ちぐはぐ - 2002年10月31日(木) なんだかちぐはぐな感じがするのは いきなり寒くなった気温のせいかもしれないし 起きると乾燥している部屋のせいかもしれない とりあえずは、同期に教えてもらった お風呂にお湯を張ってドアを開けておく、という方法を試してみよう 蒸気で火災報知器が作動しなければいいなあ。 - 電話をしました - 2002年10月30日(水) 電話をしました。 土曜日に、電話をくれていたのだけれど実家に帰って携帯を離していたので気づきませんでした。 それから4日。 本当は翌日にでも電話をすればよかったのだけれど。 なんとなく、気分が乗らなくて、そのままかけずにいました。 気にはなっていたのだけれど。 彼は、今年の四月から東京へ行った友人です。 私にとっては、大好きで、いつも私を笑わせてくれる、大切な友人。 いつも会っていたわけではないし、しょっちゅう話をしていたわけでもないのだけれど。 それでも、彼と話をすると、安心するんです。 それなのに、なかなか電話をする気にならなかった。 時間がなかったわけじゃない。 今考えると、疲れていたのだと思います。心が。 気づかないうちに、固まっていたんです。大好きな友人の声も、聞きたくないほどに。 でも結局、今日電話しました。 疲れがピークに達していたのかもしれません。 それとも、こんな私でも、話をしたいと思ってくれる彼の声を、聞きたかったのかも。 やっぱり、電話をしてよかったんです。 たくさん笑わせてもらいました。 電話の向こうの彼は、強がってはいても、人一倍人見知りする彼は、疲れていたようです。 もちろん、仕事的にも、そして、環境的にも。 声はそれほど疲れていないのだけれど、話し方が、いつもより優しくて(笑)。 人恋しいのだろうということはすぐに分かりました。 それでもひとしきり話して、笑って。 私は元気になりました。 多分、彼も元気になってくれたでしょう。 「がんばって」も「大丈夫」も,あの子の時のようになぐさめないのは 彼にとってはそんな言葉が意味がないことを知っているから。 彼が大阪にいたときのように、私が彼のなんでもない話を聞いて笑って 多分、彼にはそれだけで伝わっているんだ。 私と彼は、そういう「友達」なんです。 - いーかげんにしてくれ - 2002年10月29日(火) 元凶の上司は取材でいないはずなのに、一日中その上司が原因で、いらいらしていた気がする。 驚くほどの自覚のなさ。 呆れるくらいのチーム意識の欠如。 そんなこと揚げていけばキリがないのだけれど。 とどのつまり いーかげんにしてくれ ってことです。 - 熱が出た。 - 2002年10月28日(月) 昨日、なんだか体が熱いと思ったら、熱があった。 朝起きても、なんだかだるい。 けれど、休むわけにはいかない。それが、社会人のつらいところ。 もちろん、お弁当も作った。 偉いなあ。ワタシ。 会社でもなんだか熱くて、だるくて,でもだからといって仕事しないわけにはいかない。 早めに帰ろうと思っても、午後から仕事の波に乗るペースの私はやはり残業を下のでした。 - 負い目 - 2002年10月27日(日) 実家から帰って,録画しておいたドラマを見た。 田村正和主演のホーム・ドラマだ。 今日の回は飯島直子扮する母親が、熱を出した自分の子供をオブって病院へ連れて行くシーンがあった。 肺炎を起こしていたその子は何とか一命を取り留めたものの、母親の飯島直子は、ロビーでずっと子供のことを祈ってる。 飯島直子の父親である田村正和が彼女に、幼い頃、同じように母親に病院に連れてこられたのを覚えているかと問い掛けるシーンがあった。 もちろん、私にもある。 小児喘息を持っていた私は、これでも幼い頃は何度となく夜中に病院に連れて行ってもらった。 免許を持っていた母親は,自ら運転し、時には父親が運転する車の後部座席に、何重にも私を毛布で包んでしっかりと抱え込んでいた。 熱くて熱くてたまらなかったのを私は今でも覚えている。 病院に着くと、そこでは私はたいてい点滴を受けた。 時には、1日中受けているときもあった。 そんなときは、母親は私に分厚い漫画雑誌を買ってきてくれたものだった。 私は、それを繰り返し、繰り返し、何度も読んでいた。 今ではもうその雑誌は廃刊になってないけれど、その雑誌に掲載されていた漫画も,その雑誌の分厚さも、今でもよく覚えている。 この小児喘息は、小学校5年生くらいまではよく出ていた。 出るたびに、母親は毛布を出し、横になると苦しくて息ができない私のために、それを上半身の下にたたんでいれて、私が楽な姿勢になれるようにしてくれた。 そして、夜中ついてくれていたものだ. 時には、眠る私の隣で内職をしながら。 今考えると、私はやっぱりとても大切にされていたのだ。 もう今は年に数回しか、喘息は出ない。 