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小さい頃、春が来ると、よく家族親戚で家から田んぼの畦を抜けて、山懐の開けた所にある陸軍墓地に、歩いて遊山に行った。陸軍墓地が聴き取れなくて、「りくうんぽっち」と、いい歳になるまで意味も考えずにそう覚えていた。 墓地といっても、墓や卒塔婆があるわけではなく、鉄扉で閉じられた奥、長い階段が上に続くその最上部に、日本の、故郷の、ために戦って亡くなられた人々への慰霊塔があるのみで、それも普段扉は堅く閉じられて入れなかった。その下ちょっとした広場に、幾本か桜が植わった中の、ひときわ大きな樹の下を選びお花見をする。 今思うと、春慶塗りのような、三段引き出しがついたお弁当箱を下げて行った。取っ手は、昔のタンスの引き手のようなものが付いていた、昔の公家の菓子箱のようなものだ。 中には、赤飯の盛相飯、ゆで卵、竹の子、金時人参、昆布巻き、林檎のうさぎなどが入っていた。それを大きな桜の樹の下で茣蓙を敷き、食べる。
四國の田舎のことで、普段日には人は殆どいない。だからどんちゃん騒ぎはなく、静かなお花見。風が時折強く吹くと、シャンペンの泡のように、花びらが舞い散る。陽は桜の木にほの暖かいぬくもりを伝えて、それが青葉が萌え出る前の木の周りに、桜餅のような香りを漂わせていた。 これからもみんなそろった花見が、毎年ずーっと続くと思っていた、幼い頃の夢のような思い出。
お花見が一番最初に出来る、沖縄の寒緋桜(カンヒザクラ)は、普通の桜と違って、花の色が濃く、下向きに咲くので、その下の花見はさぞ、華やかだろう。一番最後の花見は北海道のチシマザクラで、涼冷な、桜の下でのお花見もまたおつなものだろう。
子供の頃、緑色の花びらを持つ花を作り出したらノーベル賞??と言うことを博物館に勤めていた父の同僚から聞いて、それはこの世に今存在していないんだと子供心に思ったことがある。が、最近その緑色した桜があることを、知った。御衣黄(ギョイコウ)という桜の花は、淡い緑色をしていて、その木は、多摩森林科学園にあるらしい。東京にはよく行くけれど縁が無くてまだ見ていない。
展覧会の会期中たまった新聞を読む。本日の産経抄から、 有本恵子さんの北朝鮮拉致をはじめ、他にも関与した、新しい証言が続々元スナック店主・八尾恵証人から出ている。 昭和63年、すでに産経は「彼女が、北朝鮮工作員と接触」という報道をしている。その記事を八尾さんは「虚偽の記事内容で名誉を傷つけられた」と訴訟をおこし、横浜地裁は、産経に百十万円の支払いを命じ、平成七年十月、控訴中に和解が成立、八尾さんは請求放棄、産経は「おわび」を掲載した。
「和解に応じたのは、新聞記者の倫理としてニュース源を秘匿せねばならなかったからである」と産経は言っている。ニュース源が守られなければ、誰も情報提供してくれないだろう。そのことで、へたをすれば世間的に新聞社の信用が無くなっていたかもしれない。だが、産経は情報源を守るために和解した。鈴木宗男のムネオハウスも他社に先駆け去年の6月だったかに記事にしている。が、かなしいかな圧倒的に部数が少ない。
一方本日の朝日新聞天声人語 原爆を広島に落とした「エノラ・ゲイ」の副機長だったR・ルイス氏の手記が27日ニューヨークのクリスティーズで競売にかけられ、35万ドルで落札された。それに関してのコラム。
◆ 45年8月6日未明の出撃から時間を追ってつづる。原爆投下直後のことは「私たちは一体何人を殺したのか? 正直いって、語る言葉が見つからない。神よ私たちは何ということをしてしまったのか」。 という記述に関してコラムは、 「手記から見る限り、快哉の叫びではなかった。ルイス氏は、その後も悩み続けたらしい。しかし皆が彼のようではなかった。「眠れない夜などなかった」と語る当時の機長P・ティベッツ氏は「やるべきことをやった」と主張し続ける」
と書いている。これは何が言いたいのだろう?一見、両方の意見があって、バランスをとっているつもりなのか? このコラムからは何にも伝わってこない。副操縦士が心傷んだのは、戦時国際法にも反する行為、すなわち一般の市民の住居する中心地へ原爆を落とすという行為に心が痛んだのだろう。まちがって伝えられている真珠湾攻撃だって、一般の居住区にあやまって被弾した所はあるけれど、軍事施設しか攻撃していない。 このコラムではっきり無辜の市民(戦闘行為をしていない)を殺したと言えば、すっきりわかるのに、朝日は前提が「日本が悪いことをした」と日頃主張し、刷り込まれているので、なんだかあやふやなコラムになってしまうのだ。 産経と好対照である。
「あんたはウソつきだ」「疑惑の総合商社です」などとムネオ疑惑追及の急先鋒(せんぽう)だった辻元清美代議士の“ピースボート”が揺れている。今度は当人の疑惑で、してみると辻元ピースポートは「疑惑の百円ショップ」か?と産経抄の石井さんが書いていた。あははは…大笑い。 座布団一枚!!
