2005年10月31日(月)
 『イージュー★ライダー』 奥田民生

今までフットサルしてて、こんなにも辛いと思ったことはありません。


この日はいつもよりメンバーのレベルが高くて、
いつものように練習の後ゲームになったら、
私の組はみなさん私よりかなり上のレベルなひとだったの。

いや、やり始めた時は、そんな深刻にそうは思ってなかった。
ふつーによろしくお願いしまーすって始めた。
でも途中から、いやこれはちょっとムリだと思ってしまった。

なんでそう思うかというと味方の指示が、本当にわからなかったから。
そしてイライラされてるのがひしひしと伝わってくるから。
ここは、今の私のいていい場所じゃないって感じてしまうから。


「まわって!」と怒られた。
言葉の意味はわかるし、およそ求められていることも察しはつく。
でも実際どうすればいいのかは全くわからない。

わかるのは、今私がここにいるのはジャマなんだってこと。
怒ったひとは、私が今いるここにきたかったんだろうなぁってこと。


敵がもの凄く強くてけちょんけちょんにされても
私はこういう風には落ち込まない。がんばりようにあるからね。
味方の役に立ちたい、みんなで勝ちたい、そういう思いの強い私は
どうしたらいいか全くわからなくなってがんばれないととてもへこむ。

役に立つどころかじゃまなんだなぁと思ったら
じゃましないようにしなきゃなぁって、
だって他にどうしたらいいかわからないもの…


全員が自分よりかなりレベルの高いひとの中に放り込まれるって
そういうこと。私には彼女たちには当たり前の共通理解がないのです。


別件で、親切にアドバイスしてくれたんだ。
顔出しのタイミングが遅いとかそういうこと。
一生懸命言われてることを考えました。
具体的には、どうしたら彼女の要求通り動けるのか。
しばらく考えてみたけれど、イメージできませんでした。

だって現状の私の思いつく範囲では一生懸命やってるのね。
決してなまけている訳ではないし、いつもどうしたらいいのか
考えてない訳じゃないし、これって多分、気を付けて意識して
速くするようにがんばってみようと思うことしかできないのよ。
方法があるのかも知れないけど、今の私にはそこまでしか考えられない。

ちょっと困りながら、がんばってみるねって答えたら

『わかんないか』

って、話終了させられちゃった。。。

それはとても正しい認識だと思う。
その通りだよ。
だけど、求められてもできない自分に悲しくなるのは仕方ないよね。
実際に言ってることさえわからないのが現状なんだもんね。


迷ったら、普段わりとできていたような気がしていたこともできなくて
それは敵もいつもより上手なひとが多かったせいもあるけれど

例えば攻守切り換わる。
私は前の方にいることが多いので、私が最初に手近なひとを
「このひとー」って宣言しちゃうことが多くなるんだけど
他のひとの方が切り換えや動き出しが全然速いんで
私が「このひと」って思ったひとに誰かに先に行かれちゃうと
自分のマーカーがみつけられなくてパニくったりすることになる。

怒られる(汗)

また攻守が切り換わる。
上がりが遅いって怒られる。

そしてまたイライラされてるのがわかる。

ぜーんぶ、正しい。

でも…


途中で、全く楽しくなくなってしまった。
私が悔しいと思える範疇を飛び越えてしまってるんだ。
悔しいじゃなくて、悲しくなってしまうんだ。
自分が彼女たちみたいにできるイメージが今の私には持てないもの。

自分が鈍くて遅いことなんて知ってる。
そして何言われてるかわからない自分…。


もっと強い人間だったら、こんなことでこんな悲しい気持ちに
ならないでいれるのかな。

強くなりたいな…



後日落ち込んでたら友人が「本当に上手なひとだったら
そういう風にあらわさないしきらにわかるように指示を出す」
と励ましてくれて(笑)確かに今まで、かなり上手なひとと
一緒にやったことあるけど、そういうひとはそうだったかも
知れないなぁとは思ったけれど、

