short story


2001年02月28日(水)


38-突然の-
部屋に入っても彼女は座ろうとしなかった。
立ったまま、じっと僕の方を見ていた。
悲しいとも、嬉しいとも分からぬ表情。
無言で僕を見詰めていた。

そこで僕は気付いた。
彼女の異変に。

彼女は明らかに痩せていた。
とても2週間で痩せるような痩せ方ではなかった。
それは…病的な。憔悴といった感じの。
痩せ方だった。

僕はゆっくり、恐る恐るといった風にベッドに腰掛ける。
彼女はそれを目で追った。
明らかにおかしな雰囲気だった。
いつもの彼女ではないようだった。

今までに感じたことのない沈黙が流れる。

僕は意を決して
なぜ2週間も姿を見せなかったのか。
なぜそんなに痩せているのかを聞こうとした。
いわゆる、禁を破ろうとした。
少しだけ。

そうせずにはいられなかった。

その時、僕の言葉に覆い被さるように
いやに通る声で
彼女が言った。

「あなたが好き。」


2001年02月27日(火)


37-幾つもの感情-
2週間経った。
地獄のような14日間だった。
彼女のこと以外何も考えられなかった。
どこにいるのかも分からないのに
外に飛び出して探し回りたい気分だった。
もう再び彼女に会うことはできないのかと
倒れこむように部屋で嘆いていた。

悲しみが絶望に変わり始めた頃
15日目に彼女はまた、突然姿を現わした。
いつものように。突然。

色めき立って開けたドアの向こうに
彼女の顔を見た時の安堵感といったらなかったよ。
言い表すことなど到底できないような感情の波。
怒りなんだか喜びなんだか。
全部一緒になって込み上げてくるようだった。

ああ。よかった。
彼女は僕から離れて行ったのではなかった。
また会えてよかった。
よかった……。

心の中はただそれだけだった。
言いたいことはたくさんあったけど。
一つも言葉にならなかった。

絞り出すように
「よぉ。」
としか言えなかった。


2001年02月26日(月)


36-支え-
2月になろうかという頃、
彼女がぱったりと姿を見せなくなった。
はじめは気にしていなかった。
3日会わないことくらいは今までも何度かあったからだ。
しかし、5日、1週間と経っても彼女は来なかった。

日を追うごとに、僕の焦りは激しくなっていった。
なぜ?どうして?
彼女を怒らせるようなことをしただろうか?
彼女との距離を詰め過ぎただろうか?
そんなことはない。
僕はあの一件以来、細心の注意を払っていたはずだ。
分からない。
いくら考えても思い当たる節はない。
まったく分からない。

僕は気が気じゃなかった。
もしかしたらもう彼女は2度と会いに来ない気なのでは?
彼女に会いたい。と思った。
今までにないほど強く。
一刻も早く顔を見たかった。

でも彼女を探し出すことはできない。
本人に、なぜ僕に会いに来ないのか。と問いただすことはできない。
僕は彼女の住んでいる所も、連絡先も
名前さえ知らないのだから
探しようがないのだ。
僕は、彼女が自らやってくるのを、待つしかなかった。

歯痒かった。
なにも手につかなかった。
どうしていいのか分からなかった。
待つしかできないでいる自分に腹が立った。
突然に支えを失ってしまって立ち上がれないようだった。
ただひたすら、彼女がまたたずねてくることを願った。


2001年02月25日(日)


35-区切り-
1月末。
もっとも寒さが厳しい時期だ。
毎日のように雪が降り、
吹雪が3日続くなんてこともあった。

その頃、僕らはほとんどを家の中で過ごした。
どこに行くこともせずに、だらだら。ごろごろ。
だって風びゅーびゅーだし。
雪が下から降ってるし。
外に出かけるよりは、家の中でぬくぬくしていた方が幸せだった。
僕も、彼女と二人きりでいられたから
ヘタにどこかをうろつくよりもいいかもしれない。と思った。

彼女は、犬か猫かでいうとやはり間違いなく猫のようだ。
コタツはなかったけど丸くなって転がっていたから。
ていうか人間か猫かでいっても猫?
やっぱり彼女は猫だという結論に達する。

窓には絶え間なく雪が吹き付けている。
外は真っ白だ。
向いの家もろくに見えない。
ここまで大荒れの天気だとそろそろ春が恋しいなぁ。
などと二人で話していた。
雪が融けて暖かくなったらまた海に行こうか。と言ったら。
彼女は「そうだね。行けたらいいね。」と言った。
今度行く時には、退屈しないように釣り竿でも用意しよう。
と、密に考えていた。
なにか魚が釣れたら、きっと彼女が料理してくれるだろう。
春が待ち遠しかった。

そんないつも通りの生活。
ある日突然に、終わる日が来た。


2001年02月24日(土)


