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2006年03月31日(金) ■ |
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しばらく。 |
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今日から5月4日まで新人研修で山ごもりです。 遂に社会人。
ぞ。
多分気が重いのは私だけじゃないよね…みんな気が重いよね…社会人だもんね… 山の中だもんね…花粉症とか実際どうなっちゃうんだって感じだよねそっちかよ!!
それでは生きて帰ってきます。
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2006年03月27日(月) ■ |
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あし。 |
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身長161cm。 足のサイズ22.5cm。
・・・ orz
の、サイズですら偶にでっかくてブカブカになってるのがショックだった今日。 (パンプスとかね!でかくなるじゃないですか革がさ!) そう!22.5って以外にないんだよな! 結構「いやーこれ、23からしかなくて〜」とか今日も言われてだな! 足のサイズとかって小学5年生辺りから多分変わってない、と、思う。 身長が10cm近く伸びても足は変わらず。 間抜けの小足…。 うちの母親私より7cmくらい小さいのに23.5…。 馬鹿の大足…。
orz
あと肩幅の所為で11号入らない服!!おいィィィィスーツうぅぅぅぅ!!! なんだこの微妙に均整とか取れてない体格!! でも身長だけはうちの家族の規格外なんだよな!家族はみんな小さいのです割と。
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2006年03月20日(月) ■ |
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すしー |
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多分生まれて初めて回転寿司に行きました。 ああ!このリッチ!とか言わないように。 寿司はめったに食べないけど、食べる時は(祝い事とか誕生日)いつも 生まれる前から通ってた店に行ってたんだよぅ。 この程その店が、店長が亡くなって閉店してしまったのである。 その前に脊椎か脳卒中かで手が麻痺してはったんで、店長のじいちゃんは 復帰してからも殆ど握ってなかったんだけどね。 多分、握りたかったんだと思う、リハビリとかして。 普段はだから、店を管理してたり配膳したり、常連の話し相手してたんだけど、 一回、頼んでもないのに明太子手巻きをくれたんだね。 正直、不味かった。死ぬほど。 まず、ぬるい。致命的。んで、握れてないから緩い。今でも思い出せる不味さ。 でもなんか、妙に泣けてきて、食べた。泣いてないけど。 何も言わずに食べた。何言っても仕方ないしね。 あれはでも、普通の大人の客には出せないんじゃないかと思うので、 私ならまあと思われたか私だからと思われたかは分からないけど、 あのおっちゃんのメモリアルの寿司を食べたんじゃないだろうか私。 もしかしたらファイナルかもしれないぜ。うわん。
今日は自転車で40分くらい掛けて(うち車ないので)、家族三人で。 兄貴は北海道で大雪に見舞われているぜ。 回転寿司っつっても半分カウンターみたいなところで、握りも普通に頼めるし 市場の卸しなのでまずめちゃくちゃ安い。結構美味かったです。 いや、一般的にはかなりのランクだと思うんだけど、 私が通ってたその寿司屋は本気で美味かったのでね!寿司だけ舌肥えてる。 んでも、冗談抜きで一番感動したのはサイドメニューの新ジャガのフライドポテト。 皮付きで軽く揚げてるので若干甘い!!あージャガイモ大好き。 いや、寿司ね。美味かったです。ホント御免なさい。 このサイトの http://gourmetclub.boo.jp/index.html こちらで http://gourmetclub.boo.jp/daikisuisan.htm 紹介されてます。チェーン店みたいなので他にもあるのかしら。 因みにこちらでは「瀬戸寿司」は紹介されてなかった。悔しいなあ残念。 私の中で永遠の一番は瀬戸寿司です。
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2006年03月19日(日) ■ |
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肩幅がー |
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新しい服を買ったら(セーターの中とかに着られるキャミソールみたいなの) そんなの試着しないじゃないですか、着てみると鎖骨の下胸の上あたりがキツい。 胸がキツイとかじゃない、これ肩だもはや。肩がキツイんだ。 Yシャツ買っても基本肩がきつくて腕が上がりません。どうしよう。 まあスーツで腕を上げる機会って…あるやん吊革とかあるやんけ。 コートもスーツの上から羽織ると肩が上がりません。 世のおなご達はそんなに肩が薄いんでしょうか、逞しくてすいません。 声楽の先生に「肩胛骨の間が広いね」とお墨付き。 この間Yシャツの話してる時に母親に「えー、アンタそんなに体格良くな…広いな!」って言われました。 従姉の姉ちゃんに背中踏まれた時も「厚いなー」と言われました肉厚じゃないですよ! 肉は踏んだらべちゃってなるんです。 骨はべちゃっとしようと思ったら折るしかない! や め て ! なで肩だから分からないかもしれませんが意外に肩幅があるのです。あと丸太体型。 そう言えば高校時代、「DOK.Kanは後ろから抱き付きやすいーvv」とか言われた覚えがあります。 それは乗りやすいという意味でしょうか背中に人乗せる職業なんてアンパンマンくらいじゃん。 一本背負いくらいマスターしとけば良かった。
友人は気が重いとか何とかで自分の意志で卒業式、家で寝て過ごしたそうだ。 どうなんだろうそんなに大学が嫌なのか何なのか、でも区切りなのにサボる意味も? 自分の事を偏屈だと言ってましたが、それは言い訳ではないかとも…。 私には当然子供はいませんが、漠然と、「こんな子供は嫌かも…」とか思ってしまった。 10年来保護者気分(気分だけ)。
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2006年03月18日(土) ■ |
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S…お前…卒業して良かった…!! |
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夕飯後に親父の携帯に、親父の友人から電話が掛かってきた。 K氏。 何故か母親に代われと言う。 代わった先は、まーこれなんていうかホント、卒業しといて良かったよと本気で心の底から思いましたよ!!
