出会い - 2002年09月26日(木) あまりにも連日忙しくて すっかり日記を書くのを忘れていました。 昨日は、知り合いに誘われて、バンドの生演奏を聴きに行きました。 曲はピアソラがほとんどでしたけれど、ジャズ系は聴きたくても今まであまり聞く機会がなかったので、とても楽しかった。 帰りは、その足でレンタルCDへ行きました。 KEIKO LEEとYO-YO MAを借りました。 MAはどちらかといえば、クラシック系なのかもしれないけれど、彼の弾くリベロタンゴは何度聴いても鳥肌が立ちます。 家に帰って、本でも読みながらジャズを聞くのが、今の私にはとてもゼイタクな時間です。 この間から読んでいる池澤夏樹の「スティルライフ」を読み終わりました。 全編にわたる物静かな雰囲気がとてもよかった。 どうしたら、あんな文章がかけるんだろう。 しっかりとした知識と、経験と、そして飛びぬけた想像力。 そんなものが混じり合っているかのような. 本との出会いも、一期一会なのかもしれません。 - もって帰ろう - 2002年09月18日(水) なんとなく、思い立って、昨日は夕食後、大根を煮てみたりしました。 煮る、といっても、ふろふき大根のようなご立派なものではなくて、私の思いつきの、煮物。 大根を水から煮て、沸騰したところで、先日母親からもらった、だし昆布と、煮干を粉状にしたものを入れてみた。 本当は、鶏がらスープでも入れようと思っていたのだけれど、あまり残ってなかったので、急遽変更。 それから、去年からあるお酒を入れてみたのだけれど、これが甘くちのお酒だったために、どうも妙な味がついてしまった。 薄口と濃い口の醤油を入れてみても、微妙…。 ベーコンをいれて、味見をしても、やっぱり甘さが気になる。 ということで、これもまた母親からもらっていた大葉を細かくちぎって入れてみました。香りつけと、ニオイけしに。 味見をしたけれど、…うーん。 ということで、本日の夕食は、その妙な煮物です。 煮物を温め、冷凍してあったごはんを解凍し、インスタントの、お吸い物と、サラダ. なかなか、食事らしい、食事です。 さて、煮物は、昨夜から一晩おき,味がしみたのか、なじんだのか。 大根の苦さは残っていたけれど、あの微妙な味ではなくなっていました。 うーん.ふしぎ. でもまあ,おいしかったし(多分) 明日、実家に帰る時に、もって帰ろう。 - ふと思った - 2002年09月17日(火) 朝テレビをつけると、平壌空港に、小泉首相が着いたところでした。 「ああ、今日だったのか」 と、他人事のように私は思い出したのだけれど、おそらく、拉致されたと思われる人の身内には、この日をどれだけ永く待っていたことだろう。 家に帰って、ニュースを見て、大統領自身が拉致を認めたのには、驚いた。 あんなにすんなりと、拉致を認め、拉致された人の安否を伝えるとは思ってもみなかったから。 拉致されたと思われる人のうち、何人かは死亡していることも、伝えられた。 おそらく、日本の大半が、少なからずこれにショックを受けただろう。 拉致された「かもしれない」 から 「拉致されていた」 という真実を突きつけられ、しかもすでに「死亡者がいる」ことまで,わかった. 北朝鮮に対する不信は、日本人の中では確実に芽吹いた気がする。 「そんな国と、何故国交を正常化する必要があるのか」 そんな論調も、早くも聞かれた。 そこでふと、思ったことがある。 これから何年後か、例えば、拉致された人の孫くらいの代になって、日本は北朝鮮について「そんなこともあったよね」と、許せるのだろうか。 今の日本人が、韓国やアジア諸国に対して、自分たちがやってきた「侵略」に目をつぶって「遺憾の意」を表明して、すべてを終わらせようとするように。 北朝鮮が「遺憾の意」を表明して、すべてを終わらせようとすることに、 日本人は「是」とするだろうか? ふと、そう思った. - 広い空間で考える、ということ。 - 2002年09月16日(月) 今日は、いつもの友人に誘われて、海です。 