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★2008年01月27日(日)
『ひとりごと』 BUMP OF CHICKEN
すっかりめっきり身体が弱くなったんだか気持ちが弱くなったんだか…
なんだかこの頃の私はとてもぬるい。
なんか、ちょっと不安になる。
走ってない私って、私らしくないんじゃなかろうか。
とても疲れやすいんだ。 年明けから体調不良なせいもあるんだと思うんだけど、 2日連続で遊ぶのがとてもしんどい。
先日の日記にも書いた通り、今日は3つ行きたいイベントがあって、 最優先に選んだくまがやの全日本に行こうかと起きたんですよ。 なんと6:30に。6:30ですよ6:30。
あーやばい。
昨日、代表戦みる前から、ちょっとのどと節々にきてる感じがあって ありゃ私風邪ひく予兆でまくりだーって感じだったんすよ。 んで、国立のあの寒さ。 そして帰って来ても、寒くて寒くてしょうがなかった。 お薬のんであったかくして寝る。
が、起きてみたら案の定のどがうがが…
あ゛
ガラガラ声になってるがな。
しかし今現在高熱がある訳でもない。 でも、このままだと確実に病気になるな。
えー? 全日本の関東予選だよー? 無事全国に来てくれればいいけど、もし負けたら絶対後悔するよぉ?
…。
悩みに悩んで信之介くんを信じることにする。 いや正直信之介くんちゃんと出場できるのかも知らないけど。 (ハンドも、悩みに悩んで宮崎くんを信じることにした。)
くまがや行かないなら、近所であるおじさんたちの大会応援に行く? いや、外なんだからいっちゃん寒いだろー。 城くんの引退試合行く?いやだから三ツ沢だって寒いだろー。
どう考えたって、試合自体は体育館であるんだから関東予選行くのが 一番無難なんだよ。片道2時間かかるってこと以外は。。。
そして、おとなーしく寝て過ごしました。
読みたい本はたくさんあるし 編みかけの毛糸玉もあるし まーごはんもあるものでなんとかなるし だいたい私は本来、おうちでのたのたしてるのが好きだし
…。
こないだ友達がこの腰だしこの寒さだし旦那も仕事だしってんで 無理して国立に来ないで自宅観戦を選んだってのも… ちょっと影響してるかなぁ。
百科おじさんに今年の目標は「無理禁物」とか書かれちゃったしなぁ。
ただ単に年ってことだろうか??? ちょっと違うな。 自分にとって何が大切で幸せかってこと? ちょっと深すぎるな(笑)
ちっさい私を救出したら、色んなことに気付いちゃったんだよね、多分。
しかし私は、そこでちょっとムリをして色んなことぶっ飛ばして 行ってしまう自分、やってしまう自分が好きだったりした訳だ。倒れても。 大袈裟に言ったらこれはアイデンティティの問題だったりするよね。
んー。
でもさー
無茶して突っ走るのも、家でぬくぬくしてるのが好きなのも どっちも私なんだよね〜…。 友達はまた、なんでそんなことで悩んでるんだって言うんだろうなぁ。
ただあれだね、遊びたい日に体調不良だとそんな自分にはがっかりするけど これは気のせいで実は本当は仮病で、ズルしたいとか怠けたいとかなんじゃ なかろうか…って部分では悩まなくて済むね。 今のこれは、純粋に体調不良の一歩手前。
普通のひとなら、ちょっとのどに違和感って程度の風邪の症状。 気管支が少し苦しいから、これを悪化させると後日の私がとても苦しむ。 だから治さないといけない。そんな状態。
まーそんでうちでごろごろ何やってたかって昨日今日で やっとJとか今期のサッカースケジュールちゃんとチェックしたと。 その辺は、なんかやっぱ私。 身体は休まったけど、目が疲れた(笑)
改修した大宮公園に行くのが楽しみだなー。 行ってないスタジアムにも3つくらいは行きたいなー。 あー年チケどうしよう。
原さんや選手にたちに免じて更新してやろうかと思ってたんだけど ゆーたとノリオの件でがっかりしちゃってさぁ…。 ゆーたに見放されるなんてな…。
我が子に家出されちゃうようなクラブなんだよな、今。はぁぁ。 わくわくしないなぁ。(せつない)
あ、昨日の試合ですか?
