者が出てきて「このまま続けるなら警察を呼ぶ」と言われ、素直にご指示に従って、スーパーの道をはさんだ向かい側からスピーチ(チラシは配れず)。スーパーの中でレジ待ちの方々にもガラス越しに聞こえるようで、結構効果がありそう。これからも、夕方の買い物時、色んなスーパーの前でやっていこうと思う。
 


マニュアル街宣車 2003年07月08日(火)

 日頃、田村事務所の足となっている車(ホンダCR-V)が故障してしまい、今日から数日、修理に出すことになってしまった。
 2か月前に支援者から頂いた街宣車(10年落ち。看板の枠・スピーカー付。マニュアル)を、看板を作ってからということで置いてあったのだが、急きょ使うことに。マニュアル車を運転するのは、実に、教習所に通った17年前以来。早朝6時すぎ、車がほとんどないときに、おそるおそる練習。交差点で発信する際に、何度かエンストするも、とりあえず運転できるようになった。
 車の上には、看板無しの枠とスピーカーという状態だが、格好に構っていられない。その街宣車でいきなり富士宮へ。
 細野豪志議員の後援者から細野事務所経由で紹介してもらったお好み焼屋さんで夕食。「ここに食べに来た人は9割以上、当選してるよ」と店長。なかなか縁起がいい(笑)。


七夕まつり 2003年07月06日(日)

 4日から7日まで、清水駅前から続く商店街での一大イベント「七夕まつり」(http://www.shimizu-cci.or.jp/tanabata/)。各店舗が巨大な竹飾りを競う。予想していたよりはるかに多い人出に驚いた。竹飾りは、今年静岡で開催される「わかふじ国体」や鉄腕アトムが目につく。屋台がある広場には富士宮焼きそばもあって、富士宮でお会いした方々も腕をふるっていた。清水の商店街と富士宮の商店街は最近色々と交流があるようで、「清水なんて関係無いものねぇ」と多くの富士宮の方々に言われている田村には、とても嬉しいこと。
 バシバシと田村のチラシを配ろうかとも思っていたのだが、チラシが路上に捨てられて散乱し、それを多くの人が踏みつけていく光景を想像して結局断念した。「お祭りに来てるときに選挙関係のチラシをもらっても、みんな覚えてないよ」と言っていた方もいたが、皆様はどう思いますか?
 


TVタックル収録/神田楽市/清水友愛連絡会研修会 2003年07月05日(土)

 午前中、1時間半ほど、富士宮の神田商店街が毎月第一土曜日に行っている神田楽市を回る。まちづくりに頑張っている方々とお会いして、元気を頂いた。チラシを配っていると、何人かの方に「あ、たむけんさんね。若い元気な人がいるって聞いてました」と言われた。今、とにかく少しでも知名度を上げるべく奮闘している私にとって、最も嬉しい言葉の一つ。とても励みになる。
 電車を乗り継いで東京へ。テレビ朝日の東陽町スタジオでTVタックルの収録。田村を含む元官僚の3人が登場するのは、3分割された番組の2つめ。専ら、官僚が待遇面などで優遇されているということに焦点が当てられており、それについての質問に答えるという形だったので、政策について語ることは出来なかったが、思う存分しゃべったつもり。どのように編集されるか分からないが、自分でも楽しみ。
 待ち時間を含め3時間(実際の収録は30分弱)のスタジオ滞在の後、すぐに電車を乗り継いで目指すは御殿場。駅員もいない小さな南御殿場駅についたのは10時。友愛連絡会の研修所へ。清水の友愛連絡会所属の組合の幹部の方々の研修が行われており、田村はその懇親会の途中から参加(鈴木君は最初の研修から)。お酒を潤滑油に、お互い忌憚のない意見交換が出来た。今晩はそのまま泊まり。
 


チラシ3号/海野徹参議院議員ビアパーティー/自由党との合流 2003年07月04日(金)

 今朝は、7時から8時半までJR草薙駅前で。TVタックル出演のお知らせを大きく書いた、にわか作りのチラシ「田村謙治通信第4号」を初めて配布。今日は、静岡大学3年の三田君が手伝いに来てくれた。学生が街頭活動に参加してくれたのは初めて。これから色んな人の輪を広げていきたい。
 夕方、海野徹参議院議員(→リンク集)後援会主催のビアパーティー。浴衣歓迎の立食パーティーで、嫁さんも浴衣姿で参加。海野議員のご挨拶の中で、何度も私のことを紹介して頂いた上、津川祥吾衆議院議員に続いて私自身もご挨拶させて頂いた。人前での演説も、余計な緊張はだんだんしなくなってきた。
 海野議員は、3年前の総選挙のとき県連幹事長として、細野豪志・津川祥吾両候補の選挙活動の立ち上げを全面的に支援し、さらには、ご本人の政策秘書であった中村哲治氏を奈良から当選させた。3人とも当時29歳。「これからの政治は若手が中心にならないと」と、ことあるごとにおっしゃり、田村も、現在、様々な御指導を頂いている。
 海野議員は、ご挨拶の中で、民主党・自由党の合流という火はまだ消えておらず、その火を本物とすべく全力を注ぐと宣言。菅代表・小沢一郎・鳩山由紀夫とも相談を続けているとのこと。田村がお役に立つチカラは無いが、期待感は募る。なお、3月に内定した田村の自由党推薦(3月20日の日記参照)も、引き続き有効なようで一安心。


連合東部5地協選対会議 2003年07月02日(水)

 午後、伊豆長岡で、連合の東部5地協の幹部の方々と、民主党関係者(渡辺周事務所・細野豪志事務所・田村謙治事務所)との合同選対会議。後援会のしおりやポスターのことなど、秋の総選挙が濃厚になる中で、実践的な話し合い。その後、懇親会。夜中に清水に戻る。


開山祭 2003年07月01日(火)

 昨日の夜中のみそぎに続き、今日は1日中、浅間大社等で富士山のお山開き。午前中は浅間大社で開山祭、夕方は開山夕市(ふじさんうまいもの市)に顔を出す(模様の動画配信は→http://www.mount-fuji.jp)。
 富士宮の皆さんが、いかに富士山を愛し、大切にしているかということを、昨日・今日の小山開きに参加して、身にしみて感じた(それこそ、湧玉池の水の冷たさを通じて、笑)。


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