さすがに9月も半ばにさしかかり,肌寒くもなってきているので、もしかするとウェイクボードはしないかもしれない,とのことでしたが、結果的にはやってました。 私はしませんでしたけど。 あいにくの曇り空ですが、その分日焼け度も低め。 船の先のところで昼寝をしました。 波加減がとても気持ちよくて、気づくと夕方でした(笑)。 風を切って進む船の先頭に座りながら、いろいろなことを考えてました。 何にも考えずにボーっとすることは、今の私にはできないようです。 それでも、広い海と空の真中で、モノを考えるのは、もったいないようで、実は最適です。 なぜか? 自分の周囲を区切る空間が広い分、思考がぐるぐると濁ってこないからです。 つまり 無理に答えを出そうとしない,ということです。 - タイミング - 2002年09月14日(土) 今日は専門学校の友人たちとバーベキュー&花火大会です。 昨日、部屋に泊まった大学時代の友人も、急遽参加。 女性が圧倒的に多かったせいか、話題のほとんどは、恋愛関係(笑)。 年齢がわりとばらけているだけにその年代の「恋愛観」みたいなものが見えて、なかなかおもしろかった。 恋愛がどうの、という前に、仕事をどうにかしなくちゃいけない子もいるはずなんだけど(笑)。 いくら恋愛の話をしても、こういうのってホント、タイミングだよなあ,って最近特に思う。 自分が恋愛をしたいという時期と 相手が恋愛をしたいという時期 これが重なれば、ただの出会いが恋愛へと発展するんじゃないかな。 なーんて言ってみても、恋愛は、やっぱり難しいのです。 - 大笑い - 2002年09月13日(金) 今日は、大学時代の友人と少し、豪華なディナーです。 先日、ある人と行ってから、もう一度いきたかったレストランです。 会社の商談や接待なんかにも使われるそのレストランは、古きよき時代のモダニズム文化を少し残していて、ゴージャスな気分になるけれど、それでもどこか肩ひじを張らずに食事ができます。 食事をしながら、やっぱりいろいろな話をしました。 ちょうど、一ヵ月後に27の誕生日を迎える一人の友人も、誕生日はついこの間終わったばかりの友人も、そろそろ、「結婚」を考え出す時期のようです。 といっても、二人とも相手はいないんですけれど(笑)。 いえ、人のことは言えません。もちろん、私もです。 食事の後は、私の部屋でビデオ大会。 今回は、これがメインです。 ビデオのタイトルは「花より男子」。 主演、内田由紀の、人気コミックを実写映画にした作品です。 私たちにとってはもう数年前のような気がするのですけれど、ビデオのラベルをみると1998年になっていました。…あってるのかな? ちなみに、何故このビデオを見ようという話になったか 主演の内田由紀の相手が谷原章介だからです。 感想? いや、かなり笑えました。 今でこそ大人気(?)の藤木直人も出ていました。藤原紀香も。 みーんな平等に、学芸会レベル,なのでテレビの中だけ、異世界のようです…いえ、現実に異世界なんですけど…。 谷原章介を始め、皆若い。 そして、やっぱり、それぞれの顔にあった「年齢」ってあるんだなあ、と思いました。いえ、藤原紀香は変わってないんですけれど。 大笑いした、夜でした。 - 濃い一日 - 2002年09月12日(木) 今日は午後からフリペの特集インタビューです。 取材場所近くの映画館前で編集長と待ち合わせ。 微妙に緊張するのは、相手のキャリアもあるけれど、自分の専門分野外の人だから。 遠足の前の日のように、前日は眠れなかった。 インタビューに関しては、やはり、相手の経験から来る察しのよさに助けられたところが多かった。 それでもやっぱり,終わったときにはぐったりしてたけれど(笑)。 インタビューが終わってからは、編集長と遅めの昼食と、お茶をしました。 インタビューやフリペの話はもちろん、テレビや、音楽の話なんかもしました。 楽しかったな。 二人とも、話が広がる広がる(笑)。 夜は、元同僚とごはんとのみに行きました。 今度、彼女と行く沖縄の打ち合わせです。 といっても、沖縄の話はあまりせずに終わりましたけれど(笑)。 