時間と想いの関係 - 2004年10月29日(金) 以前、辛くて辛くて仕方が無かった関係 「いっそのこと、切ってしまえ」と思って何度かそれを試みた関係があります。 その時、とある人から言われた一言 「別に、切らなくてもいいんじゃない?“距離を置く”って方法もあるよ」 それから、2年ほどたちました。 あの時ほど苦しい想いもなく、その苦しかった想いが暖かくなって、その人の向いに座っている自分がいました。 これぞ時間マジックとでもいうものでしょうか。 「あの時」のように心が揺れる言葉も、今は冷静に受け止めています。 「もう、大丈夫」 何度も繰り返した言葉を、やっと自分のものにできた気がします。 「好きか嫌いか」 という二者択一なら、「好き」だと答えられます。 けれども、それがもう「あの時」のような想いではないことを、確信できました。 あの時、「切る」選択をしなかった私。 正確には、「切れなかった」のかもしれません。 なんだかハレバレとして、あれほど嫌いだった東京も、少し好きになりました。 - 最大の疑問 - 2004年10月19日(火) 新体制になって、約1ヵ月が過ぎた。 例の上司とはオサラバで、かなり喜んでいたところ、最後の最後にすげーのがきた。 それは最後に取材に行った施設取材の記事だ。 まず、取材先からクレームに近い内容の電話がきた。 取材時にこちらが言ったことと違う (何を聞いてきたんだ?) インタビューした人の写真と名前が違う (どこを見てきたんだ?) 極めつけ、 「こちらで手直ししたものを送るので、それを参考に書き直してほしい」 …あんた、何しに行ったの。 思わず絶句したのは言うまでもない。 で、送られてきた文章を元に書き直された記事。 …本当にこれ、載せる気?ってか、載せたくないんだけど。 はっきり言って、まだ一度も施設取材記事を書いたことが無い今の相棒の方が、はるかにマシな記事を書くだろうという内容。 内容は、送られたものの羅列。 どこまでが人の発言で、どこまでが地の文か分からない書き方。 あのさあ、ミニコミ誌でももちょっとマシな記事載ってるよ。 あんた、これでお金もらうつもり? (注:取材でもらうわけではなく、雑誌に掲載してそれを売るつもりかということ) 「やる気」が無い上に「センス」のかけらも無い仕事。 何でこの仕事を選んだのか、本当に不思議。 - 教えるということ - 2004年10月08日(金) 「後輩」という言葉に何故か縁の無い私。 高校も、大学も、クラブには「後輩」というものがあまりいませんでした。 もちろん、1人か2人いたけれど、あまり「後輩」と接することはなかった気がします。 こんな私に、「直属の部下」ができて1週間。 一緒に仕事をしてみて、外から見える一面と随分違う一面を持つ彼女に驚かされます。 自分の忙しさもあって、まだ彼女に系統立てて教えられていないことが少し気にかかります。 彼女は彼女なりに一生懸命新しい仕事を「理解」しようとしています。 そして、自分なりに仕事をしているのですが、その工程がまどろっこしいことがしばしば。 慎重になろうとするあまり、無駄な時間と労力を割いてしまう彼女。 もちろん、責めることなどしません。 けれど、端で見ていてやっぱり気にかかります。 かといって「そのやり方はだめ」なんて言ってしまえば、まだ慣れない仕事にオロオロしている彼女のピンと張った糸は切れてしまうでしょう。 「怒られないように、慎重に。迷惑をできるだけかけないように」 そう思いながら仕事をしている彼女には何度も根気よく教えていかなければなりません。 上司は部下に迷惑をかけられるためにいること 最初から全部完璧に、スムーズにこなそうとしないこと 仕事の優先順位を考えながらすること そう考えながら、ふと、自分の最初の上司を思い出しました。 彼女も、度々失敗する私に根気よく教えてくれていました。 あの時の上司もこんな気持ちだっただろうか? ふと、元上司とゆっくり話してみたくなりました。 - ヴァン・ヘルシング - 2004年10月06日(水) とある友人が「ぜったいこれみたい!」と言っていたのを聞いて,何打か見てみたい気になりました(でもその友人と行ったわけではない…). まあ,特に期待していたなかったので,その割には楽しめました. 前編が見せ所,みたいな映画ですが,英が特有の御都合主義や解答の無い伏線なんかが垣間見られましたが…. 見終わって「これもありかなあ」と思えるだけのパワーがあるのか,なんとも力技な映画でした. まあ,映画館で見るには損はないかも. -
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