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2007年07月16日(月) みたま祭りと祇園祭り



 先日、東京に行くことがあったので、靖国神社のみたま祭りを見、明けて昇殿参拝をした。日頃視聴している、スカイパーフェクTVの、チャンネル桜のスタジオ見学も兼ねた。




 みたま祭りで賑わう参道に並んだ露店を一つ一つ見てある事に気がついた。靖国神社の各露店のおじさんおばさんの顔がとてもいい顔なのである。この人達をテキ屋(やくざとは一線を画す)というが、本当にいい顔なのだ。お化け屋敷の前で口上を言って客寄せしているおばさんの顔も普通の顔ではない。何とも言えないいい顔だ。これ一筋と言った佇まいだ。気風がいいと言う言葉、そのままお化け屋敷のおばちゃんにあてはまる。




 ところが、京都の祇園祭で、室町に立ち並ぶ露天商の面々は、茶髪の兄ちゃんネェちゃんが多く、「ええ顔(任侠顔)」したおっちゃんは皆無と言っていい。全部ひきうけまっせの顔が無い。ちんぴら顔。

 神社と町の祭りの性格の違いもあるが、見物も祇園祭はただのふらふら物見遊山、一方、靖国神社の人々を見ていると、多く拝殿まで歩き、それぞれのやり方でお参りして手を合わせている。



↑ホテル4Fにもかかわらず、泊まった部屋には窓を
開けると坪庭が付いていて都心にも関わらず小鳥が来る。



 次の日に昇殿参拝を家人と共にした。台風の影響か、かなりな雨だった事も幸いして、わりと少人数のかたまりで本殿に参る事が出来た。
ジーパンにTシャツ姿の若い夫婦と乳飲み子、戦争体験者だと思われる老夫婦、個人参拝の青年数人。
他十数人。先の子供を連れた夫婦の、昇殿参拝する心意気は買うが、やっぱり昇殿参拝の時は、手を清め、口を清めするのだから、Tシャツとジーパンならば、賽銭を投げ入れて参拝する拝殿にするべきだろう。

 ここに祭られている人々は幸せだなと思う。ここを極端に嫌い、家の墓で弔うと言う人があるが、家で弔い続けようと思っても、その家が代々続くと言う保証は無い。途絶えればそれきりである。その思いを強くしたのは、今住んでいる近く哲学の小径の裏山に墓地がありそこに散歩した時の事。
そこには同志社大学の創始者新島襄の墓があるが、一般の人々も一緒に眠っている。クリスチャンの墓地だから日本の墓とは趣が違う。ここで驚いたことがあった。一部の墓に何か襷(たすき)がかかっている。
何だろうと思い近づいて絶句した。「某年某月までに当教会まで連絡無き場合、撤去します。」
この墓のご家族が何らかの理由で長い間放置、又は、家が途絶えてしまっていたら、だれも花を手向けてくれない、手を合わせてくれない。そうして、撤去!されてしまうと、生きた証はどこにもなくなる。

 反対に、国に殉じてなくなられた英霊は、全国から絶える事無く、永代にわたって感謝されお祈りしに来てくれる。生きている間と死んでいる間?は比べてみるまでもなく、死んでいる間が長い。この間、ずっと感謝されるのである。
 病院で病気でのたうって死ぬのと、非情な決断のもと、負けはしたけれど人のため国のためにと死んでいった生き方とを思うと、どちらにより生の輝きがあったか。
 一昨年は蝉時雨の中、大勢の志を同じうする人々に混じって参拝したが、今回は、家族で個人的に参拝した。一度は日本人としてしておかなければならないと思ったからだった。

 午後から、渋谷のチャンネル桜のスタジオに伺い、報道番組(チャンネル桜 SO -TVでも見られる)のスタジオなどを見学した。思いのほか、小さく狭いのだが、討論番組などを画面を通してみる限り、とても広く見えるのは、スタッフの腕だろう。終始笑いに包まれて、一時間ほどお邪魔して夕刻台風の影響下、京都に帰ってきた。
 
テキ屋(的屋)…昔(室町時代を起源とするらしい)はやくざと同根だったようだが、分かりやすく言うと、やくざは博徒(ばくと・賭博をもって業となす者)、テキ屋は街商(がいしょう)、大道商人(だいどうしょうにん)、香具師(やし)とも呼ばれる。










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