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笑えない笑い話
中国のお百姓が、最後の金で種を買って畑に蒔き、収穫を待った。ところが、待てど暮らせど芽が出ない。不審に思って掘り返してみると種はそのまま、割って見ると、種そっくりの形をし、墨で黒く塗ったまっ赤な偽物であった。 お百姓は慨嘆し、一家で農薬を呷り飲んで自殺を図った。ところが、死ねない。死ねないはずだ、この農薬も真っ赤な偽物であった。一家は不幸中の幸いだと気を取り直し再出発をする決心をして、宴を開いて酒を酌み交わした。ところがこの酒も真っ赤な偽物で、メチルアルコールであった。 百姓一家は全員死んでしまった…。
こういう話は掃いて捨てるほど有る。 日本の料理店などで使われている、80パーセント以上の割り箸が中国製で、水不足のせいだろう劇薬で漂白した後、水で洗わない。だから金魚鉢に箸を一週間入れておくと水が真っ黒になり金魚は死ぬ。日本製の割り箸は死なない。日本にいる中国出身の人、台湾人、は決して日本で割り箸を使わないという。
これを聞いて、あ、そうだったかと思い当たる事があった。 少し前に、大阪で開かれた、日台 友好(09/26 訂正→日台交流)協会主催の集会に行ったおり、会員の方からパーティに招待され、一週間後、指定された寺に出かけて行った。パーティは全くの無料で生臭もの無しの、*台湾素食バイキングで、見事な?偽物であった。 市井で、豆腐を加工したものを肉と偽って売ると立派な詐欺になるが、ここは寺で精進を是とする。それは食にも及ぶ。だから問題の無い偽物である。
このパイキング形式の料理がずらっと並べられたテーブルに、ひときわ大きな笊籬(いかき)にてんこ盛りされた、不思議なものが目にはいった。金色の長さ12・3センチ幅1センチ厚み6ミリくらいのプラスチックのケースで、手に取ってみると、片方がキャップになっていて、スボンと抜ける。 中から出て来たのは、二本の細身のステンレス様の棒。この棒は、折りたたみ?釣り竿のように片方がスボッと抜けて、またより細い棒が出てくる。これを逆さにして、今収納されていた穴に入れるとなんと箸に早変わり! 其の時は、割り箸を使えばいいのに、何でこんな手間な、お金のかかることするのか、在日台湾人はお金持ちなんだなとぼんやり思っていたが、とんでもなかった。
すでに彼らは、自己防衛をしていて、日本で出回っている割り箸(中国製)は絶対使わない、危ないと知っていた。 知らぬは日本人パカりなり。
最近ようやっとマスコミが報道し始めたが、在日本の良識ある中国人は、10年くらい前から警告しているがマスコミは取り上げないと言っていた。
*台湾素食(たいわんそしょく、タイワンスーシー)素食とは中国語で菜食の意味で「質素な料理」ではない。素食には肉や魚を使わず、動物由来の油、卵、乳製品も一切使わないのが一般的で、肉の味がしても、肉は使ってない。豆腐などで、そっくりに作ってある。出汁にも肉や魚介類を一切使っていない。昆布とシイタケは出汁だけでなく、食材としても好んで使われる。
→2002年の今日のたん譚 三流
先日、豊作の葡萄の半分が害虫にやられてがっかりしているところへ、庭に気配がしたので簾を開けてみたら、葡萄棚の上になにやら茶色い固まりがもそもそしている。こちらに背を向けてひたすらもそもそしている。距離は二メートル、固まりが振り返ってこっちを見た。まるまる肥った猿だった。 「うりぁー!」とこちらが威嚇したら、猫のように「シャー!」と牙をむいて威嚇し返してきた。 近くにあった棒きれで棚をたたくと、素早く塀の向こうに消えた。 猿はひたすら、熟れはじめの葡萄を食っていたようだ。猿が手を出していたあたりの葡萄を食べてみると、もう十分甘い。ナスや胡瓜など、もうそろそろ収穫という日の前日当たりに、必ず野生の獣類にやられる、熟す時期をよく知っていると、何かで読んだことがあり妙に納得してしまった。 その日の晩、食後の口直しに猿の食い止しを食べた。
