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金曜日に、だんご三兄弟ぢゃなかった、千住三兄弟の一人、千住真理子のヴァイオリンと、能の金剛永謹の共演(コラボレーション)があった。同日に観世会館で狂言のある日でもあったので、少しどちらにするかで迷ったが、狂言はいつでも見られるからと言う事で、こっちにした。 最初に言う。「木戸銭返せ!」
隣に座ったお婆さんが小声で言った。「お兄さん(おっちゃんなのに)、コラモでぇチョンて何え?」 「わはは…! 共演と言えばいいのに持って回った言い方するのが日本人の中にいるんですよ。」 お婆さんは、何だと言う顔をして前を向いた。 カタカナ横文字、新聞で、サッカーの実況で、野球中継で、あらゆるところで聞かれる。最近は映画もカタカナ横文字のままのが多い。何を気取ってというと、必ず「いや言葉はダイナミックに変化するものだからこれでいい、日本文化の活性化に繋がる」と言う人がいる。 ほとんど意味がない。だだ混乱し、一つの言葉に対して認識が曖昧になるだけである。 例えば映画制作に興味を持ち、コンビュータでその専用ソフトを使おうとしたとき、最初の障害は、内容の難解さではなく、この手のカタカナ語なのである。
曰く、ディレイ、セグメント、インスペクタ、サチュレーション、ヒュー 等 もうこれだけで辞書で調べるにも、ABCが分からない。お手上げ。 もう、*中馬庚(ちゅうまかのえ ) がbaseballを「野球」と造語訳した気概はないのだろうか。特殊な分野の専門家に売るソフトならそれでもいいだろうが、販売対象は一般の人である。 一度 数社に「今までの売り上げの10倍売る方法」をこの事に絡めて手紙を書いた事がある。 反応なし。
さて、「共演」はどうだったか。この奇をてらった企画をした連中は、両方の客を集めてどうしたいのだろう。 「上演が始まると席の移動はご遠慮願います」 そうだろう。 「携帯はお切り下さい」 ごもっとも。 ところがである。開演なって前半が終わろうとする頃にも、ばかばか遅刻者をいれる。係員が能に対して無理解で、すすんで拍手してこちらに促す。 能楽は西洋演劇と違って幕がない、顕著なこれから始まると言う境がない。だから拍手はしない。これくらいの事を始まる前に説明すべきである。 たん譚は、何かがあった場合、2.3の動作で外に出られる位置にいつも席を取る。左肩(もしくは右肩)は必ず通路に接する。挟まれる位置には金輪際座らない。映画館でも端の席がない場合、入館していても帰る。 今回は非常口すぐ横に置かれた、ちょっと高級なパイブ椅子に座った。この位置は目付柱(演者が面を着けた際、狭い視界の中で位置決めのためにある柱、観客にはとても邪魔だが取っ払うわけにはいかない)がちょっと邪魔になるが、通路に置かれていたので足が伸ばせた。 少し遅れてやってきた人達は、パイプ椅子席に座った。偶然にも、たん譚の周りは、礼儀を守ってだーれも拍手しなかった。係員が怪訝そうにこちらを見ていた。 千住真理子の出だしのヴァイオリンの音色はびっくりするくらい奇麗な音だった。ヴァイオリン演奏の中でも技術的に難しいと言われる、パガニーニの24のカプリース(24capricio) を披露したが、聞いていて日本人て真面目なんだなぁと改めて思ってしまった。 まことによく弾くんだけれど、「おもろない!」のだ。
なぜこんな偉そうな事を書くかと言うと、この曲、ワデゥム・レーピンとロビー・ラカトッシュの超絶の掛け合い演奏で何度も聞いているからで、最初聞いたときは逆毛立った。 ベルギーの有名レストランを拠点として演奏を続けている、酔っ払いで女たらしのおっさんが弾くパガニーニの方が心打つ。 解説者が言っていたような、「ストラディバリウスとの出会い」なんてあまり関係ない。
第三部は千住真理子のヴァイオリンと、能の金剛永謹の共演は、世に「油と水」の例えあり。合いませぬ。 狂言に行けばよかった。「木戸銭せ!」
*明治の文豪・ 正岡子規 の筆名の1つ「野球(のぼーる)」が野球の語源であるという説もあるが誤り。baseballの意味で「野球」という単語を子規自身が使ったことはなく、「ベースボール」「弄球」「投球」と言っていた。弟子の河東碧梧桐 と言う人が回想禄の中で、ベースボールを訳して『野球』と書いたのは子規が最初だが、それは本名の升(のぼる)にかけた、野球(ノボール)の意味であった。」と書いたため、「子規がbaseballを野球と訳した」ということになったらしい。
ただいま東京銀座の画廊企画の四人展を開催中、終了とともに来月はじめから少しフランスに行くため、絵の更新はおくれます。向こうから更新しようにも、電話もテレビもない所なので不可能です。今年中には更新します。