いろいろと、忙しかった日でしたけれど、濃い一日でした。 ほんと。 - 火事場泥棒 - 2002年09月11日(水) 映画を見てきました。 「アフガニスタン戦場の旅」というドキュメンタリー映画です。 東京新聞の記者、吉岡逸男さんが、昨年アフガニスタンのカブールを訪れた時に、手持ちのデジカメでそこに来る各国のジャーナリストへ向けて「ジャーナリズムとは?」を問い掛けた作品です。 手ぶれはしているし、音声と周りの音が混ざって聞き取りにくいし、「映画」としては、おそらくかなり低レベルです。 けれど、そこには「ジャーナリスト」をそれを見ている私たちと同じ「人間」の目千二まで引き下げた吉岡さんの視点があります。 困っている人を取材して、報道して金儲けのネタにしている。 報道人は、火事場泥棒である それが、吉岡さんの視点です。 けれど、それを受け止めて、「それでもとりたい」「偽善だということはわかっているけれど、それでも報道する」という決断、それが必要なんだと、彼は言います。 そうかもしれません。 ジャーナリズム論を語るのは、難しいのですが,この映画は、素直に「ジャーナリズムとは?」を正面から捉えた作品でした。 私のベクトルは、やっぱりそっちへ向いているのだということが、確認できた気がします。 - 腹立たしい、自分。 - 2002年09月10日(火) 本職のほうの取材に行ってきました。 夕べ、遅くまで起きていたので眠い眠い(笑)。 全く頭が働きません。…ってどうせ私はカメラ担当だったので頭働かすことなんてなかったんですけどね。 夜は、明後日に迫ったフリペの特集インタビューの打ち合わせです。 インタビュー内容を一緒に行く編集長(といっても単なる言い出しっぺ)と確認していました。 編集長は、以前に書いていた「彼女もち」の子です。 話していると楽しいし、おもしろいけれど、以前のように「好きかも知れない」という気持ちは、なくなりました。 なんでかなー? どこが変わった、というわけでもないんだけれど まあホンキで好きになっていたとしても、彼女もち相手に何をするつもりもないんですけど。 帰ってメールをみると、あの子からメールが来ていました。 連絡が取れなかったのは、旅行に行っていたのだと,先週携帯にメールが入っていたけれど、それに関しての(少し)詳しい話. 携帯にメールが送られてきてからは、返信していません。 どこか、あの子に対して腹を立てている自分がいました。 「遅いわ!」 と言われるかもしれませんが(私が腹を立てることが)。 結局は、あの子はいつでも自分でいっぱいいっぱいで、私のことは考えていないんだな,と。 それに腹を立てていました。半分、八つ当たりみたいなものかもしれません。 腹を立てていても、そのメールに、返信したくなるのは、どうしてでしょうか。 ここ数日、「もう好きじゃないなあ」と感じることも、あったのに。 そんな自分が、一番腹立たしいのかもしれません。 - 未来 - 2002年09月09日(月) 今日は、会社帰りに、映画を見に行きました。 前売りを買っていて、13日までだというので今日行くことにしました。 「プロミス」という映画です。 パレスチナ問題を、子供の視点から捉えたドキュメンタリーです。 この映画のどこにも、戦車や、爆弾で打ち合うシーンなんて出てこないのに、 前編にわたって、それが重く感じられるのは、それがまさに「真実」だからでしょうか。 イスラエルの少年は言います。 「戦争やテロで人が死ぬたびに、無意味に殺しあってばかみたいだと感じるんだ。 お互いに苦しめあうだけなのに。戦争の“勝者”って誰のこと? 殺しあって何が“勝者”さ? 両方とも“敗者”だよ」 子供だから、その言葉は鋭くて、時に大人以上に的確に状況を見ているのは、それはきっと「自分たちの未来」に関わってくることだから。 「話し合っても無駄だ」 そういう少年もいたけれど 「話し合おうとしなかったから、話し合うことが必要なのよ」 そういった少女もいた。 子供たちは時に、国境も、人種も、肌の色も超えていくのに 大人たちがそこにこだわって、子供たちが手を取り合っていけるはずの「未来」を潰していく。 