久々にスタメン発表が楽しみでした。 あの感覚ってなんか久しぶりだった。 まぁ概ね予想内のメンバーだったけど。
監督が変わって初の試合でどーのというよりも この時期毎回だけどさー オフ明け一発目なんだよね。 選手まだこれからコンディションあげるって状態だもんな。 あんなもんなんかな〜って感じですわ。
つーか例年同じこと書いてるし。
FUTUROは無事に2位で全日本出場を決めました。
…ホッ。
うれしい。
久々の全国大会だ。
そして私も、多分無事悪化せず。 やぱ風邪はひき始めよね。 このまま抜けてくれるといいな〜。
家から一歩も出てないけど寝込むほどでもないから、 掃除とか洗濯はなーんにもしなかったけれど、3食家で作って食べる。 考えてみたらふだん朝ごはん菓子パンとかフルーツグラノーラが多いし 家で3食作るって、滅多にないわぁ。
私の適当ごはんって、ほんとそらへんにあるもんで適当〜。 でも自分の好きなもんばかりだから、まー自分には普通にうまいっす。
ジェノアのエンブレムみんのなんか何年ぶりだろーーー。 いつの間にトップリーグに帰って来てたんだ!?(笑) もーセリエなんか全然みてないから、すっかり浦島太郎状態だわよ。
つーか昼間寝過ぎて、全然眠くないしぃ。。。
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★2008年01月25日(金)
『乾杯』 長渕剛
私たちは彼を「のび太くん」と呼んでいた。
10数年前、カシマスタジアムで日韓OB戦があって カズシさん、水沼さん、ジョージ、戸塚さん、原さんなどなど 85年の日韓戦を戦った当時の日本代表選手が集まった。
私はおじちゃんになっても当時の面影がある彼らのプレーにうはうはして 「みんなで行こう、メキシコ〜♪」なんてうたって、上機嫌だった。
そんな往年のスターがめいっぱいの状態だったので 私はその日彼がプレーしたかどうか覚えていない。
ただチャリティでくじ形式サイン色紙を販売していて (色紙が封筒に入っていて、買って開けてみないと誰のサインか判らない) 和司さんのサインがどうしても欲しい友人が買った。 たしか1枚200円くらいだったと思う。
封筒の中身は「岡田武史」 ものすごーく読みやすいサインだった。
ぐえーのび太くんかよー
と友人はのたまった。
彼は当時もう日本代表のコーチを勤めていたと思うけれど、 私たちの扱いはそんなもんだった。
もう1枚買う。 開ける。
また岡田武史だった。 大爆笑の中、友人は一挙10枚買うという暴挙に出た。 そしてそのほとんどが岡田武史だった。 本当に大爆笑だった。
どうしても和司さんのサインが欲しいと友人はまだ買おうとしたが やり取りをみてみかねた原さんが(ブース内で物販に協力していた) 「和司の出してやってー」と封筒の中身を確認して交換してくれた。
余談だけど、水沼さんはその日息子にすねあてを借りてきたそうで すねあてに平仮名でせがれの名前が書いてあったそうな。 (その息子が今年からプロ選手なんだから月日が経つのは早いなぁ)
色んなスタジアムで見掛けた。 そらへんをぷらぷらしていて、特別なオーラもなく 見付けても「あ、のび太くんだ。」てなもんである。
「サッカー好きのいいにーちゃん」
私たちにとって彼はそういう存在のひとだったのだ。
まさか彼に日本の未来を托すことになろうとは夢にも思わなかった。
山口の華麗なループに浮かれ、失意に沈んだ国立での日韓戦。 翌日、私たちの代表は立て直す余裕もなく中央アジアへ旅立った。 ロスタイムの同点ゴールと、加茂さんの更迭。コーチの、監督代行…
緊急事態に際しても、正直私の心中はなんとも言えない気持ちだった。 なんてゆうか、どうにも頼り無い感じが否めなかったんだもの。 山本くん(って彼もくん付けだなぁ…)が急遽指揮を取ります、 よりも当時の岡田さんははるかに頼り無く思えたんだよ。
