CORKSCREW Diaries(米国編)
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2002年05月31日(金) JAM SESSION


今日はクラムボン。
昨日に引き続いてライブの日。
会場はあ〜忘れてしまったけどすごく狭いところ。
ライブハウスって言うよりも本当にカフェ。
ぼんやりと座っていたら目の前の扉が開いて、
顔を見せたのは郁子さん。
思わず目が合ってしまって、微笑みあう僕ら。
ラッキー、と思ってしまったのは言うまでもない。

Re-clammbon ツアーってことで、
普段のライブじゃみられないようなまったりとした雰囲気の中でライブは進む。

カフェの真ん中に演奏スペースがあって、
クラムボンの三人はそこに座って、
僕ら観客が周りを囲むと行った状態。
ハッキリ言ってものすごい間近だった。
お客さんと演奏者の間に垣根も、ステージすらもない。
こんな場所で演奏が聴けること自体幸せ。
まあ今回のライブは、完全招待制で、
厳選なる抽選を勝ち抜いて行くことが出来たんだけど。

座ってじっくり聴くクラムボンもまた格別で、
あまりにもまったりしてしまって寝そうになってしまった。
ぐらい気持ち良かった。

今回は2部構成ということで、
1部は普通にRe-clammbonの曲を中心にやって、
2部は三人のジャムセッションを聴いた。
これが、何が出てくるか分からないぐらい変化に富んでて、
ドキドキしながら聴いてしまった。
三人のバランスと調和と個性が高度に保たれているのが
クラムボンの魅力だって事を以前書いたことがあるが、
このジャムセッションはそれが遺憾なく発揮されており、
これだけで30分近く演奏したんだけど、
これを聴くだけでも今日来た甲斐はあったと言える。
ひさしぶりに感動してアンケートをびっしり書いて出してしまった。


最後に
ミトは昨日天橋立の温泉に入りに行ったらしい。
と僕の隣の隣の席で知り合いらしきお兄ちゃんに話してて(すげえ至近距離)
「いやあ、温泉マニアの岸田くんにも電話したんだけどさ〜」
などと言っていた。
ん、岸田君と言ったら僕の知ってる人は一人しかいないような・・・。
とまあそんなすごくクラムボンが身近に感じられた1日だったなあ。
お客さんは別にキャーキャー言うわけでなく、
自分の隣から退出していく三人を笑顔と拍手でお見送り。
さすが! と思った。
クラムボンのファンはやっぱりお上品かもしれない。





2002年05月30日(木) こんな気分は 春一番に乗って消えてゆけばいいのに


春一番が吹く頃にこのタイトルを使おう使おうと思っていたのですが、
消えてしまえばいいような気分にならないほど安定してのがちょっと前の僕でした。
今日のタイトルもすげえ、考えて、考えた末にコレ。
まさか生「マーチ」が聴けるとは思わなかったなあ。
感動して決定。
季節は少々ずれてしまいますがどうかご容赦のほどを。



チキンジョージでくるりのライブでした。
最近のどうしようも無い自分をどうにかして吹き飛ばしたくて、
スーツで一番後ろでゆったり見るのはやめて、
ジーンズに着替えて参戦。
今回は素晴らしいライブだった。
選曲が特に。
チキンジョージとか磔磔とかは好きな人多いですよね、
チキンジョージのライブは4回目だけど未だにハズレが無いのは、
やっぱり演奏する側も気合いを入れてやるからなんでしょうか?

だって、
だって、
いきなり演奏したの、「東京」なんだもん。
東京ですか? 夢にまで見た生東京ですか?
いいんですか?
2曲目も「虹」
ううん、来るなあ。こんな構成アリなんだろうかと思ってしまうのです。

まあその後の曲目って言うのは、覚えているようで忘れちゃったんだけど、
前回聴いたオールドタイマー以外の聴きたい曲は殆どやってくれました。
青い空やってチアノーゼやってワンゲルやって水中モーターやってchinaやって、
街やって。ううん、なんかすごい、並べただけでもすごいラインナップで泣きそうです。

しかも前回「出来るか!」とか言ってた「C'mon C'mon」までやった。
ちょっとだけだけど。
おお〜っリベンジ。

チキンジョージ自体はクワトロに比べると段が無いので、
クワトロほど岸田君のカオがハッキリ見えませんでした。
後音響もクワトロに比べると今一つ。
前回あれだけねっとりと絡みつくように聞えてきたギターも聞こえはなんかちょっと。
って感じ。

ただ選曲はまあよくぞここまで集めたもんだってぐらい最強で、
いろんなフレーズを聴いては、いいなあ、今日の日記のタイトルにしよう、
なんて考えていたんだけど、やっぱりベストは、
特にアンコールの「マーチ」なんです。
マーチが聴けるとはちょっと思ってなかったんで感動。
あのイントロ聴くと鳥肌立ちますもん。
って言うか、東京を聴けたのは大きいなあ。





こんなふうにして、
僕は失いかけていた自分を取り戻したような気がする。
忘れていた。
そう、一番の的は自分自身。
弱い自分自身だって言う事。
それを憎み、克服していかなければ、
何も出来ないのだし、
何も始まらないって言う事。
そうだから、自分をもっと信じてあげなさい。
自分に負けたらどうしようも無いのだよ。
僕のいる世界はここにあるのだから、
自分を見失ったらまた此処に戻ってきたらいいんだ。
くるりを見ていて僕は思いだした。
そうだった。
まけるもんか。





2002年05月29日(水) 共鳴


春告げ鳥の慟哭を口笛で真似てみたんです。
ひねもす塗り固めた緑青で手を汚しました。
未来を推し量ることでしか、前に進めないのです。
あなたを汚すのならいっそ死んだ方がましなのです。
             ハートバザール「共鳴」


ハートバザールの詩は相変わらずいいと思う。
こんな詩ばかりが心に響いてしまっているのが、
現状の僕の状態だったりする。


3年ぶりに体重が58キロ台に戻った。
体脂肪率は11.1%になった。
目標は一桁。


3年前の僕は、プータローで、時給のいい肉体労働ばかりやっていた。
朝9時から5時まで発掘現場で働き、夕方6時から10時まで運送会社で荷物運びをやっていたことなんかもあった。
1日の収入13000円。無茶だった。
あの頃は、働けば働くほど、体重が落ちていったなあと思う。


何も考えたくないからひたすら僕は泳いだ。
泳げば泳いだだけ、夜は疲れてぐっすり眠れるだろう。
一度眠ってしまえば、苦しむのは夢の中だけでいいのだ。
何かに全力を傾けていれば、
確かにいろいろなものから逃げられるかもしれない。
普段は多少力を抜く仕事、それすらも、全力でやった。
一日中全てのことに完全に集中して行うことなんて出来ない。
仕事において力を抜くというのは、決して悪いことじゃなくって、
力を抜けることは力を抜いて、
集中しなければならないところは集中して、
当たらなければならないって事。
全部を100の力でやっていたら、
いつかは倒れてしまうだろうから。


