英国人の彼女 6年間の遠距離恋愛の末、イギリスに嫁いできました。ロンドンで息子と3人で暮らしています。
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先ほど、提出した論文のドラフトについて指導教官と面談してきました。・・・誉められました。ビックリ。すごく熱心な指導教官なので、まさか誉めてもらえるとは思わなかったです。かなり沢山訂正すべき点を指摘されるのではないか、大幅な書き直しを言い渡されるのではないか、と思っていました。まだ本提出まで1ヶ月、論文執筆は続きますが、ずいぶん楽しい気持ちで書いていけそうです。
あと一週間ほどでロンドンへ発つので、機会があればお土産などを買っているのですが、彼の甥へのプレゼントが非常に難しいです。(クリスマスがあるので、会う確立がかなり高いんですよね。それで、姪(2名)&甥(3名)へもちょっとしたお土産を買っているわけですが。)女の子はすごく簡単で、ちょっと和風な花柄の手鏡とか、アクセサリーなんかがいくらでも売っているのですが、10歳前後の男の子の欲しいものって、なに?スーパーニンテンドー?全く見当もつきません。ある意味、ロンドンで買ったほうがいいのかも。日本風のものに興味もないでしょうし・・・。
ダーリン(仮名)へのプレゼントもいくつか買いました。実は、前回某国へ行ったとき、わたしの誕生日と重なっていたのもあって、プレゼントを10個くらい貰ったんですよね。イギリスへ出張に行った際に、妹さんに付き合ってもらって、買い物をしたそうです。10個のプレゼントのうち、4つがカバン、というところに、彼の「選べなかった」感が出ているのですが、それに対して、彼の誕生日を6月にスルーしたわたしが持っていったものといえば、Duty Freeで買った日本酒一本。
論文の資料を20キロ以上抱えていったので、とにかく荷物を減らしたかった、というのがあるのですが、それにしても、これは悪かった、と。反省しました。愛が足りないと言われても、反論できない。今回は、もうちょっとちゃんとしようと思いました。
2004年11月23日(火) |
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なかなか日記を更新できない日々が続いています。ダーリン(仮名)と二人三脚で、修士論文の手直し中。
彼は2週間前にロンドンに戻って以来、2回の週末を全て潰して、論文のネイティブチェックをしてくれていて、申し訳ないかぎり。家探しをする暇もないらしく、いまだお兄さんの家に居候中です。君が来るまでに住むところを確保するよ、一緒に家探しをするのも楽しそうだけれど、すごく高い家を強引に決められそうだし、と言っておりました。
来月の第二週にロンドンに発ちます。今回は1ヶ月ほどの滞在。海外でも接続できるプロバイダと契約したので、向こうにいる間も更新できると思います。
修論書き終わりました!!
昨日の昼の2時くらいに、あと一文書けば完成、というところまで来たので、学校の近くのコンビニにハーゲンダッツのアイスクリームを買いに行ったのですが(学生にはささやかな贅沢)、空がいきなり青く、世の中が綺麗に見えました。まだまだこれから1ヶ月半、手直しの期間があるとはいえ、入学してからずっと、休学していた2年間も合わせて4年間、いつも心のどこかに引っかかっていた(そしてこの半年は激しく引っかかっていた)論文を書き終えることができて、心からほっとしました。
まだこれから、口頭試問で軽く却下される、そして最終的に落とされる、という恐怖で胸がドキドキする毎日が待っていますが、この半年間、寝ても覚めてもこのまま書き終われなかったらどうしよう・・・という不安感に苛まれていたので、今はそこから抜け出せたことがとにかく嬉しいです。
後は今週末の簿記2級。まだまだ机の前からは動けませんが、答えがある簿記の勉強は、けっこう楽しいのです。
なかなか日記を更新する余裕のない日々を続いています。
自分の中の締め切りまであと4日。まだ書いてないのは、序章、主要因の分析の一部、他の要因の分析、結論、政策提言。多すぎる・・・。一応どれも頭の中では何を書くか決まっているのですが、それにしても多すぎる。ほんとにムリかも。あ、動悸が・・・。
とりあえず、心配していてもしょうがないので、一つづつ片付けることにします。今日は結論を書き終えて、分析もできれば書き終える!がんばります。
えー、締め切りです。あと6日で修士論文の締め切りです。序章、終章+本論(3章分)の5章立てなのに、まだ2章と3分の2しかできてません。序章を最後の1日、終章を最後の2日で書いて、本論の残りをあと2日で書かねばなりません。
もうムリッ。ムリだから!!