彼は私たちには(多分選手たちにも)兄貴的な存在で、 監督って、もうちょっとこう威厳?そういうのないと不安じゃないですか。 身近過ぎたんですよ。
でも、すぐに切り替えた。
現実問題として代表は中央アジアにいて、試合をみても 何かを変える必要性に迫られていたし、あの時は本当に 彼が立つ以外の選択肢がなかったのだからもう托すしかなかった。
そして何より、私は彼を信じようと思ったのだ。
当時の私に彼の能力は全く判断できない。 だから本当にただただ心情的なことなんだけど、身近だったゆえに ちょっと失礼な話だけれど、私には「仲間」という意識があったのだ。 それこそ、彼は私たちの「代表」だった。
「ドーハの悲劇」のテレビ放送で、彼はスタジオゲストだった。 あの時、涙を浮かべていた彼を私はよく覚えている。 なんともいえない、あの気持ちを確実に共有している。 そして、目標はとてもハッキリしている。
「彼の涙を信じよう。」
心の底からそう思ったんだ。
彼にはハートがある。 私たち同様、いやそれ以上に、サッカーを、日本代表を愛している。 絶対にワールドカップに行きたいはずだ。 そのために、出来うる限りのことをしてくれるはずだ。
全力で彼を支えよう。 国立で、ソウルで。 私たちが付いてるってことを伝えるんだ。
絶望というニュースが流れる中、私は一度も諦めなかった。 国立でUAEと引き分けた直後、友人が私に聞いた。
「本当にソウルに行くの?」
「何言ってんの!?当たり前でしょ。 ここで私が応援しないでどうすんのよ!?」
あの時の私には、絶対の意思があった。
そしてジョホールバルへ、フランスへ。
歴史上一度しか経験できない初めてのワールドカップ出場という 濃密な旅を共にした。
とにかく私は、彼を信じた。 一蓮托生って、まさにこういうことを言うんだと思う。
心情的にはずいぶん偉くなってしまったし、今では威厳もあるけどw それでもやっぱり、私にとって彼は一緒に闘った仲間というか 「同志」それは今でも、やっぱりそう思う。
色んな意見があるだろうけれど、その同志が立つっていうんだもの。 私にしてみれば、そりゃヒトハダ脱ぐしかないでしょって感じ? ここは、もう無条件に、なにはさておき協力します。
私、ものすごーーーくオシムが好きなのよ。だから色々思うよ!本当に。 でも11月の時点で覚悟は決めてたからさ。 なんつーか、腹も座ってるワケですよ。
(11/25の日記から引用)
今すぐに目を覚ましてくれたとしても 2月に指揮を執るなんてどう考えてもむちゃだ。 あのサッカーの完成を本当に楽しみにしていたんだけど… でも、彼抜きで彼のサッカーを継承できる指導者なんていない。 だったら、ちゃんとビジョンを持って新しい監督を迎えた方がきっといい。
やって来たことは無にはならない。
「日本サッカーの礎を」
その志しだけは忘れないで人選してください。
2月のタイ戦は、元気になったオシムが安心してみてられるような 試合をしなくちゃね。
(引用おわり)
うん。 オシムがやってくれたことは絶対に無にはならない。
そして岡田武史が私の愛した同志である限りは、 日本サッカーのためにマイナスになることをするはずがない。
また、一緒に旅に出るんだね。
とりあえず明日は、国立に行くのがとても楽しみだよ。
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★2008年01月21日(月)
『弾丸ファイター』 SMAP
私を悩ますものは色々あるのだけど、 よく困ってるのが日程問題なのである。
あ、日本サッカーの過密日程問題とかじゃなくて実に個人的な話。 まぁJリーグでもなんでこの試合とあの試合同じ日にやるかなぁ、 あと1時間ずらしてくれればハシゴするのに!とかあるけどね。