泳ぐことを覚えてから、
確かにまた僕は変われたと思っている。
何も考えずに泳ぐことが、
こんなに色んなことを忘れさせてくれるとは、思わなかった。
このまま何も食べずにいたら、
もっと体脂肪率も体重も落ちていくんだろうか、
なんて事を思った。
それもいいのかもしれない。
ダイエットだなんだなんて、人はよく言うけれども、
そんなの何とでもなるなあと、思った。
体重なんて、悩んで考え込んで食欲無くなってそんで、
泳ぎにでも行っていろんなことを忘れ去ろうとしてりゃあ、
体重なんて、一瞬で落ちる。






2002年05月28日(火) 北風と太陽


全部これまでの事 夢なんだって
そんな風にしちゃいたくなるけれど
やっぱりそれもダメだし
ただ死ねなくて
死ねなくて何処にも行けなくて         
       ハートバザール「北風と太陽」



「アンタはマイナス思考偏重だ」と言ったのは妹で、
「またオマエの弱気の虫が出てる」と言ったのは父だった。
 母は何も言わない。何も言わないから母なのだ。
 
そう考えると父と妹は似ているのかもしれない。
母と僕は似ているのだろうか・・・
そんな母よりも血の繋がっていない祖母の方がよっぽど僕に似てる。

状況は決して悪いわけではないのに、
悪い方に悪い方に物事を考えてしまって、
自らを破滅の道に導こうとするのは僕の悪い癖で、
そう言うところは昔から全然変わっていない。
父や妹があんなことを言うのもよく分かる。
そうなってしまうと全てにおいて自信が持てなくなって、
そしてどうしてしまえばいいのか分からなくなる。

以前書いた。
今の安定はあくまでかりそめのもので、
僕は常に研ぎ澄まされたナイフの上を綱渡りのようにして歩いている、
そしてちょっとしたことで奈落の底に堕ちてしまうのだと。
やはり所詮つい先日までの平穏はかりそめのものだったみたいだ。
今の僕は本当に不安定で、
出来ることならば消えてなくなりたいと本気で思う。





2002年05月27日(月) アイ


死ぬまで食べ続ける金魚のように
完璧で一途な生きる意味を求めてた。
兵隊蟻のように一途な唄を。
生きること自体に意味なんて無くていい。
        ハートバザール「アイ」



月曜日の憂鬱。
一週間が終わり、また次の一週間が始まる。
その憂鬱に最近僕は耐えられなくなっている。

相変わらず、僕は現実を見ていられない。
現実から目をそむけて、笑っていられたら、
たぶんそれはすごく楽なんだろうけど、
そんな訳には行かなくって、
現実を受け止めて、そこから抜け出さなかったら、
これ以上前には進むことは出来ない。
でも怖い。
現実は怖くって、見るのがイヤで、
逃げ出したくなってしまうんだけれども、
だけど、どうしようも無くって、
自分がどう進んだらいいか分からない。

楽しいことがあって、
その想い出が楽しければ楽しいほど、
現実世界が寂しくなるようなことがよくある。
それでも、
社会人の僕は、
現実世界に生きていかなければならない。
自分がどんな状態にいようとも、
目の前にやるべきことはやらなければならない。
それは、大人になったと言えること。
悩んだり考えたりすることはいつの時代にだって必ずあるだろうけど、
だけど、僕ぐらいの歳になったら、
さすがに自分自身の殻にひきこもっているだけと言うわけにはいかない。
そんなことは、百も承知なんだけどね。






2002年05月25日(土) 日本語教師養成講座4 日本語教育と国語教育


日本語教育と国語教育


日本語教育と国語教育は異なるものである。

そのそも基本的に日本語教育って言うものは、ある程度別の語学を身に付けた人が、能動的、自主的に勉強するものであり、やっぱり、まずは例文や構文等、文法を中心に勉強する。
国語教育では文法を学ぶことは基本的には無い。特に現代語については。



語彙とかでもそうである。日本語教育における語彙は、まずは基本的な単語が中心となる。
かたや、日本語教育に関してはどうか、別に特に基本的な言語を選りすぐって覚えさせると言うことはないだろう。そりゃあ確かにレベルと言うものはあるが、ある程度それは自然に習わせるのではないだろうか。
文字・表記に関しては、まずは文字に慣れさせると言う目的をもって学習される場合が多い。これは日本語教育国語教育ともに共通である。
最後に音韻・音声について。これに関しては、国語教育において意識して音を矯正させようとすることはない。ある特定の方言を除けば、日本語の音声、音韻の勉強をすることはないのである。一方日本語教育においては、音韻・音声は重要な学習事項である。我々が外国語を勉強するのと同じように、音声・音韻を学習することになる。

以上の学習事項においては、やはり、その人の母国語が日本語近ければ近いほど、学習がスムーズに行えるようになる。例えば、韓国語なんかは日本語に近い部分が多いから、割と勉強しやすいのだ。発音なんかでも、日本語にある発音が無い母国語を持つ人に関しては、対応しにくくなっているのだ。



言語の技能は「聞く」「話す」「読む」「書く」と言う4つのカテゴリーがある。
これまで書いてきた学習事項をすべてやっても、この技能たちを使いこなせる訳ではない。これらは反復練習を繰り返して上達していくのである。国語教育においては、「聞く」「読む」はまだ出来るが、「話す」「書く」と言った日本語を使って高度なことをするに当たっては難しい。日本語教育に関しては、特に、「聞く」と言う技能が重要となる。「聞く」ことは、スピードが伴うからである。
このカテゴリーの中の「書く」「話す」は表現に関するカテゴリー、「読む」「聞く」は理解に関するカテゴリーとなる。表現することは大変難しい。理解は何と無く分かっていても何とかなることもあるが。



語学の学習年齢というのは、ある程度年齢が固まってしまうと勉強がし難くなる。特に発音に関する問題に関しては、非常に難しい。しかし、まったく固まらないうちから覚えても忘れてしまうし、それは難しい。
固まらないうちに覚えた言語はすっかり忘れてしまったりするからである。
また、学習内容に関しても、限られた時間で学習するのだから、その目的の為の勉強が必要になってくる。語彙とかは特にそうだ。


日本語教師は、ものすごく大きな差のある環境で教えなければならない。生徒も生徒でそれぞれ異なったレベルがあるからだ。日本語の骨格を教え込むのが日本語教師なのだから、だからそれぞれ大きな差の有る環境でどう教えたらいいか、困難な点の予測をできるようにしておく必要は有ると思われる。






