真っ直ぐに、生きてきた、ひと。 - 2001年03月31日(土) 今日は、昼までゆっくりと寝た後、コンパに行ってきました。 生保をしている友人からの誘いですが、今まで彼女の仕事関連のコンパは「ちょっとね・・・」という人が多かった。 一度、会って速攻一目ボレされて告白された人もいるしなあ。 今回も、それほど期待はしてなかった。 しかし、今回、見たかんじでは「まとも」(笑)。 話してみると、結構楽しい。 はじめ3対3ということだったんだけど、一人来れなくなって、2対3に。 でも、全然楽しかった。 二人とも野球好き、映画好き。 高校の時に、甲子園に出たこともあるらしい。 一人は、とてもオシャレな人。 もう一人は、オシャレではないけれど(しかし、悪い趣味ではない)、とても素朴な人。 素朴な人の方が、甲子園に出た人。 本当に、野球が好きで好きでたまらない、というように話をする。 高校の時、畜産科にいたらしい。本人曰く、 「野球しかできんかったから、畜産科なら、実習での成績を考慮してくれて、入れたんや」 らしい。 話をしていても、振る舞いを見ていても、とても礼儀正しい人。 でも、その礼儀正しさが、堅苦しくなくて、自然で、見ていても、「しつけられた」というよりも、「身についた」という感じ。 見ていて、とても気持ちいい人だった。 帰りの電車が途中まで一緒で、しばらく話をしていた内容は、その人の家のこと。 実家は、和歌山で梅の農家をしているらしい。年の離れたお姉ちゃんと、お兄さんがいて、お姉さんの子供が可愛いこと。甥っ子も野球をしていて、実家に帰るたびに、野球を一緒にするのが楽しみだということ。 いろいろ話を聞きながら、考えた。 この人と一緒にいると、楽。 なんて言うんだろう。カッコつけなくてもいい、無理をしなくてもいい。 疲れたら、「疲れた」って言える、そんな感じ。 よっぽど、携帯番号とか、聞こうかと思ったけれど(笑)。 さすがに、聞けなかった(笑)。 また、会いたいな、と思う人だった。 あの子といたときの私は、かなり無理をしていたと思う。 好きだから、正直言って、かなり自分を作っていた。 嫌な面を見せたくなかった。 嫌な顔を見せたくなかった。 あまり分からないサッカーの話を聞いた。 あまりみたいと思わなかった映画を見にいった。 次の日、眠たくなるのをわかってて、深夜まで電話に付き合った。 けれど、会いたいとき、淋しいとき、私の方からは「会いたいよ」も「淋しいよ」も言えなかった。 今も、きっと私は言えないと思う。 会ってもきっと、あの子に対しては「いい子」な私で、またきっと、無理をしてしまうと思う。 それを、楽しいと思っていた。 本当に、楽しかった。 でも、今日その人に会って、分かった。 自分が無理をしていたこと。 会って、初めて気付いた。 一目ボレをしたとか、好きになったとか、そういうんじゃない。 ただ、あまりにもあの子とは違うところにいて、決して華やかな世界でも、楽しい世界でもないのだけれど、「地に足をつけて生きている人」そんな気がした。 「楽しみながら、生きている人」 多分、こんな表現がぴったりだと思う。 もう一度、会いたいな。 「コンパ」というもので知り合って、私がそう思ったのは、その人が初めてだと思う。 その人は、帰り、店を出るときに店員さんが「ありがとうございました」と言ったら、「ごちそうさまでした」と、会釈をしながら、そう言った。 そんな人、だった。 真っ直ぐに、真っ直ぐに、生きてきた、ひと。 - 「お疲れさま」と、「ありがとう」と、「またね」 - 2001年03月30日(金) 今日は、責了日。 相変わらず、ばたばたはしていたけれど、それでもいつもに比べると、全然ましな日。 今日は、年度末。 そして、私の同期が辞める日。 私を含む同期4人の中では、一番仲が良かったかもしれない。 彼がいるから、同期は何となくまとまりもあったような気もする。 それでも、辞めるのは誰のためでもなく、彼自身のためで、彼が自分で決めたことだから、私たちには何も言えない。 「お疲れさま」と「ありがとう」と、そして「またね」 それくらいしか、言えない。 終わりは、あっさりと、最後に、写真を撮った。 同じフレームに写るのは、これが最初で最後かもしれないな。 結局、同期4人で写ったのは、入社式の時の写真しか、ないかもしれない(笑)。 それでも、大好きな同期たち。 たくさん、話を聞いてくれて、ありがとう。 そばにいて欲しいときに、いてくれて、ありがとう。 「自分のこと、もう考えてあげてもいいんちゃうかな」 君が、そう言ってくれたのがとても嬉しかったよ。 また、飲もうね。 また、会おうね。 なんとなく、なんとなく、真っ直ぐに家には帰りたくなくて、今日は同僚を誘って、飲みに行きました。 ありがとう。 私は、なんて沢山の人に支えられてるんだろうか。 みんな,みんな、大好きだよ。 - 電話と、時間の感覚 - 2001年03月29日(木) 今日は午前中会社を休みました。 熱は、おさまってたんだけれど、胃が痛くて・・・。ひきつるような痛み。 ひょっとしてガンかも・・・。 なーんて寝ながら考えたり・・・。 さすがに、責了前で一日休むことはできないけれど。 午後から会社に行きました。けっこう、仕事したと思う。病人のわりに。 昨日のうちに台割は作っていたし、今日はそれをもとに、目次を作りました。巻末に入れるはがきも。 いつもはこれを責了日にするんだけれど、今回ははやめにできました。 そして、早めに帰りました。 で、帰って何をしたかというと、特に何も。 夜は、久々に、名古屋の友人から電話があって、話しました。 ゴールデンウィークの予定をたてるために。 でも、あまり進まなかったのは、二人とも「旅行に行こう」というわりに、二人ともあまり決めてないから(笑)。 今のところ、中国が濃厚かな。 私は、ハルピンと、桂林に行きたいのだ。 中国は、昔から憧れる。 ヨーロッパも好きだけど、中国や韓国なんかのアジア系がやっぱり旅行してても落ち着くんだよ。 今年は、どこに行こうかな。 旅行の話の後は、やっぱりいつものあの子の話を聞いてもらう。 彼女は東京に一緒に行ったときに、あの子と会ったことがある。 3人であったとき、あまりにもあの子は私の方ばっかり見るから、彼女は私に聞いたことがあった「あんたら、実はつきあってんちゃうん?」 ・・・いえ、そんなことは、ありませんでしたよ。 懐かしい思い出だな。 それほど古い話しでもないのに、それでもずいぶんとあの頃の話しは昔に感じる。去年の今ごろの話は、つい昨日のことのように感じるのに。 不思議。 - 熱のせい、映画のせい - 2001年03月28日(水) 昨日、寝るときから何となくゾクゾクと寒気を感じてはいたんだけれど、会社に着いた頃から、それはさらにひどくなってくる。 「熱がでてきたかな」というのが少し分かって、全身がこそばゆい感じがする。 風邪だ。 早めに帰って、早く寝よう、と思ったけれど、ついついテレビを見てしまう。 横になりながら、WOWOWからくる来月の番組表を見る。 こうやって見ると、見たい映画はいっぱいあるんだけれど、なかなか全部をビデオに撮ることができない。 とっても見る時間が今はない。 深夜に映画を見ると翌日眠いしなあ。土日はここんとこ全部ふさがってるしなあ。 ふう。 番組表を見ていたら、あの子と一緒に見た映画が放送されるのを知った。 あれは、彼が東京にいく前に一緒に見た映画。 もう、あれから1年がたつんだなあ。 あれ、なんかブルーになってきたぞ。 そう言えば、映画を見にいった後、飲みにいったバーにテレビがあったんだけど、彼の話の合間に私があまりにもそのテレビで流れるCMの話をするから、結局最後、怒らせたことあったなあ(笑)。 去年の日記を読み返して見ると、・・・今日も私、あの子を怒らせてるわ(笑)。 去年の今日(変な表現だけど)怒らせたのは、電話で。 確か、なんか、難しい話してたんだよなあ。 性格が変わるかどうか、とか。 何を言ってるのか分からない、というよりも、いつもよりもまじめな話をするから、驚いたのとそれがあまりにも私には彼が東京にいくことを頭に入れて話しているないように聞こえたから、淋しくて、ちょっと茶化したら、怒っちゃったんだよねえ・・・。 ココロの狭い奴。 でも、一応切った後に謝りのメールを入れたんだけどね。 「ごめんね。いつになく真面目な話するから驚いたんだよ」 っていれたら、 「怒ってないよ。