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2008年06月27日(金) |
CO2ヒス(テリー)パニック |
なんだか世界中CO2増加を憂いて、ついに東京都知事まで宣言してしまった。 アメリカ前副大統領ゴアの世界行脚と、「不都合な真実」の成果かCO2は人類にとって危険きわまりないという、何の科学的根拠もない主張に世界の政治が乗っかった。今の政策や対処を実行し成功しても、時系列で見ると対策を完遂しても六年ほどしか先送りできない。 「京都議定書でCO2の排出を何割か削減するために五兆ドル使うのなら、それを発展途上国の上下水道設備や教育のために使うほうが効果的だ」と*ロンボルグは言っている。
温室効果とは、温暖化を生む?CO2が、地球を毛布でくるむように温め、結果海水の温度が上がり、目出度く温暖化が進み、海面は六メートル上昇し、温度は五、六度上がるそうである。
ここでちょっと考えてみる。大気が水温をあげる?? 鍋一杯入れた水に、バーナーで水面に火炎を放射してみてもそう簡単に水の温度は上がらない。水には対流があり、下から熱せられると暖かい水は上に行き冷たい水は下に行く。冬の風呂の沸き具合を手先だけで見て、沸いていると勘違いするあれと同じで、上面から熱くなる。バーナーでやると上面を温めるわけだから、下まで温めるにはものすごい時間がかかるだろう。
趣味でビールを造っているが、その過程で分かることがある。ビールの泡はCO2である。この泡は、酵母が糖分を食う時の排泄物である。もう一つの排泄物がアルコールで、これで晴れて酒となる。エジプトが興隆している時のビール造りはルーブル美術館に小さなジオラマで展示されているが、この時代のビールは一次発酵だけだから、発酵中にCO2は飛散し、現在のような清涼感あふれる泡立ちはない。ワインや酒と同じだと思えばいい。
現在のビール(泡入り)を造るには二次発酵が必要で、中瓶のビール瓶に、三グラム位の砂糖を新たな餌として入れ、発酵済みのビールを入れて打栓しておくとまた発酵が始まり、泡とアルコールを作り出す。一次発酵と違って、打栓されているから発生した泡(CO2)は逃げ場がない。瓶の口のわずかな空間にCO2は充満する。逃げ場が無くなったCO2は何処に行くか?元のビール液に戻る(理科でならった)。吸収される。シャンペンの泡も同じ。そこでこれを地球に置き換えてみる。要するに、地球上の7割をしめる海に吸収される。
温暖化と言っても全地球的に同じ条件で温度を測っているとは限らないし、都市だけのヒートアイランド現象かもしれない。太陽の黒点活動のせいかもしれない。 CO2が増えると言うことは植物にとって食料が増えると言うことだから、爆発的に今以上に草木が繁茂し、酸素が増えるという事も考えられる。ということは農作物も豊かになり,今以上の繁栄が見込まれるということになるという考え方も出来る。大体大気中には、CO2、だけではなく、酸素、ヘリウム、メタン、笑気ガス、窒素などが主に含まれている。 まちがいなく温暖化の原因がCO2か?あやしい。 気象観測衛星で三日をかけ、地球上くまなく温度観測し統計を取ると0.5度の温度上昇下降の幅しかないという観測結果もある。 今、使っているパソコンの出現各個人が所有するという事をどこの科学者が予言したかという話と同様に、これから先の温度上昇の有無なんて、過去のデーターを参照に三、四十のシナリオをもとにいっているにすぎない。当たるも八卦当たらぬも八卦である。 んな事は誰にもわからんのだ。
ゴアの*「不都合な真実」は二度見た。牽強付会で、無知の鑑賞者を引き込んでいく。何処の統計を元にどういう解釈で行ったか分からない統計で、巧みに論点をすり替える。(映画中で分かることは、日本は関係ない蚊帳の外だということ。日本は問題になってないし、世界に例がないほど貢献しているのだ。) 温暖化が起こっていないと考える専門家はいないのに、そう唱える人がいるとゴアはいう。が、そうではなくて、人的営みでCO2が増えた事で、それが温暖化を引き起しているのかどうかは疑問だと言っている学者達がいるのであって、温暖化していないとはだれもいっていない。雪山の氷の溶け方だって、「昇華(大気中に飛散)」と「融解(溶けて流れる)」の二通りの溶け方を無視して、危機を煽る。 最悪、全部的中しても人類は絶滅しても他の動物昆虫、最後にはゴキブリが生き残るといわれている。現に*チェルノブイリでは予想に反して自然の回復力によって見違える状態になっているという。 ひょっとしたら、中国人は生き残る…か? 生き残るに五千点!
