目次過去未来


2008年09月23日(火) 計ったな!



 最近、肥満計量や色々な機能が付いた体重計が壊れたのをきっかけに、体重だけが量れる簡素な計りを購入した。100種類あまり計りの意匠を見た。存在感のない、言い換えればどこに置いておいても、そこに体重ばかりの存在感のないものが欲しかった。
ようやく見つけたそれは硬質強化硝子で出来ていて、どこにおいても下の床が透けて見えるので、遠目には直接目に留まらない。
 送られてきて使い始めて気がついたことがある。この量りは、つま先で手前を少し浮かせると「8」の数字が左から右へと走り電源が入る。
最初何で「8」なのか、何の意味があるのかと不思議だったが、直後に「あっ!」と思い当たった。多分中国でオリンピックが無かったら、頭の片隅では知ってはいたが、具体的には思い当たらなかっただろう。
日本製とばっかり思って会社を確かめて買ったつもりだったが甘かった。
販売は日本の計量器会社、どう見ても消え入るほどにちっチャイナ字でメイドインチャイナと書いてあった。
 オリンピック開催日は言わずと知れた「8」の横並びである。中国では縁起の良い数字とされている。意匠に置いてもこういう精密なものが中国でも出来るようになったかと矯めつ眇めつ観察すると、見ている内に笑へてきた。   
 この計りは角のない五角形をしていて一枚板の強化硝子でできている、それを、先の部分はステンレス製の、白い樹脂製の円柱の足で支え、細いステンレスのパイプが上下の丸い足に連結され中々しゃれた意匠となっている。
ところが、五角形の切り方が左右おかしい。パイプも平行ではない。日本人が作ったら完成品としてはお払い箱にしてしまうような失敗作である。

 思い立って、買ってもう何年になるかグラム単位で量れる意匠とも非常に気に入っている英国、計り専門会社ソルターハウスウエア社の計りを出してきて電源を入れてみた。今まで気がつかなかったが、これも「8888」と出た。我が家に知らぬ間に中国製が侵入してすでに久しいが、いつの間にか価値観までもが侵入していた。
計(謀)られた!?











2008年09月20日(土) ねこむ事なく大往生 (1/2)



 晩年の婆さまは、脳梗塞で三半規管をやられ、部屋をくるくる回った。目と耳はほとんど役に立たず耳元で大きな声で名を呼ぶと少し反応した。
 時に風呂場では、声をあらん限り裏声になってしまうくらいに何事か絶叫した。明け方が多かった。用を足す時は、後ろに回り、両脇にこちらの手を添えて厠まで誘導するが、自立心があって最後まで一人で行こうとした。

 何年前だったか、フランスに出かけた十日ほどの間、友人の娘さんに世話を頼んだ。世話して貰っていた間は事無かったが、娘さんが帰り、こちらが空港から帰るわずかな時間の空白の間に、六畳間の替えて何ヶ月も経たない、藺草(いぐさ)の香りあふれる畳の一枚一枚に綺麗に雲古と下呂をしていた。自分をほったらかして行った当てつけに思えた。替えに来た畳屋は其れを見て絶句した。

 医者に行っても保険証がないので吃驚するくらいの診察料を取られた。医者は医者で、百歳を越えてなを、強靱な大腿部の筋肉があると驚いて、うちの病院でこれほどまでの患者は診たことがないと、その身体上の健康状態と若々しさにお墨付きを貰った。
 ここ一年は、風呂場での絶叫もなくなり、 おとなしくなっていた。食欲は相変わらずだったが、ある日、食欲と摂取量がバランスを保っていないことに気がついた。わかりやすく言うと、食べている素振りをしているのである。一見、相も変わらずの食欲で茶碗からがつがつ食べる。
がつがつ食べてしばらく茶碗の中を見ると全然減っていない。食べる意欲は往生するまで衰えなかったが、すでに体は受け付けていなかった。医者は、超高齢なのでいつ何時事があるかも知れない、冷静に対応してくださいと言った。
そのせいか、診察に連れて行っても、*神田二八先生(かんだにっぱちせんせい。仮名。家ではそう呼んでいた。が、週刊誌にもその名が載った事がある位の名医)は、背中の皮を引っ張って、その戻り具合で判断したり、目をのぞき込んで診察する。レントゲンを撮ったり、血液検査もしない。別の医者ではそう言うことは当たり前だったが、検査後の長い診断説明もなかった。100歳を過ぎるとそうなのかもしれなかった。

「最近奥目になりましたなあ」
「はぁ…。」
「目玉が奥に引っ込むとよくない、注意して観察していてください」
「えっ!?奥目が??…。」
 皮膚も引っ張って戻りを見たり、押して見たりする。薬は殆ど出ない。*神田二八先生とは、それでも話が弾んだ。

