CORKSCREW Diaries(米国編)
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2002年06月30日(日) 祭りの後


神様仏様カーン様

なんてことを思いながら決勝戦、
ドイツを応援しながら見ていた。
膠着状態の試合は後半に入ってから、
ブラジルの2ゴールで結局ブラジルが優勝。
ドイツを応援していたとは言え、
ブラジル優勝の光景は本当に感動した。
勿論、どっちが勝ったっていいんだもの。

優勝して大騒ぎをして喜んでいるブラジルに対して、
準優勝のドイツはなんて寂しいんだろう。
自分を責めるかのようにゴールポストを背にしていたカーンがすごく印象的だった。
そして祭はまた4年後になる。
僕も観客のひとりとして、
そして開催国国民のひとりとして、
この祭典に参加できたことを大変うれしく思う。



2002年06月29日(土) Norgean Wood


三位決定戦はトルコの勝利で終わった。
韓国は疲れていたのだろう。
ミスで点を取られてしまって勝てなかった。
今までこれだけ頑張って来たのだから、もう十分だろうと思う。
韓国の友達の皆さんは今頃がっかりしているかも知れないけど、
本当によく頑張ったと思う。
これだけ疲れがたまっていたのだから、動きが悪くなってしまったのは仕方がない。
それにしてもトルコはこんなに強かったのだろうか。
日本も負けただけのことの事は確かにある。
ミスで失点してしまったのは残念だが、
それでも試合は面白かった。


引きこもりの土曜日、
何か本が読みたくなって本棚から本を引っ張り出した。
本当は「ダンスダンスダンス」が読みたかったのだが、
そう言えば妹に貸していたのを思い出して断念。
そして読んだのはノルウェイの森だった。
村上春樹の書く本は全て主人公はどれも同じ人物で、
シチュエーションのみが異なってるなあっていつも思うのだけど、
だけれども引きずり込まれてしまうのは、
やっぱり主人公を自分自身に投影してしまうからだろうか。
あ〜これは自分自身だなあと錯覚しながら読むような本は村上春樹ぐらいだ。
ノルウェイの森もこれまで何度読んだのか覚えてないぐらいだが、
恐ろしい程に主人公の気持ちが良く分かる。
他の人もこんなに分かるとは到底思えない。
僕は他にもいろいろ本を読むが、
他の本の主人公でこんな気持ちになることは無いからだ。
そして僕は主人公の言った言葉とほとんど同じような事を言ったことすらある。
過去の記憶がそうさせたのかも知れないが、考えていることも同じだった。
基本的に一人でいることの方が好きだって言うのも似ている。
心に陰がある人を好きになるところも。
唯一違うのは、
僕は彼の小説の主人公のようには女の子とは寝ない(寝れない)と言うことぐらいだろうか。

まとまりがつかなくなってきた。
この本はそんなに普遍性があるものじゃないと思う。
全ての人間が理解できるほど平易に書いてあるわけじゃないとも思う。
ただ僕のような一部の人間がたまらなくシンパシィを感じるものだと思う。
世の中に僕のような人間が多いとも思わないし。
それでも結構、いるのかも知れないと少し思った。


追記
日曜の夜に横になってビョークを聴きながら読書するというのも、
貴重なことなのかも知れないな、って思う。
読書に合う音楽ってものはなかなか無くって、
まあそれだったらクラシックとかジャズでも聴けばいいのかも知れないけど。
幸か不幸か恋人もいないから、誰にも邪魔されずに読書が出来る。
ひとりの時間というのにゆっくりとひたることが出来るのもそれはそれでいいことだなあと思う。







2002年06月28日(金) 6月28日のバラード


6月28日のバラード

6月もあと2日で終わる。
長いようで短かい一ヶ月だった。
今日という日があなたにとっていい日でありましたように。
またやって来る明日がいい日でありますように。
そしてあなたが幸せでありますように。





2002年06月27日(木) いちごいちえ


「一期一会」って言葉を最近本当に感じることが多い。
多くの人たちと僕は出会い、そして別れていく。
それっきりになってしまう人もいれば、
そのまま友情が長続きする人もいる。
「もうこれっきり」って思っていても、
案外人間関係が長続きすることだってある。
出会ったばかりの人なのに、
もう10年も友達だったような感覚に陥る人だっている。

これからもずっとそうやって多くの出会いと別れを繰り返していくんだろうけど、
けれどもそのひとつひとつを大切にしていきたいと思った。
大人になると本当に人間関係が希薄になってしまうのだから。
そして僕は本当に心をオープンにするのが苦手な人間なのだから。





釜山日記夏の章
第一日目書きました。こちらでございます。
一日目だけで7500文字行ってしまいました。
ほとんど日記というよりも、記録に近いなあ。



2002年06月26日(水) それでも僕は韓国の今回の戦いを讚えます


どうも眠くて家に帰ってきてからすぐに寝てしまった僕です。
ブラジル戦に間に合うように起きようと思ったら、
目覚ましセットしたはずなのにもう始まってやがる。
しかしやっぱりブラジルは強いね。
攻撃はファンタスティック!
必死で守るトルコも素敵です。
スタジアムもやや黄色が優勢となっている気もするけど、
程よく赤色のトルコサポーターもいたりなんかしていい感じ。
そりゃあ心情的には、ブラジルにきっちり勝ってもらって、
ドイツ対ブラジルの決勝が見たいんでしょうけど。
強豪国とは言え前評判が決してよくなかったこの二カ国が、
ここまで勝ち上がってきたのはやっぱり自力でしょうか。
埼玉の競技場を見ていると、蔚山のスタジアムは本当に見やすかったなあ、
なんて思ってしまいました。
やっぱりサッカー専用は迫力が違う!

見直してみると昨日の韓国は強かった。
ドイツを相手に決して負けてなかった。
どっちが勝ってもおかしくないような試合だったと思います。
韓国はやっぱり強かった。
ライバル日本も次回も頑張れますように。
先越されたちゃったからね。



2002年06月25日(火) 필승KOREA


最初の文字は「ピルスン」なんですが、
ひょっとしたら文字化けして上手く表示できてないかも知れません。
「必勝」って意味です。
お〜何とかコリアって言うのは聞いたことはあると思いますが、
何とか・・・の部分はこれ。


正直韓国の熱狂ぶりは怖かった。
JUNGさんやリュウくん達には悪いけど。
ここで言っておくけど、僕は韓国という国も、韓国の人たちも大好きだ。
そうでなければ何回も行ったりしない。
だからこそ、このワールドカップでの韓国の熱狂を見ると怖くなった。
僕の見た蔚山のドイツ対アメリカ戦は、準々決勝に相応しい素晴らしい試合だった。
だけど、客席は試合開始までほとんどガラガラ。
直前になって近隣の住民が集められて埋められる始末だった。
それに対して次の日の光州の韓国スペイン戦は赤一色。
一体この差は何?
4試合あった準々決勝の中で客席が埋まらなかったのはこれだけ。
・ ・・
それはちょっとないんじゃないかなあ。
なんて思ってしまったのは僕だけじゃないはず。

ちょっと韓国の人たちは熱狂しすぎで怖かった。
相手国の選手がボールを持った瞬間にブーイングはさすがに無いんじゃないかなあ。とかも思ってしまう。
この状態を世界中に流し続けるのは、
韓国の地位を世界的に高めるどころか、逆効果になりえるんじゃないだろうか、
なんてことも思ってしまったぐらい。

だから今日はすごく残念と思ったとともにほっとしてしまったことは否定できない。
韓国もドイツも素晴らしかったし。
固いディフェンスを見せてくれたもの。両チームに拍手を送りたい。
このまま韓国には3位決定戦でも是非勝ってもらいたいと思う。

それにしても生で見たチームが決勝に進むのは嬉しいかぎり。
出来ればこのまま優勝してくれないかなあと思う。



2002年06月24日(月) gobacktoKOREA2(W杯観戦記2 7/8更新)続きはまた別の日付で


2002年6月21日 釜山−尉山

いよいよワールドカップの準々決勝を観戦する日になった。
チケット申し込みから2ヶ月半。
まさかこんなに簡単にチケットが取れるとは思わなかったワールドカップ。
飛行機の値段も予想外に安かったし、
日本で行われるゲームのチケットが取れなかったとお嘆きの皆さんは、
韓国のゲームのチケットを買ったら良かったのにねえ。
物価も安いし、下手に北海道なんかに行ってしまうよりもはるかに安いと思うんだけどなあ。
などと言ってももう大会は始まってしまったからもう遅い。
日本で羨ましがる同僚や友人を置いて僕はこの韓国に帰ってきた。
会計検査なるものの真っ只中なのだがそんなこと僕の知ったことではない。
ま、いっか。いや、決して良くはないんだけど。

そうして釜山での朝はまた始まった。
と言うか、今回もまた6時半から授業が始まるのだ。
勘弁してください亮佑先生。
いや、たとえ亮佑先生が勘弁してくれたとしても生徒の皆さんが勘弁してくれないだろう。
たとえ勘弁してくれたとしてもきっとがっかりすることだろう。
それはいけない。
と言うことで頑張って起きた。
隣でカシウチさんは寝ているのだがまあ気にしない気にしない。
前回は僕がもたもたしていたおかげで遅刻しかけてダッシュする羽目になってしまったのでその反省?を活かして今回は素早く準備を済ませた、僕は。
しかし今回は亮佑の方が準備が遅かったんだよ〜、もう。
で、結局今回もダッシュする羽目に・・・
今回はちょっと息切れしてしまった。
そのまま蔚山に移動する予定だったから荷物もいっぱい持ってきてたのだ。
3月の時と比べて同じ6時半でも外は大分明るい。
しかし毎日6時半は早いよなあ。生徒と違って先生は授業をそうやたらとキャンセルする訳にはいかないもんね。僕は今日一日だけだからまあいいやって思えるけど、毎日6時半って言うのはさすがに辛いと思う。

