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diary of teo sylvania

2001年12月31日(月)

いつも、プロローグ。

ついに、2回目のバンクーバーでの年末を過ごす事になる。

この一年、ほとんどをこの地、バンクーバーで過ごした。
俺の何かが変わったかと言うと、基本的な所は変わっていないだろう。
相変わらず、誰も本気で好きになれずにいる。

今年は、俺にとっていい年だったのかときかれたら、俺はこうこたえるだろう。

何時だって昔がよかったとは思いたくはない。いまは、前よりはいいと信じている。
たとえ、大金を失おうと、大切な人がいなかろうと、
新しい事、人を見つけられる自分がまだいる事は、昔よりはいい事だとおもう。


自分は、自分自身、周りを変える事ができるし、そのために何かを捜し求める事ができる。
それを失ったとき、人は本当の不幸に落ちるような気がする。

いま、誰かを幸せにしてあげている感触を実感していないが、それに向かって何かを探しもとめている変えようとしている自分がいる事は、まだベターなのだと信じたい。


もうすぐ、30歳となる。まだまだ、序章、、。


2001年12月30日(日)

宣言 その2

会社に俺が退職すると口頭で伝えたのは、1999年年末。

わすれもしない忘年会。

みんな店長も課長も、係長も、先輩、後輩みんな酔っ払い。
そろそろ締めくくり時、幹事であった俺が一言述べる事になった。

来年の抱負、、、。

「カナダに行くぞ!!」

と叫んだ。


その翌日、店長に、口頭で2000年4月で退職を希望したいと伝える。
もちろん、この時、俺がカナダにわたる事を初めて店長知る。
「覚えていないって、昨日の事は、、」

忘年会の前にも、何人かの同僚は知っていたが、公然の秘密だったが、この忘年会でこの秘密が解禁された。


それから2日後。

ちょっとした用事で、会社の保険事業部に電話する。昔俺と同じ店にいた課長が、
「おう、なべか、何やら金髪のねーちゃんとこいくって?」

さらに。昔の上司で、別の部品販売会社の常務をしていた方から店に電話があった。
「なべちゃん、何やら、アメリカに行くらしいのぉ。」

俺の周りは、アメリカもカナダも一緒と考えている人らが多い。

どっちにしろ、年が明けるまでには、会社のほとんどの人らが、俺がカナダに行く為に会社を辞める事を知っていた。
俺は思っていた以上に有名人だったらしい。会社の中では、、。


2001年12月29日(土)

決意

海外で働くと決めて、色々本を読んで(本屋での立ち読み)調べてみる。

口では簡単に言うが、すごく難しい事を発見する。

その国の労働許可証、その人の職業スキル、さまざまな事が要求される。
俺が持っている車の営業スキルだけでは、ほとんどといって無理に等しい感じだった。

そのうち、ワーキングホリデープログラムを言うのを発見する。
その国に、一年間だけ、働きながら観光ができると言うプログラム。
許可証発給には、個人のスキルは要求されない。
それは、現地に行ってみての自分の力次第。
オーストラリア、カナダ、ニュージーランド3カ国で、実施(当時)

なんでこんなプログラムがあるのを今まで知らなかったんだろう、、。
めちゃくちゃ今の自分にはまっているものじゃないか、、。

オーストラリアなんか、めちゃくちゃいいじゃん、、、、。
と思い、応募条件を調べる。

「年齢25歳まで」(いま、30歳までになっている)

いかん年齢オーバーだ。
しかし、カナダ、ニュージーランドは、30歳まで大丈夫。

当時カナダのワーキングホリデープログラムの応募期間が限定されていたので、
今から計画立てても、1999年の貼る申込みの、2000年出発。出発まで一年以上も俟たないといけなかった。(現在は、出発の2ヶ月前に申込みとなっている)。
それが俺に、資金とか色々な面での準備をするとのに十分余裕があたえてくれることに注目した。