正義をとことん通すと国滅ぶ。
昨日21日から広島天満屋で個展開催中です。広島におります。
2002年03月21日(木) |
見過ごしてら!わー危険!! |
文部科学省に答申した「新しい時代における教養教育の在り方について」という中教審(中央教育審議会)の臨時委員の一人、数学者の藤原正彦氏は、次のように言っている。
「今年の四月から小学校では、英語、パソコン、創造性や起業家精神などを教え始めます。どれも小学校では不要です。小学校では、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下なのです。…国語こそがすべての知的活動の基礎であり、…国際人になるために、英語よりはるかに大切なものです。」(三月五日/産経)
中教審が言いたい事の要約以下。
「日本人としてのアイデンティティの確立、豊かな情緒や感性の涵養には、和漢洋の古典の教養を改めて重視するとともに、すべての知的活動の基盤となる国語力の育成を、初等教育の基軸として位置付ける必要がある。」 「教養を形成する上で、礼儀・作法をはじめとして型から入ることによって、身体感覚として身に付けられる『修養的教養』は重要な意義を持っている。このためにも、私たちの思考や行動の規範となり、教養の基盤を形成している我が国の生活文化や伝統文化の価値を改めて見直す必要がある」
幼少年期には、「絵本や昔話の読み聞かせ」「家庭での年中行事や地域の行事への積極的な参加」「子どもに毎日決まった手伝いをさせる」「『我が家の決まり』づくり」などを奨励し、「国語教育を格段に充実する必要がある」として、「名文や詩歌等の素読や暗唱、朗読」「朝の一〇分間読書」などを奨励してゐる。
これを取り上げたのは産経新聞だけのようだから、世間は多分殆どが知らないだろう。
かって歴史的仮名遣いの論争で、福田恒存は、例えば、人は漢字を500しか覚えなくても良いと言われれば、500以下しか覚えないのは当然で、人の性として易きに付くと言っている。 理科で星座を3つしか覚えなくて良いだとか(見上げた夜空は星だらけ)、三桁の計算はしなくて良いだとか(今時子供の年玉は三桁は軽く越えている)。人の覚える能力まで、干渉しようという文部科学省の、寺脇研は東京大学卒である。出来ない子への哀れみと慈悲らしい。
寺脇研は平成5年から8年の間、広島県の教育長を務め、高校進学希望者は入試で0点でも全員入学できるという「高校全入」政策を押し進めた。その間、広島県の学力は急降下し、国公立大学入試センターで平成2年には全国都道府県中21位だったのが、8年には45位と全国最下位レベルとなった。犯罪を犯す少年の比率は、千人当たり23.9人と全国一位(平成9年)である。こういう失敗をした人が、その責任も追求されずに中央官僚として「ゆとり教育」をさらに押し進めているのだ。
2002年03月18日(月) |
韓国での心得(W杯によせて) |
W杯で韓国の友人に家に招かれたときの心得、まず、「こんにちは」といい、居間に案内されたら、おとなしく座ってなど居ず、ずかずかと台所に入って行き、勝手に冷蔵庫を開け、何でも好きなものを食べよう。遠慮なんかいらない。 それが韓国の親しさの基本なのだ。
◆あなたが学生であれば、大学の研究室に、担当教授が居ない間にあなたが入って、教授の机の上に、菓子折が一箱あったら、遠慮なく全部食べたいと思ったら、全部食べてしまおう。そこに先生のノートがあれば、食べながら、勝手に開けて読んでしまおう。それが韓国の親しさの現れなのだから。
◆隣り合わせで一緒に勉強をしていて、ちょっと消しゴムを借りたいとき、隣に座っている韓国の友人には、「ちょっと、貸してね」なんて断ってはいけない、「なんだこいつ、ほんとはまだ腹を割ってくれていないんだ」とうたがわれてしまう。だまって使おう。