 ここの医院は、世間の大病院と違って、二時間待ちの五分診療なんて事はない、一分待ちの二、三十分診療で患者にとってはありがたい。ここの患者で最高齢はうちの婆さま。

 その日は婆さまの様子が少し違った。
親しい友人から届いた美味しい一夜干しが夕飯の食卓に上った。婆さまも食べた、いやいつも以上に飛びついてがつがつと食べた…格好をした。少しおいて皿を見ると全然減ってなかった。元気な時は好物の魚は全部残さず食べていた。
 その夜、今から思うと虫の知らせだったか、いつもは別の部屋で寝ているが、枕元に婆さまの寝具を移して一緒に寝ることにした。案の定、夜半容態がおかしくなった。肩で息をする、苦しそうなので、体をさすり続けた。
まじまじ見ると、顔は元気な時に比べて幾分やつれていた。
と、婆さまの目から大粒の涙が頬を伝った。涙を見せたことがない婆さまが泣いた事に心からびっくりした、どこか痛いのか、何が悲しいのか、意思疎通出来る手段(婆さまは生まれつきうまく喋る事が出来なかった。)は何もなかった。手拭いで涙を拭いてやった。介護を感謝してくれているのだとその時は思った。しばらくすると寝息に変わったので少し安堵し家族も眠った。

 翌朝、家人が様子を見た時には、すやすや眠っていた。昼過ぎに、いつもならご飯時には、必ず自力で食卓についたが、一時過ぎても起きる様子がないので見に行ったら、事切れていた。静かに眠ったまま誰にも迷惑かけずに逝ってしまった。
夕べの涙は別れを惜しむ涙だったのかも知れない。

* 老舗二八蕎麦屋の代表は砂場、藪、更科。その内、神田にあるのは砂場と


→2003年の今日のたん譚


→2001年の今日のたん譚









2008年09月12日(金) 新NHKを作ろう。



日本文化チャンネル桜ホームページより転載


「日本文化チャンネル桜二千人委員会」創設と委員会参加へのお願い


皆様へ

日本文化チャンネル桜は、創立五年目を迎えましたが、ここに至りまして、運営資金が致命的な不足に陥り、平成二十年九月以降の放送を続けることが困難になりました。 この五年間は、代表取締役社長である水島が、私費約七億円(衛星放送フィリピンチャンネル株売却や個人預貯金等)を投じ、チャンネル桜の運営資金に当てて来ました。 しかし、それも全て尽き果て、公共電波による放送続行が不可能になりました。 残念ながら、これまでの視聴者や個人スポンサーの皆様による支援だけでは、チャンネル桜の放送を続けていけないのが、厳しい現実であります。

いかなる外国や外国勢力、いかなる企業、政治、宗教団体からも自由と独立不羈の志を守って来た日本で唯一の公共放送局「チャンネル桜」が、今、消滅する危機を迎えております。
代表の水島は、自身が無一文になったことは後悔しておりませんが、日本で唯一の草莽テレビ局の消滅は、国家的危機を迎えたこの時代にあって、日本と日本人にとり、計り知れないマイナスになるだろうと深刻に憂慮しております。
是非、これからは全国草莽の皆さんによって、この細々ではありますが、切り開かれた道を後に続いていただき、何とか、日本国民の、日本国民自身による、日本国民のための公共放送の最後の砦を守り抜いていただきたいと、心より願っております。

チャンネル桜は、我が国の伝統文化の復興と保持を目指し、戦後日本を見直そうとする日本で最初の、そして唯一の草莽メディアとして創立されました。
繰り返しになりますが、私達のチャンネルは、国家権力やいかなる外国や外国勢力・政治団体・宗教団体・大企業等からも、自由と、独立を守ってきた草莽チャンネルでありました。
私達はそれを誇りに思います。

日本文化チャンネル桜の社是は、「草莽崛起」(吉田松陰)と「敬天愛人」(西郷南洲)であります。 その旗印を高く掲げ、これからも私達の「志」実現へ、全身全霊で邁進する所存であります。
その実現に向けて、現実的な道として、「チャンネル桜二千人委員会」創設があります。
今、世界の大転換期にあって、私たちは、この草莽崛起、独立不羈の「志」を実践、推進し、日本人としての「正論」を皆様に発信し続けるため、また、新たな、そして大きな出発を実現するために、「チャンネル桜二千人委員会」創設を提案させていただくことを決意しました。

この委員会は、二千人(以上)の委員の皆様が月に一口一万円以上のチャンネル桜を支える資金を提供していただき(形式的には贈与とか寄付にならぬよう広告スポンサー料となります)、NHKが国民の視聴料で運営されているように、二千人以上の日本人委員によって、あるいはそれ以上の数の草莽日本国民によって、自由で独立不羈のテレビ局を運営しようというものです。いわば、小さいながら新たな「新NHK(新日本放送協会)」を日本国民の手で創設しようというものです。
これはまた、本来の公共放送局の在り方を国民の手で実現しようとする草莽日本国民運動でもあります。