*ビョルン ロンボルグ…デンマークの統計学者、世に出ている統計を元に綿密詳細無比の検証を行い、環境問題の常識に?を提示する。
*不都合な真実…アメリカ元副大統領アル・ゴアのドキュメンタリー映画。アカデミー賞受賞
*チェルノブイリ(植物のニガヨモギの意味、原子力発電事故の場合こう呼び、町としての呼称はチョルノブイリ)…ソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉が起こした原子力事故。放射能の値は相変わらず高いのだが、「放射能が、人間を追いはらったことで鳥に寄与している」「セシウムやストロンチウムやプルトニウムが一羽一羽のサギにどんな影響を与えようとも、放射能はサギ全体にとって人間の活動ほど悪いものではないらしい」「人の住まなくなった町や村は、科学技術のつまづきがもたらした惨状を物語る悲劇の証人だ。ところが、ニガヨモギの森の生物は生きながらえているぱかりでなく、繁栄していたのだ」駆除のために放逐した鹿も大量に繁殖し、ひまわりも繁茂している。 ここの一部のゴキブリは予想に反して、放射能に弱いらしい。
参考文献
『環境危機を煽ってはいけない』 ビョルン ロンボルグ 文藝春秋 『暴走する温暖化論』 武田邦彦 池田清彦 薬師院仁志他共著 文藝春秋 『チェルノブイリの森事故後20年の自然誌』 メアリー・マイシオ NHK出版
→2003年の今日のたん譚 花と王様
一人の消防が小さい声で言った。 「焚き火するようでしたら、電話なり、事前にお知らせください。」警察には誓約書かされたが、誓いは立てても、実行するかどうかは別だから、これからは消防署に連絡してからにする。今度は、たき火ではなく薫製すると言うことで。薫製は煙でする物だから煙は出る。燃す材料は木の葉。 この一言でずいぶん気が楽になった。まともな人も居る事が解ったからだ。
ところで、切った木の枝、葉などは以後どうするのかと聞いたら、ゴミ袋に入れてゴミとして出せという。葉っぱを袋に入れるとものすごい量になる。中でぶわっとふくらむからだ。 今、京都中の寺や神社がこれをやっている筈だ。わざわざゴミ袋に入れて、大の男が集めて、トラック使って焼却炉に運ぶ。その度トラックからはCO2が空中に飛散し、おっさんらの吐いた労働中のCO2二酸化炭素も飛散する。 家で燃すとダイオキシンが出るという。近年の研究で、ダイオキシン(ダイオキシンは種類だけでも80種位ある)は無害ではないが、人体に影響を与えるほどの物ではないと結論が出ている。 京都は昔から寺社だらけだから、枯葉や小枝の灰に害があったとしたら、とっくに古都京都は滅んでいる。大文字の送り火はどうや?。農地にも撒いてたし、外国では、焼き畑農法がある。ここで奇病発生引きも切らず何て言うニュース聞いたこと無い。(ベトナムの奇形は枯れ葉剤によるというよりも当地域に多く見られる風土病で昔から出現している) このたき火禁止で困惑している寺社の気持ちがよく分かる。
考えてみれば、リサイクルなど殆ど個人でやれる事を公でやって、返って環境を悪化させている。以前スーパーで買ったものは白いビニール袋に入れてもらって家に帰っていた。ところが、環境を考えてかどうか、自前の袋を持って買いにこいという運動がはじまった。暫く、よかれと思い実行していたが、はたとゴミを出す時の袋が無い事に気がついた。 それまではスーパーの袋に入れて捨てて事足りて居た。ところが申し合わせたように、これに入れて捨てなさいというゴミ専用の袋が売りに出され、あっという間に条例で指定の袋を使えと決まった。 捨てるだけのために作られたゴミ袋を買い、それにいれてゴミを捨てる。おまけに、経済面から言っているのか、環境面から言っているのか、再利用のため分別せいという。
もし分別しなかったら、無分別ゴミ→燃えるゴミ・燃えないゴミ分別→埋め立て地・焼却炉で済むところ、分別したら、ゴミ→リサイクル用ゴミ集荷場・燃えないゴミ・焼却ゴミ→埋め立て地・焼却炉・保管所と三方向へ向かう。 さらに保管所から再利用加工場、其処から出たゴミ→燃えるゴミ・燃えないゴミ分別→埋め立て地・焼却炉と繰り返す事になる。 リサイクルには運搬トラック、その運転手、燃料がいる。倉庫の管理費はどうする。リサイクルのための工場施設の費用は。 多大な運搬のための燃料代、倉庫代、光熱費で、エネルギーを使い、あげく全部がリサイクルされるわけではない(ビールの空き缶、蓋部分と胴体を分けなければ使えない。組成が違うため)から、一部を除いて、リサイクル工場からは、本来家庭から出たゴミなのだが、名称が変り産業廃棄物として、新たなゴミがでる。これは名こそ違へ、同じ家庭からのゴミである。 何十にも手間ひまかけて遠回りして結局は燃す。だが、リサイクルプラスチックなどは、回収してみたものの、最利用不可能だから、細かいチップにして、製鉄所で石炭の代わりに燃している。石炭を使えば、炭素キログラムあたり約五円ですむ製鉄に、平均キログラムあたり二五〇円をかけて使うような事をやっている。人間は、良い事していると思っている時程明き盲になる。 先進国と言われている、ヨーロッパのリサイクル率は数パーセント、リサイクルに五月蠅いのは世界中でドイツと日本だけ。日本の場合、危険な*循環型リサイクルである。