私にちゃんと指示が出せない程度の上手さ、という認識は多分正しいし、
彼女たちも必死でやってるんだってわかるし
もっと言えば私に「あなたはここまでできる」と思ったくれたから
言ってくれたのかも知れないって考え方もできると思う。


でも、こんなにも自分だけが圧倒的にわかってないって感じは
初めてだったし、落ち込んでしまうことに、変わりはないよ。


練習楽しかったし、できない自分を認めて
またがんばるだけなんだけどさー。。。


2005年10月30日(日)
 『FEEL』 BEAT CRUSADERS

この日記を読んでいる私の友達に、本気で競技としてフットサルに
取り組んでいて、日々フットサルを中心に生きていて、いつかは
関東リーグ目指してます!みたいなひとはいないよね?

ねぇ、じゃあさ、みんなにとってフットサルって、なに?


言い切っちゃうけれど、私スポーツそれ自体、みるのは好きだけど
やるのはずーっとずーっと、むしろ嫌いだった。

子供の頃は絵を描いたり本を読んだり音楽を聴いたりするのが好きで
(あれ?今とかわんねーな)家でおとなしくしてる方だった。

でも自然が多い土地に住んだらごく普通におてんばさんでもあって
だから木に登ったり川渡ったり斜面を登る岩場を歩くとかして育ったせいか
跳び箱や鉄棒、マット、そんな体操系はわりと得意だったけれど
致命的に鈍かったのだ。体力測定するとパックマンみたいなグラフが
できちゃうくらい反復横跳びが苦手なのだ。その上とても不器用だった。
だからボールを扱うスポーツは全部苦手だ。しかも団体行動が苦手だ。

学校の体育の授業はよくさぼった。
唯一補習を受けた科目が体育だ。
卒業したかったら学校に来いと呼び出され、
もう学校に行かなくてよかったはずなのに2月の寒い体育館で
3人でバスケットボールをついていた。

ロックねーちゃんはフケンコーな方がかっこいいと思ってたし
運動なんてかったるーーーい、が私の地だ。


なのに、なんで30過ぎてから必死に走ってんだ!?オイラ。
しかも球技、しかも瞬発系、しかも団体競技。
どう考えても向いてない。
元々、できないことはしないってひとでもあるのに。


まーきっかけはずいぶん昔に書いたからはぶくとして
やってみたら楽しかった。しかも飽きなかった。
だから続けている、そんな大好きな趣味のひとつ。

フットサルに人生や生活を掛けているはずもなく
あくまでも趣味の範囲での本気。
明らかに向いてなくても好きになっちゃったんだもん。
もっと楽しむためにもっと上手になりたくてがんばって練習する。

大好きだから時間も労力もさいて 、いつでもできる限り精一杯
一生懸命遊んでる。たかが球蹴りにこんなに真剣。

そういうもの。



たぶん、今まで一生懸命やってきたからこそだとは思うんだけど、
時々、それだけじゃダメだみたいな、私の意識のレベルアップを促す
なにかが作用して、私は混乱する。迷って身動きできなくなる。

上手になりたいのは本当に本気。
だけど
だけど…

なんか、違う気がする。

そういう違和感を抱えて、自分自身に折り合いがつけられなくて
ずっと惑ってた。


昨日は東京ガス主催のサラリーマンミニサッカー大会があって
(ルールはフットサル)残念ながら今年シエスタは抽選にはずれちゃった
けど、友好チームの助っ人依頼と知人からのお誘いで、
午前午後ずーっと味スタにいたんだ。

朝、すっごい楽しかった。ダメだったんだけど、がんばれた。
私はたくさん笑い、いつものように一生懸命走った。



夜、お芝居をみていて幕間に一服していたら、私のフットサルの
師匠からメールが届いていた。先日私は何かで彼を怒らせたらしいので
それがなにか尋ねたメールへの返信だった。