2002年05月24日(金) そこで愛が待つゆえに、僕は往く。


そこで愛が待つゆえに。
愛が待つゆえに、僕は往く。
僕は死ぬように生きていたくはない。
本音さ、死ぬように生きていたくはない。
 「キャノンボール」 中村一義



帰ってきてみたら、
クラムボンスペシャルライブの当選ハガキが来ていた。
マジですか?
無料招待150名にまさか当たるとは思わなかった。
どうせ当たらないと思って交代しなかった宿直も、
これは交代してもらわないとやばい。
しかし誰か交代なんてしてくれるんだろうか?
でもこれは行かないと勿体ない。

おかげさまで来週末は、
木曜日くるり@神戸チキンジョージ
金曜日クラムボン@京都カフェ・アンデバンダン
金曜日元ちとせ@京都駅
とまあライブ三昧になりそうだ。
嬉しいんだかなんなンだかよく分からんが。

行き過ぎかなあ?
でも東京までも行ったんだからもう何処でも行くって感じだよ>俺
静岡の悪友が元ちとせに参戦しに来るらしい。
昨年のハートバザール@浜松も行ったヤツである。
お互い、いい歳してホンマにいろいろやってるよな。

キャノンボールは相変わらず僕の今年の年間ランキング首位をひた走っている。
やっぱりこれって泣けるほど名曲だなあって思う。
もう少しでワールズエンド・スーパーノヴァに負けそうだけど。
ワールズエンドはシングルの方が素敵だと思う。
思わない?

とにかくそこに愛が待つゆえに僕は行くんです。
絶望の果てに、希望を見つけたろう。





2002年05月23日(木) 来た!


このところ少しどうかしていた僕ですが、
今日その憂いも迷いも吹き飛ばすようなものが送られてきました。
それは・・・
それは・・・


ワールドカップ準々決勝・蔚山のチケット!!!


チケット発送が送れているのは話に聞いてました。
そりゃあ僕らの準々決勝は6月20日だから、
まだまだ大分先のこと、
ってのは分かっていたんだけど、
お金も引き落とされていて、
インボイスの手紙も来てて、
ちゃんと支払いも済んでいたことも分かってたのに、
やっぱりチケットが現実に来ないと心配だったんですけど。

これでやっと枕を高くして寝られます。
俊輔のいない日本代表なんてもうどうでもいいんだ。


ちょっとこれマジで嬉しかったです。
飛び跳ねそう。
はねるのトびらを関西地区でも見たい。
訳分かりません。
ぐらいちょっと飛び跳ねてます。

まあ社会人って言うのは、
それなりにお金があって、
ある程度自分自身に投資も出来るし、
旅行とかも出来るのはやはりいいことだなって思ったり。
時間は無いけど。
でも時間ばかりが有り余っていた時代に、
僕が何をしていたかといえば、
寝てゲームをするぐらいでした。
だから最近TEAM HIKIKOMORIとか言ってる割には、
結構それなりに今は遊んでるなあと、思います。
ライブも旅行も行けてるし。
バイクも手に入れたし。
何処でも行けるのは本当に大きいなあ、とも思います。




2002年05月22日(水) めまい


エグザスで2000m泳いで帰ってきたらめまいがした。
レセプトにおいて、めまいは眩暈症としなければ通らない、
とかなんだか言われたような気がする。
んなこと、俺にとってどうでもいいことだが。
ホントにどうでもいいことでくだらない。
他にもっとやることあるんじゃない?
(こんなことを書いてるから職場の人にこの日記を見せられんのだ)

ごめん、僕は相変わらず現実から逃げている。
泳いでみたら一瞬だけ忘れられたのだけれども、
帰ってきてみればまた思い出す。
もう目つぶんないでなんとかするのか、
このまま逃げて逃げて最後まで逃げ切ってしまうのか。

めまいがする。
頭がくらくらする。
胸が痛い。苦しい。喉が痛い。
今日も何もせずに早く寝たほうがいいかもしれない。



2002年05月21日(火) はらいそ


最近タイトルが長くなっているなあって、反省。

読んでいてくれる人は読んでいてくれるらしいこの日記。
今日もそう言うことを聞いた。
ごめん、最近こんなんばかり。
こんなんの方が面白いと彼女は言ってたけど、
内容を職場で口にされると赤面モノ。
だったら書かなきゃいいのに。


以前にも書いた。
書き続けることはそれはそれで本当に意義のあることだと。
たとえ書こうと思うことが上手く書けなくっても。

見たくない現実から逃げようとしている。
そのまま逃げたらいいのか、
それとも向き合って戦うのか、
どうしたらいいのか分からない。
しばらく自分の殻に閉じこもって考えてみる。
そうは言ってもちゃんと仕事にも行きますし、
社会生活を怠ることは御座居ませんので、
どうかご心配なさらないで下さい。



2002年05月20日(月) 言葉は全て辻褄合わせでくだらない。死ぬ事さえつまらない。


ぬばたまの闇夜に半端な流浪の民。明日は絶望だ。
言葉は全て辻褄合わせでくだらない。死ぬ事さえつまらない。
              ハートバザール 「流浪の民」



GWの始め頃は、確かにちょっと鬱の入った事を書いた。
あれはまあ確かにちょっと鬱に入るような状態であったのは確かなのだけど、
それを多少は脚色というか膨らまして書いたようなものだ。
もっと暗い日記が読みたいというリクエストにお答えして。

本当に鬱なときは救いようが無い文しか書けない。
僕も僕で突き放したことを書いている。
読んでいる人に大変申し訳ないとは思う。
でもこれは個人的な文章だから仕方がない。
他人に迷惑をかけないようには書いてるつもりだが、
(まあたまに実名が出てくるが気にする勿れ。悪口とかは一切書いていないし)
基本的には僕という人物の心象風景を抽象的に抜き出したものだったりする。



あ〜くだらないくだらない。
死ぬことすらもくだらない。
じゃあどうしろってンだ?
て叫んでみたって何も返ってきやしねえ。
インターネットを利用して俺っていったい何やってんだ?
こんなこと書いてて楽しいのかい?
こんなものを垂れ流して楽しいのかい?
じゃあ書かなきゃいいじゃん。
全部消してしまえ! 
これまで書き続けてきた財産とも言える日記も文章も想い出も全てさ。
消すのは一瞬。
だけどそれは二度と復活できない。
それで本当にいいのか?
今まで登録したつもりが出来ていなかった経験から思う。


勿体ない。
ほんの少しの衝動で訳の分かんないことしちゃダメだ。




最近、リンクを張りたいと言う申し出や、
my登録をしてくれたりとかありました。
それはすごく嬉しくって、
涙が出そうになるぐらいありがたいことなのだけれども、
作者の僕は、本当に、時として鬱で、時として躁で、
すげえ、申し訳なくなります。
冒頭のハートバザールの詞に比べると、
なんかとても稚拙で、まとまりがない文に、
今日はなってしまいました。
人のまっすぐな文章を読んでいると、
自分の小ささが、よく分かります。
世の中には、才能ってものが幾つも転がってて、
高校生とかでも、すげえいい文を書いたりもしてる。
僕がダメだとか、そんなんではないんだけど。
自分を信じることってのは、やっぱり難しいことであって、
そんでやっぱり、一生の、課題なんだろうな。
やさしいひとになりたい。