◆文化的話題で、李朝の青磁の話はしても、日本の茶道でよろこばれるような、いびつで不完全な陶器の話はよしておこう。あれは、韓国に限らず、ほとんど理解されない。 もし、箱書きのある織部を見せても、彼等は犬の餌入れにする。 韓国での食器の高級品とは金や銀ではなく、ステンレスなのだ。思い当たるでしょう?冷麺のあのステンレスの食器。華道も名前だけは同じだけれど、韓国では、活けっぱなし。枯れても気にならない。いっそ、ドライフラワーが好きである。
◆友がお金に困っているときは、財布の中身を全部渡そう。そうでなければ、親友と言えない。
◆韓国の街の中にはお墓やお寺がない。 京都のように、町のカメラ屋額縁屋のすぐ裏がお寺なんてことは、ない。死者と生者の境界をはっきりわけて暮らしているからだ。 W杯で韓国の人と友達になっても、歴史について話してはいけない。勧善懲悪がはっきりしていて、悪は常に日本であることを覚えておこう。 最近、ソウル大学出身の評論家の金完燮(キム・ワンソプ)がようやく、日本を一方的に悪者してきた、過去の歴史や政府歴史教科書マスコミの歴史観を全面的に批判した本を出したが…。
◆ 文化的な例えば陶芸一つ、普段の接客ひとつとってもここまで常識がちがう。簡単に友好などとは口がさけても言えないのだ。これに、歴史観の違いから来る憎悪が入ってくる。
以上は韓国済州島出身の、呉善花さんの著書から学んだ。
昨日、宝ヶ池国際会議場であった、第三回世界水フォーラムの前年催しに行ってきた。作家で日本財団の曾野綾子さんが講演されるのを知ったからだ。開始は市長の挨拶、その後、白川辺りの粟田小学校の生徒四人が出て、川に入っての清掃作業の報告などをした。終わったら、桝本市長が駆け寄って「感動しました!」 始まって十分近くで、そんなに気持ちがたかぶってどうする。まだこの会議は四時間近くもあるのだ。それに、この台詞どかこで聞いたなぁと思いきや、なんだ、小泉首相が「怪我をおしてよくがんばった、感動した!」と貴の花にいったあれと同じだった。 水を大切には言わずもがなだと思うが、それと、市長の言う、「来年は人権の年でもある…??」なんじゃそりゃぁ! 途端にこの会議が怪しくなってしらけてしまった。「地球に、環境にやさしく??」
こりゃあかんわ!で、なんでこんな考えの下に曾野綾子さんが講演するのか、一瞬不可解だったのだが、講演が始まって、「私の講演はこの会の趣旨をひっくり返してしまうかもしれないが」と、ぼそっとおっしゃった。
来年開かれる水会議において、やさしいと言う言葉は使わない方がいいと言った。サウジ・アフガンの話がで、川は枯河で、掃除なんかしたくても出来ない環境のところが殆どで、河川に恵まれているのは一部の国だけで、特に日本は特殊な国ですともいった。
アメリカが目の色変えて探している、ビン・ラディン(ビンは息子という意、すなわちラディンの息子、レオナルドダヴィンチも、ヴィンチ村のレオナルドと言う意で、苗字はない)はどこにいるか?簡単である。水のそばにいるという。そういう国から日本に来た人の水に対しての素朴な質問、「飲める水で体を洗って良いのですか?」これほど日本人と世界の水への感覚は違う。トイレも同じ水で流している。先のアフガンでビン・ラディンはどうしているか?紙なんてものはない。勿論、水洗なんてとんでもない。用を足した後、大抵はそのままか、付近の石ころで拭く。 こういう環境の人を交えての来年の水会議は果たしてうまく行くか案じているといった。 これまた、時間のある人達が作り出した行事だろう。何でも自分達の問題を世界にまで広げてしまい、同一化しようとする。開いてみれば、あまりの認識の違いにあたふたしてしまう。曾野さんはその事に暗に釘を刺したのだ。日本は特殊だと重ねて言う。