答えのひとつが

『だって別にそんなの趣味じゃん』と言ったことだった。

私はそれを師弟関係の中じゃなく仲間や友達に話すように
私の惑いを話していたんだけれど、教える側の人間として
話を聞いた彼はとても怒っている様子だった。


でも…
だって趣味じゃん…


私自身に、教えて貰う側としての心が欠けていたことに気付いたから
彼が怒るのは当然だし仕方がないことだと判ってるけれど、その理由に
かつて愛していた場所がもうなくなってしまったことを思い知らされる。


こんな話をしたのもこれが初めてじゃなくて
しかも「わかってるよ」と言ってくれていたことだったのに。

ほんとに中途半端で微妙なレベルであり動機である私には
丁度いい居場所がなくて、そしてそれを理解して「汲み取ってるつもりだ」
って言ってくれたのが私は本当にうれしくって、だからこそ
この場所をとても愛して、とても大切にしてきたのに。


でもそれは、たぶん甘えなのね。
一生懸命でさえあれば許されると思ってたってことなのかも。
…上手になりたいって想いはいつも本気だったけれど。



でも色んなことの答えは、昨日の朝にあったんだなってわかった。
わくわくする楽しいなーって思う気持ち。
うん、だから私下手なの承知で球蹴りしてるんだ。
みんなの迷惑になっても(笑)やめられないんだ。
だからもっと練習して上手になって、またみんなと遊ぶの。
次は今日より、みんなの役に立てたらいいな。がんばろう。


友達が私が惑ってる時に言ってくれたことがある。

「でもいつも楽しそうに蹴ってるよ」

だよね?
だって、大好きなんだもん!

たぶんここが私の、迷ったら帰ってくる場所。


2005年10月29日(土)
 『リンダ リンダ』 THE BLUE HEARTS

今朝、私の中にみつけたもの。

それはたとえばこの前日記のタイトルにした『ハルジオン』の
小さな新しい芽のようなもの。

でもそれは、大げさに言えば
私は壊れてしまう訳にはいかなかったから
『グレーテルの記憶を抱いて』
それでも笑って生きていくために、自分の中にあったもの。


時々、ぽつりと思うことがある。
あの頃のあたしの目に、今の私はどう映るのだろう。
がっかりされるのかなぁ?
こんなもんかと思うのかなぁ?

んー…


私の中には今まで生きてきた分の言葉やメロディが詰まっていて
そのストックがふいに起動することがある。

で、あの頃わからなかった気付かなかったことが
数年経って急にわかったり違う解釈が現れたりするのは結構感動的。
自分の鼻歌でそれに気付いて道歩きながら号泣したりする。


で…
今日のそれは『リンダリンダ』だったんだよ!(笑)
あの頃から倍生きて、『リンダリンダ』に新たな発見をして
朝っぱらから涙ぐむ私。

いやーきっと、笑っちゃうだろうな、って思った。あの頃のあたし。

”だー もう しょーがめぇなぁ おめーは”

そんな感じ。


そういえば高校生の頃、一般的にはロクデナシなうちの初代とうちゃんが
病気になっちゃって、会いたがってるっていうし結構危ないらしいし
てんで久々に会いにいった時、まーったくおんなじ風に思ったっけ。

居間にははずかしいくらいでっかく引き延ばした七五三の私の写真。
とっても愛されてるのは知っていた。
でも、育てる才能がなかったのね(苦笑)

思い出のジュークボックス
たっくさんのレコード
ビートルズだのストーンズだのみつけて、うれしくなる。

しかも、そっくりなんだな、顔が(笑)

あぁ、おいらのとーちゃんだなーってしみじみ、笑う。
私は今のお父さんをたとえようもなく愛しているし尊敬しているけれど
でも、このしょーもないダメなひとは、間違いなく私の父親だって確信。
それから、このひとを愛している、ということも。

私は初代父に音楽を、今の父に本とお絵描きを貰ったのだ。
どっちかじゃなくてよかった。ふたりとも私のお父さんでよかった。


私も相変わらずどーしようもない私だけど、
まぁ遅々とではあるけれど成長していないこともないし

なんにしても、キミに嫌われるような大人にはならずに
いられたような気がするんだ。それだけじゃダメかな?