2002年05月19日(日) 泣かないで空は青い僕のみてる夢なら幻


二日間悪かった天気も今日は回復した。
東京の空は思った以上に青かった。
行ってみるまでその場所って言うものは分からないものであって、
光化学スモッグとかなんとか小学校の社会の授業で習ったんだけど、
そんなものはどうなのかも良く分からなかった。
分かったのはただ空の青さは何処でも同じということ。
それでもカンボジアの空の青さはさすがに日本とは違ったなあ。

最終日と言いつつも今日はもう帰るだけと言う腹積もりの僕だったが、
折角ということで銀座の町を歩く。
都心部がよくこれだけあるもんだとある意味感心した。
昨日の渋谷とかに比べると銀座は人は少なかった。
まあテレビでよく見る風景を見たりなんかして、
それはそれで非常に面白かった。
ソニータワーに行って無性にバイオが欲しくなったり。(oasisVAIOね)
まあヒト・モノ・カネが集中しているのはすごいことだ。
さすがに一国の首都だけのことはある。

と、思いっ切り自分が田舎者であることを自覚して帰って参りました。
でもあくまで僕はアンチ中央反権力だからね。
このままもうしばらく地方で頑張る予定。




2002年05月18日(土) 東京の街にも太陽と雨が降って・・・


流れるメロディが僕を旅へと誘う
運命なんて 人生なんて 
風がむかえに来て きみを連れて行くんです
サニーデイ・サービス「太陽と雨のメロディ」



結局雨が降ったのは朝のうちだけでした。
タイトルをどうしようか、かなり迷った挙句、
結局、最初に思っていた通りにします。
分かった? 今回は難しかったかもしれませんね。
って言うか知らないでしょう? この曲。

久しぶりに高校・大学の同級生と無事に再会した僕は、
夜遅くまで話してしまい、今日は朝は遅くなってしまいました。
彼は今日は仕事で、今日はまた別の友達に会う予定だったんだけど、
結局会えたのは11時前。
時間を結構ロスしてしまったかも。
ま、無事に国分寺の駅で再会! 会うのは一年ぶり。

今日の予定は秋葉原に行って渋谷のタワレコに行くという、
まあ何とも言えず萌え萌えなコースでございます。
こんなオタクに東京を回ってしまっていいんですか?
まあいいんだけど。

ということで秋葉原。
日本最大の電気屋街秋葉原。
噂に名高い秋葉原。
秋葉原は広かったなあ。
今回の目的はうちの麗しの林檎姫(iBookSE466)の
内部換装用HDと安かったら256Mのメモリーを買おうと思いまして。
しかし秋葉に来てもメモリーは高い。
どう考えても高い。うう。
ただしHDはなかなか安いのがありましたよお兄さん。
40Gで19800円。
メモリーも何とか9800円。
これって安いんですかね。
とりあえず一番安いのを歩いて探したんですけど。
大体パーツ屋ってのはWinばかりでMacなんて全然無いし。
まあまあまあ、いいのかなあ。
しかしパソコンのパーツで30000円。
これでPS2は買えなくなりました。
ふん、いいんだ。
東京来てから散財しまくりです。
秋葉原は面白かったけど疲れました。
なんかやっぱり怪しい人多かったような・・・
まあ今回は目的を持って行ったから結構大変だったかも。
全然回ったとは言えないし。
マックユーザーは辛いです。
でも楽しいですよ。
ぜひ今度はマッキントッシュをどうぞ。


次!
渋谷のタワレコ。
僕らの聖地タワレコ渋谷店。
デカい! 地上七階!
なんせ1フロアだけで京都店全部並みの広さなんですから。
それが全7フロアー。
素敵〜♪
と目を血走らせて各階を回った僕。
同行者の友人は少々呆れ顔。
しかしタワレコ渋谷は大きくていいね。
まあ別にあんなに大きいのが欲しい訳でもないですけど(負け惜しみ)
結局岡村靖幸トリビュートをやっと購入。
こんなん京都でも買えるやろとか言わないように。
でもね、これいいんですけど、
やっぱり岡ちゃんのセクシーさ加減がないとダメなような・・・・
しかししかしやっぱり渋谷のタワレコはすごかった。
すごかった。
僕ってやっぱり田舎者かも〜と自覚。

と田舎ものを自覚した僕は、
せっかくだからということで渋谷から原宿まで歩いていく訳です。
疲れた体を引きずって。
う〜ん、やっぱり東京は東京だなあと言うか、
なんかソウルを思い出しました。
(この思い出し方は間違ってると思うがまあ気にしないことにする)
で、新宿へ。
新宿と言えば歌舞伎町。

JR新宿駅の東口を出たら ここはあたしの庭 大遊戯場歌舞伎町

と林檎の歌を思い出す。
これがその東口か〜と思いながら、
歌舞伎町の入り口をくぐってみたのだった。
まあ思ったよりも歌舞伎町っていかがわしげな場所ではなくって、
これだったら大阪のミナミの方がよっぽど怪しい場所は多いかも知れない。


とまあ、すごく田舎もの丸出しで歩いた東京。
東京にはモノが確かに集まってきていて、
人がたくさんいて、
それにはマジでびびりました。
渋谷も新宿もとにかく人が多かった。
また行きたいかと言われると、
う〜ん、まあ別にと言う感じで、
おんなじお金使うならソウルに行きます。
でもとりあえずは面白かったかな〜。



2002年05月17日(金) 東京の街に出てきました(あるいは「ひとつの情熱」の終わり)


相変わらずわけの解らない事言ってます。



予告していたタイトルはこれです。
これしかないでしょう?
予想通りと言う人はほくそ笑んでくださいませ。

東京駅に着いてまず僕がした事は、
iPodからくるりの「さよならストレンジャー」を選択して、
この曲をかけたことでした。
「東京」はやっぱり名曲であり、
地方から東京に来ると、
あ〜こう言う気分になるのだろうなってよく分かります。

ハートバザール解散ライブが行われたのは、
下北沢GARAGEって場所で、ガレージ言うぐらいだから、
とても狭い場所でした。
人数完全に詰め込みすぎだったのと、
体調不完全だったのに景気付けにビールを飲んだのもまずかったみたい。
それともライブ行く前に行った雪舟展で疲れすぎたのか。
寝不足とかの時には回るんですよ。
ライブ史上初めて気分が悪くなりました。
しかもこの肝心のラストライブのときに。
途中までは本当にすごくて、何度も泣きそうになったんだけど、
だから中盤からのテンションの低下は否定できないかも。
「解散の熱気で酸素が半減したんだな」とは友人の言葉ですが、(メールのお返事ね)
別にダイブとかするバンドでもないのにあそこまで酸素が薄くなったのは、
みんなの熱気かなあと思いました。
個人的には、昨年度の心に残る名曲ランキング第四位の「色彩」をやらなかったのが、非常に心残り。
浜松のときは聴けたんですけど。
何はともあれ、「ひとつの情熱」が終わった気がします。
少し中途半端になってしまったけど、
このハートバザール解散ライブを、
僕は忘れることは無いでしょう。