午前中は4時間連続で終了なのだ。3月は6時間連続だったことを考えると、
6月は授業数が減ったみたいだ。大学も試験シーズンみたいで総じて出席率は低かったような気がする。授業が減ったらそれだけ楽が出来るかって言えば決してそうではなくって、亮佑先生の収入に直結するのだ。亮佑にとっては頭が痛い問題と言えよう。
そして本日1時間目の授業、6時35分から。
前回はいなかった人もいるけど、この前にも会った人もちゃんといる。ちゃんと覚えてるよ。
お久しぶりです。再びお会いできて本当に嬉しいです。
韓国語を勉強する予定だったけど思った以上に出来てないのが本当に残念です。って言う感じ。
やっぱり6時半殻の授業は眠かったのか、あんまり内容は今回は覚えてない。
韓国ではやっぱり代表チームの躍進がすごいムーブメントを沸き起こしているらしくって、
やっぱりみんな「次も韓国が勝ちます」って言ってた。
誤審騒動についてはちょっと心を痛めているみたいで、何度かメールを書いてくれたカンさんがしきりに気にしてた。うーん、あのイタリア戦のトッティの退場はまあ仕方がないんじゃないかなあ。
退場が誤審だったとしても、それがイタリアの敗戦に直結した訳じゃないし。
日本の掲示板とかニュースを見て、心配しているらしい。
まあ結構日本ではあの試合を観て感動した人の方が多いから、
あんまり気にしないで欲しいって言ったんだけどね。
そうそう、釜山市にお勤めの公務員の河さんとも結構お話したね。奥さんは研究職で日本に行ってしまっているらしい。現在は一人で寂しいんだろうな。
ここPAGODAには本当にこういうかなり頭のいい人が多い。
亮佑とか僕のアホさ加減がバレないことを祈ろう。
それにしても韓国の男性は本当に奥さんを愛してて大切にしているみたいで、
奥さんのことをツッコむと河さんもいろいろ話してくれた。
「写真とかいつも持っていますか?」って聞いたら、「はい」と答えてくれて、
そんで見せてくれたのだ。美人の奥さんだったなあ。
河さん奥さんと子供さんをいつまでも大切にして下さいね。
(2002/06/29)


2時間目
3月の時はこの時間が一番盛り上がった時間だったので、
今回はどうなるんだろう・・・って思ってたんだけど、この時間も人は大分入れ替わっておりました。
人数も2人だけ。普段は3人って話なんだけど。
やっぱり学生の皆さんは試験期間中って言うのが効いているのかも知れない。
今回の生徒さんはアダルトなお二人の女性でございました。
一人は新婚ほやほやの奥様。
もう一人は・・・分からないんだけど、僕と同じ年くらいかなあ。
もう結婚してるぐらいの落ち着いた方でした。
3月の紀行にも書いたんだけど、韓国の人結婚しているしていないに関わらず左手の薬指に指輪をファッションでしているから良く分からないのだ。でも結婚してそうな感じのする美人でした。
新婚さんの方は、旦那さんが今は大津の東レで働いているみたいで、
もうすぐ日本にやってくるそうです。
そのために現在日本語を勉強しているんだって。
1時間目の河さんと言い、はなればなれの夫婦が多いなあと思ってしまった。
しかし東レって言うのも一流企業だからねえ、やっぱりここの生徒、エリート多いなあ。
大津にすむ予定と言うことで、よろしければまた韓国語を教えて下さいと、名詞を渡しました。
なにか有ればよろしくお願いします。
でも早く一緒に暮らせるといいですね。


3時間目
本日は全ての時間和やかに流れております。
いや別に3月の時が和やかじゃなかったと言うことはなかったんだけど。
なんとな〜くまったりとした雰囲気。
先生やクラスの雰囲気になじめなかったりした人はやめたり、
クラスを代わったりした影響なのかもしれない。
3時間目は前回ではなかなか会話が成立せずに亮佑先生が苦労したクラスだったんだけど、
今回は一番の盛り上がりを見せたのが3時間目。
どうやら大分クラスのみんなも馴染んできたらしい。
そうそう、3月に亮佑にケーキをプレゼントしていたのもこのクラスなんだよね。
前回はあまりにもクラスが盛り上がらなくって心配だったんだけど、新しい人も増えて今回は大変楽しいクラスになっていた。
リュウくんが買って来てたんだった。懐かしい。
彼は一昨日はお酒を飲みすぎて昨日の授業は来れなかったらしい。
ま、韓国も勝ったことだしね。
国中お祭り騒ぎの韓国を少しうらやましく思う。
あまりにもうれしくて3時間歩いて家まで帰ったとか、なんか韓国ってすごいって思う。
何て言うかもう、情熱的。
日本人の僕にはとても真似が出来ないなあと思った。
リュウ君だけじゃなくって、3月に出会った人にもいっぱい再会した。
結構覚えてるもんだなあと思った。
今回の授業のメンツはすごい。
ロンドンに13年間留学している「関ちゃん」
(あいのりの関ちゃんにすごくよく似てるのだ)
今度京大に留学する予定のパクさん。
とかとかなんかすごい人が学びに来てる。
ちょっと今回の釜山ではサッカーの話題に終始しすぎてしまった感はあって、
内容をそんなに覚えていなかったんだけど、それでも楽しかったことはよく覚えてる。
パクさんとは京都での再会を誓ってアドレスを交換した。
色んなところで色んな人とこうして僕はリンクしていく。
この繋いだ糸を決して切ったりしないようにしないといけない。
(2002/07/01)
4時間目3月の時は午前中6時間たっぷり授業に参加したのだが、今回は4時間で終了。
ちょっと拍子抜けしてしまうなあ。
この時間は高級クラスの時間。
前回の旅行記にも書いたがここ韓国では「上級」ではなく「高級」と言うらしい。
高級クラスまで行くとほとんど日本語がペラペラと言う話だけど、
今回は上がりたてっていうのもあったからかなあ、ちょっとレベルにバラつきがあった感じだ。
ちょっと僕も「話せる」って思ってしまったからだろうか、かなり早口になってしまって、
話に参加出来る人と出来ない人に分かれてしまった。これは反省。
「出来る」って思ってしまうとゆっくり話そうと言う努力を怠ってしまうのは良くない。申し訳なく思った。
さてさて今回もまた新婚さんがおられると言うことで、
馴れ初めやらいろいろ聞かせてもらった。
うーん、参考になるなあ。
こういう事情と言うものは韓国でも日本でもあまり変わらないね。
やっぱり一番重要なのは情熱と愛情なのかもしれない。
そういえば授業で話題になったことを思い出した。
亮佑先生、釜山での生活も7ヶ月が過ぎたと言うことで、大分韓国語にも慣れてきたんだけど、
かな〜り、釜山のサトゥリ(方言)に染まってしまったみたいなのだ。
韓国語の勉強にしても基本時にはテレビの講座を見て勉強しているから、
まあ標準語の発音になるのだけれども、釜山サトゥリに染まりきったのは亮佑先生だったみたい。
日本でも関西弁を話す外国人って妙にウケるみたいなもので、
先生はサトゥリ使って話してる〜って言うのは、
結構、それはそれで生徒からは暖かく受け入れられている証拠なのだ。
今回の授業では、亮佑先生の趣味のせいか、
あまり深くて高尚な話にはならず、
どっちかって言えばライトで楽しい話になった、
韓国と日本の違いを深く突っ込んで話したりするよりも、
お互いに交流を深めたって気がする。
だから日本人対韓国人って言う感じじゃなくって、
本当に友達みたいな感じで話せたんじゃないだろうか。
まあ確かに、3月に行ったときはかなり緊張して固くなっていたからね。
ちょっと会話の内容が真面目になりすぎてしまった。
語学って言うのはまずは「楽しい」と言うことありきだと思う。
でも確かにせっかく日本人である僕が来ているのだから国際交流は深めたい。
そんなチャンスお互いになかなか無いんだから。
(2002/07/02)

本日の授業はこれで修了した。
4時間って言うのはあっという間だった。
あとはもう、カシウチ氏がやって来るのを待つばかりだ。僕は何度か行ったことのあるPAGODAだが、カシウチさんには地図を渡しただけだった。うーむ、彼は果たして無事に来られるのだろうか。いや、多分来られることは来られるとは思うけど、入りにくくないかなあ・・・大丈夫かなあ、と少し心配になる。
ま、あんまり心配しても仕方がないので、講師室で僕は日記の更新を行い、亮佑はメールチェックを行う。講師室も何にも変わっていない。懐かしく思いながらもモニターに向かって文字を打ち込んだ。色んな想いが交錯する。
今回もまたあまりにもせわしなさすぎてゆっくり授業に参加は出来なかったなあ。まあ今回はワールドカップ観戦が主な目的になるから仕方がない。試合は20時30分からだから、おそらく本日の帰りは12時を回るであろうと思われる。睡眠不足な上に朝の6時半から授業に出てしまったが、僕の体力は果たして持つのだろうか・・・? ううむ、しかしまあせっかくここまで来て授業に参加させて頂かない手はないのだ。(2002/07/03)