環境もしくは、経済面においても、*庭の枯れ葉は、自分で燃すのが、一番環境にいいのだ。焼却は、燃すまでの距離が短いほど、環境にいい。
*庭の枯れ葉…木はもともと生態系の一員で、燃やしてもCO2は炭酸同化(光合成)で元に戻るから、環境にさほどの問題はない。
*循環型リサイクル…ペットボトルをリサイクルしたらどうなるか。みんなが必ず正しく使って戻すとは限らない。中にはガソリンを入れたり、農家では溶かした農薬を入れたりしていたかも知れない。これらの未知のものが分別ゴミとしてあつめられ、リサイクルで又、ペットボトルに整形されて、出回るとする。固形のボトルに染みこんだそれら有害物質の有無を検査で見いだすのは、まだ液体なら検査できるが、固形は不可能である。簡単な洗浄は可能だが、毒物特定洗浄は不可能。 かくて、そのまま、成形再製品化される。それがまたリサイクルで集められ、例えば最初10本に一本の率で有害物質が入っていたボトルは、そのまままた新たに有害物質を含んだボトルと混ぜ合わされ、より有毒なペットボトルが誕生する。循環型リサイクルで行くとこれが無限に繰り返され、気がつくと猛毒のボトルに入った天然水を飲む羽目になるおそれがある。原因不明の病気が出てくる可能性がある。リサイクルは環境の悪化を促進する。
参考文献
「ダイオキシン情報の虚構」林俊郎 健友館 「リサイクル汚染列島」武田邦彦 青春出版 「分離の仕組み」武田邦彦 共立出版
歩いて十数分の所に、京都府立図書館があって、よく利用している。その目の前にある美術館には、絵描きの癖してここ数年行ったことがない。何故行かないか。眼が濁るから行かない。新鮮な物はほぼない。 この前、博物館で行われた、天才、「暁斎(きょうさい)」展などは、よくぞこの企画をしてくれたと独自の判断力と企画力を持つ館員に感謝したいくらいだった。 知らぬは日本人ばかりなりで、吉田松陰と同じ年に生まれた、この欧州には広く知られた絵師は、今まであんまり知られていなかった。人脈は広汎で、勝海舟とも知己があった。はっとするような企画は博物館の方に良いのがある。で、暁斎の話になるかと思うとならない。 それはさておいて、図書館の東の角、交番の裏に丁髷(ちょんまげ)を結い本を読む兄ちゃんの銅像がある。来るたびに横を通って中にはいるが、この兄ちゃんを見るたびに不愉快になる。ある年代以上の人々は、この銅像を見ると小学校の校門付近に置かれていた「二宮金治郎」像を思い出すと思う。 ところが、写真のように何かおかしい。 後ろに回ってよーく観察すると、背中に薪を背負っていない。ただ、本を読んでいる。
あれ?薪は? この像が二宮金治郎ではないとしたら、この兄ちゃんは誰であるか?なんで丁髷を結って着物着て本を読んでいるのか。結論から言えば、これは二宮金治郎像の変造?である。後からの価値観で、薪をとっぱらってしまった。図書館だから、本だけ読んでればよろしいと言うことなのか。
幸田露伴の「二宮尊徳翁」の本中に初めて薪を背負って歩く挿絵が出て以後、これが尊徳(金治郎)像の基本となり全国に広がっていた像が、ある年代以上の脳裏にある二宮金治郎像だ。が、やがて徐々に撤去され始める。 理由は戦後、GHQが過去の日本人の価値観を否定せさるためという俗説もあったがそれはあたらない。占領下に流通していた一円紙幣は二宮尊徳の肖像画であった。 本当の理由は、笑えることに、「像のように実際に薪を背負って歩いていたか確認できない」??事と、また、児童が像を見て真似すると危険という交通安全上から?、1970年以降学校から消えていく。
そんなら何か、*アングル描く、「アフロディーテ(ギリシア神話の女神、切り落とされたちんちんにまとわりついた泡から生まれたと言われている)の誕生」絵中の、アフロディーテ、寄り添う天使は、本当にいたかどうか確認できないという理由で加筆したり適当に部分を修正する事を許すのか? こういう時だけ妙にリアリズムを持ち出す輩は抽象概念とか象徴と言う意味が理解できない、あほである。 像を見て真似するから危険といっても、現実にあの大きなランドセル背負って、漫画読んでいる子供はいる。 何で、像を見ると「真似をする」という発想になるのか。「アフロディーテの誕生」を見て、男児は発情はするかも知れないが,まねして裸になろうとする女児はいないだろう。 京都府立図書館はあの駄像すぐ撤去したほうがいい。
二宮尊徳は、報徳記で、「誠」をもって働く事を勤労と呼び、単なる労働ではないと言い、さらに実践を伴わない単なる、「本読み」になってはいけないと言っているではないか。と友に言ったら、
「あれ、三宮きんたろーちゃうか」、
誰や?それ。
*ドミニク.アングル1780年生まれ …フランスの画家。 ロマン主義絵画に対抗し、ダヴィッドから新古典主義を引き継ぎ、古典主義的な絵画の牙城を守った。
→2002年の今日のたん譚 あははは…!
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