ただ、これからは内容を選ぶようにするよ」 って。 ・・・怒ってるじゃん。 考えてみたら、去年の今ごろの奴は、一番嫌な奴だったかも。 東京にいく期待と、不安が混じっていて、本人もよく分からない心境だったのかもしれないけれど。 でも、私はあんたの身内じゃないっつーの。 それでも、話ができただけ、去年の今ごろは楽しかったのかな。 次に会うことは「ない」と口では言っているけれど、まだどっかで期待している自分も、いるみたいだ。 東京に行って、一年が経ったら、君は本当にやめるの? 関西に帰ってくるの? その時は、私に連絡してくれるのかな。 忘れていたはずのいろいろなことを思い出したのは、熱のせいと、映画のせい・・・かな。 - 辞める方、送る方 - 2001年03月27日(火) 今日は、上司は休み。 上司が休みだと、やっぱりちょっとのんびりしちゃうんだけど、今日は責了前ということもあって、とりあえずやることはやった。 1時間だけ残業をして、今日は靴を見に。 会社から、駅まで、いつも飲みにいく同僚と会う。 どうやら、チーフ(まあ編集長みたいなものかな)同士で飲みにいくらしい。 先月やめた同僚の上司であるチーフも一緒にいた。 この人からは、私はいろいろ教えてもらったし、好きだけれど、この同僚といろいろとあって、最後に同僚が辞めるとき、 「じゃ、お元気で」 って、あっさりと最後の挨拶をして帰っていったのが、とても印象的だった。 この同僚が辞めるとき、どれほど悩んでいるのかをよく聞いていたからかもしれないけれど。 このチーフも、他の人から聞くと、とても悩んだのだと思う。 それでも、最後の挨拶にあれはないなあ、などと、まだまだ経験の浅い私は思う。 まるで、 「やめてくれてよかったよ。もう会わずにすむから、よかったよ」 って言っているように聞こえたもんなあ。多分あれ、同僚にも伝わったと思う。 人って、不思議とそういうのって伝わるもんなんだよね。 まあ、私がそのチーフの立場にいたら、同じようにしないとは言い切れないけれど、ちょっと見ていて嫌な感じがしたのも、確か。 「裏切られた」という気持ちが強ければ、仕方のないことかもしれないけれど。 やっぱり、辞めるときは気持ち良く辞めたいし、送り出す方は、気持ち良く送り出したいなあ、と思う。 で、靴を買いにいきました。 仕事やちょっとしたお出かけのときにはく靴を見ていたけれど、結局買ったのは、ちょっとごつめの、遊び用の靴。 仕方ない。前から欲しかったんだもの。 でも、お出かけ用の靴も、買わないと。 来週は、結婚式だもの。友人の。 - 愚痴になっちゃいました - 2001年03月26日(月) 新しいレイアウトになってから、あまりマックを使う事がなかったけれど、今日はいろいろ使うことがあって、フリー機のほうをよく使っていた。 編集部のマックは、上司の方にあるから。 いつも思うけれど、上司は私よりも少なくとも1,2年は多くマックを使ってDTPをしていたはずなのになんで「こんなこと知らないんだろう」ということをよく聞いてくる。 確かに、私も他の人に聞いたことがあるけれど、今まで使っていて不便じゃなかったんだろうか、と思う。 しかも、この上司は、なんか中途半端な役割分担が好き。 特集を組むのは上司、督促は、私。 ・・・そんなわけ方をするよりも、組む人が、督促から、著校からすべて担当した方が、執筆者の先生にとってもわかりやすいと思うんだけれど。だから、電話で私宛てに先生からかかってくるけれど、私は組んでるわけじゃないから原稿の中身は分からないし、困ることもあるんだけれど・・・。 何で、あんなわけ方を思い付いたのか、私には分からない。 しかも、締めきりぎりぎりになって、督促を回してくるのは辞めて欲しい・・・。 上司とは、昔と比べていろいろと話すようにはなったけれど、やっぱりお互い一番言いたいことは呑み込んだままなんだなあ、と思う。 どれくらいいったらいいのか、正直いってあまりよく分からない。 とても気にする上司で、私のことを考えてくれているのもよく分かるから、なるだけ上司のしたいように、上司がやりやすい方法でした方がいい気はするんだけれど。 やっぱり、ちょっとたまに私には「?」なところがある。 難しいなあ。 - 無事で良かった - 2001年03月25日(日) アクティブだった昨日に比べ(正確に言えば、今日の明け方)今日は一日なんにもせずにただ惰眠をむさぼる日。 明け方帰ってきて、布団に潜り込み、起きると夕方の6時・・・。 8時前に夕食を食べるまで、読みかけの本を読んで、夕食後はまた熟睡。 眠りながら、いくつもの夢を見た気がする。 何の夢を見たのか、もう断片的にしか覚えていないけれど。 本当は、知っていて、思い出したくないだけなのかもしれない。 広島の地震、今日の新聞で大変なことになっているのを知った。 メールで、広島と岡山にいる友人に安否を聞いてみる。 一人は、「何とか無事」 もう一人は、「関西に帰ってきていて無事」 とりあえず、二人とも無事で、良かった。 - 驚きと、切なさと、笑いが混じった一日 - 2001年03月24日(土) なんて忙しい日だったんだろう・・・。 周囲に、新しい生活を始める人が多いおかげで、3月は何かとイベントが多くなる。 すぐには会えなくなる距離に離れる人もいるから、あまり楽しいイベントばかりではないんだけれど。 とりあえず、昼間は会社にいっていました。 記事を仕上げなければならないため。早く書かなきゃいというのは分かっているのに、やっぱりいつも遅くなる。ぎりぎりになってしまうんだなあ。これが。 記事を書いている途中に「地震!」という同僚の声。 確かに、揺れている。結構強く揺れているように感じたのは3階のせいかもしれない。しかも、長い間揺れていた。 震源地は広島の方なのだと、メールで今日会社に来るはずだったけれど、来なかった同僚が教えてくれた。 このときは、それほどひどい地震だとは思ってなかった。 が、後でニュースを見て驚く。 7時30すぎに会社を出、専門学校へ向かう。 無事に、希望職種に就けた友人たちが、来週からその赴任先へと引っ越しをする。知り合って、まだ2,3年くらいしかたたないけれど、その間にもう何度会ったかしれない。 色んな話をし、色んなことがあった。 お世話になった先生も含めて最後に会おう、ということになったため、無理矢理この日に予定を入れたのだ。 本当は、会いたくない気持ちも、あった。 会うとどうしてもあの子のことを思い出す。多分、話題に出てくる。 だから、本当は迷ってもいたのだけれど、やっぱり、最後に「よかったね、おめでとう」は言いたかった。 多分、もう会うことがないだろうから。 はっきり言って、油断してた。 「もう平気」 ちょっと、強がりもあるけれど、そう思っていたから。 でも、やっぱりまだ、完全ではないのも、どこかで分かっていたのだと思う。 飲み会が始まる前に、電話が入ったということを、友達から聞いた。 先月、ローテーション休暇で帰ってきてたときに、会ったという話しも、聞いた。 別の友達には、飲み会の最中に、電話がかかってきてた。 また別の友達からは、彼から電話がかかってきたときに話していた話も聞いた。 それとなく、みんなに「辞めたがってなかった?」 って聞いたら、全員が「そんなことは言ってなかった」との答え。「だいじょうぶちゃうかな」という声も聞いた。 私に話していることが本当なのか、彼らに話していないだけなのか、私には分からない。 彼らに話していないことを話しているのだとしたら、まだやっぱりそれを「嬉しい」と思ってしまう自分が、いた。 ある1人が言った。私は新しい携帯番号を、彼らに教えていなかった話をしていたとき、その子はあの子に私の携帯番号を知らないか、メールで聞いたのだそう。そしたら、彼からの返事は「俺も知らない。知りたいんだけど」というのが返ってきたのだそう。 「知りたがってたよ」って、その子は言った。 私の携帯番号を、あの子が知りたがっている。 本当に知りたがっているのだとは、思えないけれど(知る方法なら、私に直接メールで聞くこともできたし。「携帯変えた?」って聞かれて「うん」としか答えなかったこともあったけれど、それなら「番号教えて」って言えばよかったんだよ)、それでも、少し、その言葉を嬉しく思う。 何となく、不思議な気分を残したまま、11時ごろに別れて、次は中学の友人たちとの呑み会へ。 友達の家での呑み会。途中、いつもその飲み会に参加する人に車で拾ってもらった。 