あ、また笑うし。

今も私の中にはロックンロールが流れているしね。

がんばれって?
あぁ、はいはい。がんばってますよー。

それなりにね(笑)


2005年10月27日(木)
 『ロクデナシ』 THE BLUE HEARTS

日々リハビリ中ですが、そろそろ助走に入ろうかな。
どうするかは私次第。

この間もお芝居や映画やサッカーをたくさんみてて書きたいのに、
心の整理の方が追いつかないし…なーんかさ、リハビリ中でも
私は相変わらず毎日のように楽しいことや素敵なものに囲まれてるのに
文句みたいなんばっか書いてるのは私自身がツマラナイ。

でも、このまま走り出すのもちょっと…なので一回まとめ、ね。


『なんでだろう』

私はこの間も書いたけれど、なんか急に感情をぶつけられることが
たまにある。そしてわからないけれどわかろうとして傷付くのだけど、
それはみつける答えが『結局、私のことが気に入らないんだな』だから。


私の「好き」は欠点や欠陥さえも受け入れているので
そうそうみんなを大好きにはなれない。身が持たん(爆)
長い時間を掛けて、徐々に私の中に受け入れていく。

すると、自分の大好きな友達のことを話すのに
”アイツ性格悪いからさー”とか
”全くアイツはいつも適当なんだから”とか
”またなんかひとりで先走ってるぞ”とか
悪態ついたりするんだけど、それらの言葉には必ずカッコ付で

(でも好きなのよ)

が含まれる。

私は相手を変えようとはほとんど思わない。
それがあって、彼・彼女だから。そのままで好きだから。

そりゃ私の好きなひとの本質が誤解されるのはちょっと嫌だったり
するから、言い方についてそれは誤解されるからとか伝えることもあるけど
基本的にはまぁ私があなたを好きで、私の好きなひとが私を分かっていて
くれれば、私はあなたを分かっているから、後はどうでもいいや、
みたいな気持ちの方が圧倒的に強い。
…とてもわがままで自分勝手な人間だと思う。


批判するとかされるってどういう時で、
どういうことなんだろうって考えてみる。

私にだって、ある。
気楽なくせに根がマジメな私が止まらなくなるのは、例えば
自分が損している気分になる時だ。
私はこんなにがんばって仕事してるのに、なんでそんなてきとーに
のんびりやってんの?とか。

しかし冷静になってみれば、私は”てきとーにのんびり”が実は
うらやましいのだ。うらやましいのだけれど、私は私にそれを許せない。
だって仕事だから。お金貰ってるから。ちゃんとしないと間に合わなくて
間に合わないのは嫌だから。判っているけれど、やりきれない思い。

「誰かがなんとかしてくれるって思ってる?誰?
結局私がやるんじゃん!」怒々々々々々々々


でも、どこかで「まぁいいや」と開き直る。
「ヒトはヒト、私は私」が落としどころ。
だって私はいい加減なダメ人間なのに、
実は仕事はちゃんとやる、って自分が好きなんだもん。
プライド持ってるもん。
仕事してるって自信があるから帰りたい時には帰れるんだし
休みたい時には休むんだもん。


”てきとーにのんびり”がうらやましいから腹が立つのは事実だけど
そう思ってる自分を認めてしまえば大丈夫。
逆に、他のひとは私の違う種類のてきとーさに腹を立ててることも判る。
こういう、仕事してるからって好きな時に休むとか、
ふいにタバコ吸いに席を立つとか、ジーンズもスニーカーも禁止のはずだし
…他にもたくさんたくさんあるだろう。


あはは。悪口なんかいくらでも言えばいいさ。
その他大勢になんてどう思われたって構わない。
うらやましいなら、もっと自由にやればいいじゃん。
でも彼女らは、それぞれの理由で自分にそれを許さない。