遊牧民は移動していく民だから二度と同じ場所に戻らない。だから全身に財産を身につけ動く、その民が時折、金持ちに現金を無心にくる。その一人が腕に金のブレスレットを一つしている。見ていると金持ちは日本円で50円ほどを恵んだ。数日後、今度は別の金のブレスレットを5つしている人が来た。その金持ちは前に恵んだ数倍の金を恵んだ。 不思議がって聞くと、その人の格に応じて恵まなければならないという。日本人ならそんなに財産があるなら、少しでいいじゃないかと思わないか? 事程左様に価値観の違う日本人、それが世界水会議をやる。
来週、広島の天満屋デパートで個展があり、東京の画商あて、家から、数十点の作品をクロネコヤマト便(宅急便の一つ上)を頼んだ。 よくクロネコ宅急便は取りに来てもらっている。今回もその延長のつもりで頼んだのだけれど、なんととりに来たのは、小柄な、まだ女子大生の面影を残した女の子。 四つからなる荷物の荷姿をみて、まずとまどった。額入りの梱包の一つは二十数キロあり、絶対一人で持ち上がらない。 この時の、彼女の情け無い顔、どう考えたって強がったって動かせないのは一目瞭然。不可解なのは、なぜ彼女は、軽い部の宅急便ではなく、ヤマト便という所に配置されたのかである。平和の時代の男女平等論からきたのだろう。 結局、自分でヤマトの車まで運び、車に乗せた。彼女一人では絶対持ち上がらない。
これと似たことが、自衛隊でも起こっている。入隊して潜水部隊に入ったはいいけれど、重い装備で海からボートにはい上がる際、女の細腕では自らの体も引き上げられない。他の隊員が二人係で、その女隊員を引き上げるのである。はっきりいって秒を争う時にそんな事をしていたら敵に狙われて全滅である。 だから女がどの領域にもしゃしゃり出てくるのは反対である。オサマ・ビン・ラディンが、Tシャツの下にくっきり乳房を透かせて、横柄に林檎を囓り囓り、銃を片手にする米国女兵士に烈火のごとく怒った、この点だけは同意出来る。女は女の持っている優しい母性をいかした職業に就いて欲しい。 戦争や力仕事は男のものだ。女が戦争などにしゃしゃり出てくると、ろくな事にならない、昔アマゾネスという女戦闘集団がいたが、アマゾネスというのは、「乳を切り取った」と言う意味があり、すなわち男のようにという意味がある。 田島洋子・福島瑞穂などがその急先鋒である。
出来の悪いわが子が人を殺して犯罪者になったら、重吉孝一郎裁判長に審判してもらおう。山口県光市の新日本製鐵社宅で、当時18の男が最初から性的暴行を加えるために侵入し殺した後暴行、横で泣いていた生後11カ月の赤ちゃんを床に叩き付け!殺した。この男は、牢獄の中から友人に向けて、実に正気の沙汰と思えない手紙を書いている。 「そこにいる犬に暴行して何が悪い」 「選ばれしものは何をしても良い」「また同じ事をするかもしれない」と。もっとひどい文が続くが、これはキチガイである。 これに関して、手紙の中に最近少し「反省の文が見られる??」から無期懲役にしたとしげきちは言う。 まちがってはいけない。無期とは死ぬまでと言う意味ではない。期限がないということ、情状酌量によって5年で出てくるかもしれないのだ。
生後間もない子供を床に叩き付けて殺すような人格と、反省は結びつかない。人を殺した後で、「反省」などというピントはずれな言葉は意味がない。やったことに関して言いあらわせる言葉があるとしたら、消極的な.「後悔」しているという言葉しかないだろう。一遍、アメリカの裁判官にその「反省」と言う言葉を言って見ろ!概念が無い上に、ピントがずれてるから、目を白黒させるだろう。裁判は理で詰めていくもので、大岡さばきはゆるされないのだ。
死刑の怖さは、いつくるかしれないその日に怯えながら暮らすことにある。だからこそ、意味があるのに、人権派団体は犯罪者の人権をいう。人権はイデオロギーであり、そこにあるのものではない。人権は神の下で等しく人である権利、フランスならば税金を払っている国民にある。日本は神を棄てて人権だけ真似した。
敵討ちか死刑、もしくは犯行をおこなった子の父母が責任をとって自害する。それしか世間は納得しないだろう。