へんてこなハシゴもたまに致します。 味スタでのリーグ戦と代々木でのFリーグをハシゴしたり、 チーム練習の後に、衣装着替えて大荷物でライブに行ったり 大会のあった日にやはり大荷物で他会場に出掛けるとか そうだ、2年連続で大会とオールナイトイベントハシゴしたりしたな。
自分でもこりゃはげしいハシゴだとへとへとになったのは 永福町から千葉へ行き朝から4時間フットサルして、 フクアリで高円宮杯を観戦して、はるばる電車で新横浜まで行って、 トヨタカップをみて夜中に永福町に帰った時。長い一日だった…。
まぁ、ハシゴできるんなら、すればいいから悩まないし どーしてもなら、がんばればいいだけだ。
でもどーしても、どうにもならないものもある。
年に数回は、なんでーーー!?って叫びたくなるイベントが 重なってる日があって、ひとりでもんどりうつ。
話聞いてると、結構みんな優先順位がハッキリしてるよね〜。 マイチームのあるひとはたいていなにはともあれ自分とこの試合だよね。
うん。
翻って、私。
好きなものはたくさんだけど、絶対コレってあれでもないんだよなぁ。。。
本来の欲望より、結局は先に約束しちゃったとかチケット買っちゃった とかに左右されちゃうよね。まぁそれでも散々悩むから後悔もしように ないし、結局正しい判断だってことが多いんだけどさぁ。
FC東京とFUTUROとライブとWWEが重なって、うぬぬーってなった時なんか その後好きだった選手亡くなっちゃってあれが最後になっちゃったもんな。
近ごろの悩み。
今週末はフロンターレカップのおじさんたちの部で応援に行こうかと 思っていたけれど、城くんの引退試合はなかなかの豪華メンバーだ。 しかし全日本フットサルの関東予選は、組合わせにも恵まれてFUTUROが 勝ち上がっている。しかも相手は目黒だ。うぬぬぬ…みたいぃぃぃ でも、くまがや遠い…
先日例年出場しているフロンターレカップ(今年はイッツコムカップ)で 無事予選突破して、決勝大会に進むことになりました。
が…
それは例年楽しみにしている全日本フットサルの中日で、 Jリーグ開幕の日だった↓↓↓
順位下だから開幕戦アウェ−だとばっかり思ってたのになぁ。 そういえばうちはスタジアム余所さまと共有で、 その余所さまよりは上ってことになるから開幕週にホームだった。むぅ。
まーこの日に関してはまだ先だし、それぞれ時間発表になってみないと 自分がどうするかまだわかんない。
そいでまぁ、今一番のうぎゃーな重なり。
わかりやすい私は、宮崎くんが大好きです。
あぁぁ、関東であったら絶対行こうと思ってたのにー ハンドボールの五輪予選。五輪の掛かってる日韓戦だよー。
前に駒沢体育館で大崎電気の試合観ようと思ったら2500円もするから 挫折したことがあるんだけど、今回それより安いじゃん…。
あぅぅ。 なぁんでよりによってサッカーの日本代表戦と同じ時間に、 すーぐ近くでやるんだよぉー。
うがうぐ。
げごご。
がるる。
(激しくもんどりうって困っている)
みたい。
これは、やっぱりみたい。
でも…
うがー。
あー。
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★2008年01月08日(火)
『存在』 尾崎豊
ごめんねー。
不義理にすると電話に出るのやメールの返信するの、 勇気がいるもんなんだなぁ。大好きなお友達なのに。 電話もメールもありがとー。とってもうれしかった。
何があったか、はとてもいいにくい。
でも、すごく貴重な時でした。
やっとたくさんの本当の気持ちを知ることができて そのことから私は自分自身の色々な部分を知ることができて 部分的にはへこむっていうよりは、晴れた、と言える感じ。 小春日和なこのところの空のように、すこーんと抜けた青空。