34-口封じ-
5日間程の正月休みも終わり僕は自分の家に戻った。
数日留守にしていただけなのに部屋の中はすごく寒々しく感じた。
実家の温かさが一際身に染みた。
まずは彼女の顔が見たいと思った。

2日後、彼女が訪れる。
なんだかすごく久しぶりな気がして少し照れた。
心なしか痩せたように見える。
本人は「ダイエットしたの。」と言っていた。
普通、正月ってのは太るものなんだがなぁと思ったが、
女性の体重減願望には年中行事など無関係らしい。
大体、ダイエットするほど太ってないのに。

彼女が訪れた僕の部屋は
あの空虚な感じなどどこかへ行ってしまったように暖かい。
そこが今、自分のいるべき場所なのだとはっきり分かった。
僕にとっての彼女の存在価値をあらためて認識した。
彼女の名前など、どうでも良いことだ。と自分に言い聞かせた。

僕は地元での事を彼女に話した。
母親の手料理が旨かったことや
大事な親友がいるということも、そいつに彼女ができてたということも。
でも彼に、彼女について尋ねられた事だけは言わなかった。

彼女の正月についても知りたかったが
「私の正月は特に変わったことなんてなかったよ。」
としか教えてくれなかった。
なんだよー。けちー。と言ったら
持ってきたおせち料理を取り上げられたので慌てて謝った。

食い物で口封じとは。おそるべし。と思った。


2001年02月23日(金)


33-底無し沼-
彼女と過ごした4ヶ月。
もちろん彼女に名前を聞こうと思ったことは何度もあった。
でも、できなかった。どうしても。
時間が経てば経つほどに。
彼女の存在が僕の中で大きくなればなるほどに。
言い出せなくなっていった。

だって聞けないでしょう?
それが始まりだったんだから。
彼女の方も、自分の事はなにも話さなかったし
僕についても多く聞かなかった。
つまりそういう関係を彼女は望んでいるのだ。
聞けないよ。
聞いたらどうなるか…。

まさかこんなことになるとはなぁ。
思ってもみなかった。
彼女との出会いの理由が
彼女を失う理由になりかねなくなってしまうとは。

彼女になにも聞かなかったから彼女との関係が始まったのに
彼女について知ろうとしたら彼女を失う。か。

ふと気がついたら底無し沼にはまってしまっていたような。
そんな気分だった。

分かるだろうか。
理解してもらえるだろうか。
僕が彼女についてなにも知らなかったわけ。
なにも聞くことができなかったわけ。

僕は4ヶ月間ずっと、底無し沼でもがいていたのだ。


2001年02月22日(木)


32-原点-
僕は彼女になにも聞かなかった。
なぜ僕について家にまで来たか。とか
初対面の男の家に入るのは怖くなかったのか。とか
泣いていた理由も聞かなかったのだから
名前も聞かなかったし、なにも聞かなかった。
半分は、どうせもう会うことはないだろう。と思っていたのと
もう半分は、そういう個人的な事を聞くのは
ルール違反であるような気がしたからだ。

なぜなら
あの奇妙な関係は、お互いがまったく面識のない事で成り立っていた。
自己紹介し合ってしまったら
その「奇妙さ」が損なわれてしまうと思ったのだ。
あの時の僕にとって重要なのは
彼女の名前やなんかではなくて、
あの「奇妙さ」を楽しむことだった。

だから、もう会うことはないだろうと思っていた彼女が
3日後、再び僕の家を訪れても、
僕は、なぜまた来たか?などとは聞かなかった。
なにも聞かなかった。
そしてまた彼女も、なにも言わなかった。

それが僕と彼女の出会いであり、原点となった。
二人の。距離に。


2001年02月21日(水)


31-最高な日-
風呂上がりの彼女は魅力的だった。
女の人はみんなそうなんだな。
ほんのり上気していて。髪が濡れてて。
俺も同じシャンプーを使ったはずなんだが。
なぜこうも匂いが違うのだろう?

服を貸して欲しいと言うので
Tシャツとスウェットを貸して与えた。
僕は男にしては小柄な方だが、やはりサイズがちょっと大きいようだった。

風呂上がりの女が、自分の服を着て
鏡の前で髪を梳かしている。
不思議な光景だった。
俺達、付き合ってるのか?と聞きたくなるほど
彼女の行動はまったく自然だった。

そしてひとしきり、くつろぐと
彼女は
「この服借りるね。」
と言ってさっさと帰って行った。

あっという間に僕は部屋に一人取り残される。

なんとも夢の中にいるような。
酔っているような。
呆然。というやつだ。
あの女はなんだったのだろう?という疑問が
しばらく頭を支配して離れなかった。

そして次第に、笑いが込み上げて来て
一人で大笑いしてしまった。
あんなやつ、見たことない。
聞いたこともない。
僕は、本当に奇妙な、貴重な体験をしたなとつくづく思った。