子供たちが自分の未来を、本当に自分たちで左右できるのだとしたら、 もしかすると、そこには戦争なんてものは、なくなるのかもしれない。 - ありがたみ - 2002年09月08日(日) 今日は一日、親に甘えていた日でした。 服の卸のところへ見に行く前に、どうしても借りなければならない本を借りに、図書館へ行きました。 図書館へ行くついでに、友人が私のために作っておいてくれたジャムをもらいました。 「一人暮らしやから、一人暮らし仕様な」 そういってわたされたジャムは、小さいけれど、一人暮らしには十分な量がつまっていました。 他の友人から頼まれたらしいのに、私の分もちゃんと作っていてくれる。 そんなことが、最近はとても嬉しかったり、します。 図書館で用を済ませると、そこから卸まで連れて行ってもらいました。 父親は車の中で待っているというので、母親と二人で9階からずっと服を見て回りました。 親と食べ物以外の買い物に行くのは久しぶりです。 いろいろと服を見ながら、いろんな話をします。 母親にとっては、多分そっちのほうが楽しみのようですが。 結局、服はパンツ2枚と、スカート、そしてブラウスを買いました。 満足です。 買い物をしている間、2時間,父親はくるまで待っていました。 私の幼い頃から比べたら、父親は気長になったと思います。 決してキライではないのだけれど、私にとっては父親は「怖い」というイメージそのものでした。 それでも、決して裕福ではないけれど、好きなことをさせてもらってきました。 それらは全て、目に見えるものではなくて、私の頭の中と、記憶にしか残らないようなものだけれど、私にとっては、ブランドの鞄よりも、大切で、高価なものです。 実家から部屋に戻るたびに、いろいろなものを持たせてくれる母親は、やっぱり「親は偉大だなあ」 という気にさせられるんです。 - 北の国から - 2002年09月06日(金) 残業中に、メールが入りました。 来週会うことになっている、元同僚から。 北の国からをとっていてほしいなあ。 ということなので、実家に帰る予定だったこともあり、母親にメールを送って、録画していてもらいました。 「北の国から」というドラマは、実は見たことありません。 何故か、と聞かれると困るのですけれど、 本当に、一度も見たことないんです。 それでも、あまりにも有名なために、大まかなストーリーは分かっているんですけれど。 ということで、今日始めてみました。 初めて見たドラマが、最終回って(笑)。 見ながら、どこかずっと痛々しさを感じていました。 「時間」は子供を人生を楽しむのに最適な時代へと導き、 大人から着実にその先の生の時間を奪っていく。 それはとても当たり前で、自然なことなのに、それが見ていて、痛々しい。 そう、思うのは、きっともうすぐ私も「奪われる」側に立つから。 そして、自分と同じスピードで、着実に先に進んでいく、親の老いを感じるから。 いつまでも、幸せな、何も知らないままでいられない。 そんな、ありふれたフレーズが、特に痛いドラマでした。 - 疲れたり、する - 2002年09月05日(木) 言葉というのは、本当に難しい「生き物」だと思う。 言葉本来の意味で使っているつもりでも その前後の文から、全然違う意味に取られていたり。 自分が思ってもみなかったところで 人を傷つけることがある。 タイミングが悪いときには本当に、いろいろ重なるもので。 いろいろ説明するのも、また疲れたり、する。 - 送信先エラー - 2002年09月04日(水) 26になって、1ヶ月が過ぎました。 たまに、自分がまだ25歳だったような錯覚をするけれど、26です。 特に、これといって変化もありません。 年をとることで、劇的に変化することなんて、ほとんどないんでしょう。 今日は仕事をしながら「送信先エラー」について考えていました。 メールを送ると、そうやって戻ってくるんです。 最初は、相手がメルアドを変えたんだと思ってました。 でも,メルアドが違えば「送信先不明」で戻ってくる。 可能性としては、相手先の受信容量がいっぱいか、着信拒否。 