良かった、今日この友人たちに会えて。 4月に結婚する友人を記念しての呑み会だけれど。やっぱり、彼女たちに会うのはホットする。 ひとしきり、思い出話をしたり、今までの飲み会で面白かったことを話したり、それぞれの話をしたり。 彼女たちによると、私は「知れば知るほど不思議」になるんだって。 なんでかな。 既に結婚をしている友人は、明け方の5時に帰り、今度結婚する友人が、旦那(籍はもう入れてある)に迎えに来てもらい(旦那は別で麻雀をしていたらしい・・・)、既に結婚している友人を送っていった。 その後、残った友人と二人でしばらく話した後、二人ともしばしの睡眠をとる。 7時半くらいに、だいぶ前から熟睡していた私を車で拾ってくれた人が帰るというので、一緒に乗っけていってもらう。 長い、長い、今日の一日は、ようやく終わる。 驚きと、切なさと、笑いとがいっぱい混じった一日。 多分、もうこんな日は、ないかな。 - ひょっとしたら、の可能性 - 2001年03月23日(金) 今日「も」呑み会。 15日付で辞めた同僚も交えての、呑み会。 楽しかった。 いろいろ話ができて。いろいろ話が聞けて。 いつもはあまり飲みにいかないメンバーでの呑み会だから、余計楽しかったのかな。 呑み会の途中にかかってきた電話には驚いたのだけれど。 いつのまにか、私の新しい携帯が知られている。 誰から漏れたのかとか、そんなことはどうでもいいのだけれど。 ひょっとしたら、あの子に回っている可能性もあるのかもしれないということ。 でも、きっとかけてくることはないから、少し私は安心できる。 安心・・・? 多分。強がりも含めた、安心。 ちょっと、最近美化されてきている気もするな(笑)。 - 久々の楽しい呑み会 - 2001年03月22日(木) 今日は、仕事が終わってから、今月いっぱいで辞める同期と、いつも飲みに行く同僚、そしてお昼にはたまに行くけれど、あまり夜に飲みに行くことはない同僚の4人でのみにいきました。 不思議な、メンバーだったなあ。 本当はもう一人来るはずだったんだけど。 まあ、元を辿れば、私が一度飲んでみたい(まあ毎回飲んでいる人もいるけれど)社内でのお気に入りの人に声をかけてみたのだ。 で、結局今日のメンバーになったのだけれど。 楽しかったなあ。 すごく、楽しかった。 昼間、同期からとんでもなく落ち込んでいるメールが来てたから、ちょっと心配だったのだけれど、とても楽しそうだったから、一安心かな。 淋しいな。同期が辞めるのは。やっぱり。 多分、同期の中では一番いろいろ話していたから、よけいかもしれない。 淋しいな。 おなかがよじれるくらい、笑ったから、当分私は大丈夫。 ブルーは、当分とっておこう。 また、飲みにいきたいな。 - 自殺志願者と病人という構図 - 2001年03月21日(水) 今日は久々に5時ダッシュ。 といっても、遊びにいっていたわけじゃありません。 今度行こうかな、と思っている、ビジネススクールの説明会に行ってきたのです。 ま、説明を聞くまでもなく、行こうと思っていたのだけれど、念のため一応話を聞いてみただけです。 申し込みはその場でしちゃいました。 始まりは、4月末からだそう。楽しみだけど、なるべく仕事と重ならないように、祈っておこう・・・。 帰ってきてからテレビを見てました。 スマップの中居君司会の特番。 最初見たのは、チカンの被害者を装って金を巻き上げてギャンブルに使うという中学生の話。これは、ま、話すのも馬鹿らしい。 次に、自殺志願者の話。 多重人格者が出てた。 カメラの前で人格交代をしたり、精神科医の先生が解説したりしていたな。 その先生が、ある女の子の人格交代中にちらっと言った言葉。 「PTSDですね」 ん?PTSD? これは、確か、国際的な診断基準で「明瞭なストレスの存在」「夢やイメージとしてその出来事を繰り返し再体験」「外界への心の反応が麻痺」「以前にはなかった驚愕反応・睡眠障害・罪悪感・集中力の低下」・・・などが一ヶ月以上続き、生活に支障がある場合に初めてPTSDと診断されるはずなんだけど・・・ね? 今日初めて会った医者がぱっと診ただけじゃそんなのわかんないんじゃないのかなあ?しかも、この先生、PTSDを「トラウマ」と同じような意味で使ってた気が・・・。PTSDは、トラウマとは少し捉え方が違った気がするんだけど・・・。 しかも、この多重人格の少女は、元の人格に戻った後、かなり冷静にもう1人の自分について解説してたなあ。 ちなみにもう1人の人格は6歳なのだそう。 で、この6歳の人格が出てきているときに、この6歳の女の子が「私に押し付けて」「任せっきりで・・・」という言葉を話してたけれど、6歳の子が「押し付ける」とか「任せっきり」とか言う言葉を普通使うのかなあ? 元の人格がいくら17歳で、そのボギャブラリーがあるからといっても、6歳の子は自分を「6歳」だと思っているんだから、言動は6歳児のはず。 ??? 多重人格障害は、自分が多重人格だと認識させるまでに時間がかかるのだと、何かの本で読んだ気がするんだけれど。ちなみにテロップで、この少女はその後、同じ番組に出ていた精神科医の元に通っているとでていた。ということは、彼女は今まで診療を受けていなかったということかな。 だとしたら、診療を受けなくても、自分が多重人格だと認識し、しかも、彼女を出さないように闘っているということは、自己治療しているのでは・・・? まあ、専門じゃないので、分からないけれど。 ちょっと、「?」が多かったシーンでした。 で、結局これは最後に、現在のところ、治療方法がないとされている筋ジストロフィーに罹っている少年が出てくるのだけれど。 ちょっと、正直「またか」という気はした。 結局、「自分の意志とは反対に、死ぬしかない運命にいる人がいるんだよ。それなのに、貴方は自殺をするの?」と、「病人」を引き出すことで、「健常者」=「生きる」ことを正当化する方向に持っていこうとしているように感じたから。 病人「なのに」絶望せずに精一杯生きようとしている。 この、「なのに」がおかしいと私は思う。 「病人」だろうが「健常者」だろうが、生きてることには代わりないんだから、「健常者」の自殺志願者について考えるのであれば「健常者」で生きている人を持ってくればいいのではないのかな。 確かに、今回出ていた筋ジスの17歳の少年はかっこいいと思う。 だからこそ、「彼」を「自殺志願者」との比較としてみたくはなかったな。 ちょっと今日は、真面目な話、でした。 - 当たらぬも八卦 - 2001年03月20日(火) 今日は、またまた占いにいってきました。 メンバーは、いつものとおり。 占ってもらった先は、テレビや雑誌でよく取り上げられている占いやさん。しかし、以前私はここで同じ人に占ったもらったが、外れた。 今まで、あの子との相性占いを何人かの占い師にしてもらったけれど、唯一、ここだけが私とあの子は「付き合える」といったところ。 ま、はずれたけどね。 しかし、その時に一緒にいっていた私の友人は当たってたなあ。 今回、もちろん相性占いではなく、「恋愛運」を占ってもらう。 結果は、まあ中津の占いと同じようなことかな。 今年は、「始まり」の年。いろいろなことを始める年なのだそう。社会的にも、去年してきたことが認められるのも今年なのだそう。 で、恋愛も、去年まではあまり良くなかったけれど、今年からいい。結婚は28くらいで、6月に会う一つ上の人との可能性が高いそう。ふーん・・・。そっか。 ちなみに、前占ってもらったときは、28と一つ上というのは同じだったけれど、相手はもう出会っている人だったなあ(笑)。 私の性格は、頑固なのだそう。で、勘がよくて、判断力と行動力があるらしい。これは、前も言われた。 勘は、本当に良いのだそう。直感力があるんだって。 で、熱しやすく、冷めやすい。飽き性。持続性がないのだけれど、人間関係に情が移るとずるずるとそのままいく可能性もあるのだそう。 うーん・・・。当たっている・・・かな。 ちなみに、結婚している友人が占ってもらった旦那との相性は25%(爆笑)。私でも、あの子との相性は75%あったぞ・・・。 しかも、「お互いの努力と体の相性で持っている関係」なのだそう(これまた爆笑)。で、5月あたりに離婚の危機が訪れるんだぅて。 ま、占いは占い。当たるも八卦、当たらぬも八卦。 いいことだけ、信用しておこう。 - 天気が良かったから - 2001年03月19日(月) 朝、会社に行くと新しい席の配置になっていました。 