懐かしい痛み - 2005年05月31日(火) ここ最近,懐かしい痛みが続いている 何度繰り返しても,懐かしさを感じても,新鮮で,切なくて,慣れることのない痛み. 塞がっていたと思った傷は,実は簡単にかさぶたが剥がれて かさぶたの下で,実はまだ,血が流れている 何度も何度も,同じことを繰り返しては 同じ所に傷を作っていく. いい加減に慣れてもいい気もするけれど この痛みには慣れてはいけない気もする. - オモチャ箱、もしくはパンドラをあける前 - 2005年05月30日(月) うつの症状の中に 「前は楽しめたことが、楽しめない」 ということがあります。 ぎく。 バーンアウト症候群、いわゆる、燃え付き症候群、の一歩手前、の症状とも似ています。 危ないなあ 自分を、そう評価してしまう、自分がいます。 楽しんでいても、どこかで楽しめていない、自分。 楽しそうな私が、本当なのか、楽しそうにしている私が、本当なのか。 どれだけ、SOSを出しても、結局のところ、決めるのは自分。 「分かってもらえないから」 という理由だけで、オワリにはしたくないんです。 - 問わずにいられない - 2005年05月23日(月) 朝,1本の外線がかかってきたのが始まりだった. 原稿を書いてもらった先生が,亡くなったとの報せだった. は? 死んだ? 電話の向こうはその先生を紹介してくれた人だった.泣いているのが声から分かる. どうやら,自殺だった,とその人は悔しそうに言った. 「何でだよう」 一言,本当に小さく,悔しそうにそうつぶやいた声は12時間以上たった今も耳に残っている. 亡くなった先生とは,直接会ったことはない.電話で,期限に間に合わないから,遅れるからすみません,と短い会話を交わしただけだった. 2,3日の遅れでいただいた原稿の文面からは,優しそうな,繊細な先生の人柄が感じられた. 掲載予定だった原稿に追悼文を入れ,印刷所には無事に間に合うようにデータを渡せた. ばたばたとして,1日が過ぎた. 私はいつも通り,笑っていたし,同僚と話しもしたし,ご飯も食べた.嬉しいこともあったし,それなりに私にとっては幸せな一日だったと思う. 弔電を打つために,葬儀会場で喪主の名前を聞いた. 喪主は父親だそうだ.名前を聞いて,まだ結婚はされていなかったのだろうと想像した. きっと,父親にとって,自慢の娘だっただろう. 今後,私が自殺の原因を知ることはないと思う. だから,かもしれないけれど,どうしても,問わずにはいられないのだ. それは,あなたの周りの人すべてを,悲しませてまでも,得たかった安らぎなのか,と. - 今日から - 2005年05月16日(月) 新しい出来金の制度です. 3時までに「本日の残業予定」を出すという,あれ,です. そのせいか,本日の残業人数はとても少ない気がするのは気のせいだろうか? いやはや.「めんどくさいから残業何てしないもーン」 と言えるほど,現在余裕なし. 「例えめんどーでも残業しなくちゃ終わらないんだ!」 というのが,私の状況です. ふう. - 不思議 - 2005年05月14日(土) ずっと,不思議に思っていることがあった. どうして,「結婚」したがるんだろう もしくは どうして「結婚」させたがるんだろう 「ずっと一緒にいたい」なら,一緒に住めばいいし,婚姻届など出さなくても,本人同士がいいならそれでいいもの何ではないだろうか. 「法律的」に認められたい,というのなら別だけれど. 例え,結婚しても,今の時代,離婚だって増えている. 芸能ニュースではないけれど,「仮面夫婦」なんてざらにいる. 嫌なら,やめればいいのに,と思う. そして,結婚なんてしなきゃいいんだ. 離婚家庭が増えて,それを見て育った子どもは,はたして自分も結婚がしたいと思うのだろうか? 「家族愛に恵まれなかったから,自分は理想の家族を作るんだ」 なんてこと,思ったりするんだろうか? 不思議,不思議. これだけ,「離婚」が増えて,それでも「結婚」に憧れる手いる人は 「自分は離婚しない」 と思っていたり,するんだろうか? 対岸の火事,ように. 不思議だらけだ. - 日記の効能 - 2005年05月10日(火) 昨日、自宅で昔の日記(家でつけている日記)を読み返した。 毎日書いているわけではないし、下手をすると半年に1回、なんてときもあるけれど、なかなかその当時の状況が思い返されて、楽しい。 日記の中心は、もう、ここ数年来の慢性化した悩みになりつつある話で、何度も自分で決めては、また覆され、の繰り返しをしている現状に、なんだか笑えた。 そしたら、自分の中でストン、と落ちるものを感じた。 あ、いいんじゃん。このままで。 どうせ、後から読み返したら、また「今」も笑えるんだから。 その時が苦しければ苦しいほど、後から「あんな時もあった」と思い返せる日が来る。それは無駄なことではないし、その苦しみは、そう思い返すための「通過儀礼」のようなものかもしれない。 だから、「今」苦しんでおけば、いいんじゃないの そう思ったら、楽になった。 日記にこんな効能があったなんて、気がつかなかったな。 - モノ - 2005年05月09日(月) 気がつくと、1ヵ月ほど日記を書いていませんでした。 いえ、別のとこでは書いていたのですが…。 世間ではゴールデンウィーク、でした。 前半は東京出張、後半は出社、の私には関係ない話でしたが…。 どうしても、消えないモノ、というのがあることは薄々気がついていましたが どこまで諦めが悪いのだろう、と自分でも嫌になります。 それを一途、と呼ぶのか、もしくはしつこい、というのか(笑)、ビミョウなところですが、大多数の人からはきっと後者で呼ばれるのでしょう。 どうして、これほど消えないモノがあるのだろう、と自分でも思います。 どうしたら、消えるのだろう、とも思います。 どうしても、消えることがないことも、実は気がついています。 そのモノは、形を変えて、いつまでも、いつまでも、残っていくのでしょう。 自分が動かない限り、変わらないことは、嫌というほど知っています。 自分が動いても、自分の思う結果にならないことも、嫌と知っています。 「区切りがないんだよね」 ある友人にそう話していましたが、その「区切り」は自分でつけなければならないことも、よく分かっています。 取りあえずは、すぐに会える距離、にいないことに、ホッとする反面、寂しくもあったりします。 -
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