short story


2002年10月22日(火)


「屋根で歌う」



貴方の深い所へ入り込むことは
ついぞ叶わなかった。
私に落ち度があるとしたら
それは一つだけで
その一つが致命的だった。

屋根の上で貴方は歌う。
どうやってそこへ登ったかなど
私は尋ねない。
言いたければ言うだけのこと。

私もそこへ登りたいと
喉まで出掛かって飲み込んだ。
理由なんてない。

貴方が歌う時
僕は横に座ることよりも
貴方がなにに向かって歌っているかに
ただそれだけに意識を集中して
そして高い高い屋根を見上げる。

眠気には寄り添い。
朝には別れよう。
見比べてみるといい。
痛々しい傷と
明日の予定と。


2002年10月07日(月)


「ただの恋の話」


月に恋するということは
簡単に思えます。
雲より遥か天高く
金色に輝く円形の残像。
その姿はひどく人を惹きつけ
孤独さえも心地よい時間にするからです。


しかし私ほど月に
深く恋する人間はそうはいないでしょう。
届かぬと分かっているものを
いつまでも求めるほど
人の心は一つどころではないし
強くもないからです。


月に恋するということは
簡単に思えて実は
誰にでもできることではないのだと
知っておいて欲しい。
空に目をやるのは一時だけの幸福。
人はいつでも流れ水にいるのです。


それでも。
私は恋をしました。
あの人に。
決して届かないという存在に。
一線を乗り越えてしまえば
あとはそこにある雨に打たれるのみだったし
そんなことは初めから分かっていました。
それでも。私は。


けれど
あの人は決して私のことを見ない。
私はあの人をこんなにも見つめているのに
あの人の目に私は入らないのです。
私という存在のどんなにちっぽけであることよ。
それはひどく悲しく
耐えられないものであったけど
それでも尚
あの人への恋を打ち消すには足りませんでした。
足りませんでした。


だから私は
この感情を打ち消す術を
探す旅に出ました。
あの人への恋を断ち切らなければ
私に新しい未来はないと思ったからです。
あの人を忘れたい。
心からそう思うようになって
胸を締め付けるようになってから
木が石になるほど
石が砂になるほど
とても長い間
旅をしました。


世界中を
どんなところであっても旅をしました。
恋を忘れる薬があると聞けば
どんなに雪深い山にも入ったし
恋を忘れるほど悲しい話があると聞けば
海を越えて語り部に会いにも行きました。
辛いとは思いませんでした。
どんな時でも目に入るあの人。
その度に感じる身を焦がす想いに比べれば。


私は長いことそうして
時折あの人を見つめて挫けそうになりながら
東へ。西へと旅をしました。
太陽は何度も周天をまわり
木の実が子を残すほどの時間を
私は行き先の見えない旅の中で生きました。


そうして見つけたものがこれです。
見てください。
この美しく光る透明な玉。
私の旅は
これを見つけることで終わりを告げました。
人の住まない山を越えた谷の奥のその洞窟で
この光を見つけた時
私の旅は終わったのだと
そう直感した光です。


それは人の心を照らす光でした。
まごう事なき、純粋な光。
私の心の奥深いところまで届き
その中で一番大切なところを
私自身に照らし出してくれました。
とても幸せで
涙が溢れたのを覚えています。
あらゆる苦悩全てから開放された気分でした。
私の生き方が決まった。
行き続けていいのだと
そう思ったんです。


これが私の恋の顛末です。
私の語れる全てです。
あなたにはとても信じられない話でしょうけど
私は今もそうして生きています。
あなたの先祖がまだ形を成さぬ頃から
私はたった一つの想いを抱いて
生きています。
この事を話したのは
今日あなたが初めてで
最後になるかもしれません。
けれど
取りとめて人に伝えようとは思いません。
あなたが去った後はまた
私はこれまでのようにあの人を想って過ごすだけ。


私はいつまでもあの人に恋をし続けるのです。
月に恋をした私には
それができる。
なにより
光に照らし出された私の心は
すべてあの人への恋だったから。


月に恋した人間の
今も続く恋の話です。
珍しくもない
ただの恋の話ですよ。


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日記才人