本日のグチ。
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2002年04月30日(火) これから…。

結局、支離滅裂パパイヤの言論、行動は、薬の副作用だけではなかったらしい。
お腹の傷が治るまで続くだろうと言われた。

これから精神病の薬を痛み止めと騙して飲ませるのと、
本当の痛み止めを飲ませるのと、
整腸剤のマグラックスを飲ませる事に。

ほとんどマトモじゃない人間に、
強制的に飲ませるのはホント難しい。
タマのまんまじゃもう絶対飲まないから、
とりあえず、潰しまくり、
スプーンいっぱいぐらいの水に溶かして無理矢理押し込んでも、
ちっとも飲んでくれない!!!!!!!!(怒

常に心臓付近に注入していたレペタンは却下され、
今度ははり薬と、
上記の飲み薬、
処置時のみの筋肉注射に変更された。
痛みに応じて、モルヒネを服薬する事も許された。

ドレーンの褥そう部の膿が半端でないので、
腸からもドレーンで抜く事になった。

ここ数日、寝ると親の悲鳴にひたすら喧嘩する自分の夢しか見れなくなって、2時間程で目がさめてしまう。

プラス、音がないと寝れなくなった。

CDかけすぎると劣化が早いので、
パソコンのスイッチ入れたまま音楽データの再生繰り返しを利用してるけど、やっぱり熟睡できない。
おかげで毎日とろんとろん(笑

疲れてきた。
なんかホントになにもかも辞めたい。
病院で多少作業やったりするけど、モノを投げたり、注射引っこ抜いたりするので目が放せないから自分の事をやれなくなってきた。

限界だろうか。


2002年04月16日(火) 会話。

一昨日、母親の麻酔の件で大げんかしたっきり、『学校やめろ!!』と怒鳴ってしまった姉と、なんとなく、仲直りをした。

集中治療室を出て、病室に戻ってきてから、2週間振りに、母親とマトモな会話をした。

ホッとしたのか、思わずやっぱり…悪態を精一杯つきながら……泣いてしまった(笑

5才も年上の姉は都合が悪くなるとびーびーと泣いてばかりで、
5才も年上の姉は、大学も卒業してるのにまだ学生をやっていて。
結局、これから先の事を長く考えて、収入の一番見込める姉を就職させる為に学校へ行かせる事にはなったものの、自分の中で少しうらやましかった。

せめて、だから、自分の好きな事をせいいっぱいわがままいってるしかなかった。

『姉妹なんだから、けんかしてもいいから、次の日になったら忘れなさい。』

母親が言った言葉。

最近、姉が私をすごくうらやましがっていた事もわかってきた。
自分は一生懸命言う事を聞いてやっているのに、勝手気侭な妹の私ばかり可愛がられているように感じていた…のだろう。

『お母さんは幸せ者だね。二人とも凄く心配してくれるんだもの。』

………そうだね…子育て失敗とか言っておきながら…成功だよ。うん。
これは永年の陰謀か………?(笑

『ちゃんとこれからあんたの面倒みるから』

約束…守れよ^^資格ちゃんと取らんと……殺す。(笑

……あとは……腸が動いて、ちゃんとウ*コも出るようになって、食事がとれるようになって、麻酔づけがとれれば万々歳なんだが…依存症もおこらないともいいきれんし…ふむむ。

………ってそう言えば、ワシ…ちっとも同人の原稿やってないじゃん…!!

ぐはわわ!!!仕事で忘れてた!!!


