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2002年02月28日(木) 総合大病院に行く




 CTスキャンを受けようと、紹介状を持って、総合病院に出かけた。あのロビーの人混みはものすごいものがある。この人達はみんな病んでいる人達で(中には付き添いもいるだろうけど)、朝のはよから診察をまっているのだろう。まず、見てもらうまで小一時間はかかる。役所みたいな手続きを踏んで、何番窓口と回らなければならない。
こう言うことがもっとも苦手で、どこでどうして良いかまったく頭がパニックになるので、家人に書き込みすべてやってもらった。神さん(この場合はキリスト教)は上手く人を作ってあって、二人で一人前で、満足のいく事が出来ると言う、主張を認めないといけない。分身はまことに、てきぱきと書類と手続きをやってくれる。
 それで、診察は10分位、待たされる場所を3度ほど変えて、その度に、暗鬱な気分で同じような、何らかの疾患を持った人達と待合いで過ごす。笑いはない。この時は、ロビーに置かれているテレビから、どこかの寺の読経が流れていた。「なんみょうほーれんげきょう〜♪ なんみょうほーれんげきょう〜♪ 次はわてとこでっせぇ!Ω\ζ゜)チーンッ…」と言ってるようで、あんまり気持ちの言いものではない。

 診察が終わり、CTスキャンの予約が取れて、支払いの段になってまた驚いた。15.〜6人の人達が並ぶ、精算所の中の職員を見ていると、異常に手際が良く、次々にこなしていく。関心しばらく、窓横に描かれているロゴにはっとした。精算所はロビー内に設けられた銀行であった。地方銀行の行員が働いていたのだ。
どうりで金の数え方、確かめ方が常人ではない。次から次へと来る、客、じゃぁなかった、患者さんの支払いのための列が有る程度以上長くならないのはそういうことだった。

 いつまでも呼ばれないので、数えてみた。放送で請求書が出来ましたと言って、呼ばれる人達は平均一回に10名くらいで、実に八十番目くらいに番が回ってきて、請求書を窓口に取りに行き、それから支払い窓口に並んでまた待つ。ほとんど半日から一日潰れる。

 学んだこと、各科の窓口にぎっしり詰め込まれているカルテの一つに自分のものがある。見られる時に、3.4人に取り囲まれ、先生は授業をしながら、(口答諮問)診療を進める。最初に聞き取りする先生と見る医者はちがう。
これではどこかで行き違いが出来るのは当然だろうと思う。
だから、町の個人の開業医などを普段は使って、お互い仲良くなって、何でも話せるような関係になって置き、どうしても手に負えないときや設備のない時に初めて総合病院に行くのがいいと思った。
病院のテレビは、軽いお笑いの番組や大自然のドキュメンタリーをながせばいい。笑っていられないときこそ、笑い飛ばす。
携帯電話(必要ないので持たない)を上手く使えば病院で待つ時間の無駄を解消できると思うのに、電話会社は一般人だけに携帯をひろめてしまった。病院にこそ、携帯のシステムをとりいれるべきだと思った。









2002年02月26日(火) 三度(みたび)、くじら食え!



それみたことか! 前に言っていた事が当たった。(2002年01月24日(木)  くじら、食べろ!!002年02月18日(月)  どないすぐきや!(京都やから)
)海中に何か異変があり、逃れていて浜にのりあげたのだろう。それだけいるのだ、鯨は!

鯨と海豚(いるか)の境は、学術的にも蝶と蛾のようにはっきりしていないらしいけれど、今回の八十数頭のあれは海豚に見える。
さて動物愛護団体、先回の九州の処理費、14頭で6200万円だ、今回約6倍の鯨がうちあげられた。かかる費用は3億8千万位かかる。だーれが出すんだ!?

 グリンピース、鯨ウオッチングで可愛い、可愛いと言っていた人達、今回も葬式あげてやるんだろうな! 問題は簡単で、今回はさすがに隠せなくなって、肉をもって行った人達がいたという。それでいいのだ。狂牛病の疑いがある、牛食うんだったら鯨を食べたらいい。

京都の錦市場では、ほそぼそとミンク鯨の肉が売られている。400g4千円近くする。何度も書くが、確実に鯨は増えている。増えた鯨は、人が三年かかって食べる小魚類を短期間で食ってしまう。