現実の問題として、例えば、衛星放送「ハッピー241チャンネル」放送開始当初のように、毎日約三時間から四時間の放送番組の製作と放送を続けるためには、毎月約二千万円が必要となります。 つまり、一時間あたりの番組製作と放送のために、約十六万円が必要だということになります。 この内訳には、全ての経費(衛星放送時間枠使用料・番組製作の出演者ギャラ・撮影費・ロケ取材費・美術費、スタジオ使用費、スタッフ人件費、光熱費、連絡費、事務所経費等)が含まれています。 また、この金額には、インターネット動画放送So-TVのサーバーと回線使用料と技術者人件費も含まれています。 地上波の深夜の三十分番組でも、製作費が数百万の予算であることを考えていただくと、いかに私たちが無駄のない超低予算で番組制作をしてきたかご理解いただけると思います。

もし、二千人委員会が目指す二千人を超え、四千人委員会になったなら、二十四時間の放送を新たに再開出来るようになります。

月額一万円という金額は、草莽の日本人にとっては大変大きなお金です。
しかし、一億二千万人の日本人の中には、必ずやこの草莽チャンネルを自ら支えようとしてくれる二千人以上の「草莽」がいることを私たちは信じています。

世界最古の国の国民として、長い歴史と文化を築き受け継いできた祖先のため、そして、これから生まれてくる私たちの子孫のため、日本国民の日本国民による日本国民のための草莽テレビ局を皆様の志と力により、守り育てていただきたく「日本文化チャンネル桜二千人委員会」創設の告知とお願いをさせていただきました。

 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして 国家の大業は成し得られぬなり。
                            西郷南洲翁遺訓より


私達は、「仕抹に困る」メディアであり続けます。
私達は、日本を最も愛するメディアであり続けます。
私達は、日本と日本人を信じます。
私達は、日本と日本人の未来を信じます。

私達は、日本唯一の草莽メディア「日本文化チャンネル桜」です。

全国草莽の皆様におかれましては、何卒、委員の一人になっていただきたく、心よりお願い申し上げます。
また、皆様におかれましては、全国各地で二千人委員会の拡大と各地区支部創設のためのご支援、ご協力に立ち上がって(草莽崛起)いただきたく、お願い申し上げます。


   平成二十年九月十一日

株式会社日本文化チャンネル桜 代表取締役社長 水島 総      
「日本文化チャンネル桜二千人委員会」準備委員会事務局長 松浦芳子

「チャンネル桜二千人委員会」の詳細についてはこちら









2008年09月10日(水) 一を以て万を知る



 この前、露助(別に蔑称ではない。アメリカンがメリケン、ホワイトシャツが、ワイシャツと聞こえるがごとく、ルスキー(ロシア人)はロスケ)幕内力士が、覚醒剤をやっていて逮捕され首になった。
続いて他の露助力士も首にされたと聞いて意外な感じがしなかったのは、過去に露助達が、京都の瀟洒なレストランでやったことを目撃していたからだった。

そのレストランは、古い洋館立て(元京都中央電話局庁舎、有形文化財指定・大正十二年建築)で、食堂の天井の高さが四メートル近くあり、広々とした食堂には、一台数百万円はする直径三四十cm位の銅製レコード板式のオルゴール(写真の物は銅ではないようだ)が数台置かれていた。最奥のホールにはグランドピアノが置かれ、時間制で静かな曲が生演奏されていた。今はザールランド(ドイツ)とニューヨークに住んでいる友人がコンビを組んで、ピアノとフルート演奏をしていた。

 ある日、ここはコンク貝の刺身がうまかったので、それとそこそこの白ワインを注文し、二人の演奏を聴いていた。
 演奏の合間を見て厠に立った。綺麗でひろびろとした厠に入ろうとしたら、でぶやらのっぽやら、屈強な感じのやら、ロシア語を喋る一団と入れ違いになった。観光客の一団と思われた。別にがらが悪いとも感じられない普通の人々で、黙っていれば米国人と間違へたかもしれない。
 男用の朝顔の前に立ってびっくりした。


目の前にある棚、洗面台に、飲んだばかりのウオッカの瓶が散乱していた。
多分、露助は、度数の弱いワインやビールでは物足りなかったのだろう、 5、6人でトイレで飲んで、良い気持ちになってまたテーブルに付いたに違い ない。玄関ホール右横にはバーもあるが、そんなことは関係ないらしかった。
たとへ、オクラホマやアイダホから来た田舎者の米国人だとて、バーボンをレストランのトイレに持って入り、集団で飲むという発想はしないだろう。
 
 この時の印象があまりに強烈で以後、露助の民度、指導者層や一般人の性癖をうたぐってかかっている。
 相撲取り首事件のちょっと前には、オリンピック開催と同時に、南オセチア独立の肩を持つ露助のグルジア侵攻があった。南オセチアは元グルジアのレスラー上がりのマフィアのおっさんが牛耳っている自治区で、露助の傀儡のような奴らしい。ロシアに成りたがっている。独立支援とは名ばかりで、また露助の悪い癖がはじまった。国連は無力で只々、小沢(おさわ)がせの存在である。
最近は白い中国人(チャガン・マオ?)だと思っている。
ロシアの歴史も中国同様、愛国歴史家が捏造しているしよく似ている。世界はやったもん勝ち。ところで、露助と雲助なんか字が似てないか?


→2003年の今日のたん譚 医者豹変す











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