そしてその女に付き合った自分もおかしかった。
新しい自分を発見したようだった。

ああ。今日はなんて面白い一日だったんだろうと思った。
きっと10年に1度くらいの最高な日なんだと思いながら眠った。
眠りにつく寸前まで、顔がニヤけていた。


2001年02月20日(火)


30-オモチャ-
僕は、いつも一人で帰宅してからするのと同じように
窓を開けて、風呂の用意をして、着替えをした。
それからベッドに寝転んで彼女と一緒にテレビを見た。
なんだったか忘れたけど、面白いバラエティ番組を見て
二人で笑っていた。
知らない人が見ればありふれた日常で、
僕らの関係を知っている人から見れば
まったくおかしな光景だったろう。

番組が終わると僕は風呂に入った。
わざと彼女の目の届くところで服を脱いだ。
彼女はチラっとこっちを見たけど
興味もないという風にまたテレビに視線を戻した。
ますます面白かった。
でもさすがに最後の1枚は隠れて脱いだ。

風呂を上がってサッパリ。
と、彼女はテレビの前を離れて僕のCDコレクションを眺めている。
「君もそういう音楽聞くの?」と尋ねると
「うん。こういうの好き。聞きたいのいっぱいある。」
とちょっと興奮気味に答えた。
この女。やっぱりおもしろい。

僕も負けてはいられない。と思った。
これってどういう感情なんだろう?
やっぱり負けず嫌い?それとも変な人選手権?
よく分からないけど。
僕は「それは後にして。君も風呂入れよ。」と言った。

普通は有り得ない話である。
さっき。ほんの数時間前にはじめて会った男の家にあがりこんで
風呂まで入るか?普通は断るだろう。
でもその時の僕は、彼女はきっと断ったりしないんじゃないかと思った。
そういう雰囲気というか。なんというか。
まるで説明になってないけど。

そして僕の期待通りに彼女は
「うん。今入る。」と言った。

僕は内心穏やかではなかった。
この奇妙な状況を楽しんでいた。
なにやらすごいオモチャを手に入れた子供のような心境だった。

ちょっと残念だったのは
彼女が
さすがに僕の目の前では脱がなかったことかな。


2001年02月19日(月)


29-おもしろい女-
結局、彼女は
服を掴んだまま、僕の家の前まで来てしまった。
歩いている間、僕は一生懸命に現在の状況を把握しようと試みたけど
どう考えても自分の置かれている立場が理解できなかった。
この子。ど〜ゆ〜つもり?結論はこれに尽きた。

僕は鍵を開け、ドアを開けた。
しばし彼女の反応を窺ってみるけど変化なし。
そこまで来たらどうも勢いづいちゃって。
僕はそのまま彼女を家に入れた。
彼女も、当たり前のように家にあがった。

たまたまその時、部屋は片付いていた。
前の日に自分でも見かねて掃除していたのだ。
僕は偶然に感謝する。

彼女は部屋の真ん中で立ち往生していた。
そらそうだ。初めての人の家に行った時って身の置き場ないものな。
おまけにさっき会ったばっかりだし。
とか思ってたら、テレビのリモコン見つけてテレビを見始めた。
この子。なに?

僕はちょっと面白くなってきた。
彼女に興味が湧いてきた。
彼女のとるおかしな行動。
初対面の男に付いてくる。
しかもその男の家でくつろぐ。
おもしろい。
僕はそう思った。
そして、なにか対抗意識というか意味不明な感情が湧きあがってきて
彼女の行動に合わせる自分がいた。
このおかしな女。
おかしな状況。
おもしろいじゃないか。
付き合ってやろうじゃないか。って。

だから僕は、彼女の奇妙さを無視することにした。
やっぱり酔っていたんだろうか?


2001年02月18日(日)


28-迷子-
二人ともなにやらおかしなテンションだった。
あんなに悲しそうに泣いてたのに。
さっき泣いてたカラスがってやつだね。
もしかしたら悲しむ事と楽しむ事って紙一重なのかもしれない。
その精神的な働きの上では。

彼女の涙はどうやら違う涙になってしまったようだ。
なんだか良く分からないけど良かったと思った。
なにもしなかったのが良かったのかな。
だまって座ってたのが功を奏したのか。
やるじゃん俺。とか思ってた。
なんせ酔っ払ってたから、
僕もちょっとおかしなテンションだったのかもしれない。

さて。これで心置きなく家に帰れるな。
と思って立ち上がった。
彼女とはほとんど言葉を交わさなかった。
なにも言わないで座ったから
なにも言わずに去るつもりだった。

「じゃ。」と言って歩き出した。

すると、Tシャツの裾が引っ張られる。
振り向くと彼女が掴んでいるではないか。
僕はまだなにか用があるのかと思って

「なに?」
と聞いた。

でも彼女はなにも答えず、首を振るだけだった。
おまけにいつの間にやらまた泣きそうな顔をしているし。
どういうこと?