1999年の年明けには、2000年6月頃に、カナダに行こうと決めていた。

俺がカナダで何を得るのか、、何を見つけるのか、、。さっぱり分らないなか、みんなと違う道を歩む。友達は、どんどん結婚し家庭を作る中、旅に出ようとしている。
ほんとにどん底に落ちるかもしれない。何も得ないかもしれない。そんな不安がいっぱいの中での決意だった。
それから冬が過ぎ、(この時、何人かの友達には俺がカナダに行く事を暗示している。2000年12月30日の日記に少し述べている。)
1999年春、カナダ大使館に申請書取り寄せに応募する。
1999年5月 申請書を手に入れる。
1999年8月 申請書を記入の上、カナダ大使館に送付する。
2000年3月 ワーキングホリデー許可証が手元に届く。
2000年6月4日 カナダに出発する。

実際の所、この決意、出発までに一回、揺らいでいます。
1999年5月から8月下旬頃まで、、、。
いずれ、この事を述べます。


2001年12月28日(金)

伊達と酔狂

昨日の日記の続き。

英語を学びたい!!という欲求が沸き上がって、一人暮らし計画と同時に、英会話学校に行こうとい事も試みてみようとなった。

しかし、当時働いている会社で、仕事帰りに英会話なんて、ほとんど無理に等しかった。さらに、結構、英会話学校の授業料が高い。

途方に暮れいていた頃、、。

とある先輩の言葉、思い出した。
実際に外国語を学ぶんだったら、その国にいって住んだ方が早い。

今の会社で、時間に追われ、余暇を楽しむ余裕がない。
しかも、一人暮らしをしたら、かなりのお金を使う環境。
かなり過酷な環境。
更に今の食を続けても、営業以外で、何かスキルがつくかと言うとつくわけでもない。
昇進も今の段階だと難しいだろう。
会社の給料体勢も大きく変化して、給料が上がる事も難しい。(営業目標が異様に高くなった)

地元企業も、グローバルスタンダード、世界に通用する会社作りをしはじめるようになった。
(フォードがマツダの経営権を握ったのが強い影響を受けている)

しかも、孤独、、。
(この時、1998年のクリスマスがちかづいていた。)
孤独という事は、支えられる事もないが、守るべきものもいないことだ。
自分が、今の場を離れても不幸になる人はいない。
自分の今までの積み重ねの全てを失っても、それは自分自身意外のほかのものには影響しない。また、まだ、新たに積み上げる機会ある。

それに自分自身の変化を求めている。
どうせ自分自身が変わるための何かをするのなら、何かを見付けるのなら、
いっそのこと、みんなに驚かせる事をしよう!!

広島国際プラザにいる留学生は、母国をはなれて、はるばる日本にやってきた。
かれらは、自分自身の為、家族の為、彼らの母国の為、いろんな理由の為にやってきて、片言の日本語で何とか広島で生活している。
何かを、この日本で見つけようとしている。

彼らができるのに、なぜ、俺に出来ないといえる。

"伊達と酔狂"に生きてみよう。

6年以上勤めている会社を辞めて、日本をはなれ、海外でほそぼそと仕事(バイト)をもち、外国語を学ぶ。

この時点、この事で頭がいっぱいだった。


2001年12月27日(木)

もう一つの要因

昨日の日記の続き。

一人暮らし計画いったん止めたとはいえ、まだ、寮を出たい欲求はくすぶっていた。

そうこうしているうちに、とある飲み会に誘われ、そこで、広島国際プラザで働いている人らと知り合う事になる。
その子らと交流を持つ事によって、そこのセンターを利用する海外からの留学生とちょくちょくと遊びに行く事が増えた。
片言の英語、日本語で会話をしていった。

その年の11月、会社の業績褒賞で、ハワイに行ける事になる。
で、そのハワイで何をしたかって言うと、

ショッピングセンターには、よく行ったが、ほとんど買い物せず。
免税店でも、お土産をちょろっと。
観光も、ちらほら。
時間が空いたときは、カフェでコーヒーを。
ホテルのベンチで、本を読む。
プールサイドでも、本を読む。

ま、こんなのんびりした1週間をハワイで過ごした。

しかし、ここでカナダのワーキングホリデーに行こうと思ったきっかけにであう事になる。
一つは、タクシーの運転手。
ハナウマビーチ(魚がよく見える所)にいった帰りのとき、タクシーの運転手の話を聞く。昔ベトナムからの難民で、色々苦労してハワイでタクシーの運転手をしているとか。片言の英語だったが、少ししかわからなかった。

