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1997年に醸造し樽詰めして,一年寝かせて瓶詰めしコルクを打って寝かせておいた、カベルネ・ソービィニョン60%,メルロー40%の赤ワインをあけてみた。醸造後,三年経った頃あけた時は心底がっかりした。 全然うまくなかった。リンゴ酸の香りが強く,やっぱり置けばいいというものではない,寝かせておく価値の有るワインではなかったのだと,どうにもならず,一口飲んで あけた残りは捨ててしまった。 ところが,これが七年経って蘇った。美味い! ボルドーのVdP(Vin de pays ヴァン・ド・ペイ)クラスぐらいの味わいは有る。よく一般的には駄ワインは置いても駄目だと言われる。が,実際に七年置いてみた(温度は15 ℃位にて)ら,ちゃんと飲めるワインになっていた。なんでも頭だけで理解して済ませずに,実際にやってみることが大事だとあらためて思った。 感慨に耽っていたら,パリのミシュラン三つ星(よく混同されて五つ星と書かれているのを見るが,レストラン味の格付けの最高位は三つアステリスクで***と表記される。五つと勘違いされているのは,豪華さ の五つフォークナイフマークを間違えたのだろう)有名レストラン「ルカ・カルトン」のオーナー兼シェフ, アラン・サンドランスが、同店をより低価格で気楽なブラッスリー(カフェレストラン)に 改造するというニュースを聞いた。 毎年のミシュランの格付けに、ほとほと疲れてしまったらしい。 これで,一・二年前も自殺者を出しているくらいだから,その心労は相当なものなのだろう。 80年代中頃,「ルカ・カルトン」で夕飯を食べた。新婚旅行を兼ねて3〜4ヶ月ヨーロッパを巡っていたときの事。金はなかった。金はなくても一流店で食べる手だては有る。日本でやると,「一杯のかけそば」になってしまうが,フランスではごく普通に注文できる。値段は半分で済む。ようするに,一人前を二人で食べるのだ。今はそうでもないが,日本人の感覚からすると,あっと驚く量が出てくる。例えば皿にとり丸まる一羽とか。 この時も,* リ・ド・ヴォが一人前が一個(一頭分)だった。 二分の一フルコースでちょうど良かった。 ギャルソン(ウエイター)が,両後ろ,あっちこっちに,うじゃうじゃ二十数人はいて,それぞれが,どこかのモデル雑誌から抜け出てきたような男たちばかりだった。場慣れしていないと気後れして,味わうどころではない。 もう以前ほど,一流と言われる店には興味がなくなり,地方料理店や,大人数がわぁわぁ言いながら集って晩餐しているところ,たとへば,世界で初めてのレストランと言われているプロコープなどで,大勢の中(50人~100人くらい)に埋もれて食べるのが心地よく感じられるようになった。* 胸腺肉。 仔牛や仔羊だけにある、非常に柔らかく淡白な部位。ris de veau無料ホームページ
2005年05月13日(金)
象さんゆうり…か?(1)
「唐の国は、ことに人の心の悪しき国にして、よこしまにのみする」 -賀茂真淵(江戸時代の国学者)- 「中国人は嘘をつくことを恥と思わぬ厚顔無恥」 -新渡戸稲造- カントやモンテスキューも,中国人は嘘つき だと言っている。もっともモンテスキューは同「法の精神」の中で,日本の事を少しいい加減を言っているので、その分差し引くとしても,昔から中国人の評判はよろしくない。 ついでに言うと,朝鮮人はもっと悲惨である。 李朝末期(明治27年ー明治30年)の朝鮮を歩いた英国婦人のイザベラ・バードという人が「朝鮮紀行」の中で,「世界で二番目(一番は北京)に不潔で,朝鮮人というのはくずのような民族で,その状態は望みなし」とまで書いている。 反面日本人に関してはまったく評価は逆である。 こんなにまでぼろくそに書かれたら,朝鮮人でなくても 立つ瀬がない。この人の本が,韓国で未だ発禁本であるのもうなづける。バードは当時としては,教養ある人で他に著書もある。 秦の始皇帝や三国志の話がいくら面白くて立派な話のようでも,日本の各時代の成り立ちとは全く異なものである。日本人で,日本の各時代の天下を取った者たちが,夜盗や盗賊団の親玉だと言われたら,納得する人がいるだろうか。まずいないだろう。 ところが,支那の歴史ではそうなのである。 なぜそうなのかと言えば,こうなのだ。 いつの時代にも不満分子はいる。