以前よりも、ちょっと窮屈になった気がします。なれるまでに時間がかかりそうだ。 午前中は全然仕事になりませんでした。 片付けなどで。 午後からは、仕事らしいこともしたけれど、やっぱりあまり仕事になりません。 あまりにも、天気が良かったから、ということにしておこう。 仕事の後は、コンパ。 というよりも、呑み会かな。 まあ、それなりに楽しかった。 なんでかな。 呑み会なんかにいくと、楽しいけれど、あの子のことを思い出す。 まあ、そういう時に飲みにいく店があの子とよく歩いた一帯にあるからだけれど。 二人で遊んだゲームセンターや、初めて一緒にご飯を食べにいった店。 そして、最後に会って、別れた場所。 思い出して、また私は切なくなる。 忘れたと、もういいと思っているはずなのに。 やっぱり、ふとした瞬間に思い出して、何となく、ぼんやりと考えている。 あの時はこうだったな、とか、こんな話をしてたな、とか。 まだ吹っ切ってはいないのだと、こういう時に確認してしまう。 これは、未練なんだろうか? いつになったら、私は強がりでなく そんなときもあったよね って、笑えるのかな。 - 変わらないもの - 2001年03月18日(日) 忙しい一日でした。 昼イチで去年結婚した友人と、彼女の先輩で今は私の飲み友達になっている人と会いました。 会って何をしたかというと、別に何も(笑)。 車の中でうだうだと話しているうちに気付けば尼崎を通り過ぎて西宮。 車中の中の話は、友人の結婚生活や、彼らの大学時代の友達の近況、など。 ああ、やっぱりこの人たちに会うのは楽。 ボーッとできるし、なんだろう。とにかく、楽なのだ。 結局、私が6時からフェスティバルホールでコンサートがあるので、ホールまで車で送ってもらいました。 その間、したことといえば、西宮のロイヤルホストで遅い昼食を食べただけ(笑)。 まあ、明後日も同じメンバーで会うのだからいいけれど。 コンサートは、4月に結婚式を挙げる(入籍はしている)友人とそのお姉さんとKANのコンサートでした。 日本人のアーティストでは、チャゲアス以外の人のやつに行くのは初めてです。 KANは、小学校の時から好きです。 コンサートに行ったり、アルバムを必ず買うほどではないけれど、好きなアーティストの1人。 今回のコンサートは、全体的にあっさりしてました。 観客も、おとなしかった。KANのコンサートって、いつもあーなのかな? でもね、曲はやっぱりいい。 「まゆみ」「すべての悲しみにさよならするために」「Sunshine Of My Life」 「君が好き、胸が痛い」・・・。 けっこう知ってる曲があって嬉しかったな。 私的には「Song Wrighter」をして欲しかったのだけれど。 「愛は勝つ」もやった。あまり、この曲は好きな方ではないのだけれど、生で聞くと、やっぱりいいかな。 「心配ないからね 君の勇気が 誰かに届く 明日はきっとある どんなに困難で くじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」 そうだね。そうだといいな。 何となく、彼の曲を聞くと、励まされてる気がする。 だから、好きなんだろうな。いつになっても。 「I’m a Song Wrighter to the coming to my song 眠れぬ晩の思いつきで言葉が回らないのです ららららららら ららららららら ららららららら こんなメロディーはどう」 優しい言葉と、優しいメロディー。 KANの曲は、きっと彼がいくつになっても、変わらない気がする。 そして、私はいくつになってもきっと、彼が好きなんだと思う。 - 余裕 - 2001年03月17日(土) 今日は取材でした。 新しく立ち上げた学会(規模的にはまだ研究会という方が近いようですが)のプレ・イベント。 朝イチに講演したのは参議院の人。 今までの、ナースに関する法律や制度について説明し、自分がやってきたことや、ある協会を褒め称え(自分をバックアップしてくれてるからねえ)て終わるという、中身のない話でした。 「議員のわりに演説が下手だなあ」というのが率直な感想(笑)。 その後の講演は面白かったのだけれど。 今日はこの間入った新人クンを連れて行きました。 私と同じ歳の中途採用です。 彼は、とても真面目。言われたことをきちっとする。 でもすこし、遊びが足りないかな。 「遊び」というと聞こえが悪いけれど、言い換えれば「余裕」。 ちょっと周りを見渡してみる「余裕」。視線を壇上の後援者にだけ目をむけるのではなくて、会場や、参加者、その会の運営をしているスタッフを見渡す「余裕」。 まあ、初取材で緊張してるのだろうけれど。 彼は、どんな記事を書くのだろうか。 楽しみだな。 ところで今日の取材先のホールが、実は私が専門学校に行っていた時の先生の家の前でした(笑)。 ということで、先生にお会いしてきました。久しぶりに(といっても去年の10月くらいにお会いしてますが)。 先生はある新聞の社会部デスクをしていた人。引退後はあるグルメ雑誌の編集をしたり、町の町史を書いたりしてる。 この先生の知識の豊富さには圧倒される。学生の時から。 それは、今も変わらない。 私が行ったとき、先生の今の生徒が来ていた。 生徒といっても、私と一つしか変わらないらしい。 懐かしかったなあ。熱心に先生の話を聞いている様子は、二年ほど前の私を見ているようでした(笑)。 彼女の志望書と論文を見ました。 先生の話を理解してはいるし、かなり勉強しているなという気がするのだけれど、文章はそれに比例していないと思いました。 厳しいようだけど。言い換えれば、書き慣れていない。 文章にぎこちなさがあって、使っている表現も、どこかで聞いたことがある感じ。 知識はあるのだから、後は表現力と、他のものとつなげて話を発展させていく想像力があれば、とてもいいものがかける子ではないかと思いました。 もうすぐ始まる今年度の新聞社の採用試験に間に合うかはちょっと厳しい気もするなあ。 今日は楽しい一日でした。 取材は行くまではメンドクサイけれど、行くとやっぱりそれなりの収穫はあって楽しい。 来週も、取材が入るかもしれません。 - 投稿 - 2001年03月16日(金) 今日は上司はいないし、引越し(机の位置が移動するだけなんだけど)の準備でフロアが落ち着かず、結局あまり仕事をせずに終わりました。 しかし、ホント、うちの上司って、いないときに限ってクレームが来るのだ・・・。 まあ今日はクレームではないけれど。 雑誌に投稿してくれた人から「掲載の返事はいつ来るんですか?」という問い合わせなんだけれど。 そんなの、私が知りたい(笑)。 投稿は毎月載せるわけではなくて、ページ数が足りないときにまとめて掲載することもあるし、ページがぎりぎりでも、たとえばお世話になっている先生のプッシュがあれば優先的に掲載することもある。 仕方のないことかもしれないけれど、もし、自分が投稿をして、その返事を待っている身だと、今の状況ってあんまり嬉しくないなあ。 これも、二人体制の限界なのかもしれないけれど。 待ってる人への返事は早くしてあげた方が、いいと思うんだけどなあ。 明日は取材です。 この間入ったばかりの新人クンを連れて行きます。 - 淋しい春 - 2001年03月15日(木) 今日は、同じ部署から3人の人が辞める日でした。 一人は同じ課の人で、後の二人は、私が新入社員のときに同じ課だった人。 うちの会社はわりと人の出入りが激しく、退職する人への花束贈呈の時には結構あっけらかんとして終わることが多かった。 けれど、今日は違った。 退職する人も、それを見送る人も、どこかしんみりとした雰囲気が漂っていた。 その人たち(1人は短いけれど)の社歴が長いということもあるのだろうけれど、何よりもその人たちが周囲の人から慕われていたから。 私も、とても好きな人たちだった。 一人は、私が新入社員の時にうちの会社について説明してくれた人。だから、私が一番最初に名前を覚えた人。 もう一人は、私が「こういう風な仕事ができればいいな」ということをずっとやっていた人。 一番社歴が短い彼女は、いろいろとあるけれど、私がその人から教えられたことは多い。まさに、「人の振り見て我がふりなおせ」の見本のような人だった。 どの人とも、もっと一緒にいたかった。 もっと教えてほしいことはあった。一緒に取材に行ってみたかった。