あ、明日のタイトルももう決まっております。
これは多少難しいかもしれません。
キーワードは、「雨」
「雨」が入るのです。
雨降らなかったら使わないかも。



2002年05月16日(木) 上・京・物・語(HEART BAZAAR LAST GIG)


いよいよ明日はハートバザール解散ライブat 下北沢GARAGEです。
もう会場の地図もプリントアウトしました。
生協で切符も買いました。
後5千円足したら釜山に行けてしまう新幹線の料金に泣きそうです。
セマウル号なんて安いのに。

10年ぶりの東京です。
修学旅行以来行っていません。
遥か昔、東京は嫌いと書いたことがあります。
今でも嫌いです。
その東京に僕はハートバザールのために行こうとしています。

で、明日のタイトルは既に決まっています。
もう皆様既にピンと来ているでしょう。
あれしかありません。
明日日記が書けるかどうかは分かりませんが。


ハートバザール以上に好きだったバンドは今まで無いです。
万人に受け入れられるとかは絶対に思わないけど、
でもすごい好きで、好きで、たまんなくって、
解散って言うのがこれ以上にショックなことはない。
何処かで音楽活動を再開するって言ったって、
あの詞とメロを誰が作れるのさ、なんて思ってしまいます。

とりあえず最後のライブに参加できることを心の底から嬉しく思っています。
交通費はチケット代の10倍以上するけど、
だけどそれでも本当に最後を見とれる状況に感謝いたします。
忙しいところだったらそうもきっと行かないでしょう。
ハートバザールは僕の最後の情熱になるかもしれません。
明日のライブが生涯忘れられないライブになることを祈って。




2002年05月15日(水) Norway&Sweden Tour 23/08-01/09/2002 coming soon!


昨年のアイスランドに引き続き今年も予告通り欧州に。
今年はもうお金をケチらずにLH(ルフトハンザドイツ航空)で一気にフランクフルトにひとっ飛び。
SQ(シンガポール航空)と並んで憧れのキャリア、LH!
これに乗れるというだけで僕のココロはもうどきどきわくわくで御座居ます。
北欧に行くにはスカンジナビア航空(SAS)が一番便利なのだが、なんせ成田からしか飛んでいないのだ。

ま、ノルウェーまで行くにはどちらにしろ乗り換えしなきゃいけないから、
フランクフルトの乗り継ぎ時間が1時間半と言うルフトハンザは願ったりかなったりなのだ。

が、困ったことにエアーのチケットは高い。
ホントに高い。
お給料一ヶ月分ぐらいする。
辛い。
我らがタイ国際航空ならそれより5万円安い。
だけど時間は大分かかるんだよな〜。
6時間余分にさ〜。

しかし休みはお金で買えないのだ。
学生だったら迷わずシンガポール経由でのんびり行くだろう。

大分先の話とは言え、おそらくその日は昨年みたいにすぐにやってくるだろうと思われる。その前にワールドカップも行くんだよな〜。蔚山まで。

とまあ、盛りだくさんなこれからです。
旅日記、今回も出来るだけやりますので、
どうぞよろしくお願いします。










2002年05月14日(火) 近づけないよ きみの理想に・・・


だけどそれでも僕は昔に比べれば大分角が最近取れてきたと思う。
以前は、自分自身を縛りつける見えない鎖のようなものに、
がんじがらめにされてた。本当に。
それに比べたら今はそれほど自分を卑下することもなく、
(自分を愛するには程遠いが)なんとかやっていっていけている。
確かに思う。それも成長したって事なんだろうか?


どうにもならないことの方が人生多いし、
泣いたり笑ったり、ため息をついたり、
でも時々はアグレッシブに動いたり。
いろいろ考えすぎて眠れなくなったり。

日々思うことを思い通りに表現できるときと、
出来ないことがある。
今日はなかなか表現し切れない。
毎日日記を書くことと言うのは、
とても意義があることだけど、
クォリティを維持することは、
とても難しい。




2002年05月13日(月) MASTURBATING SMILE


オマエの書いてるこの文章は、ただの自己満足で、マスターベーションに過ぎないんだ。

って言われたら、おそらく反論の余地は無い。
「僕は垂れ流しの汚物」ってハートバザールの石井皐月は唄うが、
僕も汚物みたいな文章を垂れ流しつづけているのかもしれない。
いや違う、そんなもんじゃねえだろう、
そう言って、反論してみたりもするけれど、
返ってくるのは虚しい響きだけ。

勿論、僕はそんなことを常に思ってこれを書き続けている訳じゃない。
それを認めてしまうと言うことは、
この文章を読んでくれる人に対する、冒涜と言うもので、
これ以上失礼なことはない。そんなことは分かっている。
分かっている。分かっているんだ。

だけれども時々自信がなくなる。
自分を信じられなくなって、
崩壊しそうで、どうしようもなくなって、
強がってみるんだけど、
それはちょっとの横風で吹き飛ばされそうな強がり。
力を加えられたら、すぐに折れてしまいそうなバランスの。

そんなものじゃないんでしょ、
あなたはそんなつもりで書いているんじゃないんでしょ。
あなたが自分を信じなくて誰が信じるというの?

ああ、そうだ、そうだよな。
だけど僕の前に交互に信じ切れるときと信じ切れないときがやってくるんだ。
今は、信じ切れないとき。




2002年05月12日(日) ナッシュ均衡とゲーム理論


最後の最後に友人に指摘されるまで忘れてた、
ジョン・ナッシュはナッシュ均衡のナッシュなんだってこと。
昔経済学をさんざん勉強したのに。
すっかり忘れてた。
経済学得意だったのにな。

ビューティフル・マインドを見た。
アカデミー賞ってのは、
地味だけどちゃんとした作品を選んでて、
これもすごい、感動した。
現実と幻想の区別がつかなくって、
途中は混乱したんだけど、
でも引き込まれた。
アカデミー賞受賞作品って、
決してエンターテイメントのみを重視していないから、
その評価自体は色んな意見があるけど、
やっぱりいいと思う。

でも今の僕にはかなりヘヴィな内容だった。
友達がいてくれて本当に良かった。
もし一人で見ていたら、
また訳分かんなくなってしまっていたかもしれない。
友達って言うのは本当に貴重だなあと思う。
「恋する乙女」も川上はんもK先輩も
(友達にしてしまっていいのかどうかはともかく)
その他の全ての僕の愛するべき人たちに感謝。