2004年09月17日(金) |
わっはっはの尾形光琳 |
最近、尾形光琳「紅白梅図屏風 (国宝)」に当然使っていると見られていた、金箔が使われていないと騒いでいる。先日、その一部始終の映像を見た。 東大の権威ある評論家だか研究家が、科学のメスによって金の含有が無いに等しいと結論が出て、あわてふためいて、あらためて、伊豆の MOA美術館を訪ねて、目を白黒させ困惑しきって、挙げ句、「これは新技法でそれを研究するためのものだ」と新 (珍)解釈を開陳していた。 これを見て、しばらく笑いが止まらなかった。 嗤ったわけは、それならば、その後の作品「燕子花図屏風」には、なぜちゃんと金箔がはられているのか、説明してみよ。どうだ、出来ねえだろう。 研究や実験は、点ではなく線である。それだけポンと出て終わるたちのものではない。評論家、無自覚な日本画家、なぜそういうことになったか、多分永久に分からんだろうから、たん譚の解釈に耳を傾けよ。 多分今の時点で誰も言っていない、一私見である。光琳の箔押しの痕が、京友禅に使われる渋紙を使った、型押しらしい事はわかっている。 光琳の生家は染物屋だった。 光琳のやった事は簡単にいうと、西洋の絵画でいうとトロンプルイユ (だまし絵)なのである。箔押ししたように光琳は型紙を使って描いたのである。
ここで、なぜだろうという疑問が出てくるのは当然で、そこから先は、口先だけの東大だか、へっぽこ研究所の先生には永久に分からない、にもかかわらず、たん譚センセーには、たちどころに光琳先生の冷や汗もののご苦労が手に取るようにわかったのであった。
モーツァルトの未完の曲「魔笛」は、スポンサーに金をもらって書いていた。天才に多い後先考えずに金を使ってしまい、やむにやまれず仕事する。光琳もそうだったと確信する。「紅白梅図屏風」の注文を受けて当然金箔などの材料費としての準備金をもらったに相違ない。
ところが使っちゃったんだなあ、そこでどうしたか、後は言わずもがなである。必死になって 「見せかけた」のである。 なぜこのような事を言うかというと、かって無名とは言へ、同様な経験をしたからである。時代が変わっても人の考える事は変わらない。 今は昔、ある縁で、大きな家を借りた事あり、持ち主は家族を伴ってイタリアに赴任していた。 家の一階最奥の部屋をトレーニングと鍛錬の部屋にあてて、バーベル、ベンチなどを置いていた。そのバーベルの鉄のおもり (プレート)を、それぞれ重ね合わせて畳の上に直に置いていた。 梅雨の時期を挟んで三ヶ月ほど欧州に旅行に出かけて家を空けた。 帰国して、トレーニング再開しようとプレートを持ち上げたらなんと、プレートから出た錆がくっきり畳みについていた。十何カ所も。
しばらくして、引っ越す事となった時、困ってしまった。畳は比較的新しく、丸替えするには、当時経済的に無理だった。 そこでどうしたか。思案の末、アクリル水彩にカゼインを混ぜたもので、錆びがついた部分に畳色をあわせ、一目一目そっくりに描いていった。プロにはともかく、素人目ではじっと凝視しない限り、絶対見破られないくらい色を合わせて描き込んだ。 やがて引っ越しとなり、裏庭の松の木の虫食いを言われたが、畳はなんのクレームもつかなかった。 …という経験から、きっとそうにちがいないと直感したわけである。 これが真実! か?
2週間くらい前の午後遅く、雷が遠くで鳴っている中、雪見障子を開け放ち庭に向かって座り毎度の瞑想の時間。両脇に2匹の猫を従へて。瞑想は半眼で行うので景色はぼんやり目に映る。 初めてしばし、庭の楠の木の向こう側に隣家の柿の木があって、そのすぐ上で青白い光の玉が見えたと思った瞬間、「ドーン」という音とともに停電した。 このとき、二匹の猫は一メートル位丸まったまま飛び上がった。 夜九時頃電気は復旧した。 サーバーとして使っているコンピュータはつけっぱなしにしていたので心配したか゜無事何事もなく起動した。
ところが、台所の換気扇が全く動かない。どうもこれが被害にあったようだ。翌々日に換気扇を新調して事は済んだと思ったが甘かった。サーバーに使っている親コンピュータが、何の前触れもなく突然ストンと切れてしまった。 やはり、雷の影響を受けてしまったようで、現在神戸の病院に入っている。 雷の大体の距離は、光と音の関係から距離が計算できる。いつも無意識に計算してて、あまり近いとコンピュータを消すようにしていた。が、今回はそんな時間などなかった。
山で遭わなくて本当によかった。山で雷に異常接近すると、もっているピッケルがジジジッと唸り、髪の毛が逆立つ。
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