いろんな話も、もっとしたかった。 そして、夜は、今月いっぱいで辞める同期の送別会。 しかし、1人の同期は来れなかった。 来月、多分仕切り直しをするみたいだけれど。 色んなはなしをした。 やっぱり、「同期」って特別だと思う。 地域も、環境も、すべてが違って、単に同じ時期に入っただけなのに、仲良くなれる。何でも話せる気がする。 そして、お互いに助け合える。 今月は大好きな人がたくさん辞めていってしまう。 これから、暖かくなっていくのに、心の中は少し、淋しい春になる。 - 17歳 - 2001年03月14日(水) 朝、最寄り駅で電車を待っていたら高校生の子が急に目の前に来て「せんせい?」と私に向かって呼びかけた。 よくみると、その子は私が大学生の時に塾で教えていた生徒。 少し、幼さの残る目元はあまり変わってはいないけれど、詰め襟の制服を着て、短い髪を今風に散らしている様子は、もうすっかり「高校生」でした。 私のなかではまだ、中学生の頃のあの小生意気な「男の子」姿しかないのに、もう、すっかり落ち着いた「大人」になってました。 「もう4月から3年生やで」 という彼。 「勉強してる?」 というありきたりな私の質問に 「してるで。この間の試験、クラスで7番やったで。だいたい、それくらいやで。今」 と、ちょっと得意げに答えます。 「すごいやん」と私が言うと、嬉しそうに笑います。 彼は、私が持ったクラスでも一番の問題児でした。 私が受け持ったクラスは比較的、男子は大人しく、女子にははきはきとした子が多かったものの、全体的には「いい子」が多いクラスでした。 私が受け持った当初、その中で彼は一番勉強が遅れている子でした。 かといって、決して頭が悪いわけではなく、単にやらないだけだということはすぐに分かりました。 本人にやる気が出れば、こういう子は伸びるのだということは、私が中学生の頃から思っていたことでした(実際そういう子が周りにはたくさんいて、事実そういう子達がやる気を出すと、たちまちいつも勉強をしていること同じくらいの成績になっていたからです)。 しかし、その肝心の「やる気」を彼はなかなかもてません。 やる気がないから、授業中にしゃべる、他の子の邪魔をする・・・。 けれど、遅刻をしてくることはほとんどなかったのです。だから、決して「塾」や「勉強」が嫌いなわけではないのだと思っていました(嫌いなら遅れてくるし、こないだろうから)。 その彼に対して、私は私が教えた3年間の間にどれだけ怒ったでしょうか。 あまりにも私語がひどいときには「帰れ」と怒鳴ったし、消しゴムをちぎっては投げて遊ぶときには「塾に来る前に家でしつけられてから来い」と怒鳴ったこともあります。 授業中、彼はいないものとして、ずっと彼の存在を無視していたこともありました。 それでも彼は塾を辞めませんでした。 そして、少しずつ、私語が授業に対する質問になり、高校受験の時期にはトップクラスの成績になっていたのでした。 今、彼は勉強だけではなく、高校で陸上部に入っているそうです。 「がんばってんなあ」 というと「がんばってんで」 と返って来ました。 今でも私を「先生」と呼ぶ私の最初で最後の生徒たちは、今「17歳」です。 私が教えていた塾は中学生までだったので、彼らが卒業して以来、会っていない子達がほとんどだけれど、きっと彼らは大丈夫。 悩むことも、しんどさから回り道をすることもあるだろうけれど、それでもきっと、彼らは大丈夫。 何故かそんな気がするのです。 - 栄養元 - 2001年03月13日(火) 二日続けて3時間残業。 残業は、嫌いじゃない。もちろん、予定がある時は困るけれど。 それでも、人が少ないときに働くのはやっぱり集中できて好き。 今日は昼休み、電話当番だったのでお昼をずらして公園のベンチでひなたぼっこをしながら食べました。 まだ、風は冷たかったけれど、確実に日差し強くなってきていて、公園の横に咲いている花が春がすぐ近くにあることを教えてくれていました。 サンドイッチと、おにぎりをほお張って、残った時間は本を読んでいました。 暖かい日だまりの中で本を読むのは家で暖かい部屋に寝転がって読むのとはまた違う幸せがあります。 昼に外の空気を吸うと、午後からは元気が出ます。 いつもは眠たいおやつの時間帯も平気。 だから、残業もできちゃうんです。 明日からは平年通りの暖かい日になるそう。 できるだけ、日差しに当たろう。 柔らかい月の光も、まだ弱い春先の太陽の光も、今の私にとっては栄養元になる。 - まだまだ - 2001年03月12日(月) 今日は私が立てた初企画の打ち合わせ。 京都まで行ってきました。 この企画は、実はもう、去年からずっと言っていたもの。 何故のびのびになっていたかというと、「忙しい」にかこつけてあまり私が進めていなかったから・・・。 めんどくさい、というのもあったし、転職のことも考えていたから、よけい企画を進める気力がなかったのだ。 まあ、今年一年は続けるという覚悟は決めたのでようやく、企画を進める気になった。 お願いした先生は、私が去年取材で見つけてきた先生。 実は、助手の先生なんだけど、とてもいい先生だと私は思う。 日本での医療業界での序列は、純粋な実力主義ではないから、助手でも、助教授でも、良い先生はいる。逆に、教授でも「大丈夫か?」という人もいるのだけれど。 この先生は、きっといい先生だ。 と思った理由は、説明がとても分かりやすかったから。 講演会などを聞いていて思うのは、難しいことを聞き手に飽きさせずに、わかりやすく説明できる人がとても少ないということ。 もちろん、上手な話し手が必ずしも上手い書き手だとは限らないのだけれど、それでも、話し上手な人は、視点が違うのだと思う。 だからこそ、人に飽きさせない話ができるのではないかと思う。 だから、この先生にお願いすることにしたのだ。 とりあえず、先生に「面白い企画」だといってもらえたし、少しずつ、形にしていこう。 まだまだ、この仕事の知らない魅力は沢山ある。 まだまだ、経験したりないことだらけ。 まだ、大丈夫。 - 色 - 2001年03月11日(日) 今日は昼から友人と買い物。 買い物と言っても、果たして何を買いに行ったのか・・・。 会員しか入れない、卸の店に行き、ふらふら・・・。 去年から遊びすぎたのがたたったのか、今月はマジでピンチ。 なので、あまり買い物はしたくない(買いたくなるから)んだけれど、やっぱり、見ると欲しくなるものが・・・。 まず惹かれたのが中国茶器セット。 中国の茶器は、紅茶や日本茶のポットと違って、小さい。 大きな器に茶場を入れたポット(急須)を入れて、その上からどばどばとお湯を入れる。急須ごと、暖めてしまうのだ。 そのセットが、めちゃくちゃ可愛い。 ジャスミン茶セットも、すごいカワイイ。 あれも、これも、と目移りはするけれど、今私に余分なものを買う余裕はない・・・。でも欲しい・・・と迷った結果、耐熱ガラスでできた、透明の紅茶用ポットを買いました。 去年の私の誕生日に友達が同じく耐熱ガラスでできた透明のソーサーと、ティーカップのセットをくれたから。 それとお揃いのティーポットを買ったんです。 ブルーなときは、これにお気に入りの紅茶を入れて、ゆっくりしよう。 ほかには、パシュミナ風ストールを二枚と、チェーンベルト、そしてタンクトップ・・・。 欲しかったんだもーん。 まあいいか。 当分のむのを控えよう・・・と思ったら、今月は送別会やら呑み会の予定が・・・。あーあ・・・。 買い物が終わったら、地元に戻って、友達の車で夕食を食べに。 近くのイタリア料理店へ。初めて行ったけれど、結構ボリュームがあって、おいしかった。 で、その後は、友人の新居へ。 もう籍は入れているけれど、4月の式をめどに住み始めるのだそう。 新しい家は、家具も、食器もすべて新しくて、まだ全然生活感はない。 きっと、二人で住み始めるとすぐに、そこはきっと二人の色になっていくのだろうけれど、まだその新しい家に友人は少し、居心地が悪そうに見えた。 私が、誰かと住み始めるとき、どんな家具を置こうか。どんな色のカーテンやスリッパを揃えて、新しい生活を始めるのだろう。 少し、そんなことを考えて、そして後はいつも通り、カラオケへ行きました。 - 今日は寒いね - 2001年03月10日(土) 今日は久しぶりに、何も予定のないオフ。 ここ最近は、土日も含めて、あまりゆっくりしていなかったから(といっても週末の予定はほとんどが遊びだけれど・・・)久々に、ゆっくりしました。 