そして嫌われるとか批判されるのをとても恐れているので
それを怖がらない私も許せない。


例が極端だな。
両方ちゃんとやってるひとはたくさんいるし、ほんと偉い。凄い。
そのひとにはそれが当たり前だろうから、どっちもさぞ腹が立つかな。
ごめんなさい。いやこれも器量の狭い考え方だ。

それで腹が立って許せなければやっぱりうらやましいのだろうし、
そこで落としどころのあるひとは、本当にとても大きなヒトで、
そういうひとは私の自由さも許してくれたり認めてくれたり
あまつさえ、愛してくれたりするもんね。


結論結論。

まずその他大勢はやっぱりどうでもいい。
好きなひとは許す。認める。それが私の愛。
甘えだけど、自分のことも許してくれたらいいなぁと願うように思う。

許せない時は…批判や変化を求めることが止まらない時は
それはやっぱり、好きじゃないってことなんだろう。
まぁぶっちゃけ相性悪いとかウツワがちっちぇえなぁってことか(笑)

あーでもなぁ…「好きじゃない」とひとくくりするのも間違いだな。

ある関係の時には許せなかったことも、関係が変われば許せたり、
逆に許していたことが許せなくなったりするから、
関係性というのがポイントかも知れないね。


批判が止まらなくなったら考えよう。
「本当は私はどうしたいのか」
落としどころがあればおっけー。
なかったら…変えるべきなのはきっと、相手じゃなくて自分自身だ。

好きなひとから批判を受けたら、見直すべきは関係性だな。
ま、それでもやっぱり私はまたぐるぐるするんだろうけど、
それはもう、好きなんだったらしょーがないさ。
好きなひとを好きでい続けるためにも、まず好き嫌いにとらわれず
関係性を見直そう。それは多分、そのままの関係じゃダメだってことだ。



悲しい気持ちはいくつもあって、幸せになって欲しいという
言葉(気持ち?)とは裏腹に、最後のドアはしっかり閉ざされてしまうし
部分的に壊れてしまった私の修復には時間が掛かるだろう。
変わってしまったものは元には戻せないし、
いっそ元のままでいた方がよかったかも知れない。


でも私が受け入れて始まったことだし、きっちりおしまいになるように
私らしくない実に美しくないこともしたけれど、それも自分で決めたこと。
最初も最後も、後悔してる訳じゃない。


また、それがあってこそ今の私と言えるように生きなきゃね。

きっついなー…
まだかなりムリがあるな。

まぁだから、日々リハビリさ。


昨日はレディースディだったので久々に映画館で邦画をみました。
『スクラップ・ヘブン』

「想像力があればオレも世の中ももうちょっとマシになってるはず」

うん。私もそう思う。

でもこんなハズじゃなかったってことばっかりさ。
こんなハズじゃなかったってことの連続さ。
だからこそ、めいっぱい考えて自分で選択しなきゃなんだよね。
ひとのせいにしてたら、かっこ悪いし。

想像力は欠如はキミも私もみーんな同罪。
相手の想像力の欠如ばかり指摘しちゃダメよ、私。


さて、明日はのびのびになってたアフリカ料理だーっ☆


2005年10月24日(月)
 『涙』 ケツメイシ

あ、いや、大丈夫っすよ。
想像力豊かな友人が心配してくれたので元気報告。


先月は自分の中がぐしゃぐしゃでえっらいことになってたけど、
今月はもうめっきり心は平穏。未遂の約束とか来ないメールとか
待たないでいられるだけでも、よほど心は平穏。
あーほんとに苦しかったんだなぁ、私。思い出しても窒息しそう。


日々元通り、みたいなものを求められてる様だったので
ちょっとがんばってはみたんですが、これはムリかもですねー。
意図的に普通にするって、結構大変。
だいたい、どこが『元』なのかも、もうむずかしいしね。

