砂袋がついた気球 - 2004年05月28日(金) 先が見えてくると、焦る気持ちと同時になんだかほっとします。 しかーし、これで気を抜いてはいけません。 まだまだ、やらなきゃいけないことだらけ。 この間、特集の中に、とても面白いたとえをしている先生がいました。 「コーチング」という、スポーツ業界だけではなく、今やビジネスの世界でも注目を浴びてきた自己啓発の特集です。 その中で、とある先生が、やらなきゃいけないことを後回しにしている様子を 「気球についた砂袋のようなもの」 と例えていました。 飛びたい(目標)のに、砂袋(やらなきゃいけないこと)が付いていて、飛びたいのに飛べない。 そんな例えです(ニュアンスはちょっと違うかも)。 「なるほどなあ」 と思いつつ、今の私を想像してみると なんだか砂袋がたくさんついた気球のようです。 - もちろん、嬉しいのだけど - 2004年05月22日(土) 「あ」という間に、もう月末です。 早いです。ホント。 今日も、仕事。ただし、夕方から久々の甲子園! 2年ぶりくらいでしょうか。しかもしかも、阪神・巨人戦。わーい。 友人が、会社の同期と行くのにチケットをとったのだけど、その中の1人が行けなくなったので、誘ってくれました。 「行く?」と聞かれて「いく」と即答。 本当は、この時期、仕事の関係も会って、迷ったのですが、5月はほとんどが遊びの予定はなし。 …というわけで、この辺で少し楽しみも入れておかないと、というわけで行くことになりました。 仕事の方も、ちょっと不安はありつつも、目処がついてきたし。 本当なら、大好きな甲子園。しかも2年ぶり。 日ごろのストレスを晴らすべく、楽しみたいのですが、どことなく気になるのが、北朝鮮からの拉致被害者家族の帰国のニュース。 携帯で度々ニュースを確認しながらの甲子園観戦。 負けていた試合を、一気にひっくり返す、ファン的にはとーってもスリリングで、面白い試合だったにもかかわらず、ちょっと違和感。 直接的に関係はないのだけれど、1年7ヶ月ぶりの再開と、帰国した(本人たちにとっては「帰国」とは言えないのかもしれない)家族の今後。 今まで「反日」教育を徹底して受けてきた彼らの、180度の変化。 もしかしたら、それは遠藤周作氏や司馬遼太郎氏が度々エッセイの中で書いていた「戦後の日本の劇的な変化」に近いのかもしれない。 ただ、戦後の日本は「日本」という国家全体の変化だったけれど、彼らにとっては「彼ら」だけの変化なわけで。 今までの自分の価値観が180度ひっくり返される、というのはどういう感じなんだろう? 「自分」が今までいた「国」が、自分がこのような状況に置かれる張本人だった、という事実は、彼らにとってどんなにか重いことだろう? そんなことを考えながらの野球観戦。 帰ってからも、スポーツニュースよりも報道ニュースのはしご。 もちろん、阪神が勝ったのは、嬉しいんですよ。 - メリハリ - 2004年05月16日(日) で、やっぱり今日も仕事なわけです。 フロアには誰もいません。 うーん。静か。 夕方から(何故か)2人ほどきましたけど、それぞれ2時間もおらずに帰りました。 こう、毎日休みなしで働いていると、なんだか曜日感覚が無くなってきますね。 本当に。 「昨日」と「今日」の区切りが付かない。 これはいけません。 「時間」に区切りを付けるのはもしかしたら人間独自なのかもしれませんが、やっぱり何事もメリハリは大事。 といいつつも…今日も帰ったらそのまま寝ちゃうんだろうなあ。 - コピーロボット - 2004年05月15日(土) 「今月は休みなし!」 とあちこちで言いふらしている通り、本日も仕事。 去年も忙しかったけれど、今回ほどではありませんでした。この時期。 どうしてこんなに忙しいかというと、私が1ヵ月計算違いをしていたからですね。 年に12冊の月刊プラス、増刊を2冊。 うちは増刊は交替に1人担当制なので、この時期は私が増刊担当。 で、この増刊の製作期間は本来は3ヵ月。 つまり、3ヵ月は月刊をやらなくてもいいよ〜。 という訳ですが(もちろんうちの場合はやらずにいると月刊が出ないのでどうしても少しはやらなきゃいけないわけですが)、これを私は何を思ったか「2ヵ月」と思い込んでいたんですね。 