そいつが一念発起,革命を起こそうと決意して立ちあがり,徒党を組んで王朝に戦争を仕掛ける。そうすると腹が減る。 日本と違って,昔支那では兵隊の家族は,鍋釜所帯道具持って軍と共に動いた。だから支那の軍隊は,三十万とか五十万人以上の規模の組織になる。これが食料調達のため,行軍途中の村々になだれ込み,略奪し,食い尽くす。(南京入城後の日本軍のように,支那人から買ったり,後で払うからと,借用書を書いたりなんかしないのだ。) これをやられると,あの村この町は次の日から飢餓に苦しむ事になる。そこで,仕方なしに村ぐるみ町ぐるみ軍についていく事になる。そうすることで少なくとも餓えはしのげる。 こうして,軍は膨れ上がる。実戦隊はその内、十分の一くらいで,あとの家族などは谷間に隠しておいて戦うのである。だから,支那ではどんな偉い人でも,天下を取った人,取ろうとする奴はみな盗賊と言う所以である。毛沢東であろうがなかろうが,皆同じである。* 「起義」 という言葉がある。毛沢東が,中華人民共和国建国後,使い始めた言葉で,党員教育のための教科書として作つた「中国革命と中国共産党」で「秦の陳勝・呉広・項羽・劉邦からはじまり、漢の新市・平林・赤眉(せきび)銅馬および黄巾(こうきん)、随(x陪の。5/06.01訂正)の李密・竇建徳(とうけんとく)、唐の王仙芝(おうせんし),黄巣(こうそう)、宋の宋江・方騰、元の朱元璋、明の李自成を経て清の太平天国にいたる大小数百回の起義は …」という風に使った。 意味は「農民の正義の武装蜂起,又は農民の武力闘争」である。 ところが,陳勝・呉広以下太平天国にいたるまで、それ以前,中国では「盗賊」と呼ばれていた。 毛沢東が勝手に改竄したのだ。 「造反有理」は,不満分子がいっぱい集まって巨大になってやる反乱の元はと言えば 上位のものが悪いのだから,上の者をやっつけてもいいのだ,経営者を殺して食ってしまってもまぁ仕方ない。象さんは有利なのだ,というわけだ??現中国共産党政権が言っている「愛国無罪」あれと同じようなものだ。 ちなみに中国の「正史」はどうやって決めるか。 結局,前王朝から継承されたものが選ばれるか,君臨した長さ! で決める。 信頼できる正しい事実が書いてある歴史書では全然ない。明王朝を倒した李自成が建国した「大順帝国(1641〜44)」は期間が短いという理由から「正史」には載っていない。 参考文献: 歴史から消された日本人の美徳 黄文雄 * 中国の大盗賊完全版 高島俊男 朝鮮紀行 イザベラ・バード
コンピュータが十日くらい前から,2台立て続けに動かなくなった。ノートブックの方は貴重な映像が入っていた。知る限りの知識を動員して復旧を試みたが駄目だった。かろうじて起動CDでデータは吸い出せたが,ついにハードディスクは認識されずじまいに終わった。今まで解決できなかった事はなかっただけに,相当こたえた。幸い,まだ保証期間中で無償でハードディスク交換できることになった。 デスクトップのほうは,Macに親指シフトの小さいキ−ボ−ドを繋ぎトロンで書くという三つのOSを股にかけるという妙な事をやっていたため凍りついた。 仮名入力JIS標準は,四段にわたってキ−ボ−ドを叩かなければならない。 濁点も別に打たなければならない。「だ」は「た」+「"」と二回キーを叩かなければならない。これだったらローマ字「DA」と同じで「だ」を五千回打つとしたらキーパンチは共に一万回しないといけない。 所が親指シフト (ニコラシフト) だと「だ」は一回(正確には二つのキ−を同時に打つ)でいい。これだと「だ」は半分の五千回キーを叩けばすむ。 この差は大きい。 これがようやっと復旧した。 話変わって,先日大阪の中之島公会堂に「新しい歴史教科書をつくる会」主催のシンポジュームに行ってきた。一階は満員で二階席の端に座った。 出演者の面々がちょっと寂しい気がした。 韓国赴任二十年になるという,産經新聞の黒田勝弘記者が二人分の時間を喋ったために時間は大幅にずれた。当の扶桑社の教科書にしても,これ程なかったことが明らかになってきている「南京虐殺」をまだ載せている。しかし朝鮮での閔妃暗殺は載せていないと黒田氏は言った。審査官が自虐史観ならどうしようもない。載せないと通らない。 今年の合格本すべてから,俗にいう「従軍慰安婦」が消えた。だが小学校高等学校の自虐的史観は旧態依然である。等々 日本人の中国への反撃始まる→日本人の反撃