2002年03月13日(水) |
生きている人、死んだ人 |
春先うらら、法然院の墓地に散歩、佇み歩く。
河上肇の墓の前、
碑に「多度利津伎布理加幣里美禮者山河遠古依天波越而来都流毛野哉」 「辿りつき振り返り見れば山河を越えては越えて来つるもの哉」
この社会主義経済学者は今ほとんど忘れ去られた。多くある社会主義関連の著書他に、「貧乏物語」というのがあるが、それを読むのだったら、ビートたけしの「たけしくん、はい!」を読むほうが貧乏がわかる。社会主義・共産主義には、自分を笑い飛ばすユーモアが決定的にない。花も線香も手入れの跡も無し。すなわち死んで久しき人。
谷崎潤一郎の墓の前、
白い花が六つの花差しにそれぞれ祀られて、この作家はまだ、現代でも忘れられていない事がわかる。著作の「陰翳礼賛」は現代の建築にも、多く考える事をさせる力を持つ。日本画家の福田平八郎夫婦と仲良く隣り合って、静かにたたずまう。 ともに、今も生きている。
九鬼周造の墓の前
18世紀後期の江戸に発生した美的理念「いき」を、ハイデッガーの論理と方法論を用いながら、初めて本格的に学問的に取り上げた。何も、西洋の思考法を使って、だから日本固有のものだなんて言わなくってもねぇ。
「いき」は日本のオリジナルと主張した。英・独語のシックがいきと訳されているが諸事についての「巧妙」の意味をもっていた。chic の原形は schick でschicken から来たドイツ語らしい。その語をフランスが輸入して、次第に趣味についての elegant(2ヶ所のeにアクサン・テギュ)に用いるようになったようだ。
この人もほとんど忘れ去られている、江戸の粋も、殆ど失われた。この人は今危篤状態。
内藤湖南の墓の前
シナ史学(東洋史学という学問のジャンルは、明治の後期まで依然として江戸時代の古色蒼然とした<漢学>の殻を引きずっていた。内藤湖南は在来の漢学を一変させて、人文科学的なシナ学に改革した先覚者)のみならず、日本史にも新風を吹き込んだ。江戸期の儒学、医学、国学について独創的な意見を発表し、近世文学史論を執筆している。江戸中・後期の無名の独創的思想家、富永仲基(とみながなかもと)や山片蟠桃(やまがたばんとう)を発見した。在野の学者(本業は商人)でもある仲基や蟠桃は、ものごとからその本質を抽出し、実証性を高く評価するとともに、徹底した合理的思考を展開した。
この後、宮崎市定、他が出て、現在も支那学は当の中国よりも進んでいる。学問的には生きている人、一般にはもう死んでいる人。
時折、うららかな日、ここに来て死んでいるけれども、まだ活きのある人達と語らうのである。
2002年03月11日(月) |
日本人の脳
-外人にこおろぎの鳴き声は聞こえない?- |
林秀彦(作家)と角田忠信(東京医科歯科大名誉教授)との間で交わされた対談の抜粋。 以下。
角田 外国から日本人の異質性、特異性が強調されるのはなぜか。そして、われわれもどこか彼らから阻害されているように感ずるのはなぜか。 それはやっぱりわれわれが文化として根強く持っているもの、外界を認知する枠組みが彼らと大きく異なっているからなんです。
林 その枠組みとはですね。「日本語」によって形づくられたもの
角田 そうです。ただ日本語に行き着くまでにはいくつかの過程がありました。まだキューバが〃鉄のカーテン。の向こうにあって往来に大変な制限があった頃ですが、学会に招かれて講演したことがあります。西側からの出席者は私一人で、あとはソ運、キューバ、東欧圏の学者ばかりです。 ある夜、大きな庭園でパーティーが開かれたんですけれど、もう草茫々で(笑い)、コオロギか何か虫がしきりに鳴いている。 それがザアザア雨が降っているような音なんですね。私にはそれが虫の音だということが分かる。ところが周囲の人間は誰もその音が分からないんです。
林 虫の音だと分からない?