そうして僕らはPAGODAの3階でソファに座って過ごした。
ジョンさんのバイトは13時までってことなので、バイトが終了次第お昼ご飯を食べに行く予定なのだ。
無事にカシウチさんとも合流に成功して、ぼやーっとする。
そう言えば3月のあの日も確かここでこんなことをしてジョンさんといたんだよなあ。
懐かしいなあ。
あの時はまだまだ寒かった。
なんてことを思った。
座ってたらジョンさんもやって来てまたいろいろ話す。
「ジョンさんバイト中でしょう? 大丈夫なの〜?」
とツッコんでみたが、「大丈夫なんです〜」とジョンさん。
この辺も3月の時と変わらない。
デジャヴみたい。
さすがに6時半起きは辛かったのか、どうもやっぱり眠い。
これからのハードなスケジュールを考えると体力を温存しておかないとまずいかもしれない。

そうしているうちに13時。ジョンさんのバイトも終わって、昼ご飯の時間だ。
昼ご飯は何にしよう。
キムチチゲにしようかユッケジャンにしようか、スンドゥブは昨日食べたよなあ。
うーむ、うむうむ。
結局、3月の時に食べたダッカルビポックンパプで決定。
タッカルビベースで作った、要は焼き飯である。
3月の時は中途半端な食欲であまり堪能できなかったので今回はリベンジ!なのだ。
どうも眠くってあまり会話が弾まない〜。
それに引き換えジョンさんは元気だった。
君は寝てるからだよ〜。
でもバイトお疲れさまジョンさん。
明日はいっぱい話しましょう。
昼食は美味でございました。
って言うかかなり辛かった。
辛かったけど美味しかった。
汗をかきかき食べたのです。
でもやめられない、とまらないのが韓国料理なのだ!
(2002/07/05)


辛いものを食べた後は甘いデザートが食べたくなるのが人情であります。
特に韓国の料理は辛いだけに甘いものが食べたくなる。
シュークリームが食べたい!、と言うことで韓国で有名なパン屋さん、
クラウンベーカリーに行ってまいりました。
小さいシュークリームが一個50円! 安いなあ〜♪
他にもパンを購入。クラウンベーカリーのパンは美味しいのだ。
韓国的物価を考えたらちょっと高いのかもしれないけれども。
さっきの昼食は我々が持ったと言うことで、ここはジョンさんにおごっていただきました。
ジョンさん有り難う〜。
そんなことをやっているうちに2時。
そろそろ尉山に向かって出発しなければ〜、と言う感じになった。
釜山市内からスタジアム行きのバスは結局無いってことで、
釜山総合バスターミナルにまずは向かう。
総合バスターミナルは釜山市内の北の外れ、老圃洞と言う所にある。
最近新設されたらしい。
新しく出来た施設と言うのは、確かにきれいで使いやすかったりするが、
土地の関係もあって街の中心部から遠いと言うパターンであるが、(関空しかり仁川しかり)
例によって釜山総合バスターミナルも果たしてそうであった。
中心部から地下鉄で30分と言うのは遠すぎる。
前にあったバスターミナルだったら15分ぐらいだったのになあ。
日本でもそうだが、韓国の地下鉄も線路が郊外に行ったら地上に上がる。
延々と広がる釜山の町並みは、多少の古さは感じたもののやはり大都市のそれだった。
サッカー観戦のために釜山から尉山に向かう人は少なくなかったらしい。
レプリカユニフォームを着た人々の姿も見られた。
釜山から尉山へはそれでもせいぜい1時間程度の距離。
この調子では4時前には着いてしまいそうだ。
イングランド×ブラジルの試合も(TVで)見られるかもしれない。
そんなことをカシウチさんと話しながらバスに乗った。
窓の外の景色を楽しみながら行こうと思ったのだが、
疲れていたせいかバスの中ではかなりぐっすり眠ってしまった。
気が付いたら外にサッカースタジアム。
大きくて広い。おまけにきれいなスタジアムだ。
ただし今はまだ3時。今から会場に入るのは早すぎる。
とりあえずはそのまま尉山高速バスターミナルに向かう。
街の中の雰囲気はワールドカップ歓迎ムードだった。各国の国旗が翻っている。街の中ではワールドカップを見に来ているのであろう外国人も多くいた。大体尉山行きのバスの中でさえ日本語が結構飛び交っているぐらいだし。結局尉山の街を歩いたりすることも無かったのだが、言ってしまえば地方都市と言う感じだ。広域市(日本で言ったら政令指定都市)だけのことはあって、街自体はきれいで都会だった。大抵のものはこの街に住んでいたら手に入るだろう。それでも韓国と言う国は日本以上に一極集中化が進んでいるのだが。
現代自動車のお膝元の工業都市。
日本で言ったら名古屋かなあ。
大きな街だけど特に見るべきものはあまりなさそうな感じだ。
「韓国らしい」風景がもしみたいのならば、やっぱり田舎に行くべきなのかもしれない。
そういうこともあって僕が好きなのは、やっぱり扶余の町だ。
あそこに行ったら、日本人が忘れていたものに出会うことが出来るから。
ただし扶余の町も最近では大分観光地化されてしまったのだけれども。
どこかでイングランド×ブラジル戦が観たいと言うカシウチさんのリクエストにお応えして
ちょうどバスターミナルの待合室のTVで試合を観た、
ちょっとだけ観て別の場所にでも移動しようかと言っていたのだが結局最後まで見てしまった。
バスターミナルにはワールドカップ用のインフォメーションがあって、
日本語英語会話が出来るボランティアもいた。
しかしワールドカップを見に行く人はほとんどが日本人。
韓国人はほとんどいない。
ここでも日本語がかなり飛び交っていた。
TVで熱心にサッカーを観ていたのはやっぱり日本人とか外国人(韓国で言うところのね)ばかりで、
あまり韓国の人はいなかったような気もする。
やっぱり韓国では自分たちの出ている試合以外はあまり興味が無いのかもしれない。
試合はブラジルがロナウジーニョの退場にも関わらず2−1で勝利。
日本では多くのにわかベッカムファンが悲鳴をあげていたことであろう。
今回のワールドカップは、一人退場してもそれで崩れるパターンは少ない。
それだけその一人欠けた分をきっちりカバーするからだろうか。
ブラジルも一人退場したとは思えないぐらいの動きで結局勝ってしまった。
イングランド及ばず。
まあ一人退場した時にはリードを奪っているから、
守る側としてはそれなりに楽だったかもしれないが。
同点またはリードされた側が一人減った状態で逆転したり勝ち越すのは非常に難しい。
日本で見直したらベッカムもやはり調子は今一つだったようだ。
しかしこれで準決勝へのコマの一つは埋まった。ブラジル。
後の3つは何になるのだろうか。
そのうちの1つはこれからのこの尉山の試合で決まる。
神戸で行われていたこの準々決勝のスタジアムは満員だった。
例え組み合わせが尉山と同じくドイツ×アメリカでも満員なのは変わらなかっただろう。
果たして僕らの試合は埋まるのだろうか。
それは行ってみるまで分からないが。
日本での準々決勝一試合目が終わったのは5時半ぐらい。
徐々にスタジアムに人々が動き始める。
いつまでもバスターミナルにいてもしょうがないので、僕らもそろそろスタジアムに向かうことにする。
晩ご飯はスタジアムで適当に食べたらいいだろう。
と楽観視していたのが実は大きな過ちであったことに後で気付いたのだが、このときはまだそこまで頭は回らず。コンビニとかあるかと思ったのにスタジアム周辺には何もなかったのだ。しかも場内の飲食物売り場は種類少ないしその上高い。できればうどん系とか温かいものが食べたかったんだけど。
まあこのときの僕らはそんなことは思ってもいない。
スタジアム行きのシャトルバスに乗り込んだ。
高鳴る鼓動と期待。
いよいよこの全世界を席巻するイベントを生で観戦できる、そして参加できるのだ。
そしてシャトルバスは会場へと向かう。
(02/07/08)

一日の掲載可能文字数をオーバーしたので、続きは別の日付で改めて掲載します。



2002年06月23日(日) Be The Reds!


と言うことで無事に帰国して参りました。
何だか咽喉が痛いのは、
韓国の応援をしすぎた、と言う訳では無く、
おそらくはハードすぎたスケジュールからだったのだろうと思われます。
しかし韓国の快進撃はいったいどこまで続くんでしょうかね?

