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2006年05月29日(月) 印度・アンド・インディア −其の二−




*オーパーツ(錆びない鉄塔)を求めて

 

 クトゥプミナール(世界遺産)は、かって、イスラムが印度を席巻した(現在は、ヒンドゥ八割、イスラム一・三割)時の、勝利を記念した塔で、デリーの南にある。ここのモスク(礼拝堂)の一角に、これとは別になぜか、ヒンドゥ教の鉄塔がある。歴史的背景はさて置き、この鉄塔は四世紀に鋳造されて千数百年、雨期と乾期が交互に来る、モンスーン気候に晒されてなを、錆びていない

実際に動画を見て(←ここをクリック見えるまで少し待って下さい)もらうと分かると思うが、下方表面には赤錆がある。しかし未だ中上部は純然たるグレーの鉄色をしている。
 後に、この鉄は、純度99%の錬鉄だと分かった。純?だから錆びないと言う説もあるが、いくら、純鉄(Fe)でも、組成的に鉄は、Fe2O3が安定した状態である。この状態は、酸化鉄、すなわち酸素と結びついた状態、錆びた状態と言う事になる。他に、ごく微量のリンが含有されていて、これが鉄と結びついてリン酸鉄を形成して鉄の表面を覆い、防錆効果を持っているとの研究もある。
 防錆効果については諸説あって、触る人の手に印度に昔から伝わる、日焼け止め油の成分がついていて,それが鉄に絶え間なく触る事で表面を保護しただとか、ある植物の抽出成文が塗られているのだとか、言われて来た。
 この錆びない鉄は、ダマスカス鋼(ウーツ鋼)と言われるもので、この鉄塔よりさらに古い年代に於いて、印度を中心に、近隣国に輸出されていたらしい。*これで作った剣に、上から絹のサリーをそっと落とせば、それ自身の重みでまっ二つになると言われた。

 これを、旅行家のP・スコットと言う人がイギリスに持ち帰り、あの*右手の法則(電磁誘導)で有名なファラデーが、錆びない刃物を作るべく研究を始めた。
 ファラデーをきっかけに、研究はロシアにもおよび、冶金(やきん)学者のアノーソフはついに本物のダマスカス鋼の製法を解明した。そしてフランスで、ファラデーの研究に触発された、ベルチェと言う人が、研究の末、とうとう「錆びない鉄」を完成させた。
それが、現在どこにでも使われている、「ステンレス」である。

 ステンレス(「錆びない」と言う意味)は、合金である。印度の錆びない鉄塔の研究から100年近く、人類はそれを目標に、全く新しい鉄、ステンレスを手に入れたが、依然として「錆びない鉄塔」はオーパーツなのである。ステンレスはクロム,あるいはニッケルなどとの合金だが、この鉄塔はほぼ何の混ざり物も無い、ただの不安定な鉄Feであるにもかかわらず、最悪な条件下に置いて、1500年もの間、ほとんど錆びていないと言う事実の解明には至っていない。

今回訪れた時は、柵が張ってあり、触れられないようになっていた。いくら何でも、世界中の観光客が毎日触ったら、ひとたまりもない。下方の赤錆は、近年の観光客によるものだろう。


絹のサリー云々…でそんな阿呆なと思った人もいるだろうが、法隆寺の宮大工だった、西岡常一は、祖父が、角材の上に置いた鉋(かんな)を、キセルで引き寄せたら、シャーッとかつぶしのように木が削られたのを見たといっている。あながちほら話とは言えない、あり得る。

ファラデーの右手の法則… フレミングの法則ともいわれているが,ファラデーの方が早く、また、フレミング左手の法則もローレンツのものだ。これらを混ぜてフレミングの法則と書いてあるものもある。

オーパーツ「Out of Place Artifacts)(時を越えて場ちがいの加工品)」



→2003年の今日のたん譚










2006年05月11日(木) 市民粗加(市民そーか?)



