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2004年07月27日(火) 萬麩食(まんぶく)



 先の日曜、京料理屋の主人の誘いで、お麩屋(麩屋町にはなぜかない)でやるという「水の會(「お」はつきません。)」というのに夕刻行ってきた。この會は、京都の有名な料理屋・老舗Bar・麩屋などが集まり開いている。
 
 麩屋(ふうや)は、屋号「麩嫁(ふうか、-仮名-」といい。府庁前畔にあって典型的な京町屋の佇まいである。ここの家前の15~6畳ほどの駐車場と、家の左右の空間を利用して、右側には子達のために金魚すくいが、左隣には、美山からの蕎麦の屋台、駐車場には、焼き鳥屋、お好み焼きでもちぢみでもない上等なクレープに似た具沢山焼き物。焼そば、肉の串焼きなどが出されている。
 
 家の中は玄関奥、厨房 工場 居間、すべて解放されて、好きなところを見つけて、落ち着き、調達してきた食べ物と一緒に、酒屋にあるような大きなガラス張りの冷蔵庫ふたつにある、ビール・酒・ワイン・焼酎・他を勝手に好きなだけ飲んでもいい。最奥は特設立ち飲みバーが開かれ。まるで小村祭だった。
 
 この食べ物を全て一流の料理屋の主人、店の板前が真剣に作っている。屋台の横には、「寸志」の箱があった。しかしこれは今回の會の主旨「ドイツ・トーデンドルフのシュロス(城)・ミツコに日本庭園を作る」のための寄付とされる。
 
 一流が作ると、似たようなものでも祇園祭にでる屋台の、茶髪の兄ちゃん姉ちゃんのつくるものとは違う。
 笹でくるんだ、こぶでしめた白身魚の寿司は、あまりの美味さにうなってしまった。大皿にてんこ盛りのてんぶら(薩摩揚げ)の中に入っていた、ごんぼのかりっとした歯触りにもうなった。美味い!!
お麩をからっと油であげた突き出しもてんこ盛り、俵の赤飯、お稲荷さん。京壬生菜をちらし、梅酢であえた田舎蕎麦。
 
 日本庭園を作ろうとしているのは、今日都外国語大学(きょうとがいこくごだいがく-仮名-)の、京都在住40年だかの独逸人教師(齢70超)で、画家でもある人。名前を裸出露麩(ラデロフ--仮名-)という。
 
 お腹一杯になる頃、競売(オークション、各人持ち寄りのもの)がはじまった。売り上げはすべて日本庭園造園のために寄付される。漫画「釣りバカ日誌」の北見けんいちさん、俳優のタク(TVによく出るらしいけれど見ないから知らない。  注* 渡る世間は鬼ばかりに出ている人で角野卓造と言う人だそうです)さん、陶芸家の辻村史郎さんもオークションに参加、出品していた。
 北見さんは骨董級の二眼のローライフレックスを出品していた。面白いもの、版画、絵画、肉筆チベット密教の曼陀羅画。銅の手打ち鍋、ワイン、鞄 などが出て、人気のないものには宝くじ10枚がつけられた。
 
 音頭をとって、ハンマーを振るったのは、大徳寺真珠庵のなまぐ、ぢゃなかった住職で、ユーモアがあり、和気あいあいの内に終了した。都合全部で100万円になった。
 
 一つ気になった事、アロハを来ている人が目立った。北見さん、タクさん、他、たん譚、全部同じ銘柄、波波寿(ぱぱす-仮名-)だった。おっさんの趣味は一緒らしい(そこいらの、同じブランドもの持って喜んでいるおねえちゃんと基本的に変わらん)。
 こういう集いにさりげなく*越後上布の薄物で現れたら、これ以上の伊達ぶり(ダンディズム)はないと思う。ま、これは夢物語だが。
*小千谷縮でなら出来そうだ。
 
 
*越後上布(重要無形文化財) …苧麻(ちょま)の茎の皮を剥ぎ、晒して、幾行程をへ、一本の繊維にして、さらに手で一本一本つないで糸にする。約1000万円(仕立代別)
小千谷縮 …新潟小千谷市で生産 しぼ'(皺状の凸凹)のある麻織物 高級スーツ一着分で買える。

 
 
 









2004年07月24日(土) この数日



宵山の室町、*役行者山(えんのぎょうじゃ山)、を祭り公開している民家の奥深く、二つの蔵の後ろにそびえる無機質なマンションビル。京都を皆が持っているイメージ通り、これからも観光の都で売りたいなら、これではだめだろう。
外国コンプレックスのない、環境設計家が出ないとだめた。

昨日夕刻、庭で 日暮しが鳴いた。紫式部が小さな可憐な実をつけ、山ごぼうも花が咲いた。蝉は朝四時半頃に判で押したように鳴き始める。

部屋の中では、四季に全く関係のない、コンピュータの内部をいじる作業が続いている。ファンがない上に、新しいハードディスクに交換してから起動しているのが分からないくらい静かになった。深夜三時、柱時計のカチコチの音の方が大きく聞こえるくらい静かだ。


*役行者 えんのぎょうじゃ 生没年不詳。7世紀末から8世紀初めに実在した、修験道の祖とされる呪術(じゅじゅつ)師。役氏の出身で、名は小角(おづの、おづぬ)役君(えのきみ)などとも呼ばれ,後に修験道の開祖として尊崇される。多くの奇跡をおこしたとつたえられるため、架空の人物とする人もあるが、平安初期の「続日本紀」の記事に流罪になったとあることから実在した人物と考えられている。









2004年07月17日(土)