それでも、私が熱を出したり、風邪を引くと、母親はかなり心配する。 「喘息」を持って生まれた、という負い目を、いつの間にか母親が持っているのだと気づいたのは、私がもうずいぶん大きくなった頃だった。 私自身はそれを負い目になんて感じたことはないけれど。 そのおかげで、大嫌いな体育のマラソンだって、免除されたんだから(笑)。 だから、そんなことで負い目を感じる必要なんて、ないんだよ。 - 「母親だから」と適材適所 - 2002年10月25日(金) 今日は給料日でした。 父親が旅行に出かけたというので、母親をうちのマンションの近くにある北海道料理店に連れて行きました。 味は、それほどたいしたことありませんでした。 しかも、値段は高い。 多分、もう二度と来ることはないと思います(笑)。 母親と一緒に、一緒に暮らしているいとこも来ました。 給料日なので、母にごちそうをしようと思っていたのに いつも 「給料でたらなんか奢ってよ」 というくせに いざ私が払おうとすると 「お母さんが払うからいいよ」 といって、さっさと払ってしまう。 私の生活が決して楽ではないことを知っているのでしょう。 いや、別に死ぬほど苦しいわけでもないのだけれどね(笑)。 少しの贅沢をガマンすればすむことくらいですから。 それでも、私のことを心配してくれるのは やはり母親だからです。 お礼に、帰りは私がケーキを買いました。 ジュースはいとこが買いました。 こういうのも、適材適所というんでしょうか。 - 嬉しがる才能 - 2002年10月23日(水) 今日は友人の遅ればせながら誕生日会をしました。 私のときも、もうひとりの友人のときも、その被のうちに祝ってくれたのに、彼女の誕生日には、私は仕事で、もう一人の友人は家族旅行で大阪にいなかったので、今日になったのでした。 ごめんね。 待ち合わせの時間よりも早くもうひとりの友人と待ち合わせをして誕生日プレゼント選びです。 彼女への誕生日プレゼントは「ワインを飲みながらパリを想う」 ということで、プレゼントは、ワインとチーズの詰め合わせのセットと、パリの風景が写った写真集です。 彼女はとても海外好き。特にヨーロッパが好きです。 彼女のそのミーハーにも見えるところは、私にはイマイチ理解できないのですが、それでも、まあ、好きなものは好きなのでしょう。 プレゼントを渡したときの彼女の嬉しそうな顔は、見ているほうも嬉しくなります。 嬉しさを前面に出せる素直な彼女は私から見ればとても羨ましくて、人から好かれる絶対条件だと私が思う「嬉しがる才能」を十二分に持った子です。 少しでいいから、私にその才能があれば、と思います。 いえ、決して私が嬉しく思うことがない,ということではありません。 「嬉しい」という気持ち「楽しい」という笑顔,そういうものを素直に表情やしぐさや言葉として相手に伝えられる。 それは、きっと私に一番欠けている「才能」です。 そして、おそらく、私がずっとほしがっているものです。 とりあえず 誕生日おめでとう - 整理する - 2002年10月21日(月) 本日の責了は結構ばたばたしました。 ページの入れ替えや急遽入れることになった原稿。 それに伴う、目次の変更と総目次の追加。 よく終わらせたなあ…。 でもまあ、それでも以前の編集部よりは穏やかな部類に入る、責了です。 帰りは、漫画喫茶へ行きました。 帰りによるのは久しぶりかも。 以前、買って読んでいたものの、あまりにも終わらないので途中で止まったままの漫画があります。それを読んできました。 長く続く漫画は、読者にとっては、結構嬉しくもありますが、あまりにもだらだら続いてしまうと、読み始めた頃ははるかに年上だった主人公の年齢を、いつの間にか追い越している自分を、寂しく感じてしまいます。 その分、その間の経験によって、登場人物の気持ちに共感できる部分が増えたりもするのですけれど。 懐かしい本たちを整理しなければならないなあ 読みながらそんなことを考えていました。 - 気分は月曜日 - 2002年10月20日(日) 本日は,休日出勤です。 上司も来ていました。 この上司については,もう,数限りなく,何度も切れそうになったけれど,それでも今日ほど真剣に,切れそうになったことはありませんでした。 書くとそれを思い出さなければならないので書きませんが。 疲れながら,フリペの最終校正へ。 今日で,本当に最後の朱入れです。 何度も読み直しているのに,それでもなぜか校正個所が出てくるのは不思議です…. 気分は月曜日です。 明日からまた,仕事だ,と思いつつ そういえば今日も仕事したんだよねえ. - フリペとビデオ - 2002年10月19日(土) 本日は,午後からフリペの色校でした。 しかし,人数が人数なだけに,あんなに効率の悪い色校の方法もどうでしょう…笑。 