あぁ、腑に落ちるって表現が近いかな。
できたらもっと早く聞きたかったな。
それは話してくれたひとのおもいやりややさしさだと分るので 責められないけれど、でも私はいつもなんかひっかかっていて ちゃんと話してくれるのをずっとずっと待っていたんだもの。 辛いことなのに、話してくれてとってもとってもうれしかった。 ありがとう。
そして私は、なーんもわかっちゃいなかった。
話をしてからこの数日間で、様々な出来事や感情がリンクしました。 なんであの時あぁだったのかとか、何よりも私自身の矛盾が収束していく。 記憶の引き出しが次々と開いて、気持ちが安定していく。 過去にひとに言われて、それがどういうことかわからなかった部分を知る。
とても辛い出来事だったのに、何故かそれによって心が解放されていた。 たくさんの傷が絡み合って、すっかりこんがらがった私の手におえない それは、もうどうしようもないものだとはんば諦めていたことだった。
ぶっちゃけ、何十年も何やってたんだよきみちゃん!って話です。 でもこれは、私にとっては大きな革命です。
いつものようにわかりにくいから、書くかやめるかまだ迷いながら 本当はこれより先に話してくれたひとに伝えなくちゃいけないことが あるのだけれど、あやまらなきゃいけないことがあるのだけれど、 そっちはまだ、私の中ですべて言語にするのは不可能だから 後回しにして、やっと言葉にできたこの気持ちだけ残しておきます。
やーいつものぐるぐるなんて、大事みたいに書いてるけど表層なのね。
本当に私は、なーんもわかっちゃいなかった。
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私の中にいる膝を抱えて座り込んだままのちいさな女の子。 助けたいのに助けだせないことにずっとずっともがいてきた。
なんだ。
鍵を掛けたのは他でもない、臆病な、この私じゃないか。
私の強すぎる恐れが、私の最も恐れていることを現実のものとさせていた。 私自身が私を「そういう存在だ」と思い続ければ、言い続ければ、 私はそういう存在になってしまうのだ。
それは薄々感じていたけれど、私には止めることができなかった。 もうこれは逃れられない魔女かなんかの呪縛なんだと思っていた。 自分じゃどうしようもないんだと思ってしまっていた。
そしてお姫さまが王子さまのキスで目覚めるように、 いつか誰かが救い出してくれる夢をみていたみたいだ。
そんな夢をみながら、私は小さな女の子を 自分の中に置き去りにして、壁を塗り固めて頑丈な鍵を掛ける。 新しく生まれた傷もそこに押し込んで、全部その女の子に引き受けさせて
現実の私は、私たちを生かすために毎日がんばる。 日々悪戦苦闘する。
だってお腹が空くんだもの。
泣いてても誰も助けてなんてくれないし、何かを待ってても衰弱するだけ。 私は自分で自分を生かして食べさせて、笑わせてあげなくちゃならない。
だから閉じ込めた。 ちいさな女の子のままじゃ、生きていけなかったから。 私を笑わせるために、幸せにするために、どんどん塗り固めて 大丈夫なことにして、日々悪戦苦闘する。
それでいて、なりたい私にちょっとでも近付きたくてきれいになりたくて こんな土台のないところに積み上げてできているのが今の自分。
なんだか軽く解離性障害みたいだよね。 あの小さな女の子は別人格みたいじゃないか。 あの女の子こそが、元々の私自身だというのに。
傷付かないために、様々な予防線を張る。 私の予防線は、有刺鉄線でできていたみたい。 その鉄条網は、私の中に入ってこようとしてくれた 大切なひとを切り裂いて、逆に傷付ける。
もー王子さまもなにも、突っぱねて追い返してるの私じゃん!