彼女がなにを言いたいのか。僕に何をして欲しいのか
ややしばらくそのまま考えたけど、結局分からなくて
だから僕はとりあえず自分のしたいことを彼女に言ってみた。

「俺、家に帰るんだけど?」

そうしたら今度は頷くではないか。
一体どういうこと?

まぁ、僕が家に帰ることに反対しているわけではないようなので
「うん。じゃぁ、帰る。」
と言って歩き出してみた。
そうしたら、彼女も僕のシャツを掴んだまま歩き始めた。
あら?どういうこと?
彼女はうつむいたままトコトコと付いてくる。

僕は迷子を拾ってしまったような気分だった。


2001年02月17日(土)


27-忘れっぽい慰め屋-
彼女は、数瞬、僕を見つめた後
また何事もなかったかのようにすすり泣き始めた。
こういう時って男はどうしていいか分からないもんだ。
なんて声をかけていいやら。
僕はとりあえずハンカチでも差し出そうと思ったが
自分はハンカチなんか持ち歩かない人間だということに気付く。
ん〜。どうしたもんか。

とにかく、彼女をそのままに放っておくわけにもいかなかったので
落ち着くまで少し彼女についていようと思った。
それで僕は、なにも言わず彼女の横に腰掛けた。

そのまま、どれくらいの時間が経っただろうか。
僕は時折、彼女の様子を窺いながら
煙草をふかしたりなんかしていた。
風が気持ち良かったのを覚えている。
星も出てたっけ。

次第に彼女は落ち着いてきて、すすり泣きも聞こえなくなった。
ほっと一安心。
別になにをしたわけでもないけど。

ふいに彼女が口を開いた。
はじめて聞く。彼女の声。
泣きつかれたかちょっと震えていた。
「どうしてなにも言わないの?」

「んあ?」
思わず間抜けな返答をしてしまった。

「普通こういう時って、どうして泣いてるの?とか聞くものじゃない?」
鼻をすすりながらこう言った。

僕は彼女に言われて自分でもはじめて気がついた。
あ。そうだ。俺、泣いてる理由も聞いてないや。
おかしな話だろう。
泣いている女性に近づき、話を聞いて慰めるのかと思いきや
無言で横に座ってただぼぉ〜っとしてたのだ。

僕は素直に
「あ。忘れてた。」と言うと
彼女は、ぷっ、っと吹き出して笑い出した。
僕もつられて笑った。
なんか可笑しかった。笑ってくれて嬉しかった。
今だけでも元気にさせてあげられて良かったと思った。
思った通り彼女は可愛らしい笑顔をしていた。


2001年02月16日(金)


26-晩夏の公園-
4ヶ月前。9月。
その週末、僕は久しぶりに友達と飲みに出かけた。
体調もよかったせいかいつもよりも大目に飲んでしまって
いい酔い加減になっていた。
北の夏は短い。その時期、夜にもなれば半袖では少し肌寒いが
体が火照った僕にはちょうど良かった。

友達と別れ、僕は酔いを覚ましながら
一人てくてくと歩いて自宅に向かっていた。
別に歩くのに支障があるほど酔ってはいなかったのだが、
気持ちよかったせいか、ことさらにゆっくり
ちょっとわざとにフラついてみたりしながら歩いていた。

やがて小さな公園の横に差し掛かる。
僕はその公園を通って行けば近道だ、ということを思い出し
通り抜けることにした。

夜の公園はいやに静かに感じた。
ブランコが時々、風できぃきぃと揺れた。

公園の真ん中あたりまで進んだ時、なにかの音が聞こえたような気がした。
立ち止まって耳を澄ましてみる。
すると奥の方から、なにかすすり泣くような声が聞こえた。
こんな時間に。まさか幽霊でもあるまいに。
なんだろう?と目を凝らしてみると
ちょうど街灯の明かりが届かなくて薄暗くなっているところにベンチがあった。
そこに誰か座っている。
……女の人か?
ちょっと近づいてみる。
やはり女の人だ。
俯いて、泣いている。
しきりに手で目を拭っていたから、子供かなぁ?と思っていたが
もっと近づいてみると、僕と同じくらいの歳の若い女性だった。

普段ならば、僕は知らない人に声をかけたりはしない。
ましてやなにかを悲しんでいるのか、泣いている人に
言葉をかけるなんて余計なお世話だ。くらいに思って素通りだ。
が、この時は酔っていたせいか、なにも考えずに彼女に近づいた。

