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2004年11月28日(日) お茶の講演会



 いつもは、つくる会(新しい歴史教科書をつくる)の催しなどがある商工会議所の同じ会場で、「台湾茶と日本茶」と銘打って講演・討論会があった。四時間と少しに及んだが、得るものが多くあった。
 出演者は、元台湾省茶業改良場研究員の徐英祥さん、茶研究家の谷本陽蔵さん、食育・料理研究家の坂本廣子さん、司会は関西学院経済学部の助教授、寺本益英さんであった。
 
 話を聞いていても、台湾の人は、本当に日本人と馬が合う。朝鮮と台湾が昔、約50年間日本だった頃(植民地Colonyではなく併合annex)、朝鮮人の待遇の方が、台湾人のそれより上であった。にもかかわらず、敗戦以後、朝鮮人は威丈高になり、少なくとも国やマスコミは反日的になり、日本語を喋る事は忌諱された。
 ところが、台湾人はちがった。大陸本土から渡ってきた中国人の態度風体を見て、日本時代とあまりに違う事に驚いた。李登輝(京都大学卒 注:正確には中退、戦時下の42年に台北高校から京大に進学、翌43年に学徒出陣、日本陸軍少尉として終戦を迎えた)の出現もあって、朝鮮と違いとても親日的である事は、台湾の教科書と韓国のそれとを比べでもよくわかる。また台湾には台湾俳壇があるくらい、日本の俳句が盛んである。
 
 今台湾から中国に飛び火して盛んになっている、「茶藝」も、日本の煎茶道やお茶がもとになっている。
そこで「茶藝」、まことしやかに茶藝で言われている、農薬が付いているので一煎目を捨てるなどはとんでもない事で、現在台湾では行われていない。「一煎目を捨ててどうするか!」、が専門家の言。
ずっと鉄観(冠)音は、烏龍茶だと信じて疑わなかった浅学だったが、今回の講演で、台湾茶は大きく包種茶、*烏龍茶に分けられて、鉄観(冠)音はどうやら包種茶に入るようであった。

 いろいろ学問的な事も面白く聞いたが、特に印象に残った話は、高級烏龍茶のあのココナッツミルクのような、蜂蜜のような、えも言われぬ香りは、*浮塵子(うんか)がもたらすという。

その浮塵子が茶葉の養分を吸い出す時に、蜜の香りなどを葉に移すのだと言う。良い葉は、煎れた後、葉を広げて、ガラス窓に貼付けて光りにかざすと、点々と黒茶色の刺した痕があるという。これは後日確かめた。確かにあった。

台湾の製茶は開かれていて、日本人にも製法を隠さない。ところが、中国では日本人には製茶法は絶対見せないと言う。

 後援会中、徐さんの肩を谷本さんがポンとたたき、
 「こいつは、50年前は日本人だったんだ、そういう関係をふまえて、考えていかないといけない」
 と言った。見ていて微笑ましく、そう言えば、台湾の高山、阿里山に向かう列車の中に貼ってある日台の鉄道記念プレートには日台兄弟ではなく、日台姉妹と書かれてある。兄弟だと、兄が弟より優位な感じがするが、姉妹だと仲の良い、対等な感じかする所からそうしたのだろう。そこまで考えてくれている(都市間では姉妹都市と言うが…)。

 これほどの片思いの台湾より、中国を将来の経済面からだけで重要視し、この前小泉首相は米国で、「台湾独立」を指示しないと言ってしまった。それとは反対に、台湾の重要さをよく知る、石原慎太郎東京都知事が訪れたさい、私は「東方美人」という烏龍茶が最高だと思います、いつも買って帰りますと、その親密さを示した。
 
 一般に日本はアメリカ属国になっているというが、なに、アメリカは靖国神社参拝に反対したり、日本の歴史にちょっかい出したりはしない。いまやどちらかと言えば、中国の属国になっている。主権意識がない政治家が多い日本は、かっての朝鮮がそうしてきたような、事大主義(相手に依存し、強い方につく)に落ちいっている。

*烏龍茶  俗に半発酵茶などと言われるがまちがい。発酵ではなく、カテキンの酸化の度合いによる。

 *浮塵子(うんか) カメムシ目ウンカ科の昆虫の総称 稲の大害虫、小糠虫(こぬかむし)
 
 
 
 
 









2004年11月17日(水) もう一つの戦争展 -日本人としての矜持-



ちょっと紹介するのが遅くなりました。
今週の土日、京都駅前 ぱ・る・るプラザKYOTOで「もう一つの戦争展」があります。
戦争と聞くと、かたくなに否定してしまう人、拒否する人。今日、世界のどこかで戦争は絶える事なく行われており、戦後の60年、日本は米国の核の傘の下。安穏と過ごしてきた結果、拝金主義者、文化享楽者は増え続け、国の危機や、主権などということはそっちのけで来てしまった。
いつの間にか、最高学府、政府、マスコミ、放送局などに日本を内から崩壊させる日本人が入り込んでいる。