…相手から緊張感が伝わってくるんだもん。
(私も出してるんだろうけど。)
あぁ、私がいると全くリラックスできない状態なんだなーと
思うと、やはりとても悲しくて、あらやっぱりすっかりいなくなった
方がよかったのかしらんと思ってしまうし。

でも、私はここにいると私自身が決めてしまったし、
どこかでどうにかして折り合いをつけていかなきゃいけないので
まーもうしばらくがんばります。



うん、大丈夫だよ。
私、自分がとっても強いことを再確認した。




世界が私にやさしくなくても
私はあなたを愛してる

この星を抱きしめる
この時を抱きしめる
この想いを抱きしめる

私の腕はこんなに広く
私の胸はこんなに柔らかいのだから

(榛野なな恵さんのたぶん98〜99年頃の『Papa told me』だと思う…)


2005年10月21日(金)
 『HI-HO』HIDE

先日愛読者宣言されて、
どうも日記を待たれてるっぽいので(え?違う?)
ちょっと放置間の分を書いてみる。

ふたつあるからできたら古い方から
読んでくださいましな。


2005年10月20日(木)
 『ハルジオン』 BUMP OF CHICKEN

日々、リハビリだ(笑)
そして知る愛もある。

だから私は戦っている。
好きなことをこれまで通り好きでい続けるために。
待っていてくれる大切なひとのためにも。

だから私は『ここ』にいるってわかったから。
『ここ』でがんばらなきゃいけないんだって知ったから。


友人たちがあまりにも大きくて暖かくて
「やさしい言葉ひとつで 冬中暖かい」
と、またある年に父がくれた年賀状の言葉を思い出す。
うん、これだけで一冬やさしい気持ちで過ごせそうだよ。


そして、なんだか、あまりにも自分たちがちいさくて
なさけなーーーい気持ちになる。



私がとても傷付いてしまうのは故意だからなんだよね…
それは無自覚な故意というか、未必の故意というか

だったらいっそ嫌いになってくれたらいいのに
何故か彼・彼女らは『嫌ってはいけない』と思ってるらしくて
そこでゆがみが発生しているような気がする。

そして私は判っているのにまんまとそれで傷付くんだけど
相手は言わないと自分が傷付いちゃうのかなぁ。


何もしないでいてくれたらいいのにね。
目の前に私がいるのに、わざと聞こえよがしに語ったり、
たとえ話を用いるのはどうしてなんだろう。
自分の思い込みを事実のように他人に吹聴したり。
(私の話ではないので口を挟むのもなんなのでほっときましたが
本人の名誉のために私は戦うべきだったんだろうか?
でもきっと分かり合えないしな。だいたい私がそう思ってる訳じゃないし)


こういうのはこれまでにも何度もあった。
『虹』2000/05/10の時とか『存在』2005/03/24の時とか
たいてい最初はしたり顔で『あなたのため』だと近づいてくるんだ。
しかもそれを、あたかも自分だけじゃなくて
私を知ってるひと全てがそれじゃダメだと思っているかのように語る。

同じ目線で一緒に問題を掘り下げてくれたりアシストしてくれる気は無く
ただ、言わずにはいられないだけなのに、私は何度もはまって傷付く。
せめて自分の言葉や行動で真っ直ぐ向かってくれればいいのにな。


(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

太宰治「人間失格」


ね?
あなたが、でしょう?
他人はどうでもいいのよ。


 ……。  OTL


はー。
なんか、がっかりだ。


2005年10月10日(月)
 『Super Scooter Happy』 capsule

『世界が終わる日には きっと雨が降ってるんだ』


あるお話の、私とよく似た女の子の台詞。
うん。私もそう思う。
あの日もあの日も雨だったし、今日も朝から雨だ。


今日を最後にもう二度と会えないかも知れないし気は重いし
それでも自分で言っといて相手の都合は考えないメールがくるし
そして朝から雨降りだしで、起き抜けの気分はこんな感じ。