スペイン戦勝利の後もう釜山はえらいことになってて、
もう夜中までお祭り騒ぎ。
幹線道路まで人で溢れかえっておりました。
日本じゃあんなの考えられないなあ。
絶対に警察がやってきて逮捕者が出てますわ。
まあ、こんな風景も滅多に見られるものでもないし、
なかなか貴重だったんですけど。
亮佑は「今度負けたときが怖い」と言っておりました。
ううむ確かに。
頑張れ亮佑。
日本でキミを応援しておりますよ。

まあ、そんなところで、
今回の旅もまた楽しく終わりました。
今度はいつ行くことが出来るのかどうかは分からないのだけれども、
頑張って日本語も韓国語も勉強しようと思ったのでした。
滞在日記はまたしばらく後に書きまする。



2002年06月22日(土) GoBackToKOREA(02/06/20 W杯観戦の章その1)


2002/06/20金曜日 京都-釜山


釜山で日本語の教師をやっている亮佑の所に遊びに行ったのは今年の3月のことだった。
今度は6月ぐらいにまた必ず行くからと言って僕は韓国を後にした。
ワールドカップを見に行くつもりで。
チケットは余っているとは聞いていたものの、
まさか本当に買えるとは思ってもいなくって、
チケットが家に届いたときは感動だった。
2002年6月21日金曜日。準々決勝・尉山。
今に来る来ると思っていたのだけれども、
今回もまた、すぐにその日はやって来た。
さすがに今回は前日までにかなり準備を整えておいたのだけれども。
まあ釜山は今年二回目、韓国に至っては今回で6回目だから、
それほど緊張してないんだけど。
欲を言えばもっと韓国語を勉強してから行くべきだったかなあと思う。


今回の旅の目的は、ワールドカップ準々決勝観戦がメインの目的。
高校の時の同級生、カシウチさんと一緒に観戦予定である。
一緒にとは言うものの彼は東京からやってくるので、釜山で合流予定である。
頼りになるのは亮佑の携帯のみと言うなかなか心細い状態。
これがつながらなかったら尉山のスタジアムでしか会えないのだ。



さて前回は大韓航空で行った釜山だが、今回はアシアナ航空で行くことになった。
アシアナ航空は日本では結構マイナーだけれども韓国で2番目の航空会社で、
主要都市には国際線も飛んでいる。
惜しむらくは日本からの接続が今一つな点で、
接続さえ良ければもうすこし遠くに行くにも使えるのだが・・・
機材は大韓よりもちょっと古くて小さいのだが、
3000円安かったのでこっちを選択した。
正味フライト時間1時間の距離だから、マイルも貯めようが無い。
初めて乗る航空会社って緊張するんだけど、アシアナは地上職員の制服が可愛らしい。
これは期待大!(何がやねん)


いつもの如くやたらと前置きが長くなってしまった。
この調子では韓国に辿り着く迄にかなりの文字数がかかりそうだ。
まあ例によって行きはお金をケチって関空までは快速で行く。
タクシーを使いたいのだがまあ2000円の差は結構大きい。
梅田までは阪急電車で向かう。
昨日から読んでいた三浦綾子の「塩狩峠」を最後まで読んで感動している間に梅田には着いた。
最近本当に寝不足だったから、どうもやたらと眠くって、関空快速の中ではまたもや熟睡。
着いたら12時。
集合時間は少しだけ過ぎていたが、まあこれぐらいは許してもらえるだろう。

ちょっと遅れたとは言え、
チェックインだけ済ませてしまったら後はもうやること無し。
特に一人で行くときはBORDINGまでが非常に待ち時間が長いのだ。
大体本屋とかに行って暇をつぶすことが多い。
なんせ関空は全てが飛行場料金なのだ。高い。
テナント料とかも高いのは分かるけどひどい。
それでも背に腹はかえられずマックに行って昼ご飯を食べてしまった。
関空発は13:50だからちょっとお腹が空いたのだ。
機内食もほとんど期待できないし・・・
関空特別料金?でハンバーガーセットが520円だった。高い。
テリヤキセットに至っては680円である。誰がこんな高いマックを食べるかい! 
と思いつつも食べてしまった。とりあえずは一番安いハンバーガーセット。貧しい。
本屋では塩野七生の「ローマ人の物語」の文庫版を購入。
読むヒマ、無いかもしれないが。
(2002/06/24)


そうしているうちにいい時間になった。
長いようで短いのが待ち時間。
待合室に入って少し経ったらもう搭乗。早い。
メールを打ってるようなヒマも無い。
今回の飛行機はA321。大韓航空もエアバスだった。
エアバス好きなのかなあ? 韓国。
飛行機は左右二つのブロックしかないような小さな飛行機だった。
こんなに小さい飛行機はアイスランド航空以来・・・と思ったが実はバンコク・エアウェイズ以来。
大韓航空に比べたら飛行機は明らかに一回り小さかった。
まあいい、どうせ正味1時間しかないフライトなのだから。

さすがにワールドカップ開催中のフライトだけのことはある、飛行機は満席だった。
隣の席の人々もサッカー観戦らしい。明日の尉山も明後日の光州も行くそうだ。
尉山は釜山から一時間で行けるからいいけど光州は4時間半、さすがにきつすぎる。
カシウチさんは行こうか迷ったらしいが、僕はまあいいや。
どっちにせよ、ベスト8に韓国が勝ち上がってしまった時点でチケはもう売り切れだろう。
うーん、しかしにわかサッカーファンだなあ>僕
と密かに鞄の中にしまいこんだ中村俊輔Tシャツを想う。
せっかくだからこのお祭り騒ぎの雰囲気を楽しみたいのだ。

アシアナの機内食は結構美味しかった。
ライバル?の大韓と比べても、こっちの方がはるかにボリュームもあって、
蕎麦なんかも付いている分アシアナの勝ち!
出掛けにマックなんて食べる必要も無かったかもしれない。
だだなんか客室乗務員は無愛想で、頼まなければビールももらえなかった。
頼み込んでもらったのはいいが冷えていないビール・・・そんなん飲めるかっちゅーねん。
僅か一時間のフライトに期待する方がいけないのかもしれないが。

釜山へのフライト時間は本当に短い。
新聞読んで機内食食べてビール飲んで機内雑誌を読んだらもうそれで終わり。
寝るヒマももう無く釜山に飛行機は到着した。


さすがに3月に来たばかりの釜山ということもあり、手続きはスムーズに進む。
入国審査も、両替も、別に問題ない。
サクサクサクと進んでいく。
あ〜亮佑に電話しないとしないと〜、って感じになってなって電話。
・・・なんだか機嫌が悪そうな亮佑だった。
大丈夫かなあとちょいと不安になる。
その後インフォメーションで明日の尉山の行き方とかを聞いておく。
ついでに「まるごと釜山」なるフリーの情報誌をもらう。
面白いんだわコレ。しかも置いてあったのは最後の一部だった。
ラッキー〜!! と当然の如くもらって帰った。

で、リムジンバスに乗り込むか・・・と思ったが、
しまった!機内に預けた大きな荷物を持ってくるのを忘れてた!
荷物をピックアップするのを忘れるなんて間抜けなことをするのは初めてだ。
あまりにも気が抜けていたというか、焦っていたのかもしれない。
慌てて荷物預かりのタグを警備員に見せて、荷物を取りに戻った。
残っていたのは僕の荷物だけ・・・良かった〜。
しかしそれにしても荷物が一つだけ残っている光景は恥ずかしいものがあった。
係の人も困っていたに違いない。


気持ちを取り直してリムジンバスに乗り込む。
これまた3月の時とは違ってほとんど満席だった。
しかもほとんどは日本人。
あのときはほとんど日本人になかったからなあ。
たぶんほとんどがサッカー観戦に違いないのだろう。

今回もまたぼんやりしているうちにバスは進む。
見慣れた景色が視界に飛び込んでくる。
最初は違和感のあったハングル文字だが、それもだんだんと眼に馴染んでくる。
3月の初めにここにやってきたことを僕は思い出して実感。
ああ、僕はまたこの街に帰ってきたんだなあってことを。
生まれ故郷は日本にあるはずなのに、何故か此処は懐かしい匂いがする。

バスはそしてロッテホテル前に到着!
何人か降りる乗客。
そして当然泊まるようなふりをしつつ僕はロッテホテル内に入る。
・・・・こんな高級ホテル最近泊まった覚えがない。
ロビーの電話から亮佑に電話して、迎えに来てもらうことに。
ホテルに隣接するロッテデパート前にはインフォメーションがあるのでそこで待っていて欲しいとのこと。
そこで僕は亮佑を待つ。
(2002/06/25)


ひょっとしたら尉山のスタジアム行き直行のバスが出ていないのかなあと思い、
インフォメーションで情報を確認したが、結局の所空港のインフォメーションで聞いたことと変わらず。
日本語が結構通じると言われている韓国だが、空港でもここでもコミュニケーションは英語だった。
韓国における日本語の需要と言うものはやはり以前よりも減りつつあるのかもしれない。
(と言っても以前として日本語の需要が多いのは事実だが)
結局釜山総合バスターミナルが地下鉄の終点である老甫洞にあるので、
まずはそこまで行ってそしてバスに乗り換えて尉山に向かうと言うことだ。
地下鉄の終点だから、30分ぐらいはかかるらしい。遠いなあ。
とかとか思いながら説明を受けているうちに亮佑と・・・ジョンさんがやってきた。

亮佑には5月に会ったばかりだけどジョンさんとは3ヶ月ぶりの再会!
ふたりともあまり変わってない・・・ことはなくって、
なんか髪の色がずいぶん変わっているような気がするなあ、ふたりとも〜。
亮佑は眼鏡も韓国製に変わっている。色までついております。
もうすっかり韓国に同化している感じ。羨ましい。
まあ亮佑はともかくとしてジョンさんとの再会は僕もとても嬉しかったものの、
なんだか緊張してしまってなかなか会話は進まない、と言っても最初のうちだけだったんだけど。