いっつも私。
ぜーんぶ私。
でもでもでも
何もかも私が悪い訳でもない。
ただ、知らなかっただけなのだ。 例えば自分の許し方を。
本当にただ、不幸な自分の生い立ちをちゃんと認めて、 大人の事情なんかちぃせー子供にゃわかんねーよバカヤロー!!! って怒って、それでも彼らを許すこと。
お父さんもお母さんも大好きだし悪くない、私が悪いんだ (それにしてもどうしてそう思うんだろう…不思議だよねぇ。) って思ってしまうあのこに、それはきみのせいじゃないんだと教えて あげないと、本当には彼らを許すことにはなってなくて 彼らを責めないからって許してることにはならなくて
私はまず、自分を許さなきゃならなかったのだ。
嵐のような耐えられない悲しい出来事はその不幸をちゃんと嘆かなきゃ いけなかった。運命でもなんでもなんで自分がこんな目に合わなきゃ ならないのか怒らなきゃいけなかった。嘆くだけ嘆いて、辛かった怖かった ってあの時ちゃんと泣けばよかったのに、私はすぐに感情をなくした。
その時私は、これは自分自身への罰なんだと思ってしまった。 耐えられる訳のないその苦痛を受け入れようとしてしまった。 そんなの受け入れられる訳ないのに。 これは罰なんかじゃないと、わからせてあげなきゃいけなかったのに
私はまず、私が許せなかったのだ。
そしてまた同じことが起こってしまっても耐えられるように予防線を張る。
子供がひとりでは生きていけないこと、自分自身を守れない非力さ。 そーゆー自分が許せなかった。 多分どうにもならないことなのに、私は私を否定してしまう。
そして、私自身が私自身を否定し続けても 親切にしてくれたひとはたくさんいて、 それでも私を好きだと言ってくれていたのに そっちを受け入れなきゃいけなかったのに 私はちっとも話を聞こうとしてなかった。 救われるはずもない。
そういう手を差し伸べてくれたひとには、 その手を払いのけたり噛み付いたりせずに
めいっぱい感謝して、とにかく感謝して
時には少し甘えてもよかったんだっていうこと。
そう、そうなんだ。 甘え方が間違ってた、私。
だってちゃんと甘やかして貰ってないんだもん! 仕方ないじゃないか。
でもね、私が閉じ込めなければ、あの女の子はそれもちゃんと知ってるの。
そう、すっかり忘れてた。 あのこは、あんなにみんなに愛されてたじゃないか。 もー恥ずかしくなるくらいに愛されてたじゃないか。
辛いことばっかりなんかじゃなかった。 あのこを「可哀想な子供」にしたのは、私自身だったんだ。
私の中でうずくまっていた小さい女の子が、むくって顔を上げる。 ずっと暗闇だとばかり思っていたその場所はいつの間にか外で、 そこには気持ちのいい風が吹いていた。
彼女はにっこりほほえんで、私に手を差し出す。 私は彼女の手を取って、立ち上がらせる。 ごめんねって謝って、抱きしめる。
そしたら彼女は大人びた口調で私に言った。
「そんなにがんばらなくていいんだよ」
気持ちのいい風が吹く場所を、彼女と手をつないで歩く。 彼女は「お迎えが遅い」と怒っている。
えーーー。
私、一生懸命きみを守って、きみにごはん食べさせてきたんだよー。 なんで怒られるんだよー。いやそりゃさぁ(ぶちぶち)
…根本的なところで、やっぱり私は、私らしい。
ずっと座り込んでたから、歩き方がまだ少しぎこちない。
でも、これが私。
しばらく歩いてふと気付く。
小さな女の子がいない。 まわりをみても、私の中を覗き込んでも、いない。
だってそれは今ここに存在する、私自身なんだもの。