彼女は、すぐ目の前に立つまで、僕に気がつかなかった。
ずっと俯いていたから。
彼女は、はっと僕を見て、一瞬脅えたような表情を見せた。
その時、はじめて彼女の顔を見て不謹慎にも。
あ。キレイな人だなぁ。と思った。


2001年02月15日(木)


25-浮かんだ質問-
様子がおかしいことに気付いて
「どうした?」という彼に
僕は、なんでもない。と誤魔化した。
とりあえず彼には、僕には彼女はいない。
その情報はなにかの間違いだ。と説明した。
彼はなにか要領を得ないような顔をしていたが、
結局、納得してくれたようだ。

すごく重要なことを聞かれたのに
ひどく冷静だった。
諦めに似た感情で。
ぽっかりと。
浮かんで、どこかへ飛んでいってしまったような感じがした。
僕がその問いをしっかり掴んでおけないで
飛んでいくのを見ているしかないようだった。

別に僕は記憶喪失者でもないし、馬鹿でもない。
彼女の事についてなに一つ知らないことを忘れていたわけではない。
そんなことは、分かっていた。知っていた。気付いていた。
でも。なんというか。うまく説明できないのだけど、
それははじめ、必要なことではなく、
必要になった時、すでに踏み込めない領域になってしまっていた。
とでも言うか。

僕がなぜ、彼女の名前も知らずに
4ヶ月もの間、過ごさざるを得なかったかは
彼女との出会いから話さなくてはならない。
そのおかしな出会いから。


2001年02月14日(水)


24-散らばった雲-
「ところで…」と彼が話題を切り出した。
「お前にもなんか彼女ができたらしいって話聞いたぞ?ん?」
今度は彼がニヤニヤしている。こいつ。仕返しか。
僕は正直に、彼女はいない。と答えた。
しかし彼は、
「嘘つけ。同棲状態だって人づてに聞いたぞ。どんな人なんだ?白状せい。」
まったく、どこづてに聞いた話なのやら。
しかも妙に正確な情報だったので
一体どこの情報網だ?と一瞬、本気で考えてしまった。
彼は僕の弁明など聞く耳持たずで、次々に質問を浴びせ掛けてくる。

僕はあっと言う間に身動きがとれなくなっていた。

この質問。
この問いかけこそ。
もっともされたくない質問であり、
ある意味、長い間待ち望んでいた質問でもあった。
僕と彼女との関係の
核心をつく。
言わば、ふわふわ浮かんで散らばった雲の
名前を聞き出すような質問だった。

「出身はどこの人なんだ?」

「なんの仕事してるんだ?」

「いくつ?」

「名前はなんて言うんだ?」

彼は無邪気に尋ねる。

この質問に、答えられたなら
どれだけ幸せだろうと思った。
僕には大切な女性がいる。
彼女はこんなにも素晴らしい人なんだと
この親友に教えてあげられたらどんなにか幸せだろうと思った。

でも。でも僕は。
彼女の出身……。

仕事…。

歳も。

名前さえ……僕は知らない。

知らないんだよ……。

………………知らないんだ…………。


2001年02月13日(火)


23-優しい沈黙-
話も一段落し、酔いも覚めたので僕らは軽くドライブに出る事にした。
しかし、なんせ真冬のことだ。
近場をフラっと回って終わるだろうと思っていたら
彼はなにを思ったか海に行くと言い出した。
昔、二人でよく行ったドライブコースだ。
まぁ、とくに急いで帰る理由もなかったし、
懐かしさもあったので反対しなかった。

海に到着。
冬の海。寒くて外に出られず。
真っ暗闇で見えるはずもない。
僕らは早々に来た道を引き返した。
一体、なにしに行ったんだか。

彼女はすでに後部座席で眠っていた。
眠そうだったので僕と席を交代させると、あっという間に眠りについたのだ。
僕らは、彼女を起こさないように懐かしい話などしながら
ゆっくりと車を走らせていた。

もう家に着こうかという頃、
いつ目が覚めたのか、彼女が、
「二人って仲がいいんだよね?」と聞いてきた。
いきなり後ろから声をかけられて、「おっ!なんだっ」と驚きながらも
僕らは二人で
「そうだよ。」と答えた。
なぜそんなことを聞くのかと尋ねると、
ちょっと前から目が覚めて、僕らの様子をうかがっていたら
どうも二人の口数が異様に少ないので、
本当に親しい間柄なのか疑問に思ったそうだ。
僕らは思わず笑ってしまった。
なぜならこのセリフは昔から色んな人に言われている事だったからだ。
そんなに無口かなぁ。と思うのだが、端から見ればそうらしい。

彼は「こいつといると話すことがなくなるんだよ。」と、
ともすれば誤解を招きそうな言い訳をした。
僕は笑いながら
つまりは、お互いをよく知っているから話す必要がなくなるのだ。
と彼の言葉を補足した。
彼女は一応頷いたが、分かったような分かってないような表情をしていた。

