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2008年07月26日(土) 大切な事



 一週間前の今日、「北朝鮮拉致被害者の全員奪還、西日本緊急集会の後デモ行進、大阪西長堀→難波高島屋前までデモ行進に参加した。

もうだいぶ前から、心の中では一つの結論が出ている。北王朝が滅びるか、こちらが取り返しに特殊部隊をやるしかないとおもっている。声を限りに街頭で叫んでも空しい思いがするばかりだ。
 
 ようやく、シオンの丘を手に入れ、建国したイスラエルは、前からいたパレスチナ人他、まわりは敵ばかりの四面楚歌、孤立した中、短期間で一撃を与えるにはどうしたらよいかどうやれば勝てるかを考え,二度三度日本を訪ねた当時のダヤン国防相は大東亜戦争の指導者たちに会い、いろいろの教訓を掴んで帰りそしてわずか四日間でアラブの軍事力を殲滅してしまった。それぐらい精強な軍事ノウハウが日本にはあった。
今の日本はどうだろうか。戦う前に、攻めてきたら無防備都市宣言して明け渡してもいいという運動のようなものがある。イスラエルは、他の国はこれを見てどう思うだろうか。明け渡したとして其れからのことを考えてないところが末期症状で、戦うのが怖い、死ぬのが怖い、だから明け渡す、のだろう。生存至上主義者達に一つ教えてやろう。死より怖い物があるんだゾ。

漢の高祖劉邦の妻が、高祖亡き後寵愛していた戚婦人をやっかんで、行われた処刑の仕方にこんなのがある。その人間の四肢(両手足)を関節途中から死なないように切り落とす。そうしておいて、ぽったん式の便所の便槽に放り込んでおく。そして、毎日便所に行くたびに、上から唾を吐きかけ、クソをする。四肢を切り落とされたその人間は、糞の海でのたうつ。ざまぁみたかとこれをやる。生きている限りやる、死なせない。
それでも、何が何でも生きたいか?(死刑反対論者はこの事が分かっていない。死刑は極刑ではない。極刑とはこの事を言う。)
人間が動物と違うのはここなのだ。ペルシャとスパルタ、マサダの闘い、大東亜戦争、みんなそのために死を賭して戦った。

 デモ行進が終わってからの、ねぎらいの会で、かって鎌倉武士が蒙古襲来を撃退した時の武勇を歌った、「元寇」という唄を有志達で大合唱となった。歌詞中の鎌倉男児(だんじ)の所を、西村眞悟(拉致議連幹事長)に置き換えての大合唱。聞きながら、今すぐにでも助けにいけないことをもどかしく思った。引き裂かれた家族達はもう今さら言うまでもないが、ご高齢で時間がない。日本という国も内(中国移民一千万人と外国人参政権、国内少数民族が問題化)と外(領有権の曖昧態度で)から、潰れてしまうまで、時間が余り無いように感じる。
次回の選挙の立候補者の一人でもいいから、日本国、日本国民奪還のためには、戦争も辞さないという強い決意を言う議員候補が出てくる事を、そしてそれを理解する国民が出てくる事を心から願う。


「元寇」
  作詞・作曲 永井建子
 
肆佰餘州(しひやくよしう)を擧(こぞ)る 拾萬餘騎(よき)の敵
國難(こくなん)此處(ここ)に見る 弘安(こうあん)肆年夏の頃
なんぞ怖れ(おそれ)ん我(われ)に 鎌倉男児(だんじ)あり
正義武斷(ぶだん)の名 壹喝(いっかつ)して世に示す(しめす)

多多良濱邊(たたらはまべ)の戎夷(えみし) 其(そ)はなに蒙古勢(もうこぜい)
傲慢無禮者(がうまんぶれいもの) 倶(とも)に天を戴(いただ)かず
いでや進みて忠義に鍛(きたえ)し我が腕(かいな)
茲(ここ)ぞ國のため 日本刀(にっぼんたう)を試(ため)し見ん