産経新聞の連載に、日本アルプスに記者が取材し、霊峰の勇姿を載せている。断然山派なので嬉しく読んでいてしばし、顔が引きつった。ある意味、山は神さんのいる所と思っている。一人で山に入って夜テントでいる時などは独特の存在を意識する。 そういう場所に、ずかずかと外国人が大量に押し寄せることに言葉では言えないがとても抵抗がある。 外国人と言っても、特定アジア人と一部ではいわれている人々が、日本山岳の顔である上高地に押し寄せ、さらに一般の観光客は行かない上部の涸沢まで押し寄せている。その押し寄せかたの尋常でないことは、涸沢小屋や、ヒュッテの料理や飯までに、影響を与えているらしい事からもわかる。
彼の国の人たちが大人しくしていればいいが、彼の国からわずかな時間でいける対馬に見るように、ゴミは捨て放題、食堂に自分の食い物を持ち込む(山では許されるが) 大声で話すなどやりたい放題をしていることがある。 上高地へはここ何年か行っていないが、 いくら商売になるとは言へ、山小屋の晩飯にキムチやチゲが並ぶなんてなぁ。それに騒がしい涸沢は想像できない。 休山男としては暗鬱たる気持ちになってしまうのである。
→2002年の今日のたん譚
だーれも大臣達靖國参拝行かないのか? この前の新聞に、安倍首相が、21日だかにインド訪問をする際に東京裁判で判事を務めた*ラダビノード・パール氏の長男と会談すると読んで、ああ、やっぱり安倍首相は近現代史に於いて、ある確信を持っている首相だなと嬉しかったが、ならば、以前のように当然今日の日も参拝はして当然だと思うが、どうなる事か。
三島由紀夫が書いていた。 「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。 日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。 それでもいいと思っている人達と、わたしは口をきく気にもなれなくなっているのである」
この人達が我々で、自分の半径十メートル位の事しか考えられない我々は、国防や日本の行く先などは問題とせず、年金と大臣のスキャンダルで選挙に行く。大新聞は日本つぶしに精出し、中枢部には日本人の顔した外国人が巣くい、それを罰する法律も無い。 故山本夏彦じゃないけれど、女に選挙権はいらない、ついでに男にもいらないという箴言に深く同意する。
昔の貴族院みたいなのをつくって候補選挙民共々近現代史の最低の知識の試験、候補はどんなに他国が悪く言っても、はっきりと「日本」を擁護出来る事、犯罪を犯した息子を持つ母親のごとしの感覚を持ち、さらに一票投ずる権利がそれでも欲しいなら、金を払って持つことにすりゃいい。個人で試験されて、金を払ってまで一票投じたいなんて奇特な人そこらにはなかなかいないだろうから、必然投票人の質は高くなる。
我々口をききたくない人々は投票しぱなっしで、責を問われない。 責を問われないくらい気楽なものは無い。評論家と同じである。しかし評論家はやがてメディアからお呼びがかからなくなるのでやはり問われているのである。一人、有権者だけが問われない。
フランスに次いで、世界中で国民国家成立二番手が明治の日本である事は、フランスの思想家が書いている。 王や独裁者に替わって国民が運営する国であれば、当然みなで、国を外敵から守る義務が出てくる。みな平等に兵役につく。これが本来の徴兵制である。自分だけ手を汚さないで、兵を志願制にして、志願してきた組織を忌み嫌い、ついぞ報道しない見ないのが三島由紀夫の口もききたくない人達、我々である。
だからもうずいぶん前から、匙投げている。
*ラダビノード・パール(インド人)… 東京裁判において当時唯一の国際法専門家