2002年05月11日(土) 何かで笑って何かで怒ってたまに泣いてんだ


最近の日記の中に置ける僕の存在は、
確かにちょっと病的に内面をえぐり出しているかもしれない。
どうせみんなこう言う日記が読みたかったんでしょう。
なんてことを思いながら書いていたりするけど、
でも決してリップサービスなんかじゃなくって、
今僕は書きたいことを書いている。

昔は書きたいときに書きたいことを書くのがこの日記のコンセプトだった。
コンセプトなんてカッコいいもんじゃないけど。
10日空くなんてこと結構ざらにあったし、
でもそれはそれで別に自分自身関係なかった。
2月に入ってから毎日更新するようになった。
時々は抜けたりすることもあるけど、
毎日どんだけくだらないことでも書き続けるってことは、
それはそれですごい意義のあることで、
書き続ければ書き続けるほど、絶対にその人の文章力って言うものは向上してる。
メール文化をあーだこーだ言う人もいるけど、
最近の女子高生なんて絶対一昔前の僕らに比べたら文章力は上。
テリー伊藤がそんなこと言ってたけど、その通りだと思う。

現在後遺症に再び犯されている僕は、
完全に確変入ったみたいで狂ったように書き続けている。
どうやら3・4ヶ月に一回はこう言う時期が来るらしい。
どっかでこっぴどい失恋でもしようものならば更に期間は短くなるに違いない。
何処まで続くか分からないけど、でも出来うるだけ書こうって思ってる。
文章が明るくなったら、それだけ僕の明るさが増したと思っておいて下さい。
この日記、主語をわざと抜いていたりするところがあるので、
何でそんな状態なのかが結構分からなくなったりもしてると思うけど、
でも、心象風景が抽象的にたぶん現れてる。
それを読まれてどうかって言われると、結構微妙だけど、
でも読んでる人は限定してるからそれは全然構わない。

書くことはそれだけでストレス発散になることで、
書きなぐったような適当な文章でも、
後から読み返してみると、
その時の生々しい感情が少なくとも僕自身には思い出される。
それはそれでとても貴重な存在であって、
その時その時自分はどうあったのか、読んだら分かる。
自分自身で分かる。
思い出したいことも思い出したくないことも、
全てそれは僕が残してきた足跡なのだから。


title from BOC 「Litte Braver」




2002年05月10日(金) 聞いたかい今の泣き言 アホのソテーができるぜ


オマエの本当の姿は スケベで強欲で
残酷なケダモノ いつまでも隠すな
俺達兄弟じゃないか 素敵な
THE YELLOW MONKY「創生児」



痛いということは即ち生きてるってことで、
痛みを感じない人生なんてありえない。
痛みの無い人生なんてものもありえない。
どんなに幸せな人生を送っている人だって、
どこかしら、痛みを感じながら生きている。

4時間耐久長電話なんてものをやってしまって、
とてつもなく眠い僕です。
それまでにもさんざん電話してたから、
一晩で6時間ぐらいしてる。
こんなに話したのは久しぶりかもしれない。


笑ったり泣いたり、
全ての感情表現は、
生きてると言う前提の元で行われているもので、
だから僕は、
だから僕は、
いつもいろんなものに縋り付いて生きています。

なんて言いながらGWが終って一週間も過ぎてしまった。
この状態いつまで続くの?
それでも昨年に比べたらマシなの?



2002年05月09日(木) いたい、いたい? そりゃ、そうだよ、当然、痛い。


最近は泳ぐことに夢中になっていたりする。
頭の片隅に痛みが残ったままの状態で、プールに行って、泳ぐ。
さすがに平日は1500mが限界だけど、
そんでも大分泳げるようになってきた。
そうやって自分がちょっとでも成長している跡を認めることが出来るのは楽しい。
(去年行ってた時期から退化しているといえば退化しているのだが)

泳いでいるときだけは全てのことを忘れられる。
と知ったのは夏の日だった。

遥か彼方昔にピアスを開けたことがあって、
(そう言えばそれも「恋する乙女」にやってもらったんだよなってのは余談だが、
 うちらも付きあいホントに長いよな〜、最近全然会ってないけど)
それはそれで痛かったが、でも心の痛みに比べれば全然大したことはなかった。
体の痛みなんてそれは所詮一時的なものに過ぎない。

痛みに耐えかねて逃げ出してしまいたくなることもあったりするけど、
社会人たるものそうそうそんな訳にも行かない。
普段の生活ってものが決まってしまうと、
心なんてそう滅多に痛むものではないって思ってたけど、
どうやらそんなものではないらしい。

小学生には小学生の
中学生には中学生の
高校生には高校生の
大学生には大学生の
社会人には社会人の
それぞれの時代に、痛みってもんがあって、
一生涯、そんなものから開放されることはないんだなあって、
そんなことを、思う、今日この頃。

試しに手首を切ったみたら、
やっぱり、多少たりとも痛くって、
ああ、これが生きてるってことなんだなって、
すげえ、実感したのは、去年の今頃のことで、
その時舐めた、血の味が、
人生の味のような気がした。
それが分かっただけでも、
良かったような気がする。


from SEVENSTAR KAZUYOSHI NAKAMURA



2002年05月08日(水) ひとつのウソにさえすがる僕に・・・


妹は言った。
「アンタはマイナス思考偏重だ」
GWの事だった。


ああ、そうかもしれない。
それを否定する気はない。
もっと自分に自信を持って生きてもいいのかい?
でもそんな自信過剰な自分も気もち悪くないかい?


ああ、自分嫌いと言うことを、
僕はかつて書いたことがある。
自分を嫌っていても始まらない。
何処まで行っても自分は自分自身なんだから。
上手く付きあっていくしかない。

そうは言っても、
最近僕は自分をそれほど嫌い、憎んでいる訳でもない。
「恋する乙女」は昨日言った。
「あたしはもう最近はあきらめてるの」
あきらめる、って言うのは言い方は悪いが、
最近の彼女は昔持っていた角が取れていい感じになっている。
さすがに結婚近いだけのことはあるのだろうか。
そうさ、自分を嫌っていてもいいことなんて一つもない。
だから自分自身で自信を持ったらいい。
嘘でもいいから、「自分は出来る」って思ったらいい。
「どうせ自分は」なんて言わないで。
あなたにはきっとあなたにしか持ってないものがあるはずなのだから。

僕が自分嫌いから多少たりとも脱却しつつある。
たぶんそこで重要なファクターとなりえているのは、
僕は自分自身の書いたものが好きだということ。
こんなこと書くとナルシストとか思われたりもするのかもしれないが、
だけど実際に、自分が昔書いたものを読み返して、
勇気づけられたり、面白え、
って思いながら夢中で読んでしまったりもする。
だから今の僕にとっては書き続けることがブレイバーで、
書き続けることは本当に勇気を自分に与えることだ。
それを読んでもらえるってことも、本当にありがたいことで、
その読んでくれているということも僕に勇気を与えてくれる。
たぶんこうやって、少しずつ、少しずつ、
自分を解放していくしかないんだろう。

まだやれる、きっとやれる、君なら出来る、きっと出来る。
「shout a Battlecry」 って魔法の呪文のように唱える。
まだやれる、きっとやれる、君なら出来る、きっと出来る・・・必ず!!!