角田 いや、「聴こえない」と言うんですよ。全然聴こえないと。ロシア人もキューバ人もみんなです。音に気がつかない。私にとってはザアザアとあんまり情緒的な音ではなくて、うるさくてしようがない。そう言ったら、案内をしてくれたキューバ人の男女が「先生はきっとお疲れなんです。
早くホテルの部屋に帰って休まれたほうがいい」と言うんです。帰り道に、ひときわ激しく鳴いている草むらで、「ここでたくさんの虫が鳴いているのが分からない?」ともう一度たずねて、二人で代わる代わる草むらに首を突っ込んで聴いてもらったんだけれど、それでも二人とも、「聴こえない」と言うんですね。こんなことがあるのかと、もう私は本当にびっくりしました。
それから毎日その男女が迎えに来てくれて、一緒に行く道すがら、「これが虫の音だ」と教えていたら、三日目ぐらいにやっと男の人のほうが気がついた。虫の名前も知っていました。でも女の人はとうとう二週間まったく分からなかった。 ところがこれを学間的にやると、つまりその虫の音を録音してレシーバーを通して聴かせたら、これは誰でも分かるんです。音をモノとしてテープにして聴かせたら分かるけれど、自然にあるがままの状態だと分からない。
日本人と西欧人ではまったく違っていました。これは本当に驚きだった。西欧人では、左脳は言語音と子音、計算をつかさどり、あとは音楽も、機械音も、泣き笑いの声も、動物の鳴き声や、虫の音もみんな右脳がつかさどっています。 対して日本人は、音楽と機械音などの雑音は右脳ですが、あとはすべて左脳だったんです。言語音も、子音も、母音はもちろん、泣き笑いの声や動物の鳴き声、虫の音……、まさに日本人にとって左脳は有機的な心の世界、右脳は無機的なモノの世界なんです。
林 それを私なりに解釈させていただくと、ガイジンにはすべて雑音に聴こえる鼾(いびき)、動物の声、ハミング、嘆きの呻(うめき)欠伸(あくび)、泣き声、小川のせせらぎなどまでが日本人には全部意味のある言語音として左の脳に入ってきてしまう。 日本人が疲れやすく、過労死が多いのも、日常のこうした「意味音」がガイジンに比べて圧倒的に多いせいではないかとも思っているんです。
つまり右脳に比べ左脳の偏重便用過多、ということですね。たとえば虫の音がする所で人と会話するのは、二人の人間と同時に会話しているのと同じような状態になる。こうして自然の発する音がすべて言語音としてとらえられるということは、それによって神経や感性をも刺激するということだから、それは日本人の鋭敏な感覚や情緒を育てたことになる。 文字どおり花のささやきを聞き取ることができる。日本人の美意識、「もののあはれ」は、ここから生まれたというふうに思うんです。
角田 ロゴス(言語)とパトス(情緒)と自然が混然一体となった日本文化の特徴と、日本人の脳の機能は見事に一致する。私も脳の働きのレベルで文化論の裏付けがとれたように思っているんです。
林 ガイジンにとっては左脳はロゴス、右脳はパトスですが、われらが日本人はそんな"器用な〃使い分けができない。ロゴスもパトスも一緒くたに左に入ってしまう(笑い)。 ガイジンなら右に行く虫の音が日本人では左に入ってくるので、それに意味を持たさざるを得ず、一定のカテゴリーに当てはめることになった。これが日本語に擬声語、擬態語を極端なほど多様に、豊富に生み出させた原因ではないか。 そして、これらのことがガイジンと異なる自然認知の精神構造を育て、自然を人間と対立するものではなく、一体不離のものとする感覚に導いたのではないかと思うんです。 こうしたごちゃごちゃなところが八百万神(やおよろずのかみ)の源であり、日本人の「こころ」を形づくったのではないか。 ロゴスとパトスがごちゃまぜになっているもの、それがハートでもなく、スピリットでもない、日本人独特の「こころ」ではないかと。