2002年02月22日(金) おもろないぞ!冬季オリンピック





 ほんまに不甲斐ない。見ていてがっかりする。ジャンプなんかの実況アナウンスの力の入れ方が空回りする。いくら練習の時に大ジャンプしても、本番でだめだと期待持たせるだけがっかりする。
選手達は「楽しんでやりたい」と判をついたように言う。楽しむのなら自分の金でやれ! 国を代表して全額だしてもらってるのに、それで楽しむはないだろう!と誰かが言っていた。異論なし。見ていて清水だけが「悔しい」と言っていた、そりゃそうだ、0.03秒なんて普通の運動会だったら同着で金メダルだ。そんなもん、時計の性能がアップするにつれてなんぼでも計測できるに決まってる。
それに他の国の選手に比べて目に力がない。あれでは勝てんわ!
それとインタビューの会話の情け無いこと。日本語能力はそこらの茶髪の姉ちゃん兄ちゃんとまったくかわらない。「何とかでぇ…それで何とかでぇ…」と永遠と続く。本人は自覚してないようだが、「…でぇ」と続けると終わる言葉も終わらなくなる。言葉の無法地帯。駅前に行く前に日本語勉強せぃ。
 映画俳優も、インタビューされたとき、アメリカ他の俳優はその思い入れ哲学を淡々と語る。日本人の俳優でそんな人見たことない。

それと頭髪も無法地帯である。なんで「金」髪や「茶」髪にしているのか、多分言葉使いと同じでなーんも考えてない、いや言葉が頭にないから考えられない。「おしゃれ」でしている?みんながしているからしているのだろう。
自分で考えなくていいから。誰だか忘れたが、でこぼこ坂を飛び上がって、大股開けば高得点という、訳のわからん種目の女子日本人選手が、ま金髪で、先に書いたような言葉使いでインタビューを受けていた。頭金にする前に技で金とれぃ!

 入賞というと、金銀銅、そして6位までを言うとずっと思っていたら、何と8位までが入賞だそうな! あなたは8位です、入賞おめでとう!「いやぁーうれしぃ…、なんかないわい!」ほんとは入賞は三位までで、金銀だけが実感する勝利の美酒だ。銅なんてどうでもいいわい。
高校野球で8位おめでとう入賞ですなんて言ったら、「なめとんのか、こらー!」って、高校球児はきっと言う。










2002年02月21日(木) 太陽政策ってなんだ?




 韓国の金大中のやった北朝鮮に対する太陽政策は失敗だとアメリカは決めつけている。戦争したいんだろうなぁ。ところで、太陽政策ってなんだ?旅人のオーバーを脱がせるのに、北風ぴぃぷうでは、ますます身をかがめて脱がないから、太陽で暖めてやると、自らコート脱ぐんだというわけね。一言いいましょう。
「ばかたれ!」
自ら脱ぐのは普通の状態で歩いて、汗ばんで脱ぐのならそれは本人の意思だが、ここで、太陽の光線=熱ミサイルと置き換えてみよう!絶え間ない熱ミサイルの攻撃に、旅人は身体にこれ以上にない苦痛を間断無く与えられ続け、ついに降参してコートを脱ぐ。易しい政策でも何でもない。手を替えた攻撃なのだ。
金大中が思っているような、意味合いのものでは本来無いのだ。兵法で言うと外から崩すか中から崩すかで同じなのだ。日本も同調して、北朝鮮に年間何万トンもの米を与えることと、太陽政策は根本においてなんの関係もない。









2002年02月18日(月) どないすぐきや!(京都やから)



 クジラの処理費6200万円。鹿児島県大浦町に打ち上げられた14頭。国と県が約8割を共同で補助することを決定。
破産しかかっとんやで!日本は。なんで鯨のために高い葬式代ださなアカンのか!!ほんまに井筒やないけど、どないすぐき(京都やから…くどい!)や!
(--#) 凸(-.-#) 









2002年02月17日(日) 吾妻君(仮名)が帰ってくる!



     …ボクは殺しが愉快でたまらない
     人の死が見たくて見たくてしょうがない
     汚い野菜共には死の制裁を
     積年の大怨に流血の裁きを
        (神戸新聞に送りつけた手紙の末尾に書かれていた一節)



 酒鬼薔薇聖斗事、吾妻君(仮名)がこの秋に社会復帰するそうだ。本人も社会の中で暮らす事を望んでいて、完全に病気?は治癒したそうだ。この秋、誰かの隣に引っ越してくるのだ。吾妻君(仮名)は医療少年院にはいっている時に改名した。だから本人の御希望通り、社会で透明な存在として生きていける。
 イギリスでおこった少年二人の幼児誘拐殺害は確か、両名とも百何十年かの懲役である。容赦ない。外国に子供性善説は無い。