もう一つは、プールサイド。

二日酔いを覚ます為、プールサイドで読書をしていたら、いきなりのスコールに出合う。
それは困ったとおもい、プールサイドのバーで雨宿りをする事になる。
他のお客も、いっせいにそのバーに集まる。日本人が俺一人。
すると一組の老夫婦が、やってきて席を探していた。
ちょうど、俺の両席が開いて会ったので、俺が席をずらしその老夫婦をよんだ。
その老夫婦は喜んでくれて、更に色々俺に話し掛けてくれた。
しかし、俺の英会話では、彼らは、テキサスから来たしかわからなかった。
自然に会話が止まった。
カクテルをいっぱい飲みおわると、俺は席を立とうとした。
すると、その老夫婦に握手をもとめられた。おそらく感謝の言葉をかけてくれたのだろう。でも、おれにはさっぱり分らなかった。

ここで、英語を喋るようになりたいと言う欲求が生まれてくる。もし、英語が喋れたら、当時、色々遊んでいた留学生とももっと遊べただろうし、あのハワイでであった老夫婦とももっと会話ができただろうなと、思うようになった。


続く、、



2001年12月26日(水)

変化

今日は、ボクシングディ。街は、セールスで人混みごった返し。

以前から欲しいとおもっていたジャケットをねらって、ロブソンストリートにくりだした。
その目当てのジャケットもぴったしサイズもあり、しかも、値段が以前より半額になっている。
これは、買い時と思っていたが、なんか、着てみてもしっくり来ない。

結局、止めた。

他にも、靴とか時計とか買おうとおもっていたが、買いとどまってしまった。

この日買ったものは、35ドルのシャツだけ。(元値は75ドル)

さて、話は、昨日の続き。

自分を見詰め直す為、何かを変えようとしてしまう。

変化を求めたくなったら、どうしても住まいまで変えようとおもいたくなる。

この時、会社の寮に住んでいた。光熱費込でたったの5000円。
ほとんど、一人部屋。冷暖房付き。
人が見れば、すごく羨ましがる環境だが、実際は古い家族用のアパートを、もう一人の社員と住むような感じ。もう一人の社員と台所、風呂を共同使用するような。今の生活とあまり変わらないようなルームメイトがいたのだ。
すごく経済的だったが、通勤距離も、片道25km。ここは、寮から出て一人で住む事にしようとおもいたった。

で、その時勤めていた店の近く、東広島市市内に住もうとおもって、色々調べる。
調べていくうちに、家賃4、5万。電気代5000円くらい。水道代、ガス代、、駐車場代、、、。
しかも、会社からそういったための手当ては一切でないし、通勤距離が近くなる為、通勤手当が、ほとんどないような感じなる。

さらに、広島市内から、程遠くなってしまう。映画館に行くのに、偉い時間がかかる。

これじゃ、ぎりぎりの生活になってしまう。


結局、見送りである。

なんか、今日のボクシンディの買い物に似ているような、、。




2001年12月25日(火)

きっかけ

今日は、クリスマス。またもや、相変わらず朝から暇。

去年も述べたが、この日はほとんどといっていいほど、お店は休み。

ちらほらとカフェも開いているのだが、人でごった返しているので、ゆっくり出来ない。
結局、バス停の椅子でスターバックスのコーヒーをすすっていた。

一年以上カナダでこの日記を続けているが、
一つも、なぜ、俺がカナダにいるのか一つも述べていない。

というわけで、これを機に、少しずつ述べて以降と思う。


一番、最初のきっかけは、

1998年の冬、とある女の子に振られたから。





27歳になって、こんな理由で6年間(当時)勤めていた会社を辞めるほどの決意をしたのかと言うと、ばかげているだろうとおもわれるだろうが、

事実である。

しかしながら、これが直接、カナダ、ワーキングホリデーに行くと決めたわけではない。
ほんのきっかけである。

この振られた件を人に相談したら、「縁がなかったのよ」 と言ってくれる。
「運命や縁で人を好きになるんじゃない。自分自身の意志で人を好きになるんだ。」と思っていたので、この励ましはうれしくなかった。
だけど、ある事を気づかせてくれたのも事実である。

今までまともに女の子と付き合ったことがないのは、運や縁のせいでないのなら、相手との相性が合っていなかっただけでないとしたら? と、すると、俺自身に人として何かがものすごく欠けているのが最大の理由じゃないか。と気づいた。

自分自身で、人間としての欠落を認めると言うのは、すごく、衝撃的な事だった。

じゃ、どうする?