角田 なるほど。しかし、そういう日本人の特異性というものは、外国人から見たら決して愉快ではないというのが、実のところ私の正直な感触です。
月刊正論より引用 * *******
結論として日本語は短音の母音がキーになっていて、一語で発音して意味をなす語例えば「e(柄、絵、衣)」や「u(鵜、雨、羽)などを多用している。こういう民族はポリネシアに少しあるだけで世界に例がない。 つまるところ、西洋人でも日本で育ち日本語をマスターすると、日本人の脳になるところが面白い。これで俳句が外国人には理解不能なのがよくわかった。 こうろぎも、時計の音も、風も、日本人はすべて言語脳(左脳)で聞くからという事になる。
子豚ちゃん、庭の芝生で笑ってる。
(何年も前のニューズウィークだったかに掲載された全米俳句優勝者の句) ヽ(。_゜)ノ
◆物理学者で慶応・津田塾大の教授を勤め、二三年前だったか亡くなった三石巌さんの主張に「分子栄養学」というのがあって、要するに体内に発生する活性酸素をいかにやっつけるかという問題に、アメリカの栄養学者(名前は忘れた)、がビタミンCの効用を説き、C摂取が流行となった事に異論を唱え、それだけでは駄目で、ビタミンEも同時に摂取しないと効果は少ないと説いていた。活性酸素の毒性に着目して、それを中和するビタミン類の摂取を勧めたり、良質の高タンパク食を推奨していた。
◆最近、マスコミで、ルルドの泉の水や、その他奇蹟の水のような働きをする、九州のある地区の水が紹介され、いろいろな水質実験をした。多少の違いはあるものの、成分に大きな違いはなかった。にもかかわらず、実際に薬効に近い効果があり、確かに治癒効果があるのだという。
◆名前は忘れたが、ある学者が、水はH2Oだ。活性酸素は遊離したO で、ひょっとすると奇蹟の水と言われる物の中には、遊離した活性水素が存在し、体内で発生した有害な活性酸素と結びつく。するとそれは水になるわけだから、体内で無害となり、排泄されるという新説を唱えている。慧眼である。きっとそうだという感じがした。
◆三石巌の論の上を行くような仮説だと思う。もう二十年位、家では朝飯は水である。現代栄養学はきちんと三度三度食べないといけませんなんていうが、一日三度食べる歴史は浅いのだ。朝それとどうしても動く(通勤や通学で)ので、糖分はとらなければならない。それはあめ玉一個、チョコレート一かけでもよい。だから、家ではエスプレッソ(濃いアラビカ種のコーヒ)と砂糖代わりの板チョコ一欠けが第二次朝食となる
◆かって慶応と早稲田で、朝抜きとそうでない学生の知能実験と体力実験をした。一ヶ月かけての調査だった、NHK で放映された。朝抜きの方が、知能テストは結果が良く、体力は山登りの実験で、朝抜きは午後からばてる率が多い事がわかった。朝の糖分補給がゼロだったせいらしい。 活性酸素(毒素)は当然三度三度食べる人に多く発生する。もし、上の仮説が正しいとするなら、より多くの水を摂取しないといけないだろう。
2002年03月03日(日) |
それでも友達になりたいか? |
中国の、人気ネット愛好者のいる「新浪網」で、水中調査開始への意見を求めたサイトには、四日間で約五百通の投稿があって、その多くが「対日開戦を」「調査船を撃沈せよ」「核攻撃すべし」と言う意見が多く見られて、中国政府の対応の軟弱さを逆に批判しているという。 日本で逆の事が起ったら、一般の国民がこれほどまでに激昂し、日中開戦だの調査船を撃沈せよだのと言うだろうか? 中国政府自身が不審船に対しては、双方で慎重に対処すると言うことで合意しているにもかかわらず、である。どうしてそう言う風に考えがなるのか?