 目玉をくり抜き、首をきって晒しものにした子供(14才)が、五年ほどで、大人(20才)になって社会に復帰する。子を殺された親御さんは、どういう思いでこれを捉えているのだろう。
もし自分の子が…、と考えると、罪になろうがなるまいが、そいつを仇討ちする。幸か不幸か子供はいないが、いなくてもそう思う位だから、いたら間違いなくそうするだろう。
 日本の昔、一代限りに置いて、敵討(かたきうち)ちが許された、勿論、同情した人の助っ人も大丈夫。これで怨念が晴らせていた。が、今は第三者が刑を確定し、執行する。↓ハンムラビ法典にあるやり方、すなわち「目には目を」(これは誤解されているようだが、目には目だけを)が、今も昔も環境は変わっても,人は変わらないという原則から正しいと思う。

 アメリカ(どこの州かは忘れた)では最近、被害にあった個人や家族が、合法的に敵討ち出来る制度が、取り入れられ始めている。死刑と決まった相手の死刑執行の際の、死のボタンを被害者の遺族に押させるのである。
この時の反応には2つあって、本当に溜飲を下げた人と、やはり「汝殺す無かれ」の言葉通り、止めてしまう人とに分かれるようだ。以前NHKのドキュメンタリー番組でその一部始終が報道された事があった。

 各個人の被害者(殺人)の恨みは、被害者の家族が、最終決着付けるのに賛成である。敵討ち復活を言う人達に、獨協大学の中村 粲教授、評論家の谷沢永一、他がいる。


→ハンムラビ法典(Code of Hammurapi)
 古バビロニア王国第6代の王ハンムラビ(在位:前1792〜前1750頃)が編纂した法典。この法典がきざまれた石碑がイラン南西部にあるペルシアの古都スーサで1901〜02年にフランスの調査隊により発見された。高さ2.25m、直径61cmの黒色閃緑岩の円柱に、4000行にわたる楔形文字をもちいたアッカド語の刻文がある。シュメール法を継承、集大成した成文法で282条からなる。
 刑法・商法・民法・奴隷法など日常生活全般にわたり、「目には目を、歯には歯を」で有名な同害報復の復讐法の原則にたつ。古代オリエント諸国の法にも大きな影響をあたえた。









2002年02月12日(火) 新聞の休刊日



 新聞の休刊日とは、新聞配達する、人々、苦学生(ほとんど死語)のためにつくられた。では、新聞休刊日に、新しい形態として出てきた、町のどこにでもあるコンビニに置けば、上の人達の休みは取れ、休刊日にも新聞を読みたい人の希望もかなうと産経新聞は考えた。
休刊日にはコンビニの新聞販売の棚はがらんとしている。そこに産経新聞休日・祝日版がでんと陣取る。よく、考えたなぁ!一人勝ちだなぁこれ。
やがて他社もまねするだろうと思う。これを機会に産経の記事を読んで、朝日などの新聞とのあまりな違いに、何事か思うことあるかもしれない。
その休日版の産経抄は、治ようせん金主主義貧民狂和酷?のものと思われる不審船の事だった。









2002年02月11日(月) プラハからの里帰り日本美術展



「プラハからの里帰り日本美術展」を京都国立博物館に見に行った。
プラハは、「百塔の街」「中世の宝石」などと呼ばれ、世界で最も美しい街の一つに数えられている。中世以来の街並みを残し、あらゆる様式の建築が見られる。スメタナの『我が祖国』の中でも謳われているヴルタヴァ(モルダウ)川が流れる。 
神聖ローマ帝国の首都、現在はチェコ共和国の首都がプラハである。、
 毎年5月12日から6月3日まで開催される、国際的な音楽祭「プラハの春」は、世界一流のコンサート、バレエ、オペラなどで有名。天才を多く輩出している地でもある。
 町が豊かであれば、必ず蒐集家が存在する。その昔、支那陶磁器の代用であった日本の陶磁器が、支那の事情も含め、取って代わり有名になる。それとともに、浮世絵など版画も結構注文品があり、彼の地に渡っていった。
今回はそれの集大成。柿右衛門はある、歌留多絵はある、浮世絵の主たる作家の殆どが集められている。もう、江戸時代の浮世絵に関しては完璧!
文化絢爛の証みたいなものだ。有名も無名も、とてもレベルが高い。
 
 我が家の水屋の食器は、今出来物はなく、江戸明治大正期の食器を日常的に使っている。が、柿右衛門などを見てしまうと、ため息が出てしまう。この柿右衛門はそう極上のものではないと勝手に思うけれど、欲しいなぁ!