何をやったか。 昨日、借りてきたCDを返しに、隣駅まで散歩がてら歩きました。 実は、歩くのは好きです。 昔は、あまり好きじゃなかった。 どれだけ近くても、自転車で行っていた。 でもいまは好き。時間があれば、たいてい歩く。 毎朝、駅まで歩ければいいのだけれど、朝が超苦手な私は歩くだけかかる早起きをすると言う芸当はできない。 まあ、駅までは歩けば15分の距離で、言えば朝それだけ早く起きればすむことなんだけど、朝の15分は貴重。 朝早く起きるためには夜を早く寝ればいいのだけれど、根っからの夜型の私は夜早くなることが難しい。夜になればなるほど、目が冴えてくるから。 睡眠障害なのかなあ(笑)。 話を歩くことに戻すと・・・。 最初に歩くのが楽しいと思ったのは、イギリスにいたとき。 2ヶ月ほどイギリスでのホームステイをしてたときのことでした。 初日、私は翌日から通う学校(ステイ先の家から徒歩約20分)まで下見に行っていました。ステイ先のマザーから渡された地図を片手に歩くこと約30分。 とっくに見えてきてもいい学校が見えてこない。 普通なら見知らぬ土地で、不安に思うところだろうが、のんきというか、若さと言うか、私は見る景色見る景色が珍しくて、「迷子」のこの状況をすっかり楽しんでいた。 さすが庭で有名なイギリスだけはあり、どの家の庭先もきちんと手入れが行き届いている。 そんな風景のなかにいる自分が楽しくて、ついつい迷子のままふらふらとし、目的の学校に着いたのはそれから2時間後・・・。おかげで初日にしてその界隈の道に詳しくなってしまった。 それ以来、日本でも極力歩くことにしている。 超ブルーなときは隣駅で降りて一駅分を歩く。 歩きながらいろんなことを考えて、というより、思い出す。 家に着く頃には、適度に疲れていてぐっすり眠れる。 これはなかなかいい方法だけれど、最近夜道が危険だと言う経験をしたため、当分はできないな。 残念。 今日は、昼間だったので、安全。 ここ最近通っていなかった通りを歩くと、新しい店ができていて、ひやかしながら歩く。 ほとんどの人が車や自転車で通りすぎていく中を歩くのはなんだかいい気分。 過ぎている時間が自分の周りだけ早送りになっているみたいで、楽しい。 帰りは、昔からある回転焼きの店で家族にお土産を買い、自分はほおばりながら歩く。 「今日は寒いね」 かなり歳を取ったおばあちゃんが私に回転焼きを渡しながらそう言った。 その後、ラジオで今日は春一番が吹いたことを私は知った。 - ソシキジン - 2001年03月09日(金) 今日は今月15日で退職する同僚の送別会。 当初、15人ほどだったけれど、結局仕事の都合などで集まったのは9人。 楽しかった。それなりに。 その人の退社には、いろいろ本人や周囲も含め、気持ちや義理なんかが絡まって、一悶着はあったけれど。 それでも、まあ終わり良ければすべてよし、という感じでしょうか。 大変なのは、本人も、周りも一緒。 会社のために個人がいるわけではないから、辞めるときに周囲が反対するのも変な話だけれど、辞めることにたいして罪悪感を感じるのも変な話。 それでも、今までの人間関係を考えると、よっぽどお互いが嫌いな人種ではない限り、すんなり、お互いが納得した形での退社、というのはうちの会社ではないのかもしれない。 やっぱり、会社って難しいなあ。 今の会社に入って思うこと。 知らずに視野を狭めている人が多いなあ、ということ。 自分がそうではないとは言いきれないけれど。 「自分とは異質」と言うことを認識して、その後「わかる人にだけ分かったらいいんじゃないの」と言う態度と、「何故そんな考えなんだろう」と考えて、その人に興味を持つ、もしくは話しかけていくという態度がある。 うちの会社では、前者の人が圧倒的に多い気がする。そして、そのくせ、人のことは気にして、裏で自分と同じ考えの人と話して安心する。 女性が多いゆえの体質なのかもしれない。 でも、男性でも、こういう人が多い気がする。 ある男性社員は「わかってるんですけどね」とはいうけれど、直そうとはしない。 「分かってるなら直せば?」 って私なら思うんだけれど。 そーゆーところ、見ててイライラする。口先だけで言っているのが分かるからよけいかもしれない。 いやならいやだと口にすればいい。それが言えないなら、態度には出すな。 相手に気を使ってもらって、それでも自分が一番しんどいと思っている。 「しんどい」と言う態度を出している限り、一番楽をしているのはあんただ、と私は思うけれど。 一番しんどいのは、そういう態度を出さずに、周囲に気を配る人。 新人が「社会人」になるのは、1年くらいじゃ無理なのかもしれない。 などと、思うところで、私はすでに「ソシキジン」なのかな。 - コーラだって恋のキューピッドになることはある - 2001年03月08日(木) 今日は一体何をしていたかなあ・・・。あ、もちろん、仕事はしたけれども。 最近は少し、生活が落ち着いてきたと思う。 相変わらず、家にいないことが多いけれど、何となく、以前よりも地に足がついている気がする(笑)。 今日は少し残業をして、友人とカラオケ。 いやあ、やっぱりストレス発散にはカラオケかな(笑)。 3時間半ほど、歌いっぱなし。 そういえば、中学の友人がまた一人結婚しました。 一昨日の夜だったかな。 夜中に急にメールが入って「入籍しました」。 まあ、結婚はするだろうと思っていたが、彼氏(今はもう旦那だけれど)が仕事の関係で東京に行くことになるかも、ということで「東京に行くなら結婚しない」と言っていた奴。 ま、奴等のきっかけがきっかけだから、誰もその言葉は信用してなかったけれど(笑)。 その友人は私の歴代の友人のなかでも「かなり変わっている」。 家庭環境は、多分話だけ聞けば「かなり不幸」な部類に入ると思う。けれど、彼女の家庭はいつも笑い声でいっぱいだった。 「不幸なように見えて実は幸せな家庭」ランキングなんてものがあったら、間違いなく上位になる家庭だろう。 ちなみに、その友人(仮にSとしておこう)が付き合い出したきっかけは「コーラ」。 Sと彼紙は、バイト先のコンビニで知り合った。 彼氏が先にSを好きになったらしいが、当のSは彼氏を「アウト・オブ・眼中」。 そこで、その彼氏はSと共通のバイト先の友人に相談。 この友人、実は彼氏のことを好きだったと言うから、なんてドラマのようなお話し。しかし、現実はドラマのようにフクザツにはならない。この友人は人が良かったのか、単に諦めが良かったのか、彼の恋愛相談にのってあげることになる。 しかもこの友人はその相談に乗っている状況(彼氏がSに話すきっかけだとか、遊びに誘う言葉だとかの相談)を逐一Sに報告(笑)。また、この彼氏、素直と言うか、単純というか、その友人からのアドバイス通りにSを誘う。「見ていて楽しかったわ」とは、Sの談。 さて、そんなこんなで時間が過ぎ、ある日のこと。 ある夏の日、その友人がSの家に遊びに来た。ちょうどSはのどが渇いていて、友人に前の自販機でコーラを買ってきてくれるように頼む。 と、その友人が一言。「買ってきたるから、あの子(彼氏のことね)と付き合いや」 普通の感覚なら「は?」と考えるだろうが、あまりにものどが渇いていたため、それほど深く考えずにうなずくのがS。さすが。 ということで、めでたく彼は念願のSと付き合うことになった。 しかし当のSはいわゆる、「コーラ」のために付き合うことにしただけ。「3ヶ月くらいで別れようと思っていた」らしい。 だが、さすがそんなSとつきあいたいと思うだけはある。何度かSがもちかける別れ話に「また後で、話そうや」とはぐらかす彼氏。 その間にSは別れ話のことを忘れ、延長になる。 ・・・ということが約9年続き、今回の結婚にいたったというわけ。 いやいや、人間何が縁になるか分からない。 コーラもまさか、自分が「天使のキューピッド」役になるとは思ってもみなかっただろう。 - 読む本がたくさんある - 2001年03月07日(水) 今日は特別変わったこともない一日でした。 強いて言えば、初めての連載企画を立ち上げようとしていること。 そのための企画書および、レイアウトを上司に出す期限が今日でした。 「企画」を考えることと、実際の形にするのは、まったく違う。と私は思う。 漠然としたものを形にするのに、とてつもない労力がいる。 特に、今回のような、専門的な連載では、私のような生半可な知識を持っているだけではかなり苦しい(笑)。 