それを見つけて、修正する。

これが、これ以降の自分自身のテーマになった。



2001年12月24日(月)

プロローグ

結局、何も予定がないクリスマスイブ。

夜、あまりの暇に耐え切れず、また、外に飛び出してしまった。
市内で一番大きい教会に訪れた。

2年前も同じように、寂しくクリスマスを過ごすことに耐え切れずに、夜中に広島の街を飛び出し、何かを見付けにクリスマスの本場、教会に走った。

バラードストリート、ネルソンストリートの角にある教会は、おそらく、バンクーバーで一番大きい教会だとおもう。石煉瓦で囲まれてひっそりとしてる。芸術的に歴史的に感動性は薄いとおもうが、立派な教会である。

礼拝堂の入り口では、ボランティアのおじいさんが優しく「メリークリスマス」といって、パンフレットを渡してくれる。

礼拝堂の中は、満席に近かった。
夜の11時、クリスマスイブの礼拝は始まった。
教会の礼拝堂に響く合唱団のキャロル。尊厳よくかがやく十字架とイエスキリストとか、マリアの像。200人以上の市民が、静かに朗読に耳を傾けていた。
朗読とキャロルで、イエスキリストの誕生の物語が語られていった。

いつしか、家族でクリスマスを過ごす事を忘れ、しかも、日本みたいにクリスマスイブは恋人と過ごすと言う事をしたことがない、俺がここにいた。
孤独と言う事をひしひしと感じて、自分自身を振り返ってみた。日本にいたときも孤独だったけど、ここに来ても孤独を感じる。

何かを変えないといけない、そして、何かを見つけないといけない。

でも、いくら教会に行っても神様や、イエス様や、マリア様は何もも与えてくれない事は、分かったいる。それらは、結局自分でやらないと行けない。

ただ、そんな事を考えさせるには、教会は、程よい空間だった。
教会は、ただ、人々に安らぎを与える所。
2年前、俺に祝福の一言をかけてくれた神父さんの笑顔。ものすごく、人を幸せにさせる円満な笑みだった。
それを見たとき、一つの答は出ていたのだ。

自分の孤独から逃れる事は、誰かに幸せを与える事。

結局、俺はそれを求めているができていない。


2001年12月23日(日)

一日、、

朝起きて、バスルーム掃除。
ちょろと朝食(トーストが主)。
友達と電話。
昼から3時ごろまで、街をぶらぶら。
4時ごろまで、スターバックスでコーヒーを飲みながら外のテーブルで読書。
(今日は天気がよかったので、オープンカフェ日より。)
雑貨品買い物。フューズ、食パン。
洗濯。
昼寝。(ほとんど夜)
起きて、洗濯物たたみ。9時ごろ。
シャワー浴びる。
英語ボキャブラリーの勉強。
メール確認。
夕食を作って食べる。(チャーハン)

で、いまから読書の為、カフェに、、。(夜中)

これが、俺の超暇で予定がない一日の出来事。

ちなみに、日本での暇な日の行動。
朝起きて、風呂掃除。
ちょろっと朝飯。(だいたいトースト、昨日の凝り)。
街へ降りる。
そして、うろうろウィンドーショッピング。
3時ごろから、カフェで読書。
(面白いのがあれば映画を見る)
夕方になると、家に戻る。
その途中で、コンビニで惣菜を買う。
洗濯をしながら、ご飯を作って食べる。
風呂に入る。
インターネットをして、友達に電話か、コンビニに立ち読みに。
読みたいのがおわったら、野菜ジュースを買って帰って寝る。



、、、、日本にいたときとほとんどかわらないじゃないか、、、。


2001年12月22日(土)