しかしまあ、会ってすぐにジョンさんが言ったことは、
「まさか本当に来るとは思わなかった」だもんなあ。
こっちも「ジョンさんちょっと太った〜?」とか言ってるし。
まあこんなことが言えるぐらい仲良しってことなんだけどね。
あの時僕は言った。
「必ずまた僕は戻ってくる」
もう、信じてなかったのかよ〜。
僕はこうして戻ってきた、そう、情熱は約束を守る。
今度はいつ、戻ってこれるかわからないけど、でもまた来たいとは思っている。
でもとりあえず今は、今回の滞在を楽しまなくっちゃね。
それはそうとしてジョンさん、「太った〜?」なんて僕が言ってしまったのは、
ジョンさんのガタイがあまりにも良かったからなんだよ〜。
胸板とか分厚いんだよね〜。亮佑とか僕に比べてさ〜。
しかし筋肉がTシャツからあふれてるみたいだよ。
ちょっとTシャツ小さすぎるんじゃない〜?
なんて事を思ったのだった。
でも久しぶりに会えて本当にうれしかったなあ。
ジョンさんと亮佑もあれからもっともっと仲良くなったみたい。
いいなあ、って思った。


そしてPAGODA学院に向かう。
言わずと知れた、亮佑が日本語を教えている場所である。
ジョンさんはこの学院でアルバイトをしているのだ。それで亮佑と知り合ったという訳。
久しぶりにPAGODAの門?(実際はそんなものはない)をくぐる。
PAGODAの中はほとんど変わっていなかった。まあそりゃあそうだ。
亮佑先生、しかしそんなメッシュの入った金髪で授業やっていいんですかい?
しかも服装思いっきりラフだし。
ツッコんでみたら今はワールドカップ開催期間中だからいいとのこと。
何でもありだなあ韓国。日本なんて職場で見るなとか無茶言われてるのにさ〜。

PAGODAの4階のソファで僕らは座っていろいろ話した。
3月に初めて話した時は、まだまだ外は寒かったなあと思いながら。
あの時一緒に撮った写真と同じようなポーズを取りながら写真を撮った。
すごく不思議な感じがした。
季節が流れてもそこに存在するものは変わらない。
釜山の街も所々変わったような気もするけど、
だけど変わらないものは同じだ。
僕とジョンさんや、亮佑との海を越えた友情も変わらずにいたらいいのにね。


そうやって僕らは久しぶりの再会を懐かしんでいたんだけど、
ジョンさんが学校に行かなければならない時間になったので、
一度お別れ。その間は結局どうすることになったかと言えば、
授業にまた参加することになったのですよ、やっぱりね。
ジョンさんと別れた後僕らは、PAGODAの講師室に行った。
お久しぶりに日本語科の主任、韓京(ハンギョン)先生にご挨拶。
「私のクラスが今からあるのですけれども是非出て下さい」
分かりました韓京先生。
先生のおっしゃることなら不肖私、授業に参加させていただきまする。
で、出てきたんだわ。なぜか亮佑先生も一緒。
彼のメッシュの入った金髪具合たるや、絶対に一見先生には見えなかったであろう。
これもワールドカップ期間中だからいいのかなあ。
(2002/06/26)

韓京先生のクラスは初級会話のクラスって事らしい。
最初は、日本人に対して質問して下さい、とか言うところから始まる。
皆さんいろいろなことを聞いてくるねえ。
「恋人はいますか」とかとか、結構プライベートまでツッコまれたりして。
「いません」とか答えるのは辛かったりする。ううむ。
しかしまあ、使っているテキストの日本語はやたらと難しかった。
茶道とか精神鍛練とか出てくるような文章を暗記しているのだ。
ちょっとコレ日本人でも難しいような文章なんですけど〜、とか思いながら一緒に聞いていた。
韓京先生の授業は、ツボを押さえた非常に楽しい授業だった。
笑いをとるところでは生徒の笑いをとり、
予習をしないところではこわ〜い顔を見せたり、
でも結果として非常に内容の充実した授業だった。さすが韓京先生!
亮佑先生も是非頑張って欲しい。
隣で授業を受けていたのは釜山大学に在学中の学生。
いかにも純情そうでかつ賢そうな少年だったなあ。
僕にもあんな時代があったのだよ(嘘)とか思ったりして。
そうそう、今回はちゃんと授業の後にみんなで記念撮影は欠かさずにやりましたよ。
みんないい笑顔で写っております。


次は亮介先生の授業。
なんだけど、ちょっとだけ韓京先生の授業に来て下さいと言うことなので、
ちょっとだけ出てきた。
このクラス、実は3月に、発音練習を僕がしたクラスだったのだ。
懐かしいなあ。
あの時は教室一杯だった生徒も今は半数以下になってしまった。
でも覚えてる。ノート見せてもらった生徒の顔もよく覚えてる。
生徒の皆さんなんて僕のこと覚えているだろうな〜。
いきなりやって来た日本人ってインパクトあっただろうもんなあ。
またみなさんにお会いできて本当に嬉しかったです。
ってちょっとだけご挨拶して教室を後にした。

そうして亮佑先生の授業に移動。
毎月毎月授業体系は違うみたいで、以前の授業のメンバーとはまた違っていた。
普通の語学学校と同じように変わるんだなあ。
先生との相性もあるし、自分の時間帯の都合もあるし、
本当にいろいろだ。
クラスを移って行く生徒も勿論たくさんいる。

「一期一会」って言葉を最近本当に感じることが多い。
多くの人たちと僕は出会い、そして別れていく。
それっきりになってしまう人もいれば、
そのまま友情が続いていく人だっている。
ジョンさんみたいに、会ってすぐに友達になれるような人だっている。
色んな出会いを本当に大切にしたいと、旅に出るたびに僕はいつも思うんだ。

明後日にスペインとの準々決勝を控えたせいか、
韓国でもワールドカップは盛り上がっているらしい。
赤いTシャツを着て韓国を応援する、「レッドデビル」のことがこの授業で話題になった。
みんな絶対に勝つ気でいるのが本当にびっくりする。
これが日本だったら、ほとんど誰もスペイン相手に勝てるなんて思わないだろう。
久しぶりに日本語会話の授業に参加したけど楽しかった。
ちょっと疲れていたのだけれども楽しかった。
今回はだけれどもあまり授業の内容を正確に覚えてない。
前回あれほど克明に覚えていたのが本当に不思議に思える。


PAGODAのパソコンでまた日記をかかせてもらってから、晩ご飯を食べに行くことになった。
本当はジョンさんの友達をお酒を飲もうとか言う話になっていたんだけど、テストがあるとか言うことで、今日は延期になったのだ。
で、亮佑と、後はリュウくんと言う亮佑のクラスの生徒さんと一緒にご飯を食べに行くことになった。リュウくんは、実は3月の亮佑の誕生日にケーキを買ってきてくれた青年だ。
すごい優しい青年で、一緒にご飯を食べて楽しかった。
明日の3時間目の授業でもまた会えるみたい。
晩ご飯はスンドゥブチゲ。豆腐のチゲ。
スンドゥブチゲも結構好きなんだけど、なんか今回は味がしっかりついていなかったような・・・ ただしここの店はおかずが食べ放題で、それをいいことにたくさん食べたなあ。
パジョンとかプルコギとか美味しかった。しかしメインのチゲはやっぱり今一つだったみたい。
時々日本にもあるよね、こういうお店。


まあそれはそうとしてそろそろ到着予定のカシウチさんから電話が全然かかってこない。
実は晩ご飯を食べたお店は地下にあって、電波が入るかどうかが心配だったのだ。
でも韓国の携帯は平気で地下まで届くらしくって、アンテナもちゃんと立っていた。
しかし連絡は来ない。うーむおかしい。
とりあえずはロッテホテルまで様子を見に行くことにする。
10時過ぎにはリムジンバスも到着しているはずだから、もし連絡が取れなくても待機していてくれるはずだ。いっこうにかかってこない電話にやきもきしながら、ロッテホテルに急いだ。
これだから連絡手段が電話のみというのは本当につらいんだよなあ。
僕も3月の時は本当に緊張した。

・ ・・ロッテホテルに入ってしばらく周りを見渡していたら、
ひょっこりカシウチ氏登場。よかったよかった。
しかし電話はどうなっていたんだか。と聞いてみたら、
「つながらなかった」との事。
やっぱり地下が悪かったのかどうかはわかんないけど、出会えなかったときのことを考えるとヒヤッとした。ま、会えたから良かったんだけどね。


ジョンさんが戻ってくるみたいだったから、
近くのマクドナルドでジョンさんを待った。
しかし時間はすでに11時近く。
ジョンさんに来てもらってももうあんまり時間がないなあと思ってしまう僕。
テレビではBoAが映っていた。
韓国のBoAは、日本とは違ってかなりダンサブルだ。
やっぱり日本と韓国では戦略あ違うのだろう。
と待っているうちにジョンさんが来てくれたんだけど、
もう時間は遅い。そろそろ帰らないと、ね、先生、明日もまた6時半から授業があるんでしょう? で当然僕も参加するんでしょう?
「当たり前ですよ」と亮佑先生。
ごめ〜んジョンさん。ということで今日はそろそろお別れなのだ。
「え〜?! そりゃ無いですよ〜」とはジョンさん。
いやいや、まあまあ、また明日、そして土曜日に一緒に韓国を応援しつつ一緒に過ごそうではないか。と、不満顔のジョンさんには本当に申し訳ないながらも家路に着いた。
ごめんねジョンさん、せっかく来てもらったのに。
明日の授業が6時半なんかじゃなけれりゃ今日は一緒に遊んだんだけどなあ。
すげえ残念。いや本当なのよジョンさん、信じてよ〜。
と言うことで久しぶりに亮佑のアパートに行って男三人、雑魚寝したのでありました。

一日目終わり(2002/06/27)