タイトル一つ考えるだけでも、そりゃもうたいへんさっ、という感じ。 今日の一番苦労したところは連載のタイトル。 いざ、タイトルをつけるとなると、全然浮かばない。 ということで、今日はお昼から書店へ。 もちろん、タイトルのためだけに行った訳ではございません。 最近出ている本のチェックも、あわせてやっちゃいます。 ちなみに、タイトルの付け方が一番勉強になるのは、参考書の類。 大学受験や高校受験の参考書もさることながら、就職試験用の参考書(というのかな)も結構、使える。 そして、最近はPC関連のマニュアル書なんかにも、結構いいタイトルがついていて、勉強になります。 さて、今回最近出て目に付いた本は、窪塚洋介の「聖邪の行進 幻想戯曲「解放軍」より四季のある楽園」と言う、なんだかよく分からないタイトル。 ちなみにこの窪塚洋介という人は、俳優。今はNHKのドラマに出ていたはず。 何が気に入ったか? それは表紙と中のレイアウト。 この本には白とブルーの二色しか使われていない。 白の表紙にはブルーの白抜き文字。帯も当然、白にブルーの文字。 中も白い上にブルーの文字。 内容は、小説と言うよりも詩集に近いもの。 まだ全部は読んでいないけれど。 この本の中身と言うよりも、全体の装丁を気に入った、という感じ。 他にも、今日は2冊の本を買った。 読む本はたまっているのだけれど、私の悪い癖。 読む本はあるくせに、たくさんの本に囲まれたくて、まだ読む本が沢山あるうちに本を買いだめしてしまう。 「読む本がたくさんある」 その状況が、私の一番の幸せ。 - 本に囲まれるということ - 2001年03月06日(火) 今日は午前中は図書館へ。 昨日の青焼きで見つけたどうしても気になるところを調べたくて、府立の中央図書館へ。 おかげで、いつもよりもたくさん眠れました(笑)。 図書館は、好き。 書店も、古本屋も、「本」を置いてある場所は、好き。 図書館に行くと、本たちに「読んで」っていわれている気がする。 どれもこれもが、面白そうに見えて、私が図書館に行くといつも借りすぎてしまう。 それは、小さい頃近所に来た移動図書館のときと変わらない。 本当は月に二度ほど移動図書館が来るのだけれど、小さい私には「間隔」と言う概念がなくて、どれもこれも面白そうに見えていつも借りられる本のぎりぎりの冊数を借りてしまう。そして、そのすべてを、次の移動図書館が来る日までに読み切ってしまう。 小さい頃の私は、好奇心の固まりだったんだろうなあ。 もちろん、今でも人よりは好奇心は強いけれど。 本に囲まれている私は、多分とても幸せそうだと思う。 たとえそれが普段は自分の興味のない分野であったとしても。 本棚に、並べられている本の背表紙に書かれてあるタイトルを一つずつ確認する。 この時、どのタイトルも面白そうに見える。 だから、私が借りる本を選ぶのはとても時間がかかる。 無性に、本が読みたくなるときがある。 それは、ココロがとても敏感になっているとき。 そういう時、私は人にはあまり会いたくなくなる。人に会う時間を、本と向き合う時間に割きたくなる。 本は、結局「人」が書いた言葉の集まりなのに、自分が疲れているとき、私は「人」ではなくその結果としての「本」に会いたくなる。 きっとそれは、「人」からたくさん傷付けられでも、それでも嫌いになれない私の心理状態なんだと思う。 だからこそ、この仕事を選んだのだと思う。 大好きで、大嫌いな「人」。 「人」の面白さについて、最近ようやく私は見え出した気がする。 たくさん、人に会おう。 たくさん、傷つこう。 そして、たくさん、笑えるようになろう。 - イマサラ - 2001年03月05日(月) 今日は青焼きの日。 今回の特集はイレギュラーのレイアウトだったものだから、もう大変。 しかも、著者校正に送った後も、プランナーへの確認、プランナーからチェックが入ったものの著者への確認・・・。 もう、いいかげんにしてくれ って状態だった。 まあ、無事終了。バンザーイ、って感じ。 今日のお昼は同期と久々に食べに行きました。 この同期は3月末で辞めてしまいます。もう後、1ヶ月もありません。 今日のお昼は、いつもの話題。 彼は、とても今しんどそう。あの子のように、「しんどいよ」というのを誰かに言って、寄りかかろうとするタイプなら、きっとここまで思いつめることも、ないのかもしれないと思う。 「どうしようもないことを人に話してもどうしようもない」 と彼は思っているから、誰かに寄りかかろうとしない。 とても、それは潔くて、強そうに見えるのだけれど。それでも、しんどいときは少しくらい、寄りかかってもいいんだよと、言ってあげたくなる。 言っても、彼はしないだろうけれど。 で、その「人によりかかりたがる彼」ですが、メールにいつも書いてくる「自分が見つけたやりたいこと」について、私が触れないものだから、「それは何?」って尋ねないものだから、とうとうしびれを切らしたのか、自分から書いてきました。 私があの子に送ってあげたファックスのお礼、というかたちで、その事に触れて書いてきていました。 それが、先週の木曜日。 彼が以前言っていたことがある「どうして、自分でしんどい方へしんどい方へ進んでいくのかはわからないけれど、それが自分なんだからしょうがない」と。 けれど、私から見たらそれは「夢を見ながら霧の中を歩いている状態」にしか、見えない。 夢を追うのが悪いとは言わない。 それが、本当に自分がしたいことなら、それをするために今あるものから抜け出そうとする彼はすごいと思う。 「自分がしたいこと」と言うのは、現時点の彼にとっては本当なんだと思う。 しかし、前にも書いたかもしれないけれど、彼は周囲の影響を多大に受けていた気がする。 なんて表現をしたらいいのかはわからないけれど。 彼の友人や、自分が見て「羨ましい」と思っていることをしている人の生活形態に自分の「夢」をくっつけた。 そんな感じがする。 もちろん、本当に自分がしたかったことなのかもしれない。 そして、自分がしたいことを、私に知らせてくる。 彼にとっては「友達」として知らせてきているのだとは思うけれど。 それは、少し、デリカシーがないことなのではないかな? 君がしたいこと、やりたいことを、私に知らせてどうするの? 今更、私にどうしろと? 今更、私に「がんばって」と言ってほしいの? 私は、君のすることに反対はしない。 けれど、君が言って欲しいだろう言葉も、言ってあげない。 それこそ、今更、だよ。 私から何が聞きたいの。 私が君のことに反対しないのは、賛成しているからじゃないんだよ。 もう、興味がないの。 私には関係のない人だから。 それすら、君には分かってないんだろうね。 - 魚料理 - 2001年03月04日(日) 温泉オフ二日目です。 本日の予定は本来なら、鳥取砂丘に行く予定でしたが、天候不順のため、その場その場で予定が変更・・・。まあ、臨機応変ということで。 宿を出てまず向かったのは境港。 ここは「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な水木しげるさんの出身地と言うこともあり、「妖怪ロード」なるものがある。 宿のあった倉吉から特急で米子まで。米子からワンマン電車に乗り境港まで行きました。 このワンマン電車、外装も、内装も「ゲゲゲの鬼太郎」のイラストだらけ。 全面のライトには目玉おやじになっており、窓には一反もめん・・・。 なかなか観光客には楽しいが、あれを毎日使うとなると考えるなー。 しかし、このワンマン電車に乗っているときから天候は荒れ模様。着いた頃には横殴りの風と雪まじりの雨・・・。 とにかく、駅前から「妖怪ロード」(道のあちらこちらに妖怪の小さい銅像がある)を行ってすぐ引き返し(笑)、近くの食事処へ。 しかし、ここの食事処、味も、ボリュームもそこそこなわりに、高かったと思う。 店の人はいい人だったけれど。 天候が大荒れ、ということもあり、駅の横にあるフェリー乗り場も兼ねている待合室、というか、観光ビルの中で待つこと小一時間。 一体何しに境港に行ったのだろう・・・笑。 今度はゆっくりきたいなあ。 境港を出、次の目的地は鳥取。 行きと同じ「鬼太郎電車」に乗って、米子、そして鳥取へ。 鳥取では電車の関係もあり、駅の近くの居酒屋のようなところで夕食。 ここは、はっきり言って、すべてうまかった。 特に気に入ったのは、いいだこのワサビ漬。 