グリーティングカード

今日は、朝から、ぱちぱちとパソコンをつついている。

それはeメールグリーティングカードをつくるため、

色々なサイトを見て、どんなグリーティングカードがあるかチェックしている。
アニメーションがあり、音楽ありいろいろ。
意外と見てて面白い。
それだけで、2時間は費やしてしまった。

というわけで、今回グリーティングカードで使用したサイトを紹介します。

Hallmark(英語) http://www.hallmark.com/

msnグリーティングス(日本語) http://greetings.msn.co.jp/site/msn/

Ynot.co.jp(日本語、携帯可) http://www.ynot.co.jp/

じゃがぴー (日本語、携帯電話用) http://i.jagap.com/

さてさて、今日は無茶苦茶いい天気だった。
家でグリーティングカードを作っている自分を思うと、何かさみしくなる。


2001年12月21日(金)

酔う

今日は、パーティだった。

俺は酒には弱い。どのくらい齢かと言うと、すぐ赤くなるし、眠たくなる。


すぐにはけると言う事。
そしてそのあと、まだ酒が飲める事。

これにはみんなビックリする。

はいたら、気分が悪くなるというのが俺の周りでの定説だが、
俺の場合。スッキリして気分がよくなる。

最高一回の飲み会に、4回はいた事がある。

こうなると、いの中身には何も残っていないね、、。


2001年12月20日(木)

忘れ物

もうすぐ、クリスマス。

あの静かなカナダのクリスマスがもうすぐ始まる。
ホント、名にもないからね、、、。


クリスマス、、、。


あ、、、!!。そう言えば去年クリスマスツリー買ってるじゃん。
引越しのとき、一緒に運んだはず。


と、ごそごそとクローゼットを探してみるとあった。
屋外用のイルミネーションはどうも雨のアパートにおいていったみたい。
ちょとしたアクセサリーとかは、残っていた。

のこり5日。去年ほどにぎやかではないが、細々と寂しくクリスマスを過ごしましょう。

しかし、なんで今まで思い出さなかったんだろ、、、。


2001年12月19日(水)

スキーに行って帰ってきて、テレビをつけてみたら、

「SHAOLIN」という、ショーをやっていた。

拳法で有名な少林寺のお坊さんたちが、技を披露するものである。
どうやら、北米のどこかの大きいステージでやっているみたい。
数十名のお坊さんが、華麗な拳法、舞台を見せてくれる。
技が決まると、大きな声援と拍手が沸き起こる。

もちろん格闘シーンも見せるが、数本の槍の先の上で寝たり、混紡で頭を殴られたり、超人的な所を見せてくれる。


さて、、、ご存知の通り、少林寺は立派な中国の寺。仏教寺である。
この人らは、ほんとにお坊さんなんだろうかと不思議に思ってしまう事がある。
本来の仕事、宗教としての役目をしているのだろうか、、。
すごく、疑問。雑技団の養成所になっているのではないかと疑問に思ってしまう。

そんな少林寺に、小さい頃すごくあこがれていたのは、隠しもしない俺である。一時は本気で少林寺に入ろうかと言う事も考えていたほど、、。
しかし、つるっぱげになるのはいやだから、ただテレビとかで見るだけですんでいる。


2001年12月18日(火)

おまけ

今日、火曜日は、シネマディ。バンクーバー圏内の映画館のチケットが半額になる曜日。

そういうわけで、「Monster, Inc.」をみた。

最初の5分が一番面白かった。もう最高!!見てみる価値がある!!

とにかく、スズメたちがかわいい。
10羽以上いるんだけど、みんな、違うかおしていて表情もユニークで、動きも、自然。一番、質が高い5分だったのでは、、、。
もう、拍手を贈りたいくらい!!
ホント、コンピューターグラフィックは発達した。

この最初の5分、本編と全く関係ない "おまけ"です。
本編と同じスタッフが作っているんだろうとおもうのだが、日本でもおそらく同じのが本編の前に公開されているはず。

さて、気になる本編は?映画館でお確かめ下さい。
面白いです。笑えます。

この感覚、昔のお菓子(ビッグワンガム)でおまけの模型が一番よかったと言う感じだね。


2001年12月17日(月)

