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2008年10月25日(土) ねこむ事なく大往生 (2/2)



 婆さまは猫である。名前はあって、吉四六(きっちょむ)、通称、きち。または、きっちゃんと呼ばれた。
21歳と7ヶ月。(人の歳としては百歳を超える)天寿を全うし、死と共に体を抜け出し、輪廻転生のために猫の閻魔に審判を受けて近頃、転生し、何と家の冷凍庫の扉に生まれ変わったようだ。
今まで、みし、とも開け閉めに音など出ない扉であったのに、死後数十日目位から、なんと!開ける時に、きっちょむ*刀自の低い特徴のあるだみ声で「に''やー」と扉が鳴くのだ。何度開けて聞いても、きち刀自の声である。

 死んだら皆神になる。輪廻転生は仏教用語だが、ここは、神州八百万の神々が御座(おはす)す国である。*本地垂迹説もある。石や木にも神は宿る。それに、地球上有機体は炭素を含んで出来ている。だから、扉も有機体なら、生命体も有機体、姿形は違っても同じだ。ならば、冷凍庫扉にきっちょむ刀自が宿って、何とか存在を示そうとしてもおかしくはない。
日に何度かは開けた時に鳴いてくれるので、寂しくはないと家人はいう。

 二年前、印度のガンジー廟のガンジー生前の瞑想所で印度の数少ない仏門の坊様達と共にお経を上げて以来の、「般若(ニャー)心経(弟子に仏様が教え諭す、そして、覚醒させる物語。)」、その経中の舎利子(「釈迦の弟子」の意)の「舎(sha)」は、フランス語のchat(sha)と同じ音でchatは「猫」という意味がある。だから、舎利子sharishiの所を、ーchatkiti–猫吉と変えて?、毎日あげている経この頃である。??  

 二十二年間近く、家族を本当に慰め、和ませてくれたきっちょむ刀自に心から有り難うと言ってやりたい。
 死んだのはもう数ヶ月も前のことになってしまった。表面は何事もないようだったが、家人のショック症状は相当なものだった。いまようやく、たん譚に書くことが出来ている。成仏しておくれ。

 飼い猫でこうなのだから、子に先に逝かれた親の心境やどれほどのものかと思う。

*本地垂迹説(ほんぢすいじゃくせつ)…神道と仏教を両立させるために、奈良時代から始まっていた神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)という信仰行為を、理論付けし、整合性を持たせた一種の合理論

*刀自…年輩の女性を敬愛の気持ちを込めて呼ぶ称。名前の下に付けて敬称としても用いる




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2008年10月09日(木) ゲーム脳



 今問題になっている汚染米の事を聞く国側と市民との対話(チャンネル桜取材放送「汚染米農水省追求集会」)を見て感じた事。

 最初に、責任者が平成17年までは、今問題になっている米は、汚染米ではなかったと言っている。被害者が出たから、汚染米になったのではなく、基準が変わったから現在汚染米となった、と言っているにもかかわらず、市民は聞く耳持たない。微に入り細に及んで質問は同じ所を巡る。
 この人達、寿司は食べているだろう。もう忘れたか?一昔前、マグロの水銀汚染で世の中連日のようにマスコミが騒ぎ、混乱した。ところがある日を境にぴたっと騒動がやんだ。何故か?マグロに含まれる、水銀値の基準値を緩めた(例えば2.p.p.mから、ええい面倒だから10.p.p.mにと言うように)からである。
多分水銀値は今も増え続けているだろう。だが、誰も何も言わない。毒は、消えたのである。
今回の汚染米はこれの反対を行く。以前白だった者を食品法改正(誰がどういう判断でやったかは知らないが)で、平成18年から汚染米に降格した。昨日白だった筈のものが、黒になることは事件ではよくある。しかし其れは決定的証拠がある場合である。
平成17年まで汚染によって被害者続出してたのか?
「被害が出ないと良いのか」と言う人があるが、良いのである。食品(白とは何か?即、吐いたり、下したり、死に至らしめないものとしか言いようがない。)摂取で被害が出てないのに問題にすることが出来るだろうか。太古から現在までの試行錯誤の結果が今日の食物(品)と言われるもので、社会的道徳規範とは一線を画する。道徳などは関係ない。