僕は優しい沈黙を与えてくれる相手ほど親しい者はない。と思っている。
そういった意味では、彼はあの人と並んで数少ない僕の大切な人だった。
それを彼に話したことはないけどね。
そんなの恥ずかしくて言えないって。
ま、ともかく。
彼女も彼と付き合っていくうちに僕らの言った言葉の意味が分かるだろう。


2001年02月12日(月)


22-のろけ-
彼に彼女ができたなんて、まったく知らなかった。
僕と彼が連絡を取り合うなんてのは希なことだったからだ。
それは、親しくなるのに比例して連絡不精になるのかと思うほどで、
半年もの間、電話一本しないなんてのは当たり前だった。
それにしても会うまでなにも教えないとは。
さすがに自分から報告するのはテレくさかったとみえる。
「彼女ができた時くらい連絡しろよな。」
と笑って、彼の幸せを喜んだ。

彼女に紹介してもらい、彼女を紹介してもらう。
どうやら僕らより一つ年下らしい。
なんとも彼にお似合いの可愛いらしい人だった。
物静かに僕らの会話を見守っている。
煙草を持てば灰皿を寄せてくれるあたり、気の利く女性のようだ。
ちょっと身の回りが雑な彼には、ちょうどいいかもしれない。と思った。

僕は、ニヤニヤしながら
二人が出会った経緯や近況など、あることないことを聞いてやった。
彼は照れながらもまんざらではない様子。
ついでに彼の昔の失敗談などを彼女に話してやった。
彼は「余計な事言うな。」と言いながらも
「あの時はなぁ…。」と結局、自分から話して彼女を笑わせていた。
ここまで幸せそうな顔されると言葉もないな。と思った。
おっと。なんかこっちまで幸せになってきた。


2001年02月11日(日)


21-親友-
1月。
年が明けた。
僕は年末から正月にかけて実家の方に帰省していた。
住んでいる所とは少し離れているので
帰るのは面倒ではあったけど
地元に帰るのは嫌いではなかった。
なぜなら、そこには家族や親しい友人がいるからだ。
だから都合が合う限りは、正月は地元で過ごすことにしていた。

僕には親友と呼んではばからない友人が一人だけいる。
幼い頃からの友人だ。
なんというか。
彼とはあまりに時間や空間を共にし過ぎて、
ある意味、お互いがお互いのパーツみたいなものになっていた。
それはそうだ。だって人生のほとんどの部分を共有してたんだから。
彼は、僕が自然体で付き合える数少ない男だった。

年も明けて間もなく、僕は彼と飲みにでかけた。
二人ともあまり酒は飲まない方だったから
飲みに行った。と言うよりは近況報告をしに行った。という方が正しい。
久しぶりの再会を祝して。というやつだ。

待ち合わせをしていた居酒屋に入り、彼を探す。
間もなく、奥の座敷の方で彼が手を振っているのを見つけた。
1年ぶりくらいに見る彼は相変わらずだった。
ちょっと太っただろうか。からかってやろうと近づく。
と、彼の横に見た事のない女性が。
あいつ。どうやら彼女を連れてきたらしい。


2001年02月10日(土)


20-無欲な愚か者-
彼女と知り合ってから約4ヶ月。
僕はようやくその不思議な関係を理解した。
自分がすべきことは、ただ彼女のそばに居ることだけなんだと分かった。
逆に、彼女を失わずに留めるには
そうするしかないのだという事も知ったけど
それはあまり考えないようにしていた。

彼女はと言うと、
僕の軽はずみな行為などなかったかのように
それまで通りに僕の部屋を訪れた。
もう来ないんじゃないかと少し不安だったけど
取り越し苦労だったようだ。
それどころか、それまで以上に一緒に過ごす時間が増えた。
もしかしたら、この間の事は彼女にいい影響を与えたのかもしれない。
とさえ思った。
ともあれ僕は、その生活に満足していたから、とても幸せだった。
ずっと続けばいいと思っていた。
ずっとは無理でも、しばらくは続くだろうとも。
それ以上はなにも考えないことにしていた。
なにも望まないことにしていた。
そう決めたから。


2001年02月09日(金)


19-決心-
僕と彼女との関係は
恋人同士なんかじゃなく
言ってみれば、恋人同士を演じること。
恋人ではないけど
互いの存在を気にも留めずに
ただ、共に過ごすことを彼女は僕に与えてくれた。
それを受け入れた時から
僕と彼女の距離は決まっていたのだった。
そして、その距離とは
変えてはいけないものだった。