感動より、、、

また、テレビを付けてみると、

「タイタニック」をやっている。また、、、。
一年前の今ごろ(2000年11月29日(水))もやっていた。
いま、ちょうど、器楽団が避難の人たちの心を静める為、演奏を始めた。
少しづつ、船が沈みかけている。
これから、悲劇が次々と、、、、。










明日がテストがあるので、カフェに行って勉強しよう。


2001年12月16日(日)

筋肉

とあるテレビチャンネルが、どうも、アーノルド シュワルツネッガー特集をやっているみたい。

目覚めてから、シュワルッツネッガーの映画ばっかりやっている。
そう言えば、昨日の晩もやっている。

昨日スキーに行ったため、少し筋肉痛。
する事もないし、体も思うように動かないので、ずっとテレビを眺めぐーたらぐーたらとしていた。

しかい、こんなにシュワルツネッガーの映画を見たら筋肉痛が直りそうだぜ、、。
よくあれだけ動いて、疲れない事。映画だから当たり前何だけど、感心する。

それにしても、

ターミネイターが、2連ちゃんでまた同じのをやっているよ。(2はやらずに、、)
それを二つとも全部見たおれも相当、暇人、、、。


2001年12月15日(土)

恐い夢

そういえば、悪夢を見たな。この木曜日、ルームメイトがたずねた前の晩。

どんな悪夢かと言うと、


ふと目覚めて鏡を見ると、

頭が薄くなっていた、、、。



これほどの悪夢はないぜ、、。現実にありそだし。

朝起きたら、懸命に自分の髪、頭皮を確認したのを覚えている。

え? この間の試写会の「Vanilla Sky」の影響受けすぎ?

とにかく、ご安心下さい。俺の髪は、まだふさふさです。


2001年12月14日(金)

願い事

実は、今日の晩は、双子座流星群の日だった。
でも、カナダでよく見られるかどうかは不明。どっちにしろ、バンクーバーは雨だ。

さて、先日、獅子座流星群のあと、クラスメイトら(日本人)とコーヒーを飲んでいて、その流星群についてはなした。ざんねんながら、そのクラスメイトらは、獅子座流星群を見ていなかった。俺が見た流星群について語ってあげた。
大きいのは10秒くらいしっぽを残して流れたとはなすと、
とある子は、ロマンチックに、
「そのくらい流れたら、願い事が3回言えそうね。」

それを聞いたもう一人の子は、わたしは2、3秒で十分だから、ほとんどの流星に願い事かけるわ、という。

その願い事は、

「金、かね、カネ」


2001年12月13日(木)

悪夢、再び。

今日の朝、ルームメイトが突然、

「昨晩、ナイトメア(悪夢)を見なかったか?」

と聞いてきた。俺は、見ていないと答えると。そうかといって、それ以上何も語らずに、疲れきった顔をしていた。
そして、ここにもかぁ・・・という感じで、ため息をついていた。

前のあれからして(2001年8月16日2001年8月28日の日記より)、どうも、悪夢を見ると幽霊が現れた証拠だとおもっているらしい。

幽霊を信じるだったら、人が住む所には、幽霊がいるとおもうべき、なぜなら、元人間なんだから、、。

と思っているの俺だけでしょうか。
そう、あなたの周りにいつも、、、。で、今も俺の周りにも、、。


いやだな・・・。見えない元人間にいつも俺の私生活が覗かれるなんて、、。
やっぱり幽霊は信じない事にしよう。


2001年12月12日(水)

妙な視点

きょう、トム クルーズ主演の"Vanilla Sky"を見に行った。
とある所から、地元新聞のバンクーバーサン主催試写会のチケットが手に入ったので、友達と見に行った。

ちょっと、頭がこんがらがる映画。かなり、複雑。

ちょっと、キャメロン ディアスとトム クルーズ2人並んで、全身が写っているシーンがないのがちょっと気になったが、、。しかも、キャメロン ディアスの方が背が低く見えるように写しているような、、。

きにしない。きにしない、、、。



2001年12月11日(火)