2002年06月21日(金) 情熱は約束を守る


プサンに来て、ロッテ百貨店の前で亮佑と待ち合わせた。
一緒に迎えに来てくれたJUNGさんが、
「まさか本当に来るとは思わなかった」
なんて言うもんだから、
それに対して僕が言った(思っただけかもしれないけど)がタイトルの言葉。
情熱は約束を守る。
そして僕はここに帰ってきた。
ああ、PAGODAの授業にまた参加させてもらって考える。
僕はこのままで良いのかと。
授業は楽しかった。
またもや6時半から参加する。
ほとんど寝てないのにそれでも楽しかった。
昼からはウルサンに移動して試合の観戦だ。

僕は・・・僕は・・・

今度はいつ来られるのかも分からない。
前回来た時に、6月に来るっていうのはほぼ決定事項だった。
今度は、今度はいつ来れるだろう。
たまにはここに来て、初心に返る必要を感じた。
忘れかけた事を取り戻すために。

と言うことで昼からはワールドカップです。
さすがに明日の更新は難しそうな感じです。
滞在記は必ず書きますので、またご期待ください。





2002年06月20日(木) 思い出してやっと実感 「僕は帰ってきた」


僕はやっとのことで帰ってきた。
プサンの街に。
書きたい事は山ほどあるのだけど、今日はこの辺にとどめておく。

明日はウルサンで準々決勝。
ひょっとしたらテレビに出ているかもしれないので、
皆さんお楽しみに。
今日の続きもまた書きます。

と思ったのですが、
今回は時間も少なくてなかなか書けそうにありません。
本当は色々書きたかったんだけど。
また帰ってきてから書こうと思っています。



2002年06月19日(水) Go Back To Korea(世界蹴球大会準々決勝・蔚山 TO THE WORLD4.5)


明日僕は釜山に旅立ちます。
韓国という国は日本以上にインターネットが発達した国だから、
三月の時と同様に、韓国からも日記を出来うるかぎり更新予定です。
みなさん韓国語のフォントを今からインストールしてお楽しみに。
(とは言っても勿論ほとんど日本語を使って書くのでご心配なく)

韓国に行ってまたいろいろな人たちに会って、
そして話が出来るのはとても嬉しいことです。
今回の目的はまあ確かに世界蹴球大会準々決勝を見に行くのがメインなんだけど、
やっぱりこういう時だからこそ、
世界の色んな人と話をしたいなあと思っております。
出来るのかどうかは分からないけど。
とりあえずの目標はマスターカードのCMの如く僕の日本の10番俊輔Tシャツを、
誰かと交換することです。しかし出来るのかそんなん?




2002年06月18日(火) 優しすぎて 言葉も出なくて


午後10時前にK先輩からの電話で目が覚めた。
どうやらそんな時間まで眠ってしまっていたらしい。
韓国-イタリア戦を最初から見る予定だったのに、気が付いたら延長が始まろうとしていた。
遅れ馳せながら結婚おめでとうK先輩。お幸せに。


韓国は同点に追いついたそのままの勢いで勝ってしまった。
日本もトルコ相手に負けるぐらいだったら、
本気のブラジル相手に死力を尽くして戦った方が良かったかも知れない。
例え0−5とかで負けたとしても、
僕らは日本代表を責めたりはしない。
赤一色のスタジアムはすごいことになっていて、
ブーイングとかちょっとやりすぎなんじゃないのとか思わなくも無かったが、
まあホームってそんなものなのだろう。
ベッカムと比べるとローマの王子様は貴族的な顔立ちだなあ。
ベッカムの方がやっぱり手の届きそうなハンサムでいいかも知れない。

日本のことをあんまり書いてないけど、頑張ったと思う。
トルコだってそんなに弱い訳じゃない。
そんなことは分かっている筈なんだけど、
やっぱり世界の強豪との対戦が見てみたかったような気がする。
負けたっていいんだから。
世界って、そういうものだ。
そして4年後を目指した戦いが再び始まるのだ。



何度も何度も書いてきたことをまた書こう。
僕は人を肯定したい、認めたいと思う。
人に対して、「頑張れ」と言うことは即ち僕自身に「頑張れ」と言うことと同じなのだ。
反対に、人を攻撃することは、自分を攻撃することと同じなのだ。
僕は人に対してかなりきつい事を言うことが出来ると思う。
相手をどん底に突き落とすような言葉もいくらでもある。
でもそれは、あくまで「自分が言われて嫌なこと」を言っているのだ。
自分の主張をして相手と口論するのはいいが、
たぶん悪口や負の感情を出せば出すほど僕はココロにダメージを負っている。
喧嘩をするにして、勝っても負けても自分が傷つかずにはいられないのだ。
だからあまり喧嘩なんてしたくない。それが口げんかでも。
いつも穏やかで優しくありたいと思う。
そして出来うる限り人を肯定して認めたいと思う。
誰だってほめられたり認められたりしたら嬉しい。
自分だってそうだ。
それがやる気に繋がる。全ての活力に繋がる。
自分自身で自分を肯定してあげられる人なんてそんなに多くはないのだ。
僕だってそうだ。
「あなたなら出来るの、きっと出来るの、必ず出来るの。」
刷り込みのように言われ続けて、勇気づけられたら、
それは例え今は嘘でも、きっとそれは本当になる。
だから僕もそう言ってあげたいと思う。これも以前に書いたけど。
「君なら出来るんだよ、きっと出来るんだ、必ずね」
それは僕自身に向けての勇気にだってなるんだから。






2002年06月17日(月) Till the sky falls,ocean dries,I will be waiting for you


ワールドカップ準々決勝・蔚山の組合わせは、
結局ドイツ×アメリカに決定した。
イタリアが順調に勝ち進んでくることを期待していたのに、
期待は大きく外れてしまった。
ローマの王子様、かなり見たかったかも知れないなあ。
まあ番狂わせがあるって言うのがワールドカップって言うことは分かっているんだけど。

遊び疲れがたまっているのか今日は一日中気だるかった。
遊んでいたんだからもうこれは仕方がない。

楽しいことがあるとそれが楽しければ楽しかっただけ、
終わった後は寂しくなる。
それはいつもの経験なんだけれども、
普段の生活ってものはそう言うセンチメンタリズムを怒濤の如く流していくのだ。
とは言え今週末は釜山で、
JUNGさんや亮佑に再会できるのは本当に嬉しく思う。



title from pre-school「Lines」




2002年06月16日(日) 僕にやる気を、そしてあなたに、幸運を


しかし昨日のうどんは美味しかった。
どうもうどんが食べたり無いような気がして、
坂出駅でマリンライナーを待つ間に食べてみたりしたが、
何とも言えず美味しくなかった。
「またよろしく〜♪」なんておばちゃんは言ってくれたが、
いやあ、もうそうは来れないって、
って自分でツッコミを入れてしまった。

電車の中からは曽我部宅のご近所さんがよく見えた。
たぶん今度行くときもあんまり迷わずに辿り着けるだろう。
シェランも相変わらず存在した。
明太フランス食べたし。
時間無かったし寄らなかったけど。

岡山駅ではちょうどタイミング良く、
買おう買おうと思っていた
10番ナカムラレプリカTシャツが売っていた。
明日の夜にでもOPAに買いに行かにゃおえんとか思っていたので、
ちょうどよかったと即購入。
マスターカードのCMみたいに、
蔚山の競技場で隣のお兄ちゃんと(もちろんお姉ちゃんでも可)
試合後にTシャツを交換してやるのだ。うふふ。

岡山はさすがに高松よりもはるかに都会で、
入りたくなるようないい感じのカフェも一杯あった。
サーモンロールサンドは美味しかったなあ。
晩ご飯のカレーも美味しかった。フロム倉敷らしい。
ナッシュカレー、美味で御座います。

カラオケでヘルマンの「ROCK IT NOW!」が入っているのに
狂喜乱舞して唄ってしまった。
GOING UNDER GROUNDの「グラフティ」も唄ってしまった。
スガっちの「アシンメトリー」も。
しかしDAMはサニーデイは相変わらず
「さよなら! 街の恋人たち」しか入っていやしない。
しかしドラマで流れる曲しか知らないと難しいものがあるなあと実感。
ってか、もっと違うところイケよって感じかもね。






2002年06月15日(土) My old timer


と言うことで今日は綾歌郡国分寺町からお届けします。
朝からうどん食べて、
歴史博物館行って、
琴電で瓦町行って、
バスに乗って栗林公園行って、
一鶴で鳥の丸焼き食べて、
城山なる山に登って、
そんで帰りました。

申し訳ございません。
どうやら曽我部自宅前での写真撮影は時間の都合上無理みたいです。
「今日を生きよう」ジャケのうどん屋も行けませんでした。
昔撮った写真を探してみます〜。

琴電って言うのはかなり歴史のある電車なんですが、
なかなかローカルで楽しかったです。
経営破綻して今は県民の皆様の税金で走っているみたいですが、
たった二駅しか乗らなかったのに大興奮してしまいました。
岸田くんも絶対乗ったに違いない。
BGMはやっぱりオールドタイマーなんだなあ。
あの曲の列車のモデルは何なのでしょうか?
誰か教えてくださいませ。
叡山電車とかなのかなあ。