おかしいかな?こんなの。
理解できないかな。誰も。
そうだろうなぁ。
しかし僕はこう思った。
もし、僕が彼女を恋人にしようとしたら
彼女は必ず、僕から離れて行くと。
彼女は僕にそんなことは望んでいないからだ。
はじめからそんなことは望んでなんかいない。
彼女が僕に望むのは、
ただ、今までの様に、そばに居ること。
その安らぎ。
そう思った。

それは僕も同じことだったから
下手に追いつめて、彼女を失うのはごめんだった。
そんなことはあってはならないことだった。

僕は今の関係に満足するべきだと思った。
だから
もう二度と欲張ったりしまい。
と密かに決心した。


2001年02月08日(木)


18-悲しい笑顔-
ああ。
なんてことだ。
そうだった。
忘れていた。
二人はあまりに自然に一緒にいたから
すっかり忘れてしまっていた。
とてもいいアイディアを思い付いたから
舞い上がってしまって、完全に忘れていた。
彼女は
僕の恋人ではない。
僕には、彼女に合鍵を渡す資格などなかったのだ。

僕はようやく自分のしてしまったことを理解した。
なんて馬鹿なことをしてしまったのだろう。
なんて軽率なことを。
僕は激しく後悔した。
「そうだな。そうだった。」
と言って鍵をポケットにしまうのが精一杯だった。

彼女はそれを見て
もう一度、悲しそうに笑った。


2001年02月07日(水)


17-眩暈-
いらない。
彼女は首を振りながら、確かにそう答えた。
なんだって?なんて言った?
いらない?どうして?
僕はひどく混乱した。
彼女の言った言葉が理解できなかった。

「え?どうしていらなんだ?あると便利だろ?」
もしかしたら声が上ずっていたかもしれない。
それほど、彼女の答えは僕の予想に反していた。
だって、
合鍵を持つということは
二人が特別な関係だという証に他ならないからだ。
僕らはすでにただの友達ではなかったし、
彼女にとっても僕は特別な人なんだと考えていたから
今更、断るなんて思ってもみなかったのだ。

彼女は、少しだけ悲しそうに
「だって、私たちは恋人同士じゃないから。」
と言った。

僕は血の気が引くような思いだった。
眩暈がした。
彼女の言葉に。
その真実に。
そして自分の愚かさに。


2001年02月06日(火)


16-静かな拒否-
次の日、いつものように彼女は僕の家に来ていた。
夕食を食べた後のくつろぎの時間。
僕はベッドの上で壁に寄りかかって、
しばらく彼女の後ろ姿を眺めていた。
ポケットにあるのは、あの鍵。
これを彼女に差し出したら、一体どんな顔をするだろうか。
彼女がこれを受け取ったら、明日からどんな生活が始まるだろうか。
鍵を指でいじくりながら、そんな楽し気な事ばかり考えていた。
その時の僕は、ひどく子供のように浮かれていて
一番忘れてはならないことをすっかり忘れてしまっていたんだ。

「なぁ。」という声に
「なに?」彼女は振り向く。
僕はゆっくりポケットから鍵を取り出し、彼女に差し出した。
「昨日、探したんだ。やるよ。」
彼女は驚いたように、鍵を見て、
そしてそれから僕を見た。
「また寒い中、外で待つことになるのは嫌だろ?好きに使っていいよ。」

やがて彼女の口から出てきた言葉は
僕の思考をきっかり5秒だけ停止させた。

「いらない。」


2001年02月05日(月)


15-合鍵-
その夜、彼女が帰った後も
いつまでも眠れなかった。
冷たかった手の感触を思い出すと
なかなか眠れずにいた。
ただ、触れただけなのに。
今時、中学生でもそんなことで喜ばないな。と
自分でも可笑しかった。

しかし、そう何度も今日のようなことがあっては困ると思った。
だって風邪でもひいてしまったら大変だ。
彼女にはいつも元気でいてもらいたいし
僕の部屋を訪れることに苦労を感じてもらいたくなかったから。
なにか良い方法はないものか。
彼女を待たせずに済むような方法はないものかと思慮を巡らす。
ベッドの中で、何度も寝返りをうった。

考え疲れてウトウトしてきた頃、
突然にふと、いい考えが浮かんだ。
そうだ。合鍵だ。
合鍵があればいいじゃないか。
そうすれば彼女が寒い中、僕の帰りを待つこともないし、
休日の朝早くから起こされることもない。
どうせこの家は彼女の家みたいなものだから
合鍵を渡せば済むことだ。
どうして今まで思い付かなかったんだろう
なぜこんな簡単なことに。
僕は、かなり前に予備にと合鍵を作っておいたことを思い出し、
ベッドから飛び起きた。
そして家中の引き出しを引っ掻き回して探した。
僕は探し物をするのがヘタだったから
それは大変な作業だったけど、夢中になって探した。