皆も気に入ったようで、4,5個は頼んだなー。 魚も絶品。エイヒレのから揚げも、カマスの塩焼きも旨かったが、最高にうまかったのが太刀魚の塩焼き。 太刀魚って、家でも食べるけれど、あまり外では食べない(そもそも魚料理をあまり食べない)。しかし、ここの太刀魚は脂がのっていて、めちゃうま。 この店、もっかい来たいなあ。 ということで、案の定、最後は皆さん電車の中で爆睡。 おつかれさまでした。 帰って、あの子にメールの返信をしました。 それについては、また明日。 - 温泉オフ - 2001年03月03日(土) 今日から、温泉です。 今年は、温泉づいてます。 1月、2月、3月と、一月に一度は温泉に行っています。 今回は、鳥取県。 前回は会社の同僚とだったけれど、今回は、会社の同僚が管理しているホームページ仲間のオフ会。 初めて会う人は、今回は一人。他の人は何度かいままでのオフ会でお会いしているので、特別緊張することはない。 今回の旅行はすべて幹事さんに手配をしてもらい、とても楽でした。 ありがとう幹事さん。 鳥取県の三朝温泉が今回の目的地。はっきり言って、今まで行ったどの温泉旅館よりも、立派だったかも(笑)。 露天風呂も、内風呂から少し歩かなきゃいけないのは難点だけれど、風情だっぷりで、満足。 お楽しみの食事も、これでもかと言うくらいのかに料理。刺し身もうますぎ。 夜は、「アンバランス」と言うまあぐらぐらゲームみたいなもので密かに盛り上がり。 負けると変装しなければならないという特典付き(笑)。 変なおじさんやら、十円はげやら、たらこ唇やら、大仏やら、いろいろ・・・。いやー笑った。 参加者はデジカメを持ってる人が何人かいて、ちょっと羨ましかった。 あまり、今までデジカメには興味がなかったしなー。でも、電池をくうのがやっぱり私としては今のところネックかな。 もう少し、スタミナが持つようになったら、考えよう。 まあ、そんなこんなで、温泉オフ会二日目に突入です。 - 勉強会もしくはお別れ会 - 2001年03月02日(金) 今日は入社2年目以内(中途採用含む)の人たちと勉強会。 それぞれが書いた記事を持ちよって、まあ品評会のようなものかな。 こういうの、結構面白くて私は好き。 「これが正しい」っていうのではなくて、「私は、こう思う」っていうのがそれぞれあって、それを聞くのが楽しい。 いろいろな人の意見を聞いて、「こういう意見もあるんだ」って思うのはとてもいいことだと思う。 それに、記事はどうしても同じ編集部内で回し読みしても、スタッフは上から直されても、チーフクラスになると、なかなか直されることってないし。(私はスタッフなので、まだ直されることがありますが) 記事って、その人らしさが出る反面、その人の癖も出る。だから、なかなか自分の癖には気付かなかったりする。 「人に言われるのが嫌」って人もいるだろうけれど、でも記事って結局「人に読ませるために書く」ものだと思うから、いつもではないにしろ、こういうことをたまにして、「身近な人からの評価」を受けるのも、いいことなんじゃないかなと思う。 で、結果はとても楽しい勉強会になりました。 しかも、特別ゲストまで(密かに)司会者は用意してくれていて(笑)。 その人は、私が入社して初めて、「すごいな」と思った人。 「こういう風な本作りがしてみたい」と思った人。 まだ、足元にも及ばないけれど。そして、近くで仕事をすることなく、その人は今月やめてしまうのだけれど。 その人が入って、記事の話、編集の話、ネタをどこから拾ってくるかという話、そして、体制の話、など、やっぱり、「長くその仕事をしている人」だからこその意見が聞けた。 次の会社でも、がんばって欲しい。 いつか、「編集者です」って言えるくらいに私がなったら、またお会いしたいな。 入社した頃は、私はその人に結構話を聞きにいった。 いろいろからかわれたりもしたけれど。 今となっては、それも楽しい想い出だなあ。 ちなみに、勉強会で、今年入った新人君は「自分は編集者です」って胸を張れるようになりたい。って言っていた。 「編集者とは?」 って、あまり当の編集者って考えなんじゃないかなと思う。 うちのような、「編集者」なんだか「オペレータ」なのかわからないという会社にいる人の方が「編集者って何だろう」って考えるような気がする。 だって、たとえば、自分が「自分」だと言うことを「自分って何だろう」って考えることって、ほとんどないから。もちろん、他者との関わりの上でそう考えることもあるだろうけれど。日常生活で、「こうしたら自分じゃないのか」なんて、考えない。 それは、考えなくても、「自分」が「自分」であることを知っているからだと思う。 同じように、「編集者」は、自分で「編集者って何かな」って考えなくなったら、ひょっとしたら「編集者」になっているのかもしれないと思う。 - 笑える強さ - 2001年03月01日(木) 今日はなんと五時半に会社を出ました。 やればできるじゃん。 まあ、上司がもっとはやくに帰ったのと、午後から私は今度の連載の内容を考えていたため、それほどせっぱ詰まった仕事がなかったからだけれど。 早く帰ったのは、今度結婚する友人に会うため。 この間頼まれた退社のお報せのはがきができあがったから、彼女に渡すために会ったのだ。 ま、渡すだけなら別にそんなに早くなくてもいいんだけれど。 彼女と会うと、もう、やることは決まっている。 「カラオケ」か「ファミレスでおしゃべり」 今日は後者。 駅まで車で迎えに来てもらい、その後はファミレスへ。 そのファミレスでは「アメリカン・フェア」なるものをやっており、「あんまり食べないでおこう」と思っていた私はメニューの「バーベキュー・ジャンバラヤ」なるものに強烈に惹かれてしまう・・・。 食後には、「ティラミスパフェ」 ん?「あんまり食べないでおこう」と思ったのは気のせい・・・? 3時間くらい、ファミレスでしゃべっていたかな。 結婚(実際はもう入籍はしているが)準備のこと、映画のこと、テレビのこと、最近の芸能ニュースのこと。 さすが(?)美容師。最近の芸能ニュースには強い。 しばらくしゃべって、その後彼女が「ボーリングに行きたい」と言うので、近くのボーリング場へ。 ボーリングはもともとソフトボールでピッチャーをしていたせいもあり、得意な方だけれど、今日はちょっと調子が今一つ。 2ゲームして、最初は109. ちなみに、このボーリング場では「100ポイントフェア」というのをやっており、スコアが100ちょうどであれば、福袋がもらえるらしい。9投目を終わって私のスコアは98. 「100狙ってみよっか〜」 といった私は両サイドのピンを一本ずつ倒して、はい、100ちょうど。 清算時にもらった福袋には、「蜂蜜檸檬」のキャラクターに出てきそうなみつばち(多分)のぬいぐるみ。まあ、それなりに可愛いのかも。 ちなみに友人は意外とボーリングはうまい。 1ゲームめこそ、104と私よりも低かったものの、2ゲームでは、ダブルを2回、スペアを4回。その他もハイスコアで、終わってみると179・・・。 男でもそんなスコア見たことないぞ。 2ゲームが終わる頃には二人ともぐったりしてた(笑)。 いい運動だったなあ。まあ、今日夜食べた分ほどは運動していないだろうけれど。 楽しかった。 彼女とは結構社会人になってから遊んだから、結婚したらもうこんな風には遊べなくなるんだなあ。 彼女は綺麗になった。 結婚が決まったせいもあるのかもしれないけれど、結婚するしないでいろいろとごたごたがあったのがすべて安心に変わったからかもしれない。 いいな、と思う。 あんなふうに、幸せそうに笑えるのは。 私は別に特に結婚願望はないけれど。 自分が好きな人と、ずっと一緒にいられるというのは、羨ましいと思う。 幸せそうに見える彼女が、今まで苦労をしてこなかったかというと、決してそんなことはない。 本当に、大変なときもあった。辛そうなときも、見てきた。 だからこそ、今笑える彼女がとても強く見える。 がんばれ。 あんなに、しんどかったときを乗り越えたんだから、きっと君は幸せになるよ。 君の一番の武器は「信じること」 どんな時も、自分がしんどいときも、ずっと相手を信じていた。 だから、今の君は笑えるんだよ。 それは、私にはない強さだから。 がんばれ。 そして、おめでとう。 -
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