2002年05月07日(火) 容易く、人一人を値踏みしやがって、世界の神ですら、君を笑う権利なんて持たないのに


世の中には他人事ながら腹の立つことがあったりする。
俺、そんでもって昨日は日記も何にも書かずに寝てしまった。
伝え切れるかどうかはわかんねえけど、書けるだけ書こう。

そもそもの始まりは昨日久しぶりに「恋する乙女」と話をしたことに始まる。
ヤツはまた合コンに行ったらしい。今度は公務員コンパ。
相変わらず合コン嫌いな僕はよ〜行くよなあと思いながら話を聞き流していた。
が、
は? と耳を傾げたくなったのは、こんなことだった。
人の話だからあんまりちゃんと聞いていなかったので、再現は難しいが、

相手は某県庁の人だったらしい。
しかも普通に入ったんじゃなくって、どっかのキャリアから地方に下って来たとのこと。
35で結婚はしてるけど、合コン行きまくって、浮気も平気でさんざんしているとか。
背は高いがブサイクとは彼女のコトバだが。
「恋する乙女」は「何でそういうことをするんですか?」と聞いてみたそうな。
それは、本当に疑問からで。
なんでそんなことができるのか、聞いてみたかったらしい。
そんなに浮気がしたいのなら、離婚したらいいじゃん。
まあ一筋縄では行かないだろうが、そりゃあそうだ。


彼女に返ってきた言葉は、
まあ、いろいろあったみたい。君の言ってることはキレイごとだのなんだのかんだの。
一緒に行った友達も「まあ、あなたはいつも幸せな環境にいるからねえ」とかとか。
しかしまあ、挙げ句の果てに来たのは、
「君って、傷つくのが嫌いな人なんだろ」
「そんなんだったら俺と付き合ってみない?」
だって。
だって。
だってじゃないよ。
なんで初対面の浮気男のアンタなんかにそんなこと言われなきゃいけないんだよ。
って言うか、そういうことを平気で言える人って、気持ち悪い。
それを聞いて気分が最悪になった。
そんな気持ち悪い男が、県庁にいて、
一般職員よりも出世して、そんで、のさばってるって、
想像しただけで、吐き気がする。
言われた本人もそのあまりにもの傲岸さに唖然としてしまったそうだが、
それを聴いてる俺の方までもうホントにむかついた。
言われた本人より怒ってる俺。
自分にとって大事な人がそんなことを言われているだけでもう本当に腹が立つ。

アンタにそんなこと言う権利なんてあるんですか?
そんなこと言ってて楽しいですか?
そんなことを平気で言える様な人間に誰が付いていくんですか?
浮気ってそんなにしたいんですか? 虚しくないんですか?

こんなことを平気で言える人と浮気を出来るのは、
やっぱりこの人がキャリア公務員だから?
そんなに公務員っていいんですか?
それだけで浮気なんかする気になれるんですか?
世の中そんな人ばかりなんですか?
くだらねえ、くだらねえよ。
ホントにくだらねえ。
でもこれってただのキレイゴトなんですか?
これがキレイゴトで片付けられる世の中なんですか、今は?

くだらない、本当にくだらない。
くだらない世の中、くだらない社会。
くだらない国。
くだらない人間。
そんなのばかり。
自分の周りにいないだけマシ。







2002年05月06日(月) もし君が泣いたら、すっとんで、歌、唄おう


同情では人は愛せない。
愛情だけでは付き合えない。
必要なのは衝動。
衝動によって突き動かされなければ恋愛なんて出来ない。

恋が煩わしい人になりかけている今日この頃。
それでも会いたいのならそれを何と呼べばいい?
そんなクラムボンの曲を口ずさんでみる。

衝動に駆られてみたいとは思うが、
それはたぶん辛くて切なくて耐えられなくって、
もうどうしようも無くって、
二度とはもうしたくないって思うんだろうけど、
またもう1・2回はやっちまいそうな気がする。

頭を冷やそうと思って、
昨日に続いて今日も泳ぎに行く。
いつもみたいに周りのスタイルのいい女子高生なんかにも目もくれず、
アホみたいに泳ぎ続けた。
体力が消耗するのなんて気にしないで、泳ぎ続ける。
ぶっ潰れるまで。
壊れるまで。
自分が自分で無くなるまで。



そして昨日からどうしても聴きたくなってスーパーカーを借りてきた。
ヘルマン事件のCDレンタルだが奇跡的に「スリーアウトチェンジ」はあった。
Luckyもdriveも泣ける。
中村一義も久しぶりに引っ張り出した。
「ピーナッツ」に感動して、とても感動して、もう大変で、
そんでだから、
タイトルに使ってみるんだ。





2002年05月05日(日) あたし、もう今じゃあ、あなたに会えるのも夢の中だけ…


「Lucky」を
聴きたくて、
とても聴きたくて、
部屋中をひっくり返して探して、
思い出した。
そう言えばあれはMDに入っていたんだった。
MDプレイヤーを処分してしまった今は聴けない。


仕方がないから自分で唄ってみる。
フルカワミキはいないけれど。

バンド組んでどんな曲がやりたいかって言われると、
「Lucky」って即答。
ツインボーカルのバンドが組みたい。
女の子はベースじゃなくていいけど。


こんなタイトルでいつか日記を書いた。
想い出というものは、
確実に風化していくもので、
1年2年3年前の、
たかだかそんなちょっと前のことなのに、
もうかなりの部分を忘れている。
ただ覚えているのは、
ふたりで「Lucky」を唄ったこと。

気が狂いそうなゴールデンウィーク。
あんな連休なら無いほうがマシだった。
家にいても何も出来ない。
外に出ても何も出来ない。
眠ることすら出来ない。
何も食べずにいっそ死にたかった。


振り回されるのは嫌いじゃない。
振り回されたいと思う相手に振り回されるのは。
だから僕はB型好き。
今度付きあうなら出来ればB型。
関係ないが乙女座好き。
乙女座B型で仲良くならなかった人はいない。
知り合いだけで既に5人。
「恋する乙女」はその典型。

「人は悲しいぐらい忘れていく生き物」
とはミスチルだが、よく唄ったもんだ。
まさしくその通り。
いいのだ。
悲しいことも辛いことも忘却という武器によって、
僕らは海に沈めることが出来るのだから。




2002年05月04日(土) ココロの痛み、捨て切れれば、カラダもいつか痛みを無くす


最近の日記はどうかしている。
GWに入って僕はどうかしてる。
たぶん後遺症に犯されてる。
相変わらず。

狂気の一歩手前で踏みとどまって、
これから僕は何処へ行く?