さっき気づいたのですが、万が一今回卒業できなかったら、次の秋の卒業になるんですよね。ということは、秋までずっとダーリン(仮名)と一緒にいられるのでは?内定も取り消しだから、もうこの際、次の赴任地に一緒に行っちゃう?
あれ?けっこうステキ??
> 先日の日記を読んで、 > 遙が人生をどう描いてるのか > 聞いてみたくなりました。
--- ちゃんへ。
メールありがとう。修論が行き詰まり気味なので、コンビニで半額だった酢わかめを食べながら、気分転換中です。ここんとこ、毎日14時間くらい机の前に座ってて、つくづくイヤになっちゃう。なんか、夜が明けない感じが続いています。
それでは、わたしが何をしたいのか、ということについて、つらつらと書いてみます。なんか改めて話すと恥ずかしいけど、メールだから書けることではあるよね。面と向かってこんな話、照れてしまってできひへんわ。
最初に国際関係に関心を持ったのは、カナダに留学しているとき。同じ留学生に、ボスニアからの難民の男の子がいてん。それまであまり政治には興味を持っていなかったんだけど、親の金で留学しに来て、毎日プラプラ遊んでいるわたしと、目の前で弟が死んだという話をしているこの子との違いはなんなんやろう、と思った。
帰国後、高2のときに、政経を担当してる先生が国際関係に詳しい人で、授業の中でルワンダのツチ族とフツ族の話をしたのね。虐殺が起こったそもそもの原因は、ベルギーの植民地政策にある、という話。
今でもよく覚えてるんだけど、そのとき体の中を血が逆流するような感覚がしてん。ボスニアの難民の子のこととか、植民地政策のこととか、でも先進国にいれば、そういうことを気にしなくても生きていけることとかが、とにかくなんかすごいイヤやったの。それで、少しでも国際関係に関わる仕事がしたいとおもって、国際機関かな、と短絡的に決意したのでした。
それで、どうやら修士くらいもってないとダメらしいと知って修士に進み、興味があったから大使館で働いてみて、実際に国際機関の内部を見てみると、国際関係専攻じゃ、お話にならないことがわかった。求められているのは手に職を持ってるプロフェッショナルなわけやん?そりゃ、会議のアレンジとか、プロジェクトの調整とか、そういうことはできるだろうけど、そんなsupporting staffみたいな仕事がしたいわけじゃないし。
でもいまさら、手に職をつけるのってけっこう難しくて。お金と時間があればできることもあるんだろうけど、そのどっちもないし。わたしが今からなれそうで、需要があるのは経済系やな、と狙いを定め、コンサルと投資銀行を中心に就職活動をしました。やっぱり、松下○器で営業してました、よりも、博士号もってますけど、就職経験ありません、よりも、コンサルタント4年目です、の方が、チャンスは大きそうな気がするんよね。
幸運にも、年功序列のないコンサルティング会社に就職が決まったので、とにかくガツガツ仕事して、人を蹴落としてでも早く出世して、できればシニアコンサルタントくらいの肩書きを手に入れて、4年後くらいに転職してやろうと思っています。
わかんないけどね。わたしのモットーは「ムリはしない」やから、1年後くらいに、「激務でだるいし、旅行できないので退職しましたー♪」と言っていても、我ながらあまり驚かない。ありがち。
でもまあ、不意に海外行ってみたり、ふらり寄り道人生ではあるけれど、なんとなーく、行きたい方向にじりじりと進んでいっているような気はする。国際機関で働いたからどうだ、と言われると困るんだけど、海の向こうの出来事と自分が、無関係だとは思わずに生きていこうと思ってる。直接何かしたいなら、NGO活動とかすればいいんやけど、そういうのにはあまり興味がないねん。フィールド派じゃないし。でも、ユニセフ募金をするだけじゃ、イヤなんよね。
そんな語られても・・・って感じやろうけど、あまり思いつめるでもなく、自分優先で、でも方向だけは見失わずにやっていきたいなあ、と思ってます。まあ、修論書けなくて、またイチからやり直し、という可能性も多々ある。
そうそう、この間はフランス語訳してくれて、ありがとう。めちゃ助かった。最近、仕事忙しいん?応援してるし、がんばってな。関西帰ってきたら、またご飯でもいこ。彼との恋の行方の報告も待ってます♪
遙
真夜中、誰もいない院生室で、1人パソコンに向かっていると、自分がどこにいるのかわからなくなる瞬間があります。