 短絡する脳は、すぐ、安全→自然→無農薬米と考える。日本は1ヘクタールあたりの米の収穫量は世界一である。何のおかげか。農薬のおかげである。米が安く買えるのもこのおかげである。無農薬米に全部することは不可能である。
 度を過ぎた使用(事故で混入も含)は必ず犠牲者が出る。
 森永ヒ素ミルク事件、カネミ醤油事件など、人間は愚かだから、そう言う経験をしてからでないと解らない。
日本ではメタボリックが問題になり、腹回り85cm以上はメタボだと医者は言っていた。ところが、世界規模でメタボ基準を決めることになった。日本で問題にしている腹まわりは問題となっていない。
 基準値とは何だ?
実際に意図的に悪意で使われた農薬で死ぬことはあっても、今まで農業で使われてきた残留農薬によって重度の障害、死亡した話は聞かない。むしろ茸や、フグなど自然の食物で毎年犠牲者が出ている、常日頃からそう言うことを考えていない脳に限って大騒ぎし、腹が減ったら、回る寿司屋で無邪気に寿司を食っている。新基準になったら、以前より確実に増えている水銀含有率にはもう頓着しない。米よりよっぽど怖いのに騒がないのは、頭がゲーム脳になっているからだ。

 中国で日本産の米が人気である。目には目をと言う言葉もある。汚染米まとめて「日本産米」ブランド名はお煎餅にあやかって「御煎米(おせんまい)」として中国に売ったらどうだ。下水に浮く油を食用油(信じがたいが上海の一流レストランでも使用していると当の厨房長がTVで言っていた)にし、偽物の卵まで作る国だ、17年までは潔白だった米だ、下水油に比べたら綺麗なもんだ、完売間違いなし。問題一挙解決。



ゲーム脳…ゲームに熱中している人間の脳波にはβ波が出ない場合がある、そして、この状態の脳波は簡易脳波計における痴呆(認知症)患者と同じだとし、脳の情動抑制や判断力などの重要な機能を司る前頭前野にダメージを受けているという説。



→2007年の今日のたん譚









2008年10月08日(水) ミシュランの蕎麦屋とカウンタック



 先月の末、この正月に山で死んだ後輩の追悼登山の予定だった。今では山の行き方の定番にしてしまったやり方、前日までに 現地ホテルに登山靴から何から、道具一式を送っておき、ホテルで着替えて朝一番のバスで登山口まで行く、着ていった服は、最終の旅館なりホテルに送っておく、という方法で山に入っている。
ところが、出発の前日にちょっとした事情で、登山出来る状態ではなくなってしまい、予約していた山小屋と下山後の温泉旅館は急遽メールでキャンセルしたが、電車の切符はすでに買ってしまっていたので、当日キャンセルはどう考えても無理だと思い、無駄にするのも何なので荷物を送ってある飛騨高山のホテルまでとにかく行くことにした。
 何年かぶりの高山は、都会に流れる低周波の騒音がなく、とても静かなのには癒される。ホテルに届いていた荷物はすぐに送り返す手続きをして、後輩には申し訳なかったが、またの機会にして、今回槍平行きはあきらめた。

 翌日京都にとんぼ返りする電車の乗車まで少しの時間があったので、たまたま、この高山界隈の蕎麦屋がミシュランガイドに載った事を知っていたので、行ってみることにした。
 国道41号線に面してその店はあった。
ここをフランス人がどうやって見つけたのかは知らないが、外国人特有の思い込みによる的はずれではなかった、生粉打(十割)蕎麦、二八蕎麦、蕎麦掻きとが一膳になっているのは他の蕎麦屋ではあまり見かけなく、これは良いと思った。別にワインが置いてあるというわけでもなく、普通の職人のいる蕎麦屋だった。フランスではミシュランに載る店は必ず、男女別の厠があることが必須だと過去聞いたことがあるが、ここで厠は使わなかったので真偽は分からなかった。
 食べ終わり店を出て、駅まで少し歩いていると、町はずれの見通しのきかない狭い四つ角の信号で正面に白いランボルギーニ・カウンタックが停まった。

 世の中、アメリカが転けて、続いて日本が転けそうな時勢にも金持ちはいて、この怪物のような車を持てる人はいるものだと、横断歩道を渡りつつその車をすれ違いざま見ていると、なんと、その後続いてフェラーリ数台、ポルシェ数台、またカウンタック数台と、一列に並んで原色の十数台が爆音を発して通り過ぎていった…。
いなくなってしばらくあっけにとられて今のは何だったのだと夢から醒めた気分になった。 
 現在生活に車と携帯電話は、必ずしも必要ない。携帯電話は未だ持たずとも不便はなく、車は手放してからもう10年は経つ。ただ外国の田舎に行った時は日本ほど道路事情が良くなく、車は必要なので空港からレンタカーを運転するが日本では殆ど自分で運転することはない。
過去車の事故には三度あっていて、(いずれも歩行中轢かれた)車に乗ることが趣味にはなり得ない。ただ足として今まで乗って来た。だから、例へフェラーリをやると言われてもいらない。
 午後、特急で京都に帰ってきた。山小屋の宿泊券は先に購入していたが、期限無しに何時でも使えるので無駄にはならない。次回行った時には、ちゃんとお経も上げるつもりでいる。もう少し待っててくれ。










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