オソロシイ…。 まあ原稿がすべてきていたのが幸い。 というわけで、現在猛スパート(こんな言葉があるんだろうか?)中なわけです。 フリペもあるしなー。 こっちも記事書かなきゃいけないしなー。 うーん。 まじでコピーロボットが欲しい! - いい試合でした - 2004年05月14日(金) 女子バレーのアテネオリンピック出場権がかかった試合をテレビでやっていました。 実家にいた頃は、バレー好きの母の影響でいつもテレビで見ていた私(実際に見にいったこともありますが)。 一人暮らしを始めたときも、部屋にいる間に試合をしていたらたいてい見ていました。 ただ、今大会は一試合も見ていません。 最近は仕事で帰るのが終電なので、ほとんどテレビを見ていないからです。 でも、今日の試合はなんとなく、ビデオに撮りました。 会社でもニュース速報を見ないようにして(笑)、帰って軽い夜食をとりながらバレー観戦。 いつのまにあんなに強くなったんだろう? しばらく見ない間に、本当に別チームのようになっていました。 もちろん、出ている選手は少しずつ、顔触れは変わってるんですが。 私が知っている日本チームは、突然、萎縮したようにプレーを止めてしまう姿が見られました。 それが、今日は全くなく。 フェイントがだめなら力技、移動攻撃、1人時間差。 すごい、の一言でした。 決まった後のガッツポーズと、所狭しとコートの中をかけまわる姿。 以前のチームは、どちらかといえば淡々としていた印象がありました。 それが、感情を出す、というよりもあふれ出ている感じ。 2大会連続で、「出場できて当然」だったオリンピックに出られなかった選手。 どこか、奢っていたのかもしれません。 だけど、テレビの解説者曰く「屈辱の期間」に、どれだけの努力をしてきたのか、想像しかできませんが、すさまじいものだったのでしょう。 一度はバレーを離れた選手もいました。 バレーを辞めようと合宿に参加していなかった選手もいました。 そういう「舞台裏」を聞くたびに、ただ、純粋に「すごいなあ」と思います。 例え、オリンピックに出れなくても、バレーをしてなくても、生きていくことはできるし、生活することだってできるでしょう。 わざわざ、苦労を背負わない選択肢も、彼女たちにはあったのだと思います。 それを、あえて選んだ彼女たちの努力が報われた今日の試合は、本当にいい試合でした。 試合を見ながら、なんだかいつのまにか泣いていました。 彼女たちがしてきた努力と、今の自分の差を考えたのかも知れません。 本当に、いい試合でした。 - また、明日 - 2004年05月13日(木) 昨日、あるシンガーソングライターの人の訃報を知りました。 私が好きだった人です。 あまり、メジャーではなかったけれど、メロディアスないい歌を作っていました。 彼女の声も、とてもしっとりとして、大好きでした。 彼女を初めて知ったのはあるラジオ番組でした。 そこから流れてくる、とても切ない歌詞と悲しいメロディ。 それからしばらくたって、ようやくレコード店で見つけたCDは、今も宝物です。 まだまだ、これから言い歌を聴かせてくれると思っていた。 まだまだ、彼女の歌も聴けると思っていた。 人が亡くなるのはいつもたいてい突然で。 いつか死ぬことが来るのは分かっているのに、それは本当に思いがけないときに、思いがけない人に来る。 何の保証もないのに 「また、明日」 と、いつのまにか約束することができるようになっていたのを、彼女の訃報で気づきました。 そう。 「また、明日」 には、何の保証もないんです。 - 物語が続かない悲しさ - 2004年05月12日(水) 夢を見ました。 昔、好きだった人の夢。 夢の中での状況は「今」なのに、気持ちだけが「昔」のままで。 目が覚めたとき、なんだか夢と現実の区別が一瞬つかず。 起き上がって、電気をつけっぱなしの部屋を見回して 「あ、夢だったんだ」 と気がついたくらい。 夢の中の「私」と現実の「私」は同じだけど、中身が違う。 それを「成長」と呼ぶのかは分かりませんが…。 あまりにもリアルだった夢の後に残るのは 物語が続かない悲しさ。 -
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