ライフストーリー論で読む「アクト オブ キリング」 - 2014年05月17日(土) アクト オブ キリング、お友達がご覧になって各所で感想を述べられておられるのに触発されて少し更新された私の感想をもう一回まとめておきます。今日おKさんとかるたの日なんですが第3試合と第4試合抜け出してアクトオブキリングを語る会(ってのがある!)に出席するので、ちょっと感想をまとめたくなったんです。 よそのお宅で某C様が「物語としてしか、過去を想起することはできないってことだなぁ」とおっしゃられてたのを機に、ちょっと考えてみたんですが、この映画は一つのライフストーリーインタビューとして読むとなんかいろいろとみえるな、と。 ライフストーリーとはやまだ(2007)によると「ライフストーリー、つまり人生を物語るということは、経験を有機的に組織し、意味づける行為」であると言います。この「意味」とは「語り手と聞き手の相互行為の中で共同作業として行われる、進行するプロセスとしての『意味づける行為』」(やまだ,2007, p.126)であり、つまり聞き手と話し手が相互に反応しあいながら、語り手の経験の意味が編み出され「物語的自己(ナラティブセルブス)」が編成されるプロセスとしてライフストーリー・インタビューはあるわけです。 そして語り手と聞き手の相互作用の中で<経験>が物語られるときその意味付けを「モデルストーリー」注1や「マスターナラティブ」注2を参照しながら行います。 (例)「あの時代はどこ家でも嫁ってのはそういう立場だったんだよ」、とか「ふつう若い子って〜ですよね」みたいなね。 でアクトオブキリング。 アンワルの参照する「あのころ共産主義から国を守って奮闘したわしら、無実の人の虐殺もあったけど、ベトナムの2の舞を防いだじゃん」というモデルストーリーが、監督のモデルストーリー、あるいはマスターナラティブであるところの「虐殺者はちゃんと己の罪を認めて反省すべき」と徹底的に食い違ったまま「映画撮影」という経験の意味付けと物語りが行われていくわけですね。 そんでジャカルタから映画の撮影が行われてたメダンにやってきたアディは今の世界のマスターナラティブも若い監督が参照しているモデルストーリーもたぶん理解できている。そのうえで、あのころの自分たちを語るモデルストーリーがこの映画という「物語る行為」を通じてどう意味づけられるかアンワルに告げに来る。 そして虐殺された継父を持つスヨルノが被抑圧者の物語を語ることでアンワルは自分の物語の異なる意味が見えるというエピファニー(転機)を迎えることになる。 その後のアンワルの改心は、監督のモデルストーリーに沿った形でアンワルの物語が展開したのか、あるいは本当にアンワルが当事者として罪に向き合うニューストーリーが生まれたのか、それはわからない。でも相克するモデルストーリーを抱えた者同士がそれぞれの世界の違いを可視化し、対話を試みたという点で、そして、それが映画視聴者に可視化されたという点がこの映画は新しい。 これまで「ダーウィンの悪夢」や「おいしいコーヒーの真実」の監督のモデルストーリーの前に当事者の語りが素材として切り貼りされ、ねじふせられた見えないえげつなさより、えげつなさが可視化された分ずっと前進だ。 アクトオブキリングという一つの語りを得たインドネシアが、今後、どのように歴史を意味づけるのか、見つめよう。同時に異なるモデルストーリーを参照しつつ、交わらないまま対論(対話じゃない)を続ける私たちのコミュニティにも思いを馳せた。 注1:モデルストーリー:一定のコミュニティのなかで機能する、人びとがある現実を語ろうとするときに引用したり参照したりするモデルとなるストーリー 注2:マスターナラティブ:コミュニティをこえて社会的に機能するイデオロギーであり、文化的慣習や規範を表現するストーリーであるとともに、ときにポリティカリィ・コレクトな言説として表されるストーリーでもある(桜井、2005) ...
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