京都霊山護國神社内にある、パール博士顕彰碑(この写真部分が靖國神社にもある)
以下パール博士の言葉
*「日本は国際法に照らして無罪である」
*「大東亜戦争は日本は無罪である。欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である。 田中正明著『パール博士の日本無罪論』(慧文社)
*「日本の教育書は子弟に「日本は侵略の暴挙をした」「犯罪を犯した」と教えている 日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されてゆくのを、平然と見過ごす訳には行かない。」
→2002年の今日のたん譚
「日本での工作は完了した。」もと北朝鮮の工作員だか向こうの幹部だかがそう公言して憚らないと聞いていた。 まさか、完了したは言い過ぎだろうと思っていたら、日本の公安調査庁の頂点の人物が、真面目な顔で北朝鮮擁護をぶっていたのに驚いた。人権派の弁護士の親玉も似たようなことを言っていた。 自衛隊二十数万の隊員のうち、中国製の嫁さんが100人を超すという。これを見たら、本当に日本への工作は完了したと言われてもしょうがない。 日本人は特殊な情報というものに対して無関心無節操な面がある。先の戦争の始まり、最中、終りすべての局面であった。これは今に始まった事ではないのだ。
大東亜戦争の始まった、特に米国との戦いでは、米国は日本の事をぜーんぶお見通しだった。この時、日本側の暗号パープル、津、はすでに完全に破られていた(税関吏に成り済ました諜報員や、大使館に泥棒に入ったFBIが解読コードを盗んだ)。にもかかわらず、真珠湾は壊滅的打撃を受ける。 なぜか。ハワイの米軍は先制攻撃を知らなかった。米本土が見殺しにしたのである。時の海軍大将キンメルには何も知らされてなかった。 アングロサクソンはこういう事はよくやるらしい。 英軍が独軍の暗号を破って、明日にも人口数万の英パーミンガムの東、コヴェントリー の町に爆撃があるという情報を持っていたが、暗号を破ったという事実を知られたくないとは言へ、コヴェントリー の住民を犠牲にした。(米国が広島長崎原爆投下の正当化に後何百万の日本人を助けるため落としたとの、へ理屈にも通ずる所がある) 真珠湾攻撃もこれと同じ人身御供である。前の将軍は先制攻撃をさせる事を聞いて、部下のことを思い反対して更迭され、その後に来たのが何も知らされていないキンメル大将だった。
情報を守るためにここまでやる。 そうして、罠を仕掛けて置いて網にかかるともう大義名分(米国は自分からは戦争をしないが仕掛けられたら話は別)は出来た。堂々と戦争に持ちこめる。してやったりである。
一方日本はどうか。わが帝國海軍は大将自ら禁じられている時間帯もかまわず無線で頻繁に交信し、それは全て米国に記録され泳がされ(海軍だけに…。)ていた。
撃墜王の坂井三郎が南洋に置いて戦う最後の一機の零戦(れいせん)も失い、横須賀に着いた時、町には音楽が流れ、ごく普通の世間の空気であった事に、今まで血みどろで戦ってきた現場とのあまりの相違に拍子抜けしている。 その国鉄横須賀線には戦時中にも関わらず、米国人が平然と乗っていた。「日本の情報を得るには、汽車に乗ると良い、乗っている将校クラスのがぺらぺら喋っている」ので簡単だと書いていた。
硫黄島のアメリカ版実録映画の中でも、捕まった捕虜があそことあそこに穴があると、一本の煙草でべらべら喋る(日本人として出兵していた朝鮮人は、日本国に「強制連行された」と、字幕だかナレーションだかが入っていた。当時日本人として誇りを持って戦地に臨んでいた朝鮮人がそんな事言う分けないのだが、ここにも情報の操作が入っている)。ちなみに最初に白旗揚げて出て行ったのは朝鮮人である。
今来ている映画、300(スリーハンドレッド)の中にも興味深いシーンがある。スパルタ三百とペルシャ百万の軍の戦いを描いたものだが、これを終始スパルタは日本、ペルシャはアメリカと置き換えて見ると面白い。