見つけた頃はもう外は明るくなっていて、
ふと見渡すと、部屋の中は散々な有り様だった。
なにしろ部屋中の小物入れや引き出しをぶちまけたから。
足の踏み場もないほどだった。
でもそんなことはどうでもよかった。
見つけた。
これだ。
指でつまんだ一つの鍵。
これを彼女に渡そう。
いつでも好きな時に、僕の部屋に入ることができる。
彼女の鍵。
明日、彼女に渡そう。
いつでも僕の部屋においでよ。って
彼女に言おう。

僕は陽が昇りきってもまだ
眠れずにいた。


2001年02月04日(日)


14-触れた手-
はじめて触れた彼女の手は
冷たくて、細くて、柔らかかった。
僕が彼女の手に触れることは
驚くことに、それまでなかったことだった。
触れたいと思うことはあったけど
触れることはなかった。
なぜなのかと、今になって考えてみると
一番大きな理由は、触れる理由がなかっただけのことだけど
ほんとは
そう簡単には触れることができなかったんじゃないかと思う。
触れる。ということはつまり
彼女をより深く僕へと引き寄せること。
いつも、ある静かな距離を保っていた僕らには、僕にとっては
それはとても、神聖で、恐ろしいことだったんだと思う。

僕は暖めることと、彼女の手の感触を感じることと
両方に一生懸命になってしまって
知らずに無言になっていた。
「怒ってるの?」という彼女の言葉で我にかえり、
コーヒーを入れに立ち上がった。
動揺を隠すのにとても苦労した。
ずっと。もっと。触れていたかった。
そう思った。

彼女は、どう思ったんだろうか。
僕に触れられて。
僕に触れて。


2001年02月03日(土)


13-乱暴な手-
どれくらいの間、僕の帰りを待っていたのだろうか。
彼女は「そんなに待ってないよ。」と言ったけど
体が冷え切っているのは明らかだった。
鼻と頬が少し赤らんでいたから。
僕はとにかく彼女を家に入れて、急いで暖房を入れた。
「じゃぁ私はコーヒーでも入れるね。」
コートを脱ごうとする彼女を制して
「いいから。俺がやるから。部屋が暖まるまでそこにいろ。」
とソファーに座らせた。

湯が沸くまでの時間、やはり彼女は寒そうにしていた。
ほんとに何時間、外で待っていたんだ?
彼女は手に息を吐き掛けながら笑うだけだった。
僕は彼女の横に腰掛けて
「どら。」と手を握った。
努めてぶっきらぼうに、平静を装った覚えがある。
本当は心の中では、ただ事じゃなかったんだけど
それを悟られないように、ちょっと乱暴に手に触れた。


2001年02月02日(金)


12-僕の不在-
彼女はいつも突然やってくるので、
僕が不在の時もあった。
平日は大抵、6時頃には帰宅していたけど、
不意に飲み会や他の用事が入ったりすると
かなり遅くなることもしばしばだった。

その夜、僕は少しばかり友達と食事してから家路についた。
時計は8時を回っていただろうか。
家までは駅から歩いて10分ほど。
12月の夜は身を切るように寒いが、風がないせいか穏やかな夜だった。
僕は、こういう日に歩くのは嫌いではなかったので、
咥え煙草なんかしながら、のんびりと歩いた。
確か、冬は息が白いのか煙草の煙なのか分からないなぁ。とか
どうでもいいようなことを考えていたと思う。

見えてきた自分のアパートには
いくつも部屋の明かりがともっていた。
飯時がちょうど終わった頃か。
普通ならば団欒の時間だ。
住人は皆、思い思いの時間を過ごしているに違いない。
もしかして明かりがついてないのは僕の部屋だけか。
なんだかちょっと寂しくなって
風呂でも入って寝るかぁ。などと思いながら
アパートの階段を上る。
そこでふと人の気配を感じた。
ちょうど僕の部屋のドアあたりに誰か立っている。
だれだろう?こんな時間に・・・。

人影は、僕に向かって静かに
「おかえりなさい。」と言った。


2001年02月01日(木)


11-危うさ-
どんなに穏やかな時間を過ごしていても
日が変わる前には
彼女は帰る支度を始める。
彼女と知り合ったのは、夏の終わりくらいだったから
すでに3ヶ月が経っていたけれど
彼女はそれまで一度も僕の部屋に泊まったことはなかった。
ただの一度も。

僕は次第に、感情を無視することを覚えた。
泊まっていけば。とは言わなかった。
だって。
なぜなら彼女は、
僕の恋人ではなかったからだ。

この距離感は、ひどく曖昧で。
すぐになくなってしまいそうな危ういものだと、僕は知っていた。
知っていたけれど、それに気付かないふりをしていたのかもしれない。
気付かずにいられたらと、思っていたのかもしれない。

じゃぁな。とだけ言って、彼女を送り出した。

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日記才人