耳にはイヤホン。流れてくるのは、Tinariwen。脳裏によみがえる青い空。揺蕩う時間。
あの国に着いてしばらくは、週末が来るのを恐れていました。何もしない、ということに慣れなくて。
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時間は、この国では時として遅々と進まない。とくにテラスの揺り椅子に座り、空を眺めているようなこんな午後は。
塀の上10センチのところにたたずむ灼熱の太陽は、膝の上の猫が喉を鳴らすのをやめ、いつの間にか眠ってしまった今もまだ、同じところにある。非の打ち所のない空はあくまで青く、偽バナナの葉が風に揺れている。このおかしな名前の植物は、バナナと同じ外見を持ちながら、決してバナナの実はつけないという代物である。ただしこれもバナナの名に恥じず、立派に食用としての役割を全うしている。葉は板状の食材に加工され、生肉と共に食されるのだ。
往来から、羊や犬やロバや、人々の喧噪が聞こえる。一枚の壁に分断された内側からは何の音もしない。ただ過ぎてゆく時間。わたしはいま、何かを失っているのだろうか。
猫が不意に空を見上げ、鳥の羽ばたきが聞こえた。青い小さな鳥。そういえば門番はどこにいるのだろう。そして3匹の犬たちは。カップの中のコーヒーは冷めてしまった。
太陽はまだ、お気に入りの場所から動こうとしない。
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昨日の日記は、こちらからリンクして頂きました。
わたしが大使館で働いていた頃、友達の友達の友達とかいう他人のバックパッカーの人たちが、何度か訪ねて来ました。家に泊めてとか、車貸してとか、インターネット使わせてとか。そういう、他人に頼って当然と思っているバックパッカーが大嫌いでした。バックパッカーと十把一絡げにすべきでないのはわかっていますが、それでもわたしが2年間の辺境国勤務で出会ったバックパッカーには、ナイーブな人が多すぎるように思いました。貧乏旅行をすることが偉いとは全く思えないし、人に迷惑をかけなければ旅行できないなら、しなければいい。そう思っていました。
ある日、某国立大学院で開発を専攻しているとかいう男女3人のバックパッカー(これまたわたしの友達の友達の友達)がやってきて、「飢餓が見たいんですけど、どこに行ったらいいですか」と聞きました。
この無神経、無教養、無知。国際感覚のなさ、気遣いのなさ。もう犯罪だと思いました。そんなに飢餓が見たければ、自分で絶食すればいい。何が大学院生や、小学校からやり直せ、と本気で言いそうになりました。
そういう、見世物ではないものを、ただの好奇心で見に行く人たちが理解できませんでした。
今回の事件に巻き込まれた人についても、その行動に賞賛すべき点は何もないと思います。彼にかける言葉といえば、「戦争は見世物じゃないのがわからへんかったんか、アホ!」というくらいしか思いつきません。
それでも、助かって欲しかった。生きて戻ってきて欲しかった。
もし自分がこの事件を担当する大使館に勤務していたら、今頃めちゃくちゃ忙しくて、勘弁してよ、と思っていたと思います。日本大使館って、ロジスティック命なので、雑用係のわたしは、たぶん日本からやってきた副大臣ロジに追われて、ホテルの手配だとか、車の手配だとか、くだらない用事で寝る暇もなくなることは確実です。そんな副大臣のお世話(実際には副大臣の秘書のお世話)に、どうしようもなくうんざりするでしょうが、それでも、わたしが身を粉にして働くことで、もしかしたら人一人の命が助かるかもしれないと思えば、なんとなく頑張れそうな気もします。まあ、副大臣のマッサージや、お土産購入の準備をすることが、事件解決にどれほど役に立つのかは、果てしなく疑問ですけれど。
今回の事件について世論は冷たいようですが、それでも自業自得というような発言を聞くと、そんなことはないんじゃないか、と思わずにはいられません。
昨日、電車の中で、酔っ払ったおじさん2人が大声で、「あんなん殺されて当然やー、もっと早く死んどったら税金も無駄遣いせんでよかったんやー」と言っていました。その人たちの顔が、とても醜く見えました。
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