 他の国で、国旗国歌でこれほどもめる国がどこにあろうか。
私達の祖先が、命をかけて戦い、負けはした(近代戦で負けたのは、物量にもの言わす米国にただ一度だけである。)けれど日本は残った。
今一度、戦争を違う視点(マッカーサーは日本の戦争は侵略戦争ではなく、防衛戦争であったと認めた)で見直し、いまそこにある現実として、自分自身が、戦争になった時に、どういう態度をとるか考えるよすがとしたらどうだろう。

有無をいわさず、戦争はおこる時にはおこる。



映画上映もあります。
入場無料
「明治天皇と日露大戦争」-1957- 新東宝 監督 渡辺邦夫

「日本海大海戦」-1969-  東宝 監督 丸山誠治 主演 三船敏郎


            主催:もう一つの戦争展実行委員会
            連絡先 高柳祐一 電話 090-3056-2626









2004年11月12日(金) 「配慮」は「入りよ」



「政権は銃から生まれる」 毛沢東

「大国の台頭は必ず拡張の戦争を伴う。台湾は我々の拡張の第一歩に過ぎない。その次は、日本、東南アジア、アジア全体、そして世界全体なのだ」
-人民日報日中論壇-

 総兵力600万(陸上兵160万人、陸海空軍284万人、人民武装警察百数十万人)、戦闘航空機 3460機 戦艦 770艇
 
T-72型対人地雷を世界に輸出(世界中に埋められているT-72 は1億個以上といわれている)
 また、瀋陽軍区に390発の核弾頭、吉林省の基地及び安徽省石台基地「東風」「巨浪」名の核ミサイル50基(米調査で日本の主要都市、東京・横浜・仙台・名古屋・京都・大阪・神戸・福岡・沖縄に向けられている事がわかっている)
 を持つ国に、

総兵力24万人、戦闘航空機 480機 戦艦140、(同時に200近くの対敵識別能力を持つイージス艦も、反撃用の武器が取り除かれ、航空戦闘機も、大陸までとべないように、燃料タンクが取り替えられている。)しか持たない国が、上の国の潜水艦が我が領海内を侵犯したら、「配慮」?してやるそうで、国名を言わないそうだ。
「配慮」という言葉は、力のあるものがないものに使う言葉だろう、使い方を教えてやろう。

「首領様のありがたい御配慮で、一か月米4合が人民に配られた」                   -治ようせん金主主義貧民狂和酷-


上の国と国内左翼ジャーナリズムは一緒になって、ことあるごとに、何かあると、「軍国主義の復活」だとか、「右傾化」だといって騒いできた。気が付いて見れば、上の通りである。もはや自力で自国を守る事は出来ない。


参考文献:日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略
深田匠著  高木書房











2004年11月06日(土) 首をちょんぎるという事



 フランスの田舎から帰ってきてすぐに、インターネット上で、イラクの商社に勤める朝鮮人の首切り画像を見た。日本人の画像も流されたようだが、こちらは見ない事にした。同胞であるし、具体的に家族が目の前(国内)にいる。
 いくら脳天気な行動を取ったとは言へ、殺されてしまったんだから、せめてもの弔いとして、無念な現場は見ない事にした。
 
ところで、首をちょんぎるという行為は、昔から世界共通にあって、秦の始皇帝が、十数万人の首を権威を誇示するためにちょんぎったのをはじめ、古代ローマでは、市民に対する処刑も斬首刑だった。
フランスではギロチンで、日本でも、昔は武士は切腹の後、介錯人がいて首を落とした。

 この首切りと、かの首切りにどうちがいがあるか。あるのである。
歴史上に刑として現れた首切りは、迅速に事を済ませて苦痛なくしようという態度である。フランスのギロチンなどはそういう思いから考えられた。古代ローマの市民処刑も、キリスト教徒などは、はりつけや、動物刑(蛇を入れた房に放り込んでかみ殺させた)で無惨に殺されたが、市民はそうではなかった。
フランスでも貴族はほとんど首を切られている。首切りは「高貴」な刑だったのである。

しかし、今回見た、朝鮮人の斬首はちがった。
まるで、屠(ほふ)った、食肉動物の首を切るように、横に倒して、ゆっくりとざっくざっくと切り落とし。髪の毛を掴み首を高々と差し上げた。日本の武士も戦って打ち勝った相手の大将の首をこういう風に切り取ったと思うが、これは両者合意の上の事である。

 泣き叫び命乞いする朝鮮人を、卑怯にも覆面をして顔を隠し、斜め後ろから横に倒して、ゆっくりと首を切った。
 こやつらが、いくら聖戦だといって、たとへ後に政権をとっても、誰がついていくのか。結局テロリストはテロリストでしかない。











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