S。(音楽部の教授です)(うちの門下の教授と同い年)
もういいって!Sネタはもういい!! ていうかやめて欲しい。
うちの母親は今からちょうど30年前の音楽部生で私の先輩です。 何より、Sの嫁さんと同期です。 どうやらあのおっさんを巡って当時二人の同期が争いを繰り広げていたらしいぜ!ハッ!! 母が言うには口説き(褒め)上手らしいぜ!!ハハハッ!! (まあ、そういう当時有名な話を母親が知ったのは、四回時に行った学部の合宿での夜の恋バナらしいけどね!そういうこう、噂に蚊帳の外みたいなところまで脈々と血の呪いが受け継がれてるのか私にと悲しくなりましたよ!) (母親の影響で私もすっかり「先生」と付けなくなってしまった) (どうせうちの母親も変人だったに違いないんだ!)
ほんでまあ、私も入学当初はそれをネタに脅し…てはないが(多分)。 「うわッ」とか言われましたが。 ほんで師匠みたいな先生に「学生に手を出した」って怒られたらしいですね! なんて話は流石にしてないけれども多少はまあ話した事はあったんだが在学中。 なんとうちの親父の青春時代以来の友人が、昔Sとマンション同じで Sが一戸建て購入して引っ越してからも付き合いが続いている二十数年来の飲み友達だと判明。
ホントやーめーてー。 突如親父の口から「Sくん元気か」とか言われた日にゃ戦慄したわ。
その話をS自身から聞いた時はホンマにこのおっさん殴ってやりたいと思いました(意味もなく!) アレじゃないですか、うちの機密事項→うちの親父→K氏→Sじゃないですか。 恥も何もあったもんじゃないよ。大学の教授ですよ!うちの学部の!! うちの学部50数名しかいないんですよ!!みんな身内!!はずかしい!! とか言いながら四年間で全員の名前覚えなかった強者がいますけどね!!ここに!! 同級生に敬語で話してめっちゃ怒られた!!よく考えたら四回の時自分より先輩って院生しかいないのに! でまあ、少なくとも奥さんの事はK氏は親父から色々聞いてると断言してるんだよ。 Sの奥さん経由で、うちの母親が最近超音波とまごうような声楽始めた事、 あらゆる方面に広がってんだよ!(母はピアノ科)ホントもうやめろよおやじー。
ほんでまあ、今日掛かってきた訳ですよ、奥さんとその友達と一緒に酔っ払って。 酔っ払ってなきゃ掛けてこんわな、そりゃ。 片やうちの母親は家で普通にベロンベロンな訳ですよ。 あの人元々テンション高いけど酔っ払ったらメーター吹っ切るからね! あまりの酔っ払いようにどうやらSに「お祝い事ですか?」とか訊かれたらしいけど、 あの人は毎日ヘベレケだからね! 私はよくそれについて行けなくて置いてけぼりですからね!! 今日突然親父の事を「パパリン」とか言った時は、ちゃぶ台があればひっくり返していた!! あーもうホント卒業して良かったよ!!一週間早かったらと思うと!!