心筑紫(つくし)の海に 浪押し分けてゆく
益荒(ますら)猛夫(たけお)の身 仇(あだ)を討(う)ち歸(かえら)ずば
死して護国(ごこく)の鬼と誓(ちか)いし箱崎(はこざき)の
神ぞ知ろし召す(しろしめす) 大和魂(やまとだま)潔(いさぎよ)し
 
天は怒り(いかり)て海は 逆巻く大浪(さかまくおおなみ)に
國に仇(あだ)を為(な)す拾餘萬(じふよまん)の蒙古勢は
底の藻屑(もくず)と消えて 残るは唯參人(みたり)
いつしか雲はれて 玄界灘(げんかいなだ)月清し









2008年07月18日(金)



 一昨日、明け方まで床の中で本を読んでいた。四時過ぎ、今年初めて蝉の声を聞いた。次の日はからっと晴れ上がり、夏らしくなった。障子を開け放すと、庭のちょっと伸びすぎた木々の隙間から木漏れ日が畳に差し込み、幾何模様を描いてゆれている。
軒下の風鈴がちりりんと思い出したように木のざわめきに呼応して静かな午後に響き渡る。それを聞きながら、二月堂をだし、冷やしそうめんをすする。ああ、日本の夏だぁ。お隣やそのまた隣に生まれなくてよかった、日本に生まれて本当に良かった。


→2002年の今日のたん譚









2008年07月05日(土) 落書き狂想曲



 イタリアの遺物に日本人他落書きしていると、今更ながら、ニュースとも言えないニュースになっている。朝日新聞なんかどう書いているのか。昔、記者が珊瑚に「K・Y(狡猾な世論操作?消えろ読売?)」と落書きして、一般人のモラルを嘆くと言う茶番を書いた過去がある。
 それはさておき、住んでいるところから図書館まで、東の端から冷泉通りを岡崎道までまっすぐ歩く。途中、中学校があり、運動場の南の端の下を通る。下と書いたのは、京都市は北から南に、普段は意識しないが鴨川の流れを見ると分るように、かなりな傾斜地になっている。
この中学校の運動場の南端の地面は道から二メートル上になり、コンクリートで基礎が固められている。さらにその上に倍ほどの高さのブロック塀、又その上に3メートルくらいのネットが張り巡らされていて、下を通ると刑務所の運動場を連想(入ったことはない)してしまう。これが、百メートルくらい東西にくねくねと続く。
 以前から、ここのコンクリートの壁部分に、かなりな落書きがあった。もう心は鈍感になっていて部屋の柱時計のカチコチ音と同じで、目に入っても反応しなくなっていた。ところが先日通りかかると、目の端に映る塀の色に違和感があった。
改めて塀をまじまじと見ると、なんと全部の落書きが、雑な消し方ではあったがかき消えていた!何か粗いサンドペーパー状のものでごしごしと消した後があり、殆ど完璧に消えていた。中学校で話題に取り上げて、全校あげて消さなければこれは出来ない。反応の速さにちょっとあっけにとられた。
よかれと思いした事なんだろうが、消す際に生じた跡が意図せぬ絵柄となって、あらたな落書き出現と化していることに誰も気がついていないと思える事に笑えた。消し跡抽象絵画大壁画。これはいいんか?

 イタリアに消しに行きますと言って断られた理由が、日本のボランティアかなんだかは多分分かっていない。わかりやすく言えば、ダヴィンチの絵画に落書きしたとして、消せばそれで済むと言う訳にはいかない。そこから始まるのだ。元に戻すのは至難の業である。

 もともと意地悪な性格なので、この後、再落書き第一号はどのくらい後に現れるか通行途中の新たな楽しみになった。日本人はニュースには敏感だが、まー、すぐ忘れる。人の噂も七十五日というから再落書きは二ヶ月後と見ている。










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