ここで中国の教科書を見てみよう。一体日本がどう書かれているか。まず、書かれ方は中国共産党製の一種類の国定教科書、言ってみれば歴史観は一つだけで、(日本は、基本的な事は共通させる事はあっても、歴史観はいろいろな解釈の下、教科書が複数作られる)選択の自由はない。内容は、日本の記述が全体のバランスを欠くほど異様に多い。「抗日(日本に対する闘争)」の事ばかりほぼ全体を埋めている。
小学校高学年用読本に『小学生が知らねぱならない中国の十の話』という教科書があり、全体で十章のうち、三章が日本の侵略残虐、そして中国の抗日闘争のみ記している 高校生用の『中国近代現代史下巻』は一九二〇年〜九〇年代までの約八十年間、合計二十三の章のうちの九章が日本との戦争が書かれている。中国の現代史のうち全体の四〇%が抗日の闘争を教えることに捧げられているというのが、中国歴史教育の実態なのだ。
歴史教科書が一様に日本の「侵略・残虐」を目一杯、きわめて頻繁に、しかも「残虐性」を強烈に印象づけるために多数の絵や写真を載せ、その上さらに生々しい描写で教える。例えば、日本軍の南京の攻略占領について、「日本の侵略軍はわが同胞の中国人を銃撃し、銃剣で刺し軍刀で首を切り腹を切り裂き、溺れさせ生き埋めにし、殺人ゲームを楽しみました。南京城内には血が川のように流れ、死体が山のように積み上げられました」「日本の悪者どもは恥をなくして、婦女を暴行し、十二歳の幼い女の子から六十歳以上のおばあさんまで逃がしませんでした。彼らは狂ったように人間を殺すことで勝利を祝ったのです」(当時安全区に一般人はいて、こういう事件はありえない) 以上が、小学校四年生、五年生への歴史教育のほんの始まりなのだ。
公式の中国教師用教育指導要項
「南京大虐殺については血に満ち満ちた事実により、日本帝国主義の中国侵略戦争での残虐性と野蛮性を暴露せよ。教師は授業ではとくに日本軍の残虐行為の部分を生徒に裏側に読ませて、日本帝国主義への深い恨みと激しい怒りを触発きせ、生徒の胸に刻ませよ」 とある。要するに国をあげての激しい憎しみ・憎悪を小さい頃から教えて仮想敵国として育てている。韓国もまったく同じだ。 中国の教科書に登場する「日本人」は米国での卑称「ジャップ」と同じ意味合いの「日本鬼子」「日寇」「倭寇」という侮蔑的な呼称で呼ぱれている事も覚えて置いていい。
日本の「侵略性・残虐性」が生徒達の頭に膨大な分量、生々しく強烈な形で不断にたたきこまれるのに、一九四五年八月に戦争が終わった瞬間から教科書から日本は消えてしまう。戦後の平和的な日本については何も教わらない。中国の教科書は戦後の平和主義的な日本についても、日本が中国と和解したことについても、なにも教えない。 日本の平和主義的な憲法についても、日本の中国への巨額の経済援助供与についても、なにも教えない。戦後の一貫した中国への友好的な姿勢も中国の教科書に記されることはない。だから中国の生徒たちが日本につい.て学ぶのは、日本の戦時の侵略と残虐だけとなる、このままで、成長し、インターネットを始めたらどうなるか?冒頭に書いたようになる。
参考文献:古森義久著書全般
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