ち の け が ひ く 。
そうそう、Sの奥さんはつまり私らの30上なのにジムとか行って 体脂肪率18%?!とかいう脅威の体型を誇る方らしいのですが、 Sがその、体脂肪率計る体重計に乗った時、あまりの、その、アレに、 「この体重計壊れてるよ」 とか言ったらしいですよ。 そんな話を電話でしてくる自体奥さんも相当酔ってるなコリャ。 うちの母親から「喋ったれ喋ったれ」とお許しが出たので喋ってみました。
うちの母親から許しが出てもなあ…。 まあもう卒業したしどうでもいいか。苦しむがいい。
っていう、mixiの日記まるまる転載。 ホントこんな微妙な繋がりやめてほしい。
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2006年03月16日(木) ■ |
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卒業式でした。 |
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3月14日、1年間門下生として師事し、更に1年間支えて頂いた 偉大なるロシア人の先生の誕生会&お別れ会でした。 顔が赤いのは酒入ってるんでなくて、レストランが暑かったのよ。

そして3月16日、何とか無事に大学を卒業する事が出来ました。 学生生活ももう終わりです。寂しいものだ。門下一同! うちの大学は妙な所で古式であり、卒業式は黒スーツかワンピなのですよ。袴はちょっと着てみたかった。 でも証書貰って壇上から去る時、妙にカッコ良かったらしいぞ私。何が?

大学1、2年と2年間はもとのメルヘンコスモス先生の門下にて。 こんなん言ってバレたらめちゃくちゃ怒られそうですよ!は は は。 もう最初の頃はこの先生が怖くて怖くて先生の前では弾けないわ試験は壊滅するわで最悪極まりなかったのですネ!普段はそんな事もないのに、思い詰めると余計に悪循環。その先生の前で初めてまともに弾けたのは受験の時で、それまでのレッスンは大変な事になっていました。 宝塚の駅前で、レッスン後に某アンデス系のバンドの路上演奏を1時間ほどしゃがみ込んで聞いてたのは良い思い出だよ!
2年の最初にみんなの前で発表する機会があって、あーこれで失敗したら学校辞めようと思ってたんですがまあなんとか乗り切り、これを機に亀の如くですが徐々に進歩。いや、元に戻ったのかな。 とにかく、2年の終盤に先生から「客員教授のレッスンを1年受けてみないか」「まあ前は…だったけど、今なら何とかついて行けるんじゃない?」とお電話頂いた時は嬉しくて思わず母親にアタックしました。ホントにアタックしました。ごめんなさい。
そして某氏の門下へ。 1年間、本当に貴重な体験をしました。別に常に元気がない訳じゃにけど、会う度に何故か励ましてくれて(なんか黒いモノ出てたんかなー?)、今まで音楽は好きだけど、一人で演奏する事が特に好きではなかったのですね。合唱や伴奏が好きだったし、自分のピアノもあまり独奏向きではないから(地味)。 だけど某氏には、独奏の楽しさを教えて頂きました。 先ずは自分が楽しんで、自分を表現する楽しさ、ですかね。 最大限表現してるつもりでもまだまだみたいで、どうもその辺りが励ましの原因かも知れませんが、いっつも「大丈夫だよ出来るよだから遠慮しないで!」「間違えてもいいからまず自分を表現してみて!」みたいな事を(勿論よく分からない英語で)言ってくれました。あの先生「ワン、ツー、スリー、ファイブ!」って言ってましたからネ!! 遂に国に帰ってしまわれるのは寂しいもんですが、卒業までいてくれたのは(事情があるとはいえ)本当に嬉しかった。有り難うございました。
4年になってコスモス先生の門下に戻ると、どうにも今まで恐ろしくて仕方なかった先生と普通に話が出来る様に!しかも馬鹿話。ここ重要。 あー、この先生取っ付きにくいけど(ついでに私も取っ付きにくい子でしょうが)話すと面白いんだなあと思いました。めちゃくちゃ我が儘も言えました。試験やリサイタルの前の日に一回だけ聴いて!とかね。ホントごめんなさい。 多分先生から見た私のイメージは、(よく分からなくて絡みづらい変な子)→(よく分からない変な子だけど話してみると意外に単純で最後まで冷や冷やさせる)みたいになったんじゃないかなーって、全然よくねえな! あと就活。うちの学部はまだまだ閉鎖的退廃的で、「就職なんて」とか言ってる時代遅れの先生もいますが、そうも言ってられないんですよね、最近は。しなくちゃいけない事情だってある。 我が先生はと言うと、多分かなり先進的というか、何かを頑張ってる人を否定しないんじゃないかな。就職活動についてなんら手助けはないけど、いいんじゃない?と言ってくれるんですね。その辺りが本当に有り難くて助かって、面接とか内定先とか正直に話してました。今日再び話したら綺麗さっぱり忘れられてたけ ど な ! とにかく、フトコロの広い先生でした。いずれ叶えたい夢の話まで普通に話す私もオープンマインドだと思いますけど。私の自慢は隠し事がない事です。 4年間の1番の成長は、この先生と普通に話せる様になった事だ! えへんぷい。
ところで、2年生から今までの3年間、情報系授業のアシスタントとして、アルバイトをしてました。 今日久々に控え室に行くと、白板に派手に書いてありました。 わー、嬉しいー、お前らホントにそう思ってんのかコノヤロー!! せっかくなので激写。