でも私、二年前ならいざ知らず、イマサラ着信拒否される理由がないんだけどなあ…? なんて考えていたら、これかな、という理由が一つ。 それは、嫌われてるとか、そういう理由ではない着信拒否。 パソコンのほうのメールの返信がないのは、 見てないから。 もしくは、 忙しくて家へ帰ってないから。 それは全て、私の「こうだったらいいな」 という願望込みの、「理由」です。 本当は、それを確かめる手段もあるし、 確かめたいという思いもあるのだけれど でも本当は、二年前で切れていたはずの「縁」です。 わざわざ結びなおすこともないんじゃない? そう、ささやく私も、いるんです。 確かに。 - 恋愛観 - 2002年09月03日(火) 人にはそれぞれ、恋愛観があって 不倫とか、略奪愛とかを 是とするいともいれば、否とする人もいる。 私はどちらかといえば、「否」だけど。 それは別に世間一般の常識だとか、倫理観とかからっていうんじゃなくて 自分が、されるほうだと、嫌だからだという、簡単な理由。 も一つ言えば そういう方法で自分のものにしたとしても、 きっと私にはその恋愛は楽しめないと思う。 誰かが泣く上に成り立った恋愛を、私には楽しむ勇気はないと思う。 そして,そういう風に私のものになった人は また同じように自分の元から去っていくんじゃないかという不安や、その人に対する不信を,きっと私は持ってしまうから。 - 本当の理由 - 2002年09月02日(月) 金曜日は午後から帰っただけなのに、なぜか久々に会社に行った気分でした。 だからでしょうか、今日はわりと仕事がスムーズに進んだと思います。 最近は、どこか浮世離れした感覚を自分自身に持つことがあります。 なんていうのかな。 私をもう一人の私が見ている感じ,と言えば一番しっくり来るのでしょうか。 それは概して無気力で、自分の嫌な面ばかりが目に付く視線です。 もしかすると、一人暮らしをしなければ知らなかった感覚かもしれません。 もし、今私が死ねば、果たしてその本当の理由を知る人はいるのでしょうか。 私以外に。 私に近しい人たちは、おそらくそれぞれにそれぞれが思い当たる理由を思い浮かべることでしょう。 そして、きっと自分を責めてしまうのでしょう。 でも,そのどこにも私が死を選んだ本当の理由はないのだと思います。 結局、自ら死を選ぶときに,その本当の理由を知りうるのは、本人しかいないのではないでしょうか。 こんな考えが浮かぶのはきっと、もうすぐだから。 - 中身の詰まった冷蔵庫 - 2002年09月01日(日) 週末は,実家に帰っていました. 2週間ぶりくらいなだけなのに,なぜかとても懐かしい感じがしたのは,人恋しくなっているからかもしれません. 実家に帰ると,必要以上にもてなされます(笑).特に,母親から. 帰りはたいてい夕飯を食べた後に,母親に部屋まで送ってもらうのだけれど,食料を大量に持たされます. 「○○いる?」 という言葉を聞くたびに,「ああ,心配かけてるなあ」と思いつつ,「ありがとう」と言ってもらってきます. 今日も,そんなやり取りを繰り返して,いろいろと大量に持って帰ってきました. 実家に帰ったときは,冷蔵庫はいつもいっぱいです…笑. 帰ってから,少し,落ち込みました. 落ち込んだのは,別のことです. それは,起こるべくして,起こった,というよりも,いつ起こっても不思議ではなかったこと. そして,わかっていたのに,それに少しショックを受けている自分が滑稽でもあります. 私が,あの子にメールアドレスを教えてなかったのは,わざと. 自分が忘れるだけのためだった. だから,それが逆になったとしても,全然不思議ではないのに. それを,わかってもいたのに,イマサラ,それにショックを受けるのは,ご都合主義,というもの. それでも,「仕方ない」と,思える分, 私も成長したのでしょうか. 本当は,とっくに連絡なんてとっていないはず,だったのだから. -
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