夢の中でも逢いたくなくって、
何処にも行きたくなくって、
何もしたくなくって、
何で自分は生きてるのか、
一体何がしたいのか、
どうしたらいいのかすら、
分からない。

分からないでも分からないなりに何とかしなければならない。
どうにもならなくとも何とかしなくてはならない。

たぶん僕は、
来年も再来年も、
このゴールデンウィークに入ると、
それまできれいさっぱり忘れていた、
その後遺症に犯されて、
訳が分からなくなるのだろう。

誰か助けて下さい。
この地獄の底から僕を引き摺り上げて下さい。
でも僕は、人が差し伸べてくれた手を、拒否し続けている。
痛みは本当にいつかは消えるの?



title from HEART BAZZAR 「SHIKISAI」






2002年05月03日(金) 永久未来続くものなどあるはずはないから・・・


と言うことを知った。いや、知ってしまったのはちょうど一年前の出来事。
そんなことは当たり前のこと。
そんなことはずっと判っていたはずなのに、
気付かないふりをしていたのは僕だった。

一年も経つと、色んな事が変わって、
色んなこともあって、
今は割合と平穏無事に過ごせている。
内面を深く抉り込むような日記を何度も書いた。
けれどもそれは却って自分自身の傷を深く掘り下げるだけだった。
結局気付いたのは、自分は自分を傷つけずには生きていけないこと。


この日記を本格的にリセットして再開させたのは
昨年5月からであり、まあ時として10日ぐらいは間隔が空くような事はあっても、
それ以来、僕は日記というものを書くことによって、
自分を表現しようとしている。
それはいいことなのか、無駄なことなのか、所詮は只の自己満足なのか、
今に至っても、よく分からない。
もし人から聞かれたなのならば、
「当然素晴らしいことだ」と僕は即答するだろうが、
こと自分に関しては、そんなことを思う気にすらなれない。


なるほどそうか、所詮はそのようなものかと、
そう思いつつ、
僕は本来の醒めた人間であることを再び思い出した。
妹には、冷たいとか罵られるが、
たぶんこれが僕本来の姿。
熱い事を平気で書ける僕も、勿論本当の僕の姿でもあるが。


でも本当に僕はすっかり醒め切ってしまった。
春の世の夢から。
あれは幻だった。
夏の恋も幻だった。
残ったものは何だろう…


永久未来続くものなどありはしない。
そんなものを信じる気にもなれない。
そんなことを学んだ。
冷酷と言われようがそんなことは知ったことではない。
救い様が無いかもしれないがそれも仕方が無い。
全ては幻。
春の夜の夢。




2002年05月02日(木) 日本語教師養成講座3(まだまだ続く)


言語のしくみ


今回はもう少し詳しく日本語の解析をしましょう。
ってことでまずは合成語の修飾部と被修飾部分である主要部について。
この辺、僕ら日本人にとっては直感的に分かるものが多いんだよね。これが僕らが日本人たるゆえんで、感覚的に分かっちゃうから日本人なんだよなあ。が、自分が分かってても人に教えられなければ意味がないのだ。

で、例えば野球少年という合成語は、
野球をする少年ってことが僕らには分かる。
野球(修飾部)-少年(主要部)と言う感じになってる訳。
これが逆になったら、
少年野球 これだって分かる。
少年のする野球。高校野球もプロ野球もそう。前の部分が修飾部で後ろが主要部。
意味するところは、分かるよね。

でまあつまり、合成語って言うのは、
このように前の言葉が後ろの言葉を修飾しているのだ。
で、前後の位置はその場合も変わらない。
以下、合成語の細かいルールなどについて詳しくみていくことにしよう。


合成語は、二つ目の言葉が濁る傾向にある。
これを「連濁」と言うのだ。その場合でも、修飾-主要の位置関係は変わらない。
僕らはあんまり気付くことなく使ってるけど、
コレ、かなり多くあるのだ。
例えばね、

「まつり」+「たいこ」→まつりだいこ
「ほん」+「たな」→ほんだな

先生が例としてあげてくれたものとしてはこんな感じ。
これは見ての通り、連濁が普通に起こるもの。
ま、例外は当然のごとくあるんで、それがどんな感じか見てみると、

「しぜん」+「たい」→しぜんたい
これはねえ、後の「たい」が音読み→つまりは漢語からの借用語だから、濁らないのだ。
同じ様な感じで、
「こうきゅう」+「ほてる」→こうきゅうほてる
これも濁らない。なぜなら、ホテルはやっぱり外来語だからなのだ。
例外として、こんなのもある。
「いろは」+「かるた」→いろはがるた
いろはがるたと言っても、京都にある居酒屋のことじゃあございません。
あんね、「かるた」って言うのは元々ポルトガルからやってきたのよ、
てんぷらとかこんぺいとうとかと一緒にさ。
だから本来は外来語なんだけど、まあ500年近くも経つうちに和語化したと見なされて、で連濁するようになったって訳さ。まああんまり多くはないけどこう言うのもあんのよ。

他に濁らないパターンとしては、
「やまと」+「ことば」→やまとことば
「やまと」+「たましい」→やまとだましい
なんて言う比較にも見ることは出来る。
これは何でかって言うと、後ろの語に濁音が入っちゃってるでしょ? 上の例は。
こう言うときも濁らないらしい。
まあ濁音が連続すると、発音的にも汚くなるもんね。
と考えるとみょうに納得してしまう。

それから最後に、
「くさ」+「き」→くさき
「やま」+「かわ」→やまかわ
これも濁らない。これは前後の関係が修飾ではなく、並立の関係だからなのだ。
連濁が起こるのは修飾-主要の関係だけなのだ。

これらのことは、普段僕らが感覚的に使っているもので、
いざこうやって勉強して初めて気付くものだ。
日本語を学ぶって言う事は、
普段こうして、「当たり前」って思っていたことを、
再認識することから始めるものなのかもしれない。

続く




2002年05月01日(水) ダッチペイ


日本語教師養成講座のまとめを書こうかなんて考えていたが、
今日も書けそうにないので、別の日記を書こう。
って大したことも書けないけど。

釜山PAGODA学院もしばらくお休みということで、
亮佑が日本に帰ってきた。
男4人がむさ苦しくもめでたく集まって、
凱旋祝い、
何故か牛角で焼き肉。
亮佑韓国に行ってるのに何故焼き肉・・・
ってツッコミはこの際無しにしてもらおう。
勿論亮佑おごり(KOREAN STYLE)と言うことはなくって、
日本式に、ダッチペイで解決。
焼き肉は美味しかった。
デザートの桜アイスまで美味しかった。

また来月に会おう、って言って別れたけど、
あ、ワールドカップ、もう来月なんだ。
来月にはまた釜山に行くんだなあ。
行けるんだなあ。
また色んな人に会えるんだなあ。
って思うと、
とても嬉しくなった。










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