 2週間くらい前に、フードプロセッサの鋭い刃で、小指を切った。
去年だったか、大型のカッターナイフで段ボール箱を解体している時、勢いあまって、刃が折れて段ボールに突刺さったその上に、カッターを握っていた手の親指が激突した。血がどくどく出てとまらない。タクシーを呼んで救急病院に行った。
8針縫った。見ていてこれは局所麻酔なんてかけなくとも、我慢すれば自宅で自分で縫えるとその時思った。

 小指は、つめ下から、第二間接近くまでぱっくりと口が開いて、5~6針縫えばふさがる位の傷のように思えた。傷を縫う針はクエスチョンマークの「?」の点を取った部分、もしくは洋服ハンガーのかける部分のような特殊な形をしている。 自分で縫ってみたかったが、家にはそんな針は置いてない。

そこで、まず、横になって小指の両側をつまんだ状態で、上に伸ばして、5.6分小刻みに中風のように震わせ、出血をある程度止める。そうしておいて、70%アルコールで消毒して、バンドエイドでパックリ開いた傷口を閉じるように巻き付け、包帯で補強した。

 自分でやったら変な痕が残るかも知れないと思ったが、かまわずほっておいた。でどうなったか。まだ現在皮膚が完全には出来てないようで、ちょっとものに触れると飛び上がるが、なんと、病院で8針だかぬった縫い痕は、いまだに痛々しく親指の先から根元まではっきり痕跡があるが、小指の方は、パックリ割れていた所さえ分からない。

 10針くらいなら、わざわざ縫う事はないかも知れない。その方が傷跡がめだたない。もっとも、変な折れ方した刃で切ったのと、鋭利な刃で切ったのとは違うかも知れないが‥。

 次回は麻酔なしで、自分で縫ってみたいと思う。









2004年07月12日(月) サマワ自衛隊宿営地へのデモから見えてくるもの



 サマワ住民約七十人の自衛隊宿営地へのデモがあったと言う。左翼系の新聞ならそれ見た事かと書立てそうだが、しんとして書かない。それも道理、デモ隊は日の丸の旗を振り「サマワ市民と自衛隊で安全な街を再建しよう」と書かれた垂れ幕を掲げて、おまけに、佐藤隊長に花束まで贈った。
 
 この様子を米CNNが五月六日に放映した。デモの直前まで、宿営地周辺では迫撃砲弾が相次いで撃ち込まれていた。なんでイラク市民が、自衛隊を守ろうとするのか。米軍が反応して、陸上幕僚監部などに問い合わせしたらしい。そこにひげの佐藤正久一佐(四三)がいたからと言う事になったが、多分なぜなのか西洋人には分からない。
 
 有力部族長が出した布告「日本軍を攻撃したら一族郎党を征伐する」
ここまで言ってくれるのはなぜだろうか。向こうではひげを蓄えている事が、大人の男としての証である。ひげならアメリカ人もたくわえているのもいるだろう。日本は何でも金で解決する、財布の紐がゆるい事は、以前にも、ODAのことで書いたが、そういうことを知っているイラクの部族長達は、遠路 自衛隊に面会を求めやってくる。

 この時である。この時に、日本人隊長は満面の笑顔で持って迎へたに違いない。西洋人がうす気味悪がるあの意味不明の「笑い」である。ようきたなぁ! ニコニコニコ。終始笑顔を絶やさなかったに違いない。無心をしにきているのに、この笑みはどうだ、と思ったろう。

 こういう 西洋人に理解できない日本の美徳は他にも多くあり、その大半は滅びた。「裸を人に見られたらはずかしい」と今は普通に思われているが、そうではなく「ラスト・サムライ」の映画に、ワンショットではあるが、沐浴シーンを見られても、恥ずかしがる事無く普通にふるまって対話する場面がある。よくぞ、ここまで昔の日本人の事を調べたものだと驚いた。

「裸がはずかしい」というのはキリスト教の思想なのである。アダムとイブが、禁断の果実を食ってから、羞恥心が芽生えて、局部を葉っぱで隠しはじめる。「知」すなわち「羞恥」という考え方。
 
 ところが、江戸時代前後に日本に来た西洋人は、日本人の性意識に異様に驚く。禁欲的でなく、野放図に見えた。なのに道徳・規律が守られている。
 キリスト教の司祭など、「世界で一番みだらな国民だ」とまで書いている。想像に絶したのだろう。
 だが。日本に何年も住むうちに、「性」を肯定した生き方が西洋人にも理解出来はじめる。
 西洋の価値体系とまったくちがった文明圏との遭遇であった。
 
 庭先で、行水していて、外国人が通りかかると、彼等を見るために平気で、素裸で外に飛び出していく。町の銭湯は、老若男女混浴で、若い女が体を洗っている横で、家族が洗っている。この事が信じられない西洋人達は、着衣土足のままで、銭湯に押し入り、見物した(体中毛むくじゃらの無礼なお方達を見て、日本人は彼等の事を、南蛮夷狄とよんだのである)。当の日本人は皆笑っている。
 
「性」を忌諱したわりには、サディズム・マゾヒズムを生み出し、胸元まで深く切れ込んだ服を着た西洋の女を見て、侍達は、紅毛の夷狄(野蛮人)と一笑した。
こういう観点から日本人を見ると、日本人はすでに滅びて久しい。
 
陸自幹部は「*戦わずして勝つことが大事です」と米軍担当者に語った、そうだ。(7/11 産経新聞朝刊)
 
 
*孫子の兵法「百戦百勝は最善ならず、戦わずして勝つことが最善」
 










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