 バイトはホント、音楽部には居辛いし(上記の理由で)鬱になってた時に、気分を変えようと思って挑戦したら変わったどころかおかしくなりましたヨ!という感じで、バイトと言うよりサークルみたいな気がしてた。よくもまああんな変人ばっか…いやいや。楽しかったですよ。居座ってたしね。 大学にいる時は大概、音楽部の練習室か控え室にいたわ。
それで卒業してみると、意外に感慨深い。4年間実は色々あったなあと思い、涙ぐみはしませんでしたが、一人心沁みておりました。 4年間のラストと言うより、学生生活のラスト、かな。 中高で一番のものは、得難い大切な友人を得た事だけど、 大学では本当に尊敬できる教授に出会えた。上記の2名と、声楽の先生。 社会人になるのは正直不安極まりないし、嫌でもあるんだけど ホントとりあえず頑張って生きていこう。 とりあえず3年生きるわ。
そして初めて、卒業式で泣いてはないけど感動してた。 いい卒業式だった。
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2006年03月15日(水) ■ |
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明日は卒業式で |
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明日は大学の卒業式です。 …雨か…。
小学校は良い思い出とかもなく、先生が泣いてるのを冷めた目で見てました。 中学はエスカレーター式なので特に感慨もなく。 問題はアレだ、高校。 前の日に両親が大喧嘩して2時頃まで巻き込まれ、4時頃就寝。 寝不足で登校中、露出狂が出るも私の顔を覗き込んでもの凄く戦慄されて避けられる。 いや、避けるのもお前失礼だろ!どうでもいいけど!! 生で見てもまああの時はじゃかしいわボケが!!とか言って蹴り上げるくらいはしたかもしれんが。 一応は最後の卒業式ですよ今日は。ちょっと分からんけど。 綺麗に終わりたい…。
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2006年03月03日(金) ■ |
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卒業演奏会 |
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卒業演奏会が終わりました、ええ終わりましたとも。 初日の一番。 いの一番にリストの「夕べの調べ」。超派手。 綺麗〜な鐘の音の響きから、静かな和音、ハープのような音が響いて、 ラストはガンガン和音で響くという曲で。 実はラストのあの激しさは何を表しているか分からないという(汗) 鐘の音…夕闇…迫り来る宵闇…悪魔的…天使達の大合唱…結局そうなるんかい!! 豪快に間違えるも意にも介さず(驚くほど落ち着いてたわ) その後波に乗ってガンガン弾きまくる。 リスト大好きだ! 一番だったのでいろいろ我が儘を言えて(椅子が床を滑るとかね)いいのはいいけど 着替えたりが要領分からず(学校内でドレスですからね!) 石の階段を上り損ねて…スカートの裏布を踏み破いた!!どはあ!! おかんに怒られる!!まあ見えないけどさ上から何枚も布があってよかった!!
 分かりにくいかと思いますが髪を結っている、頭に蝶が着いている。 タンクトップみたいなキャミソールみたいな形の上衣なんですが半透明なタンクトップ全面になんつーんですか光る丸い小さいのが付いていて、遠くから見るとキラキラです。 うちの学校は結構古式な学校なので、上衣は白ブラウス、下衣は黒スカートと決まっているのですね。 その中で私の形は露出は結構高いけど(肩幅が妙に広いのでブラウスだときつい〜形はめちゃくちゃ地味で、本番前も先生に「どんな服なの?」(普段が普段なだけに心配された)と尋ねられたら「え…なんかこう…タンクトップみたいな?」って言ったら「何なのソレ!」ってビビられたんですが、遠くから見るとめちゃくちゃキラキラしていて、下手に胸元に花が付いているより余程綺麗でした。やったねー。結構オーダーメイドも多いみたいですが私は既製品で。でも良い感じだったと思われます。下はサテンみたいなふわっとした、二枚の薄布が上になった黒スカート。綺麗だったみたいですよドレス。 まあ間違えた事も、その前に階段でこけてスカート破っちまった事も ものすごくショックな訳だが、兎にも角にもコレで大学生活終了。 寂しい。 社会人になりたくないなあ…。 演奏はどうだったか、みんなにどう聞こえてたかは分からないけど、 自分は楽しく弾けました。ホントに楽しく弾いてたよ。 出会えた先生達に感謝。 先生達は「こいつ最後の最後まで冷や冷やさせやがって」と思ってるかもしれんが。 04年に一年間師事していたロシア人の先生が、リハに突然来て下さって、 現在の先生が始まる直前に来てくれた…なんだかものすごく感動しました。 聴きにきてらっしゃった皆様ありがとう。 あれは女装じゃないですよ。ホント違うよ。 スカート穿く度に戦くのはいい加減、アレだ(笑) 年に2回は穿いてます(試験の時)
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