なのにね
『Super Scooter Happy』うたいながら会いにいったんだ、私。
あんなに傷付いていたのにね。

どっちも私だけど、単純なことでハッピーになれる私の方が好きだから
『Super Scooter Happy』うたいながら会いにいけてよかったなーと思う。



友人にはそういうのもうやめなさいって怒られたし
友達に言えない恋はやっぱりおかしいと思うけれど
それでも私、好きなひとを条件で選んだりしない自分が好きなのよ。
ダメ?(苦笑)


立ち直りっぽい結末は毎度の開き直りな訳ですが
ちょっとだけ悲しいのは、私の中の最後の最後のとても堅牢な扉が、
今までよりももっと強くしっかりと閉ざされてしまうだろうということ。


まぁそれでも『Super Scooter Happy』うたいながら
会いにいけたんだから、私、本当はとても強いんだと思うよ。


この部屋にいるのは苦痛。職場も苦痛。
慣れ親しんだ大好きだった街の駅に降り立ったら
胸が苦しくなって震えて…足がすくむってこういうことを言うんだ!?
ってそういうの初めて実感してびっくりした。
けれど、やっぱりこの街は好きなままだったし、
今まで好きだったものを嫌いにならずにいれる自分に安心した。
このこのことも真っ直ぐ愛せるしね。



いつもの美容院の店長、おにーさん、しょうこちゃん、
きれいにしてくれてありがとう☆
久々に切った前髪もピンク混じりのカラーもなかなか好評です。


そしてタイミングよくBGMがcapsuleだったから
その日の鼻歌が『Super Scooter Happy』だったのだ。
ハッピーな気分で会いにいけたのは美容師さんたちのおかげだね。
ますますありがとう。


しばらく浮いたり沈んだりしてると思うけれど
んー…『浮く葉にも 沈んだ葉にも 雨は降る』て感じかな。
ある年にお父さんがくれた年賀状の言葉。


毎日雨が降り続いているけれど、それでも
世界はまだまだ終わりそうにないしね。


2005年10月01日(土)
 『Lies and Truth』 L'Arc〜en〜Ciel

1ヵ月くらい、あるひとに言われたことで思い悩んでました。

そもそも=(イコール)で結んだ式自体が誤りなんじゃないか、
なんてことに気付きもせず、誰に相談することもできず、
まぁぐるぐるぐると踊り続けていたのです。

もっとも私には未来の幸せなんてものよりも
それを言ったひとと自分の今の関係の方が大問題だったので
それで余計ぐるぐるしたのだけど、それはひとまず置いといて。


この数日、私をよく知ってくれていてわりと自由のきく
友人の家を渡り歩いて好意に甘えて過ごしました。
CLもあったし、体内時計はむちゃくちゃだー!(笑)

昨日は女子7名でスペイン料理を頂きつつしこたまサングリア(うまーい)
を飲む集い(え?ちょっと違う?)なんかもあったし

今日は駒場で久々に目の前で東京も勝ってくれて、
帰りに行きつけの店(笑)の東京好きのマスターに
お祝いのシャンパンをごちそうになったり(会計もまけてくれた☆)

3〜4日であきれるほど喋り倒して、色んなものを貰いました。
気持ちや言葉に、友人にはサイズの合わなかった洋服、
おやつやおつまみや本、お弁当や朝ごはんなどなど(笑)


私を思う「大丈夫?」と
相変わらず根拠のよく判らない「大丈夫」をくれる彼女たちに

察しのいいヤツから届く、軽い説教メールに

私って××××××?
○○○だから△△△って言われたんだけど…
(意味不明でごめん)

そんな問い掛けに
「そんなこと言われてもきらはきらだからなぁ」
「それは全然違うでしょ?」
って妙な説得力に驚かせられたりして


見失っていた自分を見つけてホッとする。
友人らの言葉に救われて、少しだけ自分を取り戻す。


「でも、それを言ったひとは、本当は自分が
どうにかしてあげたかったのかも知れないね」


え!?本当!?
てかこれだけの話で、どうしてそう思うの?