なんやかんやと意見をいいつつ,色校が終わってからは何人かでごはんへ。 珍しいメンバーといえば,メンバーかも…。 会話が途切れることもあったし,話題が続かないこともあったけれど,まあそれはそれで…笑. 途中までフリペにはいらいらもしたけれど,すべてに関わる必要がないと自分で開き直った後は,私は結構ラクでした(笑)。 いくらでも手間を省ける方法はあるし,もっと効率がいい方法だってあるのだけれど,まあ,それはこれから徐々に彼ら自身が慣れていくことでしょう。 もちろん,私自身にもいい経験になりました。 帰ってからは,月曜日の責了に備えて仕事をしました。 ワープロでテキストを打っていくのですが,これが結構骨が折れます。 音楽だけではちょっと寂しいので,ビデオを見ながらしました。 取りだめしていたビデオを適当に入れてみると,9・11の特番のビデオ。 思わず画面に見入ってしまうためになかなか仕事がはかどりません。 このビデオ,いろいろ思うところもあるけれど,それはまた今度。 - わかってる - 2002年10月16日(水) 夕方、1年以上会っていない友人からメールがきました。 どうやら、今の会社を辞めて、少し旅に出てから、来年から某テレビ局に入るらしい。 確か、彼は新卒の頃、別の某テレビ局に内定が決まっていた。 けれど突然 「国連に入る」 と言い出して、そのために海外の大学へ行くべく費用を貯めるために、今の会社に入ったのだ。 いつの間に、進路変更したのだろう。 まあ別に私の人生じゃないからいいのだけれど。 それでも、彼の転職は、私にとっては嬉しい。 同時に 羨ましくも、ある。 入った先が、というのではなくて、環境を変えられるということが。 変えたくて、でもそのために動くことをめんどくさがっているのは、他ならぬ私自身だ。それは、十分わかっている。 周囲がどんどん変わって、それを羨ましく思うのに、私は動かずにいる。 動けないんじゃない 動かないんだ。 そう わかってる - 迷うときは迷う - 2002年10月15日(火) 珍しい知り合いから電話がかかってきました。 転職活動中の彼女は、希望職種に近い会社に内定をもらったものの、迷っているらしい。 彼女の迷いは、私にはとてもよく理解できる。 話を聞きながら、頷くことしきり。 でも、どれだけ聞いても、どれだけ私が話しても、結局最後に決めるのは、彼女だ。 自分がどこで迷っているのか、何のために迷いがあるのかを、聞いてる私はもちろん、彼女自身よくわかっている。 それでも、人間迷うときは迷うものなんだ。 この先、自分が選択したことを、どちらに転んでも彼女はきっと後悔するだろうと思う。 どれだけ考えて出した結果でも、選択した先で失敗をすれば、それを選ばなかったときの自分の境遇を、羨ましく思うだろう。 それでも、その選択をしたのは自分だと、彼女ならきっと思えるだろう。 それだけの強さを、彼女はきっと持っていると思う。 私には、それだけの強さがあるだろうか? - 思案中 - 2002年10月13日(日) 夕方までは、ごろごろしていました。 夕方からは、佳境に入っている、フリペの集まり。 決して皆、結束しているわけではないし 決して皆、進んで仕事をするわけでもないのだけれど それでも、走り出しているんです。止まることは、できません。 あまりの手際の悪さに、途中かなりイライラします。 それでも、口を出すわけにもいかず、そのイライラを密かに消化しなければなりません。 次の号を作る時は、もっと手際が良くなっていればいいなあ と思いますけれど、その号にまた自分が関わるかどうか、結構思案中です。 もちろん、そんな事は誰にも言ってないけれど。 まあなんとか形も見えつつあるフリペ。 泣いても笑っても、入稿までの期限は後二日です。 といっても、もう私にできるところはないんですけどね。 - 苦労は報われる - 2002年10月12日(土) 本日のメイン・イベントは「市場へ行くこと」です。 そのために、午後からの飛行機なのに、朝は結構早く起きて市場へ行きました。 一番心配なのは、荷物のことです。 頼まれているカニは、送ればいいのだけれど、家に買って帰るカニを、持って帰るかどうか。 旅行かばんに詰めている荷物を送ろうかと思ったりもしたけれど、送料のことなんかを考えると持って帰った方が、断然得。 結局は、全ての荷物を持って帰ることにしました。 市場は、旅行客が沢山いて、寄る店寄る店で、カニを食べさせてくれる。 朝から何も食べてないにもかかわらず、結局その試食だけでおなかがいっぱいになってしまいました(笑)。 どのカニがいいかなんて、大体のことしかわからないし、ほんと、「どのカニがいいか?」というよりは、「どの人を信用するか」になってしまう。 一通りの店を見て、それでも「まあ信用できるかな」という人のいる店にしました。 