33万分の1の確率に怯えながら高松の街を歩きましたが、
しばらくぶりの高松の街は結構変わっているところもありました。
オリーブホールは今日はPOTSHOT。
ちょっと見たかったかも。
スターバックスはガラガラでした。
あんな空いたスタバは初めて見たわ。
閉店セールの中古CD屋でトライセラの2ndアルバムを500円でゲット。
最近全然聴かないトライセラだけど、
「FEVER」が無性に聴きたかったのでまあいいかなと。
あの曲は本当に好きなんです。

うどんも鳥の丸焼きも美味しかったなあ。
うどんなんか大盛りに天ぷらと油揚げを乗せて290円。安い!
ふつうのモノなんて食べる気がしません。
後はカマタのだし醤油を買って帰るのみ。
果たして買えるかどうか分かりませんが。
美味しいんですよ、コレ。本当に。

 



2002年06月14日(金) depends


優しい人であるとともに、強い人間でありたいと願う。
そのふたつは両立しないものか、
いいや、決してそんなことはない。
優しさと強さは両立しうるものだと僕は信じている。

けれどもいつも僕は優しく出来ている訳じゃない。
いつも強くいられる訳じゃない。
常に強くいられたらいいのにね。

だけどそれでもそうありたいと本当に願う。
今はたとえ臆病でも、弱くとも。





2002年06月13日(木) 今日を生きよう


すっかり水泳に行くのが本当に日課となりつつある今日この頃です。
1000メートル一気に泳ぐことも出来るようになりました。
スポーツマンなんて死んでも言えない僕なんだけれども、
同年代の連中と比べても結構体力あるんじゃないかなあ、
なんて思います。煙草も吸わないし。
でも高校まで体育は3(五段階評価)しか取ったことはありません。

明日の晩、フェリーで四国まで出かけてきます。
うどんを食べに。
二度と海を渡るもんかと思っていたのですが、
まあ誘われたからそれもいいかなと思っています。
親友と旧友と好きなひとにまとめて会えるのはとてもうれしいことです。

今回の目的は、まあうどんもあるのですが、
何と言っても、
曽我部恵一自宅前で写真を撮ると言う
なんとも性質の悪い追っかけみたいなことをすることだったりします。
行く暇があるかどうかは分からないのですけど。
一度撮ったんですよ〜。
しかし写真をどっかにやってしまった。
これだからデジカメデータはなあ。

と言うことで、日記の更新はちょっと停滞です。
どっかで出来れば更新致します。

ジャケットで使われてるうどん屋も行きたいなあ、是非、なんて思ったりして。
(サニーデイ好きじゃないと分からないネタですみません)



2002年06月12日(水) それは「孤独」と言う名の重い鎖だったんです


守護星様が土星の僕は孤独を愛するらしい。
らしい・・・って言うのは、本当にそうなのかどうか分からなかったりするからなんだけど。
まあ当たっていなくも無いような気はする。

たぶん、僕は誰しも信じていない。
信用できるのは自分だけ、なんてこともない。
何故ならば、僕は僕自身すら信じていないからだ。
それでもいいと思っていたし、
それも仕方が無いとずっと思っていた。

それって哀しくない?

なんてことを言われそうだけど、
それはそれでもう慣れてしまった。
孤独と言うものに。
ずっと付き合ってきたし、
僕の体に刻み込まれたものだから。

いや本当はただ単に、
人に触れるのが恐いだけなのかもしれない。
期待しなければ裏切られることも、
そして裏切ったりすることも無いのだから。

でもときどき僕は人の温もりに触れたくなる。
それは本当に温かくて、優しくて、
一度掴んだら二度と手放したくないようなものなんだけど、
だけれどもそれを失うことを考えたら孤独の方がマシと思う。


と言うのは嘘です。
孤独の方がマシな訳無い。
分かっているのだけれども、
自分の中ではどうにもならないんです。
だからやっぱり僕は孤独なのかも知れません。

from BOC 「title of mine」




2002年06月11日(火) 空から落ちる雨はまるで 瞳を滑る涙のよう


と言うのはヘルマンの歌詞。
ヘルマンと打ち込むとHermann H. & The Pacemakersと変換されるうちの辞書は素晴らしいと思う。(って単語登録しただけだけど)

雨が降るとこの歌詞を思い出すんです。
「太陽と雨のメロディ」もいいんですが、
ここは東京じゃなくて京都だから。
くるりの「虹」もいいと思う。
「六地蔵」なんて地名を聞くとリアルに想像し、
「夕暮れ前の東向日駅梅田方面のホームが好きだ」なんて聞くと、
思わず阪急に乗るたびに駅のホームを見てしまう。


雨降りは嫌いだった。
体が濡れるのが本当に嫌いだった。
僕の通っていた小学校は家から歩いて約30分って言うかなり遠い所で、
雨が降ったら必ず濡れた。
靴が。
濡れないように濡れないように気をつけて歩くのに、
先っぽから濡れ、甲の部分が濡れ、
帰る頃には足が全部濡れてしまったものだった。
冷たくて、気持ち悪くて、それが嫌だった。

どうせ濡れるなら全身ずぶ濡れになりたいなんて思ったりもする。
涙も汗も全てを洗い流してくれたらいいのだ。
だけど大人になってずぶ濡れになるのもカッコ悪い。
風邪引いてしまっては元も子もない。
なんせ再来週はワールドカップ観に渡韓する大事な身なんだから。





2002年06月10日(月) アー君はゆで卵


僕の夢の中に出てきて いつでも待ってるから
           「ゆで卵」ホフディラン



ロシア戦勝利の興奮もまだまださめやらぬ今日、
早速タワーに走りましたとも、
宿直明けはまあ昼で帰らせて頂くのですけれども、
帰る前にタワーに寄って行きましたよ。

昼間なんで買うものだけ買ってすぐ帰ったけど。
予定通り「ユウヒビール」を。
まあ折角ポイント倍と言うことで、
もう一枚どうしようかと迷いましたが、
前から欲しいと思っていたBjrok「SelmaSongs」を。
ダンサーインザダークのDVDでも良かったのですがさすがに高い。
2980円なら買ったんだけど。
倉橋ヨエコとちょっと迷った。
「SelmaSongs」ならレンタルにもあると思うから倉橋ヨエコでも良かったかも。

CD2枚とも当たりでした。
ダンサーインザダーク観たときのことを思い出しました。
音楽は最高だけどストーリーは今一つと言うのが印象だったものの、
映画としていいのに口を挟む気はありません。
うちの周りでも評価が真っ二つに分かれるこの映画ですが、
僕的には肯定します。面白かった。
世の中のオトを全てリズムにしてしまえたらいいなあと自分でも思います。
そうしたら雑踏も喧騒も自分の中では音楽になるんですもんね。
素晴らしい。
Selmaの場合は白昼夢だからちょっとヤバいけど。

ユウヒーズのポップさはやっぱり最高で、
ホフの新作よりもひょっとするといいのかも知れないですね。
まあ今日は買おうと思っていたCDも買ってしまっていた後だったから、
なんとなく勢いで買ってしまったかも、です。







2002年06月09日(日) 日本勝利でポイント2倍セール


日本が勝ったらポイント2倍セールを行うとかタワーレコードでチラシを貰った。
まあ勝って欲しいけど本当に勝ってくれるのかと言うのはかなり疑問だった。

勝ってくれたのはかなり嬉しい。
これで一次リーグ突破はかなり見えてきたね。

しかしCD買おうにも買うCDがない。
こんなことならホフの新譜買うんじゃなかった。
全然聴いて無いもんなあ。

最近買ったのはいいが聴いていないCDが多すぎる。
いつもはiTunesを開いていろいろ作業とかしているんだけど、
ワールドカップでテレビを付けっぱなしにしているせいだ。
すっかりCD聴く暇が無い。
頑張って自転車で通ったらいいんだろうけど。

でも折角だから明日はCDを買おう。
ずっと買おう買おうと思っていた「ユウヒビール」を。
そう言えばすごいお気に入りの小宮山雄飛メガネ(岸田くんメガネとも言う)に、
ヒビが入っているのを発見して慌ててメガネ屋に走った。
フレームを取り換えてくれるみたいだが、
代金はそれでも半額はかかってしまうらしい。
お気に入りだけに新しいのを買い直すのもイヤだし、仕方がないか。
すごい悩んだ揚げ句に買ったんだもんな。

と言うことで、今宵は宿直です。
ワールドカップ観戦のため仕方なし。
準々決勝を観る訳なんだけど、
順調に来たらイタリアが来る予定だったのに、負けてるやん。
ちょっと〜。頑張ってよ。
しかし何が来るかは本当に楽しみだったりします。






2002年06月08日(土) 不健康ダイエットのススメ


水泳がこんなに楽しいものとは本当に思わなかった。
よく企業の面接なんかで、
「スポーツは好きですか」とか、
「スポーツは何をしますか?」とかそんなことをよく聞かれたりする。
公務員系なんかこの質問大好きだ。
そんなこと聞いてどうすンだ、なんて思ってしまったもんだ。
趣味は何ですか? と言われて、「ライブ!」とか答えて、
「は?」なんてカオをされたこともあったなあ。
(だったら言うなよとか言われそうだけど)

まあくだらない質問だよね、
おそらくこの業界に必要な「協調性」やらなんやらを、
知りたいんだろうと思われる。
ンなもん重視してるから日本人って言うのは横一線で個性がないんだよ。
で今なら僕は「水泳」と答える。
う〜ん、しかし水泳なんて一人で出来るもんだからなあ。
協調性なんて全く必要無いし。