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★2008年01月01日(火)
『ゆらぎのないほどほど』 YO-KING
あけましておめでとうございます。
大好きなみんなの新しい1年が 素敵なことでいっぱいの毎日だといいなーと 毎度のごあいさつですが、本当にそう思ってます。
年末遊びほうけていてへろへろです。
8年前の自分が31日駒沢で高校サッカー2試合みて、幕張で カウントダウンライブ行って、都内のホテルに泊まって天皇杯に行く、 というのをやって本当にきつかったので、 今年はおとなしく天皇杯はテレビでみました。
やっぱり正解。帰ってきたの4時だったし。 余力があったら初日の出!なんて思ってたけど、もう限界だったよ〜。 足腰痛いし、頭も痛いしのどはれてるしねぇ。
まぁ勝ち残ったのが東京だったらそれでも行ったんだろうけど… 朝はいっぺん間に合う時間に起きたし。
でも、なんてゆんでしょ。
さすがにね、お腹いっぱい。 なんだかとっても充足している自分がいます。 とても楽しい音楽漬けの4日間でした。
私の好きなものは、やはりやっぱりとても素敵で
音で感じて、自然に揺れたり踊ったり 思いが伝わって心が震えたり 気合い入れてもみくちゃになって飛び跳ねたり 好きなうたを大きな声を出してうたったり叫んだり
色んなことを感じて、たくさん笑って とてもやさしい穏やかな気持ちです。
私の中がHAPPYでいっぱい!!!
…地球に生まれてよかった(笑) 身体はちょっと弱ってるけれど。
初日の早い時間にYO-KINGをみて、 「ゆらぎのないほどほど」という曲を聴きました。
私はとてもゆるゆるした力の抜けた感じが好きなのですが 多分いい時の私は結構ゆるゆるしてて、でもやる時ゃやるぜって感じで できていると思うんだけど、ダメな時の私はもー本当にダメで めいっぱい力入りまくりでひとりで空回りして自爆する有り様で
もーすぐに白黒つけたがるし とっても極端だし
いつでも穏やかにゆるゆる、でも凛としてたいんですよ。 だから私は奥田民生や『カモメ食堂』がとても好きなんだと思う。
そんな私に大好きなYO-KINGはうたうのです。
♪すぐに白黒つけたがる 短絡な奴らはもうダメダメダメBaby
なんかほんとにもー苦笑い。 あははは。 ダメだよねぇ、私。
「ゆらぎのないほどほど」
とても素敵な言葉だなぁ。
ゆらぎのないほどほどを身に付けたいと思う新年のきららです。
『ゆらぎのないほどほど』 YO-KING
特に今年は占いによると低迷期の最後の1年らしく もー何の占いをみても今年はがまんの年らしいですから ゆるゆると、力を受け流せるくらい柔らかく強くありたいな。
どっちかっていうと夏フェスの感じだね。
あぁ、夏が楽しみだな。 大好きな音楽と、ひたちなか公園の森林や湖、花畑、観覧車。
いい天気だといいな(*^_^*)
私にとってあの空間はまさにゆらぎのないほどほど。
大好きなみんなとお喋りしながら食べる美味しいごはんとか、 なにげない日常を大切にする感じもゆるぎのないほどほど。 去年までより力の入ってない、丁寧に生きる感じがゆるぎのないほどほど。
旅したいな。 遠くなくてもいい。
いいお天気の日に、長いお散歩のような旅をたくさんしたい。
できたら、好きなひとと手をつないで。
天皇杯をみて思ったこと。 鹿島には確かに受け継がれている勝者のメンタリティや魂がある。 ジーコはどうしてあれを日本代表には植え付けてくれなかったのだろう…。
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