 パリの6区イエナ広場にある、ギメ美術館が去年新しくなったので行ってきた。新しくなって、がっかりするくらい日本の展示物が減ってしまった。昔のギメは貴族の館然として、乱雑に展示してあったような印象があって、それで、展示物が多いように思えたのかもしれない。

中国などのものに比べて、最初は展示物の圧倒的な少なさに、これでは日本をよく知ってもらえないなぁ!と思ったものだが、よーく考えて見ると、これは、アジアで唯一植民地になる事を、まぬがれた国だという事の証明でもあるということが分かる。略奪品がほとんどないということでもある。
このプラハの日本美術のように、日本のものは、大抵は注文品だったり、内緒で庶民レベルで売り買いしたものが、収蔵品となっている。ギメの日本展示室は実にあっさりしていて、すぐに韓国展示室へと移ってしまう。

 それにしても、ものすごい量の日本の美術品が主に、プラハ美術館とナープルステク博物館には集められている。
 今大英博物館で問題になっているが、あの博物館は大部分が略奪品である。エジプトの王の墓を暴いて、ミイラをかざったりしている部屋がある。
それを見せ物にしている。ところが個人が暴くと墓荒らしと言われる。そういう事が最近言われ初めて、戻すの戻さないのと騒いでいる。

日本人は蒐集が不得手なようだ。神話時代から連綿と続く皇室にも、そんなに目も眩むようなお宝宝石類はない。世界で一番質素な王家である。
 前に、スイスアルプスのツェルマットで知り合った、北海道大学の魚博士は、日本にかって生息した魚の論文を書き、自分の論文の仮説を証明するのに、それの実物見本(魚のホルマリンづけ日本から流出)がスイスにあるというので見に来たと言った。
それほど、日本は物持ちが体質的に悪いらしい。外来物を取り入れるのに熱心なあまり、足下の自分達のものが、知らぬ間になくなっているようなのだ。プラハ美術展はそんなことを思わせる展覧会だった。

   大学のせんせが暴くと学術調査、個人が暴くと墓泥棒 
   葬られている者にとって、迷惑この上なし! あ〜♪こりゃこりゃ









2002年02月05日(火) アッコは良子を駆逐する??



 産経新聞の産経抄のコラムを書いている、石井英夫さんの講演を聞きに、大阪のホテル・モントレーに出かけた。このホテルもヨーロッパスタイルのホテルで、フロントも全体もこぢんまりしている。
いつも感じるのだけど、本を書く人、文章家の講演はそれを越えることがない。石井さんのコラムはいつも当を得ている。だけど、この講演でもすでに読んだものの繰り返しで、新しいものはなかった。が、石井さんの人となりは、やっぱり実物(失礼)を見て何か了解するものがあった。

 本にも書かれていたけれど、面白い話がある。各新聞のコラムニストが集まって、首相官邸で小泉首相と酒宴を催した時の事。
小泉さんは独身で、首相官邸には専属のコックもいない。だから、缶ビールと、わずかな肴で大いに飲みかつ大いに論じあった。

その席で、小泉首相が言うには「訪中を前に、北京で一番読まれている新聞は何かと、中国の日本担当トップに聞いたら、どーです!、朝日新聞じゃなかったんですよ!産経新聞なんです、産経よく売れてるでしょう」と。
毎日新聞出身の徳岡氏は「我ら一行の中には産経新聞のコラムニストがいたが、彼(石井さん)は、憮然として答えなかった」と。
 また、徳岡氏はその答えに対して「なんたる素朴さ、紙面で新聞が売れりゃ苦労せんわ」と思ったそうだ。

 なぜ、朝日ではなく、産経がよまれているのか?中国に阿(おもね)った記事よりも、歯に衣着せぬ物言いでの正論をとても気にしているから、と言う事だろう。
 産経は関西では読まれている方だが、東京ではまったく読まれていないに等しい。今度、産経は夕刊を止めた、産経の東京夕刊発行数は25万部、朝日は約230万部、読売は250万部である。まったく相手にならない。
それでも、今も昔も韓国でも相当有名で、読まれているのは産経新聞なのだ。