って言うことで、
何も無い土日は水泳に行くのが日課になっている。
来週は死国にうどんを食べに行く話になっているし、
(変換間違いに非らず、)
再来週は釜山にワールドカップを見に行くから、
土日に泳ぎに行くのはしばらく出来ないし。
で、今日も2500m泳いだ。
最近2500mなんて普通に泳げるようになった。
1000m短くて30分。スピードもアップ。
今日泳ぎ終わってから体重を量ってみたらついに58.4kgまで来た。
体脂肪率は10.5%。
ちょっと前まで60kgジャストすれすれで前後していたのを考えると、
なんかすごい話かもしれない。
定期的に週二回程度泳ぐだけでこんなに効果ってあるんだな。
日記のジャンルを、「ダイエット」にしようかとちょっと思った。

ダイエットなんて簡単に出来るというのが僕の持論で、
まあどれもこれも不健康ダイエットなのだが。

貧乏ダイエット
失恋ダイエット
試験に落ちたダイエット
留年決定ダイエット

等々各種取り揃えております。
あ、留年はさすがにしたことは無いんだけど。
基本的に考え込むと食欲が減退する性質なので、
面白いように痩せられる。
そういう自分を冷静に見つめるのもまたそれなりに面白い。
去年買ったジーンズがもうゆるくなってしまった。
自分のカラダに合ったジーンズが欲しい。
でもまた元に戻ってしまったらそれはそれで悲しいかも。





お知らせ

日曜日の夜はまたもや宿直なので日記の更新は出来ません。
書いてたら月曜にでもまたアップします。





2002年06月07日(金) 乾いた大地


僕は迷える子山羊の大地の子である。
大地は乾ききっている。
水が欲しいと思う。
だけどこの渇きを潤してくれるようなものは無い。
どうしたって無理だと思う。

病院に外国人患者が来て呼ばれるたびに、
英語を勉強しないとヤバいと思う。
たいした英語力も無いのに呼ばれて、
本当に適当に患者を案内しているようではダメだ。

大地は乾ききっている。
砂漠になりそうな僕の大地。



2002年06月06日(木) 自閉症と後遺症


今日は宿直の日。
寝られない日。
こんな日まで書かなくてもいいのに、焦燥感に駆られて書いています。
さっき書いていたんだけど、プログラムが固まって書き直し。
正直嫌になります。
大丈夫です。社会人たるものの責務は果たしていますから。

でも後のことはもうどうでもいいです。
最近、「どうでもいい感」が滲み出ているでしょう?
本当にどうでもいいです。
生きることも死ぬことも何でも。
別にどうでもいいんです。
そのくせ、ある一定の時が流れるとお腹が空いて何かを食べないと気が済まない自分に腹が立ちます。
ココロはもうどうでもいいと思っているのに、
カラダは「生きたい」と叫んでいるみたいです。
矛盾してます。
最低です。
何も食べずに餓死すりゃあいいんです。
そんなに生きることがどうでもいいんだったら。
なのに何かを口に入れてしまう、そんな自己保存本能を、僕は吐き気をもよおすほど嫌悪しています。


最近、自分を好きになったなんて言葉は、
やっぱり夢幻だったみたいですね。
だったら書くなとか言われそうですが。
くだらないくだらないって僕はよく書いているけど、
たぶんいちばんくだらないのは僕自身だと思います。間違いなく。


もう後僕が望むことは、
今日眠りについた後、明日の朝目覚めなければいいんです。
そのまま永遠に眠ってしまいたいですね。
そんなことを書きつつも、明日の朝はたぶん僕にまた普通に訪れて、
そしてまたいつもの一日が始まるんでしょうけど。




2002年06月05日(水) 逆転移


水曜日は水泳の日と決めている。
何もなければ泳ぎに行く。
火曜日は休みなので、どうしても水曜日は人が多いように思える。
本当に何も考えないで僕は泳ぐ。
気持ちがいいとか、悪いとか、そんなんじゃなくて、
頭の中をからっぽにして泳ぐ。

ずっと一人称のままで生きてきて、ふと思うのは、
僕の心にぽっかりと開いた穴は、
一生誰によっても塞がれることは無いのではないかと言うこと。
僕はたぶんからっぽの人間で、
20数年間生きてきたけど何も残っていやしない。
今からでも間に合うならやり直したいと思うが、
ここまで浪費した時間を取り戻すのは可能なんだろうか。
パズルのワンピースは見つからない。
ひょっとするとずっと見つからないかもしれない。
やばい。逆転移してる。



2002年06月04日(火) ゼロ


訳が分からないことしてる。
今日もワールドカップを稲本の逆転ゴールを見たすぐ後に、家を出た。
あれほど楽しみにしていたワールドカップだったのに。
全部見ずに僕はバイクを走らせた。
日本が引き分けてしまったのは僕が最後まで応援しなかったせいだ。(ホントかね?)

一体僕は何をやってるのだろう。
こういう自分だけは自分自身で見たくもないと思っていた。
すごくカッコ悪い。
涙が出るほどカッコ悪い。
鬱的な日記書いてる自分よりカッコ悪い。
何してんだろうって、本当に思う。
いつもは沈着冷静な筈なのに(すみません、これは嘘です)
訳の分からないことをしているこんなカッコ悪い自分これ以上見せたくない。
だから何がどうしてこうしてカッコ悪いかは書かない。
聞きたかったら、個人的に連絡してみて下さい。




2002年06月03日(月) からっぽの夜のブルース


HD換装の後始末はまだ残っている。
今日は古いHD用を入れるケースを買ってきた。
ピンがちょっと曲がってしまっていたので心配だったけど、
無事に外付けの10GHDが出来上がり。
しばらくこれでバックアップに困ることはないだろう。
後はパソコンに音楽データを取り込んで、
環境を整えるのみ。

からっぽの僕。
何もない僕。
この夜はいつになっても明けることはない。





2002年06月02日(日) もしもあなたに出逢わなかったからとか


もっと前に出逢っていたらとか
考える自分に吐き気がする
       「チアノーゼ」くるり




元ちとせフリーライブ@京都駅って事で、
昨日は京都駅まで出掛けた。
静岡の友人は優先エリアが当たって事で新快速で(新幹線では決してない)
浜松から京都に参戦。
僕ともう一人別の友人は、30分前にノコノコ京都駅に向かった。
が、生ちとせが見られる大階段は11時の時点ですでに満席ってことで、
結局モニターで見ることになった。
まあフリーライブにそれ程の期待をしていた訳ではなかった。

聴いてみるまでは。

外のモニター画面を見ながら聴いてみただけなのに、
彼女の唄声は心に深く沁み込んだ。
本物だなあ、って思った。
フリーライブだけに、「ワダツミの木」を聴くだけ聴いたら
かなりの観客が帰ってしまったのには苦笑してしまったが。
所詮大衆なんてそんなもんか。
これだけすごいものを聴いておいて途中で帰るかな。

唄い手の情念とかいろんなものが外にも関わらず伝わってきた、
そんなライブだった。
後でCDを聴き返してみたが、
やっぱり生で聴いた唄声なんかには敵いやしない。

たまにライブなんか行ってもしゃあないやん、CDでええやん、
なんて言う人はいるけど、
それは完全に間違った考え方で、
生で聴いたら、唄い手の息遣いとか、表情とか、
感情とかが、すげえ良く分かる。
心に響いてくる度合いが、CDなんかとは比較にならない。
僅か1・2時間のために高いお金を払う価値があるかって言われたら、
はっきり言おう、それは勿論ある。
一度行ったらそれは確実に分かるはずだ。


そう書こうとして書けなかったのは昨日のこと。
うちの林檎姫はまあまあ順調に動いている。
バックアップしたはずの書類がどうもおかしくなっていたのは大きな誤算だったけど。
でもメールデータも傷ついていないし取りあえずは良かったと思う。


こうしてライブ×ライブ×ライブの三日間はやっとのことで終了。
楽しみが無くなってしまったといえば無くなってしまった。
最近の浮き沈みの激しすぎる自分を片方で突き放しながら、
片方で僕は内省を促してる。
それでも明日はいつも通りの月曜日がやって来るのであり、
そしていつも通りの一週間が始まるのだろう。
つまらない日常に嫌気を感じて、
何処か遠くへ逃げ出してしまいたくもなる。
それでも現実的な僕が考えることは、
今の仕事以上の条件を他に求められるかと言う事を考えたりして、
で、結局現実を見つめた結果現状に留まることしか出来ないのだろう。
そんな臆病な自分のことも考えるとまた吐き気がする。





2002年06月01日(土) 林檎姫HD換装


うちの林檎姫(iBookSE466グラファイト)のハードディスクをやっと換装。
噂では相当難しいとか散々言われてて、
時間が平気で3時間はかかるとか言われてたけど、
4時間かかってやっとのことで終了。
長すぎる。
パソコン関係はやりはじめるともういくら時間があっても足りないけど、
本当にそうだなあと実感してしまった。
平日にやらなくて良かった。

それにしてももう二度としたくないと思えるほど大変で、
はっきり言ってほとんど分解に等しかったなあ。
コネクタを外す手も震えますわ、マジで。

でもおかげさまでうちの林檎姫はメモリも320M、
HDも40Gとなりました。
流体軸受けは何となく静かな気はする、たぶん。
でも音はしてるような・・・
これで後2年は普通に使えるであろうと思われる。

元ちとせのライブは本当に良かったんだけど、
夜の作業が大変すぎてもう書けません。
と言うわけでまた明日。
疲れた。今日はもう寝る。
(すみません、マネしました)




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