そうかなー
そうだったのかなー
ん〜…


でもさ
「結婚して」(自分以外のひとと)とか
「幸せになって欲しい」とか
好きで一緒にいるはずのひとに言われたら、動揺しない女はいないよね?

側にいてとか好きとかと一緒くたにそれを言われたら、
混乱するのは当然のことでしょ?

んで、このままだと不幸になるとか言われたら
それはトドメだと思わない?
私の方から、やめて欲しいんだろうなぁって。

「他のひとと結婚した方が幸せになれるのは分かっているけれど
でも、もう、そういうのやめたの」
って始めたくせに、それを理由にされたら
あぁその程度の覚悟(?)だったんだなーって
なんて言ったらいいんだろう…すごいがっかりした。

それからはもう、私の中は 私はもう要らないんだな って
考えでいっぱいになって、そこが曖昧なままだと
他には何を言われても何も考えられない状態だったんだと思う。

冒頭の”あるひとに言われたこと”は「それ」って指示代名詞
ばっかりでそんな状態になってる私には本当に訳わかんなかったし
訳わかんないからちゃんと訊きたかったのに、確認したかったのに

それからそのひとは、会っても私の顔をまっすぐみない。
ちゃんと話してくれない。


仕方がないから、私は私の中に一生懸命答えをみつけようとする。
毎日毎日、自分の中の闇の部分ばっかりみつめることになる。
事実は変わらないし、私はちゃんと目をそらさずに自分の闇を
認めて向き合って生きてきたけれど、自分の闇をみつめ続けるのは
とてもしんどい…ぐるぐるぐる(以下略)


「でも、それを言ったひとは、本当は自分が
どうにかしてあげたかったのかも知れないね」


そうかなー
そんな覚悟があるひとは、言いっ放しで逃げ回ったりしないでしょ。
あまりにも自分の言ったことで私が傷ついたので話をするのが怖くなって、
腫れ物に触るようだったなんて、思っても言えないんじゃないかな〜。
無責任すぎるじゃん。


なんにせよ
それができないひとにしたり顔で言われたくはない。

約束や言葉なんか、私が感じたり信じたりできなきゃ
全く意味なんてないじゃないか。
行動や態度が伴わない約束も言葉も、私は要らない。


そう思いながらも
頑なだった心は少しだけ溶け始めて
私の中のやさしさも、ちょっとだけ顔を覗かせる。


そうだ。


素直に純粋に真っ直ぐに、やさしくしてあげたかった。
あげられるものがもしあるなら私はあげたかったのだから
必要として欲しかった。

やさしくして欲しかった。
「どうしてそんなにやさしくしてくれるの?」
「やさしくしてあげたいから」
そう答えてくれた、ある日のように。


ただそれだけのことだった。


一緒にいる間、あのひとが私を本当に好きでいてくれたのか
傷付きすぎたので私にはもう判りません。


でも、月や風や緑や花に彩られた、美しい夜があったね。
流れる水面に光るおひさまのかけら
砕けて消える波しぶき 水上の花火

全部瞬間。
でも、瞬間でも、あれは恋だったよね?


まぁもう今更、あんまり美しい話になんかしたくないけど
刹那は、とても幸せでした。


まーなんだな。
こんな正直で明け透けに自分を傷付けながら生きてるおいらが
自分の大切な友達に何も話せないって状態は、やっぱおかしい。
友達に話せないような恋は、やめよう。


あーそれから
先週末放浪癖のある嬢ちゃんと一緒だったせいもあって
久々にまたどっか行っちゃおっかなーなんて考えたりしたけれど
私はもう、みんな好き過ぎてダメみたいだ。

私は、どこにでも行けてどこでどうやっても生きていける
自信と自由を持っているはずだったんだけど…


参った(^_^;)


「遠い」って返事は、とてもわかりやすい(笑)
それより、無言でそんな顔しないでくれ(苦笑)


もう、どっか行くとか言えなくなってしまった。
あはは。



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