2002年04月08日(月) 終わりは始まり…。

長い一日だった。

でも終わりが見えない。

予定の時間を大幅に過ぎての手術終了。

ICUで面会した時の第一声はお決まりの『痛い』だった。

主治医から見せられたのは腐った腸。

結局、S状結腸は切除された。

お腹の中は直腸の2つの穴からもれた便でいっぱい。

水で洗浄したものの、

直腸の穴はもう手のつけられない状態で、塞げなかったそうだ。

ほとんどもう腐りかけているので、治るかどうかはわからないと。

まあ、初めっから人工肛門をこれから使っていくつもりでやったわけだけど…。

………直腸障害の手帳………間違いなくとれるだろう…。

お腹のまん中に縦型のでっかい傷。

左右上下脇腹四ケ所からそれぞれ膿を抜く為の管が2本ずつ。

看護婦まかせでお腹の傷や褥槍の傷の手当てを一度やってもらったら、

ICUに叫び声がこだました。

結局私達の手助けで、2回目以降は手当てを施す事に。

異例の集中治療室24時間付き添い。

手の置く高さ、足の膝のまげ具合、肩の位置、腰の置く場所、首の高さ、酸素吸入のマスクの置き換え、体位変換、定時の眼圧用目薬、ろれつの回らない口から発せられる3分としてもたない注文。

タダでさえ物凄くグロいものを見せられて、その上、何度くり返して答えてもなかなか理解してくれないイライラ感はつのるばかり。

終わりが見えない。

でも。

ただ一つの救いは。

本人、事の重大さを理解していない!!!!(笑

医者は血圧が70代だから、ICUに入れましょうといっておるのに。

私達が行ったら、点滴の所為だけど、血圧は130まであがるわ、早く病棟に帰るんだとか、家に帰るんだとか、まだ飯は食えないよとか。

……………気が早すぎる………。


2002年04月06日(土) あと2日

褥創の膿が、直腸と子宮の内部まで入り込んでいた。
もう直接手はつけられないそうだ。

検査をするのもままならない為、
初見してみないと人工肛門自体もつける場所が定まらないといわれた。

腹水と腸閉塞がみられるため、他に癌のようなものがあるかもしれないらしい。
もしかすると腸自体が使い物にならないかもしれないと。

全身麻酔の合併症で、命を落とす危険と、
人工呼吸器を外せない可能性と。
褥創自体に手をつけられない為、
このまま栄養状態が悪ければ、人工肛門をつけても死ぬといわれた。
血小板は通常の2/1、白血球は3万、電解質は極端に不足、栄養状態も必要最低限にも達していないし、肺の状態も結核の関係で決してよくない。

姉キを学校に行かせたあと、母親と2人になって、
もしかしたら、これでお別れかもしれないねといわれて、
悟られまいと、じゃあお別れの挨拶しようかと、笑ってみたけど、
消灯時間が来て、やっと薬が効いて寝息が聞こえはじめた時
涙が止まらなかった。

手術が命取りにならないよう、お腹の中に他に悪い部分がどうかありませんように、ただ祈るしかない…。


2002年04月04日(木) 手術。

日程が決まった。
月曜日。

褥そうと直腸が膿で貫通してしまったのを縫合して。
人工肛門をつける……らしい。

今日は血圧と血中酸素量の低下で酸素吸入と輸血が施された。
入院当初、消毒の度に拷問まがいな格闘を強いられたけど、そっちの方はなんとかレペタンを2分の1点滴してもらって、消毒は便が褥そうから出てくるため、パウチをつけたから、なんとか4〜5日はしなくてよくなった。
それだけでも、救いだ。レペタンがきれれば痛がってはいるけども、すぐに打ってもらえるし。
もうあの悲鳴は聞きたくない…。

昨日は全く会話ができなかったけど、今日は私がいるって事がわかったみたい。私の手を握って、もう1人じゃダメだ…といっていた。

生活保護を受けて、私達に迷惑をかけずに老後を過ごすという計画は知っていた。自分が介護で苦労をしたから、せめて自分の子供にはさせたくないのだと。
医者の話では退院は難しいとのことだから、入れ代わりでこれから誰かが付き添う形になるだろう…。
縫合しても、この体力では回復するかわからないそうな…。

大部屋では処置するのが大変という事で、個室になったけど、昨日病棟を移動して、部屋代だけで一日5000円から10000円に。
………とてもじゃないけど、払えない。

だから一生懸命考えて。
姐貴の日程がわかる5日に、結論を出そうと思う。

私はきっと学校にはいけない。
でも絵は描いていたい。
夢も捨てたくない。
でも全部はきっと手に入れられない。

それでもできる限りの事をして、後悔のないようにしたい…。


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