スパルタには七つの掟があり、その最初の一つに、 「戦えない子は谷底に捨てるべし」 とあり、今なら大変な事になるが、当時はそうしなけれは、自分たちが生き残る術は無かった。映画中のスパルタの悲劇は、捨て去るべき生まれながらの傴僂(せむし)の子が、親の情から掟を破り生き永らへ成人した事にある。 その子は人一倍、スパルタである事を誇りに思い、ペルシャとの戦いに志願するも、隊長に盾を頭上高く持ち上げてみよと言われ、身体的に出来ない事を悟る。冷徹に断られるや、この傴僂はペルシャに寝返るのである。
歴史に残る、このテルモピュライの戦いは、ルーブル美術館にある巨大な作品「ナポレオンの戴冠式(約、縦六メートル横十メートル)」を描いたダビッド(ジャック・ルイ・ダビデ)も描いている。 この戦いは、スパルタの選ばれた戦士300名の特攻である。主権維持の尊守とブライドを持ち、背水の陣の戦いを戦う兵は強い。 ペルシャ百万(映画では)と言えども、一度にかかってはこられない。(日本の武士の戦闘でも、一人によってたかっては戦えない。お互いの刀が邪魔になり、味方が負傷する。戦いは矢→槍→剣の順)海岸線にある、峡谷(幅が狭く、両側が切り立った崖からなる谷)を利用してそこで迎え撃つ。
バッタバッタと切り倒し、屍骸で波打ち際から、峡谷の入り口まで高さ十メートル位の壁を作ってしまう(映画デス)。 無敵とも思えた戦法も、先の傴僂が持っていた崖の抜け道の情報を、自分の安楽との引き換えにペルシャに渡してしまうことで、一歩も引かない覚悟のスパルタの戦士は玉砕してしまう。傴僂のたった一つの情報で、あっという間に形勢逆転してしまった。 「スパイのためのハンドブック」の著者、ウォルフガング・ロッツと言う人がいる。イスラエル建国時に、軍に入隊、*モサドにいた。後、エジプトで工作活動し、最後には夫婦共々捕まり、エジプト政府の釈放条件が、何とエジプト人捕虜五千人との交換であった。しかし、最後までイスラエルのスパイである事はばれなかったようだ。かくも情報は大事な物なのだ。 スパイ防止法は必要だ。
*ヒューミント 「ヒューマン・インテリジェンス(human inteligence」の略語 『リーダーズ英和辞典第二版』(研究社)では「〔特に重要な事柄の〕情報」「諜報(機関)」「(秘密)情報部」の訳語
*モサド(モサッド(מוסד)秘密諜報組織… 1972年9月5日早朝、オリンピック会場内のイスラエル選手村に、武装した黒い九月のメンバー8名が乱入し、イスラエル人選手とコーチの2名を殺害し、残りの9名を人質に取った。これの報復として モサドはテロリストを一人づつ暗殺して行く。この過程は、スピルバーグの映画「ミュンヘン」に詳しい。
今年は蝉が他所ではすでに鳴いているのに住んでいる界隈ではまだ聞いてなかった。が、ようやくここ一日二日前から裏の木で鳴き始めた。あまりに鳴かないので*七年前に思いを馳せたが、当時大きな天変地異は無かったようなのにおかしいなぁと思っていた矢先、無事育って地上に生を得たようだ。そうすると庭のどこかに空蝉(蝉の抜け殻)があるはずなので探した。今年はブドウが豊作でたわわになっているそのブドウの葉の裏に見つけた。
葡萄はボルドー液(伝統的農薬)が間に合わず消毒しなかったために半分方害虫にやられた。ボルドー液は硫酸銅と石灰を混ぜてつくる。その硫酸銅を買いに行くのが面倒だと思っていた矢先、やられた。 風鈴の音と蝉の声あとは夕立で夏完了。
空蝉(うつせみ)の みをかへてける葡萄の下に(源爺?)
*蝉が地下生活する期間は3-17年(アブラゼミは6年)近くを過ごし地表に出て長くて一ヶ月を生きる。
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