発音 その2

一応、こっちでは"ひさ(Hisa)"と呼ばれている。

でも、この名前、他の国の人にとっては、いいにくいみたい。

ここに来て最初のホームステーの家族は、ほとんど、「イッサ」と呼んでいた。
韓国の人は、ときどき「ひさぁ」と呼んでいる。
前、一緒に働いていたリーナは、「イザ」と。

いまの先生は、俺の事を「ヒザッ」と呼んでいた。
きょう、その彼、スペルを書いて、これで正しいかときいてきた。

「Hizak」

分らないでもないが、ロシア人みたいな名前。


いいかもしれない。"ヒザック"


2001年12月10日(月)

同名

昨日、Mt.Seymoureに滑りに行った。
今シーズン初、しかも、初のMt.Seymour!!

先日から、雪が降っていていたので、(ダウンタウンは雨)かなり、真っ白。
すべるには十二分の雪!!


久々のエキストリームカービングを思い存分楽しみました。

さて、今回は、前働いていた所の仲間といった。
一時期一緒に働いていたH君と、Sちゃん。

そう言えば、前シーズンもお好み焼きを作ってくれたSちゃんと滑りにいったな。
カナダに行く前も、同じ職場で働いていたSちゃんと滑りにいったような、、、。

この3人のSちゃん、漢字も感じも違うけど、同じ名前です。

らいシーズンは、どんなSちゃんといくのだろう。



2001年12月09日(日)

年齢層

さて、昨日、バンクーバーのミアータクラブの会合に出席した。

約30名ほどのミアータ愛好形が集まって、ランチを一緒にしていた。
俺と歳が同じくらいか少し若い人らもちらほらいたが、
ほとんど、素敵な叔父様、叔母様が似合う人らばかり。
さすが、世界で一番大きいロードスターマーケットだけある。

さて置いて、日本はそのユーザーのほとんどは20代から、30代の方が占める。


しかし、俺が、マツダのディーラーでセールスをしていたときに、

息子の為、娘の為といって、ロードスターを購入して(もしくは薦めて)、自分がドライブする事をものすごく楽しんでいらっしゃったお父様方を何人か知っている。

もちろん、その中には俺の父も含まれている。


2001年12月08日(土)

一周年

実は、この日記を書き続けて、1年以上経つ。2000年11月5日から続けている。

こんなに、連続して日記を書き続けたのは、夏休み等の日記、業務上の日誌を含めて、初めてである。

しかも、2000年11月21日より、ほぼ毎日。
(あとで、まとめて書いたことは何度かあるけどね。)


我ながら、すごい。

正直言って、祝福してほしい。でも、してくれる人がいない。(ちょっと寂しい)


で、何人気づいているだろうか。

実は、2000年12月8日の日記がない。

この事は、俺もずいぶんあとになって気づいた。
で、今日この日記を仕上げる事によって、丸一年、毎日日記を書き続けた事になる。冬休みの宿題の日記でさえ、仕上げたことがない俺がである。

祝1周年!!

ひやっほー!!

誰か、祝って・・・。

相変わらず、何が言いたいのかわからない俺。


2001年12月07日(金)

期待と現実

時々、チャイニーズファーストフードへ行って、ランチやなどをお持ち帰り出たのことがある。

だいたい、四角い発泡スチロールのボックスにご飯(もしくはヌードル)をつめて、そのまわりにおかずをのせてくれる。

ちょっと、自炊が面度くさくなった時、お金が泣くたらふく食べたいとき、こういったチャイニーズファーストフードが重宝する。

お勧めとしては、デンマンストリートにある「Ho Ho」がおすすめ。
6ドルちょっとで、3つのおかずとがご飯がたくさんのる。味はそこそこだけど、二人で食べきれないくらい出てくる。

それはさて置き、、、。

アメリカ映画、テレビとかによく出てくるチャイニーズデリスタイルのお持ち帰りようのランチボックス。底深で四角く紙で、できている奴。ごそごそと長い箸を使って食べる姿をよく見かける。