 最近、ちょっと気にかかる事がある。日本の伝統文化をそのまま背負ってらっしゃるような方が、ネット上のとある新聞にエセーを書いていて、その内容については、何も言う事はないのだが、よかれと思い自前奉仕掲載しているネット新聞が、実は相当偏った考への組織が運営しているようなのだ。
 ただし、表面上は分からないように装っていて、敵も中々やるもので実体は旧態然とした、左翼組織なのである。
「私は、左翼と考え方が同じ」と言う人はここで読むのやめてくれ。何もいわない。しかし、日本の伝統や文化(例えば、皇室・国語 宗教 等)を大切にしたいと思っている人達が、ここの記者としてものを書く場合、当然何らかのフィルターがかかってしまう事が考えられる。いまさらながらだが、ここの組織がどういう人達と、運動を共にし、活動しているか一例を以下挙げておく。 

 2001年11月、 アフガンに平和を!いますぐ停戦を求める11・27集会 参加者一同 として、デモを提起。 主 催は、11.27 集会実行委員会 連絡先:フォーラム平和・人権・環境テロにも報復戦争にも反対!!
市民緊急行動 日本消費者連盟 呼びかけ人がなんと言うのか、確信的左翼、心情的左翼の巣窟なのである。以下、一般的にわりと知られた、名前・組織を赤で強調してみる

天笠啓祐(評論家)/天野礼子(アウトドアライター・公共事業チェックを求めるNGOの会代表)/荒井献(東泉女学園大学学長)/李仁夏(在日大韓基督教会名誉牧師)/五百蔵洋一(弁護士)/五十嵐敬喜(法政大学教授・弁護士)/池澤夏樹(作家)/石坂浩一(立教大学講師)/井出孫六(作家)/岩松繁俊(原水禁議長)/宇井純(沖縄大学教授)/永六輔(作家)/江橋崇(法政大学教授・平和フォーラム代表)/荏原明則(神戸学院大学教授)/尾池和夫(京都大学副学長)/大森恵(長島・河口堰を考える会代表)/岡野加穂留(明治大学元学長)/岡本愛彦(映像作家・ジャーナリスト)/落合恵子(作家)/海渡雄一(弁護士)/粕谷志郎(岐阜大学地域科学部教授)/加藤良雄(長島・河口堰連絡協議会事務局長)/鎌田慧(フリーライター)/河合弘之(弁護士)/

河内家菊水丸(新聞詠み河内音頭家元)/川村一之(非核自治体全国草の根ネットワーク世話人)/熊沢誠(甲南大学教授)/見城美枝子(青森大学教授)/近藤正臣(俳優)/澤地久枝(作家)/辛淑玉(人材育成コンサルタント)/須田春海(市民立法機構共同代表・環境NGO)/隅谷三喜男(東大名誉教授/主体思想研究会代表、)高嶋伸欣(琉球大教授 従軍慰安婦肯定派)/高田直俊(大阪市立大学工学部教授)/高野孟(インサイダー編集長)/高原孝生(明治学院大学教授)/高良鉄美(琉球大学教授)/田窪雅文(市民エネルギー研究所)/富山洋子(日本消費者連盟代表)/中原準(環境レスキュー大阪)/鳴海正泰(関東学院大教授)/西尾漠(原子力資料情報室共同代表)/灰谷健次郎(作家)/服部学(立教大学名誉教授)/平井孝治(立命館大学経営学部教授)/広河隆一(フォトジャーナリスト)/福本敬夫(大阪大学教授)/藤原信(宇都宮大学名誉教授)/

本多勝一(作家・週刊金曜日編集委員)/松井英介(岐阜大学教員)/松永勝彦(北海道大学教授)/水島朝穂(早稲田大教授)/毛利子来(小児科医)/森村誠一(作家)/安田節子(食政策センター ビジョン21主宰)/山内克典(岐阜大学教授)/山口二郎(北海道大学教授)/山崎公士(新潟大教授)/山住正己(東京都立大学名誉教授)/U.G. サトー(デザイナー)/吉田嘉清(平和事務所)/渡辺雄三(ジャーナリスト)

■賛同団体:日本消費者連盟/許すな!憲法改悪・市民連絡会/婦人民主クラブ/日本婦人会議(日本会議とは別物/原子力資料情報室/DPI日本会議(障害者インターナショナル日本会議・保守系日本会議とは別組織/東京・生活者ネットワーク/日本国際ボランティアセンター/チェルノブイリ子ども基金/在日韓国民主人権協議会/在日韓国民主統一連合/日本青年団協議会/反差別国際運動/日本山妙法寺/たんぽぽ舎/日本の戦争責任資料センター/アジア太平洋資料センター/「STOP!改憲」市民ネットワーク/総本山三井寺・圓城寺/日本チェルノブイリ連帯基金/エコロジカルウェッブ/ソーラーネット/ノーニュークス・アジア・フォーラム関東/多治見を放射能から守ろう!市民の会/脱原発福島ネットワーク/原発・核燃とめようかい/東大和・生活者ネットワーク/平和事務所/ストップ・ザ・もんじゅ/双葉地方原発反対同盟/

プライバシー・アクション/広島県朝鮮人被爆者協議会/非核自治体全国草の根ネットワーク/反原子力茨城共同行動/中部よつ葉会/ノーニュークス・アジアフォ-ラム・ジャパン/調布・子どもと教育を考える市民会議/全石油昭和シェル労働組合/市民がつくる政策調査会/市民運動全国センター/反核FAXポスター展実行委員会/全統一労働組合/労働組合東京ユニオン/アジアと水俣を結ぶ会/原発を考える品川の女たち/フォーラム平和・人権・環境

そして、協賛は、あの誠に何でここまで日本の事を嫌うのか不思議な、反日世界選手権があれば、先頭いくであろう、筑紫哲也がついこの前まで編集長を務め、編集員には何と本多勝一がいる「週刊金曜日(現在編集長は佐高信)」。この人物は、ありもしない南京大虐殺を書き、百人切りを新聞に書きながら、出所を言えと訴えられると、裁判にも出てこない卑怯者である。ジャーナリストの恥さらしである。 こういう人物たちが協賛し、それに乗っかっているのが、「ネットの市民が作る」とやらの新聞の隠れた素性なのである、騙されては行けない。

追記、不勉強でほとんど知らんとおっしゃる方、名前を強調して、右ボタン(マックはCtrl+クリック)で簡単に各人々の素性洗へます。


→2002年の今日のたん譚

→2005年の今日のたん譚












2006年05月06日(土) 印度・アンド・インディア −其の一



 2002年、印度と日本は国交回復した。
印度のガンジーはすでに知られているが、もう一人印度独立の父で、武闘派と言われているチャンドラ・ボーズがいる。武闘派と言うと何だか聞こえが悪いが、お題目を唱えていれば「平和」「独立」が勝ち取れると信じている人達とはちがい、武器には、武器を持って立ち上がり、自分達の主権を確立すると言うのが武闘派である。

 ではずっと英国の植民地であった印度になぜチャンドラ・ボーズのような人が出現したか。
日本人を見たからである。東洋の小国が、当時の大国ロシア相手に日本海海戦でほぼ全滅させたのをきっかけに、その後、大東亜戦争緒戦時、マレー・シンガポールでは、要塞に立て込もった英印軍十数万も、その三分一の日本軍にあっさり突破された。
インドネシアでも、五万人の英・蘭・豪の連合軍が立てこもった、バンドン要塞をわずか七百数十名の日本軍が降参させた。この降参した兵の中に、映画にもなった「戦場のメリークリスマス」を書いた、バン・デル・ポストがいた。

 みっともない動物(ニコライ二世)、「黄色くて臭い足曲がり猿(オランダ人「ピンネルの日記」)」、「東洋の黄色いちび猿」に、何百年我々を支配して来たご主人様の英国人やフランス人が、降伏して手を上げ逃げ惑う姿を、印度を初めとするアジアの人々は目のあたりにし、そのことに衝撃を受ける。チャンドラボーズもその一人であった。
 ベトナムでは、「東遊」という運動が興る。東遊というのは、「なんで、日本人がそれをなし得たか、答えは日本にある、東京にはすでに中国人・朝鮮人・インド人学生があふれている、我々(ベトナム人)も日本に行き、学べ」と言う運動であった。

 朝日新聞などがことあるごとに、アジアの国々に迷惑をかけたと言うような事はないのである。戦った相手は、アジアにいた、英国であり、オランダであり、フランスアメリカであった。

これは印度からの感謝状である。


われわれインド国民軍将兵は、インドを解放
するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した曰本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表わします。インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。

1998年1月20日

於ニューデリー

インド国民軍大尉 S.S.ヤダバ(インド国民軍全国在郷軍人会代表)

日本語訳:加瀬英明
 コピー提供 印度親善訪問団主催 ガンジー財団、チャンネル桜



参考文献: *情報鎖国・日本  高山正之 廣済堂










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