カニは、結局3杯。 4人家族なんで、多い気もするけれど、まあ少ないよりは、マシでしょう。 でもやっぱり、持って帰る段階で、かなり後悔しました(笑)。 それでも、帰って家族が大きいカニに驚き、おいしそうに食べてる姿を見ると 多少無理をしても持って帰って良かった、と思えるんです。 誰かの嬉しそうな顔を見ると、苦労って報われるんですね。 - おいしいに決まってる - 2002年10月11日(金) 本日で仕事も終了です。 ん〜今回は、なんか宙に浮いたまま仕事をしたっていう感じでした。 前の編集部のときの学会取材とは、もちろん違います。 今回はいろいろなところで前の編集部での取材のことを思い出しました。 まあ、なんにせよ、仕事が終わり、札幌最後の夜です。 最後の夕食は、本日宿泊したホテルの1階にある蕎麦屋さんです。 この店は、ホテル情報のところに、書いてあったので、機会があれば来たいと思っていました。 ヤマメの天ぷら定食を頼みました。 待っている間、カウンターの3つ隣の席にいたおじさんが 「魚好きかい?」 と聞くので 「好きです」 と答えると、「あまりもので悪いけど、これ食べてくれる?」と,ししゃもをくれました。 関西で食べるししゃもより、味が濃い気がします。 とてもおいしかった! 実はそのおじさん、この店の主人のお父さんなのだそう。 北海道の魚についていろいろ聞いていたら、店のおばさんが今度は 「いくら食べるかい?」 といって、いくらのしょうゆ漬けを出してくれました。 もちろん、これもおいしい。 おでんの卵も、そして店の主人が今度は揚げたそばを出してくれました。 もちろん、何もかもおいしい。 この出張の間、あまり人と離さすにいた私にとっては、久しぶりの人との会話だったかもしれません(笑)。 料理はもちろんおいしかったし、店の人たちとの会話も楽しかった。 最後の夜は、とても楽しい夜になりました。 やっぱり、食事は会話をしながらのほうがおいしいに決まってるんですね。 - デジカメバンザイ - 2002年10月08日(火) 今日から札幌に出張です。 異動になって、初めての一人での出張です。 やっぱり、気楽だなあ。 札幌は、今の会社に入ってほぼ毎年来ています。 その割に、あまり出歩かなかったので、街中を観光したことなどありません。 時計台も見ていないし、クラーク博士の像も見ていないし、大通り公園すら、行ったことがありませんでした。 でも、今回はちょこちょこ、覗いていこうと思っています。 そう、デジカメを買ったから。 なんでもすぐに撮りたくなる私にはデジカメはとても向いています。 撮りすぎても、OK。ああ,なんて便利な機械なんでしょう。 だから、今回は割と食事もいろんなところを回ってみようと思います。 とりあえずは、今日は昼に生ちらし寿司、といういくらやとびっこやボタンえびやホタテやさばやタコやいかなどがこれでもかというくらいのったものを食べ、夜は狸小路をぶらぶらしながらすすきののラーメン屋まで食べに行きました。 ラーメンはあまり私は味噌ラーメンというのを食べたことがないのですが、おいしかったと思います。 割と早めにいったので、待つことなくすぐに座れたのですが、私が食べ終わって出る頃にはもうすでに並んでいました。人気店なんですね。 今日は、いろいろうろうろしたので疲れました。 最近は睡眠不足も続いているし。 今回の取材は割とゆとりがあるのでラクですが、それでも気を使うことには変わりがありません。 取材の合間に、いってみたいところがあるんだけれど、行けるかなあ。 - この先何もなければ、の話 - 2002年10月02日(水) 気がつくと、もう10月です。 もうすぐ、また、今年を振り返る月が近づいてきます。 今年はわりと、落ち着いた年だった気がします。 この先何もなければ、の話です。 朝目がさめて、明け方まで妙な夢を見ていたことに気づきました。 いろいろな分岐点の友人が、出てくる夢です。 懐かしい人も、いました。 でも、やはりメインは奴です(笑)。 夢であったあの子の姿かたちを私は覚えていません。 おぼろげなイメージのみです。 感覚,と言えばいいのかもしれません。 話すのが嬉しいという感覚。 もう少し話がしたいという感覚。 そういう感覚を覚えているから、「あの子」がでてきたのだと認識できた夢。 目が覚めて、あの子の夢を見た後に感じる切なさが少し薄れていました。 それはきっと、時間が確実にたっているという証拠です。 そう,悲しくない。 どちらかといえば、懐かしくて、そう思える自分が、少し、嬉しくて。 そして、そんな気もちのまま、明日からの旅行にいけるのが、ワクワクする。 そして私はきっと,少し前進できるんだ。 -
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