 土井前社会党党首が北朝鮮を擁護、韓国を認めないと言っていた時から、産経は正しく韓国情勢を伝え、その時は喜ばれ、今は教科書問題で憎まれながらも読まれている。
 読売が売れているので、「悪貨は良貨を駆逐する」とまでは言い切れないけれど、未だ、朝日新聞が世界に誇れる日本の一流新聞だと思っている人が多いのは、なんとも気が滅入る。
下の箴言を女の友人に話したら、W田アキコがN野良子を毛嫌いして追っ払う事だ??と思ったらしい。

  『悪貨は良貨を駆逐(くちく)する』
(実質的価値の異なる二種の貨幣が同時に使われるとき、「良貨」は貯蔵され、「悪貨」だけが市場に流通する傾向を生じる。 → 「グレシャムの法則」) から、質の悪い人間(新聞)が蔓延(はびこ)って、優れた人間(新聞)が姿を消すということ。悪が栄え善が滅びるということ。
トマス・グレシャム(Thomas Gresham) 1519〜79。16世紀のイギリスの財政家、貿易家。エドワード6世、エリザベス1世に仕えた王室財務官。貨幣の改鋳に努力した。












2002年02月03日(日) 雪と墨



 You キ印! SNo!!
 「雪と墨(ゆきとすみ)」ならぬ雪は墨だった!









2002年02月01日(金) 広島原爆死没者追悼平和記念館の愚



 国立広島原爆死没者追悼平和記念館の、展示説明文の中で先の大戦、*大東亜戦争を定義付けするのに「誤った国策により…」という文章が入って自国の戦争責任を認めるような文を入れることが決まった。

 日本の無罪を主張し、戦後の国際法典の規範にもなっている、東京裁判の審判官、国際法の専門家インドのパール博士は、戦後広島を訪れて、その碑の文章を読んで驚きあきれて、大いに怒ったという。その碑の文言は「あやまちは繰り返しません」というもので、パール博士は「これだとまるで、日本人が原爆を落としたみたいではないか、本来ならこの後に、アメリカ合衆国と書くべきだ」と言って、当時の広島市長を絶句させた。
「国策のあやまり…」の思想は、戦争に負けたから出てきた考えである。勝っていれば絶対出てくる言葉ではない。その背後のもう一つの思想、「日本は悪いことをしたから落とされた」というのもそうである。
これは出所がはっきりしているから書く。

 当時、占領軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を、日本人に植え付けるための宣伝計画)」を徹底して行った。
ルーズベルト大統領、チャーチル英首相、スターリン等の挑発や陰謀、また不意打ちは米国であったこと等は一切伏せ、更に、日本が好むと好まざるとにかかわらず、自国の正当防衛のために、受けて立たねばならなかった、こと等々一切を抹殺して、占領軍が作った『太平洋戦争史』を、終戦の昭和二十年の十二月から、ほとんど あらゆる日刊紙に強制的に連載させた。

 『太平洋戦史』は日本軍の残虐行為を強調し、大都市の無差別爆撃も、広島、長崎への原爆投下も、一切は「日本の軍国主義者」が悪いのであって、米国人は少しも悪くない、米国には何ら責任がない、と読んだ人が思いこむ内容だった。
この『太平洋戦争史』は当時10万部も売れた。更に徹底した言論統制と公職追放を行い、そして占領軍は、学校教育において、修身、国史、地理の授業を即時中止させて、占領軍の提供した『太平洋戦史』を教材として使うように命令した。

 戦争で一般市民を独自の屁理屈(広島は家内制手工業だから、軍事部品は各家庭(町工場)でも作られている、よって町に住む人も軍関係とみなし、これを殲滅する)で、原爆を落とした。それだけではないのだ。広島にはウラニウム、長崎にはプルトニウム、爆弾。
なぜだろうか?当時アジア人は猿と同じか、それよりちょっと上位にしか思われていず、簡単に言うと、タイプの違った爆弾実験を行ったのだ。だから白人種で同盟国だったドイツには落とされていない。

こう言うことが分かってくると、まかりまちがっても「国策の誤り…」などの文言は出てこないと思うのだけれど、戦後の見事なウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を、日本人に植え付けるための宣伝計画)」が功を奏し、目出度く米国の思うがままになって、それはほぼ恒久的に残るのである。

*(太平洋戦争はアメリカの言い分で、大東亜とすると、アジアを巻き込んでいる印象からアメリカが何のために戦争をしているかとの連想がアジアの人達に働き、都合が悪いので「太平洋」と地域を限定した。当時日本を除くほとんどすべてが欧米の植民地だった。)










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