そう言えば、実物を見た事ない。
今まで不思議とおもわなかったのだが、バンクーバーはもちろん、ニューヨーク、ロスでも、見た事がない。

うーむ。ただ、そういう所に行っていないだけかな・・。

日本にいるときは、あの食べ方がすごくポピュラーだと思っていて、カナダにもきっとああいうランチボックスがあるとおもっていた。
で、カナダに来たら、絶対食べてみると心に誓っていたが、それを思い出す今の今迄、すっかりと忘れていたその誓い。


2001年12月06日(木)

悪戯

子供時代、よく、おやじがビールを飲んでいるとき、

ビールが入ったコップを、
麦茶の入った同じコップにそっと取り替えたことがある。

意外と飲むまで気づかれない。


2001年12月05日(水)

知名度

今現在の話。

日本最大のインターネットウェブサイトサーチエンジン、
Google日本語で、バンクーバー、ミアータと検索したら、

最初のページは、ほとんど、俺のウェブサイトに関してだった。

ちなみに、msn Japanで、同じように検索しても俺のウェブサイトのことが出てくるようになった。

ふふふふふ、、、、。

でも、このホームページ、まだ未完成。
実は、いまだに、テーマが決まっていない。



2001年12月04日(火)

責任感

先日、とある大企業のサイトに、試しに、リンクのお願いを出したら、




・・・・。


掲載された。






マツダ株式会社WEBサイト ファンサイトリンク集ロードスター編

http://www.m-wm.com:6080/fan/roadster.html

誠にありがとうございます。




ただ、こっちでのミアータの写真だけしか載せていないこんなサイトへのリンクを掲載していただけるなんて、
ものすごく感謝感激です。

Teo-Sylvaniaのコンテンツ充実させないと、、、。

他に紹介されているロードスターファンのサイトは、ほとんど、クラブ。
思いっきり個人サイトは、俺だけ。
みんな、こてこてのロードスター関係のホームページ。


すごく、責任感を感じます、、。もう、逃げられない、、。


2001年12月03日(月)

夜10時過ぎ電話が終わり、ふと、静まり返った部屋にボーとしていると、、


しゃりしゃり・・・、と外から聞きなれた音が、、。

これは、、、、!!。

まさしく、この音は、降りたてで水気を多く含んだ数cmほどの積雪を、車がかきわけている音ではないか・・・。この分だと、結構多く降っていると、見た!!

と、鋭い推測し、ばっと、カーテンを開けて外を見ると、
まさにそのとおり。
うっすら雪化粧。

今シーズン初めてのダウンタウン内での降雪。

風邪で、ボーとしている頭なんかすっかり忘れ、外に出る。

雪はべちゃべちゃしているが、ダウンタウン内では、非常に珍しい積雪。
(意外とバンクーバーダウンタウン近辺は、雪が降らないのだ。)

堪能させていだたきました。

なぜか積雪を見ると元気になる俺だが、気分だけなのだ。
部屋に帰って、この日記をつけていると、鼻水、たん、咳が止まらない。


2001年12月02日(日)

日曜日の不思議

俺が小学生のときは、

目覚しがなろうが、親に起こしてもらっても、なかなか目覚めなかった俺だが、
日曜日には目覚しをセットしていなくても、平日のよりも
しかも、親よりも早く起きていた。

なぜか、、。


で、今は、、、、。

休みの日は、際限なく昼間でぐっすりと寝ています。


もちろん、平日の日は、目覚しがなってもなかなか起きません。


2001年12月01日(土)

ウィルス

ここ3日間で、6通のウィルスメールが送られてきた。

タイトルは、「re」だけで、ほかはなにも書かれていない。
差出人の名前も、はじめて聞いたような。
変なデータも送付されて、、、。
これがウィルスらしい。感染すると、勝手にメールを作成してそれをいろんな相手に送付してしまうらしい。もちろん、ウィルスもつけて。
トロイの木馬型のウィルスとか、、。

一応、おれが使っているのはホットメールだけなので、ホットメールがウィルスをキャッチして起動させないようにしているから、ウィルスに感染する事はまずない。

ウィルスチェッカーも随時起動させているし、一週間に一回はデータを更新しているから、万全の防備を備えている。

ふふふふふ、、、ごほ、、ごほ、、、くー、、、。
喉が痛い、、、。


これらは風邪のウィルスは防いでくれないらしい。


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