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2006年04月28日(金)
案内板のローマ字表記について -本当の終戦、主権回復の日-
今月、固まって一度に来た雑事も済みようやく落ち着いた。 インドに行っている間に二三、先の「とんぼ返り」中のローマ字表記について、ご意見を頂きました。有り難うございます。共通した指摘は、kinrin syakoでも良いのではないか。現に、日本では「訓令式」で認められていると。 日本では、ローマ字をめぐって、* 西 周(にし・あまね)をきっかけに、日本式ローマ字を作った、日本物理学の父、* 田 中舘 愛 橘(たなかだて・あいきつ)など がいる。 確かに、日本語を音声的に見ると、訓令式とやらが正しいのかもしれないが、よく考えてみてくれ。この案内板のローマ字部分は、一体誰のための案内なのだろう。日本人のためなら、仮名を振れば事足りる。当然この場合、外国人のためのものだろう。そうすると、彼等のために便宜をはかっている訳だから、ここは、ヘボン式が正しくはないか。 それと、一度英語の字引をひいてもらって、 S y の後に母音のa が続く文字を探して見たら良い。 多分発見出来ないだろう。一方、 S h a k oとした場合、そのまんま、フランス語で「軍帽」の意味があり、英語も、S h a で 始 まる 単 語は 沢 山ある。 なじみがある。 ちょっと違うかもしれないが、読めたら良いというのであれば、「こんにちは」を「こんにちわ」と書いて、違和感の無い人は別として、 やっぱり「S y a k o 」は、 なにやら 気色悪いのである。* 西周(にし・あまね) 父・時義は森鴎外の父の弟、最後の将軍、徳川慶喜のフランス語教授、外国語の適訳、以下、「科学」「芸術」「帰納」「演繹」「肯定」「否定」「技術」「概 念」「観念」「哲学」「主観」「客観」などを造語した。ローマ字国字論者、* 田 中 舘 愛 橘 (たなかだて・あいきつ) 地球物理学,航空物理学を始め,日本の物理学の草分け。ローマ字運動の父と呼ばれる.メートル法の普及にもつとめた。 補足 1972年にシェヴェニンゲンで開催された第14回総会で、 訓令式のほうが日本語の音声構造をより論理的に表わしており、 ヘボン式は、 英語にもとづいた日本語の発音を表わすものであることを認めた。 し か し、ヘボン式はもっとも歴史が古く、日本国外で広く採用されている方式であり、参考図書も大部分がヘボン式で書かれている。さらに、国内でもヘボン式が定着しており、日本ドキュメンテーション協会は訓令式を推薦するわけにはいかないと思っている。…云々。参考公文書 国際規格公文書ドキュメンテーション―日本語(仮名書き)のローマ字表記 →2002年の今日のたん譚
2006年04月13日(木)
時差は三時間 一ルピーは三円
インドの首都デリーの高級ホテルタジパレスホテルから。写真の時間はあわせてませんので、間違いです。これを書いたのは午後四時半から五時の間です。 今、下のプールで、80歳を超えてなを、意気軒昂のスーパーおばあちゃんが、今宵の懇親パーティの始まるまでの自由時間を使ってプールサイドで白人種の有閑層の昼寝する中悠々と泳いでいる。日本人である。世界中を旅している。昨夜空港で行方不明になるも、本人はヘッチャラ。 その景色を見ながら、読書三昧、白隠禅師の健康法と逸話、高山正之の新聞の犯罪、インド関連の本。今日の昼飯はよそのホテルで食ったが、国内産のビール大瓶一本、300ルピーは高すぎるで。 ブルートゥースを使って無線LANでこの原稿を書いて載せてみた。現在進行形でありますなマステ。 十年近く前に、スイスのツェルマットから、フロッピーディスクカメラを使って、インターネットを通じて、画像を送ったとき、ホテルの一泊分の料金より高くて米を食わずにあわくった事が懐かしく思い出されている場合か! 今宵はネクタイ着用なので、少し気が重い、* 補足 ホテル内ならどこからでもインターネットは、一時間260ルピー、24時間だと600ルピー。 転送のためのアプリケーションや、各局のテレビニュースの動画もダウンロードは速い。 インドのハイデラバード、バンガロールはこちらのシリコンバレーである。→2004年の今日のたん譚
昨日、明日から銀座で開かれる四人展(i をクリック)のための小品数点を搬入しなければいけないのを、送ればいい日だと勘違いしていて、朝それに気がついた。急遽荷造りをして、旅行用の二輪車?に縛り付け、新幹線に飛び乗ったのが午後二時前、銀座の画廊に手渡ししてとんぼ返りで京都にもどって、八時には、室戸から送られて来た鰹をおろしていた。 東京滞在数十分、まぁ、便利な世の中になったものだ。会期中の半分近くは、日印友好親善訪問旅行(超党派地方議員文化人他200名)の一員として印度に滞在するので、その準備に頭があって失敗してしまった。 この季節になると、展覧会案内がちらほら来るようになる。ほとんど出向く事はない。学生の個展案内ならまず行かない。 学んでいる最中に個展で何を発表したいのか。学んだ成果なら、卒業制作展がある。学生は、個展をしてはならないというのが、昔通っていた学校の方針で、もっともだと納得し以後その考えは変わっていない。仕送りしてもらいながら、勉強途中で、何の個展かという訳である。 それにしても、その案内状や、町の案内板の表記が最近変なのだ。例えば、展覧会案内図の四条河原町角にある、高島屋のローマ字表記が、Takaimaya、「たかいまや」ってあんた!誤植にも程というものがあるぞ。 通り名にも、四条通と交差している寺町通りが、YERAMACHI-STになっている。これは、YとTが似ているのでまだわかる。この展覧会案内は、某女子大卒の、昔のお嬢様達のものである。この昔のお嬢様たちの案内図には、他にDU 25 AU28 なんてフランス語も混ぜて書かれている。フランス語で書く前に、ローマ字勉強しましょう。 町にもあるぞ。 平安神宮Heian Shrin?? 錦林車庫Kinrin Syako?? 英語出来なくていいから、せめてローマ字の振り仮名くらいはちゃんとしたい。あぁ、恥ずかしぃ…。→2005年の今日のたん譚
2006年04月04日(火)
親より子が先立つ不孝−下−
−続き− 親猫と子猫(両方とも雌)は育て方を変えた。親猫は、生後一ヶ月位でもらわれて来たので、生まれた時からではないが、一日一食、人間様と同じものを与えた。生のきゃべつはシャクシャクと美味しそうに食べた。数年後、子猫が生まれたのを境に、親も共々、キャットフードを日に二度、主に与えた。そのせいか、子猫は人の食べ物には興味をあまり示さなかった。 親猫に比べて、子猫は行動範囲も極端に狭く、半径5m位だと家族とよく笑った。極端な怖じ気で弱虫な猫だった。猫でも、親とずっと二匹で暮らしていると自立出来ないようで、死ぬ直前まで、出ない親猫の乳を時々吸った。叱ってもやめる事はなかった。子猫はまた、とても変わった面を持っていた。人、猫に限らず献身的に介護するのである。一度など,家人が熱を出してうんうん言って寝込んでいた時、枕元に寄り添いじっと見て、なんと熱のあるおでこをぺろっと舐めた。家人は感激した。親猫にも同じように、子猫にするように献身的に毛繕いなどを手伝った。 子猫は、たん譚が、ドイツに出かけた次の日に生まれたせいか、刷り込みが出来ずに、家人ほどには馴れてくれなかった。多産で一度に5匹生んだ事もあった。この時、引き取り手を探したが、二匹しか引き取り手がいず、残りの三匹は、責任を持って、自分で一番楽なようにして処分した。捨て猫にするのも、人様に頼んで処分するのも、嫌だったから自分でやった。無責任な輩は、動物病院の玄関に捨てて行く人も居ると、獣医さんから聞いた事がある。処分するのは獣医さんである。その獣医さんに自分で処分した事を言った。 以後懲りて、避妊手術をしてもらった。山奥で住んでたなら、10匹でも20匹でも飼えただろうが仕方なかった。 猫と言えば 漱石の書いた「我が輩は猫である」が有名だが、漱石の弟子 (ひゃっけん)の書いた「ノラや」に愛着を持った。(映画『まぁだだよ』黒澤明(1993)にも、少しその顛末が描かれている。) 昔、それを読んで大笑いするも、その中に何とも言えない悲哀があり、 先生、ノラがいなくなって、張り紙を出したりあちこち奔走するのだが、何かに付けておいおい泣く。ノラいなくなって何日目、などと日記につけて、また泣く、果てしなく泣く。ずーっと泣く。とことん泣く。その様子が目に浮かぶようで、腹を抱えて笑った。 後に、カーテル・クルツという猫が登場するが、こちらのほうが一緒に暮らした年月が長く、ノラとは実質一年半くらいしか一緒にいなかったにもかかわらず、ノラへの思い入れは強かった。 これを読んでいたおかげで、人とペットの関係を客観的にみることが出来た。世に言うペットロス症候群にはならなくて済んだ。 他日、親猫の方を、健康診断のために昔手術をしてもらった獣医さんの所に連れてった。このお医者さんは、すぐに血を採取したり、読み上げたりはしない。長生きになったとは言え、ネコの寿命はそれ相応である事、高齢だから、いつその時が来てもおかしくないので、覚悟はしておく事などをいった。親猫には異常はなかった。 運び込まれて来たカラスがもう十五年生きている事や、事故にあって倒れていた犬を引き取って、いまも元気で、ここにいる、いろいろな動物が増えて、いまでは家の一部屋を解放して飼っているという獣医さんだった。途中、奥さんも出て来て話に加わった。動物が本当に好きで獣医をやっている事が伝わってくる。 話していて、気の休まる先生がやっばり名医なんだろう。 家族のもとで生まれ、「ノラ」のように行方不明になるのでもなく、最後の最後まで親猫と一緒に居て、誰にも迷惑かけず静かに寿命を終え、心を和